実際に日本はダントツで外国人が働きたくない国であり、男女平等世界ランキングも下位に沈み、いま手を打たねば先進国から転げ落ちる。(1)

(2022/4/5)

『体育会系 日本を蝕む病』

サンドラ・ヘフェリン  光文社   2020/2/18

<日本がクールであるために、海外の視点からいま伝えたいこと>

・「日本人の根性論なんて昔の話」は大間違い! パワハラ、体罰、過労自殺、サービス残業、組体操事故など至る所で時代錯誤な現象が後を絶たない。全ての元凶は、絶対的な上下関係に基づく不合理な「体育会系の精神」だと、来日22年・日独ハーフのサンドラは見る。そのメンタリティは学校教育を通じて養われ、再生産され、この国の文化を形作る。実際に日本はダントツで外国人が働きたくない国であり、男女平等世界ランキングも下位に沈み、いま手を打たねば先進国から転げ落ちる。

<なぜ今、「体育会系」が問題なのか>

・パワハラ、セクハラ、イジメ、過重労働………職場や学校、バイト、スポーツ界など日本のあらゆる組織で頻発する問題は、「ブラック」という言葉で表されます。

・その危険性が指摘されているのに、相も変わらず運動会ではピラミッドが行われるのはなぜか。ブラック労働にも当てはまることですが、健康や命のリスクを伴い、合理的に考えると全く理解不能なことが、ニッポンの学校や会社ではごく普通に行われ、「日常化」してしまっています。なぜこうした事態が長年にわたって放置され続けるのか。

 私はその原因を「体育会系思考」と名付けます。それは戦後ずっと、日本列島に蔓延し続けているのです。

 体育会系の考え方の基本は「やればできる」というもの。

・ニッポン型の「やればできる」は生ぬるいものではありません。もうとにかく外的な要素、寒いだとか眠たいだとか、周りの人が意地悪だとか、そういった状況を完全に無視して「本人にやる気さえあれば、どんな状況でも人は目標を成し遂げられるはず」といった、なんだか先の大戦を思い出させるような思考が今なお堂々とまかり通っているのです。

・私のようにドイツで育った人から見ると、日本社会は今でも体育会系的な要素は濃厚なのです。

 確かに近年の日本では、昭和の時代に見られた「頭にハチマキを巻いて頑張る」というような「分かりやすい体育会系」は少なくなっています。

・この本を読んでいるあなたが女性ならば、とくに注意が必要です。日本社会では、女性であるだけで、気づけば周りから様々な「頑張り」が求められるからです。自分はそんなつもりがなくても、家族から、職場の同僚から、そして政府から「フルタイムで働きながら、子どもを何人も産み、家事と育児も完璧にこなし、老親の介護もして、いつも笑顔でいること」を求められていたりします。当然ながら、そんな要求を真に受けていては、女性は疲弊してしまいます。

・日本で母親が「ワンオペ育児」になりやすいのは、夫が仕事で忙しいという構造上の問題も大きいのですが、それ以上に世間で「女性は育児ぐらい一人でできるはず」という女性に対する根性論が横行していることが原因です。

・本書には、人生の様々な節目で、あなたが周囲に広がる理不尽な根性論に押しつぶされないための、コツやヒントを盛り込みました。

<学校は「ブラック」の始まり>

<幼稚園選びから始めよ>

・人生最初の「見極め」は幼稚園から。とはいえ、幼稚園に入る子は3~4歳児ですから、本人ではなく親が判断しなければなりません。

 まず、本人から見て「園児がみんなピシッとしていて素晴らしい」と思うような幼稚園は避けたほうが良いでしょう。

 この年代の子どもは「好きな時に好きなことをしゃべる」のが普通です。それが一切無駄口をたたかず、全員が列にサッと並んだり、子どもの声がやけに「とおる大きな声」だったり、そんな声で一斉に挨拶をしていたりしたら、危険信号です。

<組体操があるか事前に確認>

・次に小学校を見てみましょう。私立の場合は、多くの親が受験前に学校の教育理念や様々な情報を得ています。その際に、学校の主張を自分なりに解釈してみて、「その裏側にあるもの」を分析するといいかもしれません。

<感動ポルノ>

・少し前に「感動ポルノ」という言葉がありました。「24時間テレビ」関連でよく出てきた言葉ですが、健常者が障害者に課題を強いる形で、「一生懸命になって頑張る姿を見てみんなで涙を流す」というような場面を見ると、自分も感動しながら、確かに「感動したで終わらせるべき話ではないかもしれない」と思うことがあります。そうした「感動」は必ず時間の経過とともに私の中で後味の悪いものとなります。

<「子どもがやりたがっている」はウソ>

・ともかく、日本におけるピラミッドは一筋縄ではいかない問題です。大人たちは責任逃れのように「子どもがやりたいと言っていた」と言います。

<親は子を守るための心の準備を>

・ピラミッドを語る上で避けて通れない問題。それは「同調圧力」です。校長なり担任の先生なり子どもから見て目上の人が、「みんなでピラミッドを頑張ろう!」と言えば、それは既に決定事項であり、子どもたちに反対するという選択肢はありません。

<「小学校便り」にビックリ>

・とはいえピラミッドや組体操に関しては、メディアなどでもたびたび話題になり問題視されていますので、近年は学校側が大々的なアピールはしていないことも多く、運動会が近づくと「どこそこの学校は組体操をやるらしい」ということを子どもの安全を心配した保護者たちがツイッターなどのSNSに投稿するケースが見られます。

<今の世でも「連帯責任」>

・まさにこのような現場が、「危険だと分かっていながら何も言い出せない大人」を作り出しているのです。何かヤバいことになりそうでも、「とりあえず我慢して声を上げない」ことが習慣化されてしまうのです。また「組織に迷惑をかけること」を過剰に問題視する姿勢が、日本で「産休や育児休暇をとる女性」や「時短で働く女性」に対して風当たりが強いことにつながっているのではないでしょうか。悲しいことにニッポンには、「産休は仕方ないけど、でもあなたは組織に迷惑をかけているよね?」という本音を持つ人は多いのです。

 日本の小学校には、組体操以外にも連帯責任を植えつける教育がなされることがあります。

<「皆勤賞」という欺瞞>

・子どもの「個」を無視しているものに「皆勤賞」があります。「毎日元気に学校に通うのはいいこと」を前提にしたものですが、現代の価値観に合わなくなってきていることは否めません。

・ただ「皆勤賞」に見られる「どんな時でも休まないのは偉い」といった価値観は、最近日本でも問題にされ始め、「皆勤賞」を取りやめる小学校も増えているというのはちょっといいニュースかもしれません。

<中学からは軍隊の要素が>

・今まで小学校で気を付けたい体育会系的な懸念事案としてピラミッドや組体操を例に書いてきましたが、生徒を校則などで縛りつけ服従させるという点においては小学校よりも中学校のほうが深刻です。

 中学校でやらされることの多くは軍隊的なイメージを伴っています。思春期になり自我が芽生え始めている子たちを、「上からむりやり管理してしまえ」という意図が透けて見えます。

・ニッポンで定期的に生活保護受給者バッシングが起こるのは、「自分が頑張っていれば貧困なんかに陥らないはず」という精神論の支持者が多いということです。しかし日本の現実は7人に1人の子どもが貧困だということです。

<サンドラが見たヘンな職場>

<声が大音量の就活生>

・怒鳴り声の主は女性面接官で、「自己紹介はもっと大きな声でお願いします‼ 」とキンキン耳に響いてきました。それに答える学生の自己紹介の声も負けず劣らず大きいこと。「一体何の発声練習なのかしら、もしかするとオペラ?」と思ってしまうほどの音量でした。

<「営業成績掲示」の衝撃>

・それにしても、ニッポンの営業の現場ではよく見かけますが、「営業成績を貼り出す」のも欧米人にとっては衝撃的です。

<美人が多い会社に気をつけろ>

・会社のトップの男性が、「社内の女性はみんな美人できれいであるべき」という方針の場合もあります。そのため、美容系の会社でもないのにやたらと若い美人が多く、全員が身なりもキラキラしている場合、「上がワンマン」な会社である可能性が高いと言えるでしょう。

<「怪しいワード」集>

・このように「ブラック企業」の特徴は必ずしも労働時間の問題だけではなく、健全な会社なら普通にやっていること、ここでの従業員の社会保険料を支払っていないということなども含まれます。たまに聞く、「会社で使う文房具は各自持ってきてください」というのもプンプン臭います。「業務で頻繁に電話をしなければならないが、会社から携帯電話は持たせてもらえず常に自分の携帯電話で連絡をしている」なんていうのも典型例です。

<公用語を「英語」にしても中身は同じ>

・数年前に社内の公用語を「英語」にした某大手会社。外国人も多く募集しています。実際に、そこで働く外国人も増えました。ただし定着率は低いです。社内公用語が「日本語」から「英語」になったからといって、その会社が「国際的」になったわけではありません。むしろ昔ながらの体育会系の気質がこの会社には変わらず蔓延し、その結果多くの欧米圏の社員には耐え難い雰囲気となっているよう。

 この会社では、新入社員が週末ごとに踊りの練習に駆り出されていました。年末の忘年会シーズンに各社が舞台で芸を競い合うための練習です。

<とにかく叫ぶのが好き>

・これは私サンドラの体験談です。20年くらい前、東京にあるドイツレストランでウエイトレスのアルバイトをしました。経営者はヨーロッパで長年修業をした日本人ですが、店の雰囲気はどこか体育会系でした。

 レストランでは、ウエイトレスがキッチンホールの人に伝票を渡す際に、「お願いします」を意味するドイツ語「ビッテシェーン」を大きな声で叫ばなくてはならない、というルールがありました。

 でも実は、ドイツには「ビッテシェーー-ン‼ 」といった感じで叫ぶ習慣はありません。

・私はこのルールが嫌で嫌で仕方ありませんでした。そのドイツ料理店では本格的なドイツ料理を出していて味は確かだったため、ドイツ人のお客さんも多く訪れていました。

<外資系もブラックなことがある>

・では、果たして外資系の会社が「ブラック」と無縁かというと、そうとも言い切れません。確かにニッポン特有の「みんなで団結して会社のために滅私奉公!」といった分かりやすい根性論は外資系企業ではあまり見られません。ただ、「操りやすい人材を好む」という傾向に関しては、一部の外国の会社もホメられたものではありません。

<技能実習生というブラックな制度>

・日本の体育会系的な「闇」が顕著にあらわになるのは、アジア圏などからの技能実習生に対してです。彼らを朝から午前2時まで働かせたり、給料を2か月に一度数万円程度しか支払わなかったり、2年間の支給総額が200万円にも満たなかったりと、「時間」と「お金」のどちらの面でもあり得ないことばかりです。

<パワハラ自殺大国>

・外国人技能実習生だけが理不尽に悩まされているわけではなく、多くの日本人さえも苦しんでいるところにニッポンの闇があります。

・日本で生活していると、「行き過ぎた体育会系はニッポンを滅ぼす」と感じることがたびたびあります。先日はこの国を代表する企業トヨタで、社員が上司にパワハラを受け自殺しました。2019年9月11日、豊田労働基準監督署はこの件を労災認定しました。

<「仕事=自己犠牲」なニッポン>

・過労死が初めて問題になったニッポンのバブル期以降、世界では「日本人は仕事のためならハラキリのように命まで捨てる」と思われています。

・ブラック労働は業種を問わず、たとえば「俳優」でも、昔から「親の死に目には会えないと思え」という教えのようなものが当たり前と見なされてきました。

<「頑張った」体験がブラックを引き寄せる>

・ブラック企業に入ったために自殺や過労死してしまった場合、これについて「会社や組織側が悪い」のは当たり前です。実際に被害者の一部は、会社はこれほどまでにブラックとは最初は分からなかった、という新人です。

<嫌われるのはラッキー>

・今思い出してみると、ブラックと思われる企業の面接を若い時に受けたことがありました。でも面接で落とされました。きっと会社側でも「この人には気合がなさそうだな」と見抜いてくれたのでしょう。

 こうやって落とされることは悪いことではありません。

<入社後から外に人間関係を>

・しかしイケイケどんどんの時代は終わり、今ようやく「一個人としての生き方」が見つめられるようになりました。ワークライフバランスや、会社の外で人間関係を築くことの大切さも提唱され始めました。何十年も会社だけの人生を送ってきた男性が、定年後に人間関係が希薄になり社会で孤立することが問題視されるようになりました。

<「副業」でストレスがなくなる ⁉>

・近年の大きな動きは「副業」です。みずほFGなど大手も副業を解禁し、一つの会社や一つの業務に縛られない多面的な人材がポジティブにとらえられるようになってきました。私自身も副業は賛成です。

<女性に冷た過ぎるこの社会>

<女性をナメているニッポンの会社>

・直接仕事とは関係がないことをルール化して社員を縛り、体育会系の雰囲気を作り上げている会社が日本では少なくありません。ただ、都会の企業よりも田舎の中小企業のほうがそうした傾向が強く「ビックリ規則」も頻繁に見られます。この国では女性をターゲットにした理不尽なルールが溢れているので、油断できません

 地方のある中小企業では、「女性の一人暮らし」を許していないのだそうです。就業規則などに書いてあるものではありませんが、ワンマン社長の方針で暗黙のうちの了解なのだとか。

・次のルールは、セクハラが問題になっている今の時代にはむしろ潔いかもしれません。それは「女性社員(派遣やパートも含む)を飲み会や慰安旅行などの親睦行事に誘ってはならない。会社内で個人的に食事や旅行などに誘うのも不可」というルールです。欧米人の感覚からすると、ニッポンではそこまで細かく規定を設けないとセクハラを防げないのかと考えてしまいます。しかしこのルールは、会社がセクハラを根絶したいという強い意志が伝わってくるので良しとしましょう。

<「女性がラクすること」に厳しい>

・毎年暮れが近づくと発表される「世界の男女平等ランキング」。19年、ドイツは153か国中の10位でした。一方のニッポンは121位。お尻から数えたほうが早い結果となってしまいました。この順位は日本として過去最低であり、今回ももちろんG7の中でダントツ最下位です。

 ニッポンの場合、女性に大卒が多く、医療へのアクセスも良く、「教育・医療」の面で女性はあまり差別されていないという結果が出ています。

・その反面、政治家や企業経営者に女性が極端に少ないのは相変わらずです。こういった場で女性が少ない背景に、日本のビジネスや政界が男社会だということがあげられます。

・日本で女性として生きていると、気がつけば「雑用を全部やらされていた」という場面がよくあります。ニッポンの社会というものは、会社でも家庭でも学校でも、とにかく女性に雑用をやらせたがるのです。

<あなたを疲弊させる日常の罠>

【食洗機】 たとえば「食器洗い機」。夫婦での家事分担の話になると、女性側の意見として「私が食事を作っているのに、夫は食器洗いさえしてくれない」というようなことも聞きます。それはごもっともな意見ではあるのですが、よく考えてみれば「食器洗い」は機械に任せればすぐに解決できそうな問題です。

【家事代行サービス】 働く女性の家事負担を減らそうと、家事代行サービスをやってくれる外国人に日本にきてもらう計画があるものの、実際のところ、欧米の国々と比べると、日本ではこの家事代行サービスを利用する人は思いのほか少ないです。ヨーロッパの中流家庭では、週に何回か数時間に分けて掃除のために家政婦さんに来てもらう「掃除代行」サービスをしばしば利用しています。

<「自然分娩&母乳」教>

・ドイツを含め世界の先進国では出産の際「無痛分娩」が主流となっています。よく理由を聞かれるのですが、ズバリ「女性が痛い思いをしたくないから」です。ところが、ニッポンではどうしたことか、「痛いから無痛分娩にして」と言えないような雰囲気があるのです。

・それにしても、ニッポンの「自然分娩」は、「悪い前例主義」とともに「とにかく女性が苦労することは素晴らしいことだ」という前提のもとに成り立っていて、21世紀の先進国として本当に女性として「ギャー」と叫びたくなります。

・大事なのは、「ニッポンの社会には女性に苦労させたがる闇がある」ということを自覚すること。そして、自分の選んだことについて周りからどんな「雑音」があろうと、それを無視する精神力を持つこと。そういう心構えがあれば、堂々と生きられるってもんです。

<「夫の転勤」で女性のキャリアは終わる>

・ニッポンでは「会社」というものが「男性」を中心に出来上がっています。既婚の女性を時に悩ませるのは「転勤制度」です。基本的に正社員は転勤の命令に逆らえません。逆らった場合には出世が望めないばかりか、左遷される可能性もありますが、女性が自分のキャリアを考えた時に、何年かごとに旦那さんの転勤先についていく場合、女性のキャリアには不利なことしかありません。

<ニッポンの女性は一番「眠らない」>

・先述した項目以外にも、ニッポンの日常生活には「女性を疲労させる小さな縛り」がいたるところに潜んでいます。小さくても日々積み重なれば、間違いなく女性のキャリアに支障をきたすようなものばかりです。でも「睡眠を十分とって元気でいる」ためには、そこを自らの判断で「削る」勇気が必要です。

 たとえば「手作り」というキーワード、そして「キャラ弁」。

<政治家を働かせるには女性が「頑張らない」こと>

・ニッポンで求められがちな「キラキラしていること」という要素は、他の先進国には存在しません。考えてみれば、母親が子どものお弁当のために朝の5時に起きるのは他の先進国ではやらないことです。化粧だってキレイに見える下地作りだとか、元気に見えるメイク等の雑誌の特集が日本では盛んですが、欧米では「すっぴん」がスタンダードだったりしますから、その分女性は疲労しないわけです。

・まず認識すべきは、女性が頑張れば頑張るほど、政治家は頑張らなくなるということです。育児を全部女性が頑張ってしまえば、政治家が保育園を増やす努力をしなくても良くなってしまいます。

<PTAという大ボス>

・ニッポンには「女の敵は女」という言い草があります。しかし令和の時代は、「女の敵は女」と思わない女が勝ちです! 言うまでもなく、女性が生きやすくなるためには、女性が女性の味方であることが大事。

<外国人がカイシャから逃げていく>

<「雑巾かけ」に愛想をつかす外国人>

・優秀な人材をそれに見合う部署に配属せず、「外国人だから」ということを連発するのはパワハラだと思います。「新人は皆同じ」「新人は皆雑巾がけ」とばかりに、この手のやり方を「平等」だと信じてやまない体育会系思考の闇は深いと言わざるを得ません。

 MBAを持った優秀な外国人が入ってきても「まずは現場から!」と地方の工場に配属させたり、マルチリンガルな人を国内営業部で日々方言を聞き取ることに使ったり。

<「これはダメ」が基本の会社規定>

・ドイツを含む欧米の会社では、業務上の出張に延長して現地で何日か休暇を取ることが普通に許されているところもあります。

<出国外国人への批判>

・(東日本大震災の)被災地では多くの死者が出ており、家を失った人、家族を亡くした人が大変な状況の中で頑張っていたことは広く知られていましたし、海外でも報道されていました。ただし「こんなに被災地が大変なのに、外国人は日本を離れてお気楽」というような意見が幅を利かせ始めたことに、日本に長く住んでいる筆者は暗澹たる気持ちにさせられました。「絆」という言葉のもと、他人の決断(たとえば日本を離れると言う決断)にケチをつけるということが堂々と行われていたのは、本来の「絆」の意味とは違う気がしました。

<日本人同士もディスり合い>

・ところで、この「被災地が今大変なのに、あなたは……」という視線は何も外国人ばかりに向けられたものではありませんでした。筆者の友達の日本人女性A子さんは当時横浜に住んでいたのですが、震災後、何か月間は精神的に具合が悪かったそうです。

<「根性論×右寄り思想」は危険>

・従来のニッポンの精神論「辛くても頑張る」と、アメリカ流の「常に前向きでポジティブに!」という生き方は、「混ぜるな危険」であります。

・過剰な「頑張り」にはそういった悪循環があると思います。自分が頑張り過ぎたり無理をすることで、他人にも同じものを求めたいという気持ちになります。自分の中で押し殺してきた「何か」が人を傷つけるのです。

 でもそこから抜け出す方法は意外と簡単です。自分が辛いと感じる原因の解消を目的にすること。

<「出勤ぶりっ子」にご用心>

・19年4月から、日本では海外からの新たな人材の受け入れ制度が始まりましたが、残念ながら、体育会系的な思想と外国人受け入れは「相性が悪い」です。そうでなくとも外国からやってきた人が日本で生活すること自体大変なことですから、そこは周りの日本人がある程度理解して寛容な対応をするべきですが、今みたいに体育会系的な思想が蔓延している日本の社会では、「自分たちも低い給料でこき使われているから、外国人がそれより低い給料なのは当然」「自分もブラックな環境で仕事を頑張っているのだから、外国人も厳しい職場で仕事を頑張るのはあたり前」というような考えが幅を利かせています。

<大震災で分かったカイシャの非情さ>

・日本の企業がイザという時に社員を大事にしないというのは、残念ながらここ数年ジワジワと外国人にも知れわたっています。きっかけはここでも東日本大震災でした。

・もちろんドイツを含むヨーロッパの国々にも四六時中仕事のことを考えている「ワーカホリック」は存在します。ただし、それは社長や経営陣の場合です。いわゆる平社員の「使われている立場」で、仕事のみを優先して考える人は皆無だと言えます。

<「世代論」から抜け出せない人々>

<欧米は全員「ゆとり世代」>

・話が飛ぶようですが、19年のドイツの夏は例を見ない猛暑だったこともあり、トップレスで公園や川沿いなどで日焼けをしたり涼んだりする女性が多発し、これを警備の人が注意したところ「男性はトップレスで日焼けしているのに、女性ばかりがトップレスがダメというのはおかしい!」という抗議のムーブメントが女性たちの間で起こり、外国でも話題になったほどです。

・この例を見ても分かるように、ドイツにおいては「女性はブラジャーをつけるべき」だとか「女性だからビキニのトップをつけるべき」という類のことを言うことさえも「カテゴライズ」にあたる可能性があり、話題としてはセクハラ以前に非常に危険なゾーンなのです。

<「少子化だから産もう」なんて人はいない>

・「ゆとりは打たれ弱い」などと一時期騒がれた「ゆとり世代」ですが、それよりもさらに若いのが「さとり世代」です。「さとり世代」は日本が不景気になってから生まれた世代だということも関係しているのか、世間では「欲のない世代」だとして話題になっています。

<若者の「割り切り」は当然>

・「最近の若い人は自分でモノを考えない」とか「最近の若い人は自発的に動かない」などと嘆く人こそ、いざ若者が自発的に動くと、「ホウレンソウ(報連相)を怠った!」などと騒ぎ出すのでタチが悪いです。「最近の新入社員はスマホばかりで対人スキルが低い」と言っている人も、自身がデジタル音痴ゆえに負け惜しみの場合があります。それに、「対人スキル」というのは人を非難する時に大変便利な言葉です。

<上皇后も「アプレ世代」>

・ここに書いていることもそうですが、「バブル世代」や「ゆとり世代」、「さとり世代」等の話になると、メディアではしばしば世代間の対立のように扱われます。

・第ニ次世界大戦中に子ども時代や思春期を過ごした世代が、戦後ニッポンでは「アプレ世代」と呼ばれていました。「アプレ」とはフランス語で戦後を意味する「アプレゲール」から来るものです。

<「甘やかされると犯罪に走る」と考える人々>

・昨年、練馬で元官僚だった父親が引きこもり状態の40代の息子を殺す事件がありました。「人に迷惑をかけると思った」と供述しています。

<受験がきっかけの「教育の虐待」>

・ちなみにドイツでも、昔は「子どもを甘やかすのは良くない」「子どもがヘンなことをしでかすのは厳しくしつけなかった結果」だという「教育論」がまかり通っていました。しかし今は、体罰を含むかつてのスパルタ教育は「黒い教育」と呼ばれ、子の人生を台無しにする非人道的な行為とされています。

 日本でも昨年、家庭での「教育虐待」が話題になりました。16年、名古屋では当時12歳だった子どもに受験勉強をさせていた父親が自宅で子どもを刺し殺しましたが、この父親は普段から「(勉強が)できないと殺すぞ」など息子にヤクザまがいの罵声を浴びせたり暴行をしていたといいます。これも一つのきっかけとなり、親による「受験」を理由にした「教育虐待」が問題となっています。

<尊敬できない親もいる>

・どこの国にも「親は尊敬しましょう」という教えはあります。思えばあの「十戒」にも、「父と母を尊敬しましょう」という項目があるわけです。ただ近年のドイツではかつての体罰を含む「黒い教育」が問題視されていますし、ニッポン同様「虐待(制虐待を含む)する親」も問題になっています。

 先日、千葉県野田市の栗原心愛さんの虐待死亡事件が話題になりましたが、ドイツにも似たような例はあります。さらに欧米では「麻薬によって正気を失った親が子どもを虐待死させる」事件も多々起きています。なので当たり前ですが、世界的に虐待は見られ、麻薬が絡むとむしろ日本より残虐なケースも目立ちます。

<若者批判は老人が何か言いたいだけ>

・最近は高齢者もインタ―ネットを自由に操れるようになってきていますが、それでもたまに聞かれるのが「最近の若者はバーチャルな世界にばかり逃げて我慢ができない」とか、「最近の若者はインタ―ネットばかりで対人面が弱い」といった発言です。

<ニッポンの明るい話>

<ニッポン流は最強>

・今まで数々、ニッポン流「体育会系」の弊害や悪いところを書いてきたのに、最後の最後でそれはないだろってツッコミが入りそうですが、私は「一人でやる体育会系」が実は好きです。

 ドイツで育った私は、小中高時代、ニッポンの学校にありがちな部活のシゴキや受験勉強といったものとは無縁でした。もちろんドイツの学校にもそれなりのシビアさがあり、成績が悪ければ小学校でも落第しますし、その後に続くギムナジウム(日本の中学・高校に該当)でも落第する生徒は珍しくありません。

・周りが既に頑張り過ぎているから、自分がちょっと頑張ったところで全く努力は報われない。そしてもっと頑張らなくてはとさらに頑張るものの、相変わらず「努力は自分、評価は他人様」といわれます。相変わらず努力は報われず……。

<「一人体育会系」の愉楽>

・ヨーロッパのような「ゆる~い」雰囲気のなか、自分だけニッポン流を実践すると、けっこう良い線行くというのが私の持論です。10代の頃のラテン語のテストで実証済みですしね。

 日本とは違う形で、実はドイツを含むヨーロッパの社会にはある種の「硬さ」があります。なんというか暗黙の決まりごとが多いのです。先ほども出てきた「予習してはいけない」というのもそうですし、「夏休みに勉強をしてはいけない」「週末に仕事をしてはいけない」「家族がいる時は何がなんでも仕事より家族を優先すべき」というような価値観が「絶対的なもの」としてヨーロッパでは幅を利かせているわけです。

<上下関係も便利なことが>

・近年のニッポンでも、たとえば「外資系企業では人間関係がフラットで上下関係がなくて働きやすい」だとか、色んな面で「フラットな人間関係」にスポットが当たる事が多くなりました。これまでは人間関係=上下関係といっても過言ではないほど、厳しかったということです。

・実際、「先輩の立場が上」という概念がないドイツのような社会では争いが絶えないのです。

 ドイツ語には「先輩」という言葉さえありませんが、そういう環境では「どちらの立場が上」なのかが非常に分かりにくいわけです。

・そう考えると、ニッポンの「予め年齢や入社順」で決まる立ち位置も悪くないなと思うのです。一般の欧米人は日本の上下関係を見て、「自分の能力とは関係ないところで無理やり立場を決められるなんて嫌だ!」と思う人が多いです。

<ヨーロッパはメンタル弱者が多い ⁉>

・今まで書いてきた通り、精神論を重んじる体育会系的な考え方には弊害が多いですが、暴力や暴言を伴う「変な方向にいってしまった体育会系」でなければ、「良い集団生活」に一役買っていると思います。

<有休の義務化>

・ニッポンは欧米と比べると体育会系社会だ――本書では一貫してそう主張してきました。ただ、近年は「明るい兆し」が見られることも確かです。

 前でも触れた「有休」については、日本人の消化率の低さは異常です。

・ドイツを含むヨーロッパでは10日間どころか3週間ぐらい続けて休む人も普通にいますが、日本では1週間の有休でさえ「長い」と言われます。だから、10日間海外旅行をしている人=学生さんと見なされてしまうわけです。

・ドイツでは1日に認められている最長の労働時間は10時間と書きましたが、何日か連続で10時間を超える残業があっても即違反になるわけではありません。多く働いた分を他の日に「調整」すれば問題ありません。つまり、残業した分を「お金」でもらうのではなく「時間」で調整するというわけです。

・ここでの「10時間」は、あくまでも1日の最長の労働時間であり、ほとんどの企業ではそれより少ない8時間でその日の業務を終了します。また、その日の仕事が終わってから次の就労までに、少なくとも11時間は空けなければいけない「インタ―バル規制」もあるため、従業員が過度に疲労することは日本と比べて少ないと言えるでしょう。日本も義務化への第一歩を歩み出したので、今後に期待したいのです。

<市長の「育休宣言」>

・愛知県西尾市の中村健市長(40歳)が19年11月から夜6時以降は仕事をしないという形での「育休」を取ったことが話題になりました。

・中村市長が現職の身でありながら「育児休暇」を口にし、実践したということは、まさに「次世代の男性」の登場なのかもしれません。今の世界の先進国では「男性も育児をすべき」というのが共通認識ですし、市長の登場で「夜6時以降は仕事を入れない」と宣言したのは潔かったと言えるでしょう。

・そんなこんなで、当時は仕事といえば「なんでもアリ」で、パワハラの概念もありませんでしたし、ワークライフバランスだとか男性の育児参加などという発想からもかけ離れた状況でした。つい30年ぐらい前までの話です。当時は世間が「性別にそぐう役割」を勝手に人に割り当て、当事者がその役割に疑問を呈しても、“頑張りが足りない”とか“甘え”だと見なされ、まさに体育会系の時代だったと言えるでしょう。

・つい20~30年前までならあり得なかったこと、つまり公の立場にいる男性が育児のために仕事をセーブすることが可能になりつつあるのも今のニッポンなのです。貴重な一歩を踏み出したと言えるでしょう。

<未婚の一人親に朗報>

・昨年12月、自民・公明両党は2020年の税制改正で「未婚の一人親」について、年間の所得が500万円以下の場合、税負担を減らすことで合意しました。

・伝統的な家族の形を支持する自民党は当初、この制度の導入について「未婚を助長しかねない」としていましたが、結果的に改正されたのは、子どもの貧困を考える上でも、前進だと言えるでしょう。

<札幌への変更は「前進」>

・東京オリンピックを間近に控えた昨年10月、国際オリンピック委員会はマラソンおよび競歩の会場を東京から札幌に移すことを決定しました。

・というのも、ニッポンでは何かと「前の人も大変な状況のなか、頑張っていたから」「既に正式に決まっているものだから」という理由で、本来は改善されるべき状況がそうならないことがよくあります(違法残業しかり、ブラック部活、学校の先生のオーバーワークしかり)。

 でも事情はどうであれ、心身に悪いものは悪いですから、キャンセルしよう、延期にしよう、場所を変えようという発想は決して「いいかげん」ではなく、人命を第一とした「臨機応変」です。そんなこんなで、東京から札幌への変更は、「勇気ある前進」だと言えるでしょう。

<「身の丈」も体育会系>

・荻生田氏のように立場上、国民を代表する人が「どんなに厳しい環境の中にあろうとも、上を目指すためには大事なのは本人の意思だけが大事」という考えなのであれば、文部科学省などの公共機関は「教育の機会の不平等」について何の対策も練らなくて良いことになります。

・残念なことに、令和の時代になっても「上に立つ者」の中には、「本人が頑張れば良い」という体育会系的な精神論が今なお生きていることがあらわになりました。

<気合でもしつけでもなく犯罪>

・今、ニッポンで足りないのは体罰=傷害=暴力行為=犯罪という認識です。

<やっと公立にもエアコンが>

・でも、19年9月1日のエアコンの設置状況を見てみると、設置率78.4%です。

<体育会系の根性論>

・でも、考えてみれば、体育会系的な精神論とは無縁な他のG7の国々だって、それなりにうまくまわっているわけです、だから、日本ばかりがマゾヒストのように「長い時間働かないと」とか「やっぱり子どもの部活に厳しさは必要」などとやってしまうのは百害あって一利なしです。

・個人が疲労してしまっては元も子もないので、キーワードは「もっと気楽にいきましょう」ということです。これほど誰でもできるシンプルなことはありません!

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