このような神隠しにあった人を捜すには、名前を呼ぶ、鉦や太鼓を叩く、隠された子供の使っている茶碗を叩く、桝を叩くなど、地方によってそれぞれ方法があったようである。(1)
(2022/7/22)
『昔話・伝説を知る事典』
野村純一・佐藤涼子・大島廣志・常光徹 編
アーツアンドクラフツ 2021/12/22
<異郷譚>
・異郷を(主に水界)を訪れた主人公が歓待を受け、別れ際に財宝あるいは呪宝を持ち帰る話群。この異郷譚に分類できるものに、「竜宮童子」「浦島太郎」「沼神の手紙」「黄金の斧」「玉取姫」などがある。これらの昔話は、海中(竜宮)や水界との関係を示したものであるが、昔話の世界では、山中、地底、海の彼方、天、そして海中の竜宮というように異郷は幅広く語られている。この地は現実生活とは及びもつかない富の郷であり、美しくすばらしい園である。そして、そこでは時はゆっくりと流れ、いつまでも年をとらず若いままでいられるのである。このような異郷観が昔話に反映されている。
そして「見るなの座敷」のように理想郷を語る昔話もあるし、また、山中を舞台とする「酒泉」や「若返りの水」などにも異郷譚の一つの側面が窺える。
<犬聟入(いぬむこいり)>
・娘の排便の始末をしてくれたら、ゆくゆく嫁にやると犬に約束する。犬は娘の排便の始末をし、娘が成長すると約束の履行を親にせまる。娘は犬の妻になり、犬と一緒に山の中で暮らしている。猟師がやってきて犬を殺し、その女を自分の妻とする。七人の子供ができしあわせに暮らすが、ある日猟師は、昔の犬殺しのことを妻に告白する。妻は先夫の仇とその猟師を殺す。だから<七人の子はなすとも女に心を許すな>ということわざがあるのだ、と結ぶ昔話。
東北から奄美、沖縄まで伝承されている昔話だが伝承濃度はあまり蜜でなく、西南日本に多く採集される。
・この昔話と関連する犬祖伝説は東南アジア地域に広く伝承されている。すなわちショウ族、ミャオ族、ヤオ族等の始祖伝説である。自分たちの始祖を犬と女との間に生まれた人々であるとするこの伝説は沖縄・宮古・八重山の島々の伝説にも大きく影響を与えている。伝承の背景に焼畑耕作、あるいは狩猟生活が窺える昔話で、伝承の分布も焼畑耕作等の分布と重なってくる。
<異類婚姻譚(いるいこんいんたん)>
・人間と人間以外の動物・精霊・妖怪などの異類とが結婚する昔話群がある。これを<異類婚姻譚>と呼ぶ。『日本昔話名彙』では<幸福なる婚姻>の項に分類されている。『日本昔話大成』では<婚姻・異類聟>の項に「蛇・河童・鬼・猿・犬・蜘蛛・木魂聟入」「鮭・蟹報恩」「鴻の卵」
「蚕神と馬」「蚕由来」、<婚姻・異類女房>の項に「蛇・蛙・蛤・魚・竜宮・鶴・狐・猫・天人女房」「笛吹聟」がある。
『古事記』の<三輪山神話>のごとく、三輪山の神の化身である蛇と娘とが結婚する神話的な伝承の残滓が昔話の「蛇聟入・苧環方」として語りつがれている。あるいは、異類は池の主であったとか、異類との間に生まれた子供が英雄になったとかいうような始祖伝説、英雄伝説としても語りつがれている。しかし、異類聟譚では、神話や伝説と異なって異類が神や池の主としてではなく、人間に悪や害をもたらすものとして妖怪化している。
また、異類女房譚は、命を助けられた異類が報恩のため女性となって現れ結婚する。両者の間に子供が生まれるが、何らかのタブーを男が破って異類の正体がばれ離別する。「蛇聟入・苧環(おだまき)型」は妻問婚の形式をとり、その他の異類聟譚は妻方から夫方に移る妻方・夫方居住制をとる。異類女房譚は嫁入婚で夫方居住制をとっている。異類婚姻譚には、トーテミズム信仰・水神信仰・異部族間の婚姻習俗・男女の生活規範・労働生産活動・農耕民の知恵などが絡みあっている。
<鬼>
・説話において、鬼は人間を脅かす存在として登場する。山や鳥など、人里離れた地に棲み、物を略奪し、人をさらう。災害をおこすこともある。姿は、背が高く、筋骨たくましく、赤や青色の皮膚をして、角や牙を生やし目が鋭く輝いているというのが、一般的な表現である。鬼の語は、<隠>に由来し、姿を見せない超自然的存在という意味をもつ。
また、人を食うという要素は、羅刹、夜叉、地獄の極卒といった仏教の系統をひく鬼の影響を受けていると考えられる。中国では<鬼は帰(き)なり>とされ、死者の魂を意味した。日本でも現世に強烈な思いを残した者は、鬼になると考えられていた。新潟県に伝承される「弥三郎婆」は、最愛の息子をなくした鋭い悲しみから鬼と化し、人を食うようになる。
しかし個々の説話をみてゆくと、恐ろしい鬼ばかりでなく人に幸福をもたらす場合も多い。先に掲げた弥三郎婆が、炭焼き男のために大阪の豪商である鴻池の娘をさらってきたという昔話もある。
<小野小町(おののこまち)>
・平安前期の女流歌人で、六歌仙の一人として活躍した女性。その出生地、身分、晩年などほとんどが謎につつまれており、様々な伝説とともに数多くの生地や墓地が全国に伝えられている。
<隠れ里>
・山奥や洞穴の先に別世界があり、平和で自由富貴な生活が行われていると説く伝説。山奥にある隠れ里は平家谷とも伝えられるが、近世の記録によるとしばしば発見されている。隠田百姓村とも言い、周囲の村と交流を断って完全に孤立した生活を営んできたというが、川上から椀や漆器が流れてきたことによって発見されたと伝えることから伝説的色彩を多分にもっている。椀貸伝説によると、来客や慶弔などで多数の膳椀が入用の時に、洞穴や塚、淵などにその旨お願いすると翌朝にはすべて用意されている。ただ心がけの悪い者がいて返却の約束を守らなかったために以後貸してくれなくなったという。
この洞穴や淵などは隠れ里への入口と意識されたりするが、海辺に近い方では竜宮に通じているといい、雨の降る日は乙姫様の機を織る音が聞こえてくると伝えている。「竜宮女房」の昔話では薪を淵に投げ入れた男のもとに竜宮からの使いがきて富を援けたことになっているし、「鼠浄土」でも鼠穴の中では鼠が小判を臼で搗いていたことになる。
このように洞穴や淵などは異郷に通じる入口であり、その奥は富の源泉であると考えられている。こうした異郷観念が、説話の中で、心がけのよい、神に選ばれた者がその世界に行き、その富の恩恵に浴するというように形象化されてきたと考えられる。岩手県遠野市で、マヨイガという隠れ里に行き何かもってくると長者になるというのも同様の発想であろう。
<河童>
・河童は、礼として魚をよく持ってくる。このことからもわかるように水界を主な生活の場とするもので、打身傷薬や骨つぎの秘伝薬の作り方も知っている。水陸両棲で、頭に皿があり、この水がなくなると力を失ってしまう。河童は相撲が好きだが、勝負のとき、まずおじぎをしてから挑むと勝てるとする話も多い。
また<三つ子ばかりの子供>と表現されるように童形である。呼び名は、ミズチ(青森)、カッパ(東北・関東)、ガメ(富山)、ミズシ(石川)、カワランベ(長野)、ガタロ(大阪)、カシャンボ・ゴーライ(和歌山)、エンコー(中国西部)、シバテン(高知)、カワント(福岡)、ガワッパ(長崎)、ヒュースボ(宮崎)、ガラッパ(九州南部)などがあり様々である。
宮崎県では、河童の呼び名は彼岸を境にかわるとし、春の彼岸からはカワンヒト、秋の彼岸からはヤマンヒトとなり、住む場も、それぞれ川・山となるという伝承もある。水の神・山の神の両面をもっていたことも、この呼称は暗示している。昔話には「河童聟入」があり、「蛇聟入」水乞型と同型で、結末は末娘の知恵により河童が嫁にすることを諦める話。「河童釣」はおどけ者の笑話である。伝説では河童石(岩)・河童松・河童証文松等の話があるが、いずれも人間側からの約束または詫状・証文をとり水難守護・人馬牛を損傷しない誓いをとられる話となっている。
<神隠し>
・人がある日突然姿を見せなくなり、捜しても見つからない時がある。それを神や天狗の仕業として<神隠しにあった>とか<天狗にさらわれた>などという。多くは子供が神隠しにあうというが、大人が神隠しにあった話もある。
愛知県北設楽郡東栄町では、20歳半ばの男が山仕事に行って神隠しにあった。村中捜したが見つからず3日目の晩に、屋敷の露地にドシンと大きな音がしたので行ってみると、その男が突立っており、側には大きな木の根株があったという。話を聞いてみると、白髪の鼻の高い老人に連れられて、方々の山などを回った後に、欲しい物はないかと聞かれ、力が欲しいと答えたら、この木の根株をくれたという話がある。このような神隠しにあった人を捜すには、名前を呼ぶ、鉦や太鼓を叩く、隠された子供の使っている茶碗を叩く、桝を叩くなど、地方によってそれぞれ方法があったようである。
柳田國男によれば、隠されやすい子供の特徴として<さかしい>とか<かしこい>ということをあげ、古くこれらの日本語には、宗教的な傾向を含んでいるのではないかと推定している。また、神隠しにあいやすい場所や季節、隠されていかれる場所など、神隠しの話はある程度類型化できるようであるが、子供が隠された場合と大人が隠された場合、どこが同じで、どこが違うかということも、細かくみていく必要があろう。
<キジムナー>
・沖縄の代表的妖怪。古木の精と考えられ、ガジュマルやウスク(アコウ)の古木などによくすみついている。キジムン・セーマグ・ブナンガヤー・ブナガイ・ミチバタ・ハンダンミー・アカガンター・アカブサ等々とも別称される。形状は髪が長く身体は毛でおおわれているとか、赤ら顔の子供のようで総角(あげまき)であるとかいう。また睾丸の大きな子供の姿をしているともいわれる。キジムナーは魚を捕るのが上手で、しかも魚の目だけしか食べないので、これと交友すると大漁まちがいなしという。
火の怪でもあり、旧8月10日は妖怪日といって<キジムナー火>が飛びかう日である。古木のある家では尾花を刈って結び、その出没を予防する。夜、線香をふるとキジムナーがその火をとりに寄ってくるという。また夕方、口笛を吹いて呼び寄せることもできるという。水の怪としての性格ももっている。キジムナーに水中に引きこまれたとか、キジムナーは水面を駆け回ることが上手で人を連れたままでも水面に立ちうるともいう。キジムナーは人間と親しい妖怪で、そのおかげで富を得たという話もよく聞く。あまり親交が深くなりすぎたり、だましたりしてその報復が怖くなると、そのきらいな蛸や熱い鍋蓋などを利用して縁を切ったという話もある。奄美のケンムンと同類の妖怪である。
<山姥>
・山中に住むといわれる女の妖怪。山母、山婆、山姫、山女郎ともいう。背が高く髪が長い、口が大きくさけている、眼が異様に光るなどと人々に恐れられる一方、間の抜けた面や、暮れの市に里に降りてきて幸福を授けるなどの伝承もある。
<山男>
・山の怪。山中に住むといわれる異人。住む所を定めず山中に出没するという。山爺・山父・山大人・山童などとも呼ばれる。背丈は異常に高く、頭髪が赤い。また目もランランと光っているといわれ、力も普通の人間の比ではないという。このような男に出会った等の実見談が多くある。
ただし、この男が山で出会った人に危害を加えたという話は少なく、むしろ仕事を手伝ったり、道に迷った人を助けたなどの話の方が多い。酒や飯などとひきかえに期待以上の仕事をしてくれる者と考えられていたらしい。これらの山男伝承は、実際に山に住み里人とはあまり交渉をもたずに生活した者たちについての伝承ともとれるが、もとは、山仕事をする者の不安な心理から自然に生まれた山の妖怪であろう。
それがたとえば、「さとりの怪」の話にも示されている。山小屋の炉の火で餅を焼いていると、山男がやってきてしきりに餅を欲しがっては食う。この餅がなくなったら自分が山男に食われてしまうんだなと覚悟しといると、火であぶられた枝がパチッとはねて、山男の顔にあたった。山男は驚いて<とても人間にはかなわない>といって逃げ帰ってしまった。翌朝、山小屋の前には薪が山のようにあった、などの話がそれである。山男伝承の背景には山の神信仰があり、その姿に山の神が投影されていて、山男を山の神の零落したものとみることもできよう。
<夢見小僧>
・初夢をみた男が、その通りの行動によって富を得る昔話。
子供が初夢をみるが、親(または師匠)に尋ねられてもいわないので、家を追われてしまう。子は鬼に出会い、対峙して生き棒・死に棒・千里棒・聴耳などの宝物をとって帰る。長者の家へ行き死んだ娘を蘇生させる。他の長者にも同様のことを行い、またそこの聟になる。月に15日ずつ二人の女房と同棲する。その後、家に帰って<こんな夢であった>と親に告げる、というもの。
我国の分布は青森から沖縄まで、ほぼ全国的に認められている昔話である。
古く、吉夢は人に語るものではない、とされていたことが『文徳実録』にみえ、吉夢はうっかり口外すると人に横取りされると考えられていた。昔話中、初夢云々とあるが、初夢は1年の運を占う重要な意味を持っていた。
近世には、初夢によい夢をみようと宝船の絵を描いたものを枕の下に敷いて寝たりした。そして、吉夢は人に聞かせるものではないとするモチーフが強く生きているといえる。
人に聞かせなかったために幸福になったのであり、それとは逆に人に夢を売り、買った男が幸福になるというのが、「夢見長者」の昔話で、「夢見小僧」と「夢買長者」は夢に対する考え方を核にした表裏の関係にある昔話であるといえる。
<妖怪>
・柳田國男によれば、妖怪は信仰の衰退にともなって神々の零落した姿とされる。妖怪に対する人間の態度には三段階の展開を想定している。すなわち、一段階は、妖怪の存在を信じている人が、恐怖のあまり示現を恐れる。二段階は、妖怪を承認しながらも、その威力を疑いはじめる。三段階では、妖怪の存在を否定し、その正体をあばいてしまうのである。一般に妖怪と幽霊という言葉はあいまいに用いられているが、民俗学の立場からは、妖怪と幽霊は区別している。第一に幽霊は人間の姿で出現するが、妖怪は様々な異様な姿で現れ、ときには、物音・風・火として出てくる。第二に幽霊は特定の相手を選ぶのに対し、妖怪は特定の場所に出現するが、相手を選らばない。第三に妖怪の現れる時間は昼と夜との境目であって、逢魔が時、たそがれ時が多い。妖怪に対する研究は、柳田國男以来あまり進んでいるとはいえない。しかし、近年になって小松和彦は、妖怪を、①祭祀されない神である。②異類異形の他者的存在である。③外のカテゴリーに属しているがために恐怖をひき起こすものである、④人間に対して恨み、嫉みというようなものをもっていて、それが原因として様々の災厄を人間にもたらすものであると定義づけた。この考えは新しい視野から妖怪をみたもので注目できよう。
<蛇女房>
・異類女房譚。ほぼ全国に分布がみられ、しばしば地域の沼や池に結びついて語られる。蛇を助けた若者のもとに、美女が訪れ妻になる。妻は妊娠するが、夫に産屋、あるいは授乳するところを見るなという。夫が覗くと、蛇が子を生んでいる。妻は、かつて助けられた蛇であると告白し、乳の代わりに目玉をくり抜いて子に与えて去る。
蛇が人間界に子供を残していく点に始祖伝説的傾向があると考えられている。異類女房譚では、常に男性が女性の正体を知ることで破局を迎える。出産が破局の契機となるものに、『古事記』の豊玉姫説話があるが、口頭伝承では本話型のみにみられるモチーフである。
<蛇聟入(へびむこいり)>
・蛇と娘の婚姻の昔話を総称している。青森県から沖縄県まで広範に伝承されており、『日本昔話大成』では異類聟に入り、<苧環型>と<水乞型>に分けられている。
<苧環型>は、娘のもとへ毎夜男が通ってくる。不信に思った母親にいわれ、男の着物に針と糸をつける。翌朝、糸を辿っていくと蛇である。娘は子を孕んでいたが、立ち聞きして子をおろす方法を知り、おろす。蛇は針あるいは鉄の毒で死ぬという話である。五月節供と結びついている話が多く、他にも三月三日、九月九日の行事に結びついている。
人間の知恵で蛇の子をおろすことが主眼となっているが、逆に蛇との間の子が大力を持つ英雄になっている話もある。
・もう一つは<水乞型>である。爺が干上がった田に水を引いてくれれば、娘三人のうち一人を嫁にやると約束する。蛇のところに末娘が嫁に行く。針千本とひょうたんを持っていき、蛇に池でひょうたんを沈めさせ、さらに針を投げて、さし殺す。前半は水を司っていた神の姿をほうふつとさせるが、後半は知恵によって人間が勝つ形になっている。「蛇聟入」に関わる文献もあり、神話、昔話、伝説の起源、変遷を知る上で重要な話である。
<狐話>
・日本の昔話の中で、狐ほど活躍する動物は他にいない。しかし、多くの話の中に出てくる狐の性格や役割りというものは、決して一様ではない。まず、動物昔話と本格昔話における違いがある。動物昔話の多くは、ある意味で、人間社会を反映した内容の話で、そこでの狐は、悪知恵の働く賢い性格が強調される反面、間の抜けた一面も見せる。それに比べ本格昔話は、人間社会の中の、人と動物との交渉がテーマである。
その中には「狐女房」のように、狐が人間の女になって嫁入りし、人間の子供ができるという、超自然な存在として登場する話があれば、「報恩動物」や「狐遊女」などのように、人間に助けられた狐が、その人に恩返しをするという話もある。「尻のぞき」や「風呂は肥壺」は、人間を化かすという性格を存分に発揮する内容だが、これらの類の話は、狐に化かされたという体験談や伝聞として話される例が多く、より世間話に近いものといえよう。
<ケンムン話>
・鹿児島県の奄美諸島のうち大島本島と徳之島に語られる代表的妖怪譚。
・ガジュマルなどに住んでいるので木(ケ)の精と解釈する人もいるが、けっして木の物としての性格が特別強いわけではない。
ケンムンは小さい子供のような体で、顔は猿(犬・猫)に似ているといわれる。身体には毛があり、裸で赤いという。髪はおかっぱで赤毛であるともいう。それで髪の毛の赤い子供をケンムンの子などという。また脛が長く、坐る時は両膝を立てて坐るという。それで両膝を立てて坐るのをケンムン坐りといってきらう。
ケンムンは神の零落した姿である。老人などの中には今でも神として畏れている人も人もいるが、完全に妖怪化している土地もある。ケンムンはもろもろの妖怪の特長をもっている。たとえば臭いの怪であり、木の怪・海の怪・山の怪・川の怪でもある。また、ケンムンが山から海に降りる時は爪(または頭の皿)に火をともすという。その火をケンムン火という。また、音の怪でもある。蛸をこわがり、相撲が好きで人間によくいどむという。そのケンムンに出会った話等がケンムン話といわれる。
<甲賀三郎>
・伝説上の人物で、諏訪明神の本地として知られる語り物の主人公名。『神道集』巻10の「諏方縁物語」の梗概を記すと、甲賀権守の三男甲賀三郎諏方(よりかた)は父亡き後、惣領となって東海道十ヵ国を治めることになる。ある日伊吹山で巻狩を催した際に、妻の春日姫を魔物に奪われる。三郎は姫を捜して蓼科山の人穴に入り、地底にいた姫を救出するが、姫が鏡を忘れたので三郎は再び地底に降りていく。次兄の諏任は弟を亡きものにし、姫を妻にしようとして地底に通ずる縄を切ってしまう。
しかし春日姫は諏任の妻になることを拒み、危うく殺されるところを救われて三笠山の岩屋の籠る。地底に残された三郎は72ヵ国を巡歴したあげく維縵国にたどりつく。国主のもてなしを受け末娘の乙姫を娶る。13年を経てから国主の許しを得、鹿餅を与えられ帰郷の途につく。難をきりぬけ浅間ヶ獄に出る。そして甲賀の笠岡釈迦堂にきた時、自ら蛇体であることを知る。しかし老僧に蛇体を脱する法を教えられ、人間の身となって春日姫と再会し、後に二人は諏訪明神となって現れる。
この話は上述の内容をもつ<諏方系>と兼家を主人公とする<兼家系>とに分けられる。内容にも多少の相違はあるが、それは伝承の途次の変化、特に諏訪神人や末裔を任ずる集団によってなされたと考えられる。蛇体変身のモチーフなど日本的な発想もみられるが、原話は世界的分布をもつ<奪われた三人の王女>とされる。
<天人女房>
・飛び衣を奪われた天女が、それを取り返し天に戻る異類婚姻譚。このタイプ(型)は世界的に分布する。若者が水浴び中の天女の飛び衣を隠す。天女は天へ戻れない。若者は天女を家へ連れ帰り結婚する。子供が生まれる。夫が子供に飛び衣の隠し場所を教えるのを聞いた天女は、飛び衣を発見する。そして飛び衣を着て子供を連れ天へ戻る(離別型)。天女は去るとき天に上る方法を夫に教える。夫は天女にいわれた通りにして天へ行く。天女の父親が三つの難題を出す。夫はタブーを破り天女と決別する(難題求婚型)。二人は年に一度7月7日だけ会うことになる(七夕結合型)。
<天狗>
・山中に住む妖怪。一般的な天狗像は、髪白く赤ら顔に高い鼻で羽団扇
ち。また他方では口は嘴、鼻穴が両脇にある所謂烏天狗もよく知られているが、時代により地域により様々に言い伝えられている。空中を自由自在に飛ぶことができ、清浄を好み俗衆を極端に嫌う気難しくて意地の悪い性質であるという。各地で、狗賓(ぐひん)・山人・大人・山の神などとも呼ばれる。天狗という語は中国から我国へもたらされたもので、平安時代には流星やトビのように考えられ、物の怪のように人に憑いたり、未来を予言したりもした。
鎌倉時代頃から山伏がしばしば天狗にたとえられるようになった。昔話に登場する天狗は「宝物交換」「何が一番怖い」など、人間にだまされる役割で登場している。一方、伝説・世間話の天狗は、畏怖をもって語られている。天狗が松に腰を掛けたとか、天狗が住んでいたとかいわれている「天狗松」のある所では、その木を伐ろうとしたところ、鋸がすべって伐れなかったとか、天狗松がときどきうなり声を発するという。 山中で高笑いする声が聞こえる「天狗笑い」とか、深夜カンカンと斧で木を伐る音がして、次に地響きをたてて木の倒れる音がするが、夜が明けて確かめてみると、倒れた木はない「天狗倒し」といった話もある。また、天狗にさらわれて行方不明になる「神隠し」の伝承は、「狐狸の世間話」などとの類型性が認められる。
<隣の寝太郎>
・怠け者で貧しい男が知恵を働かせて長者の聟になる話で、青森から沖縄まで全国的に分布している。『日本昔話名彙』では<幸福なる結婚>の「隣の寝太郎」の項にあり『日本昔話大成』では(婚姻・難題聟>の「鳩提灯」「博徒聟入」「蕪焼長者」「蛸長者」の項にある。
「鳩提灯」は、怠け者で寝ているばかりいる寝太郎が長者の聟になるために、木に登って、隣の寝太郎を聟にせよといい、足に提灯をつけた鳩を飛ばす。長者はそれを見て、神のお告げだと思い寝太郎を聟にする。「蕪焼長者」は、蕪ばかり食っている男が仲間の知恵で長者の娘を嫁にする。打出の小槌を得て長者になる。この話には、嫁の援助が語られる。『宇治拾遺物語』の「博打聟入」の話や『御伽草子』の「物草太郎」の話もこれらの系統に属する。
<南島の妖怪>
・妖怪のことを一般に物(ムン)という。物の怪(もののけ)の物である。
ヤマヲゥル――山に住み子供の姿をしている。ヤマンボ――山彦のことであるが山中で人の真似をするおそろしい妖怪である。ウバ――山ウバのことで髪をふりみだして人々をこわがらせる。ジルムン――軒下に埋めた子供の霊の妖怪。ヒーヌムン――木の怪、ケンムン、キジムナーとよく似た性格をしている。イシャトウ――ケンムンと似た性格の妖怪。ネィーブイ――海岸の岩の上でよく寝ている妖怪。ミンドン――むずかる子の耳を切りにくる妖怪。ハタパギ――与論島によく出る片足の妖怪等々いろいろな妖怪がいる。また南島には家畜の妖怪も多い。「豚の物」「首のない子豚」「耳なし豚」「山羊の物」「首のない馬」「牛の物」等々である。たとえば「耳なし豚」に股間をくぐられないように出没する場所では足をX印に交叉して歩かなければならなかった。また家畜が化けて人間と交わる話も多い。
・しかし、南島の妖怪の代表はやはりケンムン・キジムナーであろう。
<羽衣伝説>
・天人女房譚と密接な関わりを持つ伝説。天人女房譚は白鳥処女説話として世界的に広く分布するが、日本では『近江国風土記』逸文のみ、天女が白鳥の姿となっている。すなわち、余呉湖に白鳥として降り立った天女、その羽衣を隠した土地の男と夫婦になり子をなす。その子が伊香連の祖となったという。説話の基本構造の一つである異類婚姻譚でありながら、同時に始祖伝説となっているのである。同様のパターンは房総の千葉市、出雲の尼子氏などに見られ、ことに千葉氏の場合には羽衣
と伝える布きれが残されている。鹿児島県の喜界島では、天女が昇天する際に三人の子どものうち兄にはトキ(占者)、姉にはノロ(祝女)、妹にはユタ(巫女)の職を授けたと伝承されている。いわば職組伝説ともいうべきものになっている。
こうしたある一族や職業の出自を語るものとは別に、天女が羽衣を掛けたなどと伝える羽衣松や羽衣石が全国に散在する。よく知られている静岡県の三保の松原の羽衣伝説は、天女が隠された羽衣を発見したときはすでに身がけがれて飛ぶことができなくなってしまった。そこで後に天女を土神として祀ったというのである。
一般的に異類婚姻は破局に終わる。天人女房譚もその範疇に位置するのだが、羽衣伝説の場合は婚姻後に重点が移り、ある一族の出自や特定の職組と結びつけられて、新たな展開を見ることが顕著である。
<ザシキワラシ>
・柳田國男『遠野物語』、佐々木喜善『奥州ザシキワラシの話』などの刊行によって世に知られるようになった東北地方(主に岩手県が中心)に顕著な<座敷または蔵に住む神>である。別名ザシキボッコ、クラボッコなど。3~13歳くらいの童形で顔色が赤(黒・白とも)で男児(女児・娘とも)である。由緒ある旧家にいて家を富ませるが、ある日突然出ていってしまうと家が没落するという。
ザシキワラシがいるとわかった家では喜び、丁重に扱い、他の人々からはうらやましがられることもある。しかし、いたずら好きで、特定の部屋(奥座敷など)で寝ている者の枕を返したり抱き起こしたりして眠らせない。押さえようとすると相撲が強くて歯が立たない。物音をたてるが姿が見えず足跡を残したり、子供の目には見えて一緒に遊んだりもする。柳田はこの神は、子供を家屋等の守護者とする習俗に関係があるとみて、神意を人間に伝えるため、より新しい<若葉の魂>を珍重・利用したものと説いた。
折口信夫はオクナイサマ、静岡の座敷坊主、徳島のアカシャグマ、沖縄のキジムナー、壱岐のガアタロなどの例を引いて、外の土地のある家のために働きに来る忠実な精霊がいて、いなくなると家が衰えるという型の話とみた。そして座敷童子が庭に降りない点に注目し、かつての芸能が庭・座敷・舞台との分けられていたことと関連づけて考えている。
<猿神退治>
・和尚がある村を通りかかると、ひっそりとして泣く声しか聞こえぬ家があった。わけを尋ねると娘を山の神に人身御供としてさし出すのだという。不審に思った和尚は山に登り、堂のそばで夜を迎えると、何者かが大勢やってきて歌ったり話したりした。その中で<近江のしっぺい太郎>を彼らが恐がっていると知り、和尚は下山して探しに行く。それは人間ではなく犬で、連れ帰った和尚は、娘を入れるはずの長持の中に犬とともに入り、社の前に持って行かせる。夜、何者かが長持を開けようとしたとき、犬が飛び出して化物たちを退治した。化物は猿だった。この型とは別に比較的西日本に多くみられる、犬の援助を説かずに侍自身の力で化物退治をする英雄譚的な話もある(岩見重太郎の伝説と結び付いているものがある)。古く『今昔物語集』巻26第7、『宇治拾遺物語』第119(狩人が犬の助けを借りて、大猿に生贄をやめる約束を取る話)などに同型話がみられる。話の基盤に猿神(山神)信仰、犬神信仰などがあるようで、山中生活者にとっても里人にとっても神の祟りは恐ろしいものだが、人身御供も困ったものである。いつか何らかの方法で克服しなければならないが、化物を対峙する人間が地元の者ではない話が多いことは注目できる。人身御供を止めさせる点もさることながら犬の奮戦ぶり、犬供養を説くところにも話の重点があったと考えられ、この話の管理者が予想できるかと思う。
<猿丸太夫>
・猿丸太夫は36歌仙の一人にも数えられている平安時代の歌よみとして知られている。百人一首に<奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき>がとられ、また、『猿丸太夫集』が現存するが、これらの歌の多くは『古今和歌集』などで、<詠み人知らず>となっていたりして、確実に猿大夫が詠んだ、といわれるものは一首もない。歌がはっきりしないのと同じく、その人物に関しても、実在した人物かどうかは不明である。しかし伝説では、各地にその屋敷跡があったり和歌を詠んだりしたことが伝えられている。
この猿丸像を伝説からまとめてみると、大きく二つの姿が浮かびあがってくる。一つは歌人としての猿丸太夫で、阿波の鳴門を歌で鎮めに行くという伝説があるし、鴨長明の『無名抄』によると、田上川を渡り猿丸太夫の墓をたずねたことが記されているが、『無名抄』が歌学書であることから、長明がたずねたという墓も歌人猿丸太夫の墓だろう。もう一つは神を助けた猟師小野猿丸である。宮城、山形、福島、栃木、新潟などの小野という地に小野猿丸という弓の名人がいて、日光の神を助けて、赤城の神を退治したと伝えられている。
<猿聟入(さるむこいり)>
・異類婚姻譚。全国に広く分布している。内容から大きく東日本型と西日本型に分類できる。
爺が田に水を見に行くと、水が少しも入っていない。困った爺が<田に水をかける者がいれば、娘をくれるのだが>と独り言をいうと、それを猿が聞いて田に水を入れる。爺は独り言したことを後悔し寝こんでしまう。娘に相談すると、長女と次女は一も二もなく断るが三番娘が承諾する。約束の日、猿が迎えに来て三番娘を山へ連れて行く。
翌年、三月節供に里帰りするとき、土産に餅を搗き、娘は猿に餅を臼ごと背負わせる。途中で桜の花が川辺に咲いているのを見つけ、猿に採らせるが、猿は臼を背負っているため枝が折れて川に転落し流される。そのとき猿は<猿沢に……>の歌を詠む。娘は無事に戻る。以上が東日本の猿聟譚である。
これが西日本になると、山へ嫁入りする途中で、猿を水に落とす語り方が支配的である。猿殺しの状況設定が東日本では<里帰り>、西日本では<嫁入り>の時になっているのは単なる状況の相違ではなく、主題の相違である。つまり、この昔話は東日本では婚姻譚としてなっているのに対して西日本では厄難克服の話として語られているのである。このような東西の相違が生じる背景としては、その地域内での猿や婚姻に対する観念の相違があることが指摘できる。
<山神と童子>
・主人公の若者が山の神から難問の解答得て富を得る話。若者が山へ行くと、老人が来て弁当を食べてしまう。けれども、若者は咎めない。老人は若者に福を授けるから、山の頂上あるいは天竺へ行くようにという。若者は行く途中で、<独り娘の長患いがどうしたら治るか><木の花がどうしたら咲くようになるか><川を守る怪物・醜女・大蛇からどうしたら天に登れるか>と、それぞれ尋ねてきてくれと頼まれる。若者は、山の老人(仙人)に会う。老人は、娘の病気は、近所の若者と盃をささせ、受けとった相手を聟とすること。
木の問題は、根の下に埋っている金の壺、または千両箱を取り除くこと。川を守るものは、その持っている宝物を分けてやればよいと教える。若者は質問者に解答を与え、それが縁で娘と結婚、あるいは二軒の家から養子の申し入れがあり、15日ずつ生活することにする。
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