その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。(1)

(2022/12/29)

『自民党 失敗の本質』

石破茂 村上誠一郎 内田樹 御厨貴 前川喜平 古賀茂明

望月衣塑子 小沢一郎 

宝島社   2021/10/22

<長期政権>

・「自民党は、日本そのものといえる“その他大勢”の政党なのです」

・しかし今、私たちの目の前の「与党・自民党」は、見る影もなくやせ細っている。「一強体制」といわれた安倍・菅政権の9年を経て、異論を許さず、議論を求めず、ひたすら上意下達、官邸主導で決まった物事に唯々諾々と従う“株式会社”自民党ができあがってしまった。「冷や飯」を食う覚悟がなければ、党内で異論を唱えることさえ許されない空気が蔓延した。行政権力が官邸に集中することで、同様の空気が霞が関にも波及した。

<時計の針を止めてしまった安倍・菅の9年間 御厨貴 >

<言葉のない自民党が選挙に勝ち続けた要因>

――一体なぜ、言葉を持たない自民党が選挙で勝ち続ける状況になってしまったのでしょうか。

御厨 自民党が政権に返り咲いた2012年末の総選挙で、民主党が負けすぎたというのが大きい。公示前の約4分の1、わずか47議席しか民主党は獲得できませんでした。2009年に自民党が負けたときでも119議席は残していましたから、これは党が崩壊するほどの歴史的な大敗北だった。

・そのうえ、民主党の中には言葉の能力の高い人たちもいましたが、その能力を回顧録に注ぎ込んでしまったのです。当時、口述記録をつくりたい、回顧録を書きたいという民主党の議員たちが大勢いました。

・昔の野党には、報道陣も驚くような新しい材料を仕入れてきて、ロッキード事件やリクルート事件の疑惑を追及した社会党の楢崎弥之助議員のような政治家がいました。自分たちの将来構想に基づいた深みのある政策批判も出ていました。

<若手議員から言葉を奪った安倍一強>

――国会の場だけでなく、自民党内でも議論がなくなったという指摘があります。

御厨 無理もありません。当選1~3回あたりの衆議院議員は、安倍さんの顔で当選してきた政治家ばかりです。安倍さんの顔と並んでいるポスターがあれば自動的に当選できたのです。

 かつて安倍さんが「小選挙区で戦うのは大変だから、地盤が安定していない若い人は政策のことなど一切考えるな。選挙に勝つことだけ考えておけ。政策については、選挙の心配のない長老が全部考える」とはっきり言っていました。

――自民党内で語る言葉がなくなったことの弊害は?

御厨 かつての自民党議員は危機に直面した時、党内で反対勢力をまとめて党刷新を目指す会をつくるなど、党内運動が活発でした。しかし、選挙至上主義が広がるにつれて、反対派も賛成派も党内運動ができなくなってきています。これは政党として末期的な状態です。

――今や、代わらず筋を通している政党は共産党しかないのでは、といった声もあります。

御厨 実際に共産党は勉強していますからね。共産党本部には資料室があり、そこにはおよそ13万冊の蔵書が揃っています。そのほか、党付属の社会科学研究所にも2万冊もの蔵書があるそうです。しかも、今話題の出来事を理解するには、この本を読むように、この雑誌や論文を読むように、といった具合に、党に党内で学びを共有しています。

・でも、昔の自民党議員は、党内に図書館などなくても、みんなきちんと勉強していましたよ。今やコツコツと勉強している議員は少数派でしょう。そこがおかしいのです。

<野党時代は政策を磨くチャンスと捉えよ>

――ポストコロナを見据えて政治はどんな議論をすべきなのでしょう。

御厨 コロナ感染拡大防止策と経済政策の画面からの議論がさらに重要になります。コロナ収束の目処が立たないなか、感染をできるだけ増やさず、しかし経済を回していかなければならないため、難しい舵取りになります。

――創造性のある議論ができる政治家はいるのでしょうか?

・安倍さんが再選された時から、時計の針は止まっています。まるで元老のように安倍さんがいまだに力を持っていて、元総理の麻生さんが今でも副総理の座にいる。二階さんも、5年もの長きにわたり幹事長として時計の針を止めてきた。結局、このような長老支配が続いている限り、今の自民党に新しい時代を切り拓くような若手は出てこないでしょう。

<世襲制をやめて公募で人材を集めよ>

――よい人材に政界に入ってもらうにはどうすればよいでしょう。

御厨 自民党が自己改革を目指すならば、これまでのように2世、3世議員が当然のように後援会を引き継いで選挙にすぐ勝つようなやり方は改めるべきです。

 公募で候補を探すのも一つの手でしょう。公募ではろくな人材は集まらないという意見もありますが、そうした新しいことでもやらない限り現状は改善しない。

・現実にある問題を解決することが政治です。どんなに政治以外の分野で頑張っても、政治にしか解決できない問題に直面します。つまり、政治を変えなければ、本質的に日本は何も変わらないということです。

<「選挙=市場の信任」だと錯覚した“株式会社”自民党 内田樹>

・むしろ、トップダウン方式だからこそ稚拙な対応しかできない日本になってしまったと語るのは、内田樹氏だ。

――菅内閣の支持率は下落の一途を辿り、2021年8月の報道各社の支持率は30%を切りました。この1年間の菅政権の動きをどのように評価されていますか。

内田 随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。ひと昔前だったら内閣が吹っ飛んでしまうような事態が、第二次安倍政権以降何度もあったけれども、ここまでひどい内閣というのは過去に何がなかった。

<「味方がよければすべてよし」というネポティズム政治>

――安倍・菅両氏が、国民からの支持形成に熱心でないのはなぜでしょうか。

内田 有権者の過半の支持を得なくても選挙に勝てることがわかったからです。選挙をしても、国民の約5割は投票しない。だから、全体の3割の支持を受けられれば選挙では圧勝できる。今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有できる。だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をして、無党派層や反対者は無視したほうがむしろ政権基盤は盤石になる。そのことをこの9年間に彼らは学習したのです。

――つまり、自分を支持してくれる人の歓心を買うことしか念頭になかったと。

内田 敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。反対者からの要望には「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。それが安倍・菅的ネポティズム(縁故主義)政治です。森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議、すべてそうです。

 ネポティズムというのは発展途上国の独裁政権ではよく見られます。

・その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。

<アメリカを最優先に配慮するナショナリストという「ねじれ」>

――彼ら二人が政権の座について実現したかったことは、何だったのでしょうか。

内田 安倍さんの場合はかなり屈折しています。彼の見果てぬ夢は「大日本帝国の再建」です。ただし、一つだけ条件がつく。それは「アメリカが許容する範囲で」ということです。

・大日本帝国の再建のためには何よりもまず日本の統治者であり続ける必要がある。そのためには、アメリカから「属国の代官」として承認される必要があり、そのためには自国益よりもアメリカの国益を優先する必要がある。

――日本社会の根底に、その「ねじれ」が今もあると。

内田 「対米従属を通じて対米自立を果たす」という「ねじれた」国家戦略を戦後日本は選択しました。

<「民間ではありえない」の掛け声が懐の深さを奪った>

――田中角栄の時代には「五大派閥」が互いに拮抗し、「角福戦争」と呼ばれる事態にも発展しました。

内田 僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概があるほうがいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。彼はたちまち越山会青年部の熱心な活動家になった。

<株式会社型のトップダウン方式は政権運営には通用しない>

――党の「株式会社化」はどのようなタイミングで始まったのでしょうか。

内田 90年代の終わりくらいからですね、「パイの分配方法」がうるさく議論されるようになったのは。

・その時に、「社会的有用性・生産性・上位者への忠誠心」を基準にして資源は傾斜配分すべきだということを小賢しいヤツらが言い出した。

・株式会社化というのも、この時に出てきた「格付け」趨勢のひとつの現れです。株式会社では能力よりも忠誠心が重んじられる。

・忠誠心とイエスマンシップを勤務考課で最優先に配慮する。これが株式会社の人事の最大の弱点なんですが、「株式会社化した自民党」もこの弊害を免れることができなかった。

――トップダウンによる意志の統一は、一見、組織を強くするように思えますが。

・では、何が「マーケット」かというと、それは「次の選挙」です。次の選挙で勝てば、それは政策が「マーケット」の信任を得たということであり、政策が「正しかった」ということを意味する。

――コロナ対策についても、さまざまなミスが検証されないままですが。

内田 トップダウンの政体では、失政についての説明は常に同じです。それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだのでうまくいかなかった」というものです。

内田 再び経済大国になる力はもうありませんし、政治大国として指南力を発揮できるほどのヴィジョンもない。「穏やかな中規模国家」として静かに暮らしていく未来を目指すというのが現在の国力を見る限りでは一番現実的だと思います。

<日本人全体の幼稚化が稚拙な政治を招いた>

――こうした社会変革は、現下の自民党政権では不可能なことなのでしょうか。

内田 いや、そんなことはないと思いますよ。失敗を認めればいいんですから。そうもこの30年ほど「ボタンの掛け違い」があったということを認めればいい。あらゆる組織は株式会社をモデルにして再編すべきだとしてきたことが日本の没落原因だということに気がついて、「もうそれはやめよう」ということに自民党内の誰かが言い出したら、僕はその人を支持しますよ。

 これからの日本は長期にわたる「後退戦」を余儀なくされます。

<「言論空間」の機能不全が自民党を脆弱化させた  石破茂>

・議会制民主主義を機能不全に陥らせないためには、異論との対話、野党との議論こそ丁寧にすべきとの「原則」に忠実であろうとした結果、党内で「冷や飯」を食わされているともいえる石破茂氏。第二次安倍政権から菅政権まで、この9年間の自民党をどう見ているのか。

――菅首相のお膝元の横浜市長選(2021年8月22日投開票)、党をあげて応援していた小此木八郎さんが大差で野党推薦候補に敗れたという結果は、党内ではどのように受け止められたのでしょうか。

石破 私は2度、応援に入りましたが、ひしひしと“冷たさ”を感じました。

・選挙というのは、動員をかけて大きなホールなどに人を集めたところで、何も現実は見えてきません。選挙カーに乗り、自分でマイクを握って走り回る。街頭に立つ。私は選挙というのはそういうものだと思って常にやってきましたし、そうやって有権者と直接向き合うことが自民党の真髄だと思っているけれど、そうしたものが減ってきましたね。

 まだ中選挙区制だった1986年、私が最初の選挙に出た時に田中角栄先生から言われたのが「歩いた家の数、握った手の数しか票は出ないんだ」ということ。小選挙区だろうが中選挙区だろうが、知事選挙だろうが市長選挙だろうが、町議会議員選挙だろうが同じだと思っています。

――有権者との関係が遠のいたのは、党内でうまく立ち回りさえしておけば、党の公認をもらって比例名簿に入れてもらって、まず議員の席は安泰だろう、というような選挙のあり方も関係しているのでしょうか。

石破 そうだと思いますし、小選挙区制度の弊害は私が幹事長の時代からずっと指摘していることです。

<当選11回という自信が信念を後押しする>

――党議拘束というものについて、どのようにお考えですか? 閣僚だけでなく、自民党の国会議員としてものが言いづらいという状況が組織内部にあるとして、一方で、党議拘束というものも当然あるわけですが、そのバランスをどう理解されますか。

石破 議論を尽くして民主的なプロセスを経た上であれば、組織の一員である以上、組織の決定には従わなければいけないと私は思っています。

・ところが、今の自民党においては、そうした議論がほとんど起こりません。かつては侃々諤々、2時間、3時間の総務会もザラでしたが、今は誰も何も言わない。発言するのは、村上誠一郎さんと私ぐらいだったのじゃないでしょうか。正論であればあるほど、言うと角が立つという感じですからね。

――正論を共有できる党内の仲間は、今でもいますか。

石破 まだいますよ。少なくなっていますが。しかし、正論を唱えることが、今の自民党内で自分のポジションを確保することにはつながらないのですから、仕方ないでしょう。人間は損得で動く動物ですから。そもそも、損得を考えたら、うちのグループ(水月会)にはいないでしょうしね。

 私も村上さんも1986年の当選同期なんですね。当時は46人の同期がいましたが、これまで連続で当選11回というのは、もう村上さんと逢沢一郎さんと私だけじゃないでしょうか。選挙に強いから、言うべきことが言えるということもあるのかもしれません。

 村上さんは、今までの議員生活でずっと正論を言い続けてこられました。私もそうありたいと思っています。

――ただ、入閣することが自己目的化している?

石破 私だって、当選5回の45歳で初めて大臣になった時、それはうれしかったですよ。

<自民党は「その他大勢」という日本そのものの政党>

・立憲民主党を見ていても、日本維新の会にしても国民民主党にしても、自民党に代わって責任を狙っていける党なのかどうか疑問です。そもそも、今の自民党の一強体制が生まれたのは野党の無能ぶりによるものであって、日本にとって大変不幸なことだと思います。

<言論空間不在のままの安保政策に危機感>

――護憲派といわれる人たちの対話にも積極的です。

石破 私は9条だけが憲法の論点だとはまったく思っていないのですが、9条については全面改正すべきだと言っています。ある意味でライフワークだと言ってもいい。

・今、「自衛隊は軍隊ではない、なぜなら必要最小限度だから」という解釈でこの国の防衛は成り立っています。しかし、そんなまやかしをいつまでも言っているから、国際社会での理解も得られない。ところが「石破さん、あんたの言うことは普通の人には難しいんだよ」なんて言う。そんなに難しいことを私は言っていない。相手を説得する気がないから、そんなことを言ってごまかしてしまうのです。

――個別的自衛権の行使ならば、というのが共通の前提になりそうですが、そこの議論も、まだ十分に尽くされていません。

石破 同じ敗戦国でも、ドイツは日本とまったく逆で、個別的自衛権は行使しないこととしています。ナチスドイツの反省として、ドイツの国益のみで軍事力を行使してはいけない、と。ですから、他国と協調する集団安全保障、いわゆるNATOですね、ドイツ軍はそれしか参加しない。日本と真逆です。また、今は停止していますが、長年、ドイツは徴兵制を維持してきました。私は、2度ほどドイツに行って意見交換して回ったのですが、その理由を尋ねたところ、軍人である前に市民であれ、ということなんだと言うのです。

<愛をささやく情熱をもって言葉を尽くしたか>

――そうした保守の本懐を自民党が取り戻せるでしょうか。

・私は1986年の最初の選挙で渡辺派から出馬しましたが、田中派から渡辺派に円満移籍した当時、渡辺美智雄先生から聞かされた話があります。

「何のために国会議員になりたいのか。カネのためか。先生と呼ばれたいからか。いい勲章をもらいたいからか。そんなヤツはここから去れ。勇気と真心を持って真実を語る。それ以外に政治家の仕事はない」

 なんだか当たり前のことのようですが、これが私の政治家としての原点なのです。

<自由闊達な議論がなくなれば民主主義は容易にファシズム化する 村上誠一郎>

・安倍一強が続き、執行部に物言えない空気がただよう自民党内において、異論を唱え続けた数少ない自民党議員の一人が村上誠一郎である。

――第二次安倍内閣以降、菅政権までの9年足らずで、自民党に何が起きたのでしょうか。

村上 率直に言って、安倍・菅政権は、自民党のすばらしいところを全部壊してしまったといえます。私が35年前に愛媛2区から衆議院議員に初当選した当時、自由民主党は文字どおり自由闊達で、1年生議員であろうと10回当選した議員であろうと変わりなく、部会や委員会で平等に、自由に発言できました。

・ところが、今や党幹部に意見する人間、官邸の意に反した発言をした人間は人事で登用されません。そのために党内から自由な議論が消えてしまった。

――自由な議論を封殺するような空気が蔓延してしまったということですか?

村上 ここ7、8年はそれが顕著ですね。理由は明白で、すべて官邸主導になってしまったからです。本来、政策決定のプロセスというのは、官僚も政治家も、さまざまな意見を出し合うべきなのです。

・内閣人事局が人事権を行使して官僚からの意見を封じ込めました。一方、政治家に対しては選挙の公認とポストの人事権で党執行部に対する党内の批判も押さえ込みました。

 それがもっとも端的に表れたのが、閣議決定によって法解釈を変更し、強引に押し通した東京高検検事長の定年延長問題でしょう。

――その後、解釈変更を正当化するような形で検察庁法の改正案が提出されました。

村上 強引に法律の解釈をねじ曲げて、改正法案をあとから提出しました。それに対して党の総務会で最後まで反対したのは、結局私一人だけでした。そして法案がそのまま国会に提出されてしまったわけです。が、ご存じのように元検事総長やマスコミもこれは大問題だと取り上げて、世論の反対の声が巻き起こって廃案になりました。ここは民主主義がかろうじて機能した結果でしょう。

<選挙と人事権と政治資金を握った者は、誰でも一強となりえる>

――なぜ自民党から議論が消えてしまったのでしょうか。

村上 やはり小選挙区制になったことが大きいと思います。それまでの中選挙区制では、それなりに広い選挙区で当選者も複数いたわけです。中選挙区では、みんな自分で組織をつくり、支持者とともに選挙区で戦ってきました。ところが、小選挙区制になって何が起きたか。党の公認と比例名簿の順位、これらすべてを党の執行部に握られてしまった。

 党の公認を外される厳しさが一気に具現化したのが、小泉政権の郵政民営化選挙でした。

・しかも、比例名簿の順位も能力などの客観的な基準があればいいのですが、非常に恣意的で、執行部に対する忠誠心で決まってしまう傾向があります。

・党執行部の独裁が強まるにつれて派閥も弱体化しました。これにより、新人の育成や政策の立案といった、それぞれの政治家が足腰を鍛えるチャンスが失われた。さらに公的助成金、党の資金、そして官房機密費といった資金もすべて、党幹部と総理総裁に一極集中しました。選挙とポストと資金を握られたら、政治家はもはや喉元を抑えられたも同然です。言いたいことを言えなくなってしまいます。

 つまり、「安倍一強」などといわれてきましたが、このシステムがある限り、安倍さんであろうが誰であろうが「一強体制」はできてしまうのです。

――結果として、おかしいと思っても党内で声をあげることが難しくなった。逆にいえば、なぜ、村上さんは今でも党幹部を批判する声をあげることが可能なのでしょう。

村上 私は党の執行部に選挙で頼る必要がないからです。公認がなかったとしても選挙区で戦うことができる。

・今は100年前と世界の状況が似てきているので、私は大変危機感を持っています。100年前に何が起きたか。スペイン風邪の世界的大流行ですね。当時、18億人程度の世界人口のおよそ半数近くが感染し、5000万人以上の方が亡くなったといわれています。当時は人口が急激に減少することで経済も縮小し、1929年に大恐慌が起こりました。こういった危機に直面すると、国民は政府に全面的に頼ろうとして全権を委任し、結果としてファシズムが台頭します。

 翻って現代。世界人口79億人のうちコロナウイルスによって亡くなったのは463万人(2021年9月14日現在)といわれていますから、当時のスぺイン風邪ほどの規模ではありませんが、とはいえ変異種などが次々と出てきて今も感染拡大が世界規模で止まりません。

<政治には知性・教養・品性が必要>

――結論ありきですべての議論が進んでいたような印象を受けました。

村上 閣僚から党三役まで、みんな総理のイエスマンになってしまいましたからね。

・同じ考えのお友だちかイエスマンだけで構成された党に、ダイナミックな政策やビジョンのある政治は望めません。

<右寄りの派閥政治が続き、復元力を失った自民党>

――自民党内の間違った人事が、組織を硬直化させてきたということ。

村上 もう一つの重要な視点が、安倍さんの母体である清話会。清話会というのは、自民党のライトウィングでしょう。もともとも自民党には「振り子の原理」が働いていました。

――本来の自民党のよき伝統が崩れてしまった。

村上 それまでの自民党は、難しいポストで、一生懸命汗を流した人を人事で登用するという流れがあったのです。ところが今や、お友だちか同じイデオロギーの人か、総理一族かイエスマンしか登用しなくなりました。広島選挙区の河井克介・案里夫妻を見てもわかるとおり、忖度していれば他候補の10倍もの政治資金とともに議員の椅子が用意されるし、閣僚のポストももらえるわけです。そのような状況で誰が真面目に仕事をする気になりますか?結局、安倍・菅政権は自民党のよき伝統を破壊してしまったのです。

 ――このままでは自民党から人材がいなくなるという危機感はありますか。

村上 しかし、永田町は小選挙区制度の下、この20数年間でどんどん劣化してしまいました。官僚も内閣人事局による人事の運用で忖度官僚が蔓延してきました。

<内閣人事局による官僚支配でコロナ対策も失敗>

――コロナ対応においては政治主導で官僚の能力を十分に発揮してもらうことが重要だったと思われますが、そこがうまく機能しなかったのはなぜでしょうか。

村上 官僚の知識や経験や能力をうまく使うのが本来の政治主導ですが、菅氏は官房長官時代から人事で官僚を抑え込もうとしてきました。本来の政治主導とは違う趣旨で官僚に言うことを聞かせてきました。内閣人事局によって官邸が人事権を広く掌握したことで、官僚は官邸の望む政策に迎合せざるを得なくなった。

<権力に酔った「官邸の暴走」が招いた茶番政治 前川喜平>

――具体的には、古きよき自民党とは。

前川 自社さ連立政権で、私は与謝野馨文部大臣の秘書官を務めていましたが、今も記憶に残っている与謝野さんの言葉があります。「君たちは、自民党と社会党が組んで連立政権をつくるなんて、夢にも思ってなかったろう。しかし、自民党と社会党はそんなに違う政党じゃないんだ。実は社会党が主張してきた政策を取り入れながら、自民党は生き延びてきたんだ」というものです。

<派手な印象だけの9年、過ぎてみれば「焼け野原」状態に 古賀茂明>

・第二次安倍政権以降、菅政権までの9年間は「忖度政治」の時代であった。強権をちらつかせ官僚人事を意のままにするなかで、官僚自らが「官邸のご意向」に沿うように行動し始めた。

――安倍元首相は2006年から始まった第一次政権の際、公務員制度改革に着手しようとしていました。2012年からの第二次政権ではその方針を転換したのでしょうか。

古賀 「公務員改革に手を付けて失敗した」という安倍さんの個人的な思いも相まって、官僚の利権には一切手を付けないようになった。第一次政権と第二次政権はこれほど大きな違いがあったのです。

――第二次政権では、目立った制度改革はあまり実現されなかったように思われます。続く菅政権はどうだったのでしょうか。

古賀 菅さんはもっと「改革」という言葉が好きで、自分は改革の伝道師だと思っている節があります。とくに「守旧派官僚」と戦う姿勢を取ることが大好き。

――掛け声とは裏腹に、本質的な意味での改革には着手しなかったと。

古賀 第二次安倍政権・菅政権では、行政改革、公務員制度改革もまったくといってよいほど進展はありませんでした。

・後に述べる「内閣人事局」もつくりはしましたが、本来の目的とはかけ離れた使い方しかできませんでした。

<アメとムチの支配に踊らされたメディアの責任 望月衣塑子>

<フリーハンドを失わせる記者クラブ制度>

―― 記者クラブ制度は、実際に報道する側にとって必要なものなのでしょうか。

望月 事務次官や局長、審議官などにアポなしでも電話したり突っ込んだりできますので、参加している記者にとって楽な制度だとは思うんです。加えて、例えば難しい政策などを出す時に、事前にポイントをきちんとレクチャーしておく、というような意味で情報を出すこともあるそうです。

・でも、そうなるとどうしても、お上中心の報道になってしまいます。向こうが発表した情報を、そのレクチャーどおりにまとめているだけでは、結果として横並びの報道になってしまいますし、そこに依拠してしまうと、権力が出そうとしない内側の情報を明らかにしていくという本質的なジャーナリズムが機能しにくくなってしまう。

<信念を語る政治家はなぜ自民党から消えたのか  小沢一郎>

・二大政党による政権交代こそが政治改革を前に進めるとの信念で、50年以上にわたる政治家人生を歩んできた小沢氏は、今の自民党及び野党をどう見ているのか。

――今回、コロナ禍でのオリンピック開催という不運が安倍・菅政権を直撃しました。

小沢 不運が直撃したというより、自分たちがオリンピックにしがみついたというべきでしょうね。

・それが、オリンピックありきで検査を増やそうとしませんでした。オリンピック利権を優先したために、決断を下せなかった。こういった無責任体質は何もこのオリンピックだけではありません。

<「民のかまど」を優先するという政治理念が失われた>

――「民のかまど」を優先するという政治理念が失われた

小沢 いや、ずっと同じような無責任体質が続いてきたと思います。とはいえ、かつては古きよき時代、右肩上がりの高度成長の時代でしたから、多少いい加減にやっていてもボロが出ないで済んだというだけです。

――冷戦終焉後の舵取りに失敗してしまった?

・ところが、これが一気に変質してしまったのが小泉政権以降でした。自由競争第一、市場原理第一、優勝劣敗という新自由主義的な考え方が蔓延し、強いものが勝ち残ればいい、となってしまいました。

 

・でも、この新自由主義の勢いは止まらなかった。すべてが競争第一のなかで進んでいき、非正規雇用が一気に増加して雇用が不安定化してしまいました。さらに、少子高齢化は大変だ、財政規律を重んじなければいけない、という掛け声とともに、増税などで国民の負担は増える一方、給付は削られました。

<「財政規律」という財務省の強烈なマインドコントロール>

――分厚い中間層が消えてしまったという実感はたしかにあります。

小沢 小泉さんは特定郵便局と旧田中派を潰したかっただけでしょう。そして実際に、強者の論理で多くのものを壊してしまった。公平平等に主眼を置いていた自民党を、完全に変質させてしまったのです。

――しかし、現実に税収が右肩上がりの時代は終ったわけですから、一定の競争力がないものは淘汰されてもやむなしという意識は根強いです。

小沢 しかし、EUを見てください。EUも財政赤字をGDP比3%以内に抑えなければいけないという財政規律でやってきたけれども、今度のコロナ禍で、そのような規律をとっぱらったでしょう。

・そういった反省から、赤字国債には一定の制限がかけられているわけです。しかし、発行した国債が国内で消化されている限りは経済の崩壊につながることはないといわれており、実際に日本の場合、95%近くが国内で保有されています。だから暴落して、ハイパーインフレに陥るおそれも今のところはないのです。

 そうした財政論にきちんと基づいて、財務省の「財政規律」というマインドコントロールに打ち克たなければならないと思っています。

<「自助」を突きつけられてなお、「お上主導」の思考停止>

――しかし日本には、急激な少子高齢化という大きな重荷がありますが。

小沢 そうです。このままでいくと、日本の人口は恐ろしい勢いで減少していきます。2100年には日本の人口は現在の半分以下になるともいわれているようです。

――しかし、菅さんが総理就任早々に掲げた「自助・公助・共助」に象徴されるように、まずは自己責任でなんとかしないと、という空気が社会に蔓延しました。

小沢 ところが、こんな状況になってなお、「お上主導」の意識が抜けない人が少なくないでしょう。最終的には、「お上」が決めたことに従うしかないんだと思考停止してしまう。しかも、その「お上」といって頭に思い浮かべているのは、政治家ではなく官僚です。自分たちが選んだ代表ではなく、霞が関のお役人たちが決めてくれるものだと思っている。

<所詮、首相の器ではなかった菅氏の混乱ぶり>

――政治主導という観点で、安倍・菅政権の官僚との関係性についてお聞きしたいのですが。

小沢 官僚制の打破といって内閣人事局で官僚人事を支配したわけですが、人事を直接政治家がいじるのは、あまりいいことではありません。もちろん、すべて官僚の仕事を厳正にチェックして、おかしな部分を是正することは重要です。しかし、あとは当たり前の人事を当たり前にやっておけばいい話なんです。

<10万人の選挙区からチャーチルもサッチャーも生まれた>

――政治家の萎縮の原因に小選挙区制度があるのではという指摘がありますが。

小沢 すぐ、小選挙区制度が政治家をダメにしたと短絡的に言う人がいますが、それはものを知らなすぎると思います。イギリスは、日本でいうならば明治期以降、ずっと小選挙区制度でやってきています。国民投票などで改正も検討されましたが、イギリス国民は小選挙区制度の維持を選択しました。

 日本の小選挙区における有権者数はおよそ30万から50万人ですが、イギリスは全土を650ほどの小選挙区に区割りしており、一つの選挙区における有権者の数は10万人にも満たない。

――では、一体なぜ、多様な議論が自民党から消え失せて、党が変容してしまったのでしょうか。

小沢 政治家本人の資質の問題でしょう。選挙において党本部のコントロールが厳しいから、自分の意見が言えないという指摘は当たらない。なぜなら、先ほども言ったように、党本部と関係なく自分の選挙区では票が取れるという人たちも口をつぐんでいるからです。選挙に強い人たちも議論をしようとしなくなっている。

――自民党に近年にない逆風が吹いていますが、野党の見通しは?

・立憲民主党も、朝から晩まで会議をして理屈ばかり語っているだけではダメです。総選挙では勝てません。こっちが会議している間、自民党の議員は必死になって選挙に向けた運動を展開しています。有権者と直接接触することの重要性がわかっているからです。

 もちろん政策を訴えることは大切です。訴える際に、ただ単に理屈を並べるのではなくて、地元で一生懸命に訴えている姿を見せて、具体的なつながりをつくっていくことが重要。有権者は、1期目や2期目の候補者に、壮大な政策がすぐに実現できる力など期待していません。必死になって汗を流そうとしているかどうかを見ているのです。

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