ベンジャミン・チドロー元帥のコメント(1977年)。「UFOを迎撃しようとして多くの部下と航空機を失った」(1)
(2022/9/16)
『国際UFO公文書類集大成・Ⅱ』
コールマン・S・フォンケビッキー (編纂) 開星出版 1995/9
・ここにきて、ようやくUFO問題は「センセーショナルから、アカデミーへ」の時代にさしかかりました。(森脇十九男)
・そして事実、太古以来、例えば「シュメール伝説」や「旧約聖書」、アフリカは「ドゴン族の神話」、我が国の「竹内文書」等など、宇宙と人類の絆、(さらに言えば、UFOや知的生命体)を思わせる伝承や文献等の類は、世界の各地に数多く存在するところである。
・この結果、フォンケビッキー(1909-1998)は、エイリアン軍による対地球軍事行動はすべての国家にとっての国際安全保障問題であると考えるに至った。
1966年2月、国連事務局広報室のスタッフとなり、14年にわたる自らの軍事研究に基づいてUFOメモランダムを作成、これを受けてウ・タント事務総長は初の国連UFOプロジェクトに担当に彼を起用した。同プロジェクトはUFOによる地球上での軍事行動に対する国連の協調管理、宇宙船への攻撃禁止、ユネスコの科学チームの援助のもと、UFO軍とのコミュニケーションに関する国際宇宙機関の創設などが盛り込まれた。ウ・タントが指示したUFOプロジェクトが米国の『UFOの科学的研究』に妨げられたと同時に、フォンケビッキーはただちに事務局スタッフから外された。彼の名は「好ましからざる人物」として「科学者ブラックリスト」に記入された。
・1967年以来、フォンケビッキーの地球規模のネットワークICUFONは、軍事大国の機密解除されたUFO関連証拠をもとに、国連ならびに国連加盟国に対して、「手遅れにならぬうちに」としてUFOに関わる重大問題の解明に強く迫っている。
・すぐれた軍事指導者である政治家でもあるダグラス・マッカーサー将軍の意志を引き継ぎ、銀河系勢力に対する人類の致命的な対立を防ごうとしたフォンケビッキーの努力は偉大である。
・フォンケビッキーのICUFONは北米・南米・欧州、アフリカ、最近ではソ連の各大陸大代表を抱えており、極東では高野誠鮮氏(羽咋市役所)、森脇十九男氏(日本UFO党党首)と密接な協力関係にある。
<欧州議会議事録 1993年12月2日>
<欧州UFO目撃センター設立の提案に関するエネルギー・研究・技術委員会の報告書>
・1991年1月25日の会議で欧州議会議長は、「UFO」のための欧州観測センターの設立に関するディ・ルポ氏による決議のための動議を、手続き規則第45則に従い、管轄委員会であるエネルギー・研究・技術委員会に送付したことを報告した。
・CNES(大気圏内再進入現象評価局)がフランスに10年以上も存在しており、また、同局が数十年間、フランスの憲兵隊および空軍との密接な協力のもとに系統的にUFO目撃事例の研究と検査を遂行してきたこと。
<異星文明>
・これは当面いちばん世間に流布している説明であり、ETセオリーと併せて言及されるべきである。
<超技術>
・異星文明説を主張する人々は、様々な反論に応えて、地球を来訪する異星人の技術は、それに比べれば我々の技術など先史時代の水準に見えるくらい進歩しているのだと言う。
<マスメディアの役割>
・UFOの出現を何千もの目撃例によって確認された事実として記述するUFO関係の書籍がいつも出版されている。マスメディアはいつもたくさんの目撃談が報告されている。
・ET説を信じる人は、先進国人口のうち相当な部分を占め、そのうちには高度な教育を受けた人々も含まれる。
・例えば、1989年10月9日にロシアのボロネジ市のある公園にバナナの形をした空飛ぶ円盤が下りてきて、中から背の丈約10フィートほどの異星人が出てきたなどというニュースによって、ちょっとした騒ぎが巻き起こった。
・スペインでは1970年以来ウンモ惑星事件に関する報道が後を絶たない。
・フランスの高度の教育のある人々の相当多く、場合によっては大多数が、SFでおなじみの話題を事実の歪んだ作為的解釈を混ぜ合わせて誇張したような様々な超科学的信念を本当だと信じているという。
・ウンモ事件やベルギーでの事件などのような目撃例が執拗に増え続ける背後に、大衆の軽信性を政治的目的に利用するべく操作する明瞭な意図をもった機関が存在するかもしれないと疑うことは、意味がある。
<さまざまな説明>
・SEPRA(大気圏内再進入現象評価局)はフランスのトゥルーズにある国立宇宙研究センターの支部である。フランス政府により設立され、UFO目撃例を永年研究してきており、憲兵隊その他公共機関の要請に応じ、厳密に科学的な方法を用いて、さまざまな調査を実施している。
<ショービジネスと目撃例のつながり>
・時に、たくさんのUFO目撃例が、おおいにもてはやされた映画や評判のラジオやテレビの番組と同時期に見られることも、疑いの根拠となる。
・最近ベルギーで公表され、多くの目撃者によって語られているUFOのイメージはスピルバーグの想像力の産物と著しく似ている。ET説の支持者はスピルバーグこそ第3種の遭遇についての記述から影響を受けているのだと主張する。
<集団宗教体験との類似>
・UFO目撃に好一対の神秘的、宗教的事例として、処女の幻視が、カトリックが伝統的に根づいている地域以外にまで夥しく見られ、両者は、密接な類似性を示している。
<最近のベルギーでの夥しい目撃例>
・UFO研究に打ち込んでいるメンバーからなる団体SOBEPSが最近発行した文献には、大半がリェージュ、ユーペン、ヴェルヴィエに集中して見られた三角形のUFOの目撃例が多数と、ベルギー空軍が非常に高速で移動する加速度40gの物体をレーダーで捕捉した例が掲載されている。
<未知の大気現象>
・最後に、他の目撃例では、非常な速さと大変な加速度で移動することのできる明るい「進んでは止まる」物体が目撃されている。そういう物体は今なお未知の大気現象に関係するかもしれない。
<目撃者の談話>
・特定の事件にさらに焦点をあて、かつSEPRAの仕事と重ならないで済むように、報告者は、接触をとることのできた民間機パイロット全てと個人的に面接を行なって、UFOを見たことがあるかを尋ねた。噂によれば、そういう飛行士にとってUFO目撃は日常茶飯事であり、圧倒的に多数が異星人を信じているという。
<ECの空軍>
・報告者はEC加盟国全ての空軍にも書簡を送り、イタリア空軍からは詳細な返答を受け取った。イタリア空軍は80年代に記録された目撃例全てに関する機密扱いでない限りでの要約を送ってきた。1982年がUFO目撃のピークで32例に達する。
・のちに、スペイン空軍はUFO情報の機密扱いを外し、目撃例のリストを公表した。そのうちには、上記のアリタリア航空の件に類似したものも含まれている。どこの国の軍も永年、UFOがソ連軍の配備した秘密兵器によるものであることを懸念して(その後、この懸念はまったく根拠がないことが判明した)、UFO目撃例を機密扱いしてきたのだが、ソ連の方でも、それに似た、ただし逆の理由からUFOに関するデータは秘密にしていた。
<結論>
・UFO目撃例を統合するための観測センターを設立することが望ましい。そこで、SEBRAが永年この分野で積極的に活動してきたことが、改めて重視されるべきである。SOBEPSはベルギー空軍と特別の契約を結んだ民間団体である。
しかし、センター事務局を設立してEC全域でUFOに関する情報を収集し、比較照合することは、する価値のあることだろう。
<科学の回り道>
・交霊術、占星術、並行医学といった超科学的潮流に対する評価が、ふたたび高まる傾向を見せている。まず影響を受けるのが若者、女性、エコロジスト、インテリ、そして科学者である。
・「平行科学」は我々のあいだ、いたるところに存在する。それは、どこにでも明白に存在している合理的科学の攻撃の前に屈するどころか、勢力を伸ばしつつある。今や思念の伝達、交霊術、テレパシー、数占い、占星術は、稀有の機会を得て、花盛りである。フランス人は以前よりも、交霊円卓や、星占いによる性格判断、手相による運勢占い、幽霊、死者の復活、催眠や手かざしによる治療などを信じるようになっている。
・「占星術も、19世紀末のフランスでは消滅の道をたどっていたにもかかわらず、両次大戦間に米国のマスコミに再び登場し、ついでフランスにも現れた。そして60年代からは、マイナーなラジオ放送の電波に乗って広く社会に伝わっていった」
<増加する数字の示すもの>
・「これは現代の信仰であって(幽霊や死者の蘇りや呪術や悪戯祓いのように)、古代の信仰の名残ではないことが認められる」
・フランス人の55%が思念の伝達を信じ、46%は星占いで性格判断が説明できると信じ、35%は夢で未来が予知できることを信じ、55%は病気の治癒は催眠術師の手業や手あて療法師の手で治ると信じている。質問を受けた人の3分の1が超自然現象を目撃したことがあるように思うと答えているのも驚くにはあたらない。
<高学歴者にもシンパが>
・明瞭な懐疑論を主張しているのは、共産党支持者だけである。ただし、催眠療法や手かざし療法については彼らも否定的ではない。この点に関してだけは、彼らは、他のどんな政治党派とも同様の傾向を見せている。こうして次第に、陰の科学の信奉者(農民は顕著に少ない)は、多くが高等教育を受けた階層から得られることを示している。これは全く意外というわけではない。1982年のアンケートも既にこの傾向を明らかにしていた。
<宗教の影響>
・超科学の信奉には、他の要因も影響している。アンケートの対象となった1500人の人々の多くが、情緒的生活に満足している(86%)、健康状態に不安はない(80%)、失業の心配はしていない(66%)と答えてはいるが、一旦、孤独や健康の悪化、失業や離婚によって未来が不確かになれば、この人達が超科学を支持する重要な分子になるのである。
・事実、知的活動を行なうことの最も多い、若く教養のある信奉者にとっては、超科学を信ずるということは、体制的科学の諸成果を拒否することではなく、他の思考体系に対して開かれた態度をとることなのである。
<「米ソ軍部はUFOに攻撃を加えた>
<米空軍士官学校教科書(1970年10月28日)>
・UFO問題は士官学校選択科目「物理370」の最期に簡単な試験が実施されました。なお、同科目は通常、1学期に約20人の学生が受講しています。UFO問題に関しては、太陽表面から惑星表面に至る場所で目撃または報告された物理現象について、例外なく討議することを科目の目標にしています。
<人間が持つ不安感と攻撃性>
・さらに最近では1957年7月24日、ソ連の千島列島の対空部隊がUFOに対して攻撃した。千島列島の全ソ連対空部隊が交戦体制についたが、1発も命中しなかった。UFOは輝きながら高速で移動した。我々もUFOに対して攻撃を加えた。
10時ごろ、戦闘機基地付近のレーダーサイトに時速約700マイルで移動するUFOが捕捉された。その後、UFOは時速100マイルに減速、2機のF-85が迎撃のために緊急発進した。最終的に2機のうち1機が高度約3000フィートでUFOに接近した。
・しかし攻撃は失敗、UFOは急速にスピ―ドを上げて遠方に消え去った。これと基本的に同じことは、一般市民も体験している。
・1955年8月21日(日曜日)の夜、11人(大人8人と子供3人)がサトン牧場(ケンタッキー州ケリーから0.5マイル)にいたところ、1人の子供が物置の裏で明るく輝くUFOを目撃したが、UFOはその場から姿を消した。
・約30分後(午後8時)、飼い犬が吠えだしたので男性2人が裏口から外を見まわした。約50フィート離れたところから、銀色に輝く服に身を包んだ生物がこちらに向かっていた。身長は3.5フィート、大きなまるい頭で腕はとても長かった。大きな水掻きのある手には、鋭い爪がついていた。サトン家の男性2人は12口径の散弾銃と22口径の銃を手に取り、近距離から発射した。銃弾が金属に当たったような音が聞こえた。驚いた生物は、飛び上がって逃げていった。
・その後、20分間にわたり銃撃がおこなわれたが、生物は姿を消した。
<「F-86戦闘機がUFOを攻撃」>
<元空軍ブルーブゥク責任者の報告(1970年)>
・1952年の夏、米国空軍のF-86戦闘機がUFOに攻撃を加えた。この事実は、他のUFO関連の話と同じく、まだ一度も公表されていない。
・米国のある戦闘機基地に筆者はたびたび足を運んだ。実は身のあるUFO報告の多くが、1951年から1953年にかけて同基地で目撃されたものだったからである。
指令パイロットを務める戦闘機部隊の部隊長は、UFOが本物だったと信じている。その理由について、彼の信頼する部下のパイロットがF-86でUFOを追跡したところ、レーダー画面にUFOが写ったのである。
この部隊長の部下である情報将校は、UFOが本物だったかどうかはっきりしないと話している(後略)。
<「日本本土沖縄返還時にUFO事件発生」>
<米空軍軍事報告書(1972年3月12日)>
<本土沖縄返還にUFOスクランブル事件発生>
・1972年3月5日の早朝2時15分、沖縄嘉手納空軍基地において私は警備保安官と未確認航空機、または気象衛星を観測しました。その物体の速さはマッハ1以上で、水平線から35度のところを進行、驚いたことに、このようにして(中略)水平線に対して直角に飛行しました。突然に空中停止したり、スピ―ドをゼロにしたかと思うと今度は急にマッハ1のスピードを見せたのです。
<「‘68年に起きた大きな戦闘でオーストラリア駆逐艦が攻撃」>
<米空軍参謀総長記者会見(1973年10月16日)>
・この話をご存知かどうかわかりませんが、UFOとは呼ばれていません。敵性ヘリコプターと呼ばれていました。また夜間だけに目撃され、特定の場所でしか目撃されていません。‘68年の初夏にDMZ周辺の上空で目撃され、大きな戦闘を引き起こしました。その際にオーストラリアの駆逐艦が攻撃しましたが敵は見つからず、結局、すべてが解決した時点では敵はいませんでした。ちょっとした戦闘がありましたが、実際は敵はいなかったのです。
<「未確認水中物体を15分間目撃」>
<米国沿岸警備隊報告書(1973年11月8日)>
・11月6日午後9時30分ごろ、ミシシッピ州パスカグーラの米国沿岸警備隊基地に同地の漁夫から、パスカグーラの西南西約24マイルの海中で奇妙な輝く物体を目撃したとの報告があった。物体は時速約5-7マイルで移動していた。
・参加した沿岸警備隊隊員は、この未確認水中物体の移動を約15分にわたり目撃したが、その後は姿を消し、追及不可能となった。
<「UFO目撃の全証人の証言内容が一致」>
<スペイン空軍司令官極秘報告書(1975年1月2日)>
<目撃の際の状況>
・上級曹長は双眼鏡で飛行物体2機を目撃した。メインタワーで見張りをしていた伍長および兵士らは肉眼で目撃した。目撃時の気象状況は晴れ、十分な視程での輪郭が見えるほどだった。距離と高度の基準としては、地形の距離などを基にした。目撃中、異常音は聞こえなかった。
<「V字編隊UFOが22秒で側面交換をおこなう」>
<スウェーデン軍事報告書(1975年5月6日)>
<機密解除部分>
・「1975年5月6日午後11時33分、私はストラングナスにある戦車連隊の数百メートル北にいた。そのとき、南南西に水平線からおよそ40度の角度のところにいくつかの光がV字編隊で北に向かっているのを目撃した。
物体は乱れのない完璧な編隊飛行パターンをとっていた。高度が最高に達したかと思うと、わずか2秒間にも満たないうちに側面変換をおこない、それまでと同じパターンで北に向かった。
仰角30度ほどの北側上空は明るくなったが、すぐに光は弱くなり、完全に消えてしまった」
<「銀色、上部が青色に光り、中央部に穴、下部に赤い光>
<覚書き(1976年1月21日)>
・「ニューメキシコ州キャノン空軍基地の航空路付近で2機のUFOが報告された。目撃した公安警察の報告によると、UFOは直径25ヤード(約23メートル)、色は金色または銀色で上部が青色に光り、中央部に穴、下部に赤い光があった。空軍はレーダーによる確認作業を進めている」
<「艦長目撃のUFOは40分静止、光点は2つに分離>
<スペイン海軍UFO情報(1976年6月22日)>
・7月22日21時27分、強い青黄色の輝く光の点が最初に地上から現われ、こちらの方向に向かいながら高度を上げていくのを目撃した。
・2分後、光の点は2つに分離した。一方はやや小さく、輝く円の中心部分より下方にあり、青色に煙を発していた。青い核を生み出した部分は消えていた。
もう一方の大きい部分は高速かつ不規則な動きで螺旋状に上昇した後、消え去った。
<「フォートイタイプで監視中の徒哨が熱波の攻撃を受ける」>
<ブラジル大使館付き空軍武官の書簡(1976年7月19日)>
・1957年11月4日午前2時、サンパウロのサントス地区にあるフォートイタイプで、2人の歩哨が海に面した最も高い見張塔の最上部で監視をしていた。突然、オレンジ色の光が現われ、歩哨の50メートル上方に一気に移動した。自動兵器を使用できなかったため、歩哨は奇妙な物体が放つ奇妙な光と高音の雑音に注意を注いだ。突然、2人は耐えがたい熱波の攻撃を受け、1人が意識不明になった。電灯、エレベーター、兵器を含む電力系統がすべて故障したため、基地内に警報が鳴った。3分後、電源は正常に戻ったが、その際に奇妙な物体が空に向かって高速に移動していくのを多くの職員が目撃している。2人の歩哨は全身の10%以上にあたる1級、2級の火傷を負った。
<「フランスはCNESが正式にUFO情報を収集している」>
<フランス国防省の書簡(1976年9月17日)>
・空軍においてUFOに関する調査委員会が創設されたことはありません。しかしこうした現代科学では解明が困難な内容で、宇宙飛行士にとって興味深い宇宙現象については、1954年フランス空軍司令部研究部(後のBPE)が通常任務の一環として追跡しています。
<「イランで大きなUFO事件が発生し、通信装置が停止した」>
<米国大使館報告書(1970年9月20日)>
・この報告書には、1976年9月19日にイランで目撃されたUFOについての情報が掲載されている。
・19日1時30分、F-4が離陸、テヘランの北40カイリの地点に向かった。物体は明るい光を発していたために70マイルの地点からでも簡単に確認できた。F-4が25カイリの地点に近づいたとたん、あらゆる計器類や通信機が作動しなくなった。
<「モロッコのUFO事件でキッシンジャー国務長官に報告」>
<駐モロッコ米大使極秘報告書(1975年9月25日)>
・目撃は、9月19日午前1時から2時までで、ほとんどが1時から1時半までに起きている、地域は、アガジル、カラアスラグナ、エサウィラ、カサブランカ、ラバト、ケニトラ、メクメス、フェス。一般的にいってUFOは高度1千メートルのところを平行に、大体南から北へモロッコ大西洋岸に飛んだ。完全に無音だった。
UFOには2つの特徴があった。銀色の(伏字)タイプか、巨大なチューブ状の発光物体で、後部からスパークを放っていた。
<「プロジェクト・ブルーブックの結論とは?」>
<米空軍の返書(1976年10月17日)>
・こうした調査・研究をはじめ、1948年以来UFO報告を調査してきた経験を総合すると、プロジェクト・ブルーブックから次の結論が導かれます。
(1) 空軍が報告、調査、評価をおこなったUFOはいずれも国家安全保障に対する脅威がまったく見られない。
(2) 「未確認」に区分された目撃物体が今日の科学知識の範囲を超えた技術を代表するものであるとする証拠が、空軍に提出されたことはなく、また空軍が発見したこともない。
(3) 「未確認」に区分された目撃物体が地球外からきた宇宙船だとする証拠はない。
【原文の途中が省略されているため、中略】
<「UFOの意見交換は政策作成に有益と返事」>
<米国内情報収集部門報告書(1976年11月18日)>
・1976年9月10日、モスクワ発ロンドン行きの英国欧州航空(BEA)831便が飛行中、異常な事件が目撃された。18時から19時にかけて、同機は明らかにリトアニア国境の内側、高度約9900メートル上空を飛行していた。するとまばゆい強力な光が同機の航路右に見えた。
<「グレナダ国首相が国連においてUFOイニシアチブ」>
<メキシコ・アカプルコ決議(1977年4月24日)>
・エリック・マシュー・ゲイリー・グレナダ首相は第30回、第31回国連総会において、UFOおよび関連現象の問題を取り上げ、UFOに関して収集された情報を調査する機関または部局の設置を要請した。
多くの国家が慎重を要すると考える問題において、ゲイリー首相がイニシアチブをとっていることに世界的な称賛が集まっている。
<「NASAからはお決まりの解答」>
<NASA書簡(1977年8月17日)>
・現在、地球外生命体が地球の周囲に存在していることを示す明白な証拠があれば、まちがいなくその方向で調査を進めることになります。しかしそうした明白な証拠は存在しません。存在するのは、一般に「UFO」と称される奇妙な現象に関する興味深いエピソード的なさまざまな証拠の山です。
<「米国はグレナダのUFO決議案に共同提案しない>
<米国務省通達(1977年11月)>
<件名:グレナダの未確認飛行物体決議>
・注釈で定められた指導に従い、「太陽系内部および外部の知的生命体との一方的または双方向の接触および伝達に関する問題を調査する特別委員会」の設置を求めるグレナダの決議案について、DELは米国が共同提案する準備のないことを言明すべきである。
<「ICUFONについて」>
<第32回国連総会議事録(1977年11月28日)>
<ICUFONについて(抜粋)>
・世界各地にUFO調査に携わる科学者の団体があり、政府支援の団体もあれば、完全に独自に運営している団体もある。しかし国際的レベルでのUFO問題の協議を固守している団体が1つある。この団体は米国にある大陸間UFO銀河系宇宙船調査分析ネットワーク(ICUFON)である。同団体の代表はハンガリー生まれの米国人で元国連広報担当職員のコールマン・フォンケビッキー少佐である。
<「1966年ウ・タント事務総長にUFO議題が提案された」>
<第32回国連総会議事録(1977年11月28日)>
<国連UFO監視ネットワーク>
・発端は1966年2月、当時のウ・タント事務総長が指揮をとった。提案は国連の未確認勢力および空中飛行物体プロジェクトを求める内容で、国連の恒久的な管理のもと、以下の問題について世界的な調査・分析システムを設立することを目的とするものだった。第1に未確認の宇宙飛行物体および宇宙現象、第2に未確認の宇宙生物、第3に未確認の外部勢力、第4に地球と宇宙の相互関係である。加盟国および一般に対する情報サービスとして機能することを目的としていた。
<調査および教育のための国連大学>
・残念ながら国連事務局も国連大学も大学の調査としてはUFO調査に高い優先順位を与えていなかった。
<「UFOを迎撃しようとして多くの部下と航空機を失った」>
<ベンジャミン・チドロー元帥のコメント(1977年)>
<UFO包囲>
・ベンジャミン・チドロー(当時コロラド州Ent空軍基地で米大陸防空を担当)。わが国の防衛に不可欠と私が提案している計画について、東部防空担当は書簡で懸念を示している。退役したチドロー元帥に対する好意から、私はきわめて重要な情報を現在まで伏せてきたが、ここにその情報を明らかにする。元帥との30分にわたる個人的な談話の中でさまざまな興味深い話を聞いたが、元帥は次のように語った。「空飛ぶ円盤に関する大量の報告がある。空飛ぶ円盤を迎撃しようとして多くの部下と航空機を失っていることを考え、真剣に取り扱っている」。
<「NASAはUFO調査プログラムに関与していない」>
<NASA広報資料(1978年2月1日)>
・NASAは、ホワイトハウスに対する一般からのUFO関係の問い合わせに回答する中心機関である。NASAはこうした現象に関する調査プログラムに関与していない。またその他の政府機関も関与していない。
<「なぜか脅威にならないUFOがエイリアン脅威説に変わる」>
<米国務省高官発言記事(1978年7月25日)>
・他の世界からのエイリアンは人類に対して脅威となることもあり、宇宙人との接触の準備をしなければ地球規模の惨事を引き起こす――米国務省高官はこのように警告した。
<「米国際安全保障局、エイリアン脅威発言を認める」>
<ICUFON供述書(1978年8月29日)>
・問題の発言は「他の太陽系からのエイリアンは人類にとって潜在的な脅威であり、人類もまたエイリアンに対する潜在的脅威である」…………「そうした措置には軍事行動の可能性も含まれる」というものです。
<「UFO問題の取扱いは国連に既得権があると証言」>
<ゴードン・クーパ宇宙飛行士の書簡(1978年11月9日)>
・私はこうした宇宙船およびその乗員が他の惑星から地球に訪れているのだと思います。その技術水準は明らかにわれわれ人類よりも進んでいます。
・また1951年には、2日間にわたりさまざまな大きさのUFO飛行を多数目撃しています。戦闘体制を組み、欧州上空を東から西に向かって、当時のジェット機でも不可能な高度を飛行していました。
ほとんどの宇宙飛行士はUFOについて話すことさえ嫌がります。いいかげんな偽話で金儲けに走ったり、資料の捏造により宇宙飛行士の名声を平気で傷つける人々がたくさんいるためです。UFO分野の研究に関与を続けている宇宙飛行士は数少なく、きわめて慎重な行動を心がけています。このうちの数人はUFOの存在を信じ、地上または航空機からUFOを目撃したことがあります。宇宙からUFOがやってきたと思われる事件は1回しかありません。
<「下降操作したヘリコプターがUFOと共に急上昇した」>
<第33回国連総会議事録(1978年11月27日)>
・コイン中佐は、自ら乗務していた米軍ヘリコプターと未確認飛行物体の関与する1973年10月18日の事件について説明した。事件は空中衝突を引き起こす恐れもあった。
・物体には目立った翼、着陸装置、垂直または水平安定板は見当たらなかった。高度および方向の変更や維持、速度の変更といった能力を誇示しているようだった。
<「UFOに関する国連機関設置に関する議題の審議」>
<国連プレスリリース・テイク1(1978年11月28日)>
・ウェリントン・フライデー大使は、すべての国々にUFO調査の結果を入手する権利があると語った。世界の「膨大な」数の人々がより科学的な調査の実施に関心を持っており、UFOを通じて全人類にとって重要な新しい巨大背後地の存在も考えられると同大使は語った。
<NASAがカーター大統領の見たUFOは金星と主張?>
<NASA広報資料(1978年)>
・1973年10月12日、ジョージア州知事のカーター氏はNICAPの問い合わせに対して、1969年10月にジョージア州リアリー上空で明るく輝く移動物体を目撃したと答えた。
<「クウェートで発生したUFO事件について詳述>
<米国務省報告書(1979年1月)>
・11月9日の一連のUFO目撃を受けて、GOKは、クウェート科学研究所(KISRA)の専門家による調査委員会を設置した。
<英国議会貴族院で画期的なUFO討議が始まった」>
<英国議会UFO報告書(1979年1月18日)>
・ソ連でも多くのUFOが目撃されています。たとえば1967年7月8月、9月、10月には、巨大宇宙船がソ連各地の上空で天文学者をはじめとするさまざまな人々に目撃されました。
・イギリス政府は国民に対してUFO情報を公開すべきではないでしょうか。UFOは戦後30年間に激増しており、いまこそ国民に真実を伝えるべきだと思います。これまで宇宙から侵略された経験はありません。ほとんどの事件には脅威が認められません。実際、UFOに攻撃を仕掛けたのはわれわれ地球人なのです。
・現在、10ヵ国の政府がUFO実在説を認めています。その10ヵ国とは、フランス、ノルウェー、スウェーデン、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、メキシコ、フィリピン、ペルー、グレナダです。他の政府もUFOが存在することは知っていても、それを公に認めていません。カーター大統領も個人的にUFOを目撃しています。
<畜牛切断事件についてFBIが調査開始>
<司法省FBI報告(1979年4月25日)>
・FBIアルバカーキ支局の特別捜査官フォレスト・S・プットマン氏は、司法省がFBIに対してインディアン居住区で発生したとされる畜牛切断事件の捜査権限を与えていると説明した。
<「英国議会議員の間にUFO研究グループが存在>
<クランカーティ伯爵の書簡(1976年11月6日)>
・WASAプロジェクトに関する情報をいただき、心から感謝いたします。私は英内閣の一員ではありませんが、当上院UFO研究グループの有力なメンバーとこの件について話し合ってみたいと思います。
<「統合参謀本部、UFO事項はすべて「機密」と宣言」>
<スペイン空軍司令部内部資料(1979年12月3日)>
・現在作成中の11月11日の出来事に関する公式報告書を送付することについて、統合参謀本部がUFO関連事項はすべて「機密資料」と宣言したため、たとえ出版目的でなく調査目的であっても、不可能となりました。
<「宇宙飛行士がUFOを撮影したことを否定」>
<NASA広報資料>
<航空宇宙局>
・宇宙飛行士が撮影した未確認飛行物体の写真はありません。任務中、宇宙飛行士がすぐには確認できない他の衛星を目撃したことは事実ですが、軌道その他のデータを検討したところ、後に確認できています。
<「オルドリン宇宙飛行士は巨大なUFOを撮影した>
<ソビエトUFO科学者の書簡>
・「……月面に降りたった米国の宇宙飛行士は、長さ1500メートルに及ぶ巨大なシリンダー状の物体を目撃しました。オルドリン飛行士はこの物体を撮影しました。この奇妙なUFOが、アポロの月面着陸をエスコートしたのです」
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