国が企業を保護し、企業が個人を保護するという二重の保護構造に頼るな。使えるものはしたたかに使い倒しながら、「100%自己責任の時代」に備えて個人の力を高めよう(1)

(2022/10/18)

『2025年日本経済再生戦略』

冨山和彦 成毛眞 SB新書  2022/4/29

<「100%自己責任時代」が始まる――日本はなぜ二流国になったのか>

<迫りくる「100%自己責任の時代」に備えよ>

・特に今の現役世代は国を頼るのではなく、したたかな自分の身を守りながら、自分なりに楽しく幸せな人生をつくっていくことを考えたほうがいい。

<昭和育ちのオジイサンたちに期待してはいけない>

・構造的にも思考的にも昭和的価値観で凝り固まっている昭和育ちのオジイサンたちに期待してはいけないのだ。

・POINT:政府に期待してはならない。100%自己責任の意識で、個人として人生を構築するべきだ。昭和の価値観を引きずっている政府は、日本経済再生の先導役にはなりえない。

<日本企業はなぜ「おんぶにだっこ」体質から抜けきれないのか>

・言い換えれば、多くの日本企業が政府に「おんぶにだっこ」なので、生産力も国際競争力も落ちているのだ。

・このように、いわば政府による自作自演の個人消費で食つないでいるのが日本経済の実態だ。官製内需に頼りっぱなしで海外輸出における成長に乏しいことが、実のところ、日本のGDP成長率が伸び悩んでいる最大の原因なのではないか。

POINT:海外からの所得移転の少なさに目を向けよう。中小企業の70%が国内消費依存、GDPに占める個人消費の割合は50%強にも上る。官製内需頼みが日本経済低迷の原因なのだ。

<耐用期限切れの昭和型成功モデルが新陳代謝を妨げる>

・個人所得が伸びていないのに、個人消費が経済を支えている構造。なぜ、こんな奇妙なことが起こるのか。その答えこそ「官製内需」である。

 つまり、政府が何かにつけてカネをばらまき、そのカネで個人が消費をして日本経済を支えているわけだ。

<官製内需、官製型投資循環による「まかないの仕組み」から抜け出せない日本>

・すなわち、産業構造が変化しても、関係者がこの官製内需、官製投資循環による「まかない」の仕組みにがっちり組み込まれているので、柔軟に変化できないのである。

<政府が企業を保護し、企業が個人を保護するという「二重の保護構造」の問題点>

・国や自治体が全国民の個人口座に直接給付する仕組みがないのだ。

・このような政府が企業を保護し、企業が個人を保護するという企業内共助を軸とする「二重の保護」社会構造のもとでは、どうしても既存企業の存続が最重要視される。

<「個人の力」がものを言う時代が訪れている一方で………>

・まずは自分の身は自分で守る力をもっていることが、これからの時代で生き残る、しかも愉快な気分で人生を楽しめる条件になる時代に入りつつある。

POINT:国が企業を保護し、企業が個人を保護するという二重の保護構造に頼るな。使えるものはしたたかに使い倒しながら、「100%自己責任の時代」に備えて個人の力を高めよう

<「経済危機でも倒産が少ない日本」は逆に危ない>

・一人ひとりの日本人が「個人の力」を身につけ、生かしていこうとするとき、やはりそこでも壁として立ちはだかるのは、新陳代謝が進まず固定化した産業構造、社会構造だ。

<経済危機のたびにゾンビ型企業延命メカニズムが働く理由>

・要は、「この国は個人を直接救う公助能力があまりにも低いのである。制度も弱いし、デジタル化も進んでいないので、有事に迅速に手を差し伸べられない。だから毎回、企業内共助システム、「二重の保護」構造に頼らざるを得ない。そこで必死に融資や助成金で企業を支えるしか、困窮した国民を支える方法がないのだ。

<行き過ぎた企業内共助社会システムは、国全体のゾンビ化を進める>

・要は社会全体として、過度な企業内共助の仕組みを脱却しよう、政府は企業、産業の新陳代謝を前提とした、公助共助連動型の包括的なセーフティネットを整備すべきと主張してきたのである。

<「有事はない」という建前が倒壊し続けた失われた30年>

・そんなさなかに、この国は、政府もメディアも、ある意味、多くの日本国民さえも、未だに「有事がないという建前は現実である」という世界観から脱却できていない。

POINT:「有事などめったにない」という建前は捨てる。危機に直面しても無為無策だった「昭和的グダグダ感」とは決別し、自ら考え、自ら行動して有事の時代に備えよう

<有事における「日本のグダグダ」体験談>

・端的に言えば、政治家も官僚も、本来的には有事対応のために存在する。企業のトップも同様だ。それなのに、有事が起こって即刻対応を求められること、さらにはそのあってはならないことを想定して法制や組織体制を整備することは、彼らにとって想定外中の想定外になっている。

<再建プログラム着手までに日本は12年、アメリカは3ヵ月>

・リーマンショックもバブル崩壊と似た金融有事だったが、アメリカが日本と同じような手法、すなわち日本円換算で奇しくも同じ規模となる70兆円の公的資金によるTARP(不良資産救済プログラム)に着手するまでにかかった時間は、たったの3ヵ月である。

 日本は12年、アメリカは3ヵ月。この差は悲惨なほど大きい。

<今すぐ「自分で自分の人生の面倒を見る」準備を始めよ>

・これからの時代は、どう見ても、有事は起こらないという前提ではなく、目前に迫っているという前提で考えなくてはいけない時期だ。

・一人でも多くの日本国民が、政府に期待せず、伝統的な政治家や役人、さらには企業経営者に期待しない行動を取ることが、むしろ彼らを変えること、救うことにもつながる。

POINT:優等生タイプのエリートは、有事に対処することも、有事を想定して戦略を立てることも苦手だ。自分で想像力を働かせ、合理的な準備を始めよう。それだけで未来は変えられる。

<「横並びの価値観」から「自分だけの幸福感」にシフトせよ>

・「空気を読まない」「集団に埋没しない」「権威・権力に屈しない」。そんな自分勝手に生きる個人こそが、今後は生き残っていくだろう。

・もはや組織に従順に生きて将来が好転するような時代ではない。「国のため」「会社のため」という価値観も、とっくに脱却しているべき昭和の遺物なのだ。

POINT:自由に生きることに価値を置こう。集団に埋没せず、権威を気にしない。昭和世代は発想を転換し、平成・令和時代は昭和世代に足をすくわれないよう注意しよう

<ホワイト・カラーの仕事は激減する>

・ホワイトカラーの仕事については、今後、激減すると覚悟しておいたほうがいい。

<デジタルフォーディズム時代が到来する>

・今後、必ず起こる人手不足にも鑑み、新しいテクノロジーを駆使し、ビジネスモデルのイノベーションを起こし、エッセンシャルワーカーを中産階級雇用へと引き上げることに社会ぐるみで取り組んでいかなくてはいけないと思う。私は、これを100年前に大量生産工業革命で実現したフォードの「フォーディズム」にならって、「デジタルフォーディズム」を実現しようと主張している。

<ホワイトカラーは「自己トランスメーション」に踏み出せ>

・自己トランスフォーメーションを遂げるのに、年齢はあまり関係がない。20代、30代はもちろん、40代、50代だって遅くはないのだ。

POINT:ホワイトカラーが生き残る可能性は2つ。新たな中産階級となりうる「エッセンシャルワーカーへの転身」と、新たな能力を身につける「自己トランスフォーメーション」だ。

<「人の役に立つ」という仕事の原点に立ち返れ>

・そこで重要になるのは何か。企業も個人も、「人びとがどんなものに価値を見出し、何にお金を払うのか」というビジネスの原点に立ち返ることだ。

<本当の「仕事」を負い続けることが、日本のサラリーマン再生への道>

・今こそ、働いている人すべてが、「自分のやっていることは仕事として成り立っているのか」ということを改めて自問すべきだ。

<人の役に立てる新たな仕事を見つける>

・自分の素質や能力を真に生かし、人の役に立てる新たな場所を見つければいいのである。今の環境に居続けることが唯一の道ではないのだから。

POINT:自分は「仕事」をしているか。この問いと真剣に向き合おう。仕事の意味と価値は「人の役に立った対価を受け取ること」だと気づいた人には、新たな道が必ず開ける

<最低でも2回、転職せよ>

・最低2回の転職をしたほうがいい。なぜなら、業種や仕事に合うか合わないかは、1社で働いただけではわからないからだ。

<退職金に縛られて転職しないのはつまらない>

・転職してもいいのに転職しにくいのは、退職金制度にも問題があるからだ。

POINT:政策主導で「人生、最低2回の転職」をスタンダードとしていくべきである。日本人があまり転職しないのは、「給料後払い」の退職金制度のせい。退職金税制を改革せよ

<自分の「本業」を問い直せ>

・どうしても転職に抵抗があるのなら、まずは副業を始めればいいと思う。

<本当の「業」があってこそ、楽しく「副業」もできる>

・「業」とは、自分の能力と才覚とスキルで稼ぐことを指す。果たして自分にはそういうものがあるだろうか。今、そういう働き方をしているだろうか。

POINT:自分の能力、才覚、スキルを人に提供する「業」とは何かを、考えてみよう。会社に行ってルーティンをこなすのは「業」ではない。副業を考えるのは、まずそこからだ

<「ガラパゴス人材」になってはいけない>

・「業」をもたぬがゆえに、帰属している会社組織でしか生きていけないような「ガラパゴス人材」になってはいけない。

POINT:今いる組織でしか生きられない「ガラパゴス人材」には後がない。組織に属していれば安泰な時代は終わった。組織内での保身に走るよりも、自分で生きていく手段を考えよう

86<「伝統的大組織」に頼らないのが幸福への近道>

・市井ではこれほど「個人の力」が問われる時代になりつつある一方、政府をはじめとする伝統的な大組織というのは、今や非常に奇妙な空間だ。

<なんのロジックも釈明もなく転向したオジサンたち>

・要するに、彼らには確固たるファクトもロジックもプライドもなく自分たちが属する組織の空気に合わせているだけなのだ。

<古くて大きい組織の変化は、必ず世の中の変化よりも遅れて起こる>

・長年にわたりうまく機能した組織というのは、制度化が高度に進んでいる。法体系とか積み重なった先例などといった、たくさんのフォーマル、インフォーマルな制度でがんじがらめになっているものだ。

<個人は、「45歳定年」のつもりで人生設計をしよう>

・この際、日本政府再生の第一歩として、まずは霞が関のキャリア官僚から45歳定年を導入したらどうだろう。

POINT:「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ので瀕死になるまで変われないのが政府をはじめ日本の伝統的大組織の従来体質。組織が自ら変わると思わず、まずは個人としての幸せを追求せよ

<日本経済再生戦略――イノベーションで革命を起こせ>

<若者は上場企業よりユニコーンを目指せ>

・日本はもう、いい加減に昭和的価値観から脱却しなくてはいけない。

・東芝だけではない。日本は多かれ少なかれ昭和的なものを引きずる企業だらけである。

<昭和オジイサンたちに「ご退散いただく」法>

・昭和型大企業は国とオジイサンによって延命されても、いずれ滅びる。しかし延命コストのツケは、低成長経済という形で国民に押し付けられるのだ。

POINT:昭和に染まりたくない若者はユニコーンを目指すべし。昭和的価値観を引きずる者が実権を握っている企業は変革をしない。そして、その傾向は特に上場企業に強いからだ

<卓越した若者が育ち、集まる土壌の整備を急げ>

・国際競争力をつけるには、国内の人材を育てるだけでなく、国外からも優秀な人材が集まる国になる必要がある。

<優秀な若者を潰してきた昭和のカイシャ社会主義>

・資本主義度合い、すなわち人間がその才覚と努力で大きな成果を出すこと、それが産業創造や富の創造に結実することを称賛する度合いにおいては、世界でも有数の反資本主義的な国なのである。

POINT:日本は自由ではあるが、才覚と努力が富の創造に結実するという資本主義度合いではダメだ。自由と資本主義の両方が揃う必要がある。昭和なオジイサン連中がその邪魔をするな

<1960年代内生まれのリーダーは昭和にとどめを刺せ>

・1990年代以降急速に進展しているグローバル化とデジタル化により、国単位とは別次元の世界単位の生態系が、多岐にわたる産業で形成されつつある。

<昭和をやめれば、才能ある若者が活躍する新時代がやってくる>

・昭和とそれ以降の狭間にいる我々世代のリーダーたちの責任は、さっさと昭和に別れを告げ、その残滓である制度や慣行を徹底破壊し、上の世代を道連れに、すっきりさっぱりとデジタルネイティヴ世代にリーダーのポジションを譲ることだと思っている。

<イノベーション環境整備の要は、関わる人たちの意思と努力>

・今の日本に本当に必要なのは、既存企業の単位を超え、既存秩序や権威にも従順ではなく、大それたことを考え、実行できる人材だ。

POINT:卓越した若者が集まるような大学、企業、地域、ベンチャーコミュニティをつくろう。そこから、知識集約産業時代のイノベーション主導成長モデルがスタートする

<日本再興の足がかりは今でもアメリカ>

・近々、中国の台湾侵攻が始まるかもしれない。そうなったら、いくら強いアメリカの株式市場も暴落する。中国のサイバー攻撃が始まったと見るや、すべての資産を引き揚げるべきだ。できれば金に変えておくとなおよしだ。

POINT:今、資金を投じておくべきはアメリカである。インタ―ネットの普及で世界中の情報にリアルタイムで触れられる。投資も軽々と国境を超えられる。日本に閉じこもるな

<日本を再興させるのはカネよりもイノベーション>

・今の時代、経済を真にドライブするのはイノベーションしかない。イノベーションの源は、経済政策で上から降ってくるカネではない。繰り返すが、イノベーションは「人」が生み出すのだ。

<「経済政策」や「産業政策」への期待し過ぎは禁物>

・あくまでもイノベーション始点の付加価値生産性向上ができた上で、政策介入で労働の分配率を向上させるという順序で進めなくてはいけない。

POINT:時間はかかっても、イノベーションのできる社会へと順序を踏んで進んでいこう。国全体の所得が減っている現状では、所得の再分配は「国家の老衰」につながる。それを止めるのは政府ではなく、企業自身、国民自身の意志と行動である

<日本はなぜイノベーション強国から転落したのか>

・問題は昭和そのものにあるのではなく、令和になっても昭和マインドを引きずっているオジイサンたちにあるのだ。

<日本はアメリカにかなわずともヨーロッパをしのぐ>

・このように、日本がイノベーション弱者になっている一因には、勝ちパターンを支えた日本の総合商社の著しい機能低下、機能不全も挙げられるのだ。

POINT:日本人とイノベーションの親和性の高さに注目しよう。かつてのソニー、ホンダ、現代のソフトバンクなどを思い起こそう。時価総額の上位にいるのも戦後創業の企業だ

<イノベーションは「パクリ掛け算」でいい>

・だが、極端にいえば、こうした眼力や資金力はイノベーションの必須条件ではない。イノベーションは自前でなくてもいいのである。

<イノベーションとはオープンな借り物競争である>

・そもそもインベンション(発明)とイノベーションは意味が違う。イノベーションというのは新たな結合によって社会やビジネスを大きく変えるような新しいやり方を創出することを意味している。

<大きい会社よりも小さい会社、古い会社よりも新しい会社が有利>

・勝負は世の中の森羅万象に好奇心をもち、感度を上げて新ネタの探索を続け、いいものを見つけたらアジャイル(素早い、頭の回転が速い)に行動する組織能力、人数よりも個々人の才覚のほうなのだ。

<「100メートル25秒の走力」でも競争に勝てる場所はたくさんある>

・さもなければ、少子化で労働人口はどんどん減り、外国人労働者は賃金の安い日本に見向きもしなくなり、「そして誰もいなくなった」状態になってしまう。本当に老衰国家となってしまうのだ。

POINT:イノベーションを自前でやろうと考えなくていい。すでにあるクラウドサービスをユーザーとして活用すればいいのだ。特別な人材、眼力、資金力などは必要ない

<「東京が最先端」は都市伝説。光明は地方企業にある>

・今どきわざわざ東京に進出せずとも、地方から一気にグローバルにつながるほうが身軽であり、手っ取り早い。

POINT:地方の優良企業は大都市の大企業をスルーしていい。インタ―ネットによって地方からダイレクトに、身軽に世界にアクセスしよう。「東京進出」は今や危険思想なのだ

<元気な「ほんまもんのベンチャー」こそ、日本の未来だ>

・デジタル革命によって、産業のあり方は大きく様変わりしつつある。大企業を頂点に下請け・孫請けが連なるピラミッド型から、さまざまな機能や要素が積み重なるレイヤー型への変容だ。大企業を頂点にピラミッド型の「おむすび」がたくさん並んでいた構造が、平べったい階層が幾重にも重なる「ミルフィーユ」型へと移り変わる、そんなイメージである。

<衰えたのはものづくり力ではなく「生産・販売モデル」>

・電機産業に限らず、多くの産業で、産業のカタチ、企業のカタチの大変容、大改造、すなわちインダストリアル・トランスフォーメーション(IX)、コーポレート・トランスフォーメーション(CX)が求められているのだ。

・しかし、未来の希望がないわけではない。それは本気の気鋭ベンチャーの存在だ。

POINT:サイバー空間の空中戦で世界と互角に渡り合える本気のベンチャーに注目しよう。旧来の地上戦モデルでは、たとえものづくり力が優位でも、やがて淘汰、従属させられる

<日本人富裕層向けの観光施設をつくれ>

・日本では後者の類の高級施設が圧倒的に不足しているのである。

POINT:ホテル業は1泊10万円単位の「高級路線」にシフトせよ。インバウンド需要の低下は大した危機ではない。日本国内に相当数存在する「そこそこ富裕層」こそターゲットだ

<「思い切り高い価格帯」に勝機がある>

・インバウンドについては、日本全体でも、もともと経済効果はそれほど大きくなかったと思う。私がバス会社を経営している東北地方だって、以前からインバウンドの「イ」の字もない。

<日本の魅力的な観光コンテンツにも目を向ける>

・雇用数的には、旅行業、観光業は今や自動車産業と並ぶこの国の基幹産業である。これが高付加価値生産性、高賃金の産業に転換できれば、そのインパクトは限りなく大きい。

POINT:ホテル業は思い切り安くするか、思い切り高くするかの二者択一をせよ。安いほうはビジネスホテルがあるから、思い切った高級路線のほうが穴場になる

<海洋国家・日本の希望はやはり「海」だ>

・今の日本だと、どの業界の伸びしろが大きいだろうか。日本が海に囲まれた島国、つまり海洋国家である点に注目すると、また新たな視点が開ける気がする。まずは水産業だ。

<水産業の狙い目は、漁よりも養殖だ。>

・とはいえ、近年クジラが増えたことで、天然魚のアニサキス感染が激増していると見られる。そうなると、今後アニサキスアレルギーが広く知られるようになるにつれて天然魚が忌避され、清潔な環境で育てられた養殖魚の価値が高まる可能性が高い。

 日本の入り組んだ海岸線は魚の養殖に向いている。近年は海外の養殖業の伸びにかなり押されがちだが、ここでイノベーションを起こせれば、一大産業に返り咲くはずだ。

POINT:手つかずの可能性に満ちた日本の海の活用を、日本経済再生の起爆剤の1つとせよ。規制をゆるめれば、沿岸養殖、クリーンエネルギー、レジャーなど好機が続々と生まれる

<これからの日本をどう生きるか――もう、学歴に価値はない>

<学校は名前ではなく「中身」で選ぶ時代>

・実は、日本の教育の大問題は「親」だったりするのだ。安定的な官公庁や大企業への就職を子どもに望みがちだし、自分が高学歴ともなれば、同じように高学歴を目指すことを求める。

<進学校よりユニークな学校に価値がある>

・以前の学歴主義は、今は「職歴主義」になりつつあると感じる。最初に入った会社が、昔でいう「〇〇卒」に代替されつつあるのだ。

POINT:偏差値の高さといった旧来の価値観で学校を選ぶな。はっきりした意志をもって、行きたい学校に行くことが、将来の就職にも有利に働くようになる

<なぜ「東大卒」の価値は下がる一方なのか>

・成毛さんのおっしゃるとおり、学歴それ自体にはもう価値がない。日本最高峰とされる東大の価値も、下がる一方である。

・そもそもの問題は、言うまでもなく、昭和から続く一律的な学校教育だ。

<「知識がある=頭がいい」という固定観念から脱却せよ>

・真の頭のよさとは、知識を使って考え、現在や未来に役立てることができる能力である。

・伝統的な学歴が無効化すると、否が応でも地頭勝負の競争が重要になる。

POINT:学校を多様な才能の探索、生育の場に変えていくことが大事だ、知識量の競い合いに偏ってきた従来型教育と、昭和的企業への就職に最適化された受験競争から早く脱却せよ

<大学という属性ではなく、「個性」こそが人生を決める>

・かつて高学歴のエリートたちは、社会に出てからも同じ大学出身同士で連携し、協力し合ってきた。

<崩壊した大学ギルドではなく、「どう生きてきたか」こそが重要>

・大学のギルドが崩壊した以上、個人にとって一番大事になるのは、「どの大学に行ったか」「卒業してどの会社に入ったか」ではなく、「大学を出た後に誰とつき合うか」だ。

POINT:卒業後に誰とつき合うかで人生が決まることを忘れるな。同じ大学出身同士のコミュニティは崩壊した。学歴を忘れ、純粋な個人として生きるほうが人生は充実するのだ

<「トラステッド」なコミュニティに身を置け>

・大学卒業後の間もないころから本当に賢い人やおもしろい人とつき合っていてこそ、あとの人生をラクに、楽しく歩んでいけると言っていいのだ。

POINT:井の中の蛙にならず、積極的にいろんな人と関わっていこう。個人同士の信頼・信用で結びついて密度の高いコミュニティに属することで、人生は格段にラクに楽しくなる

<大学はリベラルアーツの訓練場であれ>

・冨山さんの「大学ギルドが崩壊すると、いきなり世界選手権」という表現も、言い得て妙だ。日本ばかりか世界的に大学ギルドが崩壊している時代潮流からは、東大生も逃れられないというわけだ。

<大切なのは必要な広い知識=リベラルアーツ>

・実際、リベラルアーツの欠如した現状では、プログラミングの基礎知識すらない大学卒が大勢いる。

POINT:リベラルアーツ教育を強化せよ。リベラルアーツこそ、現代をよりよく生きるための素養を培う学問群である。いわゆる「一般教養課程」では、そういう素養を培えない

<大学の機能を「グローバル人材養成」「ローカル職業訓練」に二分せよ>

・それぞれが充実した愉快な人生を送れるように手を差し伸べるのが、高等教育機関としての大学の役割のはずである。

<日本の大学は「学術の中心として知識を授ける」という建前を変えよ>

・要は大学制度の建前では、ほとんどの国民にとって、日本の大学は高等「教育」機関ではないのである。

<人材ニーズは、グローバルエリートと技能専門職に二分化する>

・高度な知性を武器に世界で戦う少数の超エリートと、実学を武器に国内で勝負する多数のエッセンシャルワーカーの2つが、今後の日本の人材需要の基本構図になるだろう。

POINT:大学は学術中心教育をやめるべきだ。グローバルに活躍する人材の育成交校と、ローカルで役立つ業務能力を身につける職業訓練校とに特化することで未来は開けていく

<「エセ教養教育」は今すぐ退場せよ>

・リベラルアーツとは「よりよく生きていくための知の技法で」である。まさに実践知のことをいう。英語であれ、プログラミングであれ、簿記会計であれ、ものを考え、考えを形にする言語なのだ。言語は身につければすぐ役に立つし、いつまでも役に立つ。

<全大学人の真の味方として「頼りになる」高等教育の再生は諦めない>

・結論としては、大学は、本当に地頭のいい学生をグローバル競争で戦えるエリートに育てる人材育成校か、ローカルできっちりプロの仕事ができる職業専門校かに集約されるべきである。

<日本の教育刷新は、大学改革が先陣を切るべき>

・大学が本格的に変われば、必然的に大幅な入試改革も起こる。そして大学入試が変われば、オセロがひっくり返るように初等・中等教育も変わっていくだろう。

POINT:教育は、私たちが政府や企業に頼らずに生きる力を養う前提基盤。金の卵をグローバル人材に育てる一方、地域に根差した活躍の場を求める若者にも学びの場を提供せよ

<それでも大学に行くことには意味がある――「シグナリング」という社会的価値>

・「大学に行った」という事実が、「自分はヤバい人間ではありません」という、消極的だが重要なシグナリングになる。

POINT:どこでもいいから大学には行くべきだ。学歴の価値は消え、大学教育は地に落ちているが、大学に行くことは社会的価値がある。グローバル社会のパスポートにもなるのだ

<初等・中等教育は親の姿勢で決まる>

・初等・中等教育期にある子どもにとっては、親との関係が何よりも重要である。

<学校以外のところでワクワク体験をさせる>

・子どもの世界は、基本的に家と学校の行き来であり、とても狭い。だから、大人が仕事をしている現場に早くから触れさせることの教育的価値は非常に高いと思う。

POINT:子どもの素質も見ずに、無理やり勉強へと追い立ててはいけない。昭和育ちの親は「いい学校、いい会社」という呪縛を捨て、大らかに構えるべきである

<習い事より「大人の世界を垣間見させる」ことが大事>

・早くから学校以外の世界に触れさせ、「世界は君が思っているよりもずっ広い」と教える意味は大きい。

<子どもに必ず経験させたいこと、絶対に強要してはいけないこと>

・コミュニケーションにおいて大切なのは、TOEICの点数ではない。相手のジョークや趣味を理解したりといった、文化ギャップを埋めることができる能力だ。

・習い事は、親が勝手に思い込む「愛ある押しつけ」にすぎないということだ。

POINT:子どもには、親以外の大人と触れさせることを第一とする。英会話教育、サイエンス教育、海外体験も大切だ。賢い事は最初の「ハマリ具合」で、続けるかどうかを判断せよ

<日本経済を救う処方箋――「自分勝手」が国、会社、個人を変える>

<日本は明治の伝統より、江戸時代のスタイルに立ち返れ>

・古い意味での「国家」、古い意味での「会社」なんて忘れて、自分勝手に生きようということだ。

<ラテン諸国のように気楽に暮らす道もある>

・ラテンの国々の気楽な暮らしぶりと、江戸時代の庶民の気ままな精神性は、不思議と符合するのだ。

POINT:のんびりラクに生きる江戸型ライフスタイルも検討しよう。卓越した個人としてイノベーションを担い、グローバルに活躍するのは素晴らしいが、選択肢はそれだけではない

<はじめから期待値を下げるという生き方もある>

・期待値を下げ、高望みをせずに幸せに生きる。「国のため」「社会のため」ではなく、自分勝手に、気ままに生きる。

POINT:自分自身の幸せを優先せよ。自分の才覚をもって勝負をかけるのも、身の丈に合った幸せで満足するのも、どちらが尊いということはない。幸福に生きるのが一番大事である

<「新しい資本主義」に頼らないことが新しい資本主義だ>

・会社ももはや、「生涯勤め上げます」と忠誠を示す対象ではない。「専業サラリーマン」は昭和の遺物である。

<「新しい資本主義」に進むには、昭和型資本主義から決別せよ>

・しかし、そもそもファクトとして日本において格差は広がっておらず、すでに述べたように、要は昭和のシステムがイノベーション競争の時代、個人の才覚・発想がモノを言う知識集約化時代に対応できず、経済全体、国民全体が相対貧困化したことがいろいろな問題を引き起こしているのである。

POINT:この30年間で日本の総所得はほとんど増えておらず、政府はどんどん貧乏になっている。とにかく稼ぐ力をつけることが大事だ。昭和回帰が正しくないのだ

<世界標準は、ESG指向の資本主義とデジタルフォーディズム>

・悲観的にならずに、自分の力でできることがたくさんあることを信じて行動することがやはり大事だと思う。

<ビジネスのマラソンを美しいフォームのまま2時間で走れるか?>

・過去30年間の長距離走の記録を見る限り、欧米社会と比べてまったくダメダメだった昭和な日本の経営者にとっては、ますます厳しい注文が突きつけられているのだ。

<自分勝手に行こう。それが世のため人のためになる>

・その意味で岸田政権の言う「新しい資本主義」が正しい方向に向かっていったとしても、その主役はあくまでも民間において自由にイノベーションを追求し経済活動を行なう、私たち一人ひとりなのである。

POINT:「いかに好きに生きるか」を軸として生きよう。一人ひとりが好きなことをやり、愉快な人生を送ることで社会が変わり、そして国が変わり、ようやく昭和が終わる

<批判や評論よりも、具体的なアクションが重要>

・たとえば――と、また思いつきレベルのことを提案してみよう。

 メガバンクやITゼネコンなどのドメスティック大企業から、すべての若手社員を成長分野や中小企業に引き抜くというのはどうだろう。

・冨山さんが言うように、社会はボトムアップでしか変わらない。

POINT:「社会を変えるのは難しい」では思考停止に陥るだけで何も変わらない。思いつき、妄想でいいから個々が考え、発言していくことで、結果的に社会が変わっていくのである

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