日本はいま、やがて第三次世界大戦と呼ばれるであろう戦争の攻撃対象国となっている。(3)

<儀式的殺人の錬金術>

・『フリーメーソンの操心術』の共同執筆者で、世界で最も注目に値するケネディ暗殺の権威のひとりマイケル・ホフマンは、こう説明する。

「集団心理学を学ぶ者にとってその理由は明白だろうが、ケネディの暗殺がテレビで報道され、衝撃を受けたアメリカの人々はほとんど即座に退化しはじめた。この変容を示す指標はいくつもある。1年もたたぬうちに、多くのアメリカ人は柔らかい自然な色合いのコットンの服から、どぎつい色のポリエステルを好むようになった。流行の音楽はより大きく、テンポが速く、耳障りなものになり、麻薬が初めて自由奔放なサブカルチャーのゲットーの外に出て、一般市民のなかへ広がっていった」

・「暗殺者たちはまんまと逃れ、ウォーレン委員会は事態を取り繕うことに終始し、大統領の暗殺を命じた男たちは、どこかでカクテルを飲みながら笑っている、という印象を拭えなかった。まるで幻覚のようなあざやかな疑いがアメリカ市民の頭に居座り、恐ろしい戦慄が国中を走った。犯人が誰にせよ、白夜堂々と大統領を殺し、まんまとそれを隠しおおせることができるとしたら、そいつは何でもやってのけられるにちがいない、と」

「国を治めている政府を裏で動かしている陰の政府の存在が、国民の潜在意識に鋭く焼きつき、われわれの現実に幻覚剤がもたらすような暗流を加えた。『オズの魔法使い』の世界にようこそ! それもこれも、オズワルドとルビーの背後にいる人物のおかげだ」

「アメリカの一般大衆の意識のなかで、この国の最高権力は国民に選ばれた大統領という公の権力から、それをあっさり抹殺する力を持つ選挙によらぬ見えないグループへと移った」

・「1826年に作家ウィリアム・モーガンがフリーメーソンに暗殺されて以来、アメリカの国民は隠れた力がこの世を支配しているというめまいのするような現実と直面せざるを得なくなった」

・「半覚醒状態の『夢見る』一般大衆をこんなふうに覚醒させたことは、あらたな幻影を生む原因となった。現実とは正反対の新しい“現実”をぶつけて人々に衝撃を与えるのは、秘密政権が昔から使ってきたシナリオなのだ。錬金術的プログラミングのこの局面は秘密政権内部では『喧噪』と呼ばれている。

「いまや、アメリカ人はもうひとつの恐ろしい現実と向かい合うことを余儀なくされた。自分たちの力の及ばない正体不明の影の政権が、確かに存在しているのだ。羊飼のプロセスはますますエスカレートし、前衛的な広告や音楽、政策やニュースが(とくに電子的メディアを通じて)、ときに刹那的に、ときに露骨に、現実の“陰の部分”、道徳的規準に欠けた、過激なセックスと暴力、スピード狂、アングラの“びっくりハウス”を描き出す」

・「宗教、政府、政治、ビジネスの各分野で体制側に属し、指導的な立場にある人たちは、一様にスーツにネクタイを締めて、いかにも物静かな印象を与える。しかし、このイメージこそ、彼らが陰の国家に従属していることをそれとなく暗示しているのだ。これら指導者はこぞって、アメリカ人に対する監視の目を使いこなして、いかなる攻撃をも切り崩してしまうことだ。しかも彼ら自身は、スピード狂や“びっくりハウス”の雰囲気とは無縁なのである」

・ケネディ暗殺の調査官でもあったJ・G・バラードはこう述べている。

「宇宙開発戦争、ベトナム戦争、ケネディの暗殺、マリリン・モンローの自殺が彩る眩しい王国で……ほかに類を見ない錬金術が使われ……感覚と感情が消滅し、愛情が死滅した。そうして変質した想像力は、あの忌まわしい10年間、地球という病的な太陽のように地球という遊び場を支配していた」

「われわれに割り当てられたのはゾンビの役どころ、陰のご主人様に呼びだされ、あっと驚く芝居のなかで、端役や決まりきった役割を演じさせられる。そうして目くらましされ、シニカルで堕落したダブル・マインドを作りだす」

・あらゆる伝統が、どこかの「専門家」、「左手の道を行った兄弟たち」か「黒魔術師」が、道を間違えたと告げている。彼らは苦労して手に入れた知識と洞察力を使い、自分たちの、きわめてプライベートな、しばしばきわめて邪悪な目的をさらに推し進めた。プロパガンダ、集団トラウマ、セレブ崇拝、殺人などのプログラムを。そして文化の元型を適応性のある型に作りなおし、深遠な幻覚体験で現在のだらけた影絵芝居を超え、ぴりぴりしながら次のショックを待っている。

<リアーナ>

・もうひとつの例を挙げよう。エミネムの「モッシュ」のビデオのなかには、プロビデンスの目のイメージが使われている。この「すべてを見る目」は、その起源をエジプトの神話とホルスの目へとたどることができる。多くの人々がこれを、陰から世界を支配している秘密結社の「すべてを見る目」だと解釈してきた。「下院はイラクに870億ドルの予算を承認した」という見出しとともに、その目がビデオのなかでアメリカ人兵士の姿に重ねられている。プロビデンスの目とは、すべてを見る目のこと、イルミナティとグローバル政府のシンボル、また天帝、すなわち宇宙の創造主のシンボルでもあることは、ほとんどの人々が知っている。アメリカの1ドル紙幣にある未完成のソロモンの寺院を表わすフリーメーソンのシンボル、頂点のないピラミッドの上に描かれているからだ。これに関しては、もっと不吉な解釈もある。

<イシスのカルト>

・ホルスの目はエジプトのㇷプトレマイオス王朝の下で生まれた。邪悪なイシス・カルトの一部だった。このカルトを作ったのはデルフォイの神殿の太陽神を崇拝する祭司たちだ。彼らは以前から存在するエジプトの神々、主にバビロニアの古代ギリシャのモデルに基づいて、新しい宗教カルトを作り出したのだ。同じプトレマイオス王朝下で、同じ祭司たちが作った禁欲主義のカルトも、イシス(古代エジプトの豊穣の大母神)のカルトとして半宗教の形をとり、同じイデオロギーを体現している。

 イシス・カルトと禁欲カルトは、アポロ崇拝の祭司たちによりローマにもたらされ、ローマ帝国の主な異教カルトとなった。デルフォイの司祭たちは、イシス・カルトを作るときにエジプトの神々の一部を選び、ギリシャのオルフェウスとデュオニュソス・カルトをバビロンのアポロ・カルトと組み合わせた。ギリシャのオルフェウス(死の)・カルトはオシリス(冥界の王で死者を裁く神)を中心に作られている。エジプトの女神であるイシスは、デュオニュソスの母であり、個人的な所有物として語り伝えられている。オイディプスと近親相姦の神話は、オシリス、イシス、ホルス(エジプトの太陽神)の三神にまつわる話で、フリギアのデュオニュソス・カルトか、それと同等のローマのバッカス・カルトの神話に基づいている。

・フリーメーソンの起源はかつて強大な権力と富を有していたテンプル騎士団とつながりがある。テンプル騎士団のこのモザイク模様は、騎士たちの戦いの旗に使ったボー・シオンと呼ばれた白い四角の上に黒い四角をのせたデザインだった。黒い四角はテンプルの騎士が後に残してきた罪の黒い世を、白い四角はキリストの兵士として受け入れた無垢な命を意味していた。

 秘密結社は、なぜ明らかに見えるところに物事を隠すのか? 彼らの信仰システムによれば、その理由のひとつは、最も差し迫った時代に逆心理を通して世界の政治に影響を与えるためだ。シンボルは所有者の縄張りを示すしるしでもあることを、思い出してもらいたい。

 地球上のあらゆる主な企業を管理し、潜在意識にしろ、はっきり見える形にしろ、フリーメーソンとオカルトのシンボルをメディアにはめ込むことで、秘密結社は自分たちの力を誇示しているのだ。イメージは視覚に訴えるだけではない。一方で意味を伝えながら、もう一方で同時に見る者を混乱させる優れたツールでもある。つまり、心理的攻撃の一形態、そしてその最重要なターゲットは、合理的信念システムをかき回し、犠牲者を不安に陥れることだ。

『JFK暗殺は日本の謀略だった』

オズワルドの陰で蠢く日本の巨悪三人組

グレン・D・デイビス  角川書店   2016/5/2

<陰謀論>

・20年にわたって、私はケネディ暗殺に日本が関与していた可能性を集中的に調査してきた。そして、リー・ハーベイ・オズワルドをはじめとする、この20世紀最悪の犯罪の登場人物たちに、日本人および日本の組織が密接に関わっている痕跡があると確信したのだった。

・冷戦の緊張がピークに達していた時代のアジアにあって最高機密を扱う米海軍厚木航空基地で、オズワルドはレーダー操作担当の若き海兵隊員だった。それゆえ米海軍厚木基地が本書の出発点となる。

・ケネディ暗殺の研究者は二つのグループに分かれる。一つは頭のイカれたオズワルドが単独でケネディを殺したと信じる(単独犯論者)。もう一つはこの暗殺が陰謀によるものだと考える者(陰謀論者)である。多様な陰謀説に対して、たった一つの単独犯説が事実をごまかすことで生き長られてきた。

・単独犯論者はいまだに1964年のウォーレン報告書の結論に依拠しているが、その結論には陰謀論者にも多くの真面目な研究者から異論が出ている。ケネディ暗殺から53年になる今年(2016年)も、新たな出版物が多く刊行されるだろう。

・調査によれば、ますます多くのアメリカ人がウォーレン委員会の結論に不信を抱くようになっている。調査対象の約90パーセントの人が、あのときダラスで陰謀があったと考えているというのだ。アメリカ政府――下院暗殺問題調査特別委員会(HSCA)――も、その可能性を1978年の再調査の中で認めた。

・単独犯なのか、それとも陰謀なのか、議論はとどまるところを知らないが、本書で扱う内容は、むしろリー・ハーベイ・オズワルドと特定の日本人との関係であり、日本でのオズワルドの交友関係であり、ソ連亡命後に戻ったオズワルドを取り囲んだ人々の日本との密接な関係である。オズワルドが本当に二重スパイ、三重スパイになる為の亡命者だったのかどうかは追及するに値する問題であり、私が本書で取り組んでいるのも基本的にはそのことだ。ソ連から戻ったあとのオズワルドの短い生涯には、得体の知れない日本人や日本関連の人々が次々に現れている。

・例えば、オズワルドと一緒にいるところを日本の警察にたびたび目撃された(写真も撮られた)東京で大学教授を務める共産党員の男は何者だったのか?なぜその教授はオズワルドを東京のソビエト大使館に行かせたのか?ニューオーリンズの街角でオズワルドが親共産主義のパンフレットを配布していたときに一緒に遊んでいた謎の日本人はどんな人物なのか?

・暗殺計画の中心的人物であるガイ・バニスターがある日本の組織の従業員だったのはなぜなのか?そして最も重要なことだが、なぜ東京でキャリアをスタートさせた多くのアメリカ人がJFK殺害の陰謀に関係していったのだろうか?

 

<オズワルド。厚木に到着>

・オズワルド一等兵は厚木に行くことを希望していたわけではないだろうし、想像さえしていなかったはずだ。彼が訓練を受けたのはフロリダやミシシッピやカリフォルニアの基地であり、故郷アメリカの外に出たことがなかった(彼はニューオーリンズ生まれである)。それがいま、若き海兵隊員の彼はアジアで荒れ狂う冷戦の只中にある土地に足を踏み入れたのだった。日本全国の左翼過激派の学生が当時の岸信介首相のタカ派的政策に抗議していた。

・1960年にはオズワルドはすでにソ連に亡命していた。彼はミンスクの工場で働き、ロシア人の妻マリーナときれいなマンションで暮らしていた。マリーナはソ連の諜報部員の姪だった。JFK暗殺について論じる者の中には、オズワルドがU2を撃墜するためのレーダー情報をソ連軍に提供し、そのおかげでソ連軍は対空ミサイルで正確にU2を狙うことができたのだと主張する人々がいる(パワーズ本人もそう言っている)。

<厚木:ブラック作戦の本部>

・冷戦時代にあって、厚木は単にアメリカ海軍とそれに付随する海兵隊の基地という場所ではなかった。そこはCIAの最高機密の作戦(ブラック作戦)の本拠地でもあったのだ。この基地で極秘のMKウルトラ計画の下、強力な向精神薬リゼルグ酸ジエチルアミド(LSD)を使い、マインドコントロールの実験がおこなわれた。1950年代においてLSDを使用する施設は世界でもわずかだったが、厚木はその中の一つだった。諜報機関や軍隊以外では、LSDの存在すらほとんど知られていなかった。厚木基地はこうした不正な活動を隠蔽するには最適な場所だった。

<スパイ学校>

・1961年2月に社会党の飛鳥田一雄が告発したのだが、JTAG(連合技術団)はU2飛行を指揮し、偽亡命者育成のスパイ学校を経営していたのだ。飛鳥田によれば、そのスパイ学校はCIAによって運営され、東京にあるアメリカ大使館から提供された資金が使われていたという。

・しかしながら、厚木にアメリカ大使館によって運営されていたスパイ学校があったことについては知らないと否定した。けれども、当時そこで働いていた日本人は、確かにあれはスパイ学校だったと主張している。

・オズワルドは厚木でロシア語を学習し、次期任務(カリフォルニア州サンタアナのエルトロ海兵隊航空基地)のロシア語試験に合格できるくらいに上達したという。パルナックの記憶では、オズワルドは厚木から約7マイル離れている横浜にあったアメリカ海軍の上瀬谷通信施設に配置されていたという。しかしエプスタインは、オズワルドが厚木基地東側の2階建ての木造兵舎に住んでいたと書いているのだ。海軍当局は今もなお、オズワルドはJTAGの近くでも中でもなくて、基地の西側に住んでいたと主張している。

・オズワルドは、厚木管制塔の管制室で半透明の緑色のレーダー画面で軍用機を追跡していたころ、「レース・カー」というコードネームの飛行機がレーダー範囲(高度4万5000フィート)を超えて飛び、「ナインティ・エンジェル」(9万フィートの意味)での風速を訪ねてくることを知ることになる。おかしい、オズワルドはそう思ったに違いない。なぜなら、従来の飛行機の高度飛行世界記録は6万5889フィートだったからだ。それから2年と経たないうちに亡命を決心したとき、オズワルドがソビエトに提供できたのは、こういったU2に関する情報だった。

<オズワルドは本当の亡命者か? それとも偽の亡命者か?>

・ケネディ暗殺のちょうど3ヶ月前、オズワルドが故郷のニューオーリンズに帰還した折に、彼が言ったとされる言葉は実に奇妙なものだ。オズワルドはラジオ番組の中で、「アメリカ政府の資金援助を受けて」ソ連に渡ったと発言したのだ。ただし彼はすぐにそれを取り消した。オズワルドは本当の亡命者だったのだろうか?それとも彼がいた1950年代後半に厚木にあったと言われる偽亡命者養成学校の卒業生だったのだろうか?ソ連への亡命後にオズワルドはなぜそうやすやすとアメリカに帰って来られたのか?その当時、共産主義者と関係のある人物はアメリカ移民局で自動的に入国を拒否された時代だったのだ。また彼はどうやってロシア人妻をソ連からアメリカに連れて来たのだろうか?アメリカ国務省はなぜオズワルドに彼と妻がアメリカに渡航する旅費を貸与したのだろうか?そしてここで考えたいのは、さらに興味深い疑問である。ソ連を発ってアメリカに来たオズワルドは、日本にいた時と同じオズワルドだったのだろうか?

・厚木スクールが偽亡命者学校だとするならば、それなりに大勢の生徒がいたと思われる。記録によれば、オズワルドの帰還後2ケ月以内に、ソ連に亡命したアメリカ人が2名帰国している。その1人であるロバート・ウェブスターは、アメリカ市民権を放棄していたから、オズワルドよりももっと条件の厳しいケースだった。彼は1962年のソ連の移民数割当て制度の下では外国人とみなされ、本国送還された。彼のアメリカへの帰還申請はオズワルドのときよりも時間がかからなかった。1963年までに、共産圏への亡命者は合わせて36人がアメリカに帰還している。

・入手可能な証拠があるにもかかわらず、政府の調査員はオズワルドの日本駐留経験に興味がないようで、オズワルドの海外滞在経験の一部を見逃すことにしたようだ。例えば、エプスタインらの研究者は、オズワルドが日本にいる間に日本共産党(JCP)との関係を築いていたという事実を全部書いている。

・実際、ウォーレン委員会のメンバー――その大部分は情報機関とのつながりを持っていた――は、オズワルドが厚木で何をしていたかについてはまったく関心がないように思われた。それは、オズワルドが第35代アメリカ大統領暗殺者の汚名を着せられた単なる「頭のイカれた単独犯」以上の何者かだったからだ、と示唆する研究者もいた。

<オズワルドは分不相応な暮らしをしていた>

・日本に戻った時、オズワルド一等兵(伍長に昇進することはなかった)は、乏しい給料には見合わない、派手な暮らしを楽しんでいた。当時月85ドルの収入しかないオズワルドのような海兵隊の兵士がどうして高級バーに行く余裕があったのだろうか?エプスタインによれば、オズワルドは基地近くの大和市にあるクイーンビーという名のバーに頻繁に通っていたという(銀座の同名の超高級クラブと混同しないように)。そしてある美人ホステスと特に親しくなり、ときには基地に連れてくることもあったという。いったいその金はどこから得ていたのだろうか?

・マーズやエプスタインの著書によれば、オズワルドはアメリカ海軍情報局の指示で日本人ホステスと付き合っていた可能性があることになる。

<クイーンビーと共産主義者>

・前者のようにオズワルドが何らかの組織に払わせて好き放題をしていたのだとしたら、オズワルドは日本ですでに極秘活動に従事していたというのだ。一方後者では、1959年のオズワルドのソ連行は理由のない話ではなく、本人の個人的選択でもなかったということを意味する。

<オズワルドはゲイだったか?>

・エプスタインは、オズワルドの飲み仲間たちが彼を基地近くの安バーに連れて行った話や、彼が日本人女性と初めて関係を持った時にそれを祝った話などについて語っている男だ。エプスタインはさらにある海兵隊仲間のことも書いている。その男はある家で海軍将校の家政婦として働いている女と一緒にオズワルドに会ったそうだ。その家には日本人のハンサムな青年も住んでいた。海兵隊の男は彼らの関係を理解しかねたが、メイラーは、オズワルドが「その男性と女性の両方と関係を持っていた可能性がある」と推測した。言い換えると、女性的なところがあるオズワルドは同性愛の世界に引き寄せられていたということである。このことは後年、彼がニューオーリンズで過ごした日々、つまりJFK暗殺の謀略が計画されていた1963年夏のニューオーリンズの日々において重要な役割を果たすことになる。

・「関係者を見てみるといい。デービッド・フェリー、同性愛者。クレイ・ショー、同性愛者。ジャック・ルビー、同性愛者」とギャリソンは言った。

ルビーが同性愛者だって?

「そうだ、我々はそのことを突き止めたのだ。奴の同性愛仲間でのニックネームはピンキーだった。それで3人だ。それにリー・ハーベイ・オズワルドもいたというわけだ」。

しかしオズワルドは結婚していたし子供も2人いた、とフェランは指摘した。

「女房を満足させられない両刀使いだった」とギャリソンは言った。

「全員ウォーレン報告書に出てくる」。彼はさらに同性愛者だとされる2人の「重要人物」の名を挙げた。

「つまりこの謀略には6人の同性愛者がいたことになる。1人か2人ならばいいだろう。しかし全部で6人だ。偶然の一致が考えられるか?」

<異性愛者のふりをするオズワルド一等兵>

・海兵隊では任務に就いているときのオズワルドはある程度異性愛者のふりをしていた。

<医療記録は隠れ蓑に過ぎないのか?>

・オズワルドの医療記録は彼が厚木基地にいるときに諜報活動に従事していたことの「証拠」である、と暗殺研究者は好んで指摘する。

<グラウンドゼロ(中心地)>

・JFK暗殺計画の中心地があるならば、それはキャンプストリート544番地のニューマンビルの中だった。それはギャングがはびこっていたジミー・ホッファのチームスター組合(全米トラック運転手組合)の持ち物だった。ビルの一角にはライリー・コーヒーがあり、オズワルドとジュディス・ベイカーが勤めていた(その仕事は彼らの隠れ蓑だった)。隣はシークレットサービスの駐車場で(クレッセントシティ・ガレージ)、オズワルドはそこによくたむろしていた。またそこで彼は(あるいはほかの誰かが)通信販売のイタリア製カルカーノ・ライフル銃を注文した。通りの向こう側はニューオーリンズの情報機関センターで、FBIやCIAやONIの地方事務所が入っていた。それは作戦の中心地というだけではなくて、いくつかの反共団体の金融センターでもあった。バニスターの財務の面倒を見ていたのはヒュー・ウォードだった。そしてキャンプストリート544番地の事務所はCALやその他の反カストロ系団体、例えばCRCのような団体の本部として機能していた。興味深いことに、CALとAPACLはJFK暗殺の3年後にファシスト笹川良一のリーダーシップの下にWACLに発展することになった。だから1963年後半にはそこでそのような動きが進展していたはずだった。多くの暗殺研究者は見過ごしているようだが、狂信的な反共主義者のバニスターが1960年代初期にAPACLに雇われていたという事実は、ケネディ暗殺と極東一般、特に日本との間に非常に邪悪な関係が存在したことを示唆している。

<銃の密売人>

・ニューオーリンズがJFK暗殺計画の中心地であり、実行したのがダラスの右翼陰謀団だったと言うならば、この二つの土地や関係者にはどのようなつながりがあったのだろうか?多くの研究者、特に『Oswald Talked』のフォンテーヌは、そのつながりの一部はマフィアを通じて生じたと考えている。

<ウォーレン委員会は無関心>

・ウォーレン委員会はジャック・ルビーの背景にも人間関係にも関心がないようだった。またバニスターやフェリーにも触れなかった。委員会はルビーの性格を証言できるにすぎない人物から多くの証言を取った。ルビーを武器や麻薬の密売人、売春斡旋人、シカゴマフィアにとって重要な男、デービッド・フェリーとリー・ハーベイ・オズワルドの知人と特徴づけた大量の調査書類があったにもかかわらず――その書類の一部は実際に委員会の報告書で公開された――委員会は、ジャック・ルビーはオズワルドと同じくらい「孤独な人物」であると証明することに決めたようだ。

・ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)をみると、

「リー・ハーヴェイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald、別名Alek J.HidellあるいはO.H. Lee、1939年10月18日 - 1963年11月24日)は、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディ暗殺の実行犯とされている人物。ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。逮捕直後にジャック・ルビーによって暗殺される」。

<疑惑>

・暗殺事件前後に「オズワルド」を自称する者が複数目撃されたという証言や、狙撃時のオズワルドの所在について、教科書倉庫ビル2階の食堂で昼食を摂っていた姿を目撃した証言もあるなど、オズワルドは実行犯ではなく身代わりとして行動したと主張する論者が多数存在する。

マフィアとの関係が指摘されるルビーが何故容易に警察署に入ることができたのかという疑問や、ルビーがオズワルドを暗殺した理由が不可解(ルビー曰く「ジャクリーン夫人が悲しむのを見て義憤にかられた」)であること、オズワルドとルビーの間には共通の知人が何人もいたこと、さらに2人が顔見知りであったという証言もあるなど、暗殺の実行犯はオズワルドではない、あるいは単独犯ではないという説は未だ根強い。しかしながらウォーレン委員会の正告によると、「様々な物的証拠を検証するとオズワルド単独犯で説明がつく」と結論されている。真実は2039年に解禁されるという。

オズワルドの母親のマーゲリート・オズワルドは、マルセロの運転手兼ボディーガードを務めたことのあるサム・テルミネという男や他にも暗黒街の男と親しく付き合っていたという」とのこと。

・amazonの『JFK暗殺は日本の謀略だった』の「トップカスタマーレビュー」をみると

「さて、本書は、タイトルからして荒唐無稽で、乱暴な陰謀説にみえる。英語の原題は、「オズワルドと日本」でしかない。事件関係のネット記事や本から、わずかばかりの日本とのつながりを拾い集めている。註もあるので、一見よく調べているように見えるのだが、中味を吟味すると、よく知られた古い本とネット記事から、陰謀めいた部分を集めただけとわかる。背景説明や、要注意人物の証言の比較も、ネット記事を借用しているだけである。

 しかも「引用」ではなく、他人の記事を何行にもわたり、そのまま「地の文」にしている。パラグラフの末尾に、サイト名や本のタイトルを出しているところもあるが、厳密な出典にはなっていない。元のサイト名を示したからといって、範囲を明確にせずに、人の文を「地の文」にしていいわけがない。訳者氏は、英文原稿をネット記事と比べてみてはいかがだろうか。

 最初のほうに出てくる厚木基地取材を除き、著者が独自に取材した形跡はほとんどみられない。ほんの少し出てきたとしても、伝聞でしかない。本文中に、出典が入っていても、たとえば肝心な「米軍防諜文書」などは特定されていないから、確認すらしていないことは明らかだ」とのこと。

『危機管理』 定本 我が経験とノウハウ

佐々淳行  ぎょうせい   2014/9/25

<国家危機管理の3本の矢>

・日本の安全保障体制強化、国家危機管理体制確立の3本の矢の1本目が、非常事態対処時の国家意思決定の機構である国家安全保障会議設置法であり、これは5年前、一度は制定された「国家安全保障会議設置法」の改善再提出の法案だった。

・第2の矢は「特定秘密保護法」である。警察が半世紀努力してきた秘密保護法が安倍内閣によって日の目をみた。最大改正点は罰則の強化である。

・第3の矢とは、これから議論されることになる国家中央情報局(日本版CIA)設置である。情報社会はギブアンドテイクが大原則で、日本も交換価値のあるインテリジェンスを収集する能力を持たなければならない。これが出来て初めて日本は、国際情報社会の仲間入りができ、アルジェリア事件のごとき情報社会の孤立となることがなくなるだろう。

・今、2枚看板で世界に配置されている防衛駐在官69名、警察駐在官29名に「内閣情報官」という3枚目の看板(外務一等書記官、陸自一佐かねて内閣情報官)を与えて国際情報官とする。なるべき早く実践力にする必要があるだろう。

・この国家中央情報局は内閣に置かれ、これまで外務省領事局の仕事とされていた海外在留邦人の保護を担当するが、今日、在留邦人の数は130万人といわれ、旅行者が年間1200万といわれる。1億3000万国民の1割が、常時海外旅行または居住しているという国際化時代に、この1割の国民の安全を非力な外務省領事局にまかせていると何ともアンバランスな任務である。アルジェリア事件の再発防止には内閣が国際情報のの収集、渡航制限、あるいは家族の避難帰国などの判断をし、たとえば緊急事態の際の救出輸送は内閣が担当すべきだ。

<眼前の危機 中国と北朝鮮>

<海防思想の復権を>

・「海防艦などこの予算不足の時代にできるはずがない」という批判もあろう。私は可能だと思っている。それは、潜水艦の耐用年数を延ばすことで16隻体制から22隻体制にしたという手法を使えばいいのである。システム護衛艦の廃棄処分を延期して兵器を軽装化して地方隊5隊10隻を10隊4500トン級20隻とすればいいのである。主任務を北氷洋、日本海、東シナ海(特に尖閣諸島海域)として大湊、舞鶴、佐世保、呉に配備する。その任務は当然島嶼警備、日本漁船保護、海賊船・工作船取締りとするのである。もちろん、海域警備法と武器使用法の緊急立法が必要なことは言うまでもない。

<座シテ死ヲ待ツか?>

・そもそも専守防衛なる戦略は、敵地攻撃はアメリカ軍が行うことを前提にしているが、これ自体東西冷戦の所産であり、現在の中国や北朝鮮の動きを見れば、限定的な敵地攻撃能力を有することは不可欠である。

 

・昭和31(1956)年2月、国会で当時の船田中防衛庁長官は「我が国への急迫不正の侵害に対しほかに手段がないと認められる限りでの敵地攻撃は自衛権の範囲内である」と答弁した(衆議院内閣委員会)。この答弁は今も政府の公式答弁として生きている。

・確かに、今の自衛隊は通常兵器による防御線では世界一流の戦力を有しているが継戦能力がないという重大な欠点がある。自衛隊の弾薬備蓄は1.5回戦分しかない。2回戦で火力は半減、3回目は弾薬がないというので戦えない。核戦力はアメリカに頼るほかないが、本物の戦争の場合もアメリカ軍の本格的支援を待たなければ日本単独で自分を守ることができない。「空8時間、海8週、陸8月」と言われる。アメリカ軍の来援に必要な日にちである。

・何十年もの間、防衛担当者は大蔵省(現財務省)の「フィフス・ホイール不要論」に悩まされてきた。第5の車輪、すなわち予備など要らないというのである。しかし、せめて日本はアメリカ軍の本格来援まで持ちこたえる「3回戦ボーイ」にならなくてはいけない。

日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ

コンタクティとチャネラーの情報を集めています。 森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

0コメント

  • 1000 / 1000