われわれは二人の合衆国大統領、アブラハム・リンカーンとジョン・F・ケネディが暗殺されるのを見てきた。暗殺された理由は、この二人が合衆国財務省に利子の付かないドル紙幣を印刷せよと命じたからである。(1)

(2023/4/28)

『20世紀のファウスト  下 』

美しい戦争に飢えた世界権力

鬼塚英昭  成甲書房  2010/3/11

<ケネディ暗殺の謎>

・グロムイコの『回想録』の中にケネディ暗殺の秘密の鍵が記されている。

「実を言うと、米ソ両国が緊密な関係になるのを喜ばない二種類のグループがアメリカ国内にあります。一つはイデオロギー的見地からいつも関係改善に反対する人々で、こうした不満分子はいつの世にもいるものです。もう一つのグループは「ある特定の民族」の人々です。(ユダヤ・ロビーのことを指していた)彼らはいかなる時でもクレムリンがアラブを擁護しており、イスラエルの敵であると疑わない。このグループは両国の関係改善の努力を困難にするための効果的な手段を持ち合わせています。それが現実なのです。しかし、関係改善を図ることはまだ可能だと思いますし、モスクワにそれを知ってもらいたいのです。

 グロムイコは終始ハリマンとの友情を維持した。そしてソヴィエト外相の地位を晩年まで保った。

・グロムイコは政界を引退し、『グロムイコ回想録』の執筆に取り組んだ。その過程でハリマンの死を知る。グロムイコはフルシチョフが『回想録』の中で「ハリマンの山」を喋ったように、ケネディ暗殺の謎を解く鍵を後世の人々に残そうとした、と私は理解するのである。グロムイコの『回想録』にケネディの暗殺を暗示する箇所がある。

 アメリカ国内外の世論は、彼(ケネディ)が1963年6月10日にワシントンのアメリカ大学で行った演説を大胆な一歩とみなした。演説の中で、ケネディは、アメリカ国民に対し、率直に冷戦に関する固定観念を捨て、軍産複合体を抑制する彼の努力を支援するよう訴えた。この演説によってケネディは、軍事産業及び国防総省の指導者たちよりも、ずっと先を見ていることがよく分かった。この演説は彼の大統領生活の中で最も優れた行動であったかも知れない。

 グロムイコはフルシチョフと同じように、暗喩の形でケネディ暗殺を表現していると私は思うのである。グロムイコは「真のご主人様」の正体を少しだが書いている。それは軍産複合体という言葉の中に表現されている。

・グロムイコは次のように書いている。

 

 自分でも理由がよく分からないが、最初にケネディ暗殺のタス通信社の報道を聞いた時、すぐに私の心に浮かんだのは、あのホワイトハウスのテラスでの会話「ケネディが自分の政策に反対する者がいると言った」だった。

・1956年、フルシチョフはモロトフ外相を解任し、デミトリー・シェピロスを外相に据えた。しかしシェピロスは反党クーデターに加わった。グロムイコはこの政変劇を見て、「バミューダ・トライアングルみたいだ」と言った。黒い貴族たちは時折、故意に仕組んだトライアングルに船を沈めたことをグロムイコは知っていた。ケネディは軍産複合体と、このグループを背後で操る世界権力(ザ・オーダー)に殺された。

 では、どうしてハリマンとグロムイコは殺害されなかったのか。それは二人が生涯にわたって友情を確認し合い、世界権力(ザ・オーダー)の秘密をいつでも暴露できる準備をしていたからに違いない。

・グロムイコは『回想録』の中で、ケネディ暗殺の第一報に接したとき、ユダヤ・ロビーのことを思い出した、と書いた。私はケネディ関係の伝記や暗殺に関する本を可能な限り読んできた。しかし、ユダヤ・ロビーと暗殺を結びつける本を発見できなかった。私はユダヤ・ロビー、この組織を指揮する高度なユダヤのある存在がケネディ暗殺に関係すると思うようになった。

・アイゼンハワー政権はイスラエルの核について沈黙を守っていた。しかし、ケネディはイスラエルの核を認めるわけにはいかないと抗議する。ケネディとベングリオンの間に激しい書簡による闘いが続いた。

 1963年、イスラエルはフランスのダッソー社と1億ドルの契約を結び、中距離ミサイルの開発と小型核弾頭25発の製造を発注した。「ジェリコⅠ」と呼ばれるこのミサイルは、小型核弾頭を搭載できる、射程3百キロに達する。

 この春、ケネディは激しい調子の親書をベングリオンに送る。ハリマン政治担当国務次官はどのように関わっていたのだろうか。

・私はイスラエルの国内事情も調べてみた。ベングリオンは15年間にわたり独裁的な権力を握っていた。辞任すべき特別な理由を発見できなかった。そこで私は一つの推測をした。

「ベングリオンの辞任とケネディの暗殺は一本の線で結べるのではないか」

 イスラエルの核施設ディモナはイスラエル人たちの夢の地である。イスラエルに核施設を建設するため、イギリスのユダヤ王ヴィクター・ロスチャイルドも、フランスのユダヤ王ギ・ド・ロスチャイルドとエドモン・ド・ロスチャイルドも多額の寄付をした。ケネディはこのディモナを破壊しようとしていた。ハリマンは核実験禁止条約を調印した時に、フルシチョフと個別にこの条約を調印させるべく努力するとした。ソヴィエトは中国と交渉することにした。アメリカの交渉相手はフランスだった。しかしフランスは核実験施設の技術供与をイスラエルと契約した。

・ケネディとハリマンは共同歩調をとっていたに違いない。この条約こそ、かつての世界権力(ザ・オーダー)の一人であったハリマンの、ユダヤ王への挑戦状でもあった。ケネディの夢をハリマンは叶えようとし、ユダヤ王の憎悪を背負うことになった。

後にイスラエルの首相を務めたイツハク・ラビンは『ラビン回想録』の中で書いている。

1963年6月、ベングリオンは首相兼国防相の地位を退くと決定した。彼の行動は予期せぬことであり、その知らせは皆を唖然とさせた。

重病でもない限り、独裁者という者がその地位を前触れもなく自ら退くということは歴史上稀である。ベングリオンには強力な政敵もいなかった。彼は「回想録を書くためだ」と、辞任の理由を語った。

この年の秋、アメリカの上院は部分的核実験禁止条約を批准した。ケネディ大統領は軍縮に一層力を入れだした。フルシチョフも歩調を合わせた。世界中で核軍縮に対する期待が高まりだした。

1963年3月、イギリス情報部のトップ、サー・ウィリアム・スティヴンソンは部下のルイス・ブルームフィルド少佐を連れてジャマイカのトライオール地区に入った。このとき、ケネディ暗殺の準備がされたと言っていい。ブルームフィルドはマッカーシーの反響運動に協力したフーヴァーFBI長官と同性愛の関係を続けながら、国家主義行動連盟、アメリカ国防会議といった団体に属していた。マッカーシズムを背後から動かしたのはイギリス情報部の首領、今や黒い貴族の一員となったサー・ウィリアム・スティヴンソン、あの「イントレピッドと言われた男」である。マッカーシー上院議員はスティヴンソンにおだてられ、用なしとなり海軍病院に入れられ殺された。彼らは反共主義を唱えながら容共主義者であり、ユダヤ主義者でもあった。

 オリバー・ストーン監督の映画「JFK」はケネディ暗殺の謎に迫っている。あの映画は当時の金で4200万ドルの製作費をかけて作られた。誰が金を出したのか。「ローイ」というロスチャイルド一族が経営している映画館チェーンが全額を出したのである。

 

・映画{JFK}にはクレイ・ショー大佐が登場する。この男もジャマイカに入った。ショーはニューオリンズでトレード・マートを経営していた。ブルームフィルドはFBI第5課に派遣される。フーヴァーと彼がベッドをともにするためだ。ケネディ暗殺犯の連中はニューオリンズのショーの店にパーミンデックス(常設産業展示社)なる会社を作った。このショーの店で作戦は練られた。

・イギリスでフィルビーらのスパイ事件が3件発生した。ヴィクター・ロスチャイルドがらみの事件だった。このときイギリスのMI6はイスラエルの情報部モサドからの情報に助けられ、ヴィクター・ロスチャイルドは巧妙にスパイ容疑から逃れた。そしてMI6とモサドは正式な協力関係に入った。モサドを支配したベングリオンがMI6に協力を依頼し、MI6が正式に受けたとすれば、ある程度の謎が解ける。サー・ウィリアム・スティヴンソンが部下のブルームフィルドを伴ってジャマイカに飛んだことも理解できよう。

 ベングリオンは3月、ヴィクター・ロスチャイルドに助けを求めた。ヴィクターはモサドに助けられていたし、イスラエルの危機を救うために彼の求めに応じた。そして6月、ベングリオンは首相と国防長官を辞任し、万一の場合に備えた、と私は考えるのである。

 ブルームフィルドは、ニューオリンズのFBI事務所に入り、ショーの店でパーミンデックスのユダヤ人グループと作戦会議を持った。訓練を受けた射撃の名手数名が11月7日、ジャマイカからダラスに入った。フーヴァーはダラスのFBI支部から「ケネディ暗殺の準備が成されている」との報告を受けたが、「放っておけ」と言っている。

 数名の狙撃チームがケネディを狙い撃った。そして彼らは消えた。

 

・彼ら(真の犯人たち)は、オズワルドなる男を犯人に仕立てようとした。この男をソヴィエトの共犯者にしようとしたのだ。この男をCIAとKGBのルートでソヴィエトに渡らせ、アメリカに連れて帰った。オズワルドはケネディ暗殺後直ちに射殺され、その銃を手にして自殺に見せかける計画だった。オズワルドは突然自分がビルの中で銃を持たされている意味を知り、逃げた。逮捕され、ジャック・ルビーなるチンピラがオズワルドを殺した。CIAの身分証明バッジを貰い受けて、オズワルドの傍らに侵入できたからだ。ルビーはマイヤー・ランスキーの子分だった。ランスキーとエドガー・ブロンフマンはマフィアと悪徳資本家で、友人であった。この二人はユダヤ人だ。CIAの犯行に見せかけたのは彼らの手口であった。

 しかし、MI6とモサドの合作劇の謎はほぼ解けた。ロスチャイルド一族が「JFK」という映画を製作した謎も半分は解けた。

・大きな謎とは、どうしてパレードしている白昼に、アメリカ大統領がMI6とモサドによって殺されなければならないのか、ということだ。この謎を解かねばケネディ暗殺が持つ重大な意味が消えてしまう。別の方向からベングリオンの辞任とケネディ暗殺を結びつけて考えてみよう。イスラエル、否、ユダヤと言おう。あの「クリミアのカリフォルニア」を思い出してほしい。ユダヤという民族の存亡の秋(とき)には必ず大事件がこの地球上に起こるということを知らねばならない。

 隠された真実は徹底的に掘り起こさなければならない。その勇気がなくなれば、人間は彼らによりケネディのように真っ昼間にぶっ殺されるか、鎖に繋がれるだろう。勇気を奮って奴らの素顔に迫ってみようではないか。

<ド・ゴールの裏切り>

・ケネディ暗殺の謎を解く重要な鍵は、フランス大統領シャルル・ド・ゴールの、ケネディの葬儀出席の中に発見できる。

・ド・ゴールはこの時までに4回も暗殺されかかっていた。統一ヨーロッパを担う黒い貴族たちの方針に逆らってきたからである。

・ド・ゴールの暗殺未遂とケネディ暗殺は深い関係にある。多くの事件は深いところ、闇の部分でつながっている。ケネディ大統領のセックス問題は暗殺と結び付いている。

 ワシントン駐在のフランス大使アーゴ・アルファンドは手記に次のように書いている。

 望みを叶えようと思えば、政敵が利用する恐れがどうしても付きまとう。いつそんな事件が起こるとも限らなかった。大統領はこのピューリタンの国にあってろくに用心していなかったのだから。

 ケネディは数多くの女性たちと遊んだ。女優ではマリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、ソフィア・ローレン、ジーン・マンスフィールド………数えきれぬほどいる。ハリマンはケネディの女性関係を危惧していた。マリリン・モンローの宣伝係で、ケネディとのスキャンダルを知るパトリシア・ニューカムをハリマンは数ヵ月間海外にやったりした。ハリマンはケネディのスキャンダルを秘密裡に多数処理してきた。ケネディの女狂いは、ほとんど病気であるとハリマンは思っていた。しかし、ケネディは遊んではいけない女と遊んでしまった。マフィアのボスの1人、サム・ジアンカーナの情婦だったジュデス・キャンベルだ。

 フランス大使のあのケネディに関する手記は、キャンベルとの情事を

ケネディは、脅迫が可能な大統領であるということだ。ケネディが脅されていたとすれば、二つの選択肢が考えられる。大統領の椅子を追われるか、脅した奴の言いなりになるか、その二つに一つであろう。

 ジアンカーナはケネディを脅して何かを得たのだろうか。私の知る限り、そのような事実はない。ジアンカーナ関係の本の中にもそのようなことは書かれていない。

・ハリマンがモスクワで交渉に入る一方、ケネディはベングリオンに親書を送り、ディモナの核施設を「査察させろ」と迫った。ベングリオン首相は査察に応じることにした。

 しかしベングリオン首相の怒りは大きくなった。ケネディはウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)の専門家がディモナの査察を行なう、とベングリオンに知らせた。ベングリオンはケネディに長い手紙を書いた。

「………わが国は敵に囲まれた小さな国です………」

 ベングリオンは申し出を拒否した。IAEAの査察ではなく、アメリカの特別チームによる査察に切り替えられた。しかし大きなしこりが残った。

 1963年4月、ハリマンはフルシチョフと核実験禁止条約の交渉に入っていた。ちょうどそのころ、ケネディはベングリオンの訪米の申し出を拒否した。なおもベングリオンは訪米したいと要請した。

 大統領 わが国の国民には生存権があります。………今、その生存権が脅かされているのです。

 ケネディの答えは「ノー」であった。

・1963年6月15日、ベングリオンは突然、首相と国防相を辞任した。そして、ノー………と言われ続けた重荷を払い捨てた。

・アイゼンハワー大統領の時代、イスラエルは核兵器製造に情熱を燃やすようになっていった。アメリカに在住するユダヤ人たちが盛んにアイゼンハワーの政権内部に入っていった。一方で、エドモン・ド・ロスチャイルドがイスラエル建国のために尽力した。それは同時に、イスラエルが中東諸国と戦うための武器を調達するということでもあった。

 隠れユダヤ人のド・ゴールが大統領として登場してくるのは歴史の必然であった。それはフランスのユダヤ王ギ・ド・ロスチャイルドの力によった。ギは1950年にユダヤ人の兵器商ダッソーが、ド・ゴールとベングリオンの仲介に入った。こうして爆撃機がイスラエルに輸出された。そして核兵器も………。

 ド・ゴールは心変わりし、イスラエルへの武器供与を止めると言った。しかし、殺されかけるのである。そして政界を完全に引退する。ド・ゴールもケネディと同じように暗殺されかけた。ほんの少しだけ、運が良かっただけのことである。

・ハリマンはケネディの天真爛漫で無鉄砲な性格を愛していた。そして折々に忠告してはいた。マリリン・モンローとのスキャンダルの後始末もした。しかし、大統領は天性の女狂いだった。

・駐米フランス大使のアルファンドはケネディに恨みを持っていたのではなかったか。ド・ゴールに命じられるまま、ケネディをスキャンダルで脅迫したのではなかったか。

 ケネディはベングリオンの後を継いだレビ・エシコルに、なおも強く核開発を抑止しろと迫った。アメリカは1963年の秋、部分的核実験禁止条約を批准した。

 アメリカの人々はケネディに核軍縮せよとの声を激しく上げだした。ケネディは応じた。そして、そのケネディに悲劇が用意されていた。

・ド・ゴールは激しい怒りを込めて、ケネディ、マクミラン、そしてハリマンの行動に注目しだした。ド・ゴールは「フランクフルトのユダヤ人の系譜」という本の中でオンベルク家として登場するロスチャイルドの一族である。大戦後からフランスは原爆製造を目指していた。ロスチャイルド一族はド・ゴール将軍に「原子力庁」を作らせた。ド・ゴールも黒い貴族の一員だった。

・ド・ゴールは世界権力(ザ・オーダー)から4回も暗殺されかかった。しかし彼らは核実験禁止反対の急先鋒であるド・ゴールを支持した。そこへ、ザ・オーダーに近いベングリオンからの要望が重なった。スキャンダルで脅かしたが、ケネディは「ノー!」を連発した。ここでド・ゴール、ベングリオンの立場を考慮したザ・オーダーは、バンディからの報告を受け取ると、MI6とモサドに「ゴー」のサインを出した。…………MI6を支配していたのはヴィクター・ロスチャイルドその人だった。フランスの情報部とFBIが加担した。ジョンソンとフーヴァーは友人であり、共通の利害関係にあった………。

<ケネディ暗殺の深層>

・1965年1月21日、ジョンソン大統領は核拡散防止に関する委員会を開いた。出席した人物たちは自らを「賢人たちの顧問団」と呼び、この委員会を「賢人会議」とした。顔ぶれはみな、真っ黒な犬の相をしていた。

・2003年、ケネディ暗殺から40年が過ぎた。ケネディ家の三兄エドワード・ケネディ上院議員は長い沈黙を破り、兄の暗殺について語った。

 オズワルドの背後にはフランスの諜報機関が絡んでいました。恐らくアメリカのCIAとフランスの諜報機関が陰で手を結んで【暗殺を】実行したと思われます。

 

・2003年、アメリカで『死のトライアングル』が出版された。その中に「ケネディ大統領を狙撃した真犯人はフランス人のプロのスナイパー(狙撃手)だった」と書かれている。

 ハリマンがド・ゴールの葬儀出席を「不都合、不名誉、裏切りでさえあると信じた」と、マンチェスターが『ある大統領の死』で書いてから40年経って、エドワード・ケネディ上院議員は暗殺に主役の1人、ド・ゴールの「諜報機関」の名を出した。しかしエドワードは、MI6とモサドの名を口にしなかった。それは自らの死を意味するからである。CIAは、MI6とモサドの代わりであると私は思っている。

 もう少し、ケネディ暗殺の謎に迫ってみたい。以下はジム・マースの『秘密のルール』からの引用である。この本の存在を私は海野弘の『陰謀の世界史』を通じて知った。海野はこう書いている。「アイアン・マウンテン・ボーイズは『アイアン・マウンテン報告』を信じるグループである。『シオン長老の議定書』に次ぐ陰謀書とされる『アイアン・マウンテン報告』は1960年代に秘かに作られその後流出したという。政治や経済のためには戦争は不可欠であるという文明観を語ったちょっと背筋が寒くなる本だ」。海野の本から引用を続ける。

『アイアン・マウンテン報告』を作ったのはケネディ内閣の幹部であったマクジョージ・バンディ、ロバート・マクナマラ、ディーン・ラスクという、いずれもCFR、ビルダーバーカーのメンバーである。1961年、ケネディが冷戦を終わらせようとしていることを知った彼らは密かに集まり、長期的平和を維持できる政策はない、という結論を出した。どうしても戦争が必要なのである。(中略)彼らはハドソン川の近くにある巨大な核シェルターの「アイアン・マウンテン」で会議を開いたので「アイアン・マウンテン・ボーイズ」と呼ばれた。このシェルターは核戦争の時、ロックフェラーのスタンダード石油、モルガン銀行、マニュファクチャラー・ハノーヴァー・トラスト、ダッチ・シェル石油のオフィスになる予定になっていた。

 この『アイアン・マウンテン報告』は1966年にまとめられ、そして流出し、1967年に出版された。

 ケネディはこの3人の正体に途中で気づいていたと思われる。ラスクをハリマンに替えることは決定済みの人事だった。ハリマンをしてバンディとマクナマラを追放しようとしたのである。

 暗殺の1ヵ月前、ケネディは「国家安全保障覚書」を作成し国家安全保障会議で発表した。その中で、ヴェトナムからアメリカ軍を1965年5月末までに引き揚げると明記した。マクジョージ・バンディのケネディ宛ての「メモ」については書いた。アイアン・マウンテン・ボーイズが共同で作成したメモに間違いないのである。

 核シェルターに入ることになっていた企業名に注目してほしい。すべてロスチャイルド系なのである。

・「アイアン・マウンテン・ボーイズ」の3人は、株式会社アメリカの使用人である。彼らはご主人様、すなわち会長と社長の意向に添って動かざるを得ない。バンディは国務長官のラスクや国防長官のマクナマラよりも株式会社アメリカではランクが上である。このことはすでに書いた。では社長は? となる。ロックフェラーであろう。では会長は? 間違いなく大西洋の向こうに住むロスチャイルドである。ロックフェラーやモルガンの二大財閥の資産の大半はロスチャイルドの持ち物だからである。ここにケネディ暗殺の深層が見えてくるではないか。

・2003年、ケネディ暗殺から40年、ケネディの三兄のエドワード・ケネディが沈黙を破った。この年、ウィリアム・レモンとビリー・ソル・エステスの『JFK暗殺』が出たのだ。

 ウィリアム・レモンがテキサスの実業家ビリー・ソル・エステスに、過去について語らせた物語である。エステスはテキサスで数々の事業を起こし、ジョンソンに政治献金をし続けた。レモンはエステスがケネディ暗殺の鍵を握っているのを知った。エステスは人生の最後の場面でレモンの熱意に打たれ、真実を語った。それはジョンソンの暗殺を証明するテープをレモンに聞かせたことである。エステスはレモンに言う。「このテープを世に出すぞ、この俺を殺害するならば、と私はジョンソンの側近を逆に脅し生きてきたんだ。よし、君にテープを聞かせよう」

 最後は次のような文章で結ばれている。

  ビリー・ソルはカセットの再生のボタンを押した。テープはシューシューと音をたてあえぐようにようやく安定した。突然、金属的な声が蘇った。

「リンドン(ジョンソン大統領)はマック(ウォレス)に大統領を殺せ、なんて命令すべきじゃなかったんだ」

 私の記憶はそれ以来エンドレステープになってしまった。

「リンドンはマックに大統領を殺せ、なんて命令すべきじゃなかったんだ………」

・クレイグ・I・ジーベルの『テキサス・コネクション』が1992年に出版された。この本に一つ欠けていた確たる証拠がこのテープで見つかった。

・ケネディ暗殺の真相に迫った唯一の本であると私は思っている。しかし、である。ではどうして白昼にテレビで世界中が見ている前で、パレードする中で、アメリカの大統領が殺されなければならなかったのかという疑問が残る。私はここまで書いて悟ったのである。ジョンソンとテキサス・コネクションの間だけで終えているので、この本の出版も可能だったのであろうと。

 ジョンソンは突然大統領になった。軍産複合体はアメリカ国家から大金をぶんどるのである。やがてフランスは水爆施設をイスラエル国内で完成する。ジョンソンはイスラエルに武器を大量に渡す。そして経済援助をし始め、その額は天文学的な数字となる。1967年、大量の武器をアメリカから獲得したイスラエルはアラブ諸国と戦争し勝利を得た。突然イスラエルは大国家となった。アメリカの宗教はプロテスタントとカトリックだったのに、「アメリカ・ユダヤの宗教」の国家となった。

・ケネディ暗殺は今日でもその真相を伝えようとする新しい本が出されている。そのつど私は読んできた。そして気づいたのは、ユダヤとの関係で書かれた本がないことであった。ベングリオン、ド・ゴール、ジョンソンがユダヤ人、ないしは隠れユダヤであることを私は書いた。では世界権力(ザ・オーダー)の中心にいたヴィクター・ロスチャイルドとケネディ暗殺に関する謎を追求をしてみよう。確証はない。憶測の域を出るものはない。しかし、追求する。

・もう一つ書かねばならない。『JFK暗殺』にケネディ暗殺の大きな要因として、テキサスの石油業界の大物たちがジョンソンとケネディ暗殺を話し合ったと、具体的な名を挙げて論じられている。ジョンソンが副大統領から降ろされ政界から去ることは、ジョンソンと組んでいた石油、武器製造メーカーにとっても大打撃だったと、この本は具体的に書いている。

しかし、テキサスの石油産業を永年支配してきたのはロスチャイルド財閥である。

・さて、私はケネディ暗殺の最大の原因を、ケネディがガルブレイスの忠告に従って「連邦準備制度」の廃止に着手しようとしたことであると考えている。ハーバード大学から国家安全保障会議に加わったカール・ケイスンは「大統領が話しだしたら止まらないテーマが二つあった。一つは金本位制、もう一つは核拡散防止だった」と語っている。金本位制と連邦準備制度は連結している。

 ガルブレイスは「連邦準備制度を無視して行動しろ」とケネディに忠告し続けてきた。連邦準備制度があるがゆえに、アメリカ政府はアメリカにある12の連邦準備銀行に依頼しドルを印刷してもらい、その分の利息を払うというシステムになっている。この連邦準備銀行を実質的に支配するメンバーはすでに書いた。彼らはアメリカという国家から労せずして紙幣の印刷に伴う利息を手に入れ続けてきた。ケネディの正義感がこの制度を許さなかったのである。

 

・たぶん間違いなく、ケネディ暗殺の最終指令がテキサスに伝えられた日は「1963年6月4日」であろう。この日ケネディは「大統領令230号」に署名した。これによって、アメリカ政府は連邦準備制度理事会(FRB)を通さずに、財務省の判断で銀を裏付けとする「シルバー通貨」を発行できることになった。

 ケネディは「次期大統領になったときにはアメリカ政府がドルを印刷する」と公言した。そして彼は署名を済ませると、アメリカが保有する銀に対応すべく、43億ドル分のシルバー紙幣の印刷を命じた。この紙幣が実際に市場に出る前にケネディは暗殺された。ユースタス・マリンズは『世界権力構造の秘密』の中で、ケネディ暗殺を描いている。

 とんでもないことに、合衆国を統治する権力を握っているのは暗殺団である。ふだんは舞台裏に隠れていて、手に負えない者が出て来ると、暗殺指令を下す力を持っている連中である。

 われわれは二人の合衆国大統領、アブラハム・リンカーンとジョン・F・ケネディが暗殺されるのを見てきた。暗殺された理由は、この二人が合衆国財務省に利子の付かないドル紙幣(現在の米ドル紙幣は政府がFRBに利子を払う形で発行されている)を印刷せよと命じたからである。この新しい事態によって、国際銀行家たちは何の苦労もなく手にしていた何十億ドルの利益を奪われると怯えたのだ。

・ここにケネディ暗殺の深層が描かれている。この深層の意味を私は追求してきた。ハリマンはケネディ政権に入るとき、当初は財務長官になろうとした。親友のガルブレイスは新しい紙幣をケネディに発行させようとし、ハリマンを財務長官にせよと迫った。

 しかし、ケネディは、国際ユダヤ資本家のディロンを財務長官にせざるを得なかった。

・ハリマンの『伝記』について書く。この伝記にはケネディの暗殺について1行も書かれていない。ハリマンが国務省内で仕事をしていたときにケネディ暗殺の報が入ったとする数行の記述のみである。ケネディ暗殺を知りすぎたハリマンは、死の直前に伝記作者のアブラムソンに「1行たりとも書くな」と命じたからであろう。ハリマンの人生においてケネディ暗殺ほどの重大な事件はなかったのではないか。彼ほどにこの事件の真相を知り尽くしている者はいないであろう。だからこそ、1行も書かれていない。

<アメリカの悲劇「ボビーの死」>

・ヴェトナム戦争が終結するのは1975年である。1969年1月に共和党のニクソンが大統領になってから4年後である。ハリマンの予言通り、アメリカは南ヴェトナムから撤退し、北ヴェトナムが南ヴェトナムを破り、統一国家を作った。

 最終場面で世界権力(ザ・オーダー)は、彼らの黒い犬のキッシンジャー大統領特別補佐官を北ヴェトナム側と交渉させた。ヴェトナム戦争を終結させたヒーローはキッシンジャーだとされ、世界権力(ザ・オーダー)は彼にノーベル平和賞を授与した。

・ケネディ兄弟は世界権力(ザ・オーダー)に一人で立ち向かい、殺害された。ジョンソンは1人で服従し続け、ボロボロになりつつ大統領の任期を全うした。責任のすべては大統領1人に帰するのだとハリマンは語っているのである。

 ジョンソンの時代が去り、リチャード・ニクソンが大統領になったのが1969年1月、老ファウスト、アヴェレル・ハリマンは78歳になっていた。

・ヴェトナム戦争ではアメリカ兵、4万7369名が戦死した。約270万人のアメリカ兵が従軍し、30万4千名が戦闘で負傷した。7万5千名が一生癒えぬ障害を負った。

<ファウスト博士の素顔>

・私がこの『20世紀のファウスト』を構想したとき、否、正確に表現するならば、アヴェレル・ハリマンという人物を物語の中心に据えたときに、このハリマンという人物はファウスト的人物ではないかと思ったのである。

<世界の悪しきデザイナー、新・ファウスト博士>

・「21世紀のファウスト博士」、ヘンリー・A・キッシンジャーは世界中を飛び回った。彼の「外交」は別名、「シャトル外交」といわれた。ファウスト博士は出先の外交機関に寄らず、頼らず、みずから外交相手国に出向き、その国の要職者と直接に外交、すなわち折衝を繰り返した。それゆえに「キッシンジャーのシャトル外交」といわれた。

 私がこれから書くことにするズビグニュー・ブレジンスキーは、ジミー・カーター大統領のもとで、キッシンジャーと同様に安全保障問題担当首席補佐官を務めたが、ほとんど外国にもいかず、ホワイトハウスの中で、カーター大統領に助言するのを常とした。

<「ブレジンスキー計画」とは何か>

・この「ブレジンスキー計画」は、世界中のいたるところに見出せる。ウクライナにおける「無血革命」はそのよき例である。

 2002年、ウクライナの親ロシアのクチマ大統領をNATOの傀儡ユシチェンコにすり替えるという計画がブレジンスキー指揮のもとに行なわれた。これと同じことが2000年10月にセルビアで起き、スロボタン・ミロシェビッチが失脚した。2004年11月。親NATOのユシチェンコ政権は、ブレジンスキーとマーク・ペンの二人の協力を得てCIAが大衆クーデターを起こし、実現した。連日、テレビや新聞で「正義の味方」「ウクライナの英雄」ともてはやされた男はブレジンスキー計画によって創られた偽者であった。平穏だったヨーロッパに今日でも動乱が絶えないのは、ブレジンスキーという誇大妄想狂がCIAを操っているからである。

・「ブレジンスキー計画」とは、「グローバリゼーションが公平な競争の機会をすべてのプレーヤーに準備する」ことである。そのためには、いかなる国家であろうとも、グローバル化という兵器で破壊することが悪ではなく、正義であるとする。

<21世紀に洗礼者ヨハネが誕生した>

・ブレジンスキーは今でも、この戦争を引き起こしたことに悪魔的な誇りを抱いている。旧ソ連は10年に及んだアフガニスタンとの戦争によって、ブレジンスキーが言うところの「ソヴィエト版ヴェトナム戦争」の泥沼にはまり、おかげで80年代の世界の均衡が保たれたというのだ。ブレジンスキーはまた、アルカイダの誕生にも関与している。アルカイダは米英情報機関が全額出資して創設した組織で、当初の目的はカイバル峠の北にあるロシア領を侵食することであった。

・1980年代のアフガン戦争でソ連軍と戦った経験のあるタリバン戦士は現在ではほとんどいない。1989年にソ連軍は撤退した。この後に、タリバン戦士が姿を見せてアフガニスタンを制覇するのである。タリバンとは、パキスタンのアフガン難民キャンプにつくられた数百校のマドラサ(イスラム神学校)の神学生だった。その神学生の中から突然にタリバン戦士が1994年末に生まれてきた。どうしてタリバンがアフガニスタンを支配するに至ったのかの謎は解けない。私はパキスタンの情報機関が、CIA、中国ルートで得た武器をタリバンに渡したからであると思っている。

 1996年、タリバンは首都カブールを占領した。2千万のアフガニスタン人口の約40%がパシュトゥン人。彼らはアフガニスタンを3百年にわたり支配した民族である。タリバンによる文化の破壊についてはたくさん書かれている。しかし、ここではヘロインに的を絞って書くことにする。

 コーランはムスリムに麻酔物の生産と飲用を禁じている。しかし、タリバンは農民たちにアヘンを増産することを、イスラム令として許可した。

・私は1976年にアメリカ大統領になったジミー・カーター大統領について書いた。ブレジンスキーがデーヴィッド・ロックフェラーの要請を受け入れて、ピーナツ畑にいるのが似合う田舎者を大統領に仕上げたと。そして、あの日から30年後、再び、デーヴィッド・ロックフェラーとブレジンスキーはカーター同様の無名の男を大統領にしようと計画し、見事に成功したのである。

 その男の名はバラク・オバマである。

・オバマは「末世を救う救世主」として登場したのである。あの熱狂する群衆は、メディア、情報機関の操作を真実だとして受け入れている。

 オバマは、TC(三極委員会)、フォード財団というアングロ・アメリカンの金融寡頭勢力に支えられている。特に、ゴールドマン・サックスから多額の援助を受けていた。金融大富豪、ジョージ・ソロスの財団も支援した。CFR、ビルダーバーカーズもオバマを支えてきた。この仕掛人がブレジンスキーであった。オバマは黒い貴族たちに魂を売った悪魔の申し子なのである。

<エピローグ>

<老ファウストの晩年>

・フルシチョフ解任の真相は明らかになっていない。ソヴィエトは権威主義的な党の機関、中央集権の行き過ぎた官僚機構と軍隊を持っている。フルシチョフは、120万以上の軍人を削減しようとした。軍人たちは党の権力者の一部と結託した。そこにデーヴィッド・ロックフェラーが介入した。そしてフルシチョフは丸太小屋に入れられた。

・晩年、弟のローランドと相談し、一部の財産を子供や妹に遺し、そのほかのほとんどの財産・土地・建物を公共のために寄贈した。アーデンの土地も、建物も、コロンビア大学に寄贈した。コロンビア大学のロシア研究所に150万ドルを供出した。この研究所は「ハリマン高等研究所」と改称された。

<この本を終えるにあたって>

・この世の中に偶然に起こることは少ない。その多くは必然という名の偶然が故意に創り出したものである。すべての恐慌は故意に創り出されたものである。私たちは歴史の闇の中に入り込む勇気を持たねばならないのである………

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