私の名はインペレーター、49名からなるこの霊団の団長である。私が霊団を指揮統率し、その指示の下に他の諸霊が仕事に当たっている。私は神意を果たすため、第7界より地上に下って来た者である。(1)
(2022/7/6)
『続・霊訓』
ステイントン・モーゼス 桑原啓善 訳
でくのうぼう出版 2011/7/1
・「我らの使命はご承知のとおり。信仰が冷えた日に、神と不死への信が衰えていく日に、我らは来て人々に示す、人間が不死であることを、人は神の火花である魂を内に秘めるものであることを。
我らは人々に過去の誤りを教えたい、生命が進歩であることを伝えたい、人々の目を向上と成長の未来へと向けさせたいのである」
「これにより人々は、愛と慈愛と憐れみと人への奉仕、さらには神への崇敬、これを全生命とする霊達の存在を知るに至るのである」
<アクエリアス期>
。現代は人類に対する、神の新しい啓示の時代に入っています。世間では、これをアクエリアス(水がめ座)期に人類は入りつつあるとも言います。それはそう言うこともできます。2500年前以来の釈迦、中国の諸子百家、ギリシャの哲人達、なかんずくイエスにわたる、偉大な神の啓示時代を人類はもちました。現代はそれを上まわる、さらに偉大な新啓示時代に人類は遭遇しています。
・今かつてない人類に対する神の啓示運動が展開されています。その一つの大きな潮流がスピリチュアリズムの発生と展開です。
・モーゼスの受けた霊示は自動書記による通信が主で、それはノート24冊に及ぶ膨大なものです。右の『霊訓』はほんの一部分です。しかし、その中に珠玉の近代の啓示が光を放っています。
・本書の『続・霊訓』は、右の自動書記通信の一部追加と、霊言による霊示、およびモーゼス個人の論説の一部が加えられています。
<ステイントン・モーゼス略伝>
・ウィリアム・ステイントン・モーゼスは1839年11月に生まれた。父が校長をつとめるリンコルンシャー中学校を卒業。その後ベッドフォード中学校に学ぶ。ここで彼の非凡な才と勤勉のゆえに多くの賞を受け、オックスフォード大学の給費生の資格を得ている。大学での過度の勉学のため、最終試験の前日に病に倒れ、転地保養をすすめられた。
1年ほどヨーロッパ大陸を遍歴し、数ヵ月間をアトス山のギリシャの古い修道院で過ごした。これは彼の霊的修練のためであったことを、後年になって知った。
帰国して学位を受けて後、マン島に牧師として赴任した。
・ステイントン・モーゼスは「ロンドン・スピリチュアリスト連盟」を設立し、1884年5月8日、セント・ジェームズ・ホールで委員会を代表して創立の演説をしている。『ライト』誌に数年にわたり盛んに寄稿し、後に同誌の主筆となった。
<編者の序言>
・この霊訓は、スピーア博士邸で行われた交霊会で、スピーア夫人が記録したノートに基づいている。
・最後にスピーア夫人は、次のような言葉で結んでいる。「この通信と現象の美と清浄さ、支配霊インペレーターの威厳と力、交霊会列席者達が受けたその感銘は、筆舌に尽せません」と。
<霊言による霊訓>
・「私は、以前より、わが霊団について語ろうと思っていた。支配方法、つまり通信を諸君に送る方法についてである。どんどん記録をとられよ、ゆっくり話すことはたいへん難しい。もし分からぬところがあったら、後ほど霊媒に印象を与えておくとしよう。
私の名はインペレーター、49名からなるこの霊団の団長である。私が霊団を指揮統率し、その指示の下に他の諸霊が仕事に当たっている。私は神意を果たすため、第7界より地上に下って来た者である。
・私の下にレクターがいる。私の代理者兼副団長である。私の不在の折の指揮者であり、また特に、物理的心霊現象を担当する分霊団の統轄者でもある。
レクターを補佐して、第三の高級霊ドクター・ザ・ティーチャーが控えている。彼は霊智注入を任務としており、霊媒の思想の教導、霊言と自動書記の指揮に当たっている。この統率下に、後に述べる、知恵と知識を担当する諸霊が従っている。
・次に、護衛役の2霊がいる。その任務は地上の有害な影響の排除と緩和、危険を払い苦痛を和らげ、良い雰囲気を作ること。
・すなわち、わが霊団は7分霊団により成り、各分霊団は7霊をもって構成され、1霊がそれぞれ他の6霊の指揮に当たっている。
第1分霊団。これは守護と指導を担当する諸霊のサークルで、全霊団の指揮統率に当たっている。
第2分霊団は7霊より成り、愛をその任務としている。
・次の分霊団は――1人の指揮霊と配下の6霊をもって構成――英知に関することを取り扱う分霊団である。
・その次に、知識――人間・事物・生活についての知識を支配する分霊団がある。
。その次の分霊団は、芸術・科学・文学・文化・教養・詩・絵画・音楽・言語などを指揮している。
・その次の7霊のサークルは、陽気さ・機知・ユーモア・愛想よさ・楽しい会話をつかさどる任務を帯びている。
・最後に、物理的心霊現象を任務とする諸霊がいる。
・以上のとおり、霊団は7つに分かれており、そのおのおのが独自の任務を負っている。
<S・モーゼス「貴方は神の僕(しもべ)の中の僕でいらっしゃるのですか」>
・「さよう、我らの間では、神の僕となり、そのお仕事のための命を受けることは、由々しいことと思われている。私はこの霊媒を支配するために遣わされた神の僕である」
・インペレーターが最初にステイントン・モーゼスを通じて出現した時、自分はこの霊媒が生まれた頃からほとんど全生涯を一緒に生きてきたと語りました。その頃インペレーターは第6界に在ったのですが、後には第7界に進みました。
インペレーターがモーゼスを入神させ、霊言を行わせている間、モーゼスの頭の後ろには大きな光の十字架が見られ、その周りに光がありました。
・インペレーター霊団の背後には、強い感化力と力量を持つもう一人の指導霊があって、全霊団の霊達を訓練し、霊媒の守護にも当たっています。霊団の上級の霊達は霊媒を教化する立場にあり、代わって霊媒は霊団の未発達な霊達を教化する関係にありました。
・インペレーターの言葉も祈りも荘厳の気に満ち、そのため私どもの心には、全力を尽くして聖業を進めたいという希求が残りました。
・「全能であられる神は、諸君らに幸いを授け、守り給う。諸君らを真理と平和へと導き入れ給う。この後も諸君らが苦しむことなく、その道を通り、つつがなく喜びの国へと過ぎ行かんことを」
・「奇蹟のために奇蹟を求めてはいけない。ひたすら英知と教訓に満ちた霊を求めなさい。忍耐と信と神への望みを培いなさい。また自らの中には愛を養いなさい」
<次の通信は、とてつもなく素晴らしい直接書記だったと、スピーア夫人は言っている。とにかく肉眼では読めない極細字で書いてあり、大きな拡大鏡を使ってどうにか読むことができたのだった」>
・「光の子らの間に、悪魔がはびこる時が来る。心を配って、よく気をつけよ。悪魔の陥穽(かんせい)にかからぬよう、身を守れ」
・「地上に近づく高級霊達は、影響力か放射物である。彼らは諸君が人と呼ぶようなものではなく、高い領域から来る放射エネルギーである。高所からの通信の非人格性を理解していただきたい」
<エリオトソンと呼ばれる霊が支配>
・「記憶が消えることはありません。記憶が消えるという理論は馬鹿げています。すべての鍵は、霊魂の働きということです。記憶が不変不滅という観念も間違っています。私見ですが、高級霊の中にはほとんど別人になったような方々がいます」
<スピーア博士がカトリック教について質問>
・「教会で教える教義は間違っている。人間が神について抱いてきた見解には、これを受け取った霊媒の観念が混入しているのである。人間は自分で理論を組み立てて教義を作り、これを頭から押しつけてきた」
<スピーア博士が、十字架上の盗賊の悔悟の教えは間違いであるとの説を述べる>
・「さよう、涙も叫びも魂を清めることはできぬ。そのためには、永い矯正の道程をたどらねばならぬのである」
<また、スピーア博士は、イエス・キリストの血は一切の罪を洗い清めるという聖書の教えについて質問>
・「よく考えてみられよ。貴方がこの言葉を引用するとき、次の意味を持っている。つまり、神はその息子を、地上に下された。この息子が血を流すことによって、このことを素朴に信じる者は永遠の劫火から罪を贖(あがな)われる、そのためであると」
<セオフィラスが支配霊となり、語る>
・「神はいろいろの形式をとり、さまざまな働きにより、自らをお示しなされた。しかるに、これを受け取った者が、啓示は自分にだけ与えられたと思い込み、常に身を誤った」
<1875年、キリスト昇天祭の日、インペレーターよりの通信>
・「ごらんのとおり、我々は、我らが先に述べた日々(キリスト教祝祭日)の一つの日に、かように集まっている。今日の日を祝うのは、<人の子>イエスの昇天の象徴である。諸君ら宗教に関心をもったことのある大多数は、キリストがこの日に昇天したことを信じるにやぶさかではない」
<キリストの若年時代の質問に対する、インペレーターの回答>
・「彼の若年時代は、準備時代であった。悪魔の誘惑の話は、バイブルのいろいろな話と同様、伝説的なものである。神の声とされる不思議な話をたどってみれば、つじつまが合わなくなるのである」
<イエス・キリストに向かって祈ることは正しいことか、の質問に答えて>
・「清浄無垢の光の中に在り給う、父なる神・永遠の霊、それが理解できなければ、イエスに向かって祈ってもよろしい。これが理解できるなら、直接神に向かって祈りなさい」
<あるエジプト人の霊からの通信>
・「霊界の方では、畏怖の念をもって、迫り来る近い将来を見ている。戦争が起こるだろう。ヨーロッパ大変動の方向へ、すべてのものが向かっている。戦争は人間が完全となればあとを絶つ。だが、人間が肉の衣を着ている限り、それはあり得ぬことだ」
<通信霊を審査するために、主イエスを信じていたか、と質問することの可否について>
・「霊の信仰の告白で、その通信の真理性が定まるものではない。霊が俗世の上高く向上すれば、信条など風に吹き飛んでしまう。地上でかき集めた神学のモヤモヤがこびりついているため、善意からではあるが、間違いだらけのひどい教訓を通信してくる霊が少なからずいる」
<永遠の処罰について>
・「永遠の処罰という教義を認めることは、不敬であり、かつ恐ろしいことである。それは少しばかり真理の匂いをさせながら、人を誤らせ邪道におとし入れるものである」
<死刑について語る>
・「いかなる場合も、死刑はいけない。不意に肉体から切り離された霊は戻って来る。そうして、人間にとりはなはだしく危険な存在となる」
<国家衰退の主原因は不道徳ではないかとの質問に対して>
・「さよう、不道徳は人間を動物以下におとしめ、悪魔の境に置く、罪の中の罪である。他の罪にもまして、それは天使らの守護から人間を切り離し、神の手から切り離す。ローマはこのために衰退した」
<近代スピリチュアリズムの記念日に>
・「たくさんの霊達が今夜は活発に動いている。本日が偉大な記念日ということだから。近代スピリチュアリズムの開幕当初、高級霊達の強力な霊力が地上へ注がれ、ここに霊交が開発された。こうして顕幽両界をつなぐ橋が架けられ、これあればこそ多数の地縛状態の霊達が地上との縁を脱し、新生活へと立ち上がることができる」
<自動書記による霊訓>
<編者の序言>
・ステイントン・モーゼスの自動書記は、初めモーゼスの手で、1883年に『霊訓』として、1巻の書にまとめられている。
<自動書記による霊訓>
・「われわれ通信霊の力、才能、進歩の程度はそれぞれ違っている。その与える影響力、また感化力もさまざまである。したがって、我らはその力に応じておのおのが仕事を分担している。ある者は、指揮統轄の役割をもち、ある者はその指示に従って働く。
我らは何事においても誠実と確実、これで事に当たる。我らは神の福音を伝えるものである。我らが計画の遂行にたずさわっているのは49人の霊、この組織についてはすでに伝えてある。
<「霊界で貴方はどんなことをされるのか、聞かせていただけますか>
・「我らは、至尊なる神の礼拝という行為を通じて、一つに集まって結びつくため、地上でのおのおのの使命の場から召喚されていたのである。神の賛美のために時折集まるのは、我らの習慣である」
<S・モーゼス「貴方がたはイエス・キリストの直接の威光の下で働いている、と受け取ってよろしいですか」>
・「そのとおりである。かく言う私は、前にも申したとおり、活動の世界を越えすでに黙想の天界に入っていられる霊から、力を受け取っているものである。その霊とはイエスの霊である」
<必ずしもそうならないのではないですか?>
・「絶対とは言えぬが、たいていはそうなる。悪は悪を引きつける。物好きでくだらない邪悪な人間は、その周りに未発達のつまらぬ霊を引き寄せる」
<「貴方がたの計画の跡をたどってみますと、私のすること為すこと、どうやってご存じなのか、不思議でなりません。――私は今、行為の背後には指導の手があること、人生は見えない力で動かされていること、それが分かり始めています」>
・「貴下の心は、我らが貴下に<真理>を啓示できるかどうかと尋ねている」
<「私と父とは一つである」という聖書の言葉の説明を求めた>
・「そこには自分は神であるという意味は少しもない。はなはだしくそれとは異なる。その言わんとするところは我らの意と同じ。我らがここへ来たのは、神から遣わされた教師として、特殊の使命を担う者としてである」
<S・モーゼス「それでは、明らかに自分が神だと言っているように受け取れるたくさんの節がありますが、これはどうお考えですか」>
・「イエスの在世時代に、イエスの言葉はその意図以上に誇張されていた。またこれを聞いた弟子達も、イエスの真意より極端にこれを誇張して記録した。我らはこのように見ている」
<S・モーゼスは、指導霊達の教示に食い違いがあるので質問。「貴方の御説をそのまま受け取りますと、キリストの神性、聖書が神の無謬の啓示であること、および再生を否定することになりますが」>
・「はじめの二つは、結局神学上の信条の問題であり、もう一つは霊が真理に対してどれほどの洞察力があるかということである。というのは、キリストが神であるとか、聖書が神の無謬の啓示だということは、神学の枠の中だけで通用することだからである」
<S・モーゼス「霊達が永い間、神学的誤りを持ち続けると聞いて驚きました。これはよくあることですか」>
・「よくあるわけではない。しかし、霊媒を通じて頻繁に通信したがる霊は、知的に進歩した界の霊ではない。こういう霊はあまりものを知らない」
<S・モーゼス「食物をとりますか。動きはあるのですか」>
・「貴下の考えているようなものではないが、我らは宇宙に浸透している霊気で養われている。現に貴下の霊的媒体もそれで維持されておる。肉体のあるなしにかかわらず、霊を養い支えているものは、この霊気である」
<「貴方がたの家は物質的なのですか」>
・「そのとおりであるが、貴下が考えるような物質とは違う。物体は我らにも実在している。だが諸君らの粗雑な感覚には感知できないし触れもしない。我らは諸君のように場所に拘束されることはない。我らは光のように空気のように自由である。されば、我らの家は諸君らのように場所には固定されてはいない。だが、我らを取り巻く一切は、我らが繊細な感覚には、諸君ら同様実体なのである」
<S・モーゼスが最近他界した友人に質問。「霊界はこの世と似ていますか」>
・「あらゆる点で同じようだ。違いといえば状態の違いだけだ。花も、果実も、楽しい風景も、動物も、小鳥達も、地上と同じようにこちらにもある。物質的な状況だけが変化している。私達は君達のように、食物を欲しがらないし、生きるために殺すことをしない………自分の吸う空気と一緒にとり入れるもののほか、何も身を支えるための必要はない。自分の行動にしても、地上のように物質に妨げられることはない」
<「S」と呼ばれていたモーゼスの友人は、ウィルバー・フォース司教であることが判明。その彼が自分の新しい生活を次のように述べています>
・「私どもは地上と同じように、集まって生活している。私どもは一緒に集められ、英知と品格の高い霊の指導下で生活している。その点は地上と似ている。万事が皆同じなのだ。つまり、あらゆる行為が、普遍の愛の精神で支配されている」
<これに関連して、インペレーターが言及>
・「貴下の友人は、低い界で自分が見たことの印象のみを述べている。そこでは、霊達は共同体をなしていて、高級霊の指導下で、上級の階層へ進むために準備をしている。そういう境界は準備と実質の界であって、さらに高級な仕事をするための訓練中なのである。霊にふさわしくない界層に、霊が入ることはあり得ない」
<「そういう界層はどこにあるのですか」>
・「それは状態なのである。貴下の友人は地上の近辺、すぐ近くをいまだに去っていない。しかし、他の惑星の近くにも、同じような界層がある。界層とは状態であって、同じ状態が他の多数の惑星にも存在している。諸君らのいわゆる空間は、霊達の居住地でいっぱいである」
<上記の友人がインペレーターを下記のように描写>
・「私は初め高級霊達の着衣が光輝くのを見て、不思議でならなかった。インペレーターの着衣は目もくらむばかりの白色です。もうそれは純粋無垢のダイヤモンドで、まぶしく光り輝く光線がきらめいている」
<「何という素晴らしさ! 冠はどうなっていますか」>
・「7個の先端があって、それぞれには目もくらむ光輝の星が飾られている」
<「インペレーターは高い地位の方なのですか」>
・「そのとおり。彼は高級霊の中でも長たるべき方の一人で、このような霊が直接地上にかかわりをもつことはめったにない。たいていこのような霊は、中継の霊に命令を伝えるのである。大事業のためにだけ、このような高級霊が地上とかかわりあいをもたれる」
<S・モーゼスは、インペレーターの地上時代の名前はマラキ(訳者注:紀元前5世紀のユダヤの小預言者)であると聞かされていたので、これについて質問。「マラキとは何かの象徴なのですか」>
・「いや、そうではない。それは事実であって、象徴ではない」
<霊の身元と名前の同一性にまごついているモーゼスに、次のように伝えられた>
・「通信霊の名前は、貴下に霊から通信が伝えられる場合の、便宜上の符丁にすぎない。通信は場合によっては、いろいろな霊のものがまじっている」
<「インスピレーション型の霊交とは、正確にどのようなものですか」>
・「言葉を使わずに、思想を心に印象づけるやり方である。これは霊交の最高の形式で、霊媒の心身すべてに霊の支配が浸透している場合にのみ可能である」
<「すみれ色は何を表しますか」>
・「それは進歩向上を求めている霊の色である。愛情にも心を動かさない頑固な霊は、緑色のオーラで包まれている。こうなると我らは近づけない」
<「霊の目で色を見れば、性格が分かりますか」>
・「進歩した霊の目には、そのとおりである。それゆえ、我らの領域では隠しだてをすることはできない。霊は自分の身体に自分の性格を印刷して持ち歩いているわけだ。これは霊の世界である」
<S・モーゼスが、心霊写真で使われる霊の素材は、物質化現象の際に抽出されるものと同じものか、ないしは類似のものかと尋ねる>
・「いや、同種のものではあるが、さほど物質性のものではない。交霊実験中に室内で見られる光、あれは多少凝縮も可能だが、それと類似している」
<「霊が写っていても、そこに霊が居る証拠にはならないと言われるのですか」>
・「絶対的なその証拠ではない。諸君らの存在の観念は物質的なものである。前にも言ったことがあるが、霊は遠方から作用を及ぼすことができる」
<「なぜ、そういうことが妨げないのですか」>
・「自分で低級霊を呼んでおいて、我々にそれを防いでくれと言うのですかな。彼らを防止するのは、諸君らの心いかん、生活いかん、心掛けの浄化しだい、また我らが先に述べた霊交条件への留意、これで防げる」
<S・モーゼスの人生航路は、彼の偉大な仕事のために、準備され導かれている>
・「死者は生者の祈りによって救われること、この事実を知った時、真理の太陽からの一条の光線が貴下の魂の目を開いた。またその時貴下は知った、煉獄の罰は神学上の空言とばかりは言えないことを。貴下は、神は神を求めてもがき努力する者を愛の目をもって見られること、誠実と正直は信心や信条より優れて神と共にあること、この事実を学んできた」
<「私のこれまでの人生は、すべてこれの準備であったわけですか」>
・「そのとおり。我らの指導、我らの計画、すべてこのためであった。我らは十全に準備された霊媒を確保したかった。精神を整備すること、知識を蓄えること、その生活は真理受容に適した進歩的なもの、このような必要があった。このことはただ長期にわたる訓練によってのみ可能なことである」
<「では、これは宗教運動ですか」>
・「まさにそのとおり。我らは神の真理の使徒、人が求める神の福音を人に説く使徒、いにしえと同じく我らはかく申しておく。我らの関心事はただ使命にとり大切な事柄のみ。このほかには何の関心もない」
<正しい霊交の最中に、明確に馬鹿げたインチキを見たことがあると、S・モーゼスは語っている>
・「低級霊達は、目的達成のためには、ごまかすつもりはなくても、安直な方法を使うことがよくある。低級霊を使用しなければならないケースの一つである。全身物質化現象の場合、霊が霊媒の肉体を使うに当たっては、インチキをやっているとは、自分ではいささかも気づいていないのである」
<S・モーゼスは未発達霊に悩まされていたことがある。その時次のように言われた>
・「貴下は調子が良くないのに、あまり頑固に霊交をもとうとしすぎる。
結果は良くない。これは前に申したとおりだ。心身がともに不調の時は、価値ある通信は望めない」
<交霊会のあり方につき、モーゼスは次のように教えられた>
・「たっぷり食事をとった直後、心身が疲労している時、また霊的雰囲気が不調和な時は、交霊会をもたぬがよい」
<S・モーゼスは交霊会での音楽の使用について、それが助けになるかを質問>
・「音楽は良いものならば結構、だが必ずしも必要ではない。我らはむしろ静寂と注意力を好む。音楽は程度の低い霊示や、力のない霊達には助けとなる。しかし、いつも耳にするような音楽では我らの助けにはならない。むしろ逆効果である」
<「閉会後、不快な香りが漂っていた時のことである>
・「この香りは、霊的雰囲気が原因で不快なのである………これでお分かりになろうが、交霊会が始まる前には、議論や気まずい会話とか、傷つけたり興奮したりする会話は、一切遠ざけねばならない」
<S・モーゼスが2つの共同墓地にはさまれた土地に住んでいた時、指導霊がそこに居ないようにと反対した。そこで彼はどんな害があるのかと尋ねた>
・「貴下は墓地のあたりに漂っている発散物に、だんだん影響されやすくなっている。その近くで眠ったり、たえずその辺りの空気を呼吸してはいけない」
<「ですが、そんなに近くではありませんよ」>
・「貴下の家はその中間にある。その辺の空気は貴下の身体には、鈍重で有害なのである」
<「貴方は墓地がお好きでない。埋葬より火葬をよしとなさるのですか」>
・「生者の集まりの真ん中に、腐っていく肉体を葬る愚行に比べれば、何にしてもそれよりは結構、生きている者が吸う空気に毒が混じるのだからな」
<霊にたぶらかされている人物に言及して、S・モーゼスが質問。「貴方は彼に救いの手を差し伸べておやりにはなれませんか」>
・「その友人に他界との通信を止めさせなさい、邪霊のおもちゃにされないためにね。我らは我らの選んだ所属サークル以外の者には手を出さない。誰にしても皆独自の指導霊がついていて、その指導下で活動せねばならない」
<「近頃亡くなった霊で、数年で第7界へ入るというような霊をご存じですか」>
・「まったく知らない。そんなことはない。それはまったくのでたらめである。そんなことを言う霊は避けなさい」
<「邪悪霊がよからぬ目的をもって、霊能開発をやるということがありますか」>
・「確かにある。霊的に進歩していない霊の方が高級霊より、こと地上と関係のある事柄を処理することにかけては力があるから、そういうことは大いにある」
<S・モーゼス「叩音通信法は、私どもが知る以前に、霊界の方で発見されたということですね」>
・「この発見はもっぱら霊界の方で行われたので、地上の方ではない。そうして霊から人間へと通信が行われたのである。昔は、そういう通信法は分かっていなかった」
<S・モーゼスが、人間は強力な意志をもつ人物の影響を受ける、と心に思ったら、次のような通信を受け取った>
・「霊が肉体を捨てると、他に影響を及ぼすことが容易になる。とにかく、思想の投射が霊の会話、その通信交通方法なのだから。もう肉体はないのだから、魂は魂同士で時空を超越して交流ができる。時空などというものは、人間の発明品にすぎない」
<S・モーゼスが、自分の交霊会には死んだ友人達はほとんど出現しないと、ふと思う>
・「貴下の使命は別の種類のものであり、我らはこの交霊会が個人目的の通信に使われることを許さない」
<S・モーゼス「メンターは一度も物質化して出現したことがありません」>
・「我らはそれを許していない。我らは必要なことだけしか許さない」
<S・モーゼスが、貴方の使命は主イエスが直接計画されたのですか、と尋ねる>
・「すでに述べたとおり、このような運動にはすべて、二人の偉大な霊がかかわっておいでになる――モーセとエリヤである。私に直接霊示を与えて下さる方は我が偉大な師であるエリヤである」
<「貴方はイエスに会ったことがありますか。また前記の方々にはいかがですか」>
・「ある、私は我が師(エリヤ)、また偉大な霊(モーセ)にもお目にかかったことがある。モーセは神の選ばれた人間達に対する、神の代弁者であった。私はこれらお二方と語り、いろいろ教示を受けてきている。
<S・モーゼスが、キリストの再臨について質問>
・「記録文書の表現にあまり目くじらを立てぬよう忠告しておきたい。これら記録は多くの場合、あいまいで誤りのあるもの」
<「では、イエスの再臨とは純粋に霊的なものですか」>
・「さよう。主イエスの地上再臨は、諸君らの間で進行している。いまイエスは媒介の霊を使って働きかけておられる」
<「イエスはこれまで地上に出現してはおられません。だがそれはあり得るように私には思えます」>
・「昔のような人間イエスとしては、それはない。イエスはすでにそれがおできにならぬ境域へと向上しておられる」
<「霊力として来られるわけですね」>
・「さよう、天界からの霊力流出という形で来られる。目下その力が貴下の上に注がれている。そのイエスの仕事をしているのは我らである」
<S・モーゼスが善人の未来について質問>
・「我らは7段階に及ぶ霊の進歩を、例え話で話したことがあった。その間に、霊は自己救済を成し遂げ、地上の垢を振り落としたり、黙想生活にふさわしい知識の集積に努めたりする」
<向上せず、悪化していく霊について、モーゼスが質問>
・「物質的な好みを発達させ、霊的なものを無視してきた霊は、だんだん世俗的となる。守護霊も次第に近づけなくなり、かような霊は光明からどんどん遠ざかる」
<S・モーゼス「地上のすぐ下の第1界層には誰が住んでいますか」>
・「その第1界には、人間の中にある動物性の部分を過度に伸ばした連中がいる。そのため、彼らは霊性の部分を押しつぶしてしまっている。彼らは、肉体のこと以外に何の望みも抱かない。その動物性のゆえに他人を傷つけた者達で、今なお肉体的快楽を求めてふらつき回ったりする。こういう手合いには、大食い、賭け事師、守銭奴などがいる」
<「私達は自分の罪や失策を実際に来世で償うのでしょうか」>
・「まさにそのとおり。償われない罪はない。どんな小さな失策も見すごされることはない。未来の世において、魂がそれを償うことになる、その結果が跡形もなく消え去るまで。
<S・モーゼスは、自分の出席した宗教思想復興のための集会の中には、害になるものがあった、そのような感じをもっている>
・「地上霊化のために、さまざまな霊が活動している。その中にはお粗末で未熟なものもある。一人一人の心に触れるために、いろいろな霊が使われている」
<S・モーゼスはアイルランドに居て、病気の友人を助けてやりたいと願う>
・「貴下が一定の距離を越えて霊力を放射すれば、我らはこれをうまく活用できない。また、霊力が相手に届かない雰囲気の原因となっている障害を、我らの手では取り除いてやれない。貴下が熱心に祈れば、これは大いに効果があろう」
<「私共は祈りの効果をほとんど知っておりませんし、思えば、これを無視しております」>
・「さよう、我らは人間が次のことを知ってくれればよいと思っている。すなわち、人間は常に霊達に取り囲まれている。もし人が低級霊に心を向ければその災いを受け、されどそれ以上に、もし人がそう望めば、霊からの祝福を受けるものになり得るということ、このことである」
<S・モーゼスが、他界した知人の状態について質問>
・「彼女はいま少しずつ意識を取り戻しているところである。まだ相当の期間衰弱から回復への状態が続くだろう。これから霊力を身につけていけば現状から抜け出せよう。
<S・モーゼスは、つい最近他界した友人の今後について質問>
・「彼女は用意が整わないうちに他界へ入った霊の一人である。彼女の指導霊によると、彼女が他界に入って調和と平和と喜びの生活を送るためには、彼女の現世での生活は貧弱すぎたというのである」
<「すべてのものが、規則正しい進歩の課程をとって動いているように見えます」>
・「そのとおり、地球上の物質はさまざまの段階を通って今日に至っている」
<科学の研究者達には、自然力とか自然界とか、そういうものの真実を伝えてやらねばならぬのではないかと、モーゼスの顔にそんな疑問がわいた>
・「彼らには次のことを理解させなさい。実際を見れば、彼らの知らない力の作用が、ちゃんと五感で分かるように示されているものだということを」
<「しかし、人が求めれば、真理を見出します」>
・「その者は見出すだろう。そのような者に助力することは聖なる義務である。しかし、真理の発見には眼識や洞察力が必要であって、軽々しくできることではない」
<「霊体は、分離できますか、たとえば睡眠中などに」>
・「さよう、よくそういうことはある。霊体とは独立した存在なのである。肉体を離れれば、霊体は違った状態で生きている」
<「キリストの復活はどう考えたらいいのですか」>
・「出現したのはイエスの霊体である。イエスはこの霊体を人の目に見えるようにすることができたのであった。肉体が戻ったのではない」
<S・モーゼスが、霊の向上進歩について質問>
・「これまで話してきたことにほとんどつけ加えることはないが、多少説明をしておく。よくご承知のとおり、全存在は進歩かさまなくば退歩、これである」
<S・モーゼス「それから後、霊はどうなるか分からないとおっしゃるのですね。霊は個性を失うのでしょうか」>
・「我らには分からない。貴下が独立した存在と考えるような意味での、個体性の多くは当然失うであろう。貴下が1個の人格として考えるような形のものも失われよう」
<S・モーゼスは次のような感じを抱いた。「生命の最終目的が生命の源に吸収されることなら、私どもの努力も空しいのではないか>
・「生命!これについて貴下は何を知っておられるか。これまでに貴下が知り得たものは、生命のほんの断片。狭い狭い心の目で貴下は計っている」
<ステイントン・モーゼス>
<モーゼスに関する論評>
・「彼は天性の貴族であった。謙虚さの中におだやかな威厳が備わっていた。これは彼の受け取った霊訓と無関係ではなかった」
<モーゼスの心霊現象>
・ベンジャミン・フランクリンがこの交霊会に初めて出現した時に始まった、妖精のベルの話で、スピーア夫人は次のように言っている。
「あれは絶妙な現象でした。何かオルゴールのようで、もっと霊妙で優雅なものでした」
<モーゼスの他界訪問>
・「私は意識がなくなったことには記憶がない。しかし、暗闇から次第に美しい風景へと変わっていった。どうやら私は湖のほとりに立っているようだった。向こうに丘が連なり、それは頂上まで青々としていて、やわらかいモヤに包まれていた。イタリアのような感じで、半透明でやわらかだった。立っているほとりの水は静かで、空は一点の雲もない青だった。
私は風景の美しさにうっとりしながら、湖の岸辺にそって歩いた。一人の人が私の方に近づいて来た。その人は私が知っているメンターだった。
<モーゼスが自動書記でうけた解説>
<S・モーゼス「私が他界を訪問して見たあの光景は事実だったのでしょうか>
・「貴下がいま見ているのと同じく事実である」
<S・モーゼスがこう言う。「壁が何の障害にもならないので驚きました。たちまち光景が現れたようになり、その途端にも霊界にいました」>
・「霊界は貴下の周りにある、貴下の目にはそれが見ていないが。貴下の目が開かれたので、霊界の事物が目に入り、地上の風物はたちまち目から消えたのである」
<「すると、他界の境域はすべて私達の周りにあるのでしょうか」>
・「霊界は貴下の傍らに、貴下の周りに広がっていて、いわゆる空間に浸透している。このたびは貴下に霊界の実在の姿を見せてやりたいと思ったのだ。メンターが私の要請で、霊達を第2階層に呼び集めてくれた。彼らは各領域から、特別の目的のために集まったのだった」
<S・モーゼスは、彼の友人の外衣が緑の混じった紫色で、他の者達が白であったのと違うことに気づく>
・「彼は貴下がそれとすぐ気づくような外衣をまとったのである。緑はいまだ消えていない地上の状況を示し、紫色は進歩を表現している」
<「私はいつもの貴方の姿を見たのでしょうか。私には貴方が着ておられたまばゆい衣装が忘れられません」>
・「貴下が見たのは他の霊達が見ているとおりの私だった。とはいえ、私はいつも同じ姿をしているのではない。また仮に、我が高い界での姿を見せても、貴下の目では凝視できまい。現在の貴下の状態ではな」
<モーゼスの幽体離脱と自動書記見聞記>
・「交霊会にはどんな霊魂が集まって来るか、これはメンバーの願望の高尚さいかんにかかっている。このことを皆の心に刻みつけてもらいたいと思っている。交霊会メンバーの精神の状況は、霊の世界にまで波及し、これに応じて集まる霊が決定されるのである」
<訳者あとがき 桑原啓善 昭和63年夏 >
・「いま諸君が見ているのは新時代の夜明けである。それは単なる時代の変化ではない。これは人間を霊的な方向へ進歩開明させようとする、神界の首尾一貫した計画の一部である」
モーゼスを霊媒として、49名のインペレーター霊団が主として活躍したのは1870年代である。
・キリストの再臨とは、霊示で明らかなとおり、2千年前のイエスが再び肉体を持って出現することではない。「霊的再臨」である。
・では、どのような方法で再臨の仕事をするのかというと、インペレーター霊団やその他の霊団の、新啓示運動の総指揮官としての活動である。
・しかも、これは単にイエス一人の仕事ではないらしい。インペレーターはその間の事情を漏らしている。インペレーターに直接霊示を与えているのは、彼の生前の指導霊であるエリヤであり、エリヤの背後にはさらにその指導霊モーセが働いており、そうしてエリヤとインペレーター霊団のすべては、イエスの直属下で働いているというのである。このことはすなわち、メルキゼデク→モーセ→エリヤ→イエスにわたる、世界における一つの、そして巨大な神の啓示幹線がこれにかかわっているということである。
・スピリチュアリズムは、神霊主義または心霊主義と訳されるが、単なる一つの主義ではない。この天地に存在する法を集約したものである。
・これに対し、アジアの、たとえばインドのヒンズー教や日本の神道は多神教であったので、絶対神のもつドグマの幣を生むことはなかった。
・インペレーターの教えるように、世界の各宗教は真理の一部を表明しているのである。これらが統合されるとき人類の輝かしい未来がある。
・ここで述べられているのは、人と神とを結ぶ中間的諸霊、すなわち守護霊達の存在が、スピリチュアリズムの、つまり新しい啓示の、教示の中核らしいということである。
・ともあれ、スピリチュアリズムがいま進展している神界の大運動の一部であることに気づいていただければ幸いである。
0コメント