彼等には身体が無いと、人は思いがちですが、誤りです。彼等には、エーテル体・幽体・霊体などがあります。貴方がたにはそれが見えないだけです。(1)

(2022/6/29)

『ホワイト・イーグル霊言集』

人類の秘庫を開く

グレース・クック   桑原啓善 訳

でくのぼう出版   2020/3/18

・本書は1986年(潮文社)発行の新装版です。

・ホワイト・イーグルは「人は神の息子・娘」と繰り返しました。「人は動物」(ダーウィン進化論)を否定しました。1979年に霊示を終えたホワイト・イーグルは今、不死鳥となり地球を巡ります。全地球人の神の子復帰を伝えるために。

<人類滅亡の予言>

・私共は人類史上ただ一度の一大ショーを見る幸運(悲運)に生まれ合わせています。核戦争・生態系破壊・人心荒廃・飢餓、どの一つをとっても、人類は今世紀のあと残す15年の間に恐らく滅亡するでしょう。さまなくば、起死回生の文明の一大転換が起こり、夢想もできぬ新時代に突入するでしょう。

 今日ほど、人類滅亡の予言、終末のささやきが地上に満ちている時代はありません。まら、その反面、今日ほど新時代を迎えるための、霊示が湧き起っている時もありません。

・本書は、イギリスの霊能者グレース・クック女史が、ホワイト・イーグル霊から受信した霊示の最初の三部作の訳です。

・ホワイト・イーグルとは仮名で、その正体は聖ヨハネ、即ち、イエス・キリストの12弟子の一人で、また新約聖書ヨハネ伝の筆者とも言われています。ホワイト・イーグルは大ホワイト霊団に所属しています。

 ホワイト霊団は、他界にある高級諸霊と、地上で人間に働きかける諸霊と、即ち顕幽両界にわたる一大組織から成っている。上方は遥か神界の彼方に及び、下方、その啓示を人間に伝える役割をしているのがホワイト・イーグル霊である。この霊団の使命は、神の啓示を人類に、各時代を通じたまま各民族に、伝達することであった。それは従来から、主として神秘主義的な集団を通じて人類に伝えられてきた。

・いったいどこが、新時代の霊示なのでしょうか。真理に背いて破滅に向きあっている人類にとっては、真理そのものが新時代のための啓示です。シルバー・バーチ等と同じように、人間の実体を霊、即ち神の火花としている点は全く同様です。この霊性を、自己の上に、また人間生活全面の上に顕現すること、これが人間のあるべき姿、即ち新しい時代の文明の姿です。

 バーチは、この霊性顕現の道を、人間同胞の真相に立って、<奉仕>に求めます。ホワイト・イーグルも全く同様です。ただ、バーチがこの事を、人間の理性に向かって訴えるのに対し、イーグルは熱い信仰心に向かって訴えます。この点、いかにも聖ヨハネの特質がうかがえます。と申しても、一切の宗派宗教とは無縁です。

・結論として、ホワイト・イーグルは、人間が此の世に生を享けた目的は、自己が神性を発現して聖化することによって、地上の一切の生物・物質、ひいては地球全体を聖化するという人間の大使命があることを指摘しています。そのための方法を説いたのが本書です。

・書中に、しばしば(キリスト)という言葉が出てきますが、これは2000年前のイエスとははっきり区別されています。(神霊)の意味で使っています。

・通信霊はイエスの弟子聖ヨハネですが、内容はキリスト教とは無縁です。

<暁の光>

<曙光>

・私共は死の彼方、霊の世界より、下って来ました。地上に平和と癒しと慰めを与えるために、この通信に耳傾ける者は、必ずや、今日の混迷した諸問題の解答を見出すことになるでしょう。

・人々が悩んでいる問題の回答は、すべて神の心の中にあります。人がもし思いきって自己を捨て、神の心に触れるなら、たちどころにその解答を握ることになるでしょう。我々の通信の意図は、実にこの点にあります。

 既に何度も述べたように、人間とは肉体であるとともに、また霊的な存在であるということ、この自覚を決して忘れてはいけません。

・人がもし、自分の成長発展だけに心を奪われず、進んで他者への奉仕につとめるなら、自然に人格は高まり、内在の神性も開顕されます。人がもし、霊的法則に気付きこれに従うなら、自然に道は開かれます。

<真理は貴方の内部>

・個人的問題にしろ世界の問題にしろ、その回答を求めるなら、静かに黙って、内心の静寂につとめなさい。微動だにしない湖水、それが貴方の魂です。

・人間の魂は不思議な器械です。思いのままに、沢山の放送局に波長が合わせられる受信器です。あるいは欲望と不安うずまく暗い幽界に、あるいはすべての生活が神の美の表現である境域へ、もし望むなら、太陽系の他の諸天体へまでも。人間とはまことに、天馬の羽を授けられた生きものです。

・個人の行なう一つ一つの善だけが人類を救うのです。この善なくして、人類の未来はありません。ひたすら善に生き、善をなし、善でありたいと願う人は、人類の未来にははかりしれない贈りものをしているのです。

<人類の大降下>

・世界の現状は、再び、人間の内にひそむ内的善に向かい、挑戦する状況に入っています。この内的善の刺激で、人間は顔を天の光の方へ向けるのです。宇宙の一切の秘密は、なお、人間の内部に隠されたまま、彼がその扉を開く日を待っています。

<光の神秘>

・人はなぜ、平和な天界を捨てて、地上に生まれねばならなかったのでしょう。

・人はこの地上生活中に、自己の肉体と感情両面の弱さを克服しなければなりません。

<生命は法則に支配される>

・人生の不公正に思い悩むことがあったら、信念をもって、人生はすべて神愛と神法によって支配されていることを思いなさい。此の世には不要なもの、でたらめなものは何一つありません。

・このように人生は公正無私の法で支配されている以上、人生に不公正があろう筈がありません。

・古代象徴学では、この神秘の鳥はホワイト・イーグルと呼ばれていました。

<奇蹟について>

・覚者は物質の制約を超えています。彼はエーテルと、地水風火を自由に支配できます。

・物質原子の統御が出来るようになると、霊はどんな原子も意のままに使えるようになります。

・重ねて一言しておきます。正しい考え、正しい生活、正しい感情と行為、また自分を裁いても決して他者を裁かない、これによって貴方の肉体原子は浄化されます。

<生命を放つ太陽>

<光の崇拝>

・昔、私共は穀類の播種は光との調和の下で行ないました。播種に先立ち、大神霊の恵みを祈念したわけです。これにより光を地中へ導き入れました。

<キリストの光輝>

・死後、肉体は火で処置しますが、あれは肉体原子の転換です。言葉をかえて申せば、暗闇の原子の中に閉じ込められていた光が、解放されたということです。

・聖書を読むと、古代の預言者や聖者が見た、天使の出現のことが書いてあります。

・重ねて強調します、「光とは生命です、生命とは光です」。人が、内に光を留めておくには、愛をもたねばなりません。

<健康の秘密>

・生命力は、光から出て、血管の中を通ります。ここに健康の秘密があるのですが、ご存知ですか。ですから、光を欠くことは、血液の流れに、ある要素を欠くことになり、これが不調・病気・衰弱の原因となります。

イエスはこの秘密を知っていました。

・人が物質を越えて光を働かせる時代が、それを無私で、善のために実行できる時代が、近づきつつあります。

<生命である光>

・神は自らに似せて人間を創り給うたと、聖書に書いてあります。これは真理です。人間の有限の知をもってしても、神が全知全能で遍在し給うことは判ります。

<霊師達について>

・さてここで霊師達について説明しておきましょう。彼等はいわば地上の遥かな高山にも比する、霊界の高処に在ります。彼等は霊的真理を自覚し、神霊との直接交通が可能となっており、人類の進歩向上のため不断の活動を続けています。つまり神に通じるということは、人類全体にも通じるということで、従って、神と人類とのメッセンジャーの役割を果たしているのです。

 彼等は依然として人間の姿形をとっており、過去人間のあらゆる段階を経験しているので、人間のどんな気持ちどんな要求をも理解することが出来ます。

<世界の導師>

・新しい世界の導師がまもなく出現するのかと、よく質問を受けます。しかしお分かりでしょう。此の世には唯一の生命の光があるだけだということを、キリスト教では、これをイエス・キリストと呼びます。

<人間を救う法>

・人間の記憶は頼りないものです。だから、いつも真理を思い出すことが肝心です。人間の歩む道とは何か、この本当の意味は皆さんはすぐ忘れてしまう。

 人は単に物質的な肉体と心ではない。人間とは死なぬものです。人は死んでも、自分の死に気付きません。それは、肉体から抜け出ても、やはり同じ形を保っているからです。天国とは、人が死んでから行く、どこか遠い国ではありません。それは此処です。貴方が今立っている此処です。

・イエス・キリストは信じる者は、すべて主によって救われる、皆さんはこのように聞いていますね。まさにそのとおりです。但し、貴方自身の努力、協力、働きがなければ無効です。人はすべてその播いたものを刈り取る、イエスはそのように申しましたね。

・人の想いと行為はまさに種子です。その果は、他日、狂いなく刈り取られます、貴方の魂と貴方の肉体の上に。これら種子は貴方の未来を創るひな型です。貴方の未来は、この狂いなき法の表現であり、誰一人これから逃れることは出来ません。

 この法(カルマ・業)と共に、これを補足する、東洋でダルマと呼ばれる法があります。ここで「ダルマ」とは、人が置かれた環境でベストを尽くせば、その環境や境遇は良いものに変えられる、この法です。

・以上、魂の救済、キリストの力について見てきましたが、人間内在のキリストの光、これが唯一つ、真実の救済者なのです。

・霊性問題の道において、他者への奉仕が至上の要務です。この事はあの世でもこの世でも変わりありません。人の為すべき第一の奉仕は神に対するもの、崇敬と愛慕です。第二は隣人への愛、己のごとく愛することです。

<崇敬という奉仕>

・もう一度、高級霊について考えてみましょう。彼等の日常は、神に心を向け、崇敬・愛慕・沈思の生活です。この行為を通じて、彼等は全人類に救いを、地球そのものにも浄化をもたらします。

・この生命あればこそ、人は目に見えぬものの存在、目に見えぬ高級霊を信じることが出来ます。貴方に受け入れる準備さえできれば、彼等はいつも貴方の傍に居るのです。心静かに、天界に向かって沈潜しなさい。その時高級霊が貴方に近づきます。貴方はその存在をあらわに感じることになりましょう。

 疑ってはいけません。高級諸霊がみなさんのために活動しています。瞬時も皆さんのもとを離れません。皆さんの目を思想を上方に向けさせようとしています。先ず神の国を求めなさい。先ず無窮の神霊とのつながりを求めなさい。ひたすら神を敬し神を讃えなさい。

<晴れゆく霧>

・人は良い事があると、それは自分の力で作ったものだと思います。こうして人は、人間とは見えない力の通路にすぎないという真理を見失います。しかし、人は全くの操り人形というわけでもありません。人間には自由意志があり、それを使う権利があります。また人は選択の能力があります。

・それゆえ、未来を恐れるのは間違いです。未来とは更に神に近付き、更に神と生命に目を開いてゆくことに外なりません。死を怖れるのも間違いです。死はありません。この事は何度も申したとおりです。

<死も別離もない>

・心の底に確信をもちなさい。人間の生命は無限であり永遠です。かつて貴方が居なかったということはないし、未来永劫なくなることもありません。

・そのために、神は現世の生命を有限とされた。人は、肉体をまとって暫時この世で過ごす。やがて肉体の外衣を脱ぎ捨てると、霊の世界に入る。其処こそ真の人の故里、そこで英気をとり戻します。

・他界で今までになかった自由を得、地上の束縛や無知から切れて、無人の幸福にひたり、霊魂は生気をとり戻します。こうして、十分に休養をとり、地上経験の反すうを終えると、霊魂に再生の関心が目覚めます。ここに、再生の時が来たのです。

・まことに未だ目は見たことがなく、耳は聞いたことがない、かの神が子等のためにととのえられた栄光を。人間の有限の心をもって、到底この栄光は分かるものではない。地上をとり巻き地上に滲透し、やがて人の往くべき、かのエーテル界・幽界・霊界・天界、これはさておき、あの広大にして無辺きわまりない動物や人間の一大王国、とうてい人智の知り得るところではないのです。

<天国と地獄>

・人が死後どんな境涯に入るかは、生前の生活いかんにかかっています。肉体の諸欲に溺れた者は、幽体が粗雑であり、良い境涯に入ることは出来ません。

 他者に親切であった者は、清浄で美しい境涯に入ります。欲に溺れ低級な生活を送った者は、それに応じた低い幽界に入り、一層の勉強と浄化の必要上、遠からず地上に再生します。

・この境涯の魂達は、自己の興味に応じた仕事をします。音楽・美術・文学・科学・園芸・建築――多くは生前の興味の対象だったものです。ただ、その関心は一層鋭く、妙味は一段と深くなっています。それは表現能力がここに来て大いに高まっているからです。

 死んで、他界での生活、そしてまた地上に再生、この過程の繰り返しは、通常長い時間を要します。しかし、必ずしもそうでなく、長足の進歩をもって各界を通過し、永遠の自由の境に入ることも可能です。しかし、魂が低級な性質や欲望を払い落とさない限り、何度も地上生活を繰返さねばなりません。ひとたびこの経験を自家薬籠中のものとするや、魂は再生から解放されます。

 中には、みずから進んで地上に再生し、人類の救済にあたる魂もいます。

<神への憧れ>

・さて、再会の境を後にして、魂が次々と言語に絶した美しい諸境域を通り、上方へと上って行くにつれ、或る程度、神の愛と栄光をのぞき見ることが出来るようになります。その時、魂は自己の貧しさと自己の不完全さを強く意識します。これは神から発する烈しい光にあてられたからです。「神へ、更に神へ」血を吐く思いで叫びます。その烈しい欲求は、もはや、あらゆる犠牲あらゆる労苦をかえりみない程になります。この時、霊師が傍に来て尋ねます、「神にもっと近づきたいのか。更に神にもっと似た者となりたいのか。その道は唯一つ、もう一度地上に戻って修行することである」と。

・永遠の御手が、私達の下に在る。(この御手を拒絶する、余りに多くの者達、その不可思議さ)。無限に一切を抱擁する愛こそ、あまねき真実性。神はいずこにも在り、神はすべての物の中に在り給う。神の居まさぬ処とてなく、その心に神の居まさぬ者は一人もいない。

<金色の天>

<正しい思念>

・正しい思念と善意、また神を思う心、これのもつ価値は計りしれません。もしこの傾向が人類に広まれば、人類の未来をあずかる高級霊達に、多大の援助を与えることになります。既に影の一部が光によって破られています。ものを理解する力が一段と増しています。

・国と国との戦争が終わる時、そこに人類の未来があります。それは今日の誰にも予測できない、まったく新しい違った道です。しかし、心に銘記されよ、社会の、産業の、国家の、国際上の諸問題は、愛によってのみ解決されるということを。

・人は、生涯を通じて、日々の自分の思想で自分の世界を創るのです。今日の彼の心が、明日は現実となって、彼の環境をつくります。同じ事で、国民が他国民に対し、怒りの心をもてば、この集団の思いが強化される時、戦争となります。戦争とは、国民大衆の心が投影したその結果なのです。

<一切を包む愛>

・私共は筆舌につくせぬ愛を抱いて下界に来ます。そしてひたすら祈るのです。神が私共を使い給うて、いま人類に欠かせない神の加護と無辺の愛を、人間が知るようになるようにと。

・天国は遠い、天界は手が届かぬ、そう思う時、人は道を踏み違えます。天国は人の内部にあります。地上生活中に、天国を発見する道を学なねばなりません。その者は、死の時、間違いなく天界のような境域に入る者となりましょう。

<人は独りではない>

・苦しみの時、独りぼっちと思ってはいけません。為すすべもなく途方に暮れている貴方を、じっと心にとめている私共が居ます。貴方の目はいま塞がれています。それは一時的なことです。心に確信と平和を抱き、ひたすら神の僕たらんことを願い、静かにその命令を待ちなさい。神とその使徒らが知り給わぬ事は何一つありません。

<内的世界>

・有限の心をもって、永遠を知ることは出来ません。しかし私共の語る言葉で察することは出来ましょう。人の内面の奥所には、信じがたいほど完全な世界があります。人が恐怖・感謝・心痛などに対し、自己統制が出来るようになれば、即ち平和の聖処に踏み入るようになれば、その世界の栄光を目にすることになります。

 ヨハネ黙示録には、金色の往還と宝石をちりばめた門をもつ黄金の都市――新エルサレムのことが書いてあります。この都市は、内的自我の記述以外の何ものでもありません。其処にある寺院は魂の象徴、宝石をちりばめた門はチャクラ・魂の諸中枢、キリストの王座は魂の核心です。

 またヨハネ伝には、魂の辿る長い道程について、また天界の状況についての、明確な記述があります。

<束縛を破れ>

・こちらの霊界から皆さんに語りかけていますと、愛と同情を禁じえないのです。皆さんの方では縁を切りたいのに、切れないで物質に沈りんし枷をはめられているからです。その枷は貴方が選んだものです。

・この進歩は、掛け値なしに貴方のものです。地上で試練をうけているこの間、目が塞がれているのは、むしろ良いことなのです。と申すのは、困難や制約にどんな態度を示すか、それ次第で、試練にパスするか、枷から解放されるかが決まるのですから。解放と申しても、死後のことではありません。この物質界での枷からの解放です。

 貴方は、いま地上に居るわけですが、同時に、此処霊界にも居るのです。霊界には、貴方の守護霊・指導霊・親しい故人達が住んでいます。彼等は貴方のためならば戻って来ます。貴方の手助けのために、また貴方が意気消沈した時、気を引きたてるために。

 もう一言つけ加えておきましょう。貴方が思い切って自分を開いて、内在の光を受容すれば、肉体の皺は伸び、痛みなども消えます。人が老いるのは、感情の不統制のゆえです、どうにもならない心配のゆえです。

<神界組織>

・以下に、人類世界の構図を示しておきましょう。人間の魂は、高きも低きも、すべて一本の人類同胞の糸で結ばれています。その上に、人類の守護指導を使命とする一大神界組織があります。人間はそこから通信を受けることが出来ます。その通信は歩一歩到来しつつあります。

・ですから、皆さんの進む人生の道とは、自分ひとりの喜びのためだけでなく、世のため人のため、その幸福のために尽くすこと、またすべての生命の霊的進歩に貢献することです。

・貴方と共にある責務に目をとめなされ、何と栄光の機会が貴方にあることか。これを曇らす世の闇を入れてはなりませぬ。貴方には生得の権利があるのです。奉仕と神への崇敬、自由と至福の生命に入る権利が。平和と歓喜が貴方と共にありますように。

<日の出>

<道・道理>

・死、地上から霊界への移行、人間の目にはそれが、どうやら怖ろしいお化けのように映るようです。気にすればするほど、その不安が高まるのですね。

・人間はすべて感情の世界に生きています。そして、この感情は、周辺の心、即ち他者の思想の影響を受けます。

 そこで、霊的視力を増したいと望むなら、先ず第一に学ぶことは、この感情の統制です。

<内的世界は実在>

・人間の体は、生命の諸界層と同質の実体で創られています。これは肉体のことだけではありません。人間には、肉体よりも更に精妙な幾つもの媒体があります。これら諸媒体は、これが機能する生命の諸界層と全く同質の実体で創られているということです。地球の周辺の星にも、その星と同質の実体で創られた生命体が住んでいます。たとえば太陽霊・太陽人は、太陽と同質の実体で体が創られているので、太陽に住むことが可能であり、現に住んでおります。

・祈りと瞑想、これにより、私達は無限の愛と無限の美の内的世界へ、いっそう深く入っていくことが出来ます。

<死後の生活>

・霊界生活も地上生活と甚だ似ていると。ただ違っている点は、霊界を構成する素材が、地上のそれより濃厚でもなく固くもない、即ちもっと柔軟であるということです。

・死後目覚めて先ず気付くことは、「自らつくる創造の世界」ということです。利己的な地上生活を送った者の周囲には、利己的な者ばかりが集まります。まさに同気相ひく世界です。拝金主義者の死後は貧しく、貧しい環境の中に住みます。霊的要素を持ち合わせていないので、家を建てることさえ出来ないのです。環境は内的自我の複写です、その顕現です。

・霊界での生活は地上生活とそっくりです。ただ少し違っている点は、醜いものは一層醜く、粗野で不快なものは、一層粗野で不快、それは逃げも隠れも出来ません。

・霊界人達は心に思えば、すぐ其処に居ます。花咲乱れる園を思えば、もう其処に立っています。彼等の思うこと、願うこと、夢想すること、それがすぐ事実となって現われるのです。

 死後の生活では、地上では夢や希望が、その環境のゆえに制約されたのですが、此処では願望がすぐ事実となるのですから。

・霊界人は飲食をするのかと、人はいぶかしがります。食べてはいけないとでも言うのでしょうか。食べます。それは肉でありませんが、霊界にできるフルーツを食べます。こちらの生活は、全く自然なものです。霊界人は、黄身のない殻のない卵でしょうか。彼等には身体もあれば、家も庭も、必要な物は何でもある、極めて自然な存在です。その生活は自然で、正常な生活です。彼等には身体が無いと、人は思いがちですが、誤りです。彼等には、エーテル体・幽体・霊体などがあります。貴方がたにはそれが見えないだけです。

<すべての世界は一つ>

・肉体の内部には、エーテル体(訳者注・「複体」とも呼ぶ)があります。これは水がスポンジに滲透するように、肉体に滲透しています。このエーテル体は神経組織に深いかかわりをもっています。

・幽霊とは、肉体の死後、地上に残されたエーテル体の部分です。これは長期にわたり地縛となることがありますが、一般には肉体と共に分解するのが普通です。

 次に、幽体は、情緒・感情の記録係で、これも肉体に滲透しています。人間は常にエーテル体と幽体の中で生きているわけです。

・幽界(これは「土類」の系統とも言える、但しはるかに精妙)、この

幽界の彼方に、霊体をまとって生きる人達の住む霊界があります(この霊体も、現に地上の人間にも具わっているものです)。さて、漸く高級我・天使的・天上的媒体について述べる段階になりました。これは光り輝いて、その外容、光輝の点ではきわめて美しいものです。人間にはみなこれが具わっています、ただ未発達ではありますが。これは幾多の生(まさに無数の生)を経過して開発され、霊の宮となるものです。

 此処、この精妙な国は、天使達、聖者達、あらゆる時代の完成された魂達が住んでいます。まさにこれら魂達は、世の苦難を乗り越えて、愛の神法と一つに調和した者達です。

<天に至る道>

・天界と接触する強力な道は、睡眠です。このことは前にも言いましが、多数の人がこれをやっています。

<追想の日に>

・死を歎く人達は、死後起こることについて何も知らないのです、気の毒なことです。彼等は通信を受けるでない、死者達が身近に居ることに気付いてもいないし、ただただ突然の死――その思いの外に何もないのです。彼等はバイブルを正しく読んでいません。そのため、顕幽両界に心理的な遮断幕を降ろしているのです。

<正しい霊交>

<霊界の子供達>

・幼児や嬰児は死ぬと、その後どうなるのだろうか?先ずもって心にとめて貰いたいことは、その子の死とは、単に身体上のことだけ、ということです。他界に際し、死の天使が傍に付き添います。そうして、魂を眠らせて、優しくいたわりつつ地上から離します。子供は他界で目を覚まします。傍には聖母霊が付き添っています。子供はその優しい雰囲気に包まれ、いささかの怖れも感じません。

・他界で、子供達はすみやかに成長します。霊魂の時間と人間の時間とでは比較のしようがありません。子供を失った者達は、可愛い姿のままに憶えています。従って、時が来て他界し、やがて再会しますが、その時子供達は見間違えられぬよう、しばらくのあいだ元の子供の姿をとります。

・また、他界には動物たちもいます。動物も死後生存するのです。彼等は思いのまま動物生活の喜びを満喫しています。

 

<真の証拠と真理>

・それ故に、死後生存の証拠を求める者に対して私共は申します、内心の光に従いなさいと。つまり啓示を求めよ、そうすれば、夜の次に昼が必ず来るように、人は自己にとり絶対の立証となる経験を積んでいくことになります。

<霊交>

・他界した霊魂は、霊媒を通じて通信できるのか、皆さんはこの点について知りたいと思っておられる。たしかに、この方法での通信は可能です。

・霊媒による霊交を望んでいる皆さんに、私共は申したい、自分自身の受信力を増進させなさいと。

・私共は霊媒による通信を「外来通信」と呼びますが、これには種々の形式があります。霊言・精神感応・直接談話・自動書記です。

<光の宮>

・地上生活中に、人は宮居を建設しています。先ず第一に、日々の食物と呼吸する空気とで肉体をつくります。同時に、日常の欲求・情緒・好みによって幽体を建設します。

・霊界の上に「光の宮」があります。魂が再生するのはこの境からです。しかし、地上で奉仕の苦闘生活が終って後、この境で、長期の至福の生活をつづけることも可能です。其処の滞在期間については格別のきまりはなく、また、地上への再生も強制はされません。しかし終局においては、再生することが生命の法則です。

・人間の魂は、幽体・霊体・本体即ち「光の宮」から成っています。これらを併せたものが魂です。しかしもう一つあります。霊です。魂が自己完成を遂げた時、つまり、地上生活の経験をすべてとり入れた時、その霊はキリスト性を開眼する準備ができたことになります。

<キリスト意識>

・どうしたら、人は、宇宙に在るキリストの生命と力を、自分のものとすることが出来るでしょうか。善人なら死んでから会える、キリストとはそんな遠い存在ではありません。キリストは、目の前に存在する力であり智です。現に、キリストは貴方の友であり、貴方の兄弟です、もし貴方が望むならばですが。また、キリストは救世主でもあります。と申しても、私共は人間の主イエスのことを言っているのではありません。この地上の生命の始源より存在した、宇宙の神性の光、このキリストのことを申しております。

・貴方が病気の時、また、貴方の愛する者が病んでいる時、貴方は自分の霊を高めて、キリスト、その輝く存在に触れることも可能です。本当にこれが出来さえすれば、一切の病気も痛みも治癒します。キリスト神霊は医師です。キリスト神霊はイエスを通じて、これを行なってみせました。この創造主の治癒力は、今も示されつづけております。

・心をしかと、勇気をお持ちなされ。――この瞬間より新たに、一切の善を心がけなされ。全心をもって、愛することを心がけなされ。日々の生活に感謝の思いを向けなされ。此の世にあっても、貴方の下には、永遠の手があることを、心から離してはいけません。

<黄金の実り>

<光の道>

・夜空に目を向ければ、広大な星空の拡がりに目もくらみます。しかし、人は空のほんの外側を見ているにすぎないのです。大空の星の一つといえど、一つの偉大な魂――神と私達は呼びますが――その指揮下にあるのです。

・人の師たること、救世者たること、その資質は限られた少数の人だけのものではありません。神の子はすべて、内にその可能性を秘めています。そして、貴方がたこそその神の子、人の師、救世者たり得る資質をもつものです。貴方には自由意志があります。貴方は霊性の開顕に必要な最高の状況に置かれています。それは貴方が神の偉大な計画の部分だからです。

<力の試練>

・個人の問題も、人類の問題も、その回答はすべて、神の意に身を委ねるところにあります。即ち、貴方の内在の声、「神の意なさるべし」、これに従うところにです。

・ひとつだけ確かな事があります。それは神の不変の愛です。貴方の目に見えていなくても、神は常に貴方と共に居給う。神の愛と英智を固く信じなさい。

<真実の鐘を鳴らせ>

・人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。それは行為です。貴方がその神秘にふれるための行為によるのです。

<真理の発見>

・常に、こころの静穏を保つよう努めなさい。心から争いと恐怖の思いを消しなさい。これは、愛を学ぶにつれ、出来るようになるものです。

<許しと感謝>

・昔、東方の賢人達が星の導きで、イエスのもとに至りました。もし貴方がその星に至りたいなら、どうしても胸に温めて貰いたい二つの事があります。許しと感謝、これです。これが天国の門を開く鍵です。いとも単純な鍵、この教訓を身につけぬ者は、誰一人天国の門をくぐることは出来ません。

<ホワイト霊団>

・地上にも、他界にも、霊師達が居られます。これら諸霊は、更に偉大な霊師達と結んで、宇宙に一大組織を形成しておられ、生命の諸階層で活動しておられます。この組織を大ホワイト霊団と申します。

・ですから、現実の生活で、何か途方に暮れることがあったら、どうぞ心を静め、思いを平らかにすればいいのです。じっと沈黙の味方に心を向けなさい。この沈黙の中に、解決を生む力が存在します。

<人生をひらく愛>

・霊師達は、何よりも、皆さんが神に素直に身を委ねることを求める。

・心に善意をもちなさい、素直になりなさい。すすんで悩みも重荷も、貴方を見守り導いてくれる霊的な愛に委せてしまいなさい。

<愛の中心となれ>

・民族間、国家間の誤解や衝突によって、人間の心の平和も、信頼関係も閉ざされています。しかし、地上の人を越える視力でものを見る時、人間は内的には驚くべき成長をとげつつあるのです。宇宙の星々の霊団から、地上に向けて、光明と愛の光線が投射されております。

<親しい者が貴方の傍らに居る>

・無言の友が、貴方の傍に居ます、霊の姿で。彼等は貴方の悩みも喜びも、また、貴方の魂の求めるところも、知りぬいています。

 一人っきりと、貴方は思っていても、貴方は一人ではないのです。魂の友、貴方の愛する者は、貴方の傍に立っています。

<静寂をたもて>

・我意と神から来る直観とは全く違ったものです。それを見分けるには、先ず何よりも、我を捨てることです。感情的なもの、欲望を去ることです。

・神からの使者、天使達は、皆さんを助けるためにやって来て、皆さんの直観を通じて語りかけます。

<何処に導きを求めるか>

・彼が目を向けるべき霊は、神です。その人がいつも崇敬を捧げている大神霊であります。

 キリストは申しました、「見よ、私は常に貴方と共にある」と。それは限られた時でなく、宗教的儀式の時に限らず、四六時中です。貴方こそは、生命である神の息子であり娘であり、神性をその内に宿した神の子であります。

<内在の秘処>

・人間が地上に生を享けた目的は、神の子である霊、これを外に発揮すること、神性の美を、終局において、物質の上に表現することです。

<なぜ怖れるか>

・私共は幽界のモヤを越え、更にたちこめた濃い地上の霧の中へ下って来ます。その時、目に映るのは、いかに多くの災いが恐怖によってひき起こされているか。そうです。目に映るのは、災いの源の多くが恐怖に根ざしているということです。

<愛、その深い静寂>

・人が、もし物的生活の奴隷となることを止め、生命の根源へ目を向けるなら、もはや心を煩わす何ものもなく、深い平和が訪れます。

<不滅の現前>

・キリスト神霊が貴方と共に在ること、これは疑いない事実なのです。一つの魂といえども、この事実から離れて生きてはいません。キリスト神が誰かの傍を離れるなどありません。しかし貴方の方で世俗の欲や思いを断たねば貴方はキリストの現前を感じとることはできません。

<受容>

・人は自分の思想に無頓着です。それは、他人の目から、自分の思想は隠せると信じきっているからです。しかし、霊界では思想はむき出しです。

<神の意が成就される>

・ことを行って、その物質的な表面の結果に目を奪われてはいけない。ただ、純粋な愛の発動に心を向けなさい。ほんものと虚偽の見分け方をしっかり学ぶように。

<神を待ち望め>

・人類救済の悲願のあまり、猪突猛進してしまうことがあります。だが、神様は前にも後にも動かせるものではありません。

<一切の力の源泉>

・地上の常識でものを考えてはいけません。自分の生命に枠をはめるようなものの考え方をしてはいけません。人には常に生命力が流入しつつあります。この生命力に枠をはめる考え方をしてはいけないのです。

<創造を、破壊にあらず>

・キリストの思想を実行されよ。キリストの生活を己がものとされよ。

<新しい誕生>

・ご承知のイエス誕生の物語、イエスが馬小屋の中で、動物のほかに友もなく生まれたというのは、神の子である光の誕生を象徴したものです。

<変容していく力>

・みなさんは、地上の問題で頭を悩まします。頼れるものは自分一人と思っているから、自分が引き出せる無限の力のあることを忘れているから。その時、私共はただ次のように忠告します。自分の日々の生活に全力を投入しなさいと。

<生命の泉>

・落ち込んだ気持ちになった時、生きることが重荷に思える時、必ず心機一転して、自己内在の生命の泉に目を向けなさい。

<無欲>

・すべての魂の学ぶべきことの一つは愛です。無私の個人的な愛は美しいものであり、また人生を豊かに幸福にします。

<親愛の精>

・人間の心身は疲れ易いもの、私共も、地上生活の経験でよく承知しています。物質のもつ鈍重さ、これが人間の中にのしかかっているわけです。

・人がキリスト霊の存在に深く瞑想する時、そのエキスを吸入することになります。その精、その香気、そのため身体の波動は高まり、心身の疲労や鈍重さは消散します。

<愛あるところ、分離なし>

・万物の中に在り、愛であり生命である光、その中に貴方が包まれていると考えなさい。

<神の息>

・神の息を、生命の息を吸い、愛の息を吐きなさい。この呼吸のリズムを繰り返し、創造主の生命を内にこめなさい。

<復活と生命>

・イエス・キリストは人間の弱さを知っており、人間の地上的な心が内在の賜物を切り離すことを知っていました。

 もし本当に、人が霊的な生命や力の中で、断固として生きる道を選ぶなら、たちどころに何事も叶わぬことはなくなってしまいます。

<愛の勝利>

・この世には法というものがあって、人間一人一人の生活を正義の秤にかけて、苦痛を与えたり喜びを与えたりしています。この事を知ることは良いこと。

<偉大な進化の階段>

・イエスの磔刑は、すべての人間の魂が、進化の過程でたどる一つの経験でした。いま、貴方はそれを内的自我において通過しつつあります。十字架上の磔刑と申しても、それはいろいろの形をとるものですから。

・イエスの全生涯は、人間の内在のキリスト霊により、どれ程までに聖化されるかを示したものです。地上に生をうけた人間の目的とは、内在のキリスト霊により自己を聖化すること、その自己を通じて大地を聖化し、地上物質の波動を高めること、そうして、ついには全地球の聖化を達成すること、そこのところにあります。

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