国際ルールを無視したロシアの行動ですが、「ウクライナは本来ロシアのものである」という意識が背景にあります。(1)
(2022/5/2)
『教養として知っておきたい地政学』
世界情勢の「なぜ?」がわかる
神野正史(監修) かみゆ歴史編集部 ナツメ社 2018/3/15
<――今、地政学が熱い!>
・現在、これほど重要性を増してきている学問も他にありません。
まさに21世紀に入った年(2001年)に勃発した「9・11」を皮切りに、アメリカはアフガニスタン戦争・イラク戦争と次々に「対テロ戦争」を仕掛け、それに伴って現在、中東世界を中心に世界情勢は急速に悪化してきました。
・これはアメリカが国際秩序の再建に匙を投げ、世界を見捨てたことを意味しており、深刻な事態なのですが、その深刻さを理解できている人は多くありません。
・そこで「地政学」の登場です。国家というものはかならず地理的条件を大前提にして動きますので、地政学は、そこから国家政策や方針の意図や真意を知り、未来の動向を探っていこうとする現代必須の学問なのです。
<地政学を学べば国際情勢が見えてくる>
<国と国との関係性を読み解く学問>
・日本のような島国と、ロシアや中国のような内陸部の国とでは、地理的な条件がまったく違ってきます。
内陸部の国の場合、陸で国境を接しているため、隣国との関係が悪くなると、いきなり攻め込まれてしまうかもしれないという緊張感が常にあります。
・その国が置かれているこうした地理的な条件は、どんなに時代が変化しても変えることはできません。そこでその国の特徴や、国と国との関係を、地理的な側面から読み解いていこうというのが地政学という学問です。
<国際問題の原因や解決策が見えてくる>
・そのため地政学は、自国や他国の地理的条件を分析したうえで、軍事戦略を練るための学問として発展していきました。
ただし地政学が役立つのは軍事戦略を立てるときだけではありません。
・国際問題についても、その国や地域が置かれている地理的な条件が大きく作用しています。
そのため、ある国際的な問題がどんな原因で起きているかを知り、これからどうなっていくかを予測し、解決するためにはどうすればいいかを考える際に、地政学をとても鋭い視点を私たちに提示してくれるのです。
<地政学の重要キーワード「ランドパワー」と「シーパワー」とは?>
<シーパワーとランドパワーの対決の歴史>
・シーパワーとは海に面した海洋国家、ランドパワーとはユーラシア大陸のハートランドにある大陸国家がそれぞれに持つ、経済力や軍事力のこと。マッキンダーによれば、世界史はシーパワーとランドパワーの対決の歴史でした。
・マッキンダーはイギリス人の立場から、「ユーラシア大陸のハートランドに強大なランドパワーの国家ができれば、やがて沿岸のシーパワーの国々を支配し、さらに制海権をも掌握して世界を制するだろう」と主張。シーパワーの国々が連携して、ランドパワーに対抗すべきだと唱えました。
<世界の覇権はシーパワーが握る>
・一方、マハンはかつてのスぺイン、イギリスといった覇権国家は、いずれも制海権を手に入れたことで植民地から膨大な富を得ることができるようになり、国力を増強していったことに着目。そしてアメリカもシーパワーになれば、世界で覇権を握ることが可能だと述べました。その後、アメリカはマハンの主張をなぞるかのように、カリブ海や太平洋といった海洋へ次々に進出。ついには世界の海を掌握し、覇権国家となります。
<戦後の世界情勢を予想したリムランド理論って?>
<ランドパワーとシーパワーの衝突地点>
・マッキンダーは、ユーラシア大陸のハートランド(心臓部)を支配するランドパワーと、大陸の沿岸部や島嶼部に位置するシーパワーの対立の歴史として世界史を捉えました。この理論をさらに発展させたのが、第ニ次世界大戦前から大戦中にかけて活躍したジャーナリスト、スパイクマンのリムランド理論です。
リムランドとは、西はイギリスから東は日本にまでいたるハートランドの周辺地域のとこと。ハートランドが寒冷で雨量が少ないのに比べて、リムランドは温暖で雨量が多く、経済活動を行いやすいのを特徴に持ちます。そのためランドパワー国家はリムランドの支配を狙って、たびたびこの地域に侵攻。かねてからこの地域を支配してきたシーパワー国家と衝突を繰り返してきました。そのいい例としてロシアとオスマン帝国の間で起きたクリミア戦争や、日本とロシアでの日露戦争が挙げられます。
<アメリカとソ連の対立を予言>
・近代以降、ハートランドを牛耳るロシア(ソ連)と、リムランドを押さえるイギリス・アメリカの対立という歴史が繰り返されています。
・現在も国際紛争の多くはリムランドで起きており、彼の考えた理論は今も有効です。
・リムランドを制した国家がユーラシアを制し、ユーラシアを制した国家が世界を制覇するとスパイクマンは唱えた。
<サイバー攻撃は地政学を無効化する?>
・地政学とは、その国の特徴や国と国の関係を、地理的な側面から考える学問である。では、21世紀に誕生したサイバー空間において、地政学は役に立たないものになったのだろうか。
・軍隊はサイバー攻撃をすでに実際の軍事行動の中に組み込んでいます。例えば2007年、イスラエルはシリアの核開発施設を空爆しましたが、その際にはまずシリアの防空レーダーにサイバー攻撃を仕掛けて無力化したうえで、行動を起こしたと見られています。
・地球の裏側の国の発電所や通信網などのインフラにマルウェア(悪意あるプログラム)を仕掛けて、その国の経済活動を麻痺させるといったことができるようになったのです。
・結局サイバー攻撃の対象となったのは、攻撃を行う国にとっては地政学上重要な場所に位置する国家だからです。地政学を通じて、国同士の関係や状況を把握することが、今後も必要とされ続けます。
<サイバー攻撃マップ>
・アメリカのノース社が作成したリアルタイムで起きているサイバー攻撃を可視化するウェブサイト。しかし表示されている情報は全体の攻撃の1%未満に過ぎない。
<日本を取り巻く状況>
<海に囲まれた日本が地政学上で有利な点とは?>
<モンゴル帝国も諦めた日本征服>
・日本は大小数千もの島々が連なる島国です。これは防衛上、「海」という天然の要塞に囲まれていることを意味します。
・これだけでも日本は、攻める側には不利で、守る側が圧倒的に有利な地理的条件を備えていることがわかります。
・世界の陸地の約4分の1を版図に収めたあの大帝国でさも、島国・日本を征服するのは困難だったのです。
<列強の侵略を防いだ日本の立地>
・日本のもう一つの地理的な特徴は、ヨーロッパから遠く離れた「極東」に位置していること。これも日本が外国からの侵略を免れ、独立を保つことができた大きな要因です。
・また日本は、アフリカやインド、東南アジア諸国とは異なり、ダイヤモンドや象牙、香辛料といった列強が求める資源や産品が乏しかったことも、列強が日本への侵攻を後回しにした理由の一つだったと考えられます。
・さらに日本は島国といっても、一定の大きさの面積があることも、地政学上の強みです。特に本州は、島としては世界で7番目の大きさ。また温暖湿潤な気候で食物が育ちやすく、多くの人口を養うことも可能でした。
<日本で独自の文化が発展した理由>
・興味深いのは、漢字から仮名文字を作り出したように、移入した中国文化を独自の文化に発展させていったこと。日本は海を挟んで中国大陸と、遠すぎず近すぎない絶妙の距離にありました。そのため、中国文化の影響を受けながらも、その支配下に収まることなく、日本独自の文化を花開かせることができたのです。
<なぜ、近代日本は朝鮮半島に進出したのか?>
<日清戦争に勝利、朝鮮の支配権を得る>
・当初日本は、朝鮮・中国(清)と対等な同盟関係を結び、列強に対抗しようと考えていました。しかし朝鮮との交渉が頓挫したため、列強の圧力が迫っていた日本は同盟を諦め、朝鮮を支配下に置くという決断を下します。ただし、当時朝鮮を支配していたのは清。こうして両国がぶつかったのが日清戦争です。日本は連戦連勝で清に勝利し、朝鮮半島の支配権を得ます。
<米英の協力を得ながら、日露戦争に勝利>
・しかし今度は南下政策を進め、朝鮮を手に入れようとするロシアと衝突します。
・1904年、日露戦争が開戦。日本はかろうじて戦況を優位に持ち込みます。そしてアメリカの仲介を得て、講和へ進めることができました。朝鮮の支配権とともに、ロシアが持っていた満州の権益を得ることにも成功しました。
<帝国主義となった日本が満州へ進出した理由は何か>
<第一次世界大戦を大陸進出の好機と捉える>
・第一次世界大戦は連合国の勝利に終わり、日本も戦勝国になります。しかし同じ連合国として戦ったアメリカやイギリスは、日本の台頭によってアジアのバランスが崩れることを警戒、以後対立が深まっていきます。
<満蒙は我が国の生命線>
・一方日本は、その後も大陸にのめり込んでいきます。当時よく使われたのが「満蒙は我が国の生命線」という標語。
・事実満州で算出される石炭や鉄鉱は、資源の乏しい日本にとって貴重なものでした。満蒙はロシア南下の防波堤であると同時に、日本の経済的な要地でもあったのです。
<中国との日中戦争&アメリカとの太平洋戦争で泥沼にはまりこむ日本>
<泥沼化した日中戦争>
・日本軍の戦線は長く伸び、兵力や物資の不足が深刻になりました。これが日中戦争を泥沼化させた要因です。
<太平洋をめぐる日米の戦い>
・中国に加えて、世界一のシーパワー国家であるアメリカとの戦いが始まります。中国との戦争で疲弊していた上、物資や情報の面で困窮していた日本に勝ち目はありませんでした。
<日本の思惑たっぷりの「大東亜共栄圏」構想とは?>
<国民を納得させる大義名分>
・日本がインドシナへと南進したのは、中国の補給路を断つと同時に、東南アジアの豊富な天然資源を確保したいという思惑もありました。これは当然、この地域を植民地としていたアメリカやイギリス、フランスなどの国々との対立を招き、戦争になる可能性も高まります。
そこでこの事態を国民に納得してもらうために打ち出されたのが、「大東亜共栄圏」の構想。「植民地支配を続ける欧米列強をアジアから追い出し、日本を中心としたアジア諸国民による共存共栄の新秩序を構築するために戦争を行う」という大義名分を掲げたのです。
<地政学で考えられた日本の無謀な戦略>
・当時の日本の戦略は、中国大陸を守りつつ太平洋にも進出するというもの。ランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)の両者を志向したわけですから無謀でしかありません。
・当時の日本の地政学は「国家が生き残るには、それに見合った支配地が必要だ」と考えるドイツ地政学の影響を受けており、日本が生き残るために大陸と海洋の両者を支配下に収めることを支持したのです。その誤った地政学的な判断が、日本を敗戦に導きました。
<アメリカ軍が日本に駐留し続ける理由は?>
<日本がロシアや中国の蓋になっている>
・日本は海を隔ててロシアや中国と接しています。地図を見れば、これらの国が海洋に出ようとするときに、ちょうど日本が蓋をするような地形になっていることがわかります。ここに軍隊を置けば、まさに防波堤となってロシアや中国の進出を阻むことが出来るわけです。
<沖縄の基地問題解決が容易ではない理由>
・また沖縄を中心に半径4000㎞の円を描くと、東アジアのほぼ全域が収まります。東アジアの安全保障戦略上、沖縄は欠かすことのできない拠点なのです。沖縄の基地問題の解決が容易ではないのには、こうした背景があります。
<中国と争ってでも日本がシーレーンを確保したい理由>
<日本経済を支える生命線>
・「シーレーン」とは、その国が存率するために重要な意味を持つ海上交通路のこと。
・原油の8割以上を中東に頼る日本にとって、経済活動を続けていくうえで生命線といえます。なお、ルソン海峡のような海の要衝は「チョークポイント」と呼ばれます。
自衛隊は、シーレーンの海域に機雷が敷設された場合にすぐに除去できるように、世界でも有数の掃海部隊を有しています。
<日本のシーレーンに近づく中国の脅威>
・中国の強引な海洋進出は、東南アジア諸国との軋轢も招いています。一方でこれらの国々は中国との経済的な結びつきが強いため、決定的な対立は避けたいという思惑もあります。
<アメリカの方針転換と日本の核武装の現実性>
<核の傘に守られてきた日本の平和>
・しかし現実には戦後の日本の安全保障は、アメリカと同盟関係を結び、その核の傘の下に入ることによって、維持されてきたという面は否定できません。
・これは文字通り日本も、対岸の火事では済まされません。もし北朝鮮の脅威が今よりも切迫したものになったときには、日本が核保有国になることの是非が議論の俎上に載ることがあり得ます。
<難攻不落のハートランド・ロシア>
<東へと膨張を続けてハートランドを制したロシア>
<難攻不落の心臓部「ハートランド」>
・2014年、内戦に陥ったウクライナのクリミア半島が、住民投票で分離独立を宣言し、ロシアに編入されました。日米やEU諸国はロシアを非難し、経済制裁を発動します。
・ロシアの支配するユーラシア大陸の中央部は、大陸の心臓部、すなわち地政学では「ハートランド」と呼ばれています。このあたりを流れる大河はすべて北極海に注ぎます。北極海はほぼ凍結しているので、シーパワーの国が川を遡ってロシアを攻めることはできません。背後の守りは盤石なのです。「ハートランドを制する者が世界を制する」と言われる由縁です。
<ロシアを占領できた国は一つもない>
・事実、ハートランドを持つロシアは、歴史上幾度も他国の侵略を受けながらも、最後には撃退してきました。
・1917年のロシア革命でも、革命を潰そうとシベリアに出兵した日・米・英・仏の各国の軍は目的を果たせず撤退に追い込まれています。
<ロシア人はいくつもの顔を持つ>
・ロシアという国家の起源は、9世紀に建国されたノヴゴロド国とされます。この国は、北欧方面からやってきたノルマン人の一派ルーシ(ロシアの語源)が先住民のスラブ人を従えてつくったといわれます。ノヴゴロド国は、やがて現ウクライナのキエフに都を移し、キエフ公国へと発展しました。
しかし13世紀になって、ウラル山脈の東からモンゴル人がやってきます。当時はモンゴルの遊牧民がハートランドを抑えていたのです。
・こうした歴史から、ロシア人は「西欧の一員(北欧がルーツなので)」であり、「東欧諸国と同じスラブ人」だが、「文化的にアジア(モンゴル)のの影響も受けている」という、多面的なアイデンティティを持つことになりました。
15世紀末、モスクワ大公国というロシア人の国が、ついにモンゴル支配から自立しました。
<ロシアの悲願であった地中海を目指す南下政策はなぜ達成できなかったのか?>
<凍らない港を求める対外膨張>
<不凍港が欲しいロシア。狙うのは地中海の窓口となる黒海でした!>
・ハートランドを手にしたロシアは、有力なランドパワー国家となりますが、泣き所がありました。国土が北にあるので、冬でも凍らない港(不凍港)がなかったのです。
・ロシアの主な標的になったのは、黒海沿岸を領有していたオスマン帝国でした。
<ロシアの南下は列強との対立を呼ぶ>
・18世紀~19世紀にかけて、オスマン帝国はロシアにたびたび攻撃されます。18世紀後半には、ロシアは念願の黒海進出を果たします。
・19世紀、ロシアとオスマン帝国の戦争に、列強諸国が介入した国際問題は、「東方問題」と呼ばれました。
<極東での南下政策によってシーパワー国・日本と衝突>
<極東を狙う露と近代化した日本が衝突>
・19世紀半ば、ロシアは列強に蝕まれ始めていた清に圧力をかけ、日本海に面した沿海州を手に入れます。そこには軍港のウラジオストクが建設され、太平洋艦隊が置かれました。
<東アジアでの南下政策も挫折>
・1904年に日露戦争が勃発しますが、日本は苦戦の末に勝利を得ました。勝利の大きな要因になったのは、イギリスからの支援でした。
・ロシアは、イギリスばかりか日本というシーパワーを敵に回したため、まさかの敗北を喫することになったのです。極東での南下も阻止されたロシアは、日露戦争後は日本やイギリスとの関係を改善。今度は「スラブ民族の保護」を名目にバルカン半島に進出していきます。
<冷戦時代、東欧諸国を衛星国とした理由とは?>
<大幅に削られたロシア帝国の領土>
・ウクライナ内戦への介入、東欧を自国の勢力圏とした冷戦時代のソ連のふるまいなどを見ると、「なぜロシアは、武力を用いて近隣の国を恫喝し、自分のもののように扱うのだろう?と思うかもしれません。
しかし、19世紀までの帝政ロシアの領土を見ると、ポートランド・ウクライナなど、東欧の多くの国はロシア領だったことがわかります。「本来はこれらの国はロシアのものだ」という意識が、ロシア人の中にはあります。
・ロシアがヨーロッパに面するこれらの領土を失ったのは、第一次世界大戦の時です。近代化の遅れていた帝政ロシアは、国内の不満をそらず目的もあって、対外積極策をとってきました。しかし、第一次大戦中に人びとの困窮が限界に達し、1917年にロシア革命として爆発します。
革命の結果、史上初の社会主義国家であるソビエト政府が成立。戦争を続ける意思のなかった革命政府は、ドイツと単独講和します。しかし、講和の代償として、ポートランドやバルト三国など大幅に領土を失いました。
<独ソ戦の反省から東欧を衛星国に>
・焦土作戦の末にドイツ軍を撃退するものの、ソ連は民間人を含めて2000万人以上の膨大な犠牲を出しました。
その苦い記憶があるソ連は、戦後の国際体制をつくる上で、自国の周囲を同盟国で囲み、緩衝地帯を設置することを望みます。ソ連の思惑によって、戦後の東欧は軒並み社会主義国となりました。米英はソ連のやり方に反発し、冷戦に突入します。
<中央アジアをめぐる「グレートゲーム」が生んだもの>
<中央アジアを舞台とした英露の攻防戦>
・19世紀、ロシアとイギリスがアフガンの支配権を争ったことにより、第一次・第二次のアフガン戦争が発生します。中央アジアを舞台にした英・露の抗争は、大陸をチェス盤に見立てて「グレートゲーム」と呼ばれました。
第二次アフガン戦争ではイギリスが勝利し、アフガンを保護国化。19世紀のグレートゲームは、イギリスに軍配があがりました。
<「グレートゲーム」の皮肉な顛末>
・アフガンを舞台とした「グレートゲーム」は、20世紀後半の冷戦時代に再燃しました。プレーヤーはソ連とアメリカです。
発端は、1978年のアフガンでのクーデターでした。新しく成立した親ソ連政権と、反政府勢力との内戦が勃発。翌年にソ連が軍事介入します。一方、ソ連を封じ込めたいアメリカは、反政府ゲリラを支援しました。
反政府ゲリラの激しい抵抗により、ソ連は1989年に撤退に追い込まれます。長期の戦闘が財政を圧迫したこともあり、1991年にソ連は崩壊しました。
<EUと対立してまでロシアがウクライナに固執する理由とは何か?>
<生命線であるウクライナ>
・ウクライナは貴重な緩衝地帯。そこもEUにつくなんてロシアとしては悪夢。
・2014年、ウクライナでは親ロシア派と親EU派の内戦が発生しました。騒乱にはロシア軍が介入し、クリミア半島がロシアに編入されます。クリミア半島は2018年2月現在もロシアが実効支配し、欧米の対露経済制裁も続いています。
国際ルールを無視したロシアの行動ですが、「ウクライナは本来ロシアのものである」という意識が背景にあります。確かに、帝政ロシア時代からソ連時代まで、ウクライナの領土はロシアに含まれていました。
・ウクライナは、世界でも有数の穀倉地帯で、鉄鉱石の鉱山でもあります。ロシアと西欧を結ぶ道路や鉄道が多く通り、クリミア半島には軍港セヴァストーポリがあります。
<EU対ロシアの縄張り争い>
・ウクライナの独立は、ロシアにとってこのような重要な領土が失われたことを意味します。さらに、ロシアの心臓部の周辺領土がなくなるので、安全保障面でも問題です。
ウクライナの内戦で、ロシアが意識しているのがEUの存在です。ポートランドなどの東欧は、冷戦時代にソ連の緩衝地帯として扱われてきました。冷戦終結後、東欧はロシアの勢力圏を離れたばかりか、21世紀初頭には続々とEUやNATOに加盟していきます。
1990年以降のロシアは、一気に緩衝地帯を失い、喉元に刃物を突きつけられているような状況になったといえるでしょう。こうして表面化したロシアとEUの対立は、「新冷戦」と呼ばれています。
ウクライナは、もともと親露派と親西欧派で国内が分裂している国です。いつウクライナが自国から離れていくかわからないロシアは、要衝のクリミア半島だけでも確保したかったのです。
<中東での存在感を高めるロシアの狙いとは?>
<紛争に乗じて中東情勢に介在>
・2011年に始まったシリア内戦は、独裁者のアサド大統領をロシアが、クルド人勢力など反政府組織をアメリカが支援。さらにイスラム過激派「イスラム国」が勢力を拡大したため、泥沼に陥りました。
2015年9月、ロシアが大規模な軍事介入を開始。アメリカに代わり、ロシアが主導権を握ろうとしています。
<米に代わり中東の盟主を目指す>
・ロシアがアサド政権を支持する理由の一つに、ロシアの海軍基地であるシリアのタルトゥース港があります。ロシア海軍が地中海で展開するための重要拠点であるため、ロシアはアサド政権との友好関係を維持しておきたいのです。
<複雑に絡み合う極東情勢をめぐる大国の思惑>
<千島列島はロシアの防衛ライン>
・日本の北方領土をロシアが返還しないのには地政学的な理由があります。
・北方領土を日本に返してしまうと、日本の同盟国であるアメリカの軍艦がオホーツク海に入れるようになってしまいます。北方領土を含む千島列島は、オホーツク海の防衛ラインといえます。
<微妙な距離感が続く露中関係>
・一方で、ロシアには日本と組むメリットもあります。人口密度の低い極東シベリア地域を開発するには、日本の経済協力が不可欠です。
・極東で圧倒的な人口と経済力を持つ中国は、ロシアの潜在的脅威です。日中を接近させないようにしながら、極東での存在感を高めるのがロシアの戦略といえるでしょう。
<ロシアを嫌うウクライナ国民の心情>
・ロシアとEUの代理戦争の体をなしたウクライナの内戦。東部では親露派、西部では親欧米派が強いという国内の分断が、内戦の契機になりました。
分断の理由は、国の成り立ちにあります。西欧とロシアの中間に位置するウクライナは、かつてはドニエプル川を挟んだ東側がロシア、西側がポートランドの勢力圏でした。しかし18世紀末、右岸ウクライナもロシアに併合されます。東西のウクライナ人の意識の差は、こうした経緯が元になっています。ウクライナは、1917年のロシア革命の際に独立を宣言しました。しかし、この地を手放したくなかったソヴィエト政府が介入し、ソ連の一部になります。ソ連時代は、食料の強制徴発による大飢饉も経験しました。こうした歴史もあり、ウクライナ人のロシアに対する心理は極めて複雑です。
・2014年からの内戦で、ウクライナ中央政府はクリミア半島や東部の一部の支配権を失いました。しかし、皮肉にもロシアの介入が、ウクライナの国論をまとめたようです。騒乱が始まった年の大統領選挙では、親欧米派のポロシェンコが圧勝し、2018年現在も政権を保っています。
<EUとロシアの対立が「新冷戦」を生んだ>
<東欧をめぐるEU対ロシアの綱引き>
・2014年のウクライナ危機への介入を理由に、EU諸国はアメリカなどとともにロシアへの経済制裁を発動しました。なぜ、ロシアとEUの関係は緊張し始めたのでしょうか。
ヨーロッパの統合は、米ソという二大国に挟まれた冷戦構造化で進展しました。また、集団安全保障の枠組みとして、西側諸国はNATOを結成していました。
冷戦終結後、東欧諸国は次々とEUやNATOに加盟し、ロシアの影響力は後退していきました。東欧をどちらに引き入れるかで、ロシアとEUが対峙する「新冷戦」が始まったのです。
<ドイツは三たびロシアに挑戦するのか?>
・EUの盟主ドイツは、東欧と経済的つながりも深いため「またロシアと東欧をめぐり対峙し始めた」とも読めます。もっとも、EUはエネルギー面でロシアに大きく依存しており、決定的対立は望んでいません。大戦に二度とも敗れたドイツは、ロシアと絶妙な距離感を維持しながら、EUの舵取りをしていくでしょう。
<ウクライナのNATO加盟をめぐる動き>
・NATOの東進に不満を募らせていたロシアは、ウクライナの武装勢力を支持し、内戦状態に突入。これにEU諸国は経済制裁を行っている。
<ロシアからヨーロッパの天然ガスの供給>
・EUは天然ガスの輸入の約4割をロシアに頼っている。近年はこの依存度を減らす政策をとっているが、ロシアは新たなパイプラインを計画。さらに、ウクライナを迂回することで同国へ支払う通行料をなくそうとしている。
<少数民族の独立意識にみる「地域主義」とは?>
<カタルーニャはなぜ独立を目指すのか>
・2017年10月、スペイン・カタルーニャ自治州において住民投票が行われ、独立賛成派が勝利。中央政府が実力で独立を阻止しようとしたため、騒乱が発生しました。
スペインはもともと一つの国ではなく、15世紀末にアラゴンとカスティリヤという二つの王国が連合してできました。カタルーニャ地方はアラゴン王国の一部で、独自の言語を持っています。
地方分権色の強いスペインの中でも、カタルーニャは中央政府にしばしば反抗してきました。17世紀半ばには、カスティリヤ主導の中央集権化政策に反発し、大規模な反乱が起きています。
・20世紀に成立したフランコの独裁政権は、カタルーニャの言語・文化を禁圧する政策をとります。1975年のフランコ死後、スペインは民主化し、カタルーニャは大幅な自治権を獲得しました。カタルーニャの独立意識は、こうした長い抑圧と闘争の歴史に根ざしています。
<騒乱は他の地域にも影響する?>
・しかし、現状を見る限り独立は困難でしょう。カタルーニャはスペインのGDPの2割を占める経済力を持つものの、独立してもEUへの加盟が絶望的だからです。
・一方で、カタルーニャの独立問題が、EUで台頭しつつある「地域主義」への注目を集めたのは確かです。
・たとえばイギリスは、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの四つの地域からなり、それぞれに独自の文化があります。近年はスコットランドの独立意識が強まっており、2014年9月には、スコットランドで独立の是非を問う住民投票が行われ、否決されました。
<地政学的ビジョンの構築がこれからの世界を知る鍵になる>
<戦後、地政学はタブー視されてきた>
・今、日本では地政学が一種のブームになっています。書店に行けば、本書に限らず「地政学」と名の付いた書籍が何冊も並んでいます。なぜこうした現象が起きているのでしょうか。逆にいえば、なぜこれまで地政学は日本ではさほど注目されてこなかったのでしょうか。
・むしろ地政学は、戦前に「大東亜共栄圏」の構想を打ち出し、日本を破滅的な戦争へと導いた学問としてタブー視されてきました。そのため、戦後の社会科教育では、地理と戦争、地理と政治を結びつけて考える発想が排除されてきました。
ところが現在、日本を取り巻く環境は大きく変化しています。隣国の中国は近隣諸国との軋轢をものともせず、大国化の道を押し進もうとしています。
<不確定な時代に必要とされる教養>
・そうした中では、安倍晋三首相が提唱している「自由で開かれたインド太平洋戦略」のように、日本が率先してアジア・太平洋地域の安定と発展を維持するためのビジョンを構築していく必要があります。
・その際に不可欠となるのが地政学です。地政学的な視点を持つことは、「なぜこの地域で紛争が起きているのか」「なぜこの国とこの国の関係は悪化しているのか」「状況を改善するために取りうるべき最善の策は何か」を考える際に、絶対に欠かせないものだからです。
・これからの時代を生きる日本人にとって、地政学は新たな基礎教養です。日々の国際ニュースは、テロや紛争、大国の身勝手な振る舞いなど、腹が立つことや悲しい出来事であふれています。しかし、単に感情的にそうしたニュースを受け取るのではなく、「なぜそれが起きているのか」を地政学的に考え、冷静に理解するように努めること。それが「国際社会の中で自分たちはどう生きるべきか」を考える際の、思考の足がかりとなっていくでしょう。
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