自民党の国会議員というだけでビラを受け取ってもらえません。わたした名刺を破られるなんてことは全国でザラでした。昔から伝わる「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」ことを実感。(1)
『岸田ビジョン』 分断から協調へ 岸田文雄 講談社 2020/9/14
<世の中には理不尽なこと、おかしなことがたくさんある。>
・ニューヨークの小学校時代に感じた人種差別に対する義憤。学生時代の数々の挫折や、友情。銀行時代に感じた社会の矛盾。父や身内の選挙に直接関わって目の当たりにした日本の政治の現実。世の中には理不尽なこと、おかしなことがたくさんある。変えていかなければならないことがある。一方、守っていかなければならないこともある。国や社会に関わるこうした事柄に、自分は直接関わりたい。
<「聞く力」を持つリーダー>
・私は1960年代、幼少期にアメリカ・ニューヨークで暮らし、人種差別を体感しました。大学受験にも三度失敗するなど、様々な挫折も味わってきました。そんな私にとって差別や分断のない社会の構築はライフワークです。
そのためには、中間層を産み支える政策、社会全体の富の再配分を促す政策が必要です。
・その地方の活性化のエンジンとなるキーワードが、「デジタル」です。デジタル技術を最大限に活用する「デジタル田園都市構想」によって、地方と中小企業の活性化を必ず実現できます。
<戦後最大の国難に直面して>
<「成長戦略」五つの柱>
・「官のDX」をはじめ我が国の脆弱性を克服するのに必要な施策は、早速、6月25日にとりまとめた自民党の「令和2年度経済成長戦略」に盛り込みました。
第一に、資本主義のあり方の見直しです。
利益、それも短期的利益だけを重視し、「儲かりさえすればいい」とする功利主義の転換です。利益をあげることはもちろん大切ですが、それをどう公平に分配し、持続可能な発展につなげていくかがより大切です。
・第二に、人材の重視です。
教育は国家百年の大計、天然資源に乏しい我が国にとって人材こそが宝です。
・第三に、集中からの分散です。
令和の時代は、各地方がそれぞれの地域資源と魅力を活かして発展していくことが求められています。そして、その地方が世界と直接繋がっていく未来を構想しています。新型コロナウイルスとの戦いで明らかになったことは、集中の弊害です。
・第四に、分断から協調です。
コロナ以前から世界中で、内にあっては格差の拡大、外においては一国主義と保護主義の台頭が見られました。この傾向は、コロナショックを経てさらに強まっています。我が国はこうした状況に的確に対応し、「分断から協調」をリードする主体的役割を担わなければなりません。
・第五として、技術・テクノロジーの重視です。
これは教育とも関連しますが、我が国がここまで平和で豊かな国を作り上げてこられたのは、技術やテクノロジーを磨いてきたからです。短期的利益にとらわれず長期的視点で科学技術の研究に投資していく必要があります。
<東大とは縁がなかった>
・「なぜ俺の番号がないんだろう」
東大文Ⅰ(法学部)の合格発表の掲示板を見て、三年連続、三度そう思いました。一度目は東大のある本郷三丁目駅から自宅まで、なぜだろう、という思いが頭の中に渦巻き、どうやって帰宅したのかも覚えていないほどでした。二度目の失敗では、自分の人生について、俺に価値はあるのか、などと答えの出ない問いに煩悶しながら帰宅したような気がします。しかし、三度目の失敗の時は、「これでやっと終われる」とむしろほっとしていました。
「仕方ない。東大とは縁がなかった」と割り切っていたのかもしれません。
父の文武は東大から通産官僚に。叔父の俊輔も東大から大蔵官僚になりました。叔母・玲子の夫の弘は東大から内務官僚となり、弘の実兄・宮澤喜一元総理は言うまでもなく東大から大蔵省に進みましたし、弘の息子で私より7歳年上の洋一は東大から大蔵省でした。
要するにどういうわけか、私の周りの多くは、「東大から官僚」のコースを歩んでいました。
「みんな東大だから」
私は自分も東大へ入れる、と勝手に錯覚していたのでしょう。開成高校は、東京大学合格者数が1982年から2020年まで39年連続で首位という学校ですので、「まあ、俺も行けるだろう」と安易にそう考えていたのです。
<三度目の失敗>
・三度目の挑戦となった1978年はさすがにこれ以上浪人して両親に迷惑はかけられないとの想いもあり、慶應義塾大学と早稲田大学も受験しました。前述の通り、三度目の東大文Ⅰへの挑戦も見事に失敗。ですが、ありがたいことに慶應と早稲田には受かりました。
慶應ボーイへの憧れはありましたが、男子校で野球に明け暮れていた自分の気質を考え、早稲田大学法学部に決めました。
<「空飛ぶ棺桶」で出張>
・日本長期信用銀行本店で外国為替の仕事に2年半従事したあと、高松市に2年半赴任し、融資係・営業マンとして四国の様々な会社を回り、今治造船、穴吹興産、来島どっく、伊予鉄、伊予銀行など四国中の会社とお付き合いしました。
<クリスマスの「プレゼント」>
・あの時代は、昨日まで派手な生活を謳歌していた社長が翌朝にはどこかへ高飛びしている、などという話は枚挙にいとまがないほどでした。
私は海運業界を担当していましたが、その業界はちょっと特殊で、「一杯船主」などと言われる家族経営の会社がたくさんあります。お父さんが社長で、お母さんが副社長、長男が専務など家族が役員になって船会社を作るのです。1隻20億~30億円の船を保有する会社もたくさんありました。
業績が良いときは何億も儲かるのですが、その反対で巨額の負債を背負うこともあり、博打のような一面もあります。
・行員生活は5年で、その半分は四国での赴任生活でした。永田町に入る前、長銀の行員として社会経験を積めたことは大きな財産となりました。倒産や夜逃げの現場など世間の厳しさ、経済の厳しい実態を肌で感じることができたことは政治家としての血肉となりました。
<仁義なき選挙戦>
・多忙をきわめた行員時代でしたが、時には有給休暇を使い、父の選挙を手伝っていました。
私が早稲田大学法学部に入学した1978年、父は通産省を退官し、祖父・正記の地盤であった広島一区から出馬することになりました。祖父が亡くなってから20年近い時間が流れており、祖父の時代の後援会もなく地盤はあってないようなものです。
早稲田の学生時代と行員時代に、父の選挙を計4回手伝っています。行員時代にも様々な人と出会うことができましたが、選挙活動中もそれに劣らず様々な人と出会う期間でもありました。任侠映画「仁義なき戦い」の登場人物のような風体の方が事務所にやってきて、「俺はどこどこの顔役で100票は動かせる。いくらで買ってくれる?」という。公職選挙法違反そのものです。相手にしたくないのですが、雑に扱えば悪口を撒き散らすのは明白ですので無下にはできません。この手の人が毎日のように訪れてくるので、「選挙とはこんなに大変なんだ」と、終わるころには心身ともヘトヘトでした。
<歩いた家の数しか票は出ない>
・いまでは有名な話ですが、もっとも過酷といわれたのは旧群馬三区で、福田赳夫氏、中曽根康弘氏がトップ当選をめぐって激しく争い、「上州戦争」と呼ばれるほどでした。
当時は警察官が私服に着替え、事務所にメシを食べに来るような時代でした。公職選挙法もいまと違い、選挙ともなれば有権者は両陣営を食べ比べ、「今回は福田のほうがうまかった」と周囲に吹聴し、「中曽根レストラン」「福田料亭」と呼ばれるほどのおもてなしをしたなどという逸話も残っています。
そんななか、小渕恵三事務所では、有権者におにぎりくらいしか振る舞えず「小渕飯場」と呼ばれていました。小渕さんも負けじと、演説などで資金力のなさを逆手にとって「だれそれさんは料亭、あちら様はレストラン、うちはビルの谷間のラーメン屋と呼ばれています」と演説し、同情票を狙う作戦を展開したと聞いています。いまでは法律も変わり、もちろんそんなことはできませんが。
・「修羅場をくぐり抜ける」熾烈な選挙を手伝い、自民党に昔から伝わる「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」ことを実感したのです。
<自民党の「集金係」に>
・この13年後の2001年1月、私も経理局長に就任したことは運命であったと感じています。
経理局長は、一言で言えば集金係です。日本経済団体連合会などの経済団体や一部上場企業を回り、自民党への寄付をお願いして歩きます。
・経理局長が各企業に寄付のお願いをする一方で、集めたカネを使うのは幹事長です。選挙となれば野党と接戦を強いられる候補者には厚めに配るなど資金援助は幹事長の手腕にかかっています。
<選挙に強い「秘伝のタレ」>
・政治家にとって「地盤・看板・カバン」の三バンは選挙戦を勝ち抜くうえでもっとも重要と言われます。
選挙は候補者の資質、能力、政策、実績などで選ばれるべきですが、後援組織がしっかり機能しているか否か、知名度があるか否か、選挙資金の多寡などが勝敗を分けることが多々あります。
私も父から地盤を引き継ぎましたので、いわゆる「地盤・看板・カバン」の三バンはありました。後援組織、岸田の名前、大きなアドバンテージがありましたが、父の時代はお世辞にも選挙に強いとは言えませんでしたから、自分なりの工夫も凝らしてきたつもりです。
<「一区」で勝ち抜くことの難しさ>
・とりわけ広島一区のような政令指定都市を含む選挙区はその時々の「風」、世論の雰囲気にもろに受ける選挙区でもあります。そして、いったん風が吹くと、既存の政党の候補者が吹き飛ばされるような突風になることがしばしばあります。
その好例が東京都議会選挙でしょう。
・しかし、逆風が吹き荒れても勝ち残れる人はいます。自民党の伝統であるドブ板選挙を得意とする政治家は跳ね返せます。反対に理屈先行で、メディアを相手にし、汗をかかない政治家は逆風に脆い、と言われます。
永田町の政務でどれほど多忙でも、土日に地元選挙区に戻って支持者の前で活動報告を行う。月曜日からまた国会で議会活動を行う。若かろうがベテランだろうが、役職に就こうが、地元選挙区をおざなりにしてはいけません。私は、政調会長となったいまでも、可能な限り地元に戻り有権者と接するようにしています。
<宮澤喜一さんの金言>
・政治家のスタンスとは低姿勢でも駄目ですし、高姿勢でも間違いです。自分の理念、政治哲学をもっていれば自ずと正しい姿勢である「正姿勢」になります。
<「野党議員」としてスタート>
・しかし、1年目から野党暮らしを経験できたことは貴重な財産と言えます。「野党に転落するのはあっという間」という厳しい現実と、「どうなるかわからないことも恐れない」という心の持ちようを得られたことは貴重であったと言えます。私は日々、選挙について考えるようになったのです。
<ビールケースに立ちつづける>
・今回はトップ当選できたが、次はどうなるかわからない。どのような逆風下でも生き残れるようにするにはどうしたらいいのか。昔ながらの後援会でいいのか。カネもかからずにうまくやれる政治活動はなにか。街頭演説をもっと増やしたほうがいいのではないか。
35歳の若さを活かした選挙戦術があるのではないか。父から引き継いだ後援会はありがたいが、メスを入れるべきだ。時代に適応した後援組織、選挙活動をしなければ、この先も勝ちつづけることはできない、と考えるようになりました。
・そのなかの有効策をいくつかご紹介しましょう。まずは、何と言っても街頭演説です。当時、広島ではあまり一般的ではなかった街頭演説を積極的に行いました。初当選の翌年の94年5月から、20年近く、外務大臣就任後も街頭演説は欠かしませんでした。いまでこそ辻立ちや駅頭演説は一般的ですが、私が初当選した当時は、「そんな時間があるなら東京で人に会ったり、政策を磨け」とお叱りを受けたものです。
・街頭演説には、おカネがかかりません。
ビールケースのような台と秘書が持つ幟(のぼり)があればどこにでもできます。選挙の投票日も近づけばみなこぞって駅前や人が集まる施設の前で演説を行いますが、私はこれを期日に関係なく試みたのです。選挙とは関係なしに広島の繁華街に立つ。立って演説を行う。
新人のころ、週末、繁華街で演説をしていると「あれ、選挙?」と声をかけられました。
・新人時代、週末ともなれば選挙区内の繁華街を周り、演説をしましたし、大臣になってもスケジュール上できそうだ、と思えば駅前で語りました。外務大臣のときもやりました。
「また岸田文雄が立っているぞ」
そのように認識していただくまで立ちつづけました。風景の一部となるくらいまでやることです。
・私がいつも通り演説をしているだけなのに人が人を呼び込み、テレビカメラの後ろに人垣もできてしまいます。繁華街の人の流れを妨げて迷惑をかけ、遠くの人は何も見えないので、かえって申し訳なくなり、やっている意味が薄い、と控えるようになりました。
閣僚や三役を経験し、役職が上がると、各地・各候補からの応援演説の依頼も舞い込みます。地元で演説する機会は以前に比べ減ってしまいましたが、私の原点はこの街頭演説にあります。
<ピラミッド型選挙は通用しない>
・街頭演説にもコツがあります。皆さんも駅前などで政治家がビールケースの上に立ち、拡声器を持って話している姿を記憶されているでしょう。ただ、話の内容までは覚えている人は少ないと思います。
聞かせるのではなく、見ていただく、と捉えたほうが良いのです。一生懸命、なにかを伝えようとしゃべっているその姿が大事で、見てもらうことに主眼を置きます。
・先にも触れたように政令指定都市のある一区は「風」を受ける特性があります。
政令指定都市は、1回の選挙ごとに有権者の3分の1が変わってしまう、と言われるほど人の移動が激しいのが特徴です。
広島一区は人口40万人で有権者は30万人強です。計算上、毎回10万人が入れ替わります。駅前の商店街などご縁のある人、後援会として応援してくれる人もいますが、全体の30万人からするとわずかです。実際に会ったことのある人は1万人くらいでしょうか。当選に10万人必要だとして残りの9万人の方に「岸田文雄」と書いてもらえるかが勝敗を分けることになります。
・都市型の後援会作りにも工夫を凝らしました。
田中角栄元総理には、越山会という巨大な後援組織が控えていました。地元の経済界の重鎮を会長に据えたピラミッド型の後援会です。
・私も田中角栄元総理の真似をしてピラミッド型の組織をつくろうとしましたが、うまくいきません。トップの下、その下くらいまではいくのですが、より多くの人にまでは声が届かないのです。どうもうまく機能しない、と悩みました。
・私なりに考えてみた結果、「みんなそれぞれが好きな人を集めて後援会をつくってください」とお願いすることにしました。小さな後援会をいくつもつくります。
・近所のおじいちゃん、おばあちゃんに、「20人30人集めてくれたらいつでも行くから」
そうお伝えしておきます。家の大きさにもよりますが、10人くらいのときもあります。規模の大小を問わずに車座になって行う座談会を、「出前国政報告会」と名付け20年近く続けました。ホテルの大きな会場で話すこともありますが、地元支援者のお宅や公民館で話したほうが、距離が近い分、真意は伝わるように思います。
<大逆風>
・自民党が野党時代、谷垣禎一総裁のとき、「なまごえプロジェクト」に取り組んでいました。これはまさに私が行っていた出前国政報告会と同じで、地元有権者と膝を突き合わせて話し合う車座集会です。野党時代で時間もあるので、当選した者も落選した者も、地元で車座になって地元の方と交流を重ねたのです。このときに徹底して話し合ったことが、その後の政権交代に繋がったように思いました。
いまと比べれば、若いときは役職もなく自由もききますから時間もそれなりにありました。
金曜日、広島に帰り、月曜日、東京に行くまで地元活動をびっしりやっていました。手間ひまはかかりますが、やればやるほど声をかけられる回数も増え、実感も湧きます。コツコツと積み上げ、演説や後援組織を見直し、10年もしたころには、自分の中で「選挙戦勝利の方程式」が出来上がりました。
しかし、それでも「あのとき」は何度冷や汗が流れたことか。
・何度も解散が検討されるも見送られ、内閣支持率は急落していきます。内閣の不祥事や党内の混乱もあり、内閣支持率は10パーセント台まで急落しました。
親子二代でお世話になった有権者からさえ、こう言われたほどです。
「岸田さん、あんたのことは支持するが、自民党は支持できん。お灸をすえる意味で一回、民主党に任せようと思う」
自民党の国会議員というだけでビラを受け取ってもらえません。わたした名刺を破られるなんてことは全国でザラでした。
・私がどうこうではなく、自民党という看板に極悪人と書いてあるかのような扱いで、林さんもここまでの逆風は体験したことがなく、「自民党ってこんなに嫌われているのか」と唖然としていました。
<たった二人だけの生き残り>
・初出馬となった1993年の総選挙でも自民党への逆風は吹いていましたが、あのときは「新党ブーム」による逆風で、「自民党しっかりしろよ」という雰囲気でした。しかし、2009年の総選挙では、民主党に対する期待よりも、「自民党はもう駄目だ」という逆風です。我々が少ししゃべるだけで、凄まじい形相で罵倒されるの繰り返しです。
「こんな経験は一生ないだろう」
政治家は、罵倒されたからと言って自分が感情的になってはいけません。糠に釘ではないですが、ありがとう、と笑って受け流す「暖簾に腕押し作戦」で切り抜けるしかありません。
・政治家は選挙を経て、大きくなっていきます。厳しい、苦しい選挙となると、若い方は嫌がりますが、むしろ喜ぶべきことなのです。困難に直面し、その壁を乗り越えたときにこそ成長があるのです。
実際、厳しい選挙を勝ち抜いてこそ、党内で一人前の議員として扱ってくれます。追い風が吹いて受かったような議員ではなく、逆風下でも勝ち残れる議員だからこそ先輩からも一目置かれ、発言をしっかり受け止めてもらえるようになります。長年政治家をやっていれば、雨の日も風の日も暴風雨の日もあります。逆に言えば、逆境の中でこそ政治家の器量が試されるとも言えます。
「10年は徹底して選挙区を回れ」
かつて先輩方にそう教わったものです。
<総裁選に向けて>
・いま、政治に求められているものは何かと問われれば、安定と信頼、そして、それを実現するための「チーム力」だ、と答えたいと思います。
・新型コロナウイルスの感染拡大は、百年に一度の危機と言われます。加えて新型コロナというウイルスの性質や感染力、病原としての特徴などは、いまだにはっきりわかっていない部分が多くあります。
・これだけ巨額の財政出動をし、空前の金融緩和を行っている先に、どのような事態が待っているのか。日本は本当に、経済成長と財政再建を両立できるのか。誰にも答えは見えていません。今日の経済問題は以前よりもはるかに複雑をきわめ、政治指導者はあらゆる指標やデータを注視し、未体験の事態にその場で対応しながら、「狭き門」をくぐるような経済運営を強いられています。
・そのとき、私が国民にもっとも強く訴えたいのは、「現実主義」と「バランス感覚」そして「協力」です。
『スガノミクス』
菅政権が確実に変える日本国のかたち
内閣官房参与 高橋洋一 ・ 原英史 白秋社 2021/1/6
<「大阪都構想」に見る守旧派の手口>
・さて本書の主題にも密接に関係することが、校正中の2020年11月1日、日本国民が注視するなかで行われた。「大阪都構想」に対する住民投票である。結果は、賛成67万5829票、反対69万2996票と、僅差ではあるが反対多数になり、この構想は否決された。
・すると翌週、投票日の6日前、10月26日の毎日新聞の一面に「市四分割 コスト218億円増 大阪市財政局が試算」という記事が出た。「大阪市を四つの自治体に分割した場合」という書き出しで、総務省が規定する「基準財政需要額」がどうなるか、という記事だった。
この記事はNHKと朝日新聞によって追随され、広く流布された。これらの記事は、自民党、共産党、学者らの都構想反対派に利用された。「大阪都構想」によって大阪府の財政がコストアップになると吹聴されたのだ。関係者の話によれば、この記事によって大阪都構想への反対が、急速に増えた。
10月27日、大坂市財政局長が記者会見を行った。「コスト218億円増」とは、報道機関の求めに応じた機械的試算の結果だと釈明したのだ。
・この報道を拡散した大阪都構想反対派の人たちは、地方財政の知識がまったくないのか、確信犯的なのか、そのどちらかだ。
特に、数字を捏造したともいえる大阪市の役人は、許されるだろうか。このタイミングで、松井市長に知らせもせず、大坂都構想とはまったく関係のない数字を出した責任は大きい。
・ちなみに、こうした事情をよく知る元大阪市長の橋下徹氏は、「大阪都構想」で大阪市役所がなくなると困る「役所のクーデター」である、とツイートしていた。
そして、こうした既得権を国民の面前に炙り出そうとしているのが、菅義偉首相なのである。
<日本国の借金1000兆円の大嘘>
・菅義偉首相は経済政策について「アベノミクスを継承する」としたうえで、「デジタル庁」創設、地方銀行の再編、ふるさと納税の推進、携帯電話料金の引き下げなど、独自色も出している。新型コロナウイルス感染症による不況への対応は待ったなしだが、菅首相は「スガノミクス」で日本経済を復活させることはできるだろうか。
・コロナ対策では、どれだけ財政出動などで「真水」を投入できるかがポイントだ。喫緊の対応としては、積極的に財政出動するだろう。
・菅氏は財政について、「経済成長なくして財政再建なし」とする。財政再建よりも経済成長を優先する「経済主義」を表明している。
ただ、こうした議論をすると必ずや「日本の財政危機」が持ちだされるのだが、私たちはそもそも、既に日本は財政再建を終えており、消費税増税も必要なかったと考えている。
<国の資産1400兆円の多くは金融資産>
・すると上司は、「それでは天下りができなくなってしまう。資産を温存したうえで、増税で借金を返すための理論武装をしろ」といってきたのだ………。
実際、政府資産の大半は、政府関係機関への出資金や貸付金などの金融資産で構成されており、技術的には容易に売却可能なものばかりだ。大多数の一般の人は、「資産といっても、道路や空港など土地建物の実物資産が多いから、そう簡単には売却できないだろう」と思っているだろう。しかし実は、それは事実とは違う。
日本銀行を含めた「統合政府」ベースのバランスシートでいえば、1400兆円程度の資産のうち、実物資産は300兆円弱しかない。つまり、国の資産のうちその多くが「売却可能な資産」なのである。
<政府資産額は世界一の日本>
・2018年度の日本政府だけのバランスシートを見ると、資産は総計674兆円。そのうち、現金・預金51兆円、有価証券119兆円、貸付金108兆円、出資金75兆円、計353兆円が比較的に換金が容易な金融資産である。加えて、有形固定資産184兆円、運用預託金112兆円、その他3兆円となる。
そして負債は1258兆円、その内訳は、公債986兆円、政府短期証券76兆円、借入金31兆円、これらがいわゆる国の借金であり、合計1093兆円である。
また、運用寄託金の見合い負債である公的年金預り金120兆円とその他が7兆円。よって、ネット負債(負債の総額から資産を引いた額、すなわち1258兆円-674兆円)は584兆円となる。
主要先進国と比較して日本政府のバランスシートの特徴をいえば、政府資産が巨額であることだ。政府資産の中身についても、すばやく換金が可能な金融資産の割合がきわめて大きいのが特徴的だ。
<政府の資産は温存し国民に増税を求める財務省>
・ただし、現在公表されている連結ベースのものには大きな欠陥がある。日銀が含まれていないのだ。政府から日銀への出資比率は5割を超えており、様々な監督権限もあるので、まぎれもなく、日銀は政府の子会社である。
経済学でも、日銀と政府は「広い意味の政府」とまとめて一体のものとして分析している。これを「統合政府」というが、会計的な観点からいえば、日銀を連結対象としない理由はない。
・そして、この日銀を含めた統合政府ベースのバランスシートを見ると、先述の通り、1400兆円程度の資産のうち、実物資産は300兆円弱しかない。要するに、国の資産の多くが、「売却可能な資産」なのである。
それほど多くの資産を温存しているのに、国民に増税を訴え、国の借金を返済しようと訴えるのは、どう考えても無理筋だ。こうした財務省の増税志向は、それと表裏一体の歳出カット政策とともに、緊縮財政志向を生み出している。
<IMFの提言は財務省からの出向者が作る>
・緊縮財政については、その本家ともいえるIMFですら、1990年代から2000年代にかけての「緊縮一辺倒路線」は間違いだった、と2012年には認めている。
・IMFは財務省から出向した職員が仕切っている面が強く、単なる財務省の代弁としかいいようのないレポートもある。が、財務省の出向職員が手を出せないスタッフレポートのなかには、いいものもある。
<IMFが認めた日本の財政再建>
・日銀の保有する国債への利払いは、本来であればそのまま国庫収入になる。しかし、それを減少させることになる日銀の金融機関の当座預金に対する付利が、大きな問題になるわけだ。これは、はっきりいえば、日銀が金融機関に与える「お小遣い」であり、金融政策とは関係がない。
<「研究開発国債」でノーベル賞を量産>
・「研究開発国債」というべき国債を、ぜひ発行すべきなのである。この考え方を自民党の会合で紹介したのだが、これに最も抵抗したのは、財務省だった。財務省の代理人と思われる学者も出席していたが、教育や研究開発が社会的な投資であることを認めながらも、国債ではなく税を財源にすべきだといっていた。ファイナンス理論や財政理論を無視した暴論である。
<社会保障のための増税は大間違い>
・実は、社会保障の将来像を推計するのは、それほど難しいことではない。何より、社会保障財源として消費税を使うというのは、税理論や社会保障論からいって、間違っている。
<新・利権トライアングルを倒し岩盤規制撤廃>
<役所と業界の「接着剤」とは誰か?>
・権限を持っている役所から天下った人たちが、役所と業界の「接着剤」になっていたからである。
<政府が出資し補助金を付け天下る>
・「政府のバランスシート」――これを見ると、貸付金と出資金が山ほどある。その行き先は、すべて天下り先だ。民間ではなく、政府系企業や政府系法人である。つまり、財務省の子会社のようなものである。
政府が出資して、補助金を付けて、役人はそこに天下るという構図だ。
<運転免許証更新のオンライン化で警察OBの天下りは>
・なぜ民営化と公務員制度改革を実行しなければならないのか?それは、役所が民間に企業に取り込まれてしまうことを避けるためである。経済学でいう「規制の虜」だ。
・民営化ができないから、政府がある部分を抱えてしまう。それを政府が抱えてしまうと、本当は民間でやってもいいことをやらない。こうして、まともなことができなくなるわけだ。
<コロナ禍で悔やまれた行政のオンライン化>
・第二次安倍政権は、アベノミクスのスタート当初から、「第一の矢」(金融)と「第二の矢」(財政)は合格点だが、「第三の矢」(成長戦略)は落第だといわれ続けてきた。評価は履らないまま、長期政権が終わった。
成長戦略の一丁目一番地とされたのは、「岩盤規制改革」だった。
・だが、多くの分野で規制改革は停滞した。とりわけ、世界で急速に進むデジタル変革への対応では、出遅れた。医療や教育のオンラインなど部分的には前進しつつも、厚い壁をなかなか突破し切れなかった。そうこうするうち、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行で、図らずも改革の遅れが露呈した。
<成長産業に電波帯を空けるアメリカ>
・「岩盤規制」がもたらしているのは、「オンラインで診療や授業を受けられない」といった利便性の問題にとどまらない。
経済社会全体での生産性の低迷、ひいては一人当たりGDPの低迷をもたらしてきた。
・その主な原因は、デジタル化への対応の遅れをはじめ、イノベーションの欠如だ。そして、古い仕組みを強いているのが、「岩盤規制」だ。だからこそ、安倍政権の成長戦略の一丁目一番地は、「岩盤規制打破」でなければならなかったのだ。
こうした古い仕組みが随所に残る代表的分野が、「電波」である。
<自民党長老議員の電話一本で規制改革がストップ>
・こんなことが起きるのは、無人ロッカーの設備投資ができるのは比較的大手の事業者であり、資力の乏しい零細クリーニング店にとっては解禁が好ましくないためだ。零細クリーニング店も業界団体などによる政治力はあるので、無意味な規制維持を政治や行政に強力に求め、これがまかり通っているのが現実だ。
現に、規制改革推進会議でこの議論をした際、自民党の某長老議員が直ちに事務局に電話をかけてきて、ストップをかけた。残念ながら、そんな電話一本で止まってしまうのが、現在の規制改革の実情だ。
<安倍政権は「官邸主導」ではなかった>
・では「安倍一強」ともいわれた強力な政権で、なぜ「岩盤規制改革」は進まなかったのか?答えの一つは、安倍政権は決して「官邸主導」ではなかったことだ。
安倍政権では、外交や安全保障は別として、官邸の力は強くなっておらず、内政は概ねコンセンサス重視だった。内閣人事局を作って官邸が思うがままの人事を行い、結果、官僚の忖度を生んだというようなことがいわれたが、官邸主導の政策決定など、それほどなされていなかった。
結局、官僚機構のほうがまだまだ強く、官邸主導で突破していくことは難しかった。
<新・利権トライアングルの正体>
・そして安倍政権で規制改革を阻んだ、もう一つの、より重要な要因は、国家戦略特区での規制改革が、2017年でぱったりと止まったことだ。2017年の通常国会で「加計学園問題」への疑惑追及がスタートして以降だ。
・マスコミと野党議員にとって、事実がどうかはどうでもいい。マスコミが「疑惑」を報じればそれを国会で追及、国会で「疑惑追及」したらマスコミで報道、と「証拠なき追究」を無限サイクルで回し続けることができる。
証拠は要らず、「疑わしい」と唱えるだけで十分なのだ。そして、2017年以降に国家戦略特区の規制改革がぱったり止まったように、それで十分に効果は上がる。
<各省設置法を一本化し事務分担は「政令」で>
・民間企業でも、組織の改編は執行部が決めている。そうでないと、時代の変化に対応でないからだ。
この発想からいえば、現在ある各省設置法をすべて束ねて政府事務法として一本化し、各省の事務分担は「政令」で決めればいい。こうした枠組みを作れば、そのときの政権の判断で省庁再編を柔軟に行える。
<内閣人事局の破壊力>
<省庁や業界が族議員と築き上げた利権構造>
・各省庁には、それぞれの縄張りで、所管業界や族議員とともに長年築き上げてきた利権構造がある。端的にいえば、国民一般の利益を犠牲にして、既得権者が利益を得る仕組みだから、時の政権が国民目線でこれに切り込もうとすることは、古くからときどき起こった。
<省庁OBが「縦割り利権」を護持するわけ>
・この不文律のもとで何が起きていたのか? 官僚たちが、大臣よりも、実質的な人事権のある官僚機構のボスを見て仕事をするようになったのだ。「政権の方針」より「省庁の論理」が優先されるわけだ。
しかも、ボスは必ずしも現職の官僚トップではなく、省庁のOBたちが実権を握っていたりする。こうしたOBたちは所管の利権団体に天下りしているのだから、「縦割り利権」護持が最重要課題になるのは当然だった。
<省庁のガバナンス構造改革のため内閣人事局を>
・「内閣人事局構想」は、言い換えれば、各省庁のガバナンス構造の改革だ。旧来の構造では、国民によって選ばれた政権の方針が貫徹されない。だから、古くからの「縦割り利権」に手を付けられない。これを、「国民によるガバナンス」が利く構造に改めようとするものだ。
<民主党政権が内閣人事局を設置しなかった謎>
・付け加えておくと、政府・与党は当初は、内閣府の外局として「内閣人事庁」を提案した。これに対し、官邸直結の「内閣人事局」を強く主張したのは、当時の民主党だった。
<「利権のボスへの忖度」から「国民への忖度」へ>
・そのようななかで、「内閣人事局」を廃止ないしは弱体化すべきだ、との主張が唱えられるようになった。「内閣人事局」が人事を握っているので、官僚による「官邸への忖度」が生じているという指摘だ。
・旧来の縦割り、あるいは官僚主導行政が「深刻な機能障害を来している」ことは、1997年の行政改革会議における「最終報告」で、はっきりと指摘されている。
<人事評価はAばかり>
・ではなぜ安倍政権において、内閣人事局が万全に機能していなかったのか?大問題は、内閣人事局が客観的な人事評価をサボってきたことだ。
霞が関の官僚人事の伝統は、「身分制」と「年功序列」だ。
<いまも色濃く残る「身分制」と「年功序列」>
・もちろん、霞が関全体が本当にそんな素晴らしい働きぶりをしていたら、政府はずっとよく機能している。馴れ合いで「みんなよくできました」を続けてきたわけだ。
結果として、霞が関の人事は、あまり変わっていない。
<人事評価を各省庁に丸投げしてきた内閣人事局>
・ところが、現状は先に述べた通りだ。内閣人事局は人事評価を各省庁に丸投げし、基準確立も適格性審査もサボり続けてきた。結果として、「各省庁の仲間内人事」は旧来のままで、たいして変わっていない。
<安倍政権が「岩盤規制」で成果を出せなかった背景>
・安倍政権が「岩盤規制改革」を唱えながら十分な成果を出せなかったのは、結局、こうして霞が関の内実が変化せず、縦割り利権を頑強に守り続けていたためだ。その一方で、客観評価を欠いた「内閣の人事権行使」は、中途半端な官僚たちのあいだで「官邸の歓心さえ買えば出世できる」との間違った忖度を生む要因にもなった。
・方針決定後には従うとの大前提が守られる限り、当然、「異論を唱えたら左遷」などということがあってはならない。
菅首相もそんなつもりはないはずだ。しかし、「反対したら異動」ばかりが流布されてしまっており、誤解を招きかねないので、菅首相は改めて明確にしておいたほうが良いだろう。
<公式会議でのガチンコ討論を避けた安倍政権>
・残念なことに安倍政権では、首相の出席する公式会議でのガチンコ討論を避ける傾向があった。小泉政権での経済財政諮問会議などとは大きく違った。そのために、あとから「無理やり押し付けられた」などと刺されやすかった面も否めない。
これから菅政権が規制改革の難題に取り組むうえでは、政府・与党内での意見の対立は避けられない。これを表に晒して決着を付ける仕組みを確立することこそが重要だ。菅政権発足以降、実際に、官邸での政策会議は、ガチンコ討論に徐々に切り替わりつつあるようだ。
・菅政権は、「内閣人事局」の機能不全の解消をはじめ、縦割り利権の打破を目指す体制をさらに強化していくだろう。これは様々な難題を解決していくために、不可欠であるはずだ。
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