夢幻能におけるシテは、神や鬼、精霊など異界の者を演じる。そして我々と同じこの世の住人であるワキが、異界の住人と出会って異界に足を踏み入れ、やがて戻ってくるというのがストーリーの基本。(11)
『遠野物語拾遺 retold』 柳田國男 × 京極夏彦 角川学芸出版 2014/6/10
(171)
この鍛冶屋の権蔵は川狩り巧者であった。夏になると本職の鍛冶仕事にはまるで身が入らなくなる。魚釣りに夢中になってしまうのである。
ある時。権蔵は山の方の川に岩魚釣りに行った。編籠に一杯釣ったので切り上げ、権蔵は村に向かって山路を戻って来た。
村の入り口を示す塚のある辺りまで来ると、草叢の中に小坊主が立っている。はて誰だろうと思って見ると、小坊主はするすると大きくなって、雲を突く程に背の高い入道になった。権蔵は腰を抜かして家に逃げ帰ったという。
(87)
綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には座敷童衆がいる。この座敷童衆は元お姫様である。これがいなくなったら家が貧乏になった。
(136)
遠野の豪家である村兵家の先祖は、貧しい人であった。ある時。その人が愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通り掛かると、藪の中から、「背負って行け、背負って行け」と、叫ぶ声がする。
いったい何があるのかと立ち寄って見てみると、仏像が一体あるのであった。その人は言われる通りそれを背負って持ち帰り、愛宕山の上に祀った。それからその人は富貴を手に入れ、家はめきめきと栄えて、後裔は豪家となったのである。
(88)
その遠野町の村兵の家には、御蔵ボッコというものがいた。籾殻などを散らしておくと、翌朝。そちこちに小さな児の足跡が残されているのを見ることが出来たという。後に、それはいなくなった。それから家運が少しずつ傾くようになったそうである。
(89)
砂子沢の沢田という家にも、御蔵ボッコがいたという。人の目に見えるものではなかったようだが、ある時姿を見ることがあった。赤塗りの手桶などを提げていたという。見えるようになったら、竈が左前になったそうである。
(90)
同じ綾織村の、字大久保にある沢某の家にも蔵ボッコがいた。時々、糸車を回す音などがしたという。
(91)
附馬牛村のいずれかの集落にある某の家のこととして伝わる話である。先代の当主の頃、その家に一人の六十六部がやって来て泊まった。
しかし、来たところは見ているが、出て行く姿を見た者がいない。
そういう噂である。それ以来その家が栄えたとかいう話は聞いていない。ただ、貧しかったということもないようである。
近頃になって、この家に幼い女児が顕れた。十になるかならぬかくらいの齢で、紅い振袖を着て、紅い扇子を持っていたという。女児は踊りを踊り乍らその家から出て来て、下窪という家に入った。
・これも噂である。しかしそれ以降、このニ家はケェッチャになったと村の者は謂う。ケェッチャとはあべこべ、裏表というような意味であるから、貧富の差が逆転したというような意味なのだろう。
その下窪の家に近所の娘が急な用で行った折、神棚の下に座敷童衆が蹲っているのを見て吃驚し、逃げ戻って来たという話もある。
そういう話があるのだから、下窪の家は裕福になったということなのだろう。
(93)
遠野一日市にある作平という家は裕福である。しかし、元々暮らし向きが豊かだった訳ではない。この家には栄え始めた契機があると謂う。
ある時、土蔵に仕舞ってあった大釜が突然鳴り出した。家の者は勿論、近所の者も皆驚いて見に行ったそうである。音は止むどころか段々に強くなり、小一時間も鳴り続けたと謂う。
その日から家運が上昇した。作平の家では山名という面工を頼み、釜が鳴っているところの絵を描いて貰い、これを釜鳴神と称して祀ることにしたそうである。今から二十年くらい前のことである。
(94)
土淵村山口にある内川口某という家は、今から十年程前に瓦解した。家屋も一時空き家になっていた。寄り付く者もいないから、当然人気も全くない。しかし誰も住んでいない筈のその家の奥座敷に、夜になると幽かな火が燈る。そして、誰の声かはわからないが、低い声で経を誦むのが聞こえる。往来のすぐ近くの家であったので、耳にする者も多かった。近所の若い者などが聞き付け、またかと思って立ち寄ってみると、読経も止み、燈火も消えている。同じようなことは栃内和野の菊池家でも起こった。
菊池家も絶え、その後に空き家から経が聞こえたりしたそうである。
(92)
遠野新町にある大久保某の家の二階の床の間の前で、夜な夜な女が現れ髪を梳いているという評判が立った。
近所の両川某という人がそれを疑い、そんなことがあるものかと言って大久保家に乗り込み、夜を待った。
夜になると、噂通りに見知らぬ女が髪を梳いている。女はじろりと両川氏を見た。その顔が何とも言えず物凄かったのだと両川氏は語った。
明治になってからの話である。
(162)
佐々木喜善君の友人に田尻正一郎という人がいる。その田尻氏が、7,8歳くらいの頃。村の薬師神社の夜籠りの日だったそうである。
夜遅くに田尻少年は父親と一緒に畑中の細い道を通り、家路を急いでいた。すると、向こうから一人の男が歩いて来るのに出会した。シゲ草がすっかり取れていて、骨ばかりになった向笠を被った男であった。
一本道である。擦れ違うために田尻少年は足を止め、道を開けようとした。すると男は、少年が道を避けるより先に畑の中に片脚を踏み入れ、体を斜めにして道を譲ってくれた。
通り過ぎてから田尻少年は父に、今の人は誰だろうと尋いた。父は妙な顔をして誰も通った者はないと答えた。そして、「俺はお前が急に立ち止まるから、どうしたのかと思っていたところだが」と言ったという。
(163)
先年、土淵村の村内で葬式があった。その夜。権蔵という男が、村の者4,5人と連れ立って歩いていた。不幸のあった家まで念仏を唱えに行く途中のことである。突然、権蔵があっと叫んで道端を流れていた小川を飛び越えた。他の者は驚いて、いったいどうしたんだと尋ねた。
権蔵は、「今、俺は黒いものに突き飛ばされたんだ。俺を突き飛ばしたアレは、いったい誰なんだ」と答えた。他の者の眼には何も見えていなかったのである。
(137)
つい、近頃の話だと謂う。ある夜。遠野町の某という男が、寺ばかりが連なっている町を歩いていた。墓地を通り抜けようとすると、向こうから不思議な女が歩いて来るのに出逢った。男が何故不思議と感じたのかはわからない。しかし近付いて能く見ると、それはつい先日死んだ、同じ町の者であった。
・男は驚いて立ち止まった。死んだ女はつかつかと男に近づき、「これを持って行け」と言って汚い小袋を一つ、男に手渡した。恐る恐る受け取って見ると、何か小重たいものである。しかし、怖さは増すばかりであったから、男は袋を持ったまま一目散に家に逃げ帰った。
家に戻り、人心地付いてから袋を開けてみると、中には銀貨銅貨取り混ぜた多量の銭が入っていた。その金は幾ら使っても減らない。
貧乏人だった男が急に裕福になったのはそのお蔭だと噂されている。
これは、俗に幽霊金と謂い、昔からままあるものである。
一文でもいいから袋の中に銭を残しておくと、一夜のうちに元通りいっぱいになっているのである。
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』
(佐々木喜善) (宝文館出版) 1988/4
<奥州のザシキワラシの話>
<子供の時の記憶>
・ 私達は、幼少の時分、よく祖父母から炉辺話に、ザシキワラシの事を聞かせられたものである。そのザシキワラシとはどんなものかと言えば、赤顔垂髪(さげがみ)の、およそ5、6歳の子供で、土地の豪家や由緒のある旧家の奥座敷などに出るものだということであった。そのものがおるうちは家の富貴繁昌が続き、もしおらなくなると家運の傾く前兆だとも言われていたという。私達は、初めはその話を只の恐怖を持って聞いていたものであるけれども、齢がやや長けてくると、一般にこの種のものに対していだくような、いわゆる妖怪変化という心持ではなく、何かしらそのものの本来が私達の一生の運不運と関係があるので、畏敬の念さえ払うようになったのである。世間でもまたこの通りとか、何処の何某の家にそのものがおるといえば、他では羨望に表した、多少の畏服を感じ、また本元でも吉端として、ひそかに保護待遇に意を用い、決して他の妖異におけるがごとく、駆除の祈祷や退散の禁呪などは求めぬのである。
『日本人が知らない本当の道教』
三多道長 講談社インターナショナル 2009/7/27
<依頼心を捨てれば「御陰様」の力が発動される>
・こうした依頼心の強い人達は、残念ながら神様の助けを得ることはできないでしょう。不幸を避けるには、まず自分の力で予防することが大切です。
・道教的な生き方の基本は個人にあります。まず自分がどう生き残るか。これが一番大事なことです。次に大事なのが自分がどう幸せになるかです。まずは自分が凶を避け幸せになってこそ、自分の家族や周りの人達を幸せにできるからです。
実際に凶を避けて幸せになる。そのプロセスを体得することが何よりも重要なことです。そうすることによって「人縁美麗」という、いい意識で、いい感情で人と接し、相手のいい縁と連鎖反応を起こすことができます。
<天運をつかむ吉凶禍福の原理>
<あらゆるものに正邪がある><危険の多い神霊の世界>
・神霊の世界に近づいていくこと自体は、古来の日本を考えればごくごく自然な回帰のように思えます。しかし、一方では神霊の世界は、いいものもいれば悪いものも混在する玉石混交の世界ともいえます。
道士や霊媒師の中にも、陰の神や陰の霊といった邪霊と取引をしたり、供養することで見返りを受けたりする者もいるほどです。
ですから神霊の世界に近づくことは、「御影様」といった吉の効果を期待するだけではなく、実は大変な危険を伴うものであるということを自覚していかなければならないと思います。
<道教のダークサイド>
・陰の神や陰の霊は神としての官職を持たず、無縁霊ですからきちんとした供養も受けられないため、空腹でお金もありません。
・神ではない彼らは天界の法律の制限を受けないため、供養すれば喜んでどのような願いにも必ず応じてくれます。
<道教の神、日本の神><霊界への贈り物>
・道教の神と日本の神との大きな違いは、道教にはもともと人間だった神様が多いことかもしれません。神も霊も物質でない気体でできた存在であり、その中で官職を与えられた霊が神になります。
実は道教では鬼は霊の総称で、神の位をもっていない霊はすべて「鬼」です。先祖霊も鬼なのです。日本では鬼は邪を代表するもの、悪い存在とされていますが、道教では鬼は官職のない霊全般を指します。
<鬼とつきあう秘術><降霊を使いこなす方術「養鬼」>
・道教の秘術には、役鬼法、養鬼法などと呼ばれる鬼つまり霊を操る技術が存在します。道教の使い魔「式神」を使った危険な邪法です。
・「養鬼」とは、霊を自らの支配下に置いて、さまざまな目的達成の助けとすることを言います。
・したがって、養鬼法では原則的に子供の霊を使役し「養小鬼」と呼ばれる除霊使役術を使います。私達道士は「養小鬼」では聞こえがよろしくないので善財童子とか招財童子と呼んでいます。
<神とつながるために><道士の修行>
・道士の行う霊的修行のひとつに「走霊山」というものがあります。これは神様を自分自身に降ろし、神を体に乗り移らせて印や法を教えていただくなど、神とコンタクトして行う修行法です。
<陽の人の特徴>
・陽の人の特徴は、同じように仕事をする際でも、利己的欲望より「素晴らしい仕事をして社会の役に立ちたい」「人に喜んでもらいたい」など、「他」の繁栄、周囲の人や物事がよくなることを考えて取り組みます。
<女鬼の棲む家>
・家神は家を護り、繁栄をもたらしてくれる神様として知られています。ある時など、ご機嫌な様子で屋敷内を歩いているところをこの家の娘さんに目撃され、さらに娘さんと目まで合ってしまい、大層ビックリした様子で慌てて物蔭に隠れたそうです。どうやら自分が人間に姿を見られているとは思いもしなかったのでしょう。
・道教における家神は、子どものように背が低いとされ、祭祀に用いる机も卓袱台(ちゃぶだい)ほどの高さです。そこに香炉、三杯の酒、骨付きの鶏肉、豚肉(トンカツやトンテキなど)、焼き魚、ご飯、汁物などを供え、お箸もつけて祭祀するのが一般的ですが、同じように小柄であるということから、日本の座敷童子は道教の家神と同じと言えるかもしれません。
家神は陰の神様に属し、お祀りする時間の陰の時間である午後3時から5時の間に行われます。また引越しの際には必ず家神の祭祀を行います。
・一家が家神を目撃するようになったのも、引っ越しの祭祀が終わった後でした。もしかしたら引っ越しのご挨拶に喜んで家人を護るために出てきてくれたのかもしれません。このご家族は除鬼のいる家から、吉をもたらしてくれる吉宅に移りすることができたのです。
<あらゆる災いから無縁の人生へ><人は天地の縮図である>
<心身が「静」になり、五感を超えた感覚が目覚める>
・肉体と霊(この場合は自分の霊)は陽と陰、表と裏です。肉体が休めば霊が目覚めます。心と身が「静」の状態になると、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感を超えた感覚が目覚めてきます。
道教では、この感じる感覚「感」を大変大切にしています。
「感」が目覚めてくれば、いい人、いいこと、いいものと、反対にそうでない人、こと、ものが感じられるようになってきます。
・日常においても、心身を少し「静」にしてみると、事の吉凶や、他人の持つ気がよい気か邪気かの違いがわかるようになり、自分にとって小人か貴人かの区別もついてきます。
・私達はこの感覚をリセットするために、日々5分であっても打座を欠かしません。静かな場で良質の香を焚き、目をつむって体の機能を鎮めます。
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』
(佐々木喜善)(宝文館出版) 1988/4
<奥州のザシキワラシの話><子供の時の記憶>
・私達は、幼少の時分、よく祖父母から炉辺話に、ザシキワラシの事を聞かせられたものである。そのザシキワラシとはどんなものかと言えば、赤顔垂髪(さげがみ)の、およそ5、6歳の子供で、土地の豪家や由緒のある旧家の奥座敷などに出るものだということであった。そのものがおるうちは家の富貴繁昌が続き、もしおらなくなると家運の傾く前兆だとも言われていたという。
・私達は、初めはその話を只の恐怖を持って聞いていたものであるけれども、齢がやや長けてくると、一般にこの種のものに対していだくような、いわゆる妖怪変化という心持ではなく、何かしらそのものの本来が私達の一生の運不運と関係があるので、畏敬の念さえ払うようになったのである。世間でもまたこの通りとか、何処の何某の家にそのものがおるといえば、他では羨望に表した、多少の畏服を感じ、また本元でも吉端として、ひそかに保護待遇に意を用い、決して他の妖異におけるがごとく、駆除の祈祷や退散の禁呪などは求めぬのである。
・またインターネット情報による『遠野物語』によると、
第17段(遠野物語)
旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは12〜13ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊(いひで)の今淵勘十郎といふ人の家にては、近き頃高等女学校にゐる娘の休暇にて帰りてありしが、ある日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢ひ大いに驚きしことあり。これはまさしく男の児なりき。
同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物をしてをりしに、次の間にて紙のがさがさといふ音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思ひて板戸を開き見るに何の影もなし。暫時(しばらく)の間坐(すわ)りてをればやがてまたしきりに鼻を鳴らす音あり。
さては座敷ワラシなりけりと思へり。この家にも座敷ワラシ住めりといふこと、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり。
●第18段(遠野物語)
ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門といふ家には、童女の神2人いませりといふことを久しく言い伝へたりしが、ある年同じ村の何某といふ男、町より帰るとて留場(とめば)の橋のほとりにて見馴(みな)れざる2人のよき娘に逢へり。
物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処(ところ)からきたと答ふ。これからどこへ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮らせる豪農なり。
さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、この家の主従20幾人、茸(きのこ)の毒にあたりて1日のうちに死に絶え、7歳の女の子1人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近き頃病みて失せたり。
『オーブは希望のメッセージを伝える』
愛と癒しの使命をもつもの
クラウス・ハイネマン / グンディ・ハイネマン
ダイヤモンド社 2011/7/29
<ハイネマン夫妻はアメリカや南米やヨーロッパなど世界中を旅してオーブ写真を撮ってきた>
・彼らは、オーブとそのヒ―リングの意図について非常に多くの証拠を提供してきました。
<オーブ現象は私達が、スピリチュアルな次元へ移りつつあることを示している>
<オーブ 謎の超知性体>
・オーブは、スピリットそのものではなく、スピリットからの放射であると思われます。
・技術の進歩により、オーブがデジタル写真に現れるには、ごくわずかな物理的なエネルギーしか必要でない。
・オーブは写真に現れてほしいという要求に答えます。たとえ、その存在に気づいてもらえないだろうと予想しても、写真に写ることを厭いません。
・デジタル写真の中で人に見えるように放射を行うスピリットが知性や意識をもつとするならば、彼らは何の理由もなく写真に現れることはないと考えるのが妥当でしょう。
・ここで使う「スピリット」という言葉は、知性と意識をもつ異次元の生命体を簡略化したものです。
・本書は、ハイネマン博士夫妻によって「オーブはどのようなメッセージを伝えようとしているのか」をテーマに書かれたオーブの入門書である。
『河童の文化誌』 平成編
和田寛 岩田書院 2012/2
<河童の同類とされている座敷童子(ざしきわらし)>
・ザシキワラシ(座敷童子)については柳田國男の『遠野物語』によって知られていたところである。
<アメリカのニューメキシコ州の異星人の死体>
・回収された異星人の姿は人間によく似ているが、明らかに地球人ではない。身長1.4メートル、体重18キロ前後、人間の子供のようだが、頭部が非常に大きい。手足は細長く、全体的に華奢。指は4本で親指がなく、水掻きを持っている。目は大きく、少しつり上がっている。耳はあるが、耳たぶがなく、口と鼻は小さくて、ほとんど目立たない。皮膚の色がグレイ(灰色)であるところから、UFO研究家は、この異星人を「グレイ」と呼ぶ。
・異星人グレイと河童を並べてみると、素人目にも、そこには多くの共通点を見出すことができるだろう。
まず、その身長、どちらも1メートル前後、人間のような格好をしているが、頭部だけがアンバランスなほど大きい。
大きな目に、耳たぶのない耳、そして、小さな鼻穴と、オリジナルの河童の顔は、そのままグレイの顔である。
最も注目したいのは、その手である。
先述したようにグレイは河童と同じ鋭い爪、水掻きがある。おまけに指の数が、どちらも4本なのだ!。
また、グレイの皮膚の色は、一般にグレイだが、ときには緑色をしているという報告もある。
河童の色は、やはり緑が主体。ただ両生類ゆえに皮膚はアマガエルのように保護色に変化することは十分考えられる。
・これらが、意味することは、ひとつ。アメリカ軍は、組織的にUFO事件を演出している。
捕獲した河童を異星人として演出しているのだ。
『怪談四代記』 人霊のいたずら
小泉凡 講談社 2014/7/24
<異界への想像力――アイルランドの不思議な出会い>
<バンシー>
・スライゴは別名イェイツ・カントリーともいわれ、妖精譚を採集し再話したノーベル文学賞詩人のウィリアム・バトラー・イェイツがとりわけ心の故郷と感じた場所だ。イェイツはこの地でおもにパディ・フリンという老人から採話した妖精譚を『ケルトの薄明』(The Celtic Twilight)として上梓した。その中には、神隠しにあったという人の話や家付きの妖精の話などさまざまな妖精譚が収録されている。たとえばこんな話だ。
・大体どこの谷間や山の辺でも、住民の中から誰かがさらわれている。ハート・レークから2、3マイル離れたところに、若い頃さらわれたことがあるという老婆が住んでいた。彼女はどうしたわけか、7年後にまた家に戻されたのであるが、その時には足の指がなくなっていた。踊り続けて、足の爪先がなくなってしまったのである。
(井村君江訳『ケルトの薄明』ちくま文庫)
・この話を読むと、多くの読者の方は柳田國男の『遠野物語』第8話を思い出すだろう。
黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。
松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてあるし処へ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば、人々に逢いたかりしゆえ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば、遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、今日はサムトの婆が帰って来そうな日なりという。
(柳田国男『新版 遠野物語 付 遠野物語拾遺』角川ソフィア文庫)
・「サムトの婆」は、梨の木の下で神隠しに逢った娘が、30年あまりたって束の間戻ってきて、また異界に帰って行くという話だ。さらに『遠野物語拾遺』の135話には青笹村中沢の新蔵という家の先祖に美しい娘があり、神隠しにあって六角牛山の主のところへ嫁に行ったが家が恋しくなって束の間戻ってきたという話もみえる。
・ここでアイルランドと日本の神隠し譚に共通するのは、連れ去られるのは女性であるという点と、何年かして一度は戻ってくるという点、さらにこういったふしぎな出来事は、町中ではなく異界に近い村はずれや山麓などで起こりやすいという点だ。時間帯は概して日没や夜明け前の薄明の頃。The Celtic Twilightという書名も当然、妖精出没の時間帯を意識しての命名だったと思われる。また、行方不明者が出た場合に、失踪事件ではなく神隠しとしてとらえ、異界の力の関与を認め、異界への畏怖の念を物語として伝えていくという点も両者に共通する精神性だ。
・しかし違いもある。柳田國男は「天狗の話」(『妖怪談義』)の中で「フェアリーの快活で悪戯好でしかも又人懐こいような気風はたしかにセルチック(ケルト的)である。フェアリーは世界のお化け中まさに一異色である。これに比べると天狗はやや憂鬱である。前者が海洋的であれば、これは山地的である」と、日本とアイルランドの神隠しの容疑者のイメージの差異を述懐している。
・アイルランドには家付き妖精の話も多い。イェイツは「家につく幽霊は、普通は無害で人に好意的なものである。人はその幽霊に、出来るだけ長くとどまってもらおうとする。こうした幽霊は、自分の居る家の人々に、幸運をもたらす」と言っている。また柳田國男やハーンが親しんだトマス・カイトリー『フェアリー神話学』(The Fairy Mythology,1850)にもアイルランド南部コーク州の紳士の家に住みついたクリルコーンという家付きの妖精の話が載っている。クリルコーンは家事を手伝うが時に待遇が下がると仕返しをした。煩わしくなった家族は引っ越しを決意するが、自分も連れて行けと妖精に駄々を捏ねられ、引っ越しを断念し、妖精は主人の死後もその家に住み続けたという話だ。
・柳田國男はイェイツの『ケルトの薄明』などを読んで、アイルランドのこんな家付き妖精の存在を知り、柳田に原「遠野物語」を語った話者佐々木喜善に興奮して「愛蘭(アイルランド)のフェアリーズにはザシキワラシに似たるものもあり」と手紙を認めたほどだった。ケルト世界では家に住んで仕事を手伝う妖精は一般にブラウニーという名で知られている。アイルランドではプーカと呼ばれる。見られるのを嫌がるので夜の間に仕事を手伝い、少しの食物を与えたりすると、それを自慢しに妖精の国に帰ってしまうと言われている。
ケルトと日本の超自然的存在には共通する神性がある。ハーンも柳田もそれに気づいていた。
・余りの寒さで、海岸の近くにあった小さな店に飛び込んだ。日用品のほかにポストカードなど観光客向けのお土産も扱っている小さなよろず屋だった。店の奥に手作りのセント・ブリッジド・クロスが置いてあったので思わず手にとって眺めてしまった。
これは、インボルグと呼ばれるケルト民族の節分行事の際に、悪霊退散、無病息災を念じて麦わらやイグサでつくる魔除けだ。日本の各地でも節分のころにヒイラギの枝に鰯の頭を刺して門口に飾る習慣があるが、それと心意は同じものだ。地域によって形状が違うが、スライゴのものは4枚の麦わらでつくった羽根を組み合わせて十字形に仕上げている。お土産用として小奇麗に加工されたものはダブリンでも見たことがあったが、こんな素朴な手作りのものははじめて見たのでやや興奮気味だった。インボルグは2月1日に行われ、現在でもアイルランドの小学校では子どもたちがこの魔除けの作り方を習っているという。カトリックの国でありながらこんな根強く民衆の間に浸透した民間信仰があるのが、アイルランドの文化を奥行き深く多彩にしている。
・地元のお客と会話を楽しんでいた店員の老婆が、3人の中で私をめがけて近づいてきた。セント・ブリッジ・クロスに興奮していたのできっと説明してくれるのだと思って微笑みながら挨拶を交わした。ところが、こう切り出された。
「あなた、妖精好きでしょう?」
何で、3人の中で自分を選んでそんなことを訊くのだろうか。
「はい、興味があります」と正直に答える。
「聞いて欲しい話があるのよ。私は48歳の時に夫に先立たれたの。夫が亡くなる前の晩、バンシーが枕元にやってきて目を赤くはらして泣いたのよ」
・バンシーとは、アイルランドの裕福で家格のある旧家に住み着くといわれる妖精だ。「シー」はアイルランド語で「妖精」、「バン」は「女性」をあらわすので、まさに「女の妖精」。裕福な家に住みつくという点では座敷わらしとも似ているが、家族の死を予兆する妖精として知られ、その不気味さは“座敷わらし”のイメージとは異なっている。老婆はその姿を詳しく語ってはくれなかった。
・しかし一般にバンシーとは天寿をまっとうできず亡くなったその家の女の霊で、青白い顔で流れるような長い髪をもち、常に泣いている目は火のように赤い。緑の服の上に灰色のマントを着ているといわれる。バンシーの話を人にすることはある意味では自分の家筋への誇りを語ることになるのかもしれない。
「私はその場面を今もはっきり思い出すことができるの。その後まもなく私の夫は死んでしまったの。バンシーが告げた通りになったわ。だから私はバンシーの存在を信じているの」
<ハッピー・ゴースト>
・「娘のキアラは今、中学生になったけど、この子は小さい頃いつも暖炉のまわりで家族以外のものと会話を楽しんでいたんだ」
「家族以外の?」
「そう、もちろんそれはゴーストだよ。一人っ子のキアラはいつも暖炉のそばで老婆と遊んでいたんだ。老婆といっても上品なきちっとした身なりをしていたらしいよ。キアラが学校に行くときは彼女が門まで見送りに来て、キアラも彼女に手を振るんだ。きっとこの城の住人だったんだろう。でも、安心して!祟りをするようなゴーストはこの家にはいないよ。むしろハッピー・ゴーストだよ。ガーディアン・エンジェル(守護天使)といってもいいかもしれないな」
・その数日後、日本へ帰国し、撮影した写真のデータを妻がパソコンに取り込んだ。もちろん、ショーンの家でもずいぶん写真を撮っていた。一枚ずつ、クリックしてみると、何枚かにどうも気になる共通点が感じられた。それは、ショーンの家の暖炉の前で撮った写真だけにみられたのだ。白っぽいぼやっとした球状のものが写っている。まあ、光線の加減でこんなオーブが写ることも珍しくないことと自分で納得するしかなかった。
数日後、パソコンを開いて、少しだけドキドキしながらその写真を開いてみる。するとどうだろう。玉が移動している。直感的に思った。でもそんな馬鹿なことはあり得ない。記憶が曖昧なだけだ。自分にそう言い聞かせた。
・そして1週間後、今度はかなりドキドキしながら例の写真を開いてみる。するとどうしたことか、明らかに玉が場所を変え、サイズも大きくなっている。おまけに増殖し光度を増しているではないか。もう我慢できない。
ショーンが来日した時、妻が実際の写真を見せながらショーンに「オーブが動くよ!」と説明した。
「そんなことはよくあるさ。ハッピー・ゴーストだよ。からかって遊んでるだけさ!心配しなくていい。俺が連れて帰るからもう動かなくなるよ」
・アイルランドの田舎に暮らしていると、異界と現世は今も日ごろから交渉を続けているようだ。そんな豊かな心が羨ましいと思った。ハーンもダブリンの家で過ごした少年時代、「夜となく昼となくそれを見たという理由で、その当時、私は幽霊とお化けを信じていた」と自叙伝「私の守護天使」に回想していたことを思い出す。
ショーンの言葉通り、その後、オーブは決して動かなくなった。
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