あなたの大師は、一番単純な方法で聖白色同胞団のルールを、あなたに教えて下さいます。だから、あなたはよく理解して、これらのルールを人生に適用するよう努力しなければなりません。(1)
(2022/7/1)
『光への道』 ホワイト・イーグルの霊示
グレース・クック 桑原啓善 でくのぼう出版 2020/12/16
<一つの人生はイニシエーションです>
・今は世界の全歴史の中で最も重要な時期です。皆さんは開拓者なのです。人が人を許すとき、自分をとらわれから解放していきます。このこと分かりますかな?
<ホワイト・イーグル>
・本書はホワイト・イーグルが多年にわたり、人類同胞の道をテーマとして、つまり「光への道」について語った教示を集録したものです。
<前おき>
・今夕は、どの人にも運命となる神秘体験について語りたいと思っているのです。そういう霊的体験をみな私たちは通過して行くのです。これは話したり書いたり出来るものではありません。でも、天界の栄光の光を一瞥したり、真実の故郷である天界の喜びを経験したり、そういう事が時としてあるでしょう。あれが霊的神秘体験です。
・さて、この連続講話を「道」と呼びたいと思います。魂の誕生から、人間が経験を積んで行く道程をこの講話で語ります。そうして、やがてイニシエーション(魂の得度)の意味にまで至ります。現に、イニシエーションで戸惑っている人が多いですね。実際に魂の成長と開花がどういう過程を通るのか、それが分からないのですね。それでここまでを語ります。
<道はそれぞれ人により違う。しかしすべて善>
・正しい道は一つとは限りません。個々の魂によって辿る道は違うのです。前世でどんな生活をしたか、それによって違ってくるのです。すなわち本人の作ったカルマがあって、それによって違ってくるわけです。このカルマは何らかの人生を辿ることで解かねばなりません。
<知識だけでは人の成長はない>
・私たちは次の点を強調したい。霊的な鍛錬は心よりも深く行かねばならない。また永続する効果をもつためには生活とならねばならない。その新参者の現実の生活の部分とならねばならないと。
・なぜなら、このような知識には限界というものがあるのです。霊的成長というものは、魂が霊的真理を吸収し消化して、単純な霊的な法を日常生活で実践して、その結果成長があるのです。
<池に落ちて知る霊的真理>
・ホワイト・イーグル・ロッジへは、単純素朴さを求めて人々が集まります。中には、ここの教えはさほど進歩したものではないと感じる方々もいます。
・霊的な輝き、その結果としてのイニシエーション(魂の得度)は、世上の知識で得るのでなく、霊的経験を通じて得られるのです。日々の神との接触、善とのかかわり、つまり高い心を実践すること、これこそが唯一つの霊的成長に至る道程です。
<魂の誕生から、目覚めに入るコース>
・人の魂は物質世界に足を踏み下ろした時に、進歩の永い人生行路のスタートを切ります。魂(soul)は霊(spirit)が物質に自己顕現しようとする生命から、その第一歩を印するのです。今話しているのは魂のことです。
<神に至る道は人に代って貰えない>
・右に述べた誘惑は万人に訪れます。その人の経験はその人独自のものではありますけれども、それぞれの魂が学ばねばならない教訓は、人類すべてに共通のものです。その魂には、その魂固有の形でその経験は与えられはしますが。あなたはあなたの兄弟の経験から学ぶことは出来ません。
<祈り――>
・心を不滅なる霊の愛と英知に開きましょう。あなたから私共は出て来ました。今その中に住んでいます。あなたこそ全知にして、全能にして、いずこにもいます不滅なる霊よ。
<人間の魂は、育ちゆく子供のようだ>
・不滅なる霊はいずこにも居まし、全知であられる、それは心慰まる認識です。魂は神から出ました。その絆は常に切れることはありません。私共がこの絆を胸深く知りつくし、再び帰郷する時、私どもは永遠の平和に入ります。
<愛こそ光を自己の中に満たす元>
・父なる母なる神から送り出され、霊的進化の旅路に立った子供のことを考えてみましょう。その身は神のような姿、まさに神のイメージにそって創造された姿、それはいと高き世界に住む者の形です。それから、この神の子は高い幾つもの境域を降下して行き、最も濃厚な物質の中へ入ります。
<辛酸の旅をへて、天空に見る捨身の十字架(最初のイニシエーション)>
・人が旅をつづけて行き、やがて時が来れば、人は空の彼方に、はるか高くにかかる十字架をチラリと見ます。人は、地上の心をもってすれば、この十字架をイエス刑死の象徴とうけとりましょう。しかしそれは全く違います。この十字架は太古からあり、霊的進化のある段階まで来ればすべての人が見るシンボルです。
<人生小学校の教科目の一つ、識別>
・「道」において、初等課程教科目の一つは、「識別」の学習です。――ホンモノと偽物の見分け、真実なものと真実でないものとの見分け、正しい事と誤りとの識別、及び、これは高級我からのささやきか、低級我のそそのかしか、この識別です。誰もこれを教えることは出来ません。
<人は人を裁くことは出来ない>
・同時に、皆さんは他者を裁く席に坐らないように学習せねばなりません。あなたは人を裁くことは出来ません。なぜなら、あなたはその人の過去の歴史を知らないからです。
<光の十字架を見て後、普遍愛の第二段階へ>
・光の十字架を享けたいと願う人、即ち心中にこの十字架を掲げたいと望む魂は、識別の学習と、神の前に低級我を完全に放棄する学習をせねばなりませんでした。そしてこのことを日常生活の実践にうつすとなると、人間が学ばねばならない学習のうち、最難関の一つでした。
<一つの生涯に多くのイニシエーションも可能>
・最後に、次の点をはっきり申しておきましょう。人生経験の結果、現れる魂の意識の変化は、短い一つの転生で得られるものじゃありません。また一教科のみの学習のため、一連の転生が費やされる、そうでもないのです。
<祈り――>
・全能にして、英知と愛と力の永遠の霊、われらは御身に心のかぎりを向けます。御身へと導く道にあって、われらが力づけられ救われるようにと、祈りを捧げます。聖なる天使らの祝福がこの集まりの上にありますように。一人一人の心臓に、キリスト(神霊)の愛がふれますように。
<この単純な真理>
・次に申す言葉は実に単純です。「一人一人の心臓にキリスト神霊の愛が触れますように」。私共はしばしばこの同じ言葉を耳にしました。でも、世俗の熱気とストレスですぐ忘れてしまいます。
<人が霊的成長を拒否する二つの理由>
・愛の心臓の話をする前に、もう一度前に話したあの事を言っておきます。私共が十字架に磔にされたような経験をした結果、空にキリスト光のビジョンを見るのですが、あの幻像こそ、霊的成長の道を歩む者に重要な段階をなすのです。だが、人間の低級我はこの磔にあうことを尻ごみします。男も女も物質主義の衣で身を包んで、自分を守る方を選びます。
<梯子の天辺からでも人は落ちる>
・これは犠牲の磔刑です。すなわち肉体と精神の欲求を放棄したことです。これに霊の放棄もつけ加えておきましょうかな。いずれにしろ我らは時至れば喜んでこの者を迎え入れます。いま「霊の」の一言を付け加えましたね。それはこの道はカミソリの刃みたいだからです。誘惑、これがこの道では油断できないのです。自分の目的を純粋に保持し、キリスト光をしかと燃やしつづけ、これあってのみ我らは大地に足を付けておれます。誘惑は低級我から来ます、これはいつなん時でも首を持ち上げます。
<自己放棄の準備をしなさい>
・さて、ある種の天体的な力というものが存在し、これが人間にどう仕様もないという気をもたせます。この力は一方では与え、他方では奪います。このような力があなたから奪い取ります。それは事実上、あなたはどうすることも出来ないのです。たしかに、この力はあなたがこれは良いとかこれは好きだと思っている所有物や環境を、目に見える世界で奪いはします。しかし、常に心にとめて頂きたい、いやお願いしたい、神はけっして与えることなしに取ることをなさいません。片方で取られたら、それを別の形で、他方で与えて下さいます。これが神の賜物、神の慈悲、神の愛です。
<放棄とは何か、その本当の意味>
・苦痛、そして災厄、それはしばしば訪れます。それはあきらかに魂がしてはいけない事に、ウジウジと執着するからです。だが、この教訓を学びおえると、つまりキッパリ捨てる気になると、そこに新しいチャンスが来ます、大きな祝福が現れます。
<神の国を開く鍵は心臓に在る>
・それでは、次の段階に目を向けることにしましょう。それは焔ともえる愛の心臓、キリスト(神霊)の愛で燃える心臓、それで象徴されます。皆さんが瞑想を続けると、次第に光線を出している光として、心臓を意識するようになるでしょう。心臓チャクラは太陽のようなものです。
<本当の愛とは?>
・愛のこの道には、なお幾多の落とし穴や惑わしがあります。感情というものはしばしば愛で迷うものです。感情には感情の居場所があります。感情は愛ではありません。
<本当の愛とは、どうすることか>
・皆さんが人々に出来る一番よい手助けは、愛をもって、共感をもって向かうことです。相手の目的や相手の願いと同じ気持ちになりなさい。
<小さいけど、偉大な愛>
・ささやかな、簡単な愛の道について言っておきましょうかな。皆さんはとても多忙でしょうな。自分のことが手一杯、しなければならないこと、どうやればいいのか分からない事が手一杯。そこへある人がやって来ます。明らかに彼は何かを求めている、何かを欠いている――愛とか、健康とか。つい気持ちでは、横にどいといて貰いたいな、手を煩わさないでくれ、と思う。とても皆さんは忙しいわけですからな。だが、愛がこう言います「他の事は何とかなる。この者は私の兄弟である。彼の悩みは私の悩みと変わりない」と。
しかし、その事で時間を無駄にしてはいけません。やさしく相手が心の重荷を下せるよう導き入れなさい。耳を傾けて聞きなさい。
<動物と植物への愛>
・愛に生きようとする人は、不用意な言葉で他者を害しないように、注意深くあらねばなりません。優しく語りなさい。思慮深く。剣の一振り、それが人を傷つけます。
<愛とは内在の光への敬意である>
・皆さんはこう言うでしょう。「生命の方に違反する事をやっている連中を、どうやって尊敬できますか」と。尊敬しなさい。あなたは相手の内に住む者を知っていますね。それを尊敬しなさい――それは神の光、外に表れようと、姿を顕わそうとしているものですね。
<大事なことは愛の生活実践>
・これまでは素朴な比喩で話してきました。それは愛するということはどういうことかを知って頂こうとして、多分にシンプルな話し方をしてきたのです。でも、こういう手加減が、この後の大きなイニシエーションを通るには必要なのです。それともう一つ、自分を放棄して素朴に人生で愛の生き方を学習する、これで終りじゃないのです。このほかに内的な発達、つまり魂の窓を開くことを知らないといけないのです。
<バラの花は神人のシンボル>
・この話を続ける前に、皆さんの想念に、完全なバラの絵をお届けしたいと思います。
・肉体感覚にはすべて、そのエーテル的対応物があります。この事を知って下さい。あなたはあなたの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そのエーテル的対応物をもって、美しい存在物たちに気付くようになるかもしれません。それらは暫時、いいえ真実には永遠に、高級の世界に生きております。
<栄光の冠さえも捨てよ>
・イエス・キリストは、富者が永遠の生命を得るために何をしたらよいかと尋ねた時、こう申しました。「持っているものを売り払いなさい。そうして貧者に分け与えなさい」と。その青年は悲しげに去って行きました。この人は大金持だったからです。
・所有の誇りは、隠微な誘惑です。すべての人がいろいろな形で直面しております。みんながアレやコレかの形の所有にまつわりついています。しかし、最後にはみな霊的成長の次のポイントに立たねばならないのです。
<正しいチャクラの開き方>
・道の探究者が自己を捨て、相手の立場に立って考え、英知と、日常生活を愛と奉仕に生きる、この素朴な生き方をしますと、そこにある種の変化が生じます。東洋では沢山の方法がとられ、今も行われおり、西洋でもある程度まで行われている、かの力の中心(チャクラ)を開くこと、即ちエーテル的諸媒体の魂の窓を開く、あれですね。
<危険を伴うチャクラの開き方>
・瞑想と、日常生活の実践を通じての開花、この深遠な道に従うことで、魂の窓は自然にやさしく開かれます。これは強制開花ではありません。実はチャクラ開発の道には、大きな誘惑の魔手と危険が存在しております。
<深遠の道を進む者の心得るべきこと>
・このように魂の前には、二つの道が開かれています。一つは愛の道、すなわち深遠の道。一つは強制して開く、すなわちオカルト的な道。人によっては、第二の道をとる者もあるでしょう。そして立派に良い鍛錬をやりぬく者もある筈です。しかし、それは困難な道です。
<用意のできた人の進む道>
・皆さんが感情に動かされないようになると、神庁の看視者の御目には、あなた方が長老がた即ち英知の覚者の方々に使われる確実な通路に見えてきます。
<白い水蓮――その自己放棄のシンボル>
・この話の初めに、皆さんの瞑想のために、バラの花の絵を示しました。この話を終えるに当たり、水蓮の花が目に見えるように致したいと存じます。
<人類に二つのタイプのイニシエーションあり>
<万人がうける、生活の中での小イニシエーション>
・小イニシエーションは、すべての人が幾多の転生の間で体験するものです。その経験は深く魂に影響します。それは新参者に生命の本当の価値について、また他者との正しい関係について、理解の目を開かせます。
<大イニシエーションの概要>
・大イニシエーションは、見習いの道を歩いて来た人達が体験します。このイニシエーションで上位三つ組のチャクラ、心臓・喉・頭のチャクラが鼓舞されます。しかしこの三点を、下位三つ組のチャクラ、太陽神経囊・仙骨・根のチャクラと切りはなしてはなりません。下位の三点も大イニシエーションと関係があります。
<小さな光から巨大な光へ人間の成長>
・魂が天賦の内在の霊力を開花させる長い旅に出発した当初、それは赤ん坊みたいで、霊的側面から見たら小っぽけな炎、<小さな光>です。人間は神から出た生命の火花です。太陽といっても空に見えるあの太陽ではありません。その太陽の背後にある太陽、つまり永遠なる宇宙霊太陽です。
<道を行く者は焦ってはならない>
<四大の学習は一朝にして成らず>
・地上の我が友らの多くは、特に「光を見た」人達は熱烈者になる、やみくもに進歩したがる、彼らは天の関門に突入したいのです。しかし、いらいらは、目に見えないが鋭敏な通路としては障害です。それは熱望者にストップをかけます。霊的開花の道にやみくもに前進はあってはなりません。人間存在の各分野に影響を及ぼす教科学習というものがあり、これの完全習得が必要です。
<時の翁の知恵に学べ>
・肉体をまとっていれば、時間が主人です。しばしばそれは手ごわいものです。しかし、時間はまた先生でもあるのです。またおそらく皆さんは、「時の翁」の知恵を今も学習しておいででしょう。(訳者注、時の翁は時間の擬人化。死の訪れを象徴する大鎌を肩に、時の経過を象徴する砂時計を手に持っている)。土星は、時として時の翁として描かれますが、その生徒には厳しいものです。
<イニシエーションと、落とし穴>
・イニシエーションが来ますと、意識が大きく拡大するだけではなく、力の増大がもたらされます。力は破壊的なものです。力を誤用すると、魂は、道を急転直下、逆行します。聖書にはルシファーの話が記されていますね。ルシファーは偉大な力を獲得し、天国の光明となりました。しかし力の誤用のために、放り出されました。
<イニシエーションの入るためのテスト(体・魂・霊の三面で、感情・識別・へりくだりのテスト)>
・霊的進化の道には、三つのハッキリした道が並行して走っています。しかもこの三道は互いに重なり合いながら走っています。第一の道は「肉体」の鍛錬と準備です。第二が「魂」の鍛錬と準備です。最後は「霊」の訓練、陶冶、その目覚めです。
<瞑想の効果>
・上記のことと関連し、瞑想が三つの面(体・魂・霊)の鍛錬に効果があることを強調しておきます。瞑想はやりすぎないように。しかし毎日の瞑想をなまけてはいけません。ひと時をさきなさい。たとえ5分間でも、朝と夜の瞑想のために。光と真理の永遠の源との毎日のコンタクト、決してこれを手抜きになさるな。
<四大元素のコントロール>
・既に話しましたように、人類に適用される大イニシエーションは、四大元素の下で行われます――地・風・火・水の四つです。
<風の元素の学習――友愛>
・風の元素の学習とは友愛の学習です。この教科を学習しますと、人は自分ひとりで生きていてはいけない、人間性を拡大して、すべての生あるものに触れないといけない、そういうことが分かってきます。
<火の元素の学習――愛、魔力>
・火の元素の教科とは、愛の学習です。愛は魔法の火です。偉大な生命力です。
<「緑の指」の持主>
・この人から出る波動に妖精が調和して引き寄せられ、奉仕して働いてくれる。そのためこの人のまわりでは、植物がよく育つ。
<水の元素のコントロール――平和>
・水は平和の学習をさせてくれます。
<土の元素の学習――奉仕と犠牲>
・最後に、土の元素の教科とは、奉仕と犠牲の学習であります。
<イニシエーションが来た時>
・人間の霊が、大師の資格を身につけるためには、すべての低位の生命領域が統御出来るようにならねばなりません。
<再臨>
<地球に神の計画の実現の日が近い>
<神を信じる者が、神の計画の実現を確信する>
<日常の行為を想念を正せば、自己が解放できる>
<キリスト再臨とは何か>
<日常生活の中にイニシエーションがある>
・すでに、四大元素のイニシエーションについては話しました。
・しかしこのようなイニシエーションは、必ずしも何かオカルト的な方法や、宗教的儀式では開かれません。日常生活の中で、皆さんは度々魂の目の拡大を経験していますよ。
<ロッジでのイニシエーションも、日常生活が大切>
・上記とは別に、私共が霊的な仕事に関連づけて行うある種のイニシエーションが存在します。それは苦痛を忍耐してやりぬく儀式です。たとえばメーソン・ロッジの参入イニシエーションとか、霊的真理と関係のある何らかのロッジ(聖所)の参入イニシエーションです。
(訳者注)ここのメーソンとは、いわゆる世界支配を企てているといわれるフリーメーソンのことではない。メーソンとは石工のことで、秘教学校(太古からの霊的真理をひそかに伝える聖所)はメーソン・ロッジと呼ばれる。それは、人は真理のノミで自己を刻む石工であるということからきている。
<正しい瞑想が意識の目を開く>
・視力を開き、意識の目覚めを起こす道は、瞑想であります。瞑想により、われらは一切想念の識域下に、霊的な生命レベルに入って行きます。そして自己に内在する光と力に気付きます。
<人生の目的は、すべてのいのちと兄弟になること>
・目に見えない世界に近づくにあたり、人はその心に純粋な愛をもたねばなりません。まず第一に兄弟である人間への愛、次にすべての創造物への愛です。人間は四大の精霊を愛さないといけません。なぜなら、精霊たちは人類を救うために働いておいでの大師がたを助ける大きな役割を果たしているからです。
<人間の意識の進化の階段>
・今日こんなことを言っても、誰も信じてくれないでしょう。しかしながら私共はここで繰り返します。自我意識の次の段階は、人類はみな兄弟であるこの真実の関係を知る段階に入ることです。その次に意識の拡大が起こり、神意識すなわち宇宙人意識に入ります。そして更に次の段階は太陽意識、つまり太陽ロゴス意識の段階です。このことは皆さんのはるか前途で起こります。しかしながら、われわれの言葉を読みとり、この真理に心を深く向けなさい。
<太陽ロゴス意識への未来>
・皆さんを天界の栄光かがやくお祭りに連れて行きたいですね、そのお祭りに太陽ロゴスが、つまりキリスト神霊である神の子が出現されます。皆さんは神の子とかキリストとかいうと、どうも上面だけで話をします。皆さんのキリストとは観念なのです。一部の人々だけがキリスト霊を、やさしく柔和で愛に満ちたもの、自分の中にあるものと完全に一つのあるものとして認めています。
・ヨガ行者とは、神意識、つまり神との結合意識に到達した者です。
<秘教学校に入るための厳しいテスト>
・太古からずっと、秘教学校が、素朴で真摯な魂に生命と「死」の神秘を理解させるために作られてきました。そこでは生命についての小さな秘密も大きな秘密も共に教えられてきました。
・霊力というものを誤用すると、恐ろしい結果を伴うものです。この故に、秘教学校に入ることは容易なことではなかったのです。沢山のテストと試みをへて、初めて候補者は入学を許され、かの太陽の火、すなわち太陽力を目覚めさす方法と、これを使う方法を教えられました。それは神の栄光のため、また人類の祝福と進歩のためです。彼らはこの力によって自ら生きるだけでなく、天に在る父なる母なる神の仕事をすることで御役に立つのでした。
<いかなる目も見たことなく、いかなる耳も聞いたことのないアクエリアス時代>
・皆さん、学ぶべきことが沢山あります。惜しみなく美を開く世界が、皆さんの前にあります。もし、皆さんが瞑想、祈り、献身の道を進み、そのための苦労をいとわねば。ただ皆さんが日常生活をないがしろにせず、それのみか、俗世を神の息子、神の娘として生きることをするならば。瞑想が皆さんをあらゆる境を突き抜けて、天界の光の中へと、即ち完全な神の息子と娘の至妙の世界へと、真直ぐに連れて行ってくれます。
<人間――人間性と神性(あなたを、あなたと共にいる霊の愛へと導きます)>
<人は肉体も神の形>
・もし皆さんが同胞である人間の中に神性を見ようと努力なされば、それが善に見えましょう。なぜなら人間は神のようなものなのです。その神性の要素は人間の魂の中にあるだけでなく、肉体の中にもあります。人間の形を見てみましょう。足を大地に真直ぐに立ち、頭は天に、両手は双方に、奉仕し与え愛するために突き出すと、これは十字架の形になります。
<肉体は宇宙の縮図>
・太古においては、人体が宇宙を学ぶシンボルとして使われました。人々はこう教えられました。肉体の中に宇宙のあらゆる要素が発見されるだろうと。
<心臓チャクラが神の火花の御座所>
・イエスの絵の中には、心臓から光が放射しているものがあります。皆さんはなぜだろうと思ったことがありましょうね。心臓チャクラは神の火花・真我。キリスト我の家、それが鎮座する御座所なのですよ。太古の英知の所有者である神官たちは、学生たちの他の二つのチャクラのことも教えました。その二つとは頭のチャクラ(脳、知性)と、創造のチャクラつまり生殖のチャクラです。もし人が下位のチャクラに支配されれば、この人は物質主義者です――肉体の快楽を求めて生き、そのような人生を送ります。
<あなたは地上に神性の花を開く使徒>
・次々と地上再生することで、人々は、神の光をその肉体に表現する、新しいチャンスが開かれています。皆さんはどなたも、神の息子であり、神の娘です。あなたの真我のほんの一部が、その肉体を通じて現れています。即ち、あなたの高級我は肉体で隠されて引っ込んでいます。
<人は一人ではない、類魂のこと>
・各個人は自分一人きりの道を通って、自分を開花させねばならないのですが、決して一人ではありません。何とこの逆説!皆さんは一人一人別々の道を歩きます。そうしてその間に、各々が独自の発展をし、イニシエーションを享けます。そうして一つの集合生命、即ち類魂の中に入るのです。
<人は神の御子>
・ここにおいでの大部分の方は、私共が長老と呼ぶ人、すなわち大師のことを少しは御存知です。多分、中にはこの光に満ちた方々と密接に接触なさった方もおいででしょうがね。それで皆さんはあの方々がどんなに美しいものかお分かりの筈です。この方々はどうやって、あの霊的な力と光輝のレベルに到達したのでしょう。地上の人間生活を通じてなのですぞ。自己練磨、自己統御、人々への奉仕、これです。内在の神意を目覚めさせ、それを生活に生かそうとしたこと、これです。彼らは自己の神性、内在のキリストを通じて、人々の間に光あらしめ人々を祝福します。
<光と闇、父と母、そして完全な息子>
・光と闇にはもう一つの別の面があります。これを皆さんに理解して頂きたいと思います。私共が太古の秘教の殿堂で学んだことですが、肉体の右側は光の部分です。右はすべて光、肉体の左側は闇です。だが、これは皆さんが考えておられる意味とは違います。左側の闇とは人間の見えない部面を指します。
<女性と男性の役割>
・母の精神が父原理と完璧なバランス下で活動すれば(父原理とは高級な神智)、健全・調和・幸福への里帰りがあります。ここで次のように言っておきたい。私共はいま人間の男性女性面だけの話をしているわけではないのですが、特に女性に向かって真剣に話をしておきます。なぜなら女性は現世での女の天職に愚図なのです。これは単に子育てだけの話ではありません。女性は全人類にとっても母でなければならないのです。
<結語>
・そこには一つの近道も存在しません。そうして、兄弟である皆さん、人は一人で旅をしているのではない、この祝福の知識を皆さんはもう手になさいました。あなたのそばには、あなたの霊の道づれがいます。天使らと手をつなぎ、魂の真実の仲間らと手と手をとりあって、あなたは歩いて行くのです。
<兄弟の道>
<聖白色同胞団のことなど>
・親愛なる兄弟の皆さん(私共は皆さんを兄弟(ブラザー)と呼びます。なぜなら、皆さんすべて至純なる大霊の愛に抱かれておいでですから。われらは共にこの大霊の中にあって生き、存在しておりますから)。
・皆さんの中には、光の同胞団、つまりホワイトブラザーフッド(聖白色同胞団)について、もっと知りたいとお思いの方々がおいででしょう。中にはこれを、キリスト星同胞団の名で知っておいでの方もありましょうが。だがこれは文字どおりに、キリスト教徒だけに限られる、そんなものでは勿論ありません。聖大白光のブラザー(同胞団員)たちは、あらゆる時代を通じて、あらゆる宗教の中に出現しております。
<同胞団の中での生活>
・ブラザー達は自己鍛錬を、つまり身体の欲求と本能をコントロールすることを学ばねばなりませんでした。
<なぜ厳しい鍛錬が人間には必要か>
・天国は兄弟愛のハートの中に見出されます。だが、この天国を人の目から遠ざけているのは、神ではなく、それは人間自身です。皆さんの内部には、幾多の人生をくぐり抜け通って行く旅路に、必要なものがすべてそなえられています。神の黄金の世界へと、上へ上へと、導かれて行く霊の旅路にありましてはね。しかしながら、約束の地に人が易々と入ってしまえば、つまり人間に自己鍛錬も修練も何の必要もなしとすれば、人は天界の輝きを理解できないでしょう。
<準備できた者の絶え間ない仕事>
・皆さんは、私たちが暗くなる話し方をするとお考えかもしれませんね。そんなこと全くありません。いつの時代でも偉大な人物を見てごらんなさい。その生活は奉仕に次ぐ奉仕の生活でした。覚えておられますか、イエスは時々疲れきったようになりました。だが弟子たちは訴えました。「あなたを必要とする者がここにいます」とか、「多くの人々が話を聞きたいと、遠くから来ました」とか。すると、直ちにイエスは自分の疲れを忘れて、また使命の道に立ち上がりました。
<真のブラザーの歩く道>
・真実のブラザーは健康で生きることを求めます。健康は神聖であり清浄であることの中にあります。彼は愛をもって、喜びに満ちて生きようとします。
<神はビタ一文の借銭をなさらぬ>
・どの魂にも、各々のなすべき自分の仕事があります。誰一人として、他の人の仕事をすることは出来ません。それぞれの人が自分の仕事をするのです。
<やさしいブラザーの声>
<寛容、柔和、愛>
・愛する皆さん、あなた方一人一人に、心をこめて愛を送ります。皆さんの困苦、皆さんの仕事と理想と熱望、それに深く理解の目を向けます。常に思い浮かべなさい。皆さんは一人きりで、地上の道を歩いているのではないと。片時も手を抜かぬ霊の師がいつもあなたのそばにいます。
<真実のものと、真実でないもの>
・主は、需要ではない小さな事で、こだわらぬよう望まれます。小さな事では互いに譲り合いなさい。自分の事でかまけるな。
<カルマの変容>
・人の行為を裁くことはやさしい。しかし裁かぬよう身をつつしみなさい。人に罪があるととがめることは、己れに罪があるととがめていることです。
<素朴さ>
・大師は、弟子たちに謙虚であることを望みます――素朴な魂、真実な魂、愛に満ちた魂を望みます――もし、皆さんがこのような資質をもって進むなら、自分の中に在る一番よいものが外に出て、能力に応じてあなたは使われることになります。
<私は目を上げる>
・地上生活をしていますと、時に、体が重く、道を進むのも、けだるくなる時があります。そういう時には、私共は皆さんを助けてあげたいと思います。我われにはその援助が出来ます。皆さんが許して下さるなら。それはこうなのです。皆さん、思いを地上のとらわれや肉体から切り離して高い処を、山の頂きを見なさい。そこには平和と力と永遠のいのちがあります。その問題を、エーテルの霊的世界にあるあなた個人の寺院に中に置きなさい。
・さて、皆さん。皆さんが問題にぶち当たり困惑したら。先ず、天国を求めなさい。神の国を求めなさい。日常生活を霊的・肉体的なものの奥にある根源と結ぼうとしなさい。
<私は道である>
・良い想念を持つこと、神のように思うこと、常にそのように心掛けること。これがどんなに大切なことか、まだ皆さんには十分に分かっていないようです。
<自分自身に真実であれ>
・次のことを心にとめておかれよ。常に、自分自身である聖所、その胸の奥深くと、静かに清浄な真実の接触を保つこと。自分自身の我、すなわちあなたのスピリット(霊)に真実であれ。あなたが自分に真実であることで、あなたはまた神に真実であるのです。宇宙の聖白色同胞団に対して真実であるのです。
世俗の多くの人々、またエーテル界にいる多くの誘惑霊たちは、好んで皆さんを真理の静謐の中心から引き離そうとします。引っ張られてはなりませんぞ。
・皆さんは、真実に真心をもって、神と聖白色同胞団の仕事に身を挺することを申し出ています。だから次のことを心にとめなさい、この仕事の出発点は自分自身にあるのだと。
・しかし、同胞団のブラザー(同胞団所属のメンバーであるあなた方)は誰でも、必要な時に、不滅の光と同交することが可能です。つまり神との交流、すなわち神を拝するることが可能です。
・あなたの大師は、一番単純な方法で聖白色同胞団のルールを、あなたに教えて下さいます。だから、あなたはよく理解して、これらのルールを人生に適用するよう努力しなければなりません。
<信>
・もし、あなたがからし種一粒ほどの信さえお持ちなら、山を動かしましょうぞ。イエスはこのように言いましたね。すべての神秘が起こる法の背後には信の力が存在しております。
・されば、その魂にかの素敵な融合浸透、色と光線のあの美事な入りまじりが訪れます。あれは虹の色どり、されど純白の光ただ一つの光線となって現れます。私共は祈ります。聖白色同胞団の仕事であるあなた方協同の仕事で、かりに束の間でも、あなた方みんなの魂が一つに融け合ったあの美を味わわれますように、まさに一つの魂として、純白光の一光線に皆さんがなられますように。
<ホワイト・イーグルの霊示 訳者あとがき>
・クック女史は1936年にホワイト・イーグル・ロッジをイギリスに建て、女史他界後も活動を続け、世界各地にロッジがあります。そこでは魚座から水瓶座に移行するために必要な真理としてホワイト・イーグルの霊示を伝え、また瞑想と、神霊治療も行っています。そこでは聖ヨハネをイエス12弟子の一人で、福音書「ヨハネ伝」の筆者ヨハネとしています。
私は1985年から、「生命の樹」というグループをもち、でくのぼう革命(地球を愛の惑星に次元アップさせる運動)を進めています。そうして1992年からは、オリオン座から地球に侵入したサタンの闘いに入りました。この闘いは人力だけではとても戦えるものでなく、宇宙からの総力の援助(神霊、天使、想念体、宇宙連合の宇宙人、守護霊集団)を受けています。このうち守護霊集団とは、「生命の樹」の守護霊団であるシルバー・バーチ霊団、及びホワイト・イーグル霊団の援護です。
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