私の名はインペレーター、49名からなるこの霊団の団長である。私が霊団を指揮統率し、その指示の下に他の諸霊が仕事に当たっている。私は神意を果たすため、第7界より地上に下って来た者である。(3)

<異人・生贄・村落共同体>

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。別の表現をすれば、「異人」が「村落共同体」を訪れたとき、その共同体は異人を迎え入れてその村落祭祀のための「生贄」に利用したり、難工事の橋や築堤を成功させるための「人柱」に利用することがあったのだろうか、あるいはまた共同体の特定の家を「幸せ」にする目的のために殺害されることがあったのだろうか、といった問題群が浮かび上がってくるのである。

・まず最初に、この巻で問題となっているテーマの核となる物語をいくつか紹介してみよう。『今昔物語集』巻二六に、「生贄」説話の典型ともいうべき物語が二話並んで載っているが、そのうちの一つが、以下の物語である。

 飛騨の山中で迷った僧が山奥の村に招き入れられる。その僧を預かった家の者が、この僧をご馳走攻めにし、さらに娘をあてがって睦ませる。しばらくの間、その娘と夫婦として過ごしていたが、あるとき、妻の様子がおかしくなり、しかも一日に何度も食事を出して「男は太っているのがよい」と言う。不思議に思ってわけを聞くと、「この国の神は生贄を食うので、年に一度村人が順番に一人の生贄を差し出すことになっている。今年はわたしが差し出されることになっていたが、あなたがやってきてくれたので身代わりにしようということになったのです」と言う。夫が「その生贄は人が料理して差し出すのか」と問うと、「そうではなく、生贄を裸にしてまな板の上に載せて差し出し、それを神が料理する。生贄がよく肥えていないと、神が怒って作物を荒らすので、太ってもらうために、このように何度も食事を出すのです」と言う。さらに「その神の姿が猿だ」と聞いた夫は、妻に用意させた刀を隠し持って、生贄の祭儀に臨み、現れた神つまり猿を捕まえて、村に戻ってくる。

・柳田國男も「生贄」や「人柱」に深い関心を注いだ研究者で、たとえば『一つ目小僧その他』で「ずっと昔の大昔には、祭りの度ごとに一人づつの神主を殺す風習があって」と述べているように、当初は実際に人身供犠がおこなわれていたとの見解に立っていたが、やがてそれを否定する方向に向かっていった。したがって、多くの民俗学者も、実際に人を生贄にするような祭儀は存在しなかった、つまり実践としての生贄の習俗を否定し、伝説上の出来事とみなすようになっていったのであった。ほぼ同じ頃に、南方熊楠は日本をはじめ世界各地の事例を紹介した「人柱の話」において、「こんなことが外国に聞こえては大きな国辱という人もあらんかなれど、そんな国辱はどの国にもある」と言い放って、人柱が実際におこなわれていたことを当然のこととして記述している。

・この南方の見解を引き継ぐような論文を展開したのが、高山純の「我国の人柱に関する民間信仰の起源についての比較民俗学的研究」で、世界各地の人柱習俗や老古学的資料などに基づいて、生贄・人柱が実際におこなわれたと主張するとともに、この習俗は大陸から入ってきたもので、その渡来には二段階あり、最初の段階は焼畑耕作文化とともに、第二段階は稲作文化とともに入ってきた、との見解を述べている。

・柳田國男および彼の系統を継ぐ民俗学者たちは、「生贄・人柱」がおこなわれたかどうかといった議論から離れ、そうした伝承の伝搬さらには日本人の神観念・信仰観やその変遷を探り出す方向へ向かっていった。それがどのような輪として示されるのかを簡潔に物語っているのが、宮田登「献身のフォルク」で、たとえば人柱伝説を、水神に奉仕する巫女のための聖化のプロセスに対応するとか、橋の工事で亡くなったものの鎮魂の儀礼に対応するか、スケープゴート儀礼などに対応するといったことを想定している。文学の側からもこうした傾向の研究がかなりあり、たとえば、矢代和夫『境の神々の物語――古代伝承文学私語』などはその早い時期の成果であろうか。これとはいささか趣向が異なるのが、若尾五雄の「人柱と築堤工法」である。彼は人柱伝説に登場する言葉が土木築堤工事に関する用語となっていることに着目することで、架橋工事の擬人化した表現・物語が人柱伝説であったのではないか、と推測している。

・なるほど、神に捧げるために実際に人を殺したという儀礼に関するたしかな記録は存在していない。にもかかわらず、意外なことに、現在の祭りの起源もしくは説明として、人身御供を持ち出すところが多いのである。たとえば、能登半島には、七尾の大地主神社の祭りや輪島の重蔵神社の祭りなど、そうした伝承をもつ神社が散見される。その一つである日吉山王を祀る七尾の大地主神社の青柏祭は、山犬が人身御供を要求する老猿を退治したことを記念する祭りであるという祭儀起源伝承をもっている。それによれば、山王神社に毎年娘を人身御供することになっていた。自分の家に白羽の矢が立ったので、父親が神社に隠れて見ていると、「越後のしゅんけんは、おれがここにいることはわかるまい」という声がする。山を歩いていると、「しゅんけん」という名の山犬が現れ、「悪い三匹の猿のうち二匹は退治したが、一匹がわからなくて探しているところだ。それを退治する」と約束する。父親は山犬を唐櫃に入れ神前に送った。翌日、そこで猿と山犬が死んでいるのが発見される。この三匹の猿にちなんで、三台の山車が祭礼に出るようになった。

・この種の伝承は「猿神退治」として知られるもので、昔話や伝説として各地に伝わっている。この伝承の多くは、猟師や旅の僧などが、とある村に行くと、土地の神に若い娘を人身御供に出さねばならないという。不審に思って神社に行くと、「しっぺい太郎に聞かせるな」と語っているのを盗み聞きする。しっぺい太郎を恐れていることを知って、各地を歩き回ってこのしっぺい太郎という者を探すと、じつは犬の名であることがわかる。そこでこの犬を人身御供の代わりに神前に送ると、その翌日、老猿が犬に食われて死んでいるのを発見する、というものである。

・したがって、上述の大地主神社の伝承もこの物語のヴァリエーションであることがわかるだろう。そこで問題になるのは、この三匹の猿を象徴するのが「山車」であるとすれば、旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

・すでに述べたように、「生贄・人身御供」伝承の研究は少ない。

<「異人」と「家」の盛衰>

・「共同体」というものが安定し、その意思がはっきりしているときには、時と場合によって「異人」は「共同体」のために犠牲となる。しかし、それが弛緩すると、それに対応するかのように、「家」の論理・意思が浮上してくる。つまり、家のために「異人」を殺すということがみられるようになってくる。もちろん、実際に「殺害」されたかどうかはわからない。だが、そうした伝承が広く見られるようになったのはたしかである。その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これをわたしは「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承ある。

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売りなど)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りを受ける。

・この物語は明らかに「生贄・人柱」伝承とは異なった位相での「異人殺し」である。「殺害」の担い手は「家」もしくは「夫婦」にあるからである。「幸せ」を手に入れるのも、その後「祟り」を受けるのも、その対象は「家」(夫婦)なのだ。この伝承からも、「共同体」を構成する家々が抱えもっている「異人」に対する両義的イメージや「共同体」および「家々」の欲望、「異人」に対する恐怖心などいろいろなことを引き出すことができるだろう。

・中沢は鹿児島県の甑島で桜田勝徳が採集した「異人(山伏)殺し」伝承の報告を分析し、山伏を殺害したという当の家とそれ以外の家々で語られる伝承の違いに着目し、後者の場合において伝承が幻想化の処理が施されるという傾向が強く見られると指摘し、その幻想化の素材として「トシドンの祭り」を挙げている。つまり大晦日の日にやってくる来訪神とイメージ連関を起こすように物語化されるわけである。野村の研究は、「異人殺し」伝承の昔話版である「こんな晩」型の昔話の全国における分布・伝承状況を丹念に調べ上げ、それに基づいて「こんな晩」型の昔話は、世間話として発生した伝承が昔話化したものであるが、まだ昔話化が十分になされていない、つまりその途上にある伝承と把握したものであった。

・これらの論文での主張は多岐にわたるが、とくに強調したかった点は、こうしたフォークロアが異人歓待と排除を併せ持った怪談・祟り話であるというだけでなく、家の盛衰が貨幣によって左右されるということを前提にしているので、村落共同体が貨幣経済に組み込まれていく過程に生み出されたものであること、そしてこうした伝承を騙り出すのが宗教者であり、またその背後には来訪神その他の神観念とのイメージ連関も関わっている、というものであった。つまり前近代から近代への移行期に立ち現れてきた伝承が「異人殺し」であった。

・民俗学およびその隣接学問では、これまで「共同体」と「異人」の関係のダイナミックな相互関係、さらにこれとは水準の異なる「共同体」のなかの「家」と「異人」のダイナミックな相互関係に関する研究は、意識的なかたちではほとんどなされてこなかったといっていいだろう。しかしながら、本巻に収めた諸論考からうかがい知ることができるように、「異人」に着目することによって、「共同体」や「家」の成り立ちやその性格を理解することが容易となるのである。なぜなら、冒頭にも述べたように、「社会集団」は「異人」あるいは「異界」との関係のなかで成立するからである。「生贄・人柱」や「異人殺し」の伝承はそのことを如実に物語る伝承であろう。そしてその成果は現代社会を照射する手がかりを与えるはずである。さらなる異人研究が求められている。

『茨城の妖怪図鑑』

中沢健  TOブックス  2019/7/1

<人が生んだ蛇――朝房山>

・ヌカヒメという女性が、名前も知らない男性との間に生んだ子が、蛇だったという伝説がある。ヌカヒメはごくごく普通の人間であると思われるので、相手の男性が妖怪だったのかもしれない。

 ヌカヒメとその兄のヌカヒコは生まれてきた蛇を神の子だと思い、祭壇に安置していた。だが、蛇はあっという間に大きくなってしまう。

・人と会話を交わした、雷を自由に操り、飛行する能力まで持っていることから考えても、その正体はただの蛇ではなかったのであろう。ヌカヒコが考えた通り神の子であったのかもしれない。

 謎の男の正体を探るうえで一つヒントになりそうな都市伝説がある。イギリスで唱えられ、その後世界的に広まった爬虫類型異星人(レプティリアン)の存在だ。密かに地球へ大量に飛来しているという宇宙人の中でもレプティリアンはかなりの数を占めていると言われている。

 興味深いのは、このレプティリアンは爬虫類の中でもトカゲやワニ、亀などではなく、蛇に近いDNAを持つとも言われていることだ。

 UFOは雷と同様のエネルギーを使い飛来するという話を主張するUFO研究家もおり、ヌカヒメとの間に子供を作った男性がレプティリアンである可能性も考えられるのだ。

<茨城のニンゲン>

・その昔、茨城県の海岸に不気味な死体が漂着したことがあるという。嵐の夜のことだ。海岸に、巨大な人間の死体が打ち寄せられた。死体の身長はおよそ15メートルほどあった。半ば砂に埋まって横たわっていたが、騎乗して近寄った人の持つ弓の先端だけが、死体の向こう側にいる人からかろうじて見えたという。その巨大さがよく伝わる表現だ。

                   

<一つ目妖怪   ――桜川市>

・日本人なら誰でも知っているであろうメジャー妖怪「一つ目小僧」を代表に、一つ目の妖怪にまつわる伝説は日本全国にある。

 茨城県桜川市では、毎年2月8日に「八日祭り」と呼ばれる行事が行われている。

 これは、長さ約1.3メートル、幅約60センチ、重さ約12キロほどもある巨大なわら草履を作り、その草履を掲げることで「こんな大きな草履を履く巨人が、この地にはいるんだぞ」と一つ目妖怪を威嚇して、町に一つ目妖怪が侵入するのを防ぐというものである。

<金色姫    ――日立市、つくば市、神栖市>

・金色姫と呼ばれる不思議な美女の話がいくつかの町で伝わっている。

 代表的な話として、日立市に伝わる金色姫の話を紹介しよう。

 海岸に一隻の船が流れ着いた。そこには美しい女性が乗っており、インドの王の娘で、金色姫だという。継母にいじめられた結果、王である父に「やさしい人のいる国に流れ着くように」と船で流されたのだと語る。

・金色姫が化けた蚕は繭を作った。その繭から出てきた成虫の蚕はたくさんの卵を産んで、多くの蚕が生まれた。これらの蚕が吐いた糸はとても上質なもので、村は大変栄える結果になったという。

<女に化けた狐     ――瀧ケ崎市>

・竜ケ崎市に古くから伝わる不思議な話を紹介しよう。

 忠五郎という情が深くて親孝行な男がいた。忠五郎は、母のために土浦まで薬を求めた帰りに、キツネが狩人に撃たれそうになっているのを助けてあげた。その日の夕方、五十くらいの男と、二十歳くらいの若い女が忠五郎を訪ね、宿を貸してほしいと頼んできた。二人を泊めてやると翌朝、女は「両親を亡くしたため、奥州岩城(福島県)から鎌倉の伯父のところへ世話になろうと下男を連れてきたのに、その下男に昨夜のうちにお金を持って逃げられてしまいました。しばらくここに置いてくれませんか」と頼んできた。忠五郎は頼みを聞いてあげて、その女を置いてやることにした。女はとても働き者だったので、近所の人が仲人をして忠五郎は女と結婚することになった。そして二人の間には三人の子供が生まれた。平和な日々が続くが、ある日、女の正体がキツネであることが忠五郎にバレてしまう。正体がバレてしまったキツネは、忠五郎の元から去っていく。

 キツネが化けた女が去った後も三人の子供は忠五郎の家に残り、それぞれ立派に育ったという。

<笠間の十三天狗    ――笠間市>

・笠間市にある愛宕山では年に一度、「馬鹿野郎!」「この野郎!」といった罵声が聞こえてくる日がある。

 

・笠間市では12月の第3日曜日に「悪態まつり」というお祭りがおこなわれている。これは日本三大奇祭の一つとも言われている。これは日本三大奇祭の一つとも言われているお祭りで、天狗に紛争した氏子たちに向かって参加者は「馬鹿野郎!」「この野郎!」「いい加減にしろ!」と罵声を浴びせ続ける。

 悪態をつけばつくほど縁起も良いという実に変わったお祭りなのである。

<奈美松・古津松      ――石岡市>

・昔、美しい男と女がいた。お互いのうわさを聞き、お互いに会いたいと思っていいたところ、歌垣(相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗)の際に二人は偶然出会うことが出来た。二人は人々から離れて松の木の下に隠れ、お互いの思いを語りあったという。夢中になって語り合ううちに、夜が明けた。二人は、周囲の人に見られることを恥ずかしく思い、恥じ入るあまり松の木に化けてしまった。男を奈美松といい、女を古津松という。

<鬼のういじ   ――高荻市>

・日本一有名な昔話である「桃太郎」。この物語はどこが発祥の物語であるのか諸説あり、国内にはいくつかの「桃太郎の里」として売り出している場所がある。

 物語の内容も地域によって細部に違いがあって、高荻市に伝わる「桃太郎」では、鬼は鬼ヶ島ではなく、山奥に暮らしている。また、「ういじ」という名前も付けられている。

<小美玉市の河童    ――小美玉市>

・人間に悪さをしようとした河童が、手を斬り落とされてしまうという話は日本中で伝わっている。そのため、河童は手のみのミイラが伝わっているケースも多い。

 小美玉市にも、悪さをしようとしたところを、地元の殿様に刀で手を斬られてしまった河童の話がある。必死で謝ったカッパに殿様は手を返してやった。河童はそのお礼として、殿様に秘伝の薬の作り方を伝授したり、魚を毎日届けたという。

<ねねこ河童     ――利根町>

・利根川に住んでいた女河童。

 この女河童は、日本中に存在する河童の中でもトップクラスの力を持つと言われている。

 赤城の忠治河童、佐倉の繁三河童、江戸の長兵衛河童、伊豆の佐太郎河童、清水の次郎長河童、潮来の伊太郎河童といった関東の河童たちを配下として従えさせていた大親分でもあったと伝えられている。

<千波湖の河童   ――水戸市>

・河童というと、昔の人が目撃していた妖怪というイメージが強い。しかし、茨城県では80年代に入ってからも複数の人間から河童を目撃したという報告がある。

 1987年に千波湖の脇を流れる桜川に河童が現れて、それを目撃した小学生たちが河童に目がけて石を投げつけたというのだ。

<ねがい天狗とかない天狗     ――稲敷市>

・稲敷市にある大杉神社には、長い鼻を持つ天狗と烏天狗の像やお面などが並べられている。

 長い鼻を持つ天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれていて、どんな願いごとでも、しっかりと神様(大杉大明神)の元まで届けてくれる。その結果、どんな願いごとでも叶えてくれる神社として有名になり、多くの人々が大杉神社を訪れるようになった。

<ひょうたん入道    ――鉾田市(旧鹿島郡)>

・その昔、鹿島郡のお寺で、巨大な大入道が現れて人を驚かせたことがある。

 この大入道に遭遇したお坊さんが、見事に退治したところ、その正体は大きなひょうたんが化けた姿であったという。

 民話や伝説によると、いろいろな姿に化けるのは、狸や狐のような動物だけではない。

<うつろ舟    ――鉾田市>

・今から二百年ほど前に、鉾田市の海岸に不思議な形状の舟が漂着したことがあった。

 当時の人たちは、その舟の正体が分からず、不気味に思い、舟に乗っていた乗員(奇妙な言葉を使う女性であった)ごと、海へと送り返してしまった。

 この舟の絵を見た現代の人々は「まるでUFO(空飛ぶ円盤)のようだ!」と驚いた。

 うつろ舟と、その乗員との遭遇は、茨城県民と宇宙人のコンタクトの記録だったのであろうか?

<茨城・UFO宇宙人目撃事件簿>

・ここでは、その中から、UFOと宇宙人の目撃事件について少しだけ紹介させていただこう。茨城には妖怪だけじゃない、宇宙人もたくさん来ているのだ‼ 

●加波山はUFO目撃多発地帯!

・桜川市と石岡市との境に位置する加波山の上空は、UFO目撃多発地帯としても知られている。目撃の大半はジグザグに飛行する発行体であるが、筑西市にある某接骨院に務める柔道整復師の男性は加波山上空に飛来した巨大な葉巻型UFOを目撃している。

●UFO否定派を肯定派に変えた超巨大UFO!

 それまでUFOの存在など全く信じていなかった男性が、稲敷市の県道でUFOを目撃。以来、肯定派に変わってしまった。

 目撃したのは、2013年1月3日。風のまったくない寒い夜だったという。車で移動中に、50メートルから100メートルはある巨大な物体が空を飛んでいたのを目撃した。

<河童の手のミイラ      ――土浦市>

・河童が侍に手を切り落とされたという話は日本中に伝わっており、そのため河童の手のミイラも多くの場所で保管されている。

 もちろん、河童伝説が多い茨城県も例外ではない。土浦市(佐野子町)の公民館には、河童の手のミイラが今でも大事に残されている。

 上野動物園のスタッフが、この河童の手を鑑定したこともあったそうだが、その正体は特定できなかったらしい。

 佐野子町では6月に「かっぱ祭り」を開催しており、このミイラが一般に公開されるのも、お祭りの時のみである。

<アマンジャク     ――稲敷郡>

・天邪鬼(あまのじゃく、あまんじゃく)は日本全国に伝わる鬼の妖怪である。人の心を読むことが出来て、人の口真似をしていたずらをするのが特徴だ。茨城県の一部では、山彦を「アマンジャク」と呼んでいた。また木の精霊などもアマンジャクと呼ぶことがあったらしく、一般的には鬼の妖怪として広く伝わっている天邪鬼も地域によってはバリエーションがあったようだ。

<牛久沼の河童    ――牛久市>

・河童は日本各地に伝わる、日本を代表する妖怪である。河童が出る場所として、有名なのが牛久沼。

 河童が伝わっている他の場所では聞かないエピソードとしては、いたずらをしていた河童を捕まえた農民が、河童を縛り付けたという松の木――通称「河童松」なるものも残されている。

 伝説によると、河童は松の木に縛られ、暑い夏の日差しで河童の皿は干上がっていった。河童は村人に泣きながら「これからは悪いことはしません」「今までの罪ほろぼしにお百姓さんの役に立つことをさせてください」と詫びた。村人たちは河童を許してやり、沼へ戻してやったのだという。

<ダイダラボウ    ――水戸市>

・茨城県には、巨人にまつわる伝説が多く残されている。その中でも有名なのが、水戸のダイダラボウだ。

 水戸には高さ15メートルのダイダラボウの像があるのだ。このダイダラボウ像は、中に入ることも出来て、展望台になっている他、茨城の巨人伝説にまつわる貴重な資料も展示されている。

 またダイダラボウ像の近くには、巨人の足跡を模して造られた池などもある。

 しかし驚くべきは、15メートルもある像も、伝説のダイダラボウと比べたら、だいぶ小さく作られているということだ。何せ、足跡一つを見ても幅36メートル、長さは72メートルもあったというのだから、想像を遥かに超える巨大なスケールの妖怪だったのである。

 ちなみに、ダイダラボウ像が作られた場所は、書物に記録されているものとしては日本最古の貝塚である「大串貝塚」のある場所でもある。

ダンデェさん――稲敷市

大田魔神――利根町

ダイダッポウ――ひたちなか市

デーダラボウ――日立市、常陸太田市、城里町

ダイダラボッチ――つくば市、古河市

デーナガボウ――潮来市

 巨大なダイダラボウ像が設置されている大串貝塚ふれあい公園。

 ダイダラボウ像の中に入ると、茨城県に伝わるダイダラボウ以外の巨人についても紹介されている。茨城の妖怪伝説を調べるうえでは外せないスポットである。

 一口に巨人と言っても、地域によって名前にもこれだけバリエーションがあるのは面白い。

●天狗の山

・笠間市にある愛宕山は、天狗の住む山と言われている。なお、愛宕山という名前の山は日本各地に存在している。茨城県内でも大子町に愛宕山がある。天狗を捜索する際は、間違わないように気を付けよう。

 飯綱神社に現れた十三天狗。「仙境異聞」という書物によると、元々は五天狗であったらしい。その後、十二天狗になり、最終的には十三人の天狗が集うこととなった。

『月刊ムー  2017年5月号』

<伝説のダイダラボッチは実在した!!  飛鳥昭雄+三神たける>

<戦前、茨城県に身長10メートル超の巨人が出現!!>

・飛鳥昭雄が、独自のルートで驚くべき写真を入手!!戦前に撮影されたいうその写真に、超弩級のヒト型生物が写っていたのだ!!この巨人こそ、日本各地に伝わる伝説のダイダラボッチなのか!?

・最初に見たとき、B氏は驚愕のあまり、言葉を失った。無理もない。そこに写っていたのは、身長10メートルは優に超える巨人だったからだ。

・B氏によると、風景から察するに撮影されたのは茨城県常陸太田市下高倉の山中らしい。

・古くから常陸地方には巨人ダイダラボッチの伝説がある。『常陸国風土記』によると、筑波山の山頂が双峰になっているのは、そこにダイダラボッチが腰かけたからだとか、水戸にはダイダラボッチも模した巨大な像まである。

 もし仮に、B氏の写真がホンモノであれば、これまで説話の中だけの存在だと信じられてきたダイダラボッチの実在性がにわかに高まってくる。

・写真は全部で3枚。連続撮影されており、被写体の巨人が画面の向こうに移動する様子がわかる。徐々に影が薄くなり、最後には、ほとんど消滅しかけているのである。

 まるで心霊写真である。世界初の幽霊巨人なのか。別次元に溶け込むように消えたとするならば、考えられる可能性が、もうひとつある。

 

・地球内天体と地上とは、ある条件が重なるとプラズマ・トンネルが形成され、ときに物体や生物がテレポートする。ひょっとして、写真の巨人もまた、きわめて短い時間ではあるが、亜空間を通じて地上に出てきた地底世界の巨人なのかもしれない。

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より、

ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人である。類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある)。

柳田國男は『ダイダラ坊の足跡』(1927年(昭和2年)4月、中央公論社)で日本各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察しており、ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味であるとしている。

<●●インターネット情報から●●>

「ROCKET NEWS24」から引用

<マジか!? 台湾でダイダラボッチみたいな怪物が激写される>

ダイダラボッチとは、古くから日本に伝わる伝説的な巨人である。山や沼を作るといわれており、あの富士山を作ったのもダイダラボッチというウワサもある。映画『もののけ姫』の「ディダラボッチ」を思い出した人も多いだろう。

そんなダイダラボッチみたいな怪物が台湾で激写されていたのでご報告したい。撮影したのは警察官。なんとiPhone 4で撮影したのだという。場所は台湾の台東県にある標高3310メートルの嘉明湖近辺であるとのことだ。

問題の写真を確認すると……そこには水掻きの付いた半透明の巨人が写っている。距離のわりには大きく写っているところを見ると、実物サイズは巨人サイズだと思われる。まさにダイダラボッチのようではないか!

YouTubeには、色調整により謎の巨人をより分かりやすく映した動画「Huge Cloaked Alien Spotted In Taitung? 2012」もアップされているので、合わせて確認してみるとよいだろう。

ちなみにモバイル機器の専門家、CGの専門家、そしてプロカメラマンなどに写真の真偽を鑑定してもらったところ、「風景写真に画像を合成した可能性は低い」との結果だったそうな。はたしてこれはダイダラボッチなのか。それとも……!?

 

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