キリスト教の新・旧約聖書、マホメットのコーラン、仏教の経典など、すべてみな霊界通信である。筆録者が耳で聴くか、言葉で語るか、筆で書くか、霊からの通信の記録である。(1)

(2022/6/26)

『シルバー・バーチ霊言集』 

 21世紀のためのバイブル

A・W・オースティン  桑原啓善 訳  

でくのぼう出版  2018/5/15

  


・本書は、1984年(潮文社)発行の新装版です。

<ノストラダムスの予言>

・ノストラダムスの予言というものがあります。人類は1999年7月の第1週に滅亡するのだそうです。また、これに類する、人類の終末を暗示する予言がいろいろ取沙汰されています。しかし、ノストラダムスならずとも、もしこのままなら、近い将来、人類の運命が非常に悲観的であることは、誰の目にも明らかなところです。

・この恐怖の原因は第一におそらく核戦争による滅亡ということでしょう。第二は、公害による生態系の破壊による地球の死滅ということでしょう。そして第三は、人心の悪化・狂気・粗暴化に伴う、人類の前途の悲観ということでしょう。これらの背景にあるのは、あるいは大量消費社会という、いわば物神崇拝のごとき、人類の価値観の歪みであるかもしれません。そして、この価値観を創出し推進している、それこそ、私達が今なお賛嘆し誇りと思っている、科学技術文明と呼ぶ、近代文明そのものかもしれません。

<編者 A・W・オースティン>

・シルバーバーチは「この通信の著者は私ではない、私は高い所から来る通信の中継者です」と言っています。私もこの通信をもって、一切の英知をもつ霊魂からの絶対無謬の教えであると、主張するつもりはありません。

<神の計画>

1、私達が地上に降りて来たのは、人々に霊的生命の秘儀を伝えるためである。この真理が地上に広がれば、戦争や革命にもまして、一大変革が地上に起こることになる。それは魂の変革である。

<明日の世界>

38、人類は今、危機に瀕している。いつも新しいものが生まれる前には陣痛がある。新しいものが生まれるということは、大きな苦痛があるということだ。いま新秩序が生まれようとしているが、それは即ち、苦痛が増大しつつあるということだ。

39、これから大きな変化が数多く起こるだろう。破壊が起こり、動乱も沢山起こる。いわゆる暗黒と困苦の時代が来る。何もかも悪くなったと人は言うだろう。しかしその背後には、世界の進歩をめざす大きな力が隠れている。

<神法について>

52、私達は、地上に幸福と健康をもたらす神法について語りたいと思う。いま教会で語る者は、いつの日かその誤りを取り消さねばならない。彼等も神法の外にいるわけではなく、誰一人として神法を免れる者はなく、特に一度霊の教えを聞いたことのある者は、そうである。もし彼等がその言葉に違反すれば、まだその教えを聞いたことのない者よりも、その罪は重い。

<神について>

108,(問)神とは何ですか。

(答)神とは宇宙を貫く法である。神とは、あらゆる生命の背後にある創造力である。神とは完全な愛であり、完全な英知である。神とは、宇宙のありとあらゆる所に瀰漫した存在である。

 神はあらゆる生命を満たし、あらゆるものの内部に在り給う。神は大いなる霊であり、生命であり、愛であり、またありとあらゆる存在するもののすべてであり給う。

109、(問)聖書には、神は一羽の雀の落ちるのも知り給う、とあります。だが、この世には無数の人口があるのに、その人達の細部にわたってまで、神はどのようにして知り給うのですか。

(答)神とは宇宙の法である。神はあらゆるものの内部に在り、万物はまた神である。魂は自らを知るが故に、神は魂を知り給う。雀は神であるが故に、神は雀を知り給う。神は震える葉の内部に在り給うから、震える葉は神である。地上といわず、霊界といわず、また人類に未知な世界においてさえ、神法はすべてのものを支配し給う。この法の外に何ものも生じることなく、あらゆるものはこの法の枠の中に生じるから、神はあらゆる事を知り給う。

110、(問)貴方のお話によると、神はあらゆるものの内に在って、あらゆるものの根源ということになります。すると、悪をなす者は神法の枠の中で悪をしているのですか。また戦争を願い人を憎悪する者は、やはり神法の枠の中でそうしているのですか。事実、人間はすべて神の分身だから、神法の枠からはみ出すわけにはいかないわけですね。いったいこれは、そのように解釈したらよいのですか。

(答)完全があり不完全がある。しかし、不完全が発展して完全となるように、不完全の中には、完全の種子が宿っている。完全は完全から生まれることなく、ただ不完全からのみ生じる。

 生命とは、生々発展し、進歩向上し、顕現拡大するものである。善といい悪といい、それは単に、生命の進歩途上の階段にすぎない、そこが終点ではない。皆さんは中途半端な頭でものを判断するから、ここまでが善で、そこからは悪と言う。だが、それは人間的な観念にすぎない。皆さんがやがてもっと違った立場に立てば、善悪の判断も自ずから違ったものになる。しかし、神は常ににあらゆるものの内部に在り給うのである。

111、(問)では、地震も神が起こすものですか。

(答)神は法、あらゆるものを統べる法。法はあらゆるものを支配する。宇宙には、この法から外にあるものは何一つない。地震や雷が地上の人々に上のような疑問を起こすことを知っている。だがそれらもすべて宇宙の一環をなしている。宇宙は進化しつつある、そこに住む者達が進化しつつあるのと同じように、物質世界はまだ完全から遥かに遠く、なかなか完全には到達しないであろう、更に更に進化を続けるだろう。

112、(問)それは神も進歩しつつあるという意味ですか。

(答)いや、神は法であり、法は完全である。だが、地球に現われる神の部分ということなら、その現われは地球の進歩に応じて進化しつつある。よろしいか、地球は進歩しつつある、地震などの諸現象はその進歩のしるしである。かつて、地球は火と嵐の状態で発生し、いま漸次、完全に向かって進歩している。

113、(問)神と宇宙とは別のものですか。

(答)いや、宇宙とは単に神の反映にすぎない。神とは秩序である。蠅に世界が分かるか。魚に鳥の生命が分かるか。犬が人間のように考えられるか。星に空が分かるか。貴方に、貴方より広大な神のことが分かるか。だがその貴方でも、魂を発揮させればそのことが分かる。即ち、言葉を発しなくても、魂の静謐の中にひたれば、貴方の霊は神へ向かって伸びていき、神と一つであることが分かる。このことは言葉で言い表わせない。だが人の魂の静謐の中にあっては、また宇宙のあらゆるものの魂の内部にあっては、それが表現されているのである。

114、(問)霊魂は個の意識を獲得するためには、物質界と接触しなければならないのですか。

(答)その通り。霊魂が意識をもつためには、肉体をとって物質の経験を重ねなければならない。霊魂は物質から霊へと進歩する。その意味は、肉体をもつことによって、物質の窓を通して働きつつ、個性としての自己を発揮できるようになる、ということである。霊は肉体経験を重ねて後、初めて自己を知るようになるのである。

115、(問)では、神は私達を通じて、経験を獲得しつつあるのですか。

(答)いや、それは違う。すでに完全なものに、人間の進歩が影響を与えるわけがない。

116、(問)でも、私達は神の分身なのだから、部分である私達の進歩は、全体に影響を与えるのではないですか。

(答)それは唯、貴方という形をとって現われている部分に影響するだけだ。その部分も本来完全なのだが、唯貴方を通じて働くことにおいて完全でないだけである。本来霊は完全である。霊は宇宙の根源的要素、霊は生命の息。だがその霊も、貴方を通じての表現の点では不完全なのである。その理由は、貴方が不完全だからだ。貴方は進歩するにつれて、もっともっと完全性を発揮できるようになる。貴方は霊を進歩させているのではない。霊が自己表現するための諸媒体を、進歩させつつあるのだ。

117、(問)霊が自己発揮している諸媒体は、移り変わっていく性質をもっているのですか。

(答)然り、法は完全である。ただし貴方を通じて発揮されている法は完全ではない。それは貴方が完全ではないからだ。だが貴方が完全になればなる程、法はより多く貴方を通じて働くことが出来る。今ここに鏡と光があるとしよう。鏡は光を反射する。しかし鏡が曇っていれば、光をすっかり反射することはできない。貴方が鏡を完全なものにするに従い、多くの光を映すことが出来る。

 あらゆるものが絶えず、自己を掘り出している。生命とは鉱石を砕き、磨き、苦労をしてとり出す黄金のようなものだ。その黄金を善、鉱石を悪と、誰が言うことができようか。

118、(問)しかし、私達は皆、善と悪との観念をもっています。

(答)善悪とは相対的なもので、魂が進歩の中途の段階にあることを示す観念にすぎない。魂がもっと高く向上すれば、そんなものは振り捨ててしまう。善悪はまだ完全でない媒体を通じて、完全な方が自己発揮をしている時に、出てくる不完全さにすぎない。

119、(問)すると、神は初源において、善ではなかったということですか。

(答)私は初めのことを知らない、また終りのことも知らない。私に分かることは、ただ神は常に存在したし、今後も存在し続けるだろうということだけ。神法はその働きまことに完璧、だが今かりに、完全な光があっても、曇った鏡にこれを映せば、光の完全な姿を映すことはできない。しかしこの光をさして、不完全だ悪だと言うわけにはいくまい。つまり魂はまだ、内在の完全性を表現する状態に達していないということだ。地上で悪と呼ぶものは、不完全さにすぎない、完全な神を不完全に表現しているものにすぎない。

120、(問)創造者はただ一人、私達には何も創造できない、こう言ってよろしいか。

(答)神は過去、現在、未来にわたっていまし給う。あらゆる生命は神であり、神はあらゆる生命である。貴方には何が出来るか。しかし貴方もその魂を磨けば、浄化し進歩する。磨くこと少なければ、宇宙の中で貴方の地位もまた低い。

<祈りの価値>

121、(問)祈りとは大切なものですか。

(答)それは祈りいかんによる。目的もなく言葉を繰返すだけなら、それは単に空気の振動にすぎない。心をこめ魂のかぎり、神に触れようと神に従おうと願いをこめる祈りなら、初めてその強さを増し、神の僕にふさわしいものとなる。この祈り、自己をさらけ出して、心をひらくこの行為によって、我々はすべて一つに結び付くことができるのである。

 祈りとは、自分をより高い霊力と結び付ける手段である。私の言う祈りとは、意味も分からずに、人の書いた文句を口先だけで繰返す祈りではない。それは及ぶかぎりの高みを希求し、心をこめ魂をつくして祈るお祈りのことである。このような祈りであって初めて、内に霊感が満ち溢れ、人は強さを増す。

<キリスト教の誤謬>

128、信条が人を縛りつけている、これは地上の不幸である。これは疫病よりも、肉体をむしばむ病気よりも悪い。それは魂の災厄である。それは魂の目かくしである。

129,信条は無限の神智を巧みに勝手な使い方をする、だから人々は信条の虜となってしまう。世にはとらわれている間だけ倖せを感じる者がいるものだ。自由とはまさに、自由を楽しむ道をわきまえた人々のものだ。幸いなるかな、信条の牢獄から抜け出た者よ。幸いなるかな、人の魂を高め、同じくこの牢獄から逃れ出させようと努める者よ。

<他界の生活>

204、肉体にあるうちは、霊界の美しさは分からない。かの世界の光・色・風景・木・鳥・川・山・花、その美しさを皆さんはまだ知らない。だから死を恐れる。

205、死が恐ろしい顔で人の心を脅かす。だが死んで初めて人は真に生き始めるのだ。いま貴方は生きている、しかし本当は死んでいると言っても過言ではない。然り、多くの人は、霊的事物に対しては、死者も同然だ。か細い生命力が、弱々しい肉体の中で、明滅している。だが霊的なことには、何の反応も示さないのだ。だが地上では、徐々に霊力が力を増していく。そうして暗黒が次第に後退していく。

206、霊界を地上の比べれば、その差は筆舌に尽くしがたいものがある。いわゆる死者である私達は、皆さんと比べれば、生命について遥かに多くのことを知っている。

207、ここに来て、芸術家の夢は現実となる。画家と詩人の夢想が現実となって現われる。天才は自在の表現力が発揮できる。地上の束縛は消滅し、天賦の才と持ち味が、互いに助け合いつつ遺憾なく発揮される。

 ここでは、気持ちを表現するのに、言葉などという不便なものはいらない。思想、これが生きた言葉であって、電光石火の速さでそれは伝わる。

208、ここには、私達を悩ませるお金などはない。争いもなければ、弱い者いじめもない。ここで強者とは、自分より不幸な者へ、何か与えてやれるものを持っている者のことである。

 ここには失業がない。貧民街もない。どんな利己主義も存在しない。ここには派閥というものは一切なく、私達は唯一つの宗教をもっているだけだ。私達には一冊の教典もない。唯神法の働きがあるだけで、それが私達を導いている。

209、死ぬことは悲しいことではない。地上で生きること、それこそ悲劇である。利己主義と強欲と貪欲の雑草が生い茂り、まさに息絶えそうな神の国を見ること、それこそ悲劇である。

210、地上には、霊界の輝きの一片だに、絵に描き得た画家は一人もいない。また音をもって、この輝きを少しでも奏で得た音楽家は、一人もいない。更には言葉をもって、その美のかけらすら、表現し得た作家は一人もいない。

211、今は5月、地上も今は美しい季節、あたり一面、神の御業が世を飾っている。しかしいま皆さんが見ているものは、霊界の美のほんの影法師にすぎない。ここには、皆さんが夢想だにできない、美しい花や木や鳥や山や小川がある。いつの日か、皆さんもこの美しさを味わう時が来

よう。

 そう、皆さんは幽霊になるわけだが、しかし、それこそまさに、皆さんの真実の存在であるのだ。

212、皆さんは霊界に来ているのだが、そのことを少しも覚えていない。毎晩のように、皆さんはこちらの世界を訪問している。これは将来の準備のためだ。こうしておかなければ、死後霊界生活を始めるに当って、大きなショックをうけるだろう。さて、皆さんは死後こちらの世界へ来ると、初めて生前訪問の記憶を思い出す。

213、(問)死後、低い境涯に行く霊魂の状況はどうでしょう。彼等は睡眠中の訪問――恐らくは低い世界――を思い出しますか。またその記憶のおかげで、自分の状況が良くなることがありますか。

(答)低い世界へ堕ちる霊魂は、生前睡眠中に行った世界へ行くのである。だが、その記憶があっても、自分の今の実状を理解するのには役に立たない。というのは、彼等の置かれたその世界は、大変現世の姿に似ているからである。他界は低い世界ほど、その外観が現世に似ている。それは波長が鈍重だからだ。高い世界へ行くほど、その波長は漸次精妙となる。

214(問)私達は目が覚めてから、睡眠中の他界訪問を思い出すことがありますか。

(答)皆さんの霊が肉体から離脱している時は、脳という現世的束縛から自由になっているわけだ。本人の進歩の程度にもよるが、そういう場合は、本人の意識は他界の波長で経験を重ねながら、その意識をちゃんと持っている。

215、(問)睡眠中の他界訪問は、それはそれなりに積極的な意味があるのですか。それとも、それは単に死後の生活の準備にすぎないのですか。

(答)睡眠中に手助けをしてあげられる人々が沢山いる。だから皆さんの中にも、こういう仕事を睡眠中にやっている人達もいる。だが一般的には、これは準備のためである。

216、(問)もし、ある人が死後のことを何も知らずに死んだ場合、その人は私達の思念に反応を示したり、その意味を理解したりしますか。

(答)死後の目覚めは、自分の死の自覚から始まる。だから、死後についての知識をもっていれば、それだけ早く目覚めが来る。

217、(問)霊魂不滅を認めないで、死がすべての終りと信じている人が死んだ場合、どうなりますか。

(答)彼とても死によって一切が終るわけではない。またその思想は大自然の事実と反しているのだから、いつか目を覚ました時、死の事実と直面せねばならない。

 さて、その目覚めにどれくらいの時間がかかるか、これは、本人の進歩の程度いかんによる。

218、(問)上記のような人の死には、困難が伴いますか。

(答)それは本人の魂の進歩いかんによる。概して現世から他界への移行には困難はない。一般的には死につつある人に意識はなく、無意識のうちに他界へ移行する。この移行を意識にとどめる者は進歩した魂のみである。

219、(問)もしその人が善人であって、しかも死後の生存を信じていないとすれば、そのことのために何か苦しみをうけることがありますか。

(答)善とか悪とか、私にはその言葉の意味は分からない。しかし質問の件については、本人の送った生活いかん、即ち本人が尽くした他への奉仕いかん、内在の神性の発揮にどれほど機会を生かしたか、唯これだけが問題である。勿論、死後存続については、知らないより知っている方がよろしい。だが何といっても一番の題目は、毎日どんな生活を送ったか、これである。

220、(問)愛し合っている二人は霊界に入ってから、再び一緒になりますか。また若返りますか。イエスはあの世には結婚はないと言っていますが。

(答)男と女が互いに愛し合い、その愛は一身同体のようであり、現界に在りながら同じ霊界に住んでいるような二人なら、死によっても二人は離れることはない。かえって死によって魂は自由となり、物質界にいた時よりも、更に緊密に一つとなるのである。

 しかし二人の結び付きが、魂のそれでなく、肉体だけの結婚で、霊的には別の世界に住んでいたものなら、死によって二人は離ればなれとなり、それぞれ固有の霊的世界へ入って行くのである。

 イエスがあの世には婚姻はないと言ったのは、肉体の結婚をさして言ったので、魂の結婚のことではなかった。男があり女がある、これはお互いがお互いに役立つからである。女は男に、男は女に必要である。神は、男女二つの原理をもって、完全なものとなし給うた。人が霊界で進歩するに従い、両者の相違はだんだんなくなっていく。

221、(問)他界で罪を犯すことがありますか。他界では、一般にどんなことを罪というのですか。

(答)勿論、罪を犯すことはある。霊界での罪とは、利己主義の罪である。唯地上と違うところは、その罪がすぐ露見するということだ。心に罪をいだけばその途端にそれがばれてしまい、その結果がたちまち現われること、地上世界とは比較にならない。罪の結果は本人に記され、そのため本人は霊的に低下する。

222、(問)肉体を離脱して後、人が霊の世界でまとう媒体は、肉体ほどに、固く、かつ真実なものですか。

(答)肉体よりはるかに真実で堅固である。地上とはいささかも実体をもった世界ではない、それは霊界の投影にすぎない。霊界こそは本当の世界、だが霊界に入ってみなければ、このことは理解できないだろう。

223、(問)物質界が私達の目に映るように、霊的な目には、霊界は自然であり、かつ物体のように見えるのですか。

(答)それははるかに実体をもったものに見える。皆さんは、現在いわば囚人である。貴方の周囲には、肉体という壁がそびえ立ち、貴方を閉じ込めている。だから、貴方は本当の自分というものは、ほんのわずかしか発揮していないのだ。

224、(問)霊界では、心と心で意思を通じ合うのですか。それとも言葉を使うのですか。

(答)言葉を使わずに話が出来るようになるまでは、言葉を使う。

225、(問)死の時、息が実際に止まった時、どんな事が起こるのですか。

(答)もし魂の意識がはっきりしていれば、幽体が次第に抜け出ていくのが見える。次いで、ふと自分が霊の世界にいることに気付く。そこで、彼は自分を迎えに来てくれた霊達の存在に気付く。これは新生活を始めるに当って、なかなか役立つことなのである。もし死の時、魂が意識を失っていれば、助けられながら死の関門を通過し、必要な所へ――それは病院であったり、憩いの家であったり――連れて行かれ、そこで、新生活を自覚するための準備をうけるのである。

226、(問)私達が死んで霊の世界に入ると、故人となった親戚の者達に会うのですか。

(答)もしお互いに愛情があれば会うし、なければ会うことはない。

227、(問)貴方たち霊魂が住んでいる霊界の境域は、地球とか太陽とか遊星をとかを、とり囲んでいるのですか。

(答)いや、そういうものではない。霊界の境域とは、こことかそことかの、場所的な境界をもつものではない。また、球体とか星とかという形をとって在るものではない。それは広大な宇宙の部分、しかもあらゆる世界のあらゆる生命と、まじり合い浸透し合ったものである。皆さんはこれらの霊的世界のいくつかを知っている。しかしまだ知らない世界がいろいろある。何となれば、宇宙にはまだ皆さんには分かっていない生命が生存する星が、沢山あるからである。

228、(問)霊魂の移動する速さには、制約がありますか。

(答)私達霊魂の移動には、時間と空間の制約はない。霊界に生きている者にとって、限界というものは何一つない。私達は地上世界のどこへでも、思念と同じ速さで移動できる。しかもそれは思念の移動でなく、実体そのものの移動なのだ。唯、霊的進歩の段階に応じた制約というものはある。つまり、その段階を越えて上へ行くことはできない。つまり、自分の人格の占める位置より、上の霊界へ行くことはできない。制約といえばこれであるが、しかしこの制約も、霊魂の霊的生活上の制約ということである。

229、(問)生物が住んでいる星には、地球の霊界とは別の霊界があるのですか。

(答)皆さんのいわゆる霊界とは、あらゆる星のあらゆる生命を包含する、宇宙の霊的な表現にすぎない。

230、(問)では、霊界とは唯一つのものがあるだけですか。

(答)そうだ、しかしその一つの霊界が無数の霊界となって現われている。地球の物質界と同じように、地球以外の星も、それぞれ霊界で囲まれている。つまり、これらの星も、物質的表現だけでなく、霊的な表現をもつものであるから。

231、(問)それら霊界の間には、いわば地理的な境界がありますか。

(答)地理的なものはない。だが、精神的な範囲という意味では境界がある。しかもその領域はある程度まで、その星の物質界の影響を示すものである。

(問)その境界とは、いわゆる天体と天体との間の境界のようなものですか。

(答)そうだ、地上生活の影響を越えて霊が進歩するまでは、当分の間、霊界にもそういう境界があるというわけだ。

232、(問)死刑執行人は他界に入って、どんな裁きを受けますか。

(答)もし、本人がこれはいけないことだと知っていれば、知っているが故の罪に対する罰を受けねばならない。またこれを知らなければ、罰をうけることはない。

233,(問)肉食に対する罰を死後うけますか。

(答)もし皆さんの魂が進歩していれば、また、もし皆さんが、神の被造物の弱いものを食べることは、間違いだということを知っていれば、いけないと知りつつ犯した罰を受けることになる。もし魂が未発達ならば、肉食を誤りと気付かないから罰はない。常に、知っていることに対しては、代価を支払わねばならない。その代価とは責任である。

<睡眠中の出来事>

263、地上世界では、大きな意識の中で起こった体験を、小さな意識の中に記憶しておくことは大変困難である。人は死によって、初めて生きることを始めるのである。

<戦争について>

・(訳者注)この章でバーチは戦争の発生を予告しているが、これらの通信は、いずれも第2次世界大戦前に伝えられたものである。

269、私達は嫌だ、この霊界がもう一度、傷ついた魂達の病院となることは。皆さんは早く準備体制を整えて、私共の教えを地上世界に普及してくれなければいけない。その必要が、私達地上で働く霊界人の目にはよく見える。このことは、私共が皆さんに代ってするわけにはいかない。

私達は唯、皆さんが道を間違えたらどうなるか、その結果を傍観するだけ、またその結果、霊魂界に何が起こるか、これを皆さんに示すことが出来るだけ。

272、皆さんは正しいもののために立ち上がらねばならない。盲いた者達が、霊の事業を阻害するに任せておいてはならない。皆さんは御存知ないが、いま進歩と平和と調和を目ざす事業を隠そうとする、組織的な努力が進行している。人と人とを差別する、そんな考えを地上は1日も早く捨てねばならない。すべてが神の同じ子供である。このことを早く学びとって貰いたい。垣根を作るのは神ではない。人類みずからである。神は人間一人一人にその分身を与え給うた。その故に、人は皆同じ神の部分である。

273、いま地上は、建設のために沢山の事がなされねばならない。この危機になお、地上の賢いと言われる人達までが、破壊のみを心がけるということは、なぜなのか。神は万事、秩序をもって進行するようにと、自然の法を定め給うた。人間たる者、この法を犯そうとしてはならない。もし人がこの法からはみ出して生きるなら、その結果は破壊と混乱があるだけである。皆さんは、その事実を過去の歴史に見出さないか。

274、私は皆さん一人一人に申し上げる。どうか地上に神の計画を実現させようとする者とともに、貴方の全力を、貴方のすべての仕事を、捧げて頂きたい。

 神が流血を好まれようか。神が戦争を悲惨を災禍を失業を飢えを茅屋を望み給うか。神が子等の手に授け給う賜物が、手に入らないということを欲し給うだろうか。幼い子供等が、その両親を失って路頭に迷うということを、喜び給うだろうか。

276、殺意が燃え上がると、理性は去る。人の内部には神性があるだけでなく、動物性の残滓も残っている。人がこの動物性を制して神性を発揮するところに、人間の進歩があり成長がある。もしこの動物性を頂点にまで燃え上がらせれば、戦争や闘争や殺戮となる。反対に、神性を発揮させ互いに奉仕し合うことを求めれば、平和と調和と豊穣が生まれる。

 皆さんはこの世界を、国によって民族によって、区別してはならない。

277、今後、人類はよほど努力と犠牲を払わなければ、多くの戦争が起こることになろう。種を蒔けば、必ずその結果を刈り取らねばならない。人は因果の理法を欺くことは出来ないから。流血の種子を蒔いておきながら、平和の実を刈り取ろうとしても駄目だ。物力を望んでおきながら、

その悪い結果から逃がれようと思っても、無駄だ。愛を蒔け、愛は返って来る。平和を蒔け、平和が立ち上る。至る所に奉仕の種子を蒔け、世界は奉仕で満ち溢れてしまう。これが素朴な神の真理である。それがあまり単純なので、地上のいわゆる賢人達はかえって迷ってしまうのである。

278、(問)大戦(第一次)の戦死者達の死によって、何かよいものが生まれましたか。

(答)何もない。地上は今日、更に混沌に近づいている。第一次大戦開始前の時より、更に破壊が満ちている。

(問)どんなに多くの勇気と武勇も、無駄骨ということですか。それでは何か霊魂の方からの反発があるのではないですか。

(答)戦死者の側からすれば、ある彼等は善意に基づき戦争に参加した。しかし世の中は彼等を欺いた。死は無意義なものとなった。世界は依然として唯物主義を捨てないでいるのだから。

279、(問)休戦記念日の奉仕事業が年々、行われていくとすれば、何か効果がありますか。

(答)それは、戦死者のことを忘れてしまうより、暫時でも思い出すことの方がよろしい。だが、世界は軍事力を誇示したり、銃砲火器、兵隊、あらゆる軍備をそなえながら、片手で休戦記念の仕事をしたって、何もよい結果は生まれない。その休戦記念を、霊的奉仕の性格に変えることは出来ないのか。

280、(問)貴方は平和主義者の運動を支持されているのですか。

(答)私は特定の主義団体に属するものではない。私には特定の旗印はない。私は奉仕に、動機に目を向けるものである。肩書や標識に迷わされるな。

283、世界のすべての問題は、霊的法則の適用によって、初めて解決される。このことを地上世界は分かってくれるだろうか。利己主義は、流血と涙と戦争を生むだけでない、世界の混乱と不幸と破壊を生むものである。

284、人類はこれまであらゆることを試みてきた。そしてそのすべては虚しいものであった。だがまた一つだけ試みられないものが残っている。霊的神理の適用、これである。もし人類がその試みに入らなければ、戦争と流血は依然として続くであろうし、またその結果は、必ずや誇大虚飾を極めた地上文明の破滅に至るであろう。

 

<再生>

285、(問)一人の人間の意識が、別々に分かれて働くことができますか。

(答)貴方は一つの意識体である。だが実をいうと、貴方は一つの意識のほんの一小部分を地上で表現しているだけであって、その意識の別の部分は他の世界に在って、それぞれ意識体として活躍しているのである。

<死の諸問題>

(夫と死別した婦人に)

301、霊的な結び付きは、物質的な結び付きよりずっと大きなもの、このことを貴方もやがて知る時が来る。貴方の御主人も、在世の時より今の方がずっと貴方の傍にいる。

 現在地上世界の進歩は、物質の波長の限度内に止まっているから、肉体的別離は人にも大きなものだろう。だが地上の進歩が更に進めば、人々は知るようになる、物質は影にすぎないと。貴方は今その影を実体だと思っている。それは貴方が現に影の中に生存しているからだ。

 貴方が進歩を遂げれば、光と、光のつくり出す影との区別ができるようになる。地上の結びはひと時、霊的な結びは永遠。

<霊能・奉仕の法・魂と霊・バーチの祈り>

<奉仕の法>

319、神学者達の手にかかり、宗教は馬鹿でかい神秘の固まりとなってしまった。宗教とはいたずらに疑問と混乱の巣窟、これが彼等の制作物である。私は言う、一切の宗教の精髄一切の生活の核心、これを唯一言にして表わせば、「奉仕」これである。

<他界からの指導>

324、(問)本人を助けている守護霊がいるのに、本人がその存在に気付いていないということがあり得ますか。

(答)そういう人は、無数にいる。だが、本当はその守護霊の存在に気付いてくれることが望ましい。

(問)その存在を知れば、本人の力は増加しますか。

(答)その通り。その存在を知れば、両者の結び付きは一層密接となる。

 皆さんは光が得られるのに、なぜ闇の中にいるのか。水が飲めるのに、なぜのどを渇かしたままでいるのか。

<インスピレーションについて>

325、(問)人間は同じ職業の霊魂からインスピレーションをうけるものですか。たとえば、新聞記者は生前新聞記者であった霊魂からというふうに。

(答)その通り。人はこの世でもっていたものを、あの世に入ってなに一つ失うことはない。地上で才能を発揮した人物は、霊界に入っても、更にその能力を伸ばしていく。

<シルバー・バーチは語る>

(これは、バーチが霊界通信を開始するまでの永い苦闘について、みずから語ったものである。)

・はるか遠い昔のことだが、私はこう尋ねられた、お前は物質界に戻って、霊界通信を送る団体を地上に作る意思があるかどうかと。私は、他の霊魂も行ったことがあるように、その意思のあることを告げた。こうして私のこの仕事が与えられた。

<なぜ高級霊達は地上に戻って来るのか――再びバーチは語る>

・多くの霊師達と同じように私もかつてこう尋ねられた、もう一度地上に戻りて、いま滅亡に瀕している人類と世界を救うつもりがあるかと。

 以来、私は皆さんの中に入って活動をつづけ、今なお地上にあって活動をつづけている。

<霊界通信について>

・こうしてみてくると、古来、霊界通信がいかに人間の生活や文化の中に深く根ざしているかが分かる。死者と交わる慰めや、吉凶禍福の占いやまじない、悪魔ばらい、こういう民衆の生活に食い込んだものから、「お筆先」のような宗教文化に作用する、いわば高級なものに至るまで、さまざまである。

 キリスト教の新・旧約聖書、マホメットのコーラン、仏教の経典など、すべてみな霊界通信である。筆録者が耳で聴くか、言葉で語るか、筆で書くか、霊からの通信の記録である。啓示・霊示・天啓など、さまざまな言葉で呼ばれるが、原理は恐山の「いたこ」と一つなのである。

 また学者の発見や発明、芸術家のひらめき、練達の職人の勘、これらの根源も霊界通信にある。敏感な彼等に、霊界からの英知が一時通信を与えたのである。これを我々は、第六感とか、直感とか、インスピレーションとか呼ぶ。

・もし、炯眼の士ならば、これらの中に流れるものが唯一つであることに気付かれるであろう。それが真理である。真理は常に単純である。もし、現在さまざまの危機に直面している現代人が、この単純な真理に目覚め、宗派のドグマから醒め、歪んだ文明の方向の舵を取り直す勇気をもつなら、核戦争の危機も、生態系破壊の危険も、人間性破綻の狂気からの危機も克服して、洋々たる21世紀を迎えることになろう。シルバー・バーチは、唯一つこの使命のために、半世紀の間、モーリス・バーバネルの口を借りて、語りつづけたのである。

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