現代に甦ったアマビエを、コレラ除けならぬコロナ除けとして活用する人は、それほど多くはないだろう。むしろ、人々が願っているのは、コロナを退治してくれるワクチンの開発である。(3)

 『日本人の心のふるさと(かんながら)と近代の霊魂学(スピリチュアリズム)』 (近藤千雄)(コスモス・ライブラリー)  2006/3 <サマー・ランド、ブルー・アイランド> ・言って見れば、「因果律による審判が行なわれるわけであるが、皆が皆、素直に更正するわけではないから、三つの階層に収まることになる。 ・しかし、ここは、まだ虚構の世界で、死後の世界ではあっても、実相の世界ではないことが、肝心なところで、死ねば地獄か極楽へ行くとか、無で帰するというものではない。当分は、地上時代そのままの意識と姿で生活を続ける。驚くことに、自分が死んだことすら気づかず、地上時代と同じ感覚のまま生活している者がいるほどである。信じられないことであるが、それほど、幽体と幽界がうまくマッチしているということであろう。 ・(コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の階層の実相) 「幽界」 ・1、邪悪で、自己中心的な欲望しか持たない。 ・2、邪悪性はないが低級な煩悩から抜け切れない者が集まっている。 ・3、何事も思うがままに、叶えられる世界(サマー・ランド、ブルー・アイランド、極楽) ・「第二の死」。無意識状況を体験して霊界に入る。 1、知的な理解の世界。 2、直感的な悟りの世界。 3、形体なき存在への変化。神界へ上がる資質の不足な者は、再生する。 ・再生への手続きが行なわれ、他の者は、神界へ行く。 1、宇宙の造化活動への参加と活動 2、宇宙的存在としての普遍的愛の活動 3、ニルバーナ、涅槃(ねはん) それ以上は、(超越界)で、人間的な理知では知りえない。 『ブルーアイランド』 エステル・ステッド  ハート出版  1992/11 <ブルーアイランドの建物> ・霊界というと、非現実的で夢のような世界を想像なさるに違いありません。が、そうではなく、みなさんが外国に行くのとまったく同じなのです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。  やがて私たちは大きなドームのような建物の前に来ました。中を覗いてみると、ここも素敵なブルーで彩られていました。地上で見かける建物と変わらないのですが、その美しさが違うのです。 ・そこにしばらく滞在して、それから軽い食事を取りました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。  奇異に思えたのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。目の前に置いてあるのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残にすぎなかったようです。 ・父の説明によれば、あの建物は一種の休養施設で、地上からの新来者がよく集まるところだそうです。地上界の生活条件に近いものがいろいろと揃っていて、外観も地上の建物に似ているので、よく使用されるということです。同じ目的をもった建物は他にもたくさんあります。別の用途を兼ね備えたものもあります。 ・それらの外観は一つ一つ異なり、似たものはありません。要するに“大きなビル”と考えればよろしい。博物館や美術館、あるいは巨大なホテルを想像されてもよろしい。だいたいそんなものに近いと思ってください。おとぎ話に出てくる夢のような宮殿を想像してはいけません。きわめて地上的で、変わったところは一つもありません。 ・このブルーアイランドにはそうした建物が実にたくさんあるのです。というのも、この世界の第1の目的は、地上を去ってやってくる者が地上の縁者との別離を悲しんだり、無念に思ったり、後悔したりする気持ちを鎮めることにあり、当分の間は本人が一番やりたいと思うこと、気晴らしになることを、存分にやらせることになっているのです。 ・元気づけるために、あらゆる種類のアトラクションが用意されています。地上時代に好きだったことなら何でも――精神的なものでも身体的なものでも――死後も引き続いて楽しむことができます。目的はただ一つ――精神的視野を一定のレベルまで高めるためです。  書物を通じての勉強、音楽の実習、各種のスポーツ、‥‥何でもできます。乗馬もできますし、海で泳ぐこともできます。狩りのような生命を奪うスポーツは別として、どんなスポーツ競技でも楽しむことができるのです。もっとも、こちらでは地上で言う“殺す”ということは不可能です。狩りと同じようなことをしようと思えばできないことはありませんが、この場合は“死”は単なる“みせかけ”にすぎないことになります。 ・そうした建物は新来者の好みの多様性に応じて用意されているわけです。こちらでは疲労するということがありませんから、思う存分それぞれに楽しむことができます。が、やがてそればっかりの生活に不満を抱き始めます。そして、他に何かを求め始めます。興味が少しずつ薄らいでいくのです。  それと違って、たとえば音楽に打ち込んだ人生を送った者は、こちらへ来てからその才能が飛躍的に伸びて、ますます興味が深まります。その理由は、音楽というのは本来霊界のものだからです。ブルーアイランドに設置されている音楽施設で学べば、才能も知識も、地上では信じられないほど伸びます。 ・さらには“本の虫”もいます。地上では失われてしまっている記録が、こちらでは何でも存在します。それがみな手に入るのです。ビジネスひとすじに生きた者にも、その才能を生かす場が用意されています。  これには理由があります。こちらへ来たばかりの者は、多かれ少なかれ悲しみや無念の情を抱いております。それが時として魂の障害となって進歩を遅らせます。そこで、とりあえず悲しみや無念の情が消えるまで、当人がやりたいと思うことが何でも好きなだけやれるようにとの、神の配慮があるのです。それが実は進歩への地固めなのです。  が、純粋に地上界に属する趣味は、やがて衰え始めます。一種の反動であり、それがゆっくり進行します。こちらでも物事は段階的に進行し、決して魔法のように一気に変化することはありません。 ・その反動が出始めると、興味が次第に精神的なものへと移っていきます。もともと精神的なものに興味を抱いていた人は、引き続きその興味を維持し、拡大し、能力が飛躍的に伸びます。地上的な性格の趣味しか持たなかった人にも、いずれは変化の時期が訪れます。   このように、ブルーアイランドにいる間は、多かれ少なかれ地上生活との関連性が残っています。最初は、ただ面白いこと、愉快なことによって自分を忘れているだけですが、やがて霊的向上のための純化作用が始まります。 『2013年 太陽系大変革と古神道の秘儀』 山田雅晴    たま出版    2012/1/20 <レムリア、アトランティス、ムー滅亡の実相と地底楽園シャンバラ> ・1万年以上前に、アトランティス人とレムリア人やムー人との間で、オーバーテクノロジーを使った戦争がありました。  原爆とは違うようですが、特殊な大量破壊兵器です。それが滅亡の原因にもなっています。レムリア文明の継承者が、インドの原住民ドラビタ族やイラクのシュメール人です。レムリア人やムー人の末裔の一部が「地底人類」になりました。ユートピア伝説の一つである「シャンバラ」やアガルタ伝説は、地底に楽園があることを暗示しています。現実に地底人類が存在しているようなのです。   ・神さまにうかがってみると、「地底人類はいますよ」ということです。ただし、人数はそんなに多くないようで、いろいろな伝説は多少誇張されていると言えます。南極や北極、ヒマラヤなどに地底への入口があるとされます。 <地球を助けるために志願してきたETソウル(スターピープル)たち> ・グレートチェンジの地球と人類を助けるために他の星から志願してきたのが、ETソウル(スターピープル)たちです。ETソウルとは宇宙人のタマシイを持った人間です。  神さまのお話ですと、「人類の50分の1がETソウルだ」といわれていますので、1億人以上はいる計算です。特に日本人はETソウルが多いといわれています。私も宇宙人のタマシイをもった人間の1人です。   ・私は、自分がETソウルとして大きな空飛ぶ円盤に乗って地球に来た時の夢を三日連続で見たことがあります。その円盤にはたくさんの窓がついていました。  神さまにうかがうと「大きなUFOに乗って集団で飛来し、そこから地球の霊界に入り、人間に生まれたのです」ということでした。 <UFOは地球人の成長の援助と監視をしている> ・私が神さまにうかがったら、次の通りです。「地球上にはUFOは50万から55万ほど来ており、そのうちの20%が物質的なもので、残りの80%は半物質です。肉眼で見えるUFOは物質的UFOで、視える人には見えるというUFOは半物質です」 ・UFOの大量出現は、地球が新たな時代になるための現象です。地球以外に生命体が存在しないと思うこと自体が、非科学的です。ただし、UFOばかりに興味をもっても、開運はしません(笑)。UFO研究をしても開運には何の関係もありません。開運するには、開運思考をもって開運法を行うことです。 <神々は地球の元神と古き神々、新しき神々の三種類ある> ・最初の頃に来られた神々が「古き神々」、後で来られたのは「新しき神々」です。新しき神々といっても今から5万年前から数千年前に来られた神々です。  だから、神々を大きく分けると、地球が出自の神さまと、最初の頃に宇宙から来た神さま、ここ数万年で来た神さまの三種類あるわけです。 ・神々にとっては地球も宇宙もほとんど区別はありません。 ・また神道では「天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)」という概念があります。天津神は天上の神であり、国津神は地上の神とされますが、実態とは違います。宇宙から飛来した神も多いですから、分けるとしたら「地球土着の神」と「他より地球に降りてきた神」の二つに分けたほうが適切です。 ・私が主催する「三世(前世、現世、来世)のご開運講座」では、妙見大菩薩さまという北辰(北極星)のご存在をお呼びする時に、北辰から地球に来られる時間はほとんど数秒しかかかりません。 ・テレポーテーション(瞬間移動)ができるのです。 <●●インターネット情報から●●> ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典) 『摩多羅神』 摩多羅神(またらじん、あるいは摩怛利神:またりしん)は、天台宗、特に玄旨帰命壇における本尊で、阿弥陀経および念仏の守護神ともされる。常行三昧堂(常行堂)の「後戸の神」として知られる。 (概要) 『渓嵐拾葉集』第39「常行堂摩多羅神の事」では、天台宗の円仁が中国(唐)で五台山の引声念仏を相伝し、帰国する際に船中で虚空から摩多羅神の声が聞こえて感得、比叡山に常行堂を建立して勧請し、常行三昧を始修して阿弥陀信仰を始めたと記されている。 しかし摩多羅神の祭祀は、平安時代末から鎌倉時代における天台の恵檀二流によるもので、特に檀那流の玄旨帰命壇の成立時と同時期と考えられる。 この神は、丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)のニ童子と共に三尊からなり、これは貪・瞋・癡の三毒と煩悩の象徴とされ、衆生の煩悩身がそのまま本覚・法身の妙体であることを示しているという。 江戸時代までは、天台宗における灌頂の際に祀られていた。民間信仰においては、大黒天(マハーカーラ)などと習合し、福徳神とされることもある。更に荼枳尼天を制御するものとして病気治療・延命の祈祷としての「能延六月法」に関連付けられることもあった。また一説には、広隆寺の牛祭の祭神は、源信僧都が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。 (形象) 一般的にこの神の形象は、主神は頭に唐制の頭巾を被り、服は和風の狩衣姿、左手に鼓、右手でこれを打つ姿として描かれる。また左右の丁禮多・爾子多のニ童子は、頭に風折烏帽子、右手に笹、左手に茗荷を持って舞う姿をしている。また中尊の両脇にも竹と茗荷があり、頂上には雲があり、その中に北斗七星が描かれる。これを摩多羅神の曼陀羅という。 なお、大黒天と習合し大黒天を本尊とすることもある。 (祭礼) この神の祭礼としては、京都太秦、広隆寺の牛祭が知られる。 『山の霊力』   改訂新版 町田宗鳳   山と渓谷社    2018/4/16 <山が日本人を育んだ> <山を拝むという日本独自の風習> ・おまけに山にまつわる伝承文学となれば、これは日本の独壇場に近い。もちろん外国にも山に関連する物語は多々あるが、日本人ほど山という空間に対して想像をたくましくし、盛り沢山の説話を世代から世代へと語り継いできた民族も少ない。物語の世界では山姥、雪女、山男、山童、河童、一つ目小僧、鬼、天狗、仙人など、さしもの深山幽谷も多彩な住民でひしめきあっている。 <オロチの棲む山> <オロチがトグロを巻く神奈備山> ・そのような古代人が山に重ね合わせていたイメージは、生命力旺盛な何らかの動物であったはずであり、なかでも圧倒的だったのは、蛇、なかんずく大蛇、つまりオロチのイメージではなかっただろうか。  その証拠に、荒ぶる神スサノヲが退治したことで有名なヤマタノオロチは、『古事記』の中で、まるで現実の山の姿のように記されている。 ・ヤマタノオロチは八つの頭と八つの尾がある上に、体表には苔がむし、ヒノキ・杉・松・柏の木などが生い茂っていて、その腹からはいつも血が滴り落ちているとされている。これは明らかに、いくつもの峰や谷、そして渓流をもつ山脈の風景描写である。その神話の原型を最初に作った人物も、山の近くに住み、山の景観をつぶさに観察していたにちがいない。  神話の中ではヤマタノオロチが、必ず年に一度、山から降りてきて、若い娘を奪い去ることになっているが、これは毎年、雨期になると鉄砲水とともに河川を氾濫させ、人里に深刻な被害をもたらす山の恐ろしさを伝えている。 ・この説明からも、やはり古代人の想像力が、山の神の姿をオロチに結びつけていたことがわかる。記紀神話の中でも、その名前の中にタチやツチという語をもつ神々がきわめて多いが、そこにもオロチとの関連性がうかがえる。  ただもう少し厳密にいえば、日本列島に住む人々の心の中に神観念が根づくまでは、山のヌシ、川のヌシ、海のヌシ、家のヌシといった具合に、カミよりもヌシといった感覚のほうが強かったのではないだろうか。 ・霊山として古い信仰の歴史をもつ山は、たいていはオロチをヌシとしている。その代表格が、奈良盆地南部、万葉の里にたおやかに横たわる三輪山である。この美しい円錐形の山は、いかにも神のいます山という雰囲気を漂わせているが、その神の正体はオロチにほかならない。当然のことのように、三輪山をご神体とする大神神社の祭神は、オオモノヌシ(大物主神)であるが、これも蛇体神であるとされている。 ・ちなみに大神神社のオオモノヌシは、ほかに二つの名前をもつのであるが、その一つがオオナムチノカミ(大己貴神)であり、もうひとつがオオクニヌシカミ(大国主神)である。したがって、国譲りの神話で有名なオオクニヌシも蛇体神ということになる。 ・ほかにも慈雨の霊験で有名な伊吹山の伊吹神や、日光の語源となった二荒山のオオナムチノカミなどのように、祭神の本体がオロチであるとされている山の例は、いくらでも見つかる。 <古代の神体山は小さかった> ・岐阜高山にある位山も、典型的な神体山である。さすが水を呼ぶオロチや龍神伝説がある山だけあって、私が訪れたときも土砂降りの雨の中を登ることになってしまったが、位山をユニークなものにしているのは、麓から山頂にいたる巨石群である。 <オロチの血と火祭り> ・ところで、山の祭りには奇祭が多く、とくに火が登場するものが多いが、じつはそのことも大いにオロチと関係している。なぜなら神話の世界では、火こそオロチの血にほかならないと考えられていたからである。  たとえば、火の神カグツチもツチという語句から、蛇体神であったことを匂わせるが、イザナギは妻イザナミを死に追いやったカグツチに怒り、彼をめった切りにした。そのとき、カグツチの体からほとばしり出た血が、まわりの草や木、石の中にしみ込んで、火になったとされる。 <愚行を重ねる神々> ・ところで「雄略記」によると、三輪山の神の形を自分の目で確かめたいと思った雄略天皇は、スガルという名の屈強の側近に命じて、山中のオロチを捕まえさせている。はたしてスガルが、三輪山に分け入り、オロチを捕まえて連れてくると、豪放で鳴らした天皇は、「光りひろめき、目精赤々なり」と描写されるオロチに、雷という称号を与えて、ふたたび山に戻すことを命じたという。  ここで注目したいのは、雄略天皇がオロチを雷に喩えたことである。このことから、日本の神話の中にひんぱんに登場するイカヅチ(雷神)も、じつはオロチのことではないかと推察される。 ・たとえば、イザナミは火の神カグツチを出産したために、陰部に致命的な火傷を受け、激しい痛みにのたうち回り、ゲロゲロと嘔吐し、みずからの糞尿にまみれながら死んでしまう。妻を慕って黄泉の国まで訪ねてきたイザナギが、明かりをつけて闇の世界をのぞき込んでみると、そこに横たわっていたのはウジ虫がたかったイザナミの死体であった。  しかも腐敗が進行するイザナギの体は、頭には大イカヅチ、胸には火イカヅチ、腹には黒イカヅチ、陰部には柝イカヅチ、左手には若イカヅチ、右手には土イカヅチ、左足には鳴イカヅチ、右足には伏イカヅチ、合わせて八つのイカヅチを宿らせていた。  これらのイカヅチは、ふつうの雷神と表記されているのだが、先にあげた雄略天皇の話からも察しがつくように、単にカミナリのことではなく、オロチである可能性が大だ。現代でも蛇のことをツチノコといったりするように、ツチという言葉は、やはり蛇と結びつきが強いようである。 ・いざなぎと交わることによって、日本列島を次々と産出しただけでなく、そこに海、山、野原、草木などを産み落としたイザナミは、日本の神話の中では、万物の創造主といってよい。しかし、その生命の母たるイザナミの死体から、さまざまなオロチが誕生してくる光景は、彼女自身の正体がオロチだったことをほのめかしている。  しかも、黄泉比良坂で夫のイザナギと対峙したおりに、イザナミは「汝の国の人草、一日に千頭、絞り殺さん」と宣言しているから、ハブやマムシ以上に恐ろしい殺傷力をもった毒蛇であったと思われる。魔性のない神は、神でありえないのだ。 ・ところでスサノヲ神話に登場する神々の名も、どうやら彼らが蛇体をもっていたことを強く示唆している。これも吉野裕子が指摘するところであるが、スサノヲが救ったクシナダヒメの両親、アシナヅチとテナヅチは、古語で霊を「チ」と読むところから、それぞれに足無の霊、手無の霊という意味をもっているのかもしれない。とすれば、アシナヅチとテツヅチは、ともに手足のない蛇体神だったということになる。  イザナミがオロチであるとすれば、彼女が産んだカグツチも蛇体をもっていたことになる。『日本書紀』で、イザナギが妻イザナミを死なしめたカグツチの体を五段に切ったとあるのも、そのことを裏づけている。その寸断されたカグツチの首の部分から生まれてきたのが、山の神であるオオヤマツミであり、神話の中では火、オロチ、山の三者がずっと繋がっている。  そのオオヤマツミから生まれ出たのが、アシナヅチとテナヅチであり、その娘がクシナダヒメとなる。そうすると毎年、大蛇ヤマタノオロチの襲撃を受けていた家族とは、実はもう一つのオロチの集団だったということになる。ことほど左様に日本の神話は、まさに蛇づくしだったわけである。 <{見るなの座敷}としての山> ・このように神話の世界では、カミの姿とオロチの姿が渾然一体となっているのだが、それはとりもなおさず、古代日本人が限りなき産みの力をもつ{原初の生命体}を最も崇高なものとして、とらえていたことを示している。西洋の創造神話では、強大な父のイメージをもった神が、産みの力というより意志の力を発揮することに特徴があり、やはり東西の神観念に大きなへだたりがある。  もっとも日本神話でも、すべての神の本体がオロチというわけでなく、ほかの動物の場合もある。 ・まさしく「本つ国の形になりて」というのは、神が出産という原体験を通じて「先祖返り」することである。そのとき彼女は、「八尋和邇(やひろわに)」に変身するわけだが、それが文字どおり巨大なワニであったかどうかは、疑問である。  岩波の古典文学大系の『古事記』では、「幾尋もある長い鮫」と説明されているが、古代日本人が熱帯産のワニを知っていたはずはなく、たしかに鮫を意味したのかもしれない。『日本書紀』では同じ箇所が、「龍」と表記されているが、龍のイメージは恐らく中国文化の影響を受けたものであろう。  しかし、「幾尋もある長い鮫」というのは、手足のないオロチの姿をも連想させる。トヨタマヒメの別名はコノハナサクヤヒメ(此花咲夜姫)であり、彼女はオオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘であることから、後世、富士山の山神として祀られるようになった。やはり海神の宮からやってきたトヨタマヒメにも、山との関連が見えてくるのであり、そうすれば彼女の「本つ国の形」がオロチであったと考えるのも、それほど無理な話ではない。 ・ところで神々の「先祖返り」は、やがて神話から民話へと受け継がれることになる。それがすでに何度か言及した<見るなの座敷>のモチーフである。  「蛇女房」という昔話では、妻を亡くし寂しい思いをしている男のもとへ、美女が訪れ、自分を妻とすることを求める。二人は結ばれて、やがて妻は子を孕むが、夫に決して産室を覗かないように頼む。しかし、妻の身を案ずる夫は、ひそかに産室を覗いてしまい、そこで赤子を包むようにしてトグロを巻くオロチの姿を見いだす。のちに、妻は正体を見られたからには、もはやこの家にとどまることができないと言って、涙ながらに去っていく。 ・出産以外にも、「鶴の恩返し」の物語にあるように、布を織るなどの生産活動をするときも、女性は<見るなの座敷>に閉じこもって、本来の姿に戻る。この世でいちばん重要な創造的仕事を成しとげるためには、心理学でいうペルソナ(仮面)をぬぎ捨てなくてはならないのだ。建て前の世界では肝心なことができないのは、男も女も同じらしい。  そのとき<見るなの座敷>で変幻するのがオロチであったり、ワニであったり、ツルであったりするわけだが、一貫して動物の体であることは、それが<原初の生命体>への回帰にほかならないことを示している。  考えてみれば、アマテラスが彼女の分身ともいえる織姫に機を織らせていた高天原も、大がかりな<見るなの座敷>ではなかっただろうか。そうでなければ、追放されるスサノヲが別れを告げに高天原に昇っていったとき、アマテラスは武装までして、彼を拒絶するはずはない。  高天原は機を織る行為に象徴されるように、女性が創造的な仕事に携わる秘密の聖空間であり、もともとアウトサイダーが足を踏み入れてはいけない世界だったのだ。その掟を破って侵入し、しかもそこでとんでもない暴力を働いたわけだから、スサノヲが地の果てにある根の国に永久追放となったのも、無理のないことだ。 <蛇体信仰から巨木信仰へ> ・山がもつ無尽蔵の生命力をそのまま自分たちの生活空間に持ち込むことができれば、食糧にも子宝にも恵まれ、人間は、より幸せな生活を送ることができる。それには神聖な山のオロチを捕まえて、人里に降ろしてくるにかぎる。  しかし、あまりにも巨大なオロチを捕獲するわけにはいかない。そこで人々が考えついたのは、オロチの化身を見つけだして、それを自分たちの領域に引き込むことである。そのような願望を人間が抱いたとき、蛇体信仰は巨木信仰へと移行しはじめることになった。 <神の坐す山> <山は神々の交差点> ・ここまで、山の神の原型となっているのは山のヌシであるオロチであると論じてきたわけだが、山がいつまでもオロチに支配されていたわけではない。日本の山々を七巻半していたオロチが、長いヒゲと四本足をもつドラゴンに駆逐される日がついにやってきたのである。雷鳴とともに雨雲を巻き起こす龍神の登場である。 <三つの民族的潮流> ・八百万の神々が山で交差していたということは、それぞれ異なった神を信奉した人間群が、山を中心にして交流していたことをも意味している。そもそも山岳信仰がこれだけ日本の精神史に大きな位置を占めてきたのは、山という場所がこの列島の歴史に流れる山民文化、海民文化、そして農民文化という三つの大きな合流点になってきたからである。  一万年近く続いたとされる縄文文化も、決して一枚岩ではなく、山民と海民とが織り成す二つの文化的特性があることを看過するわけにはいかない。前者のほうは、青森の三内丸山遺跡に代表される東日本以北に展開した縄文文化である。この北方の縄文人たちは、狩猟採取を中心としていたため、山岳と深いかかわりをもちながら生活していた。彼らこそ、山をオロチとみなしたり、巨木信仰や縄ひも信仰をもっていた山民系の縄文人たちであった。  その一方で、縄文文化には、はるかポリネシアあたりから日本列島に到達した人たちが始めた海民系の流れも、存在したのである。 <山に登った海の神> ・それにしても海を中心としてモノを考える民族、つまり漁師がなぜ山とのかかわりをもったのであろうか。そんな疑問を抱いたのは、那智大社のすぐ隣にある青岸渡寺に、立派な大漁旗が奉納されているのを見たときである。 ・平安時代から皇族や公家が足しげく参詣した熊野三山も、もともとは山民が崇めた山の神、海民が崇めた海の神、農民が崇めた田の神が出会い、ときには争い、ときには妥協し、やがて一つの合体神として祀られるようになった長い歴史があると受け止めるべきだろう。 <ミコシで旅する山の神> ・異なった民族、異なった職業が日本列島に展開するにつれて、山の神は次々と細胞分裂をおこしていったわけだが、それでもなんら超越的な性格をおびていなかった。農民が信仰した田の神も、「村の鎮守の神様」であり、祭りの日には村びとと一緒に踊り明かしたりもする。まるで共同体の一員のような親しみをもっていた。  神の山地から平地への下降、山の神から田の神への移行の過程で登場したのが、マレビト信仰である。マレビトは年に一度、人里に出現するが、そのとき秋田のナマハゲのようにいかにもグロテスクな姿をして現れるのは、それが古代社会の動物神の名残を留めているからである。それは、人間の前に現れるカムイが、必ずクマというハヨクペ(仮装)を必要としているとされるアイヌの信仰と同じものである。  沖縄諸島には来訪神としてのアカマタ・クロマタを迎える儀礼が伝わっている。 ・現代の祭りでも、神輿が本社からお旅所まで担がれていくのは、明らかに「旅する神」の名残であり、お旅所は神々の原郷である山、あるいはそこに設けられていた山宮に相当するのである。神輿を本社からお旅所へ威勢よく担ぎだす行事は、神を山宮から里宮へ迎えるために、山地を離れて平地にしか暮らさなくなった稲作農耕民が編みだした苦肉の策ともいえる。 ・醜い顔をした山の神が決して邪悪な神というわけではなく、ナマハゲやアカマタと同様に、それが稲作農耕民に<事物化>される以前のナマの神の姿なのである。 <借家住まいを好んだ神々> ・現在、われわれが目にする神社とは、いかにも立派な社殿があって、日本的建築美を誇っているが、初期の神社は自然信仰の形態にとどめて、きわめて単純な様相を呈していたと思われる。山から里へ、里から山へ旅する神に、大仰な建物は不必要だったのである。  神が神社という一定の場所に常在すると考えられるようになったのは、ずいぶん時代が下ってのことであろう。とくに大和朝廷が自分たちの権威づけと国家の守護祈願のために、天つ神を都の近くに迎える必要が出てきたときに、その傾向は強まったと思われる。  島根県大田市では正月に歳徳神をまつるためにカリヤ(仮屋)というものを作っていた。 ・現代の日本で、太古にあった神社の原型を見たければ、沖縄地方に多数存在する御嶽(うたき)を訪れるとよい。一般的に、御嶽にはきわめて簡潔な鳥居と拝殿だけであり、その奥にある最も神聖な空間である奥津城は、しばしば白砂が敷き詰められ、石垣で囲まれている。それは神社の神垣に相当すると思われるが、岩や樹木以外には何もないその空間は、目に見ない何ものかに充たされているがごとくに、不思議な神聖感が漂っているのだ。 <国つ神と天つ神とのせめぎ合い> ・本章のはじめに述べたように、神の歴史は人間の歴史でもある。神の足跡をたどれば、人間の足跡が見えてくる。原初の神は動物神であったと論じたが、気をつけなくてはならないのは、神話の中でケダモノの姿をした神が現れてきたら、それはまったく別な意味をもつかもしれないことだ。  ととえば「神武東征伝」で、神武が熊野に到着したとき、「大熊」が現れたとたん、彼も彼の軍隊も戦意を失い、眠りに陥ってしまう話があるが、この場合の「大熊」は、すでに紀伊半島に暮らしていた土着民のことだろう。  したがって山の神という言葉を使った場合も、文字通り山岳の神という意味と、記紀の中で「伏わぬ人達」や「荒夫琉蝦夷等」と描写されている土着民の首長という意味が重なり合っていることを理解しておかねばならない。  異民族同士がはじめて遭遇したとき、血なまぐさい衝突を避け得ないが、悲しいかな、人類普遍の歴史となってきたわけであるが、案の定、難波に上陸しようとした神武の一行は、先に近畿の覇権をにぎっていたナガスネヒコ(長髓彦)の軍隊に撃退されている。 ・天つ神という考え方の背後には、中国の「天」の思想があるのであり、それがさらに、「天」の意志を地上に反映することのできる皇帝によってのみ、この世の政は執り行わなければならないという考え方に結びついてくる。北京の天壇にある円形の祈年殿は、まさに皇帝が天に向かって五穀豊穣を祈った祭壇である。  天つ神が登場してはじめて、神と国家がかかわりをもつことができるのであり、地域的な氏神、つまり国つ神では、とうてい地域性からは脱却できない。その後、神道は新旧の神々に役割分担させ、両者の間に相互補助的な関係を維持することによって発展してきたといえる。  日本中の神社に祀られている神々は、ごくおおまかにいって、国つ神と天つ神との二つのグループに分けられるが、このような異種の神の共存は、異教徒の神を徹底的に排除してしまう一神教には見いだされないものであり、多神教の美点の一つといえるかもしれない。  たとえば、サルと天狗双方の特徴をもつ異形の神サルタヒコ(猿田彦大神)は、さしずめ国つ神の代表格であろう。 <日本の裏面史を鬼が語らう岩木山> ・内藤正敏氏の「鬼の風景」という論文に、津軽富士として有名な岩木山(1625メートル)の鬼伝説が紹介されている。どうやら岩木山の鬼どもは、われわれが解き明かそうとする古代史の鍵を、いまだに隠し持っているらしい。  江戸時代に全国を旅していた菅江真澄の『外浜奇勝』にも、岩木山の鬼のことがふれられている。山の北側にある赤倉岳には、いつも深い霧がかかっているが、そこにこそ異常に長身で、肌が黒い鬼が棲んでいて、崖をよじ登ったり、麓の里に現れたりすると記されている。  じっさいに岩木山はガスが発生しやすく、頂上が見えることがまれであるから、鬼伝説誕生の地として、いかにも似つかわしい。田村麻呂は、この山にあるシトゲ森で鬼を切り殺し、そこにある沼で刀を洗ったので、今に水が赤茶けているという。    ・そこに混血種としての日本人ならではの、異文化・異人種に対しオープンな民族的プライドがあってもよいはずだ。日本が真に国際化されるためには、均質社会という化けの皮を脱いで、多文化・多人種社会の再構築がなされなくてはならない。そういう意味でも、日本史の秘密を知る鬼どもとの邂逅を求めて、岩木山に登ってみるのも、まことに意義あることのような気がする。 <太陽霊アマテルが降臨した神路山> ・赤鬼青鬼をめでたく退治して、山の上まで営々と棚田を築き上げた稲作農耕民にとっては、水の確保と太陽の光が何よりも大切になった。龍神信仰と太陽信仰が切っても切れない関係にあるのは、そのためである。 ・『アマテラスの誕生』の著者・筑紫申真氏によれば、アマテラスの観念は、「太陽神」、「太陽神に仕えるオオヒルメ」、そして「天皇家の祖先神」というふうに、歴史的に少なくとも3回変化しているという。 <朝鮮文化が舞い降りた高千穂峰> ・そもそも高千穂峰にまつわる天孫降臨説も、古代朝鮮の歴史をつづった『三国史記』や『三国遺事』などに頻出することからも、海の向こうからももたされた神話のモチーフであることは、疑念の余地がない。このことからも、日向地方一帯に渡来人が大朝鮮文化圏を形成していたことがわかる。 ・英彦山は修験の山として有名であるが、それは平安時代になってからのことである。この山の北岳から新羅時代の金銅仏が発掘されているし、近くにある香春岳の祭神は、カラクニオキナガオオヒメオオマノミコトという新羅の国神である。天孫降臨説の存在する山には、つねに大陸の匂いが強く漂っている。 

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