これは統一教会の分派であり、銃の所持を強調し、トランプ元大統領を支持する点で、その動向が注目されている。一時、安倍狙撃事件の容疑者は、この分派の一員ではないかと報道されたが、それは誤りである。(1)
(2022/12/14)
『新宗教 驚異の集金力』
旧統一教会は今でもパワーがあるのか
島田裕巳 ビジネス社 2022/10/3
<「新宗教」と金の問題>
・安倍晋三元首相の狙撃事件をきっかけに、宗教と金、とくに「新宗教」と金の問題が世間の注目を集めることになった。
・統一教会に注目が集まった時代には、オウム真理教や幸福の科学といった、これまでとは違う新宗教の教団が台頭していた。あるいは、「自己啓発セミナー」と呼ばれるものも多くの若者を集めていたし、宇宙人と通信する「チャネリング」などに関心を寄せる人々もいた。
こうしたさまざまな動きが起こったことから、「宗教ブーム」ということが盛んに言われた。
・それでも、バブルという特殊な社会状況と宗教ブームとが密接に関係していたことは間違いない。そして、そうした教団では多額の“金”が動いていた。オウム真理教は、富士山麓に「サティアン」と呼ばれる建物を次々と建てていったし、幸福の科学はテレビで派手なコマーシャルを流し、東京ドームでイベントを開催した。
なぜ新宗教は多額の金を集めるのか、その手立てを解明することがこの本のテーマということになるが、そもそも新宗教だけではなく、宗教と金は密接な関係を持っている。
・永平寺を建てたのは曹洞宗の開祖となった道元である。道元は雲水の生活をどうやって成り立たせるかについて、何か策を講じたわけではなかった。道元は、厳しい禅の修行の実践だけに関心を持っていた。
道元の代わりに、その役割を担ったのが、道元の孫弟子にあたる蛍山紹瑾(けいざんじょうきん)という人物だった。多くの人にとっては初めて聞く名前だと思うが、曹洞宗では、道元を「高祖」と呼ぶのに対して、紹瑾を「太祖」と呼んでいる。二人は曹洞宗の二枚看板だったというわけだ。
紹瑾は宗教家である一方、経営者だった。修行のことだけを考えていた道元とは異なり、修行道場としての永平寺を経済的に支えるためのシステムを作り上げた。
特に重要だったのが密教を取り入れた点だった。座禅を行うだけではなく、密教の儀礼を導入して、祈禱を曹洞宗の活動のなかに取り入れていったのだ。祈禱を行えば、それを依頼した人間から布施を得ることができる。
しかし、何より効果的だったのが、今につながる仏教様式の葬儀を編み出したことだった。
・つまり、曹洞宗の編み出した葬式のやり方は、死者を出家させ、悟りの道へ導くことにある。これが好評だったのだろう。曹洞宗は、禅宗の宗派であるにもかかわらず、信徒を大きく伸ばしていくことに成功する。要するに、曹洞宗は、日本仏教に特徴的な「葬式仏教」の元祖となったのだ。
そして、曹洞宗が開拓した葬儀のやり方は、他の宗派にも伝わっていく。同じ禅宗の臨済宗はもちろんだが、天台宗や真言宗、そして浄土宗も、それを取り入れた。取り入れなかったのは浄土真宗と日蓮宗だけである。
・そうなると、そうした寺に葬儀を依頼するようになり、葬式仏教が一気にひろまった。
・これから、それぞれの新宗教が、どういった「ビジネスモデル」を打ち立て、そえで金集めをしていったかを見ていくことになるが、葬式仏教特有のビジネスモデルということになる。
ビジネスモデルがあるのは新宗教だけではない。あらゆる宗教が、特有のビジネスモデルを確立していると言える。それがなければ、経済基盤は確率されず、存続は危うくなってしまう。賽銭箱を設けることなども、素朴なやり方ではあるが、ビジネスモデルの一つと言うこともできる。
既成仏教が、葬式仏教型のビジネスモデルを確立したことは、新宗教にも影響した。葬式に手を出すことが難しくなったからだ。
・新宗教のなかには、独自の葬式のやり方を開拓したところもある。創価学会は、長年密接な関係を持っていた日蓮正宗と決別した後、「友人
葬」と呼ばれる独自な葬式のやり方を開拓し、これが会員のあいだでは定着してきた。
戦前には相当な勢いで拡大した天理教も教えにもとづく葬式のやり方を開拓し、それが信者のあいだに広まっている。同時代に信者を増やした金光教も同様である。
・日本の仏教は、人の死を弔い、死後の魂を浄土へと導く役割を果たすことで、社会に浸透してきた。それに対して、新宗教は、生活の苦しさからの解放を求める人々の現世における欲望を満たすことで発展してきた。
では、新宗教のビジネスモデルはいかなるものなのか――。
<統一教会と金>
<名称変更した「統一教会」>
・安倍晋三元首相の狙撃事件は、国内外に衝撃を与えた。
戦前には、伊藤博文をはじめ、暗殺された現役の首相や首相経験者は少なくない。その数は、全部で7人に及んでいる。いずれも暗殺者の動機は政治的なものだった。
・ただ狙撃した容疑者の動機は、必ずしも政治的なものではなかった。自らが製造した銃での犯行だが、宗教団体とそれに関係した安倍元首相への恨みということが動機になっていた。
容疑者の母親は、家庭の問題から統一教会に入信した。統一教会は略称で、正式に「世界基督教統一神霊協会」と言い、設立は1954年のことだが、84年には、現在の「世界平和統一家庭連合」に名称変更している。この名称変更自体についても、それを認証した文部科学省と大臣に対して疑いの目が向けられているが、一般には統一教会、ないしは旧統一教会という呼び方が定着している。
神霊協会とあることから、「統一協会」と呼ぶべきだという声もある。特にキリスト教の関係者は、一般の教会とは異なるので、統一教会と呼ぶべきではないと主張する人たちもいるが、統一協会では宗教であるという印象を与えない。
名称変更は、霊感商法などで悪いイメージがついたことを隠蔽するためと言われるが、誰も「家庭連合」という現在の略称は使わないので、カモフラージュの効果はほとんどなかったと言える。
<統一教会の教義『原理講論』>
・一般に、統一教会はキリスト教系の新宗教に分類されている。こうしたカテゴリーに分類される教団には、エホバの証人(ものみの塔)、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、セブンスデー・アドベンチストなどがある。いずれもアメリカで生まれた教団だが、統一教会は韓国に生まれている。
・統一教会の教義を示したものが、『原理講論』である。これは、統一教会を開いた文鮮明のことばをもとにしているとされるが、執筆したのは別の人間である。
『原理講論』で説かれているのは、原罪の教えをもとにした「堕落論」である。人類は神によって創造されたのだが、堕落し、サタン(悪魔)の血統を受け継ぐことになってしまった。そこから救ってくれるのは再臨するイエス・キリストだけだとする。特徴的なのは、その救い主が文鮮明夫妻であるとされるところにある。統一教会は、文夫妻を「真の父母」と叫ぶ。最近の統一教会は、家庭連合からさらに「天の父母聖会」への改称をめざしているとも言われる。
・最初、統一教会のことが世間で注目されたのは、「朝日新聞」1967年7月7日付け夕刊の「親泣かせの原理運動」の記事を通してだった。原理運動という正体不明の運動に加わってしまった若者たちが親元に戻らなくなってしまったというのだ。
原理研究会(以下「原理研」)がいつ誕生したのか、創立年については資料によってまちまちで、はっきりしたことはわからないが、この記事が掲載された1967年7月よりも前に結成されていたことは間違いない。
当時、原理研に所属する学生たちは、新宿など繁華街の街頭に黒板を持ち出し、それを使って「原理講論」に記された教え、それは「統一原理」と呼ばれたが、盛んにそれを説いていた。私もそれを街中で見かけた記憶がある。
<フィールドワークとして潜入した「ホーム」>
・これはだいぶ後のことになるが、私は大学院の博士課程に在籍していた時代に、統一教会=原理研究会を研究してみようとしたことがあった。基礎資料として『原理講論』を全部読んでみたが、それだけでは不十分なので、実際に大学のなかで活動している原理研とかかわりをもつことにした。フィールドワークである。
・私が学んでいた東京大学の本郷キャンパスには、総合図書館があり、その前には噴水があるが、いつもその辺りには、大学生よりも少し年上の女性が立っていた。これが原理研の勧誘であることは、学生誰もが知っていた。私は取り敢えず、その勧誘にわざと捕まってみたのである。
すると、学内で開かれる集会のことを教えられた。そこに出かけていくと、今度は、大学の近くにあった「ホーム」に誘われた。親泣かせと言われたのは、原理研のメンバーになると、こうしたホームで生活するようになるからである。
・私が統一教会・原理研の研究をしようとしたのは1980年代のはじめだったはずだ。実は、それ以前に3泊4日の研修会に参加し、それを論文にまとめていた社会学の研究者がいた。それが、塩谷政憲「原理研究会の修練会について」で、塩谷が修練会に参加したのは1974年のことだった。
後に、統一教会については「マインドコントロール」ということが言われるようになるが、1970年代から1980年代にかけてはまだそのことばは使われていなかった。代わりに使われたのが「洗脳」ということばで、塩谷も、修練会において洗脳が行われているかどうかを問題にしていた。論文では、参加者が自由意志で参加し、出入りが可能だったことから洗脳ではないと結論づけられていた。
この論文を呼んで、修練会で行われることが、私がホームで受けた講義の延長線上にあるものであるのがわかった。逆に、洗脳が行われているという結論であれば、参加してみようという意欲が高まったかもしれない。
<勝共連合と統一教会>
・今回の狙撃事件に深くかかわることとしては、安倍元首相の祖父である岸信介元首相が、勝共連合の立ち上げに力を貸したということが指摘されている。勝共連合も統一教会も、創立者は文鮮明であり、原理研はその学生組織だった。容疑者は、安倍元首相の統一教会とのかかわりが、祖父である岸元首相にまで遡り、根が深いことで怒りの矛先を向けたと伝えられている。
<資金源とされた日本の統一教会>
・勝共連合にしても、世界平和教授アカデミーにしても、あるいは、1995年に創立された「世界平和連合」、2005年に創立され、安倍元首相がビデオメッセージを送った「天宙平和連合」も、収益を上げる活動を行うものではなく、膨大な活動費を必要とする。
結局は、こうした運動体の資金源になったのが日本の統一教会だった。
・勝共連合は、政治資金規正法による政治団体として、その収支を東京都に報告している。令和元年分の報告では、収入総額が前年度の繰越金を含め約5100万円で、支出は約4800万円である。主な収入は機関誌の発行によるもので、支出も機関誌関係が半分以上を占めている。
・だが、時代は次第に反共運動を必要とはしなくなっていく。左翼の政治運動の停滞は大きかった。統一教会による霊感商法や、多額の献金集めが行われるようになるのは、左翼の政治運動が大衆性を失った1980年代に入ってからのことである。
<合同結婚式と堕落論>
・霊感商法とともに話題になった「合同結婚式」は1960年にはじまる。統一教会はそれを「国際合同祝福結婚式(略称は「祝福」)」と呼んでいる。
・合同結婚式については、教祖が相手を選ぶという点が問題視された。まったく面識がない人間が将来の結婚相手になるわけで、その相手の国籍も職業も、あるいは信仰の程度も事前には知ることができない。そこで、日本の都会育ちの女性信者が、韓国などの農村部にいきなり嫁ぐということも起こった。
信者にとっては、どのような相手であっても、それは教祖が選んだものであり、相手を受け入れることが試練になる。相手が自分にとって好ましいものではなくとも、自分は試されているのだと考えるのである。私の知る元統一教会の信者のなかに、相手が好きになれず、随分と苦しんだという人間もいる。
・しかしなぜ、いくら信仰する教祖の指名であるとは言え、統一教会の信者たちは、合同結婚式に参加し、指名された見ず知らずの相手と結婚し、相手が外国人であれば、その国にわたり、家庭生活を続けるのだろうか。
マインドコントロールされたからだというとらえ方もあるかもしれないが、いくら巧みに誘われたとしても、本人がその宗教に魅力を感じなければ入信することもなければ、深くそのなかに入っていくこともない。
・統一教会の信者の場合、入信の動機には二つの傾向がある。
一つは、1970年代を中心に、反共運動に共感し、統一教会に入信していった人間たちだ。彼らは、勝共連合や原理研の活動に関心を持って近づいたのである。
もう一つは、そうした政治的な側面に関心を持たない信者である。合同結婚式に参加する女性たちには、そうした信者が多い。彼女たちは、もっぱら統一原理という教えにひかれて統一教会に入信していったのである。ではどこに惹かれるのか。
それは、『原理講論』で説かれる堕落論であり、それに伴う復帰の考え方だ。自分は罪深い、あるいは世の中は罪に満ちあふれていると感じることで、統一教会に接近し、入信していく。特にバブルの時代にはカネ余りの社会風潮のなかで、性(セックス)ということに強い関心がむけられた。過度なセクシーさ、あるいは性欲の強調は、そうした時代風潮についていくことができない人間たちを生んだ。オウム真理教の最盛期もバブルの時代だが、ヨーガの修行によって性欲が昇華されることが説かれ、そのための方法が実践された。
<韓国の財閥としての性格をもつ統一教会>
・安倍元首相を狙撃した容疑者の母親は、1991年に統一教会に入信している。複雑な家庭背景があるようだが、まさにそれはバブルの時代だった。献金も、自らの罪深さの自覚と結びついている。特に統一教会では、日本が戦前に朝鮮を併合していたことが罪深い行為であり、朝鮮を支配した償いとして日本人は多額の献金をし、それを韓国の統一教会に送る必要があると説かれた。献金は、さまざまな点で贖罪と結びついたのである。
霊感商法と信者からの高額献金が、統一教会の関連団体の活動を支えた。そうした団体が開くイベントには、自民党を中心に政治家が招待された。あるいは、統一教会の信者は、選挙活動を手伝い、ときには秘書を送り込むこともあった。
・しかし、霊感商法で持ち出されるのは先祖の因縁や祟りである。血統といった統一教会の教義も一部活用されたが、高額な壺や印鑑を購入させるための手口が確立されていた。そのため、1993年の福岡地裁を皮切りに、統一教会の教団としての使用者責任を認める判決が次々と出されることになった。
これは、統一教会を追い詰めることになり、教団はコンプライアンスの徹底を求められることとなった。それでも、霊感商法の被害は続いているとされる。
教団の不法行為が裁判所で認められた以上、統一教会に対して宗教法人の解散が命じられても不思議ではなかった。実際、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は、解散命令を受けている。
・あるいは今回は自民党との関係がさまざまに取り上げられ批判されているが、1990年代前半にはその点は問題視されなかった。だから統一教会との関係が騒がれなかったのだ。
・しかし、統一教会と金と言ったとき、もう一つ忘れてはならない事柄がある。それは、韓国における統一教会が財閥としての性格を持っている点である。日本では、戦後に財閥は解体されたが、韓国では各種の財閥が依然として活動している。とくにサムスンやロッテなどの10大財閥が有名である。
規模の小さな財閥や企業のなかには、宗教と結びついたところがある。300人以上の犠牲者を出した大型旅客船、セウォル号を運行していた清海鎮海運のオーナーは、終末論を説く新宗教の教祖だったことがあり、信者の集団自殺事件も起こしていた。
・日韓トンネルも途方もない事業で、その実現性については疑問の声が寄せられている。しかし、こうした事業が動き出せば、そこでは莫大な金が動くことになる。議員が群がってくるのも、利権に与ろうとするからである。
・さらに文鮮明は、翌1991年には北朝鮮に入国を果たし、金日成主席とも会談し、世界を驚かせた。北朝鮮としては、統一教会の提供する資金によって自動車工場などが建設されている。反共という理念よりも、ビジネスが優先されたのだ。
<根が深い統一教会と結びつく利権>
・このように見ていくと、統一教会と金の問題が極めて複雑であることがわかる。政治家がかかわるのも、そこに利権の存在を感じとるからである。その分、根が深い。
世界基督教統一神霊協会にしても、世界平和統一家庭連合にしても、その名称のなかに、「統一」という文字が含まれている。
・今から10年前の2012年に、統一教会の教祖にある文鮮明は亡くなった。92歳で亡くなっており、かなりの長寿だった。統一教会の教えでは、文は救世主であるとされる。救世主の死は教団にとって決定的に重要な出来事であるはずだが、教団では文は死後も霊界で救世主としての働きをしているとされ、信者はそれを疑っていない。
・しかも、これは家庭を重視するはずの統一教会にとって、決定的な矛盾にもなるが、文の死後、二人の間に生まれた七男の文亨進がアメリカで、別組織を立ち上げ、それを「世界平和統一聖殿(通称はサンクチュアリ教会)」と呼ぶ出来事が起こる。これは統一教会の分派であり、銃の所持を強調し、トランプ元大統領を支持する点で、その動向が注目されている。一時、安倍狙撃事件の容疑者は、この分派の一員ではないかと報道されたが、それは誤りである。
・統一教会をめぐる問題が今後どのように向かっていくかは予想もつかないが、新宗教と金が密接に関係する一つの事例として注目しなければならない。
<新宗教に集まる莫大な金~真如苑と幸福の科学>
<運慶作の15億円の仏像>
・その日、この仏像を見たときに、少し奇妙な感覚を覚えた。私は、日本の宗教美術についても研究を行っているので、仏像を見る機会は多い。日本で国宝に指定されている仏像については、そのほとんどを見ている。奈良の円城寺には、やはり運慶作で国宝に指定されている「大日如来像」があるが、それも見ている。
だが、はっきりと額が明らかになった仏像を見るのははじめてのことだった。しかも、その額は15億円にものぼる。15億円の仏像を間近にしているかと思うと、妙な気分だったのだ。
・運慶作の大日如来像と薬師寺の両菩薩(日光・月光菩薩)とを比べた場合、薬師寺の方がはるかに時代は古いし、大きさもかなり違う。薬師寺のは3メートルを超えるが、大日如来像は、61.3センチの高さしかない。金箔がよく残っている点で、大日如来像は出色の仏像だが、薬師寺の両菩薩ほどの圧倒的な存在感を放っているわけではなかった。
<なぜ真如苑が落札したか>
・オークションが行われたのは2008年3月のことで、その3カ月後に、本当の落札者が判明した。週刊誌のスクープ記事が出ることが明らかになったため、急遽記者会見が行われたようだ。本当の落札者は、東京の立川市に本部を構える新宗教教団「真如苑」だった。
・ただ、新宗教と言っても、教団の数は相当の数にのぼる。そのなかで、私が可能性があると考えたのが3つの教団だった。一つは、滋賀に本部をおく神慈秀明会、もう一つが京都の阿含宗、そして真如苑である。
・神慈秀明会は、もともと熱海にMOA美術館を作った世界救世教から分派して生まれた教団で、本部のある滋賀の信楽の里に「MIHO MUSEUM」という美術館を開設している。
<東京ドーム20数個分の土地を購入>
・阿含宗と真如苑が独自の美術館をもっていないのに対して、神慈秀明会は、立派な美術館をもっている。その点では、触手を伸ばす可能性があるわけだが、神慈秀明会は神道系の教団で、大日如来を信奉する密教とは直接の関係がない。その点で、神慈秀明会の可能性はかなり低かった。
・阿含宗と真如苑の場合には、ともに密教を基盤にしている。どちらも、教祖が山伏の格好をしたところに示されているように、修験道から発展した新宗教の教団である。その点では、どちらの教団も、大日如来像を購入する大義名分があった。まさに、自分たちの信仰とかかわっているからである。
・さらに、教団の財力ということを考えると真如苑は抜きん出ている。
数ある新宗教の教団のなかで、もっとも信者の数が多いのは創価学会である。その数は827万世帯とされるが、実際の信者の数は現在(2022年)、およそ235万人程度ではないかと、私は推測している。各種の世論調査にもとづいて弾き出したものである。
この創価学会に次いで信者が多いのが、そのライバル教団である立正佼成会だが、真如苑は、ほかの教団が信者の数を減らしているなかで、着実に信者を増やしている。公称で信者数は93万人を少し上回っている。
創価学会の場合には、公称の信者数(世帯数)と実数のあいだにかなりの開きがある。ところが、真如苑の場合には、公称がそのまま実数になっている。
・一時、真如苑は200万人の信者を抱えていると宣伝していた。これは、実数とはかけ離れた数だった。200万人という数からは、大教団の印象を受ける。そのため、その時代の真如苑はメディアから注目されていたが、その分批判を受けることも多かった。ならば、実数を発表した方が無用な批判を受けなくてすむ。そこで実数を発表するようになったという。
・私は一度、立川の本部の近くにある「応現院」という研修施設を見学させてもらったことがある。それは平日のことだったが、応現院にはおびただしい数の信者が集まっていた。1日に6000人から7000人くるということだったが、その数に間違いはなさそうだった。ならば、93万人の信者という数は実態を反映していることになる。
しかも、真如苑は、いまでも発展を続けている。
・真如苑のことは以前から、何度か話題になってきた。最初は、沢口靖子や高橋恵子といった美人女優が入信していると伝えられたときで、それによってこの教団の名前は一挙に広まった。
ふたたび真如苑が話題になったのは、2002年のことである。教団は、2002年3月、武蔵村山市と立川市にまたがっていた日産自動車の村山工場跡地を購入した。そこは広大な土地で、総面積は106万平方メートルにも及ぶ。この数字だけを聞いても広さを実感できないが、東京ドーム20数個分にあたる広さだという。
・土地の代金は739億円である。仏像に15億円出したのも驚きだが、この739億円は途方もないが額だ。真如苑の教団は、その全額を出したわけではなく、融資を受けた部分もあるようだが、それに見合うだけの財力があるからこそ、739億円を支払うことができたことになる。
<潤沢な資金力の象徴>
・応現院のある土地は、実は立川飛行機のもので、借地である。立川飛行機は、真如苑の開祖である伊藤真乗が、宗教活動を本格的に展開する前に勤めていた企業だ。借地よりも自前の土地の方が好ましい。普通なら、それで日産の工場跡地を買ったのだろうという推測が成り立つが、そうではないらしい。
・ところが、新宗教教団では、明確な目的もなしに広大な土地を買っても、問題は起こらない。教団のなかに、その責任を問うような声などまったくあがらない。この例は、それだけ新宗教教団が潤沢な資金力をもっていることを示しているだけではなく、教団の上層部、幹部がその金を自由に使えることを意味している。
・何から何まで、真如苑の話は桁外れで、常識をはるかに超えている。別に教団が不正を働いているわけではなく。社会的に非難すべき点も見つからない。大日如来像は、海外流出の可能性もあったわけで、それを防いだ点では、真如苑の功績は大きい。
・しかし、日産工場跡地の購入のことを考えると、真如苑にとって、15億円という額は、それほどたいしたことではないようにも思えてくる。
真如苑の資産を考えると、日産工場跡地と運慶の仏像のほかに、各地に施設をもっており、少なくとも総資産1000億円くらいにのぼるのではないか。私たちは、新宗教の圧倒的な財力に対して、感嘆するほかはないのである。
その後、真如苑は半蔵門に「半蔵門ミュージアム」という美術館をオープンした。本格的な美術館で、常時展覧会が開かれており、運慶の大日如来像もそこで公開されている。地下には「友心院」という宗教施設も設けられている。
日産跡地の方は、現在、森林公園としての整備が進められている。
・真如苑は、これだけの財力を持っているため、一時は献金を受けつけていなかった。それは、その後再開されたようだが、教団のサイトを見ると、まず脱会の仕方が明記されている。こうした新宗教の教団は珍しい。
・さらに大きな特徴は、93万人の信者を抱えていながら、政治とかかわることがいっさいないことである。選挙で特定の候補を応援することもない。社会的に問題視されるようなことは一切しない。それが教団のポリシーである。これは、賢明なやり方ではあるものの、社会に対する影響力という点ではそれを発揮することはほとんどない。ひっそりと活動し、徐々に信者を増やしている。
<幸福の科学の年収は110億円 ⁉>
・現在の公明党には宗教色はまったくなく、それ自体でが宗教政党とは言えないものの、公明党最大の支持母体である創価学会は、日本で最大の新宗教教団である。
公明党は、1969年から1970年にかけ起こした「言論出版妨害事件」を契機に、創価学会との政教分離を推し進めることとなったが、それまでは、創価学会の幹部が公明党の議員を兼ねているなど、両者は一体で、公明党も宗教政党としての性格をもっていた。
現在、かつての公明党以上に宗教政党としての性格を強く示しているのが幸福実現党である。幸福実現党を組織したのは、新宗教教団の「幸福の科学」である。幸福の科学では、政治と宗教は補完する関係にあり、宗教団体が政治活動を行うことは憲法に違反しないと主張している。
・こうした幸福の科学の教団と幸福実現党との関係は、政教一致として批判の対象になる可能性をもっている。だが、現在のところ、幸福実現党が国会に議席をまったく確保していないため、ほとんど問題視されることはない。
しかし、2010年6月の第22回参議院議員選挙では、選挙区で19名、比例代表区で5名、合計24名の候補者を立てた。2012年12月の衆議院議員選挙でも、選挙区に20名、比例代表に42名、合計62名の候補者を確立した。ただし、1人とも当選させることができず、衆議院議員選挙での比例代表での得票数も21万6150票にとどまった。得票率は0.3パーセントであった。
その点では、幸福実現党は党勢の拡大もならず、存在感をいっさい示すことができなかったが、衆議院議員選挙にはじめて挑戦した2009年には、一挙に237名もの候補者を立て、それで大いに注目された。
そのときの候補者には、学歴が高く、一流企業に勤務した経験をもつ人間もかなり含まれていた。幸福の科学の創立者で総裁である大川隆法も立候補し、テレビの政見放送では迫力のある演説を行った。けれども、大川を含め、すべての候補者が落選した。しかも、11億5800万円の供託金はすべて没収されてしまった。
供託金とは別に、選挙活動のためにはかなりの費用がかかる。幸福実現党がそれにどれだけの費用をかけたかはわからないが、法定選挙費用の上限は、有権者数に15円を掛けた額と、固定額1910万円との合計である。最小の選挙区が高知県第3区だったが、その有権者はおよそ20万人だから、2210万円となる。仮に、幸福実現党がそれぞれの候補者に対して、供託金を含め2500万円の選挙費用を使ったとしたら、総額は84億2500万円にもなる。相当な額である。
・幸福の科学の創立は1986年のことである。それから、36年の歳月が流れているが、新宗教としての歴史は浅い。創立者が元気に活躍していれば、教団が伸びていく余地はいくらでもある。しかも、幸福の科学は真如苑とは違い、政治に強い関心を持っている。その動向は、どうしても注目せざるを得ないのである。
<なぜ宗教法人は課税されないのか>
<礼拝施設の所有が絶対条件>
・現在、日本に存在する宗教団体のうち、教団組織を形成するようなものの多くは、「宗教法人」の形態をとっている。宗教法人は、「公益法人」の一形態であり、法人格を取得することによって他のさまざまな組織と同様に、社会的な存在として活動している。
・宗教法人としての認証を受けるには、その宗教団体が礼拝の施設を所有していなければならない。それは絶対の条件であり、所有しているものがなければ、宗教法人の範囲には含まれない。
ただし、礼拝のための施設を所有していたとしても、それだけで宗教法人として認証されるわけではない。もう一つ必要なのが、宗教活動の実績である。つまり、宗教団体の所有する礼拝の施設が、実際に宗教活動に使われていなければ、宗教法人としては認証されないのである。
宗教活動を実践していれば、そこを定期的に訪れる会員が生まれる。そうなければ、会員から会費を徴収したり、献金をしてもらったりするわけで、会員の名簿などができる。会員に対しては、宗教団体の活動を絶えず紹介する必要が出てきて、会報などが発行される。そうした名簿や会費などによって、宗教活動の実績が証明される。
・また、宗教法人には役員が定められていなければならない。役員の中核になるのが「責任役員」で、1つの宗教法人には3人以上の責任役員が必要である。責任役員のなかからは「代表役員」が選ばれる。代表役員には、寺の住職、神社の神主、教会の牧師、あるいは教祖など、団体の中心となる人物が就任する。
<税法上は僧侶もサラリーマン>
・宗教法人にかんして、つねに一番問題になってくることが税金である。宗教法人の不動産に対しては、固定資産税は課税されない。法人格があるために、相続税の支払いの必要も生まれない。さらに、宗教活動からの収入についても課税されない。
・宗教法人が事業場を設けて、継続的に事業を営むときに収益事業と見なされ、課税の対象となるわけだが、宗教法人による収益事業の税率は、一般事業の税率に比べて低くなっている。課税所得が800万円を超える場合、一般事業では税率は25.5パーセントだが、宗教法人の収益事業は15パーセントである。
・また、もう一つ課税されるのが、給与に対してである。寺の住職や神社の神主、教会の牧師や神父、教団の本部職員などは、宗教法人によって雇用される形になっていて、給与が支払われている。その給与については、源泉所得税がかかるようになっている。これは一般の企業と同じである。
・つまり、寺の住職などの宗教かの場合、給与を支払ってもらい、それで生活するという点で、サラリーマンと変わらない。僧侶がサラリーマンと考えられることはないが、税法上の実態は同じである。
・それに、法人として課税されないのは、宗教法人だけではない。社会福祉法人も学校法人も、さらにはNPO法人も収益事業を行わなければ課税されないし、固定資産税などについても非課税である。
<檀家からみれば課税はもってのほか>
・企業が課税されるのは、自分たちが出した金ではなく、客などが支払った金を、給与など自分たちのために使うからである。つまり、他人の金を自分たちのために使えば課税され、自分たちの金を自分たちのために使っても課税されない。
それは、社会福祉法人の場合も、学校法人の場合も同じである。支払う側と使う側が一致していれば、課税の余地はない。
これと似た例としては、同窓会の場合がある。同窓会では、同窓生が金を支払い、それを自分たちのために使う。そのために課税はされないのである。
<寺や神社の持続性を保証>
・宗教法人法が必要とされるのは、基本的に、寺や神社の継続性を保証するためである。そのために、法律にもとづいて、宗教法人として認証され、継続を可能にする基盤を与えられる。だからこそ、宗教法人には課税されないのである。
・宗教法人が存在するからといって、自動的に金が入ってくるわけではない。宗教法人のメンバーである信者や信徒が何らかの形で金を出してくれなければ、収入は確保されない。収入がなければ、その宗教法人は維持されない。
<宗教活動と収益事業の関係>
・宗教法人を維持する上で、案外難しいのが、宗教活動と収益事業との関係である。
・2022年現在のところでは、ペットの葬儀は宗教活動としては認められず、収益事業として課税の対象になっている。最高裁は、課税とり消しを求めた訴訟で、ペット供養を収益事業として認めた。ただし、動物供養の寺として名高い東京・墨田区の回向院(えこういん)についでは、その開創以来、351年間、動物供養を行ってきたということで、裁判を通して固定資産税と都市計画税の課税がとり消されている。
・それに、交通事故などで、飼い主とペットが一緒に亡くなり、その葬儀を同時に行ったとしたら、そのときはどうなるだろうか。飼い主の葬儀については宗教活動とし、ペットの葬儀については収益事業として、同じ一つの葬式を分割するわけにもいかないだろう。そこには、相当に難しい問題がつきまとっている。
<経済から見た昔の宗教>
・宗教法人に対して課税すべきだという声が上がるとき、それを主張する人たちは、大規模な新宗教や、有名な寺社など、たくさんの人が集まり、その結果、多額の金が入ってくるような宗教法人のことしか考えていない。
・宗教活動から上がる金だけで、組織を維持することは容易ではない。だからこそ、収益事業が認められているわけだが、プロでもない人間が、それほど簡単に事業から収益を上げられるわけではない。
それに、宗教活動から上がる収入に課税するといったとき、そもそもそれが技術的に可能かどうかが問題になる。
宗教法人法は戦後の1951年4月3日に施行されているが、1995年にオウム真理教の事件が起こった後、1996年に初めて大幅な改正がなされた。
<明治維新で経済基盤が崩壊>
・ただこうした体制は、日本が近代を迎え、江戸幕府に代わって明治新政府が誕生したことで根本から改められるようになる。
・この興福寺に限らず、奈良の有力寺院は、軒並み大きな影響を受けたが、とくに、それまで各寺院を支えてきた「寺領」と呼ばれる土地が国によって奪われたことが大きかった。このときには、寺院だけではなく、神社の土地を奪われたものの、国は、神道による国造りをめざしていたために、有力神社については国が財政的な援助を行うこととなった。これによって、神社の経済は安定したものの、寺院の経済は危機的な状況に立ち至ったのである。
<「企業努力」が求められる現代>
<熱狂>
・新宗教に膨大な金が集まるのは、「熱狂」ということが深くかかわっている。
これは、高度経済成長の時代に創価学会などの新宗教が膨大な数の人間を集め、巨大教団に発展していった時代に典型的な現象だった。教団に次々と会員が入ってくれば、組織全体がそれに熱狂する。
・イスラム教では、毎年一度訪れるメッカ巡礼に、250万人もの参加者があるとされる。その数が事実であることは、メッカ巡礼を報道した映像が示している。それだけの数の仲間が同時にカーバ神殿にむかって礼拝を行うわけで、巡礼者は、イスラム教という宗教が世界に膨大な数の仲間を持っていることを実感する。
・フランスの宗教社会学者であるエミール・デュルケムは、宗教の起源を「集団的沸騰」に求めた。伝統的な社会に生きる人々は、乾期と雨期で異なる生活をしていた。乾期には、皆でばらばらに狩猟採集にあたり、雨期には集まって祭に興じる。その祭は、酒も入り、熱狂的なものに発展していく。そのとき、祭の参加者は、自分たちを超えた神の存在を実感したというのである。
・熱狂状態にあるとき、人は我を忘れる。熱狂のなかにすっかり取り込まれ、人格まで変容をとげる。そうした熱狂は宗教だけが与えるものではなく、スポーツの試合やロックのコンサートでも生まれる。試合やコンサートはそのときだけだが、宗教の場合、その勢力が拡大し続けるあいだは熱狂が継続される。そして教団の拡大は、そのメンバーとなった自分が成功をおさめつつあることを意味し、信者の人生に意味を与える。
信者が多額の献金を行うのも、そうした熱狂があるからである。稼いだ金でモノを買えば、豊かな生活を実現できるかもしれない。だが、発展し続けている宗教教団に献金することほど、人を熱狂させるものはない。金は世俗の世界に属するものであり、それにしがみついているのは執着に過ぎない。そうした感覚も、信者に多額の献金を促すことに結びつく。世俗の生活よりはるかに価値のある宗教に金をつぎ込むことは、当人にとって至高の価値を持つことになるのだ。
・問題は、そうした宗教のもたらす熱狂がずっとは続かないことである。熱狂が醒めたとき、それまで熱狂のなかにいた人間は、目を覚ます。そうなると、もう二度と熱狂した状態には戻れない。そして、教団が決して「夢の国」ではないことに気づくのだ。
・そして、場合によっては、自分がいた教団を批判し、攻撃する側にまわる。ときには、献金した金を返還してくれるよう裁判に訴えることもある。熱狂が去った後に信者が減ることも問題だが、訴訟などが起これば、それだけで教団のイメージ・ダウンにつながる。熱狂は多くの信者を集める最高の武器にもなるが、永遠には続かないため、致命的な副作用をもたらすことになる。
・今、ほとんどの新宗教教団は、信者の高齢化の問題に苦しんでいる。一時の熱狂が多くの入信者を生むことにつながったが、その後が続かなかったのだ。信者が増える勢いもすさまじかったのが、逆の局面になると衰退の勢いも激しいものになっていかざるを得ない。
・さらに新宗教では、その先頭に立つ教祖の存在が大きい。初代の教祖がまだ生きていて、信者の前にその姿を現すなら、信者もこころを奮い立たせることができる。ところが、教祖が亡くなったり、信者の前に姿を現さなくなると、教団は一気に求心力を失う。教祖を神格化するにしても、それには限界がある。
新宗教そのものが一時の熱狂の産物である。その熱狂は継続せず、巨大化した教団もやがては信者の減少という事態に直面する。逆に言えば、だからこそ、急激な拡大が可能だとも言える。
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