夢幻能におけるシテは、神や鬼、精霊など異界の者を演じる。そして我々と同じこの世の住人であるワキが、異界の住人と出会って異界に足を踏み入れ、やがて戻ってくるというのがストーリーの基本。(1)
『日本異界図典』 朝里樹 (監修) ジー・ピー 2021/1/15
・人は自分たちが住む世界と、その向こう側の世界を分けて生活してきました。その境目に当たるのが「境界」であり、境界の向こう側に広がるのが「異界」です。自分たちの生きる世界の外側は、どんな存在や出来事があってもおかしくない「異界」として認識されたのです。そして、わたしたちは古代より、その見えない世界をたえず想像し、恐れ敬い、「異界」を創りあげました。
たとえば、鬼や河童、天狗などの妖怪は、私たちが創造した異界の住人です。
<「異界」とは、我々とは異なる魔と神が同居する闇の世界>
・異界とは、読んで字のごとく私たちの世界とは異なる世界のこと。古来、人々は異界の存在をまことしやかに信じ、独特の世界観を創造していった。
<異界とこの世をつなぐ境界線は身近にある>
・遥か昔、人々は人間界の外側に闇の世界が広がっていると考え、それを異界と表現した。
・ちなみに、異界という言葉は昔からあるわけではなく、近年になって広がったものである。それまでは他界という言葉が用いられていたが、異界と他界ではニュアンスが微妙に異なる。
<時間的な区切りにも境界線が存在する>
・空間的に他界とはニュアンスが違う異界だが、昔の人々は時間的にも異界とこの世の区切りをつけた。たとえば、元旦に迎える歳神様は、時間の境界線を超えて、異界からやって来ると考えられた。
<異界の初出は『古事記』からで、江戸時代には娯楽文化に発展した>
・鬼や幽霊、怨霊など、長い年月をかけて出来上がった異界の世界観。現代において、異界の住人が実在すると考える人はいないだろう。このような人間の価値観も、長い年月をかけて変わっていったのだ。
<恐れの対象だった異界は娯楽への対象へと変遷>
・日本の文献に初めて異界が登場するのは、奈良時代に編纂された『古事記』である。天上の世界である高天原や、死後の世界である黄泉国(よみのくに)などの舞台は、まさにこの世とは異なる世界を表している。また、八岐大蛇や八咫烏といった異界の住人たちが数多く登場するなど、『古事記』は異界の世界観の基礎を築いた。
・そして、江戸時代――。異界の住人たちを退治する英雄譚はますます広がり、人々の娯楽として消費されるようになっていく。
<異界の住人にまつわる伝承は全国津々浦々に存在している>
・この世界と、異界という2つの世界を意識していた。彼らは鬼や河童など、この世界には存在しない住人が異界にはいると信じ、嘘か真か、それらが境界線を越えてやって来たという伝説が全国各地に残されている。
<異界の住人たちは実在したという説も>
・ちなみに、異界の住人は言い伝えだけでなく、実在していたのではないかという説もある。特に河童は、福岡県久留米市や佐賀県伊万里市、熊本県球磨郡など、九州地方を中心にミイラとされるものが数多く残されている。
<この世の勇敢な者に退治されるのが定番>
・ミイラが本物か偽物かはさておき、古くから人々が異界の住人たちのことを後世に伝えようとしていたことは間違いない。しかも、人々に悪さをする異界の住人に対して、ある勇敢な人間が退治するという展開が定番となっている。
<物語から読み解く異界の世界>
・昔話の定番である異界訪問譚。その中でも「浦島太郎」は、異界である竜宮城の様子が特に詳しく描かれている。
<「竜宮城」という異界を訪ねて時空を超えた浦島太郎>
<海中の異界「竜宮城」では四季をパノラマで鑑賞できる>
・おなじみ「浦島太郎」の物語だが、昔話によく見られる異界訪問譚のひとつといっていいだろう。特筆すべきは、異界=竜宮城が詳しく描写されていること。海中に立つ竜宮城は、四季をパノラマで楽しめる部屋もある美しい建物。ここに通された太郎は歓迎を受けるのだ。
浦島太郎物語の原型は記紀神話の山幸彦とされる。また、雄略天皇22年(478年)、丹波国の瑞江浦島子(みずのえうらしまこ)が海で亀を釣り上げ、乙女に変身した亀と結ばれて海中の蓬莱山(ほうらいさん)に行ったという記述が『日本書紀』にもある。
同型の物語は日本各地に伝わるが、海中の世界は蓬莱、竜宮など呼び名も様々だ。
<竜宮城の3年は地上の300年!>
・太郎は乙姫にもらった玉手箱を開けて、白髪の老人になってしまう。竜宮は現世とは時間の長さが異なる世界。竜宮での3年は地上の300年に相当する。民話における白髪の老人は神をほのめかす存在だ。太郎が神になったと解釈することもできよう。実際、御伽草子版では太郎は鶴に、乙姫は亀となり、蓬莱山で夫婦になるハッピーエンドとなっている。
<桃太郎も鬼と同じように異界の住人だった>
・桃太郎は異界からやって来た「まれびと」が、現世と異界を行き来しながら冒険をする物語だった。
<桃太郎が入っていた桃は強い霊力の象徴>
・桃から生まれた子どもがすくすくと成長。お供のサル・キジ・イヌを連れて鬼ヶ島に渡り、鬼の征伐に成功して宝物を手に帰ってくる。これが「桃太郎」の基本ストーリーである。
・異界からやって来た桃太郎が、人とは思えぬ異常な速さで成長し、仲間にした動物たちと鬼ヶ島という異界へと旅立っていく。そして見事、鬼退治を果たしたあとは再びこの世に戻ってくる。このようにして見ると、異界と現世を行き来する桃太郎の異質性がきわだってくる。
・異界から訪れる神、あるいは霊的存在を民俗学で「まれびと」という。桃には強い霊力があるとする考え方が中国にあり、日本神話でも、イザナギが黄泉の鬼女(黄泉醜女(よもつしこめ))を追いはらうときに桃を投げつけている。
<鬼とは正反対に位置する3匹の動物を家来に>
・ところで、なぜこの3種類(サル、キジ、イヌ)の動物なのかを考えるとき、ヒントとなるのが敵となる鬼の存在だ。鬼が牛の角を揃え寅柄のパンツをはいているのは、丑寅(北東)の方角を鬼門というのにちなむ。この丑寅の対極に位置するのが申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)なのだ。このように『桃太郎』の構成は陰陽五行説の十二支に基づいている。倒すべき相手が鬼とした場合、これほど心強い仲間もいないだろう。
<京の都をふるえあがらせた大江山の酒呑童子>
・最後は源頼光に滅ぼされた酒呑童子。もとは人だったとされる童子はなぜ異界の門を潜り鬼となったのか――。
<なぜ鬼なのに童子? 鬼は神に近い存在だった>
・一条天皇の時代、大江山を根城にする酒呑童子という恐ろしい鬼がいた。酒呑童子は多くの鬼を従え、都に現れては貴族の姫君たちをさらっていた。事を憂えた帝は、武将の源頼光に酒呑童子の退治を命じる。
・鬼の語源は「おぬ(陰)」で、姿を持たぬ者を指すという説がある。つまり霊的な存在だ。日本では鬼を妖怪として捉えず、神として祀ることも多い。畏敬の対象ともなる人智を超える存在。それが鬼なのかもしれない。
<もとは美少年だった?酒呑童子誕生の真相>
・酒呑童子は物語の中で、自分は越後の者で比叡山にいたが、最澄が延暦寺を開いたために大江山へ逃れてきたなどと身の上話を語る。
ところで童子は最初から鬼ではなく、もとは人間だったという話もある。
・一方、あまりに異形だったため山に捨てられたという説もある。地方には八岐大蛇が人間に生ませたと言う伝えもある。
<月の都からやって来たかぐや姫の神秘性>
・理想郷である月の都から地上にやって来たかぐや姫は、親しい者たちに別れを告げ、月の世界へと帰っていく。
<月=異界を際立たせる怪しくも神秘的な魅力>
・異界である月は、この物語で重要な位置を占めている。月見の風習が物語るように、日本人は月に畏敬の念を抱いている。
<理想郷に見える月が決して持ち得ないもの>
・『竹取物語』では、地上と月の都が対照的に描かれる。月の都は人の理想郷。不老不死の住民は、永遠の生を約束され憂鬱から解放されている。また、月は穢れのない美しい世界。
<空間と異界>
・日本には神社などの聖域を表す空間や、妖怪や幽霊が出没するといわれる怪異的な空間が多く存在している。
<山の脅威と恩恵が生み出した聖なる異界空間>
<山の神と山岳宗教を生み出した聖域 山>
<山には怪異や伝説が数多く存在する。なぜ山は神秘的な空間なのか、その成り立ちに迫る。>
<山の脅威と恩恵が生み出した聖なる異界空間>
・日本は、国土のおよそ4分の3を山地と丘陵地が占めている。標高500メートル以上の土地はその3分の1で、これを面積が近いドイツ、イギリスと比べると、圧倒的に多いことがわかる。つまり日本は「山の国」と言って差し支えないだろう。
<神霊が宿る山に超自然的な力を求め、山岳信仰を生み出した修験者たち>
・山には怪異や妖怪の伝説が多いのも特徴的だ。山に棲む妖怪として最も有名なのは天狗だろう。たとえば、山村で子供がいなくなる「神隠し」は、人々は天狗の仕業だと考えた。
<海の彼方は死後の世界 海>
<かつての人々は、海の向こう側に理想郷があると考えていた。>
<海の遥か彼方にある異界 ニライカナイ>
・神道では、世界を「常世(とこよ)」と「現世(うつしよ)」に分けて考える。そして「常世国」とは、海の彼方にある世界を指す。死後の国でもあるが、同時に理想郷とも考えられ、記紀神話や『万葉集』などには、現世の神や人が、常世国を訪れて帰ってくるエピソードが複数描かれている。竜宮城に行った浦島太郎の伝説もそのひとつだ。
・沖縄にはニライカナイと呼ばれる海の彼方の異世界についての信仰がある。神はニライカナイからやって来て、この世に豊穣をもたらし、また戻っていく。人は死とともにニライカナイへ渡るが、やがて生者の魂となって帰ってくる。
<時を超えて亡き魂と出会える 墓>
<ご先祖様を大切にする日本人は墓石で永遠の時をつなぐ文化を生み出した。>
<世代を超えてご先祖様の魂と触れ合う墓石の役割>
・日本では古代より遺体を埋葬する文化があり、人間は単なる動物ではなく魂と肉体で成り立つと考えられていた。この死生観から中世後期以降、1人の死者に石塔(魂)と埋葬地(肉体)の2つのお墓が建てられるようになり、民俗学ではこれを「両墓制」と呼ぶ。また、遺骨と石塔が同じ場所に埋葬されているものを「単墓制」という。他にも地域や時代ごとに墓の形状やしきたりは異なるが、庶民の死に墓が設けられるようになったのは江戸時代頃だったと言われる。
<降臨する神々の住処 神社>
<神が降臨する神聖な場所、神社。穢れを祓うための結界が多くある。>
<神の依代を祀る神社には神域を区別する結界が造られるようになった>
・神が降りてくる神聖な場所として、日本全国には十万を超える神社が存在している。
日本の神は、山や巨岩、樹木などの神霊が依りつく対象である依代に降臨すると、人々は非常に古くから信じていた。
・奈良の大神神社では三輪山全体をご神体とする。
<張り巡らされた結界で穢れや邪気を寄せ付けない>
・神社の周りには、木や石でできた低い柵があるが、これを玉垣という。「玉」は神聖なものや美しいものを意味し、神様が降臨する神聖な場所と俗界を分ける境界線の役割を持っている。
<俗界と異界を隔てる結界 門>
<神社にある鳥居や歴史ある門には、結界としての機能があった。>
<日常空間に魔が入り込む境界線としての門>
・異界と現世を隔てる門として、最も典型的なのが、「鳥居」である。鳥居は現在のような社殿が造られる以前から建立され、山や岩などをご神体とするところでは鳥居だけが建ち、神域と俗界の領域を分けていた。
<京の都を守る結界の門には鬼や妖怪が集まる>
・かつて京都に平安京があった時代、結界として設けられた門があった。都の外壁の正門に築かれた羅生門である。門は昼間だけ出入りでき、夕方に閉じられた。そこから鬼などの妖怪や魔物が侵入しないようにするためである。
<あの世への架け橋 橋>
<橋はあの世とこの世の行き来する特別な空間として畏れられていた>
<橋を渡った先に死後の世界が広がっている……?>
・橋の上はまさにあの世ともこの世ともつかない中途半端な場所である。幽霊や妖怪が現れる説話も多く、一部では鬼を退治する節分の豆まきを橋のたもとで行う地域があるそうだ。
<現世と未来が交差する場所 辻>
<道と道が交差する辻はあの世とこの世が交差する場所と考えられた>
<辻には魔物が棲みやすい>
・昔の人々は、交差する2本の道を、現世と来世の交わる場所ととらえており、そこには「辻神」と呼ばれる魔物や妖怪が棲むと考えていた。
<神と妖怪が存在する場所 水辺>
<生活の身近な存在である水辺には、河童や水神、伝説など様々な伝承が伝わる。>
・水辺にまつわる伝説や怪異は全国各地に存在しているが、特に有名な水辺にいる妖怪といえば河童であろう。呼び名の由来は諸説あるが、「河(かわ)」と「童(わっぱ)」が合成した「かわわっぱ」の転化と考えられている。
<北東から南西は鬼の通り道 方角>
<不吉な方角とされている鬼門、なぜ北東は忌み嫌われたのか由来を探る。>
<北東から南西の一本道は鬼が通る不吉な方角>
<諸説ある鬼門の起源説>
・鬼門は、中国の古書『山海経』の物語が由来となっているという説がある。ある山の頂上に桃の木があり、その枝の北東に多くの鬼が出入りしていたことから、鬼門という言葉が生まれた。これが日本に伝わり、当時あった丑寅(北東)の方角を不吉と恐れた陰陽道の思想と合わさり、北東=鬼門として定着していったとされる。
・北東が鬼門になった由来は諸説あるが、古代中国の暦が関係していると考えられている。中国には二十八宿という天体を28の星座に分けた天文学があり、そのひとつに「鬼宿」がある。鬼宿は12星座のうちの蟹座を指す。人々は中央に青白く雲のように見える星団(プレセベ星団)を、死体から立ち上る鬼火の死と重ね合わせて、鬼=死者の住処と考えたのだ。この考え方が陰陽五行説や仏教と結びつき、日本に鬼門という考え方が伝わったというのである。
<鬼門には魔除けを置き、家の間取りに鬼門除けが張り巡らされた>
・鬼門の反対の方角である「裏鬼門」は南西の方角で、鬼が抜け出る方角と考えられた。平安京から見てこの方角には伊勢神宮、賀茂社と並ぶ日本三社のひとつ「石清水八幡宮」がある。この社は裏鬼門を守る王城鎮護の神様として、延暦寺と共に朝廷から尊崇されていた。このように平安京は街全体で魔物を防ぐ結界が張り巡らされていたのだ。現代でも、鬼門や裏鬼門の方角を意識し、北東に玄関、キッチンやトイレ、お風呂などの水回りを避けた間取りにしたり、東北隅に家と土地を守護する屋敷神を祀る家やビルが多い。
<時刻 怪異が生まれる時間の境界線>
<夕暮れ時の薄暗い時間は、昼と夜が切り替わる魔の時間帯だった>
<妖怪や魔物が動き出す夕暮れ時の「逢魔(おうま)が時」>
<妖怪は「夜」の時間に現れる>
・空間だけでなく、時間の区切りにも古くから人々は意識した。季節、年月日、時刻にも境界が存在すると考えたのである。日本には様々な行事があるのはそのためだ。
<丑の刻は霊界の扉が開き魑魅魍魎が動き出す魔の時間>
・呪いの儀式として有名な「丑の刻参り」――。丑の刻とは午前1時から3時の間を指し、その時間帯に呪いたい相手の藁人形を神社の神木に五寸釘で打ち込んで呪う儀式だ。この丑の刻が不吉な時間帯とされたのは、陰陽道における十二支の鬼門が関係している。
・よく知られる「丑三つ時」は、丑の刻の3つ目という意味で、丑の刻が午前1時から3時とすれば、2時半ということになる。
<他界>
<人々の魂は、山や海のはるか彼方にある世界へ飛び立つ>
・誰かが亡くなったことを指して「他界した」という言葉があるように、人々は昔から死後の世界があると考えていた。また、この死生観は古今東西、世界中に様々な考え方が存在している。
・また、海に他界があると考えることを海上他界観と呼ぶ。人が死ぬと霊魂は海のはるか向こうにある世界に行ってしまい、1年のうちに決まった時期にこちらに帰ってくると考えたのだ。
<日本神話における黄泉の世界と仏教の輪廻転生、極楽浄土の世界>
・日本神話には、死者の住むところとして「黄泉」という世界が登場する。日本国と神々を生み出したイザナギとイザナミの夫婦の神が決別する話の中で描かれている。
・6世紀半ばに日本へ伝来した仏教は新たな死後の世界を伝える宗教であった。死後の世界には「六道」という天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの行先と(六道輪廻)、そのサイクルから外れた、極楽という世界へ行くと考えられた。
<複合的に絡み合った異界という世界観>
<異界を想起させる思想や宗教は中国の陰陽五行説が基礎となっている>
・寺や神社そのものは、妖怪や化け物といった異界の住人が立ち入らないように、結界の役目を果たしているという。
このような考え方は、仏教や神道だけでなく、陰陽道と呼ばれる教えにもある。陰陽道は、紀元前3000年以上前の中国の陰陽説と五行説が元になっている。
<穢れが生み出した性の結界 女>
<日本には「女人禁制」など、穢れから生まれた文化やしきたりがある。>
<不合理で蔑視的な女性観の広がり>
・女性による制限が生み出したしきたりが日本には多く存在する。代表的なものとして「女人禁制」がある。神事や仏事などの儀式から女性を排除するようになったのは、平安時代初期の仏教、山岳信仰、修験道などが始まりだと言われる。
<仏教による女性不浄観の拡がり>
・仏教の経典のひとつに、『血盆経(けつぼんきょう)』というものがある。ここでは女性は出産で大量の血が流れるため、その罪により死後「血の池地獄」に落ちると説かれている。この教えは中世から近世にかけ拡がり、社会通念となっていった。
・本来は、仏教の五戒のうちのひとつである。「不邪淫戒」を保つため、男性修行者に性的な欲求を起こせないための方法だったと思われるが、時を経るにつれて、極めて蔑視的で不合理な「穢れ」、「不浄」といった女性観が広まった。
・穢れは伝染するものと当時考えられた。これを「触穢(しょくえ)」という。「端午の節句」でも触れたが、この頃の田植え作業に関わる女性が家を離れ、特別な小屋で集団生活しながら身を清めたという慣習もその概念がもとになっている。
・また、穢れは伝染するものとして考えられていたため、忌み期間を定めたしきたりが存在した。月経中や出産前後の女性や、一定期間、月経小屋や産小屋などの別の場所に隔離され、様々な遠慮を強いられたのだ。
こうした小屋は西日本を中心とした地域に多く、三重県と和歌山県に近い吉野郡十津川村には、月経中の女性が過ごす「ヒマヤ」という小屋があり、明治末まで残っていたという。
<生命を生み出す出産は「産穢」として日常から切り離された>
・中世以降に始まり、庶民にも拡大した女性の出産と月経にともなう血の穢れという考え方は、現代になっても、習俗、しきたり、伝統といった形で存在している。
現在も女人禁制の場所は多く残っている。相撲の土俵は、神域という考えから女性が上がることができない。
・他にも、整理中に鳥居をくぐってはいけない、妊娠中は葬儀に参列してはいけない、出産前後は家族と別の小屋に住み、食事に使う調理道具も食器も別にするといったことが20世紀に入っても引き続き行われていた。伝統か、差別かは難しい問題である。
<現存する女人結界門「大峰山」>
・修験道の聖地である大峰山は、宗教上の理由で現代もなお「女人禁制」を行っている。
<女人禁制の孤島「沖ノ島」>
・福岡県にある沖ノ島は、世界文化遺産であり、島全体が神域となっている。
<現世に生きる神秘な生き物 動物>
<人々にとって身近な動物は神と人間をつなぐ畏怖の存在であった>
<動物は現世と神域をつなぐ聖なる生き物>
・「狐狸妖怪」という言葉があるように、特にキツネとタヌキは、山に住む怪しい動物であり、人を化かすことがあると古くから信じられていた。
・ただし、動物は人から怪しまれ、遠ざけられていただけではない。「神使」、「眷属」などとして、サル、シカ、オオカミ、ウマ、カラスなど、あらゆる生き物が信仰、崇拝対象となっている。
・特にキツネは京都の伏見稲荷大社を筆頭に、全国に3万以上もあると言われる稲荷神社に祀られている。
<動物と「異類婚姻譚」>
・動物にまつわる話で、やや怪奇じみているのが、「異類婚姻譚」である。代表的なのが、「鶴の恩返し」で、人と動物が婚姻、交際するという内容だ。他にも「浦島太郎」や「雪女」など、異界人との物語も同じジャンルとされる。
そのほとんどは、悲劇的な結末になっていて、現世から異界への深入りに対する警告と思われる。
<芸能と異界>
・能や相撲などの日本の伝統芸能には、神事をもとにしたしきたりや作法がある。人と神が繋がる場として、「異界」をどう創り上げたのか。
<能楽 神や精霊を演じる幽玄の世界>
<独特の世界観をもつ能楽の世界。能舞台には神聖な異界的空間が広がっている。>
・日本の伝統芸能で、ユネスコの無形文化財にも登録されている能楽は能と狂言の総称だ。このうち狂言は、世俗的な内容を持ったコメディとも言えるもの。一方の能は、神話や歴史を題材にした歌舞劇。大別すると現在能と夢幻能がある。
能では主役をシテ、脇役をワキという。現在能におけるシテは生きている人間を演じるが、夢幻能におけるシテは、神や鬼、精霊など異界の者を演じる。そして我々と同じこの世の住人であるワキが、異界の住人と出会って異界に足を踏み入れ、やがて戻ってくるというのがストーリーの基本となっている。
<異界そのものを表す能舞台の神秘的なつくり>
<「神様」が降臨する『翁』>
『翁』という最古の演目には、能の中で一番格式が高いものと言われている。物語が存在しないため「能にして能にあらず」と呼ばれているこの演目は神事に近く、演者は上演前に精進潔斎を行い、観客は上演中会場の出入りが禁じられるほど。
・舞台正面の奥の板に描かれた松の絵――鏡の松と言われるこの松は、神が降臨すると伝えられる春日大社の影向(ようごう)の松を模したものである。
能は、松を依代に降りてきた神や精霊に見せるため演じるのが建前である。
<能のお面>
・主役のシテは、能のお面を付けることで神様や鬼、幽霊といった異界の者に変身する。
<文楽 魂が宿る操り人形>
<人形がまるで生きているかのように動き出す人形芸を文楽や人形浄瑠璃という。>
<古来、依代・呪具として用いられた人形を人の代わりに“演者”として位置づけた芸能>
・能楽同様、2009年は、ユネスコの無形文化遺産に登録された文楽は、江戸時代に生まれた人形芝居で、日本の伝統芸能のひとつとして今に伝えられる。人形劇は世界中の多くの国々で独自の発展を見せているが、文楽が異色なのは対象を子どもとしない大人のための芸能としている点だろう。
<舞 神と人が繋がる呪術的な儀式>
<巫女の舞は、神を呼び寄せ、神と一体化するための儀式だった。>
<地を足で擦るように左右に旋回する舞 神楽では巫女が神懸かりの儀式として行う>
・神事として行われる神楽は、歌舞を伴う日本の伝統芸能のひとつ。これには宮中行事の御神楽と民間で行なわれる里神楽がある。
<雅楽 千年続く古代の音色>
<世界最古の合奏音楽とされる雅楽。その神秘的な音にさまざまな意味が込められている。>
<形をほとんど変えず現代まで受け継がれる宮廷音楽>
・古墳時代から飛鳥時代にかけて、大陸からアジアの音楽が、そして朝鮮半島からは楽人が楽器を手に海を渡ってやって来た。それら渡来の音楽が日本古来の音楽と融合し、7~8世紀に日本独自の芸能である雅楽の原型が作り上げられた。
<篳篥(ひちりき)・笙(しょう)・龍笛の3管が生み出す宇宙の調和>
・古代のシャーマンは、楽器とそれが奏でる音によって神と繋がった。そうした呪術的な資質を残すのが、現存する世界最古の合奏音楽とされる雅楽だ。
<茶道 境界で仕切られた聖域の空間>
<茶室にはおもてなしをする特別な空間として、様々な境界が貼りめぐらされている。>
<ハレとケ――日常と非日常を分けた茶道のしきたり>
・境界には神がいる。古来、日本人はそう考えてきた。たとえば家の出入り口、天井、竈、井戸、そして厠。境界は、日常生活のあちこちに見られる。こうしたこの世と異界をつなぐ境界は、神聖視され、同時に畏れられる場所でもあった。茶室も同様である。
当初、茶室は「囲い」といった。広間の隅を屏風で囲って、茶事のための特殊な空間を作ったのである。つまり境界を設定し、日常と非日常を切り分けたのだ。茶道がハレ(非日常)とケ(日常)を分ける境界の儀式だとしたら、そこにはルールが生じる。神の降りる場所であるがゆえに、世俗の塵を持ち込まぬための決まりが必要となる。
<畳の縁は外と内の境界線をあらわす>
・茶の湯の世界では、中国の古代思想である陰陽五行説に基づいた行事や道具もある。
<相撲 陰陽道で形作られた神聖な土俵>
<相撲の成り立ちは歴史が深く、神話時代に遡る。神事にまつわる作法やしきたりが多く存在する。>
<神様同士の力比べが相撲の起源となり、奈良時代に行事として行われた>
・奈良時代には、この野見宿禰(のみのすくね)の説話にちなみ、毎年の七夕祭りの行事として、天皇や貴族たちを前に相撲が開催されるようになった。これが平安時代になると、相撲節会として発展していく。このように宮中が相撲を受け入れた土壌には、すでに各地での農作物の収穫を占う儀式として相撲が盛んに行われていた事実があった。相撲は当時、五穀豊穣、天下泰平を祈念する神事だったのである。
<相撲の所作や土俵空間は神聖な習わしで形作られている>
力士たちの振る舞いは、神事であるがゆえに独特の作法に沿っている。
<伝統儀式の流鏑馬は魔除けの儀式だった>
<「インヨー(陰陽)」と叫んで矢を放つ流鏑馬は陰陽道に通じている>
・この流鏑馬は単なるスポーツや軍事訓練ではなく、天下泰平や国家安穏の祈りを込めて行われる儀式。馬上の騎手が弓を射る際に発する言葉は「インヨー(陰陽)」と、ここにも陰陽道の思想が取り入れられている。
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