番組の主張は、「ディアトロフ隊は雪男に惨殺された」というものである。非常にセンセーショナルだった。放送直後から海外の研究家やマニアの間では大きな話題になったほどである。(1)

  『怪奇秘宝  山の怪談編』 洋泉社MOOK 洋泉社   2017/7/20 <「ディアトロフ峠事件」と「雪男」  本城達也> <ロシアの雪山で起きた怪事件> ・1959年1月――ウラル山脈の北部へスノー・トレッキングに出かけた男女10人(うちひとりは体調不良により引き返した)からなるグループ。 彼らは下山予定の2月中旬になっても戻らず、同月20日に捜索隊が結成され、5月上旬までに全員が遺体で発見された。その遺体の発見状況の異常さから、事件にはさまざまな説が囁かれた――そんななかでもよりセンセーショナルに報じられたのが、「雪男」説だった。 ・ロシアの怪事件として有名なディアトロフ事件。この事件では9人もの犠牲者が出ているが、その遺体には激しい損傷が見られ、衣服からは放射線が検出されたといわれている。さらにはUFOや雪男の関与まで取り沙汰され、異常現象の要素も絡んでいる。 ・いったい、何が真相に近いのだろうか?近年では、テレビで扱われたことで大きな注目を集めた雪男説が、真相に迫っているとされた。  また、あっさり否定されてしまうことが多いが、実は雪崩説も真相に近いと言われている。そこで、本稿ではこの2説を取り上げてみたいと思う。 <意外とマジだった「雪男」説> ・この『ムー』の2016年9月号に、「ディアトロフ事件の真犯人は雪男だった‼ 」という魅力的な見出しが躍ったことがあった。   ・すると、タイトルから受けた印象とは遠い、記事の内容は硬派だった。それもそのはずで、記事は「ディスカバリー・チャンネル」の番組をベースにして書かれたものだった。その番組は、2014年6月に放送された「Russian Yeti :The Killer Lives(ロシアのイエティ)」というもの。イエティとは、UMA(謎の未確認動物)の一種で、雪男のことである。  今回、記事を執筆するにあたり、この番組を視聴してみた。番組は、アメリカの探検家、マイク・リベッキと、ロシアのジャーナリスト、マリア・クレノコヴァがコンビを組むところから始まる。 彼らは事件を追っていくうちに、関係者の証言や、文書記録、さらには雪男を撮ったという写真まで、次々と新しい証拠を見つけていく。それらは新犯人が雪男であることを示しているという。番組は終始、真面目なドキュメンタリー風に進み、ふざけた様子はまったくない。  番組の主張は、「ディアトロフ隊は雪男に惨殺された」というものである。非常にセンセーショナルだった。放送直後から海外の研究家やマニアの間では大きな話題になったほどである。  しかし、番組内容は本当のことを伝えていたのだろうか。新証言や新証拠といわれるものが次々見つかるとは、都合が良すぎないだろうか。  そこで調べてみたところ、番組内容には、おかしな点がいくつも見られることがわかってきた。 <テント周辺に学生たちの「2倍の大きさの足跡」があった?> ・最初は、「テント周辺に学生たちの2倍の大きさの足跡があった」という話。これが雪男説の出発点だという。  ところが公開されている史料には、そのような情報はなかった。 ・つまり当時の捜索隊のメンバーにとって、正確に現場を保存して記録するといった意識は、ほとんどなかったようなのである。足跡の話も、こうした混乱のなかで生じたものだったのかもしれない。  続いては、テントの中から発見されたというメモ。このメモには、「雪男が存在することを我々は知った」と書かれていたという。  本当だろうか。調べてみると、実際は、ディアトロフたちが書いていた学生新聞の一部だということがわかった。内容は次のようなものである。 「現在、科学者たちは雪男が本当に存在しているかどうか、積極的に議論している。最新情報によると、雪男が北ウラル山脈、オトルテン山の周辺に存在しているそうだ」  これは、そういった話がある、と紹介しているだけの内容だった。 ・雪男説は続く。番組によれば、雪男は普段、人を襲ったりしないが、身の危険を感じたときはパニックを起こして襲撃することがあるという。ディアトロフ隊も、パニックを起こした雪男に襲われた可能性があるというのだ。 ところが、番組に出演していた研究家のイゴリ・プールツェフは、こうした話に疑問を呈している。彼はもとから雪男が攻撃的だとは考えていなかったという。しかし、番組側は違った。彼は次のように振り返る。 「番組スタッフから、すでに結論を持っている様子でアプローチされました。彼らは事実を聞きたいというよりは、その結論にフィットする証拠を集めようとしている印象を受けました。そして私からもその答えを聞きたがったんです。何回も、“ディアトロフ隊がイエティによって殺された可能性はありますか?”と繰り返し聞かれましたが、私はそうだと言えなくて、彼らの質問に反対していました」  けれども結局、番組は自分たちの結論に合うように、ブルーツェフの話をねじ曲げて使ったという。 <写真に写っているのは「雪男」なのか?> ・ここまでで、もうかなり疑問だらけの番組だったことがわかる。しかし、まだ最後に雪男が写っていたとされる写真が残っている。  これは番組が新発見であるかのように紹介していたものだ。そこにはピンぼけした人影らしきものが写っていた。  いったい、これは何を撮ったものだろうか?実はこの写真の前には3枚の写真が続けて撮られていたことがわかっている。そこに写っているのは隊のメンバーのニコライだった。 ・ここで流れを踏まえて普通に考察してみよう。問題の写真は、「ニコライが雪に埋もれた後、遅れて歩いてきた彼を撮ったもの」だと考えられないだろうか。彼はフードを被っていた。写真もピンぼけしていた。そうした普通とは異なる要素も加わったことで、雪男とされる写真はできてしまった可能性が考えられる。  けれども、ディスカバリー・チャンネルの番組はそう考えなかった。いかにもドキュメンタリー風であったが、実際には「雪男」という結論が先にあったようだ。最後には、次のような字幕も流していた。「この番組は脚色の要素を含んでいます」  残念ながら、どこまでが脚色なのか、視聴者にはわからない。それが、こうした説ができる余地を生み、やがてそこから誕生した説は、証拠にもとづいた事実であるかのように拡散されていく。これが昔から繰り返されるセンセーショナルな説のパターンである。 <安直な否定論は存在しない「雪崩」説> ・さて、そうした説とは対照的なのが、これから紹介する雪崩説だ。この説は、センセーショナルな説を望む人たちからは評判が悪い。真っ先に否定され斬られ役のような扱いになっていることもしばしばである。  ところが実際は、2001年から2010年にかけて専門家を交えて現場で複数の検証が行われた結果、従来言われていたより、だいぶ信憑性がある説だということがわかっている。  たとえば斜面の角度について。よく、現場は緩やかで雪崩は起こらないと否定されるが、テントがあった場所から100メートル上の場所は30度近い角度だったことが判明している。  検証に参加した地質学者のイーゴリ・ポポフによれば、角度が25度以上の斜面では、雪が30センチ以上積もると雪崩が起きる危険性が高まるという。  例年、事件現場の2月の積雪量は2メートルを超えていた。そのため、現場の斜面でも雪崩が起きる可能性は十分にあったことが判明したのである。  また、雪崩が起きていた場合、テントは山頂側の損傷が大きくなるが、実際、テントを支えていたスキーのストックのうち、山頂側のストックは2個所で折れていた。 ・またこの他にも、現場周辺の木々には、雪崩が起きたときにつくような傷がいくつも発見されている。これらは地質学者のナザロフ・ニコライ博士によれば、現場で定期的に雪崩が起き続けていることを示す証拠だという。  このように雪崩説は、だいぶ強固で簡単には否定できない説である。 <遺体の損傷と放射線の謎> ・ここからは、雪崩説だけでは説明ができないと思われる遺体に見られた損傷と放射線の謎についても書いておきたい。  まずは遺体の損傷。よく言われるのは、舌と眼球がなくなっていた話である。これらについて、その原因として最も考えられているのは野生動物に食べられたという可能性。  野生動物は、食べやすさから遺体の眼球や舌などの比較的軟らかい部位を食べることがある。地元のマンシ族の猟師によれば、現場に生息するクズリ(イタチの一種)が人の遺体を食べることで知られているという。 ・次に放射線の件。これは、コレヴァトフとリューダの衣服から放射線が検出されたというものだった。  ところが、この件は検査自体に疑問が持たれている。というのも、検査の過程でおかしなことが起きているからだ。放射線の臓器検査では、コレヴァトフの心臓から基準値を大きく超える放射線が検出された。  しかし確認のため、対照群として交通事故で死亡した一般男性の内臓も検査されたところで、コレヴァトフと近い数値が出てしまったのである。  本来、放射線とは無縁のはずの一般男性の臓器から、基準値を大きく超える数値が出ることはない。ところが、実際にはそのあり得ないことが起こってしまった。そのため、このときの検査では、検査時にサンプルが汚染された可能性も指摘されている。  このように、大きな謎とされてきたものには疑問はある。とはいえ、ディアトロフ事件は話題が多岐にわたることから、ミステリー要素は他にも探せばいくらでも出てくる。 ・それでも、この事件について考えることはできる。最後は参考までに、先述の雪崩説の場合、事件がどのように起きたと考えられるのか、そのタイムラインの一例があるので、示しておきたい。  よく言われる衣服の矛盾点とされるものも、この流れだと理解がしやすくなる。 ① 2月1日の夕方~夜、食事と着替えをしていたときに雪崩が発生。 ② テントが埋まり、メンバーも負傷。 ③ 軽傷で済んだメンバーが他のメンバーを救出。 ④ 二次災害を恐れ、テントから離れたヒマラヤスギまですぐに避難。 ⑤ 火を焚いて暖を取ろうとする(焚き火の跡があった)。 ⑥ 現場は強風が吹いてほとんど暖が取れなかったため、グループを3つに分けて行動する。 ⑦ ドロシェンコとゲオルギーは他のグループとの連絡役としてその場に留まる。 ⑧ ディアトロフ、ルステム、ジーナは服と靴を取りに戻るため、テントへ向かう。 ⑨ コレヴァトフ、ニコライ、リューダ、ゾロタリョフは寒さをしのげる場所を探すため、渓谷がある森の方へ向かう。 ⑩ 最初に寒さでドロシェンコとゲオルギーが死亡。 ⑪ 一番軽傷だったコレヴァトフが彼らの様子を見に戻る。 ⑫ コレヴァトフは2人が死亡していることを知り、遺体を横に並べて安置。他の生き残っているメンバーのために2人の服を取る。 ⑬ コレヴァトフがニコライたちのもとへ戻り、持ってきた服を他のメンバーたちと着る。 ⑭ ディアトロフ、ルステム、ジーナがテントに戻る途中、寒さにより死亡。 ⑮ リューダ、ニコライは厚着できた分、生存時間は少し延びたものの、やがて寒さと怪我が原因で死亡。 ⑯ ゾロタリョフ、コレヴァトフも寒さや怪我で死亡。 こうして見ると、衣服の矛盾点とされたものは、生き延びようとし て取った行動だと理解することができる。  ただし、これも仮説の1つである。ディアトロフたちの身に本当は何が起こったのか。その真相を探り、考えていく試みは今後も続いていく。 <実在するUMA> <「猿鬼(えんき)の禁忌     天蔵真文> <「深山」という未知なる世界の深遠> ・その存在が噂されながらも、生物学的に確認されていいない未知の動物――UMA。世界的には「ネッシー」や「ビッグフット」などが有名だ。 日本でも、伝説上の存在として、妖怪的に語られてきた未知なる生物がいる。 <日本各地で語られる妖怪めいた生き物たち> ・筆者は、ライター・カメラマンとして活動する以前から半世紀近くにわたり、里山、里海、農林水産関係、神仏関係、自然科学、医療、採取、狩猟関係の現場並びにそれらを生業とする人々を取材し、全国をまわってきた。  そんな筆者の経験則からいえば、いわゆる“UMA”と呼ばれる存在についてはいくつかの類型がある。いわゆる伝説上の生物としての存在。そして完全なるフィクションとしての存在である。 ・猿の妖怪「猿鬼」と同様の伝説めいた存在といえば、岡山県を中心に山陽地域、四国一部地域で語られる「猿猴(えんこう)」などの河童(毛むくじゃらの猿に似ているが)の一種や、時折テレビ番組で取り上げられる広島県の類人猿型の「ヒバゴン」、古くは岐阜県飛騨地方で宮本武蔵と互角に渡りあったとされる「夜叉猿」などがいる。 ・さらには長野県での「早太郎伝説」の早太郎(山犬)が退治した、静岡県に出没した狒々(ひひ)、また先述したヒバゴンとはまったく異質の広島県を中心として、戦時中以前に全国的に伝承された「比婆猿」がいる。  日本の各地で猿の妖怪めいた存在が語られてきた。それはなぜか。猿は他の動物や獣とちがって、人間の異形であり、縮小態であるからとの指摘がある。 <「ヒバゴン」伝説の背景> ・1970年に、中国新聞の報道によって全国的な脚光を浴びた「ヒバゴン」であるが、のちの1972年以降に撮影されたとされる写真や遺骸の写真は、当時“町興し”と“話題づくり”を意図した、地元の年寄りや有志らによる悪気ない、まさに無邪気さによる工作行為であったといえる。  遺骸の写真などは、ツキノワグマの遺骸に手を加えた加工品であり、昨今取り沙汰される「陰謀説」などとはかなりはなれた、どこかのどかな背景があった。 ・だが、なぜ「ヒバゴン」伝説が流布したのか。その背景には、現在の文科者やアカデミズムによる落度も関係している。  当時の一般通説では、中国地域では戦後以降ツキノワグマは絶滅していないとされていた。だが、実際にはそんなことはなかった。 ・そして、近年になって目撃証言が出はじめるにおよんで、2015年に調査が入り、中国地方でツキノワグマの棲息が認められたのである。  余談だが、ヒバゴン騒動の以前から、広島県庄原市比和町の頂にある「比婆山」は、日本の創生神話・国生みのイザナギとイザナミに通ずる、イザナミの御陵・墓所があると伝承されている場所である。  本稿では詳しく触れないが、比婆猿とはイザナミの護衛の者を神格化した、呼称である。 <存在を黙殺された未知の生物> ・岐阜県の飛騨山脈地域には、宮本武蔵の夜叉猿退治の伝承がある。飛騨山女系はいまなお中国山脈系・北アルプス山系・八海山系と並び未開・未踏の地が少なくない。特に飛騨山系は山岳監視員が常駐し、陸上自衛隊や山岳レンジャー警備隊などが訓練にも使用するが、訓練時、林道から夏季で左右+10メートル、冬季残雪時で左右+5メートル外れたら遭難の危険性があるような、危険な地域である。 ・そしてニホンザルの生息が確認される地域には大抵、「猿伏(さるぶし)」「猿追い」といった風習がある。 「猿追い」は山里に現れて農作物や家畜に害をもたらす個体種を駆除・排除することだが、「猿伏」は、実は水面下では全国的に暗黙のうちに執行されているものだ。表面的には「猿退治」だが、裏の意味は“ある種の血脈の者を葬り、抹殺する”というタブーを孕んだ二面性の事象といえる。  つまり、この二面性は何を意味するか。詳しくは書くことはできないが、ここまで述べた伝説的な存在などではなかったということを物語っている。 <謎の生き物との遭遇> ・筆者は学生時代、親族の仲介で某国立機関施設に所属する学芸員の方と接触し、同施設で“ある生物の剥製標本サンプル”と頭蓋骨や体躯の骨などを見たことがある。  担当して下さった学芸員の方の説明によれば、それらは“北京原人”のものであるとのことだった。だが、あれはけっして北京原人のものなどではなかった。まさに、あれは“人獣”だった…。 ・1995年初旬、当時測量の仕事をしていた筆者は、新潟県へ出張した。信濃川・長岡、魚沼周辺から千曲川・上越、妙高周辺を経て、糸魚川河口付近までのポイントを測量するためだった。  測量の過程で泊まった旅館先でのことだった。旅館に到着し、駐車場に車を止めて降りると、体躯の大きな灰色の生き物が3頭近づいてきた。  3頭のうちの1頭は子供のようにみえたが、それでも体長90~100センチ、体重30~40キロで、残りの2頭は、体長130センチから140センチぐらい、体重60~70キロほどだった。  出迎えに出てきた旅館の女将が3頭の生き物の存在に気づき、筆者たちのほうを向いて、生き物の背超しに、口に指を1本当て、手のジェスチャーを添えて声を出さず口を動かした。「じっとして」  女将の証言によれば、周辺地域に棲息する「ニホンザルの亜種」とのことだったが、考えてみてほしい。ニホンザルの体長はオスでおよそ60センチ、メスでおよそ50センチである。  さらに、別の現場――まさに前人未踏の地――では、前述のニホンザルの亜種とは異なる、数頭の生き物の群に遭遇した。 <映画で読み解くコンスピラシー> <『ツイン・ピークス』と「秘密結社が支配する国・アメリカ」という思想、あるいは妄想  中田宏彦> ・25年を経て新作が放映される、カルト的人気を誇るデイヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』。同作品は、ひとりの女子高生の凄惨な殺人事件で物語の幕が上がるが、随所にオカルト的な要素が盛り込まれている。その代表的な何か、“秘密結社”という存在である。 <デイヴィッド・リンチは何を訴えようとしたのか> ・1990年からABC局で放送された風変わりなアメリカのテレビドラマ『ツイン・ピークス』が、25年の沈黙を破って復活した。  このドラマは、米西海岸のカナダ国境に近い架空の小さな町「ツイン・ピークス」で起きた、ローラ・パーマーという、地元高校学園祭の美人コンテストの優勝者の女子高生の凄惨な殺害事件の発生から始まる。その死体は発見当時、ビニールにくるまれて川に流されていた。FBI特別捜査官であるデイル・クーパーは、地元の保安官と協力し、殺人事件を捜査する。その過程で一見、平穏な小さな町には隠された闇があることが暴かれていく、というストーリーだ。 ・物語がシーズン2に入って7話目で、ローラ殺害の犯人がローラの父である弁護士のリーランドであることがクーパーらによって暴かれる。娘であるローラが、若くしてコカインに溺れ、そのために売春までしていたことが明らかになり、ホテルやデパートを経営する地元の名士が売春宿「片目のジャック」の経営者であったことも明らかになる。 ・そして、TVシリーズの翌年(1992年)に公開された映画『ローラ・パーマー  最後の7日間』では、リーランドが、自分が遊んだ売春婦が呼んだ友人のひとりが少女売春をするローラであることに気づいてしまい、娘がコカインと売春をやめないことにショックを受けた父親が娘の売春現場に乗りこんでいって、勢い余って娘を殺害してしまった事件の顛末がより明瞭に描かれた。  これだけでは、「近親相姦」の行き着く果ての殺人事件を描いただけの安っぽい作品であるが、このドラマの特徴的なものは、その殺害をけしかけたのは、父親にとり憑いた「悪い精霊」であり、それが具現化した「ボブ」なる存在であると描かれていることだ。 ・そして、そのボブが棲みついているのは、ツイン・ピークスの町の外れにある「グラストンベリー・グローブ」という森に隠された「ブラックロッジ」という闇の精霊たちの集会場であることが示唆される。そのブラックロッジの「待合室」である赤いカーテンの部屋には、紅い服を着た小人やウェイターの格好をした巨人がいて、奇妙な踊りを踊って、やってきた人間を出迎える。このロッジに入り込んだ人間は、魂を乗っ取られるという設定がある。 ・クーパーは、殺人事件を解決したあと、この「ブラックロッジ」の存在や、地球外生命体(要は、宇宙人)の存在を調査する政府の「ブルーブック計画」の存在を知り、その謎の解明にのめり込んでいく。その極秘調査に従事する元軍人と、そのロッジに宿る力を手に入れたら世界を支配できるという妄想に取りつかれた、クーパーの元上司ウィンダム・アールが登場し、クーパーに挑戦を仕掛ける……といった、気が狂ったような、いわば超自然的な存在やオカルト的な要素が味付けとして織り込まれているということだ。 <「パラノイア的なアメリカ」というアメリカの「別の顔」> ・私は今回の25年ぶりの新作の予習として映画版といくつかのエピソードを見返してみた。 ・物語の細部の解釈はファンが自由に行なえばいい。本当に重要なのは、このドラマが「パラノイア的なアメリカ」というアメリカの「別の顔」を始めて世界の視聴者に伝えたという事実だ。そして、この作品で描かれた別のアメリカの姿を、より大衆向けに描いたのは、90年代後半に登場したFOXの制作したドラマ『Xファイル』だ。  ツイン・ピークスやXファイルが人気を博したのは、アメリカの大衆の一部のなかに存在する深層心理を作品として提示したからだ、それは、「政府が陰謀を巡らせて、ソ連と結託し、UFO研究を隠蔽し、エリートだけで政府を支配している」という考え方だ。「ウォール街の金融支配」という考え方が、ケネディ暗殺と軍産複合体の関与というオリバー・ストーンが映画『JFK』で描いた陰謀論の誕生を経て、サブカルチャー化してゆき、消費されていく存在になる。その流れが、1980年代に出てきたUFOや宇宙人についての「ロズウェル事件」に関する著作につながっていくわけだ。 <ハリウッドによって可視化された「陰謀論」> ・アメリカには秘密結社に所属するエリートと一般大衆には壁があるという考え方がある。例えば、それは『ゼイリブ』(1988年公開)によって、「エリート階級がメディアを悪用し人々を洗脳し社会を専制的に支配している」という形で描かれた。1997年には、『陰謀のセオリー』のような作品も登場した。アメリカのオタクによって愛好されていたサブカルチャーとしての陰謀論がハリウッドによって可視化されていったわけだ。   ・この「エリートが真実を大衆から隠している」という考え方は、右派ではキリスト教原理主義のパット・ロバートソン師が1991年に出した著作『新世界秩序』の考えに、左派では1980年に登場した、マリリン・ファーガソンの『水瓶座の陰謀』に代表される「ニューエイジ思想」にあらわれている。 ・これらの思想の潮流は、現在の大統領であるドナルド・トランプを誕生させた、反知性主義者たち、すなわち「オルト・ライト」派の思想の一部を強固に形作っている。政府による陰謀が行なわれている現場が、フリーメイソンやその他の秘密結社の会合であるということになる。  コンスピラシー(陰謀)というのは、「共に同じ閉鎖された空間で息をする」ということであり、多かれ少なかれ、政治やビジネスの世界では表に出ない共謀関係は存在する。ただ、その「秘密結社」のなかで、左右の「陰謀論者」たちがいうような、闇のパワーを得るための、儀式殺人や生贄の儀式が本当に行なわれているかといえば、それは違うだろう。 ・例えば、陰謀論者がよく引き合いに出す、カリフォルニア州で毎年夏前に開催される「ボヘミアン・グローブ」というイベントがある。大酒を飲みながらときには男女のコンパニオンを呼んで歴代の大統領や大企業経営者たちが集まって乱痴気騒ぎをして、ハメを外すわけだ。その初日の夜には、湖の畔で巨大な「フクロウの石像」(一説にはマモン=金銭欲の神)の前で生贄の儀式として人形を燃やすのだが、実際に儀式殺人を行なっているわけではない。それはあくまでお芝居であり、世間の価値観から外れたことをやって盛り上がろうという酒飲みパーティに過ぎない。ちなみに、このボヘミアン・グローブの発展には、『悪魔の辞典』を書いた風刺作家のアンブローズ・ビアスが大きく関わっている。 「大酒飲み」というのは酒の神様であるバッカスに象徴されており、それはニーチェが著作で描いた反理性主義的なディオニソス主義につながる。エリートたちは太古の神秘主義と結びつくことを余興として楽しんでおり、そこには性的な放埓が共存している。 <剥ぎ取られつつある秘密結社の「秘密性」> ・繰り返すけれども、重要なことは『ツイン・ピークス』の製作者の考えを形作る思想を理解することだ。そのひとつはニューエイジ的なオカルト主義であり、もうひとつが「大小の秘密結社を動かすアメリカ」という思想である。  そして、両者はエリート主義者のなかでも実は混ざり合っている。 ・アメリカの大富豪一族である、ロックフェラー家のローレンス・スペルマン・ロックフェラー(1910-2004)は、UFOの調査に資金を提供したことがその追悼記事で紹介されて知られているし、トランプに敗れたヒラリー・クリントンは、「自分が当選したら、UFOに対する調査ファイルを公開する」とも言っていた。  もうひとつの、「ロッジに集まる秘密結社の会合によって大衆の意向を無視した決定が行なわれている」という思想は、要するに、競争社会であるアメリカでは「コネも実力のうち」という考えが強いということだ。あの国は隠れた階級社会なのだ。そのコネ社会を描いた映画もいくつかある。 ・例えば、リーズ・ウィザースプーン主演の『キューティ・ブロンド』(Legally Blonde)シリーズがそれだ。これは大学の「学生クラブ」(ソロリティ)に所属する主人公が、このクラブのネットワークを利用して、政治的な問題を解決していくという話だ。また、CIA創設の裏話を描いた、マット・デイモン主演の『グッド・シェパード』という作品は、実際にイェール大学に存在する「スカル・アンド・ボーンズ」という秘密クラブが映画のなかで重要な位置を占める。ボーンズはオバマ政権の国務長官だったジョン・ケリーやブッシュ元大統領などが実際にメンバーで、トランプ政権の関係者にもその同窓生はいる。 ・ただ、インターネットやSNSが発達した2000年代以降、秘密結社の「秘密性」というのは、どんどん剥ぎ取られていってしまった。SNSが世界中のどこでも瞬時の中継映像を送ることができる現在、「人里離れた森に悪魔が住んでいる」という設定は時代遅れになっていると思う。 ・さまざまな秘密結社の存在が「インターネット」というツールを通じて可視化されている。秘密結社の「秘密性」がどんどん薄れている。秘密結社の秘密性を陰謀論者たちが自らインターネットを通じて剥ぎ取ってしまったのだ。最後に残ったのはエリートに対する反発という感情だけが、なぜかトランプ支持者の一部で人種差別主義という感情に転化されて表出している、という皮肉だ。  これはニューエイジやオカルトを描こうとするクリエイターにとっては大きなチャレンジではないか。 『中野京子の西洋奇譚』 中野京子  中央公論新社    2020/9/8 <●ハーメルンの笛吹き男> <「まだら男」に連れられて姿を消した子どもたち> ・ドイツの代表的観光ルート「メルヒェン街道」は、グリム兄弟が生まれた中部ハーナウを起点に北へのぼり、音楽隊で有名なブレーメンまでの約600キロをいう。この行程の3分の2ほどのところに、現人口5万6千人強のハーメルン市がある。  この小さな古都が5月から9月の毎日曜日、世界各地からおおぜいの観光客を引き寄せるのは、住民手作りによる野外劇が上演されるためだ。グリム兄弟の『ドイツ伝説集』に収録されている「ハーメルンの笛吹き男」を劇化したもので、30分ほどの短く素朴な舞台。  グリムの伝えるあらすじは――  1284年、ネズミの害に悩まされていたハーメルンに、奇妙な「まだら男」がやって来る。このあだ名は、さまざまな色の布をパッチワークした上着を身につけていたからで、本人は「ネズミ捕り男」と称していた。 ・彼はネズミを退治する代わりに報酬をもらう約束を市民たちと取り交わすと、さっそく笛を吹き、その音につられて集まった町中のネズミを、ヴェーザー川まで導いて溺れさせた。ところが市民は約束の金額を出し渋り、男を町から追い出した。  6月26日のヨハネとパウロの日(旧夏至祭)、町は違う服を着て再び現れ、路地で笛を吹いた。すると4歳以上の子どもたちが集まってきて、男のあとをネズミと同じように付き従い、市門を出て山の方へ向かい姿を消す。赤子を抱いた子守の少女だけが町へもどり、それを知らせたのだった。  行方不明になった子どもの数は130人、捜索隊は手がかりを見つけられず、親は悲嘆にくれ、この事件は市の公文書に記された。 <描かれた「ハーメルンの笛吹き男」> ・ハーメルン市民にとっては、ご先祖様が約束を反故にして復讐される話がそう楽しいはずがない。にもかかわらず7世紀以上も延々と語りついできたばかりか、今現在も演じ続けている。それはこの不思議で不気味で哀切な伝承の裏に、何かもっと、語られている以上のものが隠れていると誰もが感じ、いつまでも記憶にとどめるべきだと信じているからに他ならない。  先述したように、同時代人は消えた子どものことを公的文書に残した。それから20~30年ほど後の14世紀初頭、文字の読めない大多数の住民のために町の教会(マルクト教会)のステンドグラスに、ガラス絵が描かれた。もはや現存していないが、幸いにして16世紀後半に模写された彩色画が残っており、これが最古の「ハーメルンの笛吹き男」図となる。 <子どもたちの失踪が与えた衝撃> ・13世紀末ドイツの小さな街ハーメルンで、130人の子どもが忽然と消えた………。  当時の街の規模から考えて130人がどれほどの大人数だったか、後世の我々にも何となく想像はつくが、近代のハーメルンに当てはめるなら2000から2500人相当だろうとの研究結果もある。 ・そして当然のことながら、口伝えの過程で話は膨らんでゆく。グリム兄弟の『ドイツ伝説集』は、主に16~17世紀の資料をもとに編纂されたものだが、子どもが消えた1284年からそれまでの間で、庶民に直接影響を与えた歴史的大事件といえば、14世紀のペスト禍(ヨーロッパの人口の3分の1ないし2分の1が死んだとされる最大規模のパンデミック)と魔女狩りである。この2つが「ハーメルンの笛吹き男」伝承にも影響を与えたのは間違いない。  なぜなら古い文献のどこにも、グリム伝承の前段に当たるネズミ退治のテーマは見られない。 <文献が語る「ハーメルンの笛吹き男」> ・もっと具体的に記された最古の記録は、15世紀半ばの『リューネブルク手稿』である。筆者はおそらく修道士。この事件を古文書で知ったという。曰く  1284年のヨハネとパウロの日に、ハーメルンで不思議なことが起こった。30歳くらいの男が、橋を渡ってヴェーザー門から入ってきた。身なりが立派だったので、皆、感心した。彼は奇妙な形の銀の笛を持参しており、それを吹くと、聞いた子どもたちが集まってきた。そしてその130人の子たちは男の後をついて東門を抜け、処刑場の方へ向かい、そのままいなくなった。母親たちは捜しまわったが、どこへ消えたか誰もわからなかった。  これが話の骨格だったのだ。  ネズミも市側の裏切りもない。単に見知らぬ男が来て笛を吹き、子どもらと共にいずこともなく消え去ったというだけ。しかし1284年という年号と130人という数は中世のどの文献にも共通し、この具体的数字の生々しさによって、事件が現実に起こったことがうかがえる。 <事件の骨格を飾り立てた時代的要素> ・童話風の趣を持つようになったのは、さまざまな時代的要素が加わった後だ。本来は皆が驚く立派な身なりだったのに、「笛を吹く」という要素が強調されて放浪の辻音楽師的イメージになり、そんな身分の低い貧しい者の服が高価であるはずもないとして、色が派手で人目を惹いた、と変化してゆく。 <伝承の真実は> ・皆がよく知る「ハーメルンの笛吹き男」の物語から童話風の装飾を剥ぎ取れば、それはごく単純な――しかしもちろん衝撃的な――事実の羅列となる。即ち、1284年のヨハネとパウロの日、ハーメルン市に身なりの立派な男が現れ、笛を吹いて130人の子どもを集めて連れ去り、消息を絶つ。その後、杳として行方が知れない。  男は誰だったのか、なぜ子どもらは男について行ったのか、どこへ連れてゆかれたのか、生きているのか死んだのか……。  何世紀にもわたり、世界中の研究者がこの謎を解き明かすべく、さまざまな論考を発表している。それをテーマ別に分類するだけで30種近くになるというのだから、この話の内包する魅力の強烈さがわかろうというもの。 <研究者によるさまざまな論考> 1、 何らかの伝染病に罹患した子どもたちを、町の外へ連れ出して捨てた。 2、 処刑場近くの山は、キリスト教が入ってくるまでは古代ゲルマンの祭祀場で、夏至祭には火を燃やす。笛吹き男に誘われた子どもたちが見に行き、崖から転落死した。 3、 舞踏病に集団感染し、踊りながら町を出て行った。  ――これは遺伝性のハンチントン病(旧ハンチントン舞踏病)とは異なり、中世によく見られた一種の集団ヒステリー。祭りの熱狂の中、自然発生的に起こり、狂乱状態で踊り続けて、時に死に至る(たいていはしばらくすると憑きものが落ちたように呆然とするらしい)。単調で抑圧的。なお且つ死の危険が身近にあった中世人が陥る爆発的躁状態だ。ただしハーメルンだけで、一度に130人、それも子どもだけというのは説得力が弱い。 4、 「子供十字軍」としてエルサレムへ向かった。 5、 ハーメルンでの未来に希望が見いだせず、東欧に植民するため移住した。 ・つまりまだ万人を納得させるに足る定説はないのだ。研究は続けられており、「ハーメルンの笛吹き男」を読む楽しみは尽きない。  それにしても、この伝承における子どもたちの身になって考えると恐怖が押し寄せてくる。妖しい魔笛の音に操られ、夢遊病者のように歩いて、気がつけば見も知らぬ異邦の地に佇む自分がいたとしたら……。 <●ファウスト伝説> <戯曲『ファウスト』> ・ファウストという名は、ドイツの文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』によって世界的に有名になった。幾度か映画化され、オペラも上演回数が多い。  ゲーテが造型したファウストは老いた学者で、知識ばかりを詰め込んで経験が伴わなかった己の人生を後悔し、悪魔メフィストフェレスと契約を結ぶ。それはメフィストの助けを借りて若返り、この世のありとあらゆる体験をさせてもらう代わり、「時よ、止まれ。おまえは美しい」と言った瞬間、魂を地獄に持ってゆかれるというものだった。  ファウストは100年を生き、善悪問わずさまざまな体験を経た後、最後は己の個より公のため理想郷の建設に奮闘し、完成間近の至福のうちに先の禁句を口にして倒れる。だが神に赦され、魂は天へと昇っていった………。  かくしてゲーテのファウストは、ドイツ的精神の理想像と見なされるようになる。だがこの物語の根幹はゲーテのオリジナルではない。ファウスト博士は実在したからだ。 <「天才」ゲオルク・ファウスト博士> ・ゲオルク・ファウストは1480年ころ、ドイツ南西部の小村に生まれた。天才児と呼ばれ、当時の小学校にあたるラテン語学校に通った後、さらに修道院でも学んでからハイデルベルク大学へ進学した。途中でポーランドのクラクフ大学にも在籍したが、それはヨーロッパの大学で唯一「魔術学」の講座があったからだという。その後ハイデルベルク大学へもどり、優秀な成績で神学博士号を授与される。 ・博士となったファウストはエアフルト大学でギリシャ語などを講じたが、やがて追放の憂き目にあう。学生の評判が悪かったせいではなく、むしろ逆だ。評判が良すぎた。なぜなら彼はしきりに占星術や人相見による予言、病気の治療、錬金術の実験の他、死者の呼び出しなどをみせたからだ。  なかでも学生の求めに応じてギリシャ神話の英雄たち怪物、またトロイア戦争の直接的原因となった絶世の美女ヘレネなどを眼前に出現させて驚かせたが、大学側はそうしたことをキリスト教への冒瀆と断じてファウストを処分したのだった。  大学を追われた後のファウストは、同じような魔術を披露して各地を転々とした。現代でも世界中で占い師が活躍しているが、当時はそれ以上に錬金術師や魔術師や占星術師の需要は大きく、ファウストもかなり豪勢な生活を送ったようだ。 ・宗教改革者マルティン・ルターもヴィッテンベルク大学における会食でのスピーチでファウストについて触れたという(ルターのスピーチをまとめた『食卓講義』による)。それによれば――  大貴族が学者らを招いたなかに、ルターもファウストもいた。この時ファウストは、狩猟中の馬がどうと倒れる迫力のシーンを出現させて皆を驚かせた。ルターはこれを、悪魔が見せた幻と表現したという。 <民衆を魅了したファウスト伝説> ・実のところ、上記のファウストの経歴のいったいどこまでが事実で、どこからが伝説か、未だよくわかっていない。ゲオルクという名のファウストが実在したのは間違いないが、ヨハネ・ファウストもいたらしい。いやゲオルクとヨハネスはそもそも同一人物だと主張する者もいる。  確かなのは、民衆がファウスト伝説に魅了され、次々にエピソードを増やしていったことだ(ファウストは宇宙旅行までしたことになった)。   

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