他力の教えは易行ともいわれます。これは、文字が読めなくても、経典を知らなくても、念仏を称えるだけで阿弥陀さまの本願によって救われるというものです。(1)
(2022/6/12)
『くり返し読みたい歎異抄』
釈徹宗 絵 臼井治 リベラル社 2022/2/24
・『歎異抄』は、親鸞聖人の教えと異なる説が世に広まっていることを嘆いた弟子の唯円が、親鸞の言葉と異端への批判を通して、親鸞の真意を伝えようとした書です。親鸞には、『教行信証』や『浄土和讃』をはじめ、数多くの著作がありますが、親鸞の日頃の語りを書き残した書はこれのみです。
・『歎異抄』は「念仏を称えようという心が起こった時点で救われる」とあります。煩悩が多い人でも大丈夫、仏様にわが身をお任せすれば救われるのです。
<自分を見つめ直す>
<自分の無力さと向き合う>
・仏教には「聖道門」と「浄土門」という二つの道があります。聖道門は、厳しい修行により、この世で悟りを開こうとする自力の道。浄土門は阿弥陀さまの本願に身を任せて浄土に生まれようとする他力の道です。
聖道門の慈悲は全てのものを憐れみ、慈しみますが、思い通りに救うことは困難である、といいます。一方、浄土門の慈悲は、往生し仏となって人々を救うこと。そのため、この世に生きている間は人々を完全に救うことはできません。
<本当に大事なものを見失わない>
・親鸞は、「私は何が善で悪であるかをまったく知らない。私たちはあらゆる煩悩にとらわれた凡夫であり、この世はたちまちに移り変わる世界で、全ては虚しく偽りで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、念仏だけが真実なのだ」と語りました。
<人間は過ちを犯しやすいものと知る>
・私たちは今の日常生活や人間関係を考えると、まさか自分が重罪を犯すなんて想像ができませんが、そうせざるを得ない環境や状況に追い詰められたら、本当に酷いことはしないと言い切れるでしょうか。
<後悔しない覚悟をもって進む>
<柔軟な頭と心で考える>
(善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや)
・『歎異抄』の中で最も有名な言葉です。「善人でさえ往生できる。まして悪人なら尚更だ」という、逆説的な言葉のため誤解されて受け取られることもありましたが、親鸞の教えの真髄を表しています。
・「悪人」とは、仏さまの眼に映る、苦しみの中で生きている全ての人間のことです。「善人」とは、かりそめの幸せに溺れ、阿弥陀さまにすがるほどの苦しみに気がついていない人のことです。
<自分には理解できないものがあると知る>
・「ただひとすじに阿弥陀さまの本願他力のはからいに促されて念仏を称えることこそが、他力であり、『無義をもつて義とす』」なのだと法然聖人が仰せられたのを親鸞がお聞きになりました。
<自分の長所・短所などをよく知る>
・親鸞はそれを宿縁・業縁と表現します。人間はまったくの自由意思ではなく、選択できない環境や状況の中では誰でも罪を犯しかねないもの。人間の心の闇や危うさを見つめた親鸞の言葉です。
<努力せずして結果だけ欲しがらない>
<自然と導かれる場所がある>
・私たちの中に念仏をしようと思う心が湧いてくるのも、阿弥陀さまのお導きです。決して自分の功徳を積むために行うのではありません。
・自分の思い描いていたものとは違っても、与えられた環境を受け入れ、精一杯生きる。それにより新たな景色が見えてくることもあるでしょう。
<自分の都合で物事を区別しない>
・私たちは、二つの物事を前にすると、区別したくなるものです。しかし、どちらが善で、どちらが悪かなどという区別は、結局自分の都合によるもので、別の視点から見ればまったく違う答えとなります。あらゆる物事は表裏一体です。あまり理屈にふり回されないことも大切ですね。
<誰にでも光が射し込んでいる>
・私たちは、他人と自分の境遇を比べて相手を羨んだり、自分を卑下したりすることがあります。しかし、阿弥陀さまは、知恵も才能も関係なく、誰にでも等しく信心を与えてくださいます。
<自分の経験則に固執しない>
<目に見えないものを感じ、大切にする>
・仏さまのお姿の一つである「法身(ほっしん)」は、真理そのものであり、形も色もない法そのものです。
私たちは目に見えるものばかりに囚われがちです。真の豊かさは目で見ることはできません。目に見えるものへの執着から離れたとき、心は穏やかで自由になるでしょう。
<偏った考えは捨てる>
・正しい道を歩みたいと思っていても、いつの間にか極端な考えに心惹かれてしまうことがあります。間違いに気づいたら、立ち止まり、またそこから歩き始めましょう。
<親鸞と唯円 ①『歎異抄』とは>
・『歎異抄』は親鸞の没後二十数年が過ぎた正応元年(1288)頃に書かれた書物で、著者は唯円であることが定説となっています。原本が現存しないので、いくつかある写本の相違は、今も研究対象となっています。
・当時は阿弥陀さまに救いを求めながらも、善い行いをして功徳を積む(自力)の考えや経典を学ばないと往生できないとする考えが全国に広がっていました。浄土仏教の思想の根幹は、阿弥陀さまの本願(他力)によって救われるものとされています。親鸞の教えが歪め広められていくことを歎き、唯円が親鸞の教えの手引書として『歎異抄』を書き記したのです。
<感謝の心を忘れない>
<周りの人に感謝し敬意を払う>
・一方、浄土門の慈悲は、阿弥陀さまの本願力という他力に身を任せ、ひたすら念仏を称えることで浄土に往生し、仏となって人を救うことです。
<支えてくれる存在に感謝を表す>
・「私たちが一生の間に称える念仏は、全て阿弥陀さまの大いなる慈悲の心に対して、その恩に報い、その徳に感謝するものだ、と思うべきである」という言葉です。
<一期一会を重んじる>
・つまり、ここでの「回心」は、人間が自分で考え、修行して人を救うには限界があることを深く理解して、そうした心はためて、阿弥陀さまの究極的な救済力におすがりする決意を固め、心を変える行為です。自力から他力(阿弥陀さまの力)への転換が回心なのです。
<疑いを持たず、身を任せる>
<一度信じると決めたら信じ切る>
<穏やかな境地は自然と訪れる>
・他力の教えが広がっていく中で、念仏する人の中にも、「毎日、朝夕に心を改めなければ往生できない」と、誤った解釈をする人がいたようです。
・自分の煩悩を自覚することは大切ですが、自力で何とかしようとするのは本願を疑う心があるからです。自分のはからいは捨て、全て阿弥陀さまにお任せすることで、心も穏やかになっていくでしょう。
<心に感謝の気持ちがあふれる>
・「自然のことわり(仏さまのはたらき)にかなえば、仏さまの恩も、師匠の恩も、わかってくるものだ」というこの言葉は、当時起きていた仏教者たちによる弟子の取り合いを激しく批判したものです。
<自然と口から出る言葉もある>
<「この道しかない」という思いが、人生を照らす>
・「私は『ただ念仏して、阿弥陀さまに救われ、往生させていただくのである』という、よきひと(法然聖人)のお言葉を信じているだけで、ほかに何もない」。
この言葉は、教えを乞うため、はるばる訪ねてきた弟子たちに対して親鸞が言ったものです。念仏以外に極楽浄土に往生する道を教えてほしいと尋ねる弟子たちに、念仏が全てであると伝えたのです。
親鸞は、長く厳しい修行に挫折し、絶望したときに法然の教えと出会いました。
<過去を背負い、生の有り難みを感じる>
<自分の力を過信しない>
・自力作善の人とは、厳しい修行や努力、功徳などによって往生しようとしている人のこと。彼らには本願に頼る心が欠けており、それは阿弥陀さまの願いにはかなっていない、と親鸞はいいます。
<後悔しないように一日一日を生き切る>
・33、4歳の唯円が83歳ぐらいの親鸞に心の内を明かし、親鸞がそれに応えます。「念仏を称えていても、早く浄土に往生したいという気持ちが湧き起らない」という唯円の告白に対し親鸞は「私もそうだよ」という驚きの返答をします。
<生命のあるものはつながっている>
・葬儀などで念仏に降れる機会が多い私たちにとって、「親鸞は父母の供養のために念仏をしたことは一度もない」という一文はなかなかピンとこないかもしれません。
・つまり、生命のあるものは皆つながっている存在であるから、自分の
父母にだけ念仏を称えるのではないということです。また、念仏は自分の力で行うものではなく、阿弥陀さまから与えてもらうものだというもの、もう一つの理由です。
<親鸞と唯円 ②生涯の師との出遭い>
・『歎異抄』の著書とされる唯円は立派な念仏者ですが、もとの名前は平治郎で殺生を好む乱暴者だったといわれています。
<強い意志を持つ>
<強い決意は誰にも惑わされない>
・「念仏者は無碍(むげ)の一道なり」に続く一文で、「阿弥陀さまの本願を信じ、念仏する人は、神々もその前にひれ伏し、悪魔や他の教えを信じる者たちも、その道を決して妨げることはできない」という力強い言葉です。
<弟子も、ともに歩む仲間である>
<物事の本質を理解する>
・親鸞は、「いくら経典論釈を読んでもその本意をわかっていなければ気の毒だ」といいます。他力の教えにおいて、本願を信じて念仏を称え、仏になる。これが全てなのです。
・いつも本質を追求する心を持ち、謙虚な姿勢で学びを続けていきましょう。
<出会いと別れはご縁>
<学びは名誉や利益のためではない>
・他力の教えは易行(いぎょう)ともいわれます。これは、文字が読めなくても、経典を知らなくても、念仏を称えるだけで阿弥陀さまの本願によって救われるというものです。
一方、学問を主として、様々な修行で悟りを開こうとするのが難行です。
・今できることを丁寧に積み重ねていけば、自然と道は開けていくものです。見返りや損得ばかりに心を奪われないようにしましょう。
<他人を否定するのは、学びが浅い証拠>
・唯円は、学問をしている人(自力の人)が、他力の教えを信じる人を蔑んでいることに対し、それは悪魔のような行いであり、仏教の敵であると非難しました。本来学問をしていれば、仏さまの慈悲の心を深く理解しているはずなのに、それができていないのです。
<「しない」という選択で心を落ち着ける>
・「しない」という選択は私たちの日常においても難しいものです。忙しい毎日の中、5分、10分でも、手を止め、静かな時間を過ごしてみると、ざわめく心も安らかになるのではないでしょうか。
<自分の決断に責任をもつ>
<どんな場所にも意味がある>
・阿弥陀さまの教えに疑いを持った自力念仏の人たちは、辺地(仮の浄土)に生まれます。そして、辺地にて疑いの心を取り払えば、真実の浄土に導かれるのです。
このような教えがあるにもかかわらず、一部の人は「辺地に生まれた後は地獄に落ちる」と主張していました。唯円はこれに対し、「辺地への往生が無駄だというのは、阿弥陀さまが嘘を仰ったと言っているようなものだ」と、批判したのです。
<道はずっと続いている>
・親鸞は、「自力の力を捨てて、浄土に往生し、悟りを開けば、今度は自らが仏となって人々を救うことができる」といいます。自分が仏となって人々を救うことこそ、真の救いであり、完成した姿であるということです。私たちの歩む道は、命が尽きた後もまだ続いているのです。
・うまくいくこともいかないことも、様々な縁によるものであるということを忘れず、少しずつ進んでいきましょう。
<信じる心も阿弥陀さまからいただくもの>
・私たちは念仏を称えようという気持ちが起こったそのときに、阿弥陀さまは、決して捨てられることのない利益を与えてくださる。
<ダメなときは引き返すという勇気を持つ>
<念仏はたった一つの真実>
・苦しみに満ちたこの世界の中で、ただ一つ、念仏だけが真実なのだと親鸞はいいます。目に見えるものへの執着を手放し、本願を信じてただ念仏する。そうすれば、阿弥陀さまの慈悲の光があたたかく差し込んでくるでしょう。
<自分の考えに固執しない>
・人々の間に他力の教えが広がると、阿弥陀さまの本願があるのだからと、わざと悪事を働く人が出てきました。それに対し、親鸞は「薬あればとて、毒をこのむべからず」と説き、その考えを否定しました。
・自分の考えに固執するのではなく、客観的な目を持ち、いろいろな角度から物事を見るようにしたいものです。
<親鸞と唯円 ③生涯の師との再会>
・親鸞が還暦過ぎて常陸から京都に帰ると、唯円は35歳で十余カ国の境を越えて上京し、再び親鸞の教えを受ける機会を得ます。唯円が41歳のときに親鸞が往生すると、唯円は故郷の河和田(茨城県水戸市郊外)に戻り、報仏寺を開山します。また、53歳で奈良に招かれ、立興寺を開山。その後、60歳の頃に京に赴き、覚如を指導、親鸞の教えを伝えました。晩年は吉野で布教し、68歳で往生したと思われます。
・この当時、親鸞が説いた真宗の教えとは、異なる解釈を説くものが跡を絶ちませんでした。浄土真宗門徒の間で歪められた教えが広まることを嘆いた唯円が、親鸞から直接お聞きした言葉を書き残し、本来の教えを伝えて誤りを正そうとしたのです。
<人の輪を重んじる>
<どんな人も、区別なく救われる存在である>
・「阿弥陀さまの本願は老若男女、善人、悪人を区別しない。ただ本願にお任せするのだという信心があればよい」。この言葉は、私たちがどんな境遇にいようとも、阿弥陀さまが区別なく救ってくださるのだということを伝えています。
・全てのものが常に移り変わるこの世界において、他人と何かを比べる必要はありません。目の前が真っ暗でどうしようもないようなときにも必ず光は当たっています。心を落ち着かせ、雲が切れるのを待ちましょう。
<後輩も共に歩む友である>
・つまり、親子、師弟という現世での縁は、前世の縁では別の人とのつながっていたかもしれず、普遍の縁というのは阿弥陀さまと自分の間にしかない。私たち人間は、みんな平等で同じ道を歩んでいく仲間なのだと親鸞は私たちに伝えているのです。
<同じ世に生きる者は家族のようなもの>
・「親鸞は亡くなった父母のために念仏を称えたことはない」という驚くような一文がありますが、親鸞の教えは、今、生きている人に対して仏になるために念仏を称えよと説くものなので、亡くなった人に対する供養目的の念仏ではありません。
・従って、現世の父母だけを特別視して救済のための念仏を称えることはしないと言っていますが、いつか往生したときには現世で縁のあった父母や近しい人からまずは救えばよいとも説いています。
以上のような気持ちを持って暮らしていれば、孤独を感じたときにも阿弥陀さまのもとで私たちの命はつながっているという安心感が持てるのです。
<人より優位に立とうとしない>
<自分勝手な解釈をしない>
・「自分本意な考えによって、他力の教えのかなめとなるものを誤ってはいけない」と私たちに忠告しています。他力の教えは、易行(いぎょう)といわれ、誰もが実践できるものであるがゆえ、誤解されたり、過激な解釈をされたりすることが少なくなかったのです。
<学びを社会につなげる>
・「もしも、自分は往生できないのではないかと不安がる人がいるなら、その人に、『阿弥陀さまの本願は善人も悪人も、心が汚れているかどうかも関わりがない』と説いてこそ、学問をする価値があるのだ」と唯円はいいます。自分が知識を得たからといって、それをひけらかし、弱者を見下しているのなら、その学びが意義のあるものだとはいえないでしょう。
<言い争いで得られるものはない>
・唯円は、他力の教えが他の宗派の人から激しく批判されても、論争をすることを避けていました。そして、「言い争いをすれば、またそこに煩悩が起こる。智慧のある者ならばその場から離れるべきである」と、その理由を述べています。
・たとえ他の人に共感されることがなくても、自分が悩みながら選んだ道ならば、気持ちがぶれることはないでしょう。
<批判によって、信念は強くなる>
・「仏さまは、念仏の教えを信じる人もいれば、悪くいう人もいるということを知っており、信じている人が疑いを持たないようにとお考えになり、それですでにお説きになられている」と親鸞はいいます。つまり、信じる人だけでなく、批判する人もいることで、この教えは間違っていないと確信できるというのです。
・物事には批判する人も、賛同する人もいる、というシンプルなことを理解していれば、批判をむやみに恐れることはなくなります。どちらの意見も、自分の中にある信念をより一層強くしてくれるでしょう。
<むやみに人を否定しない>
<目に見えない思いが相手に届く>
・仏教では布施も重要な修行の一つとされています。金品を差し出す「財施(ざいせ)」のほか、人々の恐れを取り除く「無畏施(むいせ)」や正しい教えを説く「法施(ほうせ)」もあります。
・たとえ目に見えるものがなくても、本当に心のこもった行いであれば、その中にある思いは確実に相手に届けられるでしょう。
<感情を偽らない>
・「念仏をしても喜びの心が湧き上がってこない」と打ち明ける唯円に、親鸞は「私もそういう疑問を持っていた。あなたも同じでしたか」と答えたのです。そして、「喜ぶべき心が抑えられて喜べないのは、煩悩のせいである。そのように煩悩を抱えた人のために阿弥陀さまの本願があるのだ」と続けます。
<はからいを越えた大きなはたらきがある>
・自分のはからいをまじえず、阿弥陀さまの願いによっておのずと起こるはたらきを「自然」といいます。親鸞は晩年、他力の思想を「自然法爾(じねんほうに)」という言葉で表現していました。自分のはからいを捨て、阿弥陀さまにお任せすれば、自然と導かれていくというのです。
<相手を正すには、丁寧な言葉で>
・唯円は、親鸞の教えが誤った解釈で広がっていることを歎き悲しみ、人々に本当の教えを知らせるためにこの本を書きました。決して相手を裁いたり、糾弾したりするためではありません。
<親鸞の思想>
・法然は「阿弥陀さまの本願によって誰でも往生できる」と誰もが実践できる易行(いぎょう)を説きました。どんな身分や境遇でも救われるという法然の教えは、鎌倉時代の貴族による統治から武家に統治へと政権が移り、政治・経済・社会の劇的な構造変化が起こる中で、弱者のための宗教として世の中に広く受け入れました。
親鸞は法然の教えを継承します。家庭を持ち、世俗にまみれながら、独自の寺院を持つことはせず、各地に念仏道場を設けて布教し、浄土真宗の礎を築き上げます。
<前向きに生きる>
<挫折は生き方を選ぶ機会に>
・親鸞は9歳で仏門に入り、そこから20年にわたり比叡山で厳しい修業を重ねました。しかし、それでも煩悩が消せないことに気づき、29歳のとき、自力の教えを捨て、阿弥陀さまの本願に帰入しました。
「他力の教えは、力のない人に開かれている易行の道であり、善人も悪人も皆、区別なく救われていく教えなのだ」というこの言葉の通り、誰もが実践でき、救われるのが他力の教えなのです。
<不安になると大切なものを見失う>
・親鸞の教えが広まると、それを使って悪事を正当化する人たちが現れました。悪人(煩悩の尽きない私たち)こそが救われるのだから、悪いことをしても怖くない、というのです。このような解釈をする人々は「本願ぼこり」と呼ばれ、厳しく批判されました。
・しかし本願ぼこりをめぐって争う人々は、どちらもが「阿弥陀さまの本願を疑っており、善悪の行いが過去の縁によるものだとわかっていない」と『歎異抄』には書かれています。
<日頃の行いの良さが明日をよくする>
<等身大の自分と向き合う>
・親鸞と唯円には、同じ悩みがありました。念仏の道に生きていながら、念仏を称えても心が躍るような喜びがまったく湧き上がってこないのです。しかし、よく考えれば、それを不安に思うことはないと親鸞は気づきました。
「遠い昔から今まで生死をくり返してきたこの苦悩に満ちた世界が捨てがたい。未だ生まれたことのない浄土が恋しくない。それは、まさに煩悩が盛んだということだ」。
<信念を持った人は強い>
・親鸞は戦乱、飢餓、火災、疫病などがあった困難な時代を生き、また流罪や長男との絶縁などの逆境にも見舞われました。苦難の連続であった生涯の中で、そこから逃避するのではなく、現実のあるがままを真っ直ぐに受け止め、苦しみを見つめた上で心の糧として転じさせていく生き方をしました。
<そのままの自分を認める>
<小賢しいことを考えない>
・唯円は浄土への往生について、「何事にも人間の小賢しい考えをはさまず、ただほれぼれと、阿弥陀さまのご恩の深さを思い出すように」といいます。自分勝手に善悪を判断したり、自分の都合であれこれ考えたりせず、ただ阿弥陀さまの本願に思いを馳せることが大切だというのです。
<法然上人をただ一筋に信じることが全てです>
<自分のあるがままを受け入れる>
・そもそも念仏とは、仏を念ずるという修業のこと。「南無阿弥陀仏」という仏の名を称える「称名念仏」は誰にでもできる易行ですが、法然は称名念仏こそが仏さまの願いにかなうものだと説きました。「南無」という言葉は、帰命、つまり「お任せします」ということを表す言葉ですが、親鸞は、この言葉を仏さまから「任せなさい」と呼びかけられているのだといいます。
<自分の心に素直になる>
・「浄土へ往生したいという気持ちが湧いてこない」と打ち明ける唯円に対し、親鸞は「私たちが、少しでも体の具合が悪いと、死ぬのではないかと不安になるのも煩悩のせいである」と述べました。
<愚直に生きる>
・そもそも、あらゆるものごとは縁によって起こるのだから、善いことでも悪いことでも、自分に縁のないことはできません。往生のためだといって、善事に励む人も、悪事に励む人も、実は仏教の教えをよくわかっていないのです。
<本来の目的を再確認する>
・「誰もが、阿弥陀さまのご恩についてまったく触れず、善悪だけを言い合っている」という歎きは、あとがきにあたる後序にある言葉です。
・親鸞の教えに限らず、日常的にも見られます。「初心忘るべからず」という言葉もあるとおり、最初に教えを受けたときの新鮮な驚きと謙虚に学ぶ姿勢を心の中に残して、独り善がりに勝手な教えを広めることは避けたいものです。
<雑音に耳を貸さない>
<あらゆる物事を受け入れる>
・善いことも悪いことも、人にはどうにもできない因縁によって起こっています。阿弥陀さまの願いに甘えて悪いこともするのも、その人にたまたま因縁があったからにすぎません。往生のために善いことをしようというのも同じです。私たちにできるのは、阿弥陀さまを信じて、その願いを頼りにすることだけなのです。それを胸に留めて念仏を称えることこそが、親鸞の教えだと唯円は伝えます。
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