猿の経立(ふつたち)は人にえらい似てきて、里の女をなんべんも連れ去るようになります。遠野に現れる猿の経立は、人間の女をさらう点で、山男や天狗のような山界の異人と共通しています。(1)
『関西弁で読む遠野物語』 読んでいるっていうより聴いている感じ。ええ感じ。ええ感じの『遠野物語』 柳田国男(著) 畑中章宏(著、翻訳) エクスナレッジ 2020/4/1 <岩手県遠野市出身の佐々木喜善(鏡石)から聞き書きした話> ・『遠野物語』には、妖怪や亡霊が登場し、さまざまな怪異現象が記録されています。こうした現実離れした話の数々を、柳田は「目前の出来事」、「現在の事実」だと主張し、近代的知性や合理的思考では計り知れない世界を世に知らしめようとしました。「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という有名な言葉には、柳田の発見と驚きと反響への期待が示されているのです。 (当ブログ註;本文修正) <地勢> <1話 遠野は大昔、湖だった ⁉> <5話 山男山女を避けて回り道> ・遠野郷から三陸海岸の田ノ浜、吉利吉里の方に超えるんやったら、昔から笛吹峠の山道があります。山口村から六角牛の方へ入っていくさかい、だいぶん近道やねんけど、最近この峠を越えようとしたら、山の中で必ず山男や山女に出くわしまんねん。 そんなんやさかい、みんなが怖がってしもて、人通りがだんだん少なくなってきて、境木峠とゆう方にべつの道を開いてん。和山を馬次場にして、二里以上も回り道やのに、みんなこっちばっかし超えるようになってしもてます。 <98話 石塔の多く立つところ> <神の始 いちばんええ山もろたんは、何番目の姫神?> <2話 姉神が寝ているすきに、妹が……> 【解説】 ・遠野三山のそれぞれを、三人の姫神のだれが領有するか。母神の名は明らかにされてないが、さぞかし気高い神なのでしょう。 早池峰山は山地の最高峰で「日本百名山」のひとつ。北麓の集落に伝わる「早池峰神楽」でもよく知られています。 <カクラサマ 子どもと遊ぶのが大好きな里の神様> <72話 遊びを止めたら祟られる> <73話 信仰されていない神> <74話 神名は地名に由来する> 【解説】 ・題目では大きなくくりで「星の神」として98話だけが取り上げられ、「カクラサマ」と「ゴンゲサマ」は、それ以外の星の神の話として分類されています。 カクラサマの「カクラ」は漢字で、神楽・角羅・賀久羅・神楽・神座などと記され、遠野ではかつて堂宇の中に祀られていたようですが、信仰や祭祀の詳細はわからないようです。 カクラサマは子ども好きの神様だとされます。子どもが神仏と遊ぶのをとがめたため祟りにあったという話は、『遠野物語拾遺』の51話や52話にもみられ、前者では馬頭観音、後者では阿修羅が登場します。 <ゴンゲサマ 火伏の神様は、片方の耳がない> <110話> ・「ゴンゲサマ」ゆんは、神楽舞の組ごとに一つずつ備わってる、木でできたお像のことで、獅子頭によう似てるねんけどちょっと違てます。せやけど、なかなかご利益のあるものなんやていいます。 【解説】 ・「ゴンゲサマ」は権現様のことで、「権現」というのは仏・菩薩が衆生を救うために仮(権)の姿をとって現れること、また現れた姿を言います。 遠野を含めた南部領では、神意を獅子頭に移したものを権現様と呼びますが、柳田は獅子頭とは「よく似て少しく異なれり」と書いています。遠野の権現様は「火伏せ」に霊験があるとされていますが、各地では愛宕権現、秋葉権現などの権現が火伏せの神として信仰されました。 『遠野物語拾遺』にも新張八幡の権現が喧嘩して片耳を失う話があり、そこでは本編110話とはまた別の権現様が片耳を喰い切られています。柳田国男は『一目小僧その他』(1934)所収の論考などで、動物の片耳、片目片足などについて、かつての供儀との関連性を示唆しています。 <オクナイサマ お祀りしたら幸せになる神様> <14話 神様の顔に白粉を塗る風習> <15話 神様は泥にまみれて田植えを手伝う> <16話 コンセ様とオコサマ様> <70話 木像や掛け軸でお祀りする> 【解説】 ・題目「家の神」にはコンセサマを取り上げた16話が収められ、さらに「オクナイサマ」、「オシラサマ」、「ザシキワラシ」が小項目として立っています。ここでは「オクナイサマ」に入る三篇と、「家の神」の16話を収めました。 オクナイサマは「屋内様」や「御宮内様」と記される、まさに屋内の神です。「オコナイサマ」とも呼ばれ、次項のオシラサマと同様に、桑の木でつくり衣装をかぶせた木像のほか、掛け軸を信仰する場合があるようです。陰陽ひと組なところもオシラサマと似ていますが、田植えを手伝うことで人を幸せにするなど、農業神の性格が強いのかもしれません。 なお16話のコンセサマは「金精様」、オコマサマは「お駒様」で、五穀豊穣や安産を祈願する性神と考えられます。 <オシラサマ 結ばれた娘と馬は、死んで神様に祀られた> <69話 桑の木をめぐる悲恋と信仰> 【解説】 ・馬娘婚姻譚として知られ、桑の木に因むことから養蚕業にかかわると思われるオシラサマの話です。オシラサマ(オシラ様・おしら様・お白様)は。東北を中心に東日本の広い地域で信仰され、「オシンメ様」「オシンメイ様」(福島県)、「オコナイ様」(山形県)などとも呼ばれます。 佐々木喜善の『聴耳草紙』にはこの69話の後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、蚕を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませて、それが養蚕の由来になったとあります。このようにオシラサマは養蚕の神として知られていますが、農業の神、馬の神などともされていて、地域により祈願の目的がさまざまなのです。 <ザシキワラシ “気配”がしたら、金も地位も思いのまんま> <17話 こどものすがたをした神さん> <18話 幸福も連れて去っていく> 【解説】 ・ここには二種類のザシキワラシが登場します。ひとつめは、家の中のどこかに住みつき、物音や気配はするものの姿は見えません。しかし、この“神”がいると、金も地位も思いのままだと言います。ふたつめは二人の少女で、彼女たちが家を出て行くと、その家は没落してしまいます。二種類とも富貴を左右する“小さな神”として描かれているのです。 なお、東北地方に伝わるザシキワラシの性格としては、枕返しをはじめとしたいたずらが強調される場合もあります。また、遊んでいる子どもたちの数をかぞえると、実際の人数より一人多く、それがザシキワラシだといわれます。 佐々木喜善は岩手県内で、「ザシキワラシと河童は同じものだ」という証言を採集し、喜善と親交のあった宮沢賢治も、童話『ざしき童子のはなし』(1926年)を執筆しました。 <山の神 真っ赤な顔で輝く目をした大男の不思議> <89話 鉢合わせに、山神も吃驚> ・和野の何某っちゅう若もんが柏崎に用事があって、夕方にお堂のあたりを通ったら、愛宕山の上から、えらい背ぇの高いやつが降りてきよったそうです。 「どこのどいつや」て、林の木超しに見えるそいつの顔目がけて近寄ったら、道の角でばったち出くわしてもてん。そしたら思いもせんかったせいやろ、むこうのほうが滅茶苦茶吃驚しておる。そのこっちを見た顔はえらい赤うて、眼もぎらぎらして、ほんまにたまげた顔や。 何某は、それが「山の神」やてわかったもんやさかい、後も見んと、柏崎の村まで走り着いたんやて。 <91話 鳥御前の災難> <93話 山中で子どもの死を告げられる> <107話 「河ぷちの家」の娘> ・上郷村」を流れてる早瀬川の岸に、「河ぷちのうち」て呼ばれている家があります。この家の若い娘が、ある日河原に出て石拾っとったら、見たこともない男が来て、木の葉となんかをくれよった。背が高うて、顔の赤い男やった。 その日からこの娘は、占いの術使えるようになってんけど、「そのけったいな男は山の神で、娘は山の神の子になったんや」て言われています。 <108話 人心を読む術を授けられる> 【解説】 ・89話の原注に、遠野で多くの山神塔が立っている場所は、「かつて山神に逢いまたは山神の祟りを受けたる場所にて神をなだむるために建てたる石なり」(原文)とあるように、『遠野物語』に登場する山の神は、山や森や木に宿る精霊的な存在ではないようです。リアルな身体を備えて、人に似てはいるものの、人とは違う能力をもつ「異人」というべき存在なのでしょう。 山の神のなかには108話のように特殊な能力を身に着けたものもいますが、山で修行する修験者を山の神に見立てたのかもしれません。山中で暮らすこうした異人・山人を、柳田は民俗研究の最初期には重要な課題にしていました。なお題目で「小正月の行事」と重複している102話はそちらに収めました。 <神女 言うとおりにしたら財を得、約束を破ると……> <27話 黄金があふれ出す石臼> <54話 秘密を守る約束のお返し> 【解説】 ・約束を果たしたおかげで財産を手にする報恩・致富譚二篇で、富をもたらしたのはいずれも神秘的な女性です。27話では川渕にいた女が、昔の知り合いと出会います。柳田はこうした不可思議な女性をめぐる話を「神女」という題目に収めたのでした。 27話の原注に 「この話に似たる物語西洋にもあり、遇合にや」(原文)とありますが、イギリスには黄金を生む卵の話、また世界の各地に託された手紙を書き換える話が伝わっています。 なお27話に登場する「池の端」の家、池端家は現在も継がれていて、敷地内に石臼大明神が祀られています。 <天狗 山の中で出くわしたら、ただでは帰れぬ> <29話 天狗が住む山に登る賭け> <62話 鉄砲打ちの奇妙な体験> <90話 力自慢のゆえの惨劇> ・松崎村に「天狗森」ゆう山があります。 その山の麓の桑畑で、村の若もんでなんちゃらゆうやつが仕事をしていたらえらい眠とうなってきたんやそうです。ほんで、畠の畔に腰掛けてちょっとのあいだ居眠りしようと思てたら、顔が真っ赤で、めちゃくちゃな大男が現れよってん。 【解説】 ・遠野には鶏頭山や天ヶ森など、天狗が住むと恐れられた山がありました。遠野の人々は故人や、知人が天狗に遭遇した体験談から天狗の実在を固く強く信じていたのです。 日本の天狗には修験道の修行者=山伏の姿が色濃く投影しています。かつての人々は天狗の姿を、赤ら顔で鼻が高く、眼光鋭く、鳥のような嘴を持つ、あるいは山伏姿で羽根をつけ、羽団扇を持っていて自由に空を飛ぶといった姿をイメージしていました。 人が突然いなくなる「神隠し」でも、天狗にさらわれたという事例が近世以後は多くなります。国学者の平田篤胤は『仙境異聞』で、天狗にさらわれた仙童寅吉が、空中を飛んだり、異世界を見てきたりした経験を記録しました。 <山男 娘をさらったり、焼け石を食わされたりする異人> <6話 さらわれた糠前長者の愛娘> <7話 子どもをどこかに連れ去る怪物> <9話 笛の名人が聞いた声> <28話 餅だと信じて坊主が食べたのは> <30話 高いびきをかく大男> <31話 女の子が狙われやすい> ・遠野の里に住んでる子どもが、異人にさらわれて行ってしまうのは毎年しょっちゅうなことでした。子どものなかでも女の子のほうが、ようけさらわれたんやそうです。 <92話 風呂敷を背負って、急ぎ足で> 【解説】 ・この題目に収められている話の多くは、子どもや女性が突然行方不明になる「神隠し」と呼ばれる現象です。かつては神隠しがあると鉦や太鼓を叩いて名前を呼び、捜し歩いたものだと言います。 その原因は、天狗や狐、鬼や隠し神などに隠されたものと信じられてきましたが、遠野では山男にさらわれることが多かったようです。神隠しには永遠に帰らない場合と山中で発見される場合があり、古来、異界と交渉する手段のひとつだと思われてきました。 28話で描かれた「白髪水」は、北上川流域を繰り返し襲ってきた氾濫災害伝承としてよく知られるものです。なお題目「地勢」と重複する五話はそちらに収めました。 <山女 長い髪を垂らした美女の正体は> <3話 証拠に切った黒髪> <4話 粗末な着物で赤子を背負う> <34話 小屋をのぞく謎の女> <35話 空を走るように駆ける女> <75話 長者屋敷への出没> 【解説】 ・山深く住む山女は、山姥・山姫・山女郎・山姥などとも言い、この題目に収められた話のように長い髪をもち、肌が白いといった特徴があります。また山女に出会ったものの多くは、病気などの災厄を受けるなどと言われています。 東北地方で起こる神隠しでは、女性の場合、山男に連れ去られその女房になったという言い伝えが少なくありません。女性が神隠しに遭いやすいのは、産後の肥立ちが悪いなど、精神的に不安定な時期が多いなどと言われてきました。 <姥神 異能をもった女性たち> <65話 今も生きている貞任の母> <71話 「隠し念仏」の信者> 【解説】 ・71話で描かれる隠し念仏は、現在の岩手県を中心に青森県から福島県の一部にまで広がった秘密性を重んじた念仏集団です。江戸時代に広く行われ、西の隠れキリシタンに対して、東の隠し念仏といわれたほどでした。伝統的な浄土真宗の信仰を起源としますが、世俗化した本山の本願寺を嫌い、直接的に親鸞の教えに従おうという信仰だったようです。 <雪女 冬の満月の夜には気をつけて> <103話 雪女が遊ぶ日> 【解説】 ・雪女にかんする伝承は日本列島の各地にあり、地域によって「雪おんば」、「雪女郎」などとも呼ばれています。 青森県の西津軽地方では元旦に現れ、最初の卯の日に帰っていくという言い伝えがあり、また山姥や一本足の子どもの姿で現れるというところもあり、こうした伝承から雪女には、歳神や山の神の性格がみられます。 遠野でも小正月や満月が雪を照らす夜、多くの子どもを連れてやってくると伝えられていますが、雪女の出現は珍しかったらしく、その姿を確認したものは少なかったようです。 <川童 遠野の河童は体が赤く、女を身ごもらせる> <55話 川べりの家では嫁が寝取られる> <56話 捨てた河童を拾いに行けば> <57話 河童の足跡> <58話 姥子淵の河童の約束> <59話 真っ赤な顔をした男の子> 【解説】 ・河童(川童)は日本各地の川や池などに住み、川太郎・ガタロ・エンコウ・ヒョウスベ・メドチ・スイジン・スイコなどと呼ぶところもあります。特徴は子どもの姿で、頭の上に皿があり、髪の形はおかっぱ頭、背中には甲羅、手には水掻きといったものです。 相撲を好み、田畑を荒したり、水の中に馬を引き入れたりするかと思えば、田植えや草取りを手伝ったり、毎日魚を届けたりするかと思えば、田植えや草取りを手伝ったり、毎日魚を届けたりする河童もいます。 しかし遠野の河童は、女性の寝床に入り、子どもを身ごもらせるなど、多くの人が思い描く河童とはイメージがかけ離れています。しかも生まれてきた子どもは赤く、醜く、殺したり捨てられたりするのです。こうした河童像は、遠野地方をたびたび襲った飢饉により、子どもを死に至らしめざるを得なかった過酷な歴史が背景にあるかもしれません。 <猿の経立(ふつたち)<年取った猿は化け物になって人をおどかす> <44話 炭焼きの小屋をのぞく不審者> ・六角牛山の峰続きに橋野っちゅう村があって、その上の山に金抗があります。 ここの鉱山に使う炭を焼いて、生計立ててるもんの中に、笛がえらい上手な人がいてます。その人がある日の昼の間、小屋で仰向けに寝転んで笛吹いていたら、小屋の入口に掛けたる垂菰(たれこも)をめくるやつがいてまんねん。びっくりしてそっち見たら、猿の経立(ふつたち)や。 あんまし怖くて起き上がったら、猿の経立(ふつたち)は向こうにゆっくり走っていきよった。 <45話 頑丈な毛並みで女をさらう> ・猿の経立(ふつたち)は人にえらい似てきて、里の女をなんべんも連れ去るようになります。 経立(ふつたち)は毛に松脂塗ったくって、その上に砂をつけとるもんやさかい、毛皮は鎧みたいで鉄砲の弾も通らへん。 <46話 鹿笛をほんとの鹿だと勘違い> ・栃内村の林崎に住んでる、いまは五十近い何某っちゅう男が、十年ほど前、六角牛に鹿撃ちに行ってオキ吹いていたら、猿の経立に出くわしたんやそうです。 猿はオキの音をほんまの鹿やと思ったみたいで、地竹を手でかきわけながら、大きい口開けて、峰の方から下りてきよる。何某は胆潰れるぐらいびっくりして、笛吹くのんやめたら、経立はそのうち道反れて、谷の方へと走っていきよった。 <47話 山から経立(ふつたち)が降りてくる> <48話 峠で待ち受けるいたずらもの> 【解説】 ・ふたつの題目、「猿の経立(ふつたち)」と「猿」(47話)をひとつにしました。経立は、動物が驚くほど長い年齢を取り、妖しい力が使えるようになったものを言います。猿の経立のほか、犬の経立、雄鶏の経立などさまざまな経立がいて、青森県の野辺地あたりでは経立のことを「へぇさん」と言い、愛知県の北設楽郡では年を経た狐や山犬、猿のことを「フッコ」と呼ぶそうです。岩手県の下閉伊郡安家村では、雌鶏の経立が、卵を食べる人間を怨み、子どもを取り殺したと言います。 遠野に現れる猿の経立は、人間の女をさらう点で、山男や天狗のような山界の異人と共通しています。 <山の霊異 夢か現か幻か、深山での出来事> <32話 白鹿と地名由来> <61話 白鹿と白石> <95話 けったいな大岩> <49話 仙人峠の落書き> 【解説】 ・鹿は古くは「シシ」「カノシシ」とも呼ばれ、人々と深い関りを持ってきました。鹿皮が武具などに用いられるほか、肉、骨、角などもさまざまな用途に利用されてきたのです。 また古くから奈良の春日大社や広島県の厳島神社などでは、神使として神聖視され、害獣であるシカを捕らえて豊作を祈願することもありました。 白いシカを神聖視する伝承は中国にもあり、北海道のアイヌは、シカは神が天上でウサギ狩りをするときの猟犬で、シカの毛は真っ白で立派な角を持つと伝えています。 なお49話だけの題目「仙人堂」はこちらに入れました。 <昔の人 いまでも語り継がれる変わりものたち> <8話 サムトの婆> ・日暮れるころ、女や子どもが家の外に出てたら、神隠しによう遭うたりするんは、よその国と同じです。 松崎村の寒戸てゆうとこにある家で、若い娘が梨の木の下に草履脱いだまんま、行方知れずになりましてん。せやけどそれから30年もして、親類や知り合いがその家に集まってるとこへ、その娘がえらい老けて帰ってきよった。「なんで帰ってきてん?」て尋ねたら、 「あんたらに会いたいから帰ってきたんや。せやけどうち、また行くわ」 言うて、跡形も残さんと、また消えてしまいよってん。その日は、風のえらい強う吹く日やったんやて。 そんなことがあったもんやさかい、遠野の人はいまかて風がにぎやかな日には、「きょうはサムトの婆さんが帰ってきそうな日やなあ」て言うんやそうです。 <10話 夜中で聞く叫び声> <11話 狂ったせがれ> <12話 遠野の生き字引> <13話 赤ゲット、赤頭巾の酔狂> <21話 お稲荷さんのご利益> <26話 田んぼのうち> <84話 海辺に住む西洋人> <85話 「白子」がいる家> 【解説】 ・8話は有名な「寒戸(サムト)の婆」の話です。じつは遠野に「寒戸」という地名はなく、松崎村に「登戸(ノボト)」が実在します。このため「寒戸」は「登戸」の誤記であるとか、柳田の聞き間違いであるとか、あるいは柳田が話を改変したのではないかという説があります。登戸では、急にいなくなった旧家の娘が数十年後に村に現れたと伝わり、「モンスケ婆」と呼んで、恐れられてきたと言われています。 なお題目にはない85話をここに収めました。 <家の盛衰 長者の家はなぜ衰えてしまったのか?> <19話 孫左衛門家の没落> <20話 蛇を殺した報い> <24話 「大同」の由来> <25話 吉例の片門松> <83話 開かずのつづら> 【解説】 ・山口孫左衛門は18話と24話にも出てきます。また21話で、狐から家を富ます術を得ようとしたのもこの家の当主でした。裕福な長者が没落したり、何かのきっかけで滅亡したりすることは、民話の世界にとどまらない厳しい現実だったことでしょう。 <マヨイガ 山中で気配がする家を見つけたら……> <63 無尽蔵の器> ・小国村に住んでいる三浦某は、村いちばんの金持ちです。その三浦家のいまから二、三代前の主人のころは、家はまだ貧しいし、奥さんはちょっとのろい人でしてん。 <64 手ぶらで帰ってきた婿> 【解説】 ・マヨイガは「迷い家」で、山中に忽然と現れる人気のない屋敷、またその屋敷を訪れたものをめぐる伝承のことです。マヨイガを訪れたものは何かを持ち出して帰ると、富貴が得られるのですが、63話と64話の結末が異なるように、だれもがマヨイガの恩恵を受けられるとはかぎりません。 こうしたマヨイガは、「隠れ里」をめぐる伝承とも重なります。隠れ里は、人間が容易にはたどり着けない富貴自在の別世界で、山の中や水の底にあると想像されてきました。川の上流からお椀や箸、米のとぎ汁などが流れた、米搗きや機織りの音が山の中から聞こえてきたといった伝説が、日本の各地に数多く残されています。 <前兆 あの出来事は悲劇は前触れだったのか> <78話 雪合羽を着た男> <96話 芳公馬鹿と出火> 【解説】 ・ものごとの前兆に気づく予知能力をめぐる話は『遠野物語』のなかにはいくつもあり、少しあとに登場する「まぼろし」にも出てきます。 96話の芳公馬鹿は、火事を予知する超越的な力が備えており、原文では「白痴」とみなされています。しかし民俗的な社会においては、知的に障害がある人は差別されるだけでなく、人に見えないものが見えたり、感じられないことが感じられたり、未来に起こる出来事を予知する能力をもつのではないかと畏怖されることもありました。 なおもとの題目のうち20話は「家の盛衰」に、52話は「色々な鳥」と重複のためそちらに移しました。 <魂の行方(その1) 親しかった人への最後の挨拶> <22話 ひいばあさんの帰還> <23話 この世への執着> <86話 道普請を手伝う> 【解説】 ・「魂の行方」は『遠野物語』のなかでも重要な題目です。 ・その22話と23話における幽霊出現のリアリティを、三島由紀夫は『小説とは何か』(1972年)のなかで激賞しています。「『裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくると回りたり』と来ると、もういけない。この瞬間に、われわれの現実そのものが完全に震撼されたのである」。炭取の回転によって「超現実が現実を犯し、幻覚と考える可能性は根絶され、………幽霊の方が『現実』になってしまった」。幽霊の出現を現実にする遠野の奥深さを表す話だと言えるでしょう。 <魂の行方(その二) 思いがけない死者との再会> <97話 菩提寺の上空を飛ぶ> <99話 津波で妻と別れた男> ・土淵村の助役をしている北川清の家は、字火石にあります。 北川家は代々の山伏で、お祖父さんは正福院てゆう、ぎょうさん本を書いてる学者で村のことをよくしてきた人です。 清の弟の福二ゆう人は、海ぎわの田の浜に婿入りしてんけど、こないだの大津波で奥さんとお子さんを失くして、屋敷の立ってたとこに小屋をこさえて、そこに助かった二人の子どもと一年ほどいてます。 清二が、夏の初めの月のええ晩、便所に行くのに立ったら、遠くの波がザバーンて打ち寄せる、浜辺に沿うた道の方が気になりましてん。そしたら、深い霧の中から男と女の二人連れが近よってくるさかい、よう見たら女のほうは、死んでしもうたはずの嫁さんやないかいな。 気づかれへんように後つけて、船越村の方に行く岬の洞穴まで追っかけて名前呼んだら、こっちのほう振り向いて、「ニコッ」て笑いよる。「男はどこのどいつや」と思て見たら、同じ里の、やっぱり津波におうて死んだ男やってん。そう言うたらじぶんが婿入りする前に、嫁さんと仲ようしとったちゅう男や。 「あんた、すんまへん。この人と夫婦になりましてん……」言うもんやさかい、 「おまえ、子どものこと可愛いことないんか?」て言うたら、嫁さんは顔色変えて泣きよる。 せやけど、死んだもんと口きいたと思われへんし、なんやもう悲しゅうて、情けのうて足元見てたら、男と嫁さんは急いで行くんで、小浦へ行く道の山陰まわって見えへんようになってしもてん。 追っかけてみてんけど、「あれは、ほんまに死んでしもたやつらや」て気ぃついて、夜明までぼーっと立ってて朝になって帰りよった。 そんなことがあってから、福二は長いことわずらったんやて言います。 <100話 化けた女狐> 【解説】 ・明治29(1896)年6月15日、犠牲者約2万2千人にのぼる明治三陸地震津波が発生しました。このとき99話の舞台である田の浜(現在の岩手県下閉伊郡山田町船越)では、138戸の家のうち129戸が流出し、死者が483人、生存者は325人と、集落の半分以上の人が亡くなってしまったのです。北川福二の妻もそのうちのひとりだったのです。 柳田国男は明治三陸地震津波の被害をもとに『二十五箇年後』という文章を書いています。大津波から四半世紀後、三陸沿岸を歩いた柳田が目にしたのは、漢文で記された津波記念碑で、現在の村民には読むことができないため津波の教訓が伝わっていない。高台に移転してもやがて海辺に戻ってくる人々の現状とその心情に、柳田は思いめぐらせたのでした。 97話は目に浮かぶほど鮮やかな「臨死体験」の記録です。 <まぼろし 思いすごしか、前兆か> <77話 石を枕にして寝る男> <79話 ヨバヒトの気配> <80話 遠野特有の間取り> <81話 青ざめた顔の男> <82話 手に映る人影> <106話 山田の蜃気楼> ・海岸の山田では蜃気楼が毎年見えるねんけど、いっつも外国の景色なんやそうです。見たこともあらへん都会のようすで、馬車が路上をさかんに走ってて、人の往来かてびっくりするぐらい。せやけど家の形は、毎年ちょっとも違うことがあらへんのやて。 【解説】 ・79話や81話で柳田は、「間取り図」を示しながら、幽霊や物の怪は、家の「構造」から生まれてくると示唆しているかのようです。そんな柳田の間取りに対する関心は明治44(1911)に山梨県南都留郡道志村を旅した際「常居」という言葉が気に掛かって以来だと考えられています。なお、もとの題目のうち23話は「魂の行方(その1)」に移し、題目「家のさま」から80話をこちらに移しました。また題目に含まれない106話はここに収めています。 <昔々 結びの言葉は「コレデドンドハレ」> <115話 山姥話の宝庫> <116話 木の唐うどと石の唐うど> <117話 オリコヒメと鶏> <118話 紅皿欠皿の話> 【解説】 ・民間伝承のなかには、瓜から生まれた「瓜子姫」、「瓜姫」、「瓜子織姫」、「瓜姫御寮」などと呼ばれる娘の話が全国に残っています。 美しく成長した瓜子姫は、機織りをしている最中に、アマノジャクにだまされて殺されそうになります。結末はおもに二つあり、殿様に嫁いで幸福に暮らす話と、アマノジャクに殺されてしまう話です。 瓜子姫をだますのはアマノジャクのほか、『遠野物語』のようなヤマハハ(山姥)や猿などの場合もありますが、最後には退治されてしまいます。大事に育てた娘が殺されてしまう陰惨な話は、現実に起きた出来事を記憶するために物語化したものかもしれません。
『山神を見た人びと』
高橋貞子 岩田書院 2009/3
<東北文化史の古層へ>
・今では有名になった『遠野物語』ですが、当時これを評価したのは泉鏡花と芥川竜之助くらいで、多くの人は趣味本位の書物にすぎないと見ていました。しかし、この発刊が機縁になって、地方に埋もれた文化への見直しが始まり、やがて民俗学が生まれました。人々の語る伝承の比較によって日本人の歴史がわかるというのは、まったく新しい学問の誕生でした。
・遠野で、『遠野物語』が再発見されたのは新しく、昭和45年(1970)ごろからでした。岩手国体の実施に当たって、地域の文化を観光資源として活用することが図られましたが、その年はちょうど発刊60年にあたっていました。その後、遠野では民俗学資料に重点を置いた博物館、佐々木記念館を核にした伝承園、柳翁宿と柳田の隠居所を含むとおの昔話村、南部の曲がり家を移築した遠野のふるさと村といった施設を整備しました。
・『昔なむし』の巻末にある「岩泉地方の昔ばなしとわたくし」には、幼少時に昔話を聞いた思い出から、家業と子育てをしながら採集と執筆を行った様子が書かれています。店先や汽車の中が聞き書きの場であり、夜中や早朝が原稿用紙に向かう時間だったのです。書くことへの執念と信頼が、こうした貴重な資料集を生みだしたのです。
<山の神に出遭った人>
・岩泉の向町の佐々木亥之松(いのまつ)さん(明治生)は、20歳だったある日、山仕事で山中に入りました。奥山まで行ったとき、いきなり樹の間から顔の真っ赤な大柄の人が出て、ずいと顔を合わせました。「あ、あー」とおどろいた亥之松さんは、後退りました。ところが、相手は亥之松さん以上におどろいた様子で、うろたえながら樹の蔭に隠れました。
さあ、亥之松さんは転がるようになって家に戻ると、
「その顔はらんらんとして燃える火のようだった」
と家の人に話したきり、40度の高熱を出して寝込んでしまいました。
高熱はなかなか下がりません。亥之松さんは重態でした。あまりのことに家の人は、神子さまに、ご祈祷を頼んでお宣託を聞きました。
お宣託は、
「山中で出遭った顔の赤い人は、山の神だったのです。
山の神は<木調べ>のために山中を歩いておられたのです。人間に見られてはならない姿を見られて、山の神もおどろかれたのでしょう。亥之松さんの病は、40日間病床に臥せば恢ります」
と、告げました。
そのご、ほんとうに亥之松さんは40日間でもと通りの健康体にもどって、そのあと長生きをして生涯を終えました。
<山男にさらわれた娘>
・田野畑村田代の南という家に、名をハツエと呼ぶ美しい娘がおりました。ある日、ハツエは、手籠を持って春菜を摘みに出かけたまま、突然、姿を消しました。
家族はもちろんのこと、村中が総出となって探しましたが、ついにハツエを見付ける「ことはできませんでした。ところが、その日から十数年たったある日、村のまたぎ(狩人)が山中でハツエを見ました。
ハツエは、ごつごつとした岩の上に座って、長い髪を櫛でとかしていました。またぎはおどろいて、「ハツエではないか」と、声を掛けました。
ハツエもまたぎを見ると、おどろいた様子で、なつかしそうに涙をはらはらと流しました。やがて、
「あの日、山男にさらわれて山女になった。あのころのハツエではない。今は山女なれば、おいらに出会ったことをだれにもしゃべるな。もし、しゃべったら、われの命は無いと思え」
こう言うと、さいごは恐ろしい形相となって威しつけました
またぎは、
「だれにも一切しゃべらない」
と、約束をしました。ハツエは、
「約束を破れば、3年のうちにお前は死ぬぞ」と、更に威しました。
またぎは秘密を抱えて山を下りましたが、心の中は平らではありませんでした。だんだん体の調子まで悪くなるようでした。こらえかねたまたぎは、ついにある日、ハツエと出会った一部始終を、村のだれかに話しました。
またぎはだんだんやつれてきて、青白くなって死にました。山女に出会って3年以内のことでした。
<人身御供とヒヒ>
・遠い昔のことです。小本海岸の波鼓が舞のあたりに巨大な松の古木があって、その枝に強そうなヒヒ(マントヒヒの異称)が腰掛けていました。そこは浜通りとして人びとの往来するところでした。
ところが、よく人隠しがあって、突然、人が見えなくなってしまう騒ぎがありました。
「なんでもあのヒヒが人を食うらしい」と、人びとは恐れました。
村人たちは相談の結果、若い娘を人身御供にヒヒに差し出して、ご祈祷をすることになりました。
若い娘は毎年一人ずつ、裸にされてヒヒに供えられました。のちにその娘たちの魂を鎮めるために「人殺神社」が建立されましたが。明治以前に廃社になったということです。
<天狗山から鼓の音>
・小川の国境峠に天狗山があります。海抜654メートル。昔から天狗の隠れ住む山と伝えてきました。
今でも国境集落の人びとは、
「トン、トン、トン、トン」
と、天狗山から鳴り出す鼓の音を聞いています。
やがて鼓の音は、集落を囲んで立つ峰から峰をわたり歩いて、
「トン、トン、トン、トン」
と、鼓の音を聞かせるといいます。
鼓の音は、四季も時刻も関わりがなく、いつ、どうともなく聞こえ出すようだと、国境の人びとは気付きました。
「きっと、天狗様は、ご自分の所在を知らせたくて、鼓を打つのだろう」と言い合って、鼓の音を聞くと、どんな仕事をしていても手を休めて戸外に集まり、天狗山を眺めるということです。
<天狗に殺された12人の神楽団体>
・天狗森は、猿沢の奥にあって、昔は天狗が隠れ棲んでいた深い森でした。近くの与一屋敷では、あるとき神楽宿をしたのですが、朝には、12人の神楽団体全員が死んでいました。与一屋敷の人は全員無事でしたが、この一大事に気付きませんでした。
その夜、真夜中の与一屋敷に天狗が舞いおりて、神楽衆の一人ひとりの口に息を吹き込んで殺したのでした。人間は天狗に息を吹き込まれると、即、死ぬといいます。その方法は、天狗は鼻が高いので、人間の頬に頬を近寄せて息を吹き込むと伝えていました。
猿沢の武田博さん(昭和4年生)は、少年時代に与一屋敷跡に行ってみました。そのときの与一屋敷跡には、土台石や腐った建築材が見えたので、そんなに遠い出来事ではないと思ったそうです。
<ツチグモと呼ばれた種族>
・遠い昔、この地方をはじめて開拓したころ、われわれと別にアイヌとツチグモがいました。アイヌは狩猟をして山で暮らしていましたが、ツチグモは極端に小さい体で、山野に穴を掘ってその中に隠れ住んでいました。
穴の入口に木の葉や草を被せていましたが、とても獰猛でアイヌや村人が通ると、いきなり襲って穴の中に引きずり込んで、猟物や食料を奪い、衣類を剥ぎ取りました。ツチグモはとても怖かったということです。
結局、ツチグモは絶滅したのですが、ツチグモを退治したのはアイヌでした。
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