日本人はこれまで、日本という国がまるごと滅びてしまいそうな危機に陥ったことがないので、根絶やしにされる恐ろしさというのが分からないのでしょう。(1)
(2023/5/15)
『2050年 人新世の未来論争』
次の世代に美しい地球を残すために
宮内義彦、井上智洋 プレジデント社 2022/7/13
<30年後明るい未来社会をつくるために>
・地球上のそこここにはさまざまな問題が山積していて、明るい未来を迎えるには、待ったなしでそれらの問題と真剣に対峙していかなければならない。
・2050年といえばかなり先のように聞こえるかもしれませんが、実はあと30年弱しかありません。今から30年前といえば、1990年代の初めで、ちょうどバブル経済が崩壊した頃でした。さらにその30年前といいますと、1960年代の米ソ対立の時代を思い出します。
<地球環境をどうするか>
<急速に進む地球温暖化>
・地球の気温は過去100年以上にわたり徐々に上がってきており、その原因が二酸化炭素の持つ温室効果ではないかと考えられているんです。これに対して今、「カーボンニュートラル」実現のために「これ以上の二酸化炭素の放出を止めよう」という取り組みが世界中で始まっています。
<ポイント>
◎急速に進む地球温暖化が、人類による大量の二酸化炭素排出によるものであることは、ほぼ確定的である。地球温暖化の功罪については議論があるが、一刻も早くカーボンニュートラルを達成すべきことに変わりはない。
◎各国では二酸化炭素排出への規制や課税によってカーボンニュートラルを目指しているが、企業に負担を強いるだけでは目標達成は困難であり、過剰な規制が経済に与える悪影響が懸念される。
◎環境対策のために経済成長を止めることになっては、環境問題と同様に深刻な貧困問題を解決することができなくなる。規制や課税より財政支出を通じ、環境対策を新しい産業として育成し、経済成長と両立させるべきである。
<米中対立はどうなるか>
<台頭する中国そしてインド>
・近年の中国は、急速な経済成長により、今や経済の規模で米国に匹敵し、100年ほど世界の覇権国であった米国の地位を脅かすまでになっています。とくに習近平氏が国家主席となってからは、香港での民主化抑圧や新疆ウイグル自治区の人権問題などで公然と欧米諸国と対立する姿勢を見せています。
<国土防衛の覚悟が定まらない日本>
井上:AIに関しては国連も、人がいることを探知して自動的に攻撃して殺傷する{LAWS}(自律型致死兵器システム)なんかは禁止していますが、今のところそれ以外の規制はありません。攻撃してきたミサイルを撃ち落とすのは、専守防衛の範囲のはずで、それにも協力できないという人には、「きれいごとを言っていて日本が滅んでいいのか」と問いたいですね。
・日本がAI時代の戦争に対応できなければ、国を守ることはできません。米中の覇権争いでも、お互いに「いかにAIを軍備に組み込んでいくか」を競っています。このまま日本が置いてきぼりになるとしたら、安全保障上の大きな問題でしょう。戦争に巻き込まれないようにするとともに、戦争に供えることも必要です。
<ポイント>
◎西側諸国はかつて「中国も経済成長して豊かになれば、人権を重視する民主主義国家に近づいていく」と見ていたが、現実には経済が発展しても強権国家であり続けており、その体制は今後も当分変わりそうもない。
◎米中は政治的には対立しているが、経済面ではお互いに深く結びついており、そのことが武力紛争の可能性を低くしている。日本は米国との同盟を維持しつつ、防衛力を高めて中国の侵攻を未然に防がなくてはならない。
◎中国が改革開放路線を否定する動きがある一方、米国も「資本主義の権化」の国ではなくなりつつある。またインドも科学技術を進歩させており、2050年には米中対立の構図にインドが加わる可能性がある。
<核兵器はどうなるか>
<世界は核兵器であふれている>
・世界には現在、1万3000発を超える核兵器があります。
ロシア6375発、米国5800発、中国320発、フランス290発、英国195発、パキスタン160発、インド150発、イスラエル90発、北朝鮮30~40発。
・2021年に発行した「核兵器禁止条約」は、世界の50カ国以上が批准しているのに、唯一の被爆国である日本は批准も署名もしていないのです。
<増大する核兵器暴発リスク>
宮内:2050年を論じている足元でも、2022年2月に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナ侵攻に際しても、プーチン大統領は核の威力をちらつかせてきました。思いもよらぬ戦争ですが、ロシアからするとNATOの圧力を避けようとするための予防戦争なのでしょうか。
・今後長く続く制裁下、核兵器と資源に特化した、欧化できないスラブ民族の宗主になるのではとみています。万が一ロシアが、戦術核兵器と言われるような、小規模とはいえ核爆弾を使用するようなことがあれば、歴史的事件として記憶されるばかりか、予想されない大紛争のきっかけをつくる、極めて大きなリスクをはらんでいます。
井上:私も、ロシアの没落は避けられないと思います。勝っても負けても、経済制裁と戦争による疲弊で国力が衰退するでしょう。ロシアは、大量破壊兵器を使ってでも、この戦争に勝とうとするかもしれないですが。私は今、核戦争の勃発を大変に危惧しています。
宮内:問題は近年核兵器を持つようになった国々で、こうした国ではむしろ政治が後押しして核兵器を造らせているということです。どの国も周辺国と紛争を抱えていて、いつ何時戦争状態に入るかわからない。その意味では核兵器暴発や、核戦争のリスクはどんどん高くなっていると考えます。
<新しいタイプの戦争>
井上:核兵器に関して私が気になっているのは、日本に核シェルターがほとんどないことです。
日本核シェルター協会によると、人口あたりの核シェルター普及率は、イスラエルやスイスがほぼ100%で、アメリカやロシアでも80%程度あります。それに対して日本は、わずか0.02%です。個人的には、日本にも少しであるにしても核シェルターがあったことのほうが意外でしたが。
北朝鮮のミサイル実験が何度も繰り返されています。北朝鮮が核ミサイルの標的にするとしたら、韓国と並んで日本のはずで、日本は大きな危機にさらされているのにもかかわらず、それでも核シェルターをつくろうという人はほとんど出ませんでした。「何とかしよう」と誰も思っていない。これは国民が平和ボケしているのと、政府がお金を出したくないからでしょう。財政赤字を理由に備えを怠っているのです。
宮内:たしかに平和ボケですね。その最たるものは“平和”を唱えるだけの平和運動で、現実から遊離し過ぎています。まず守りを固め、安全を確保した上で、一歩ずつ理想に近づくしか方法はないように思います。
井上:日本人はこれまで、日本という国がまるごと滅びてしまいそうな危機に陥ったことがないので、根絶やしにされる恐ろしさというのが分からないのでしょう。自分が死んでも日本という国自体は千代に八千代に続いていくと思っている。核戦争になったとき、地下に潜ってまで生き延びたいとは思わないのかもしれません。しかし、国民全員があっさり死ねばいいやって開き直ったら、この国は死んでしまいます。
<世界の核シェルター普及率>
・スウェーデン100%、イスラエル100%、スイス100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、イギリス67%、シンガポール54%、日本0.02%
・唯一の被爆国である日本の核シェルター普及率が桁違いに低くなっている。
宮内:おかげで地域紛争では、軍事技術が進歩した国が圧倒的に有利になってきた。2020年には中央アジアのアゼルバイジャンとアルメニアの紛争で、ドローン兵器を使ったアゼルバイジャンが紛争地を制圧したと言われています。アフガニスタンなどでも、ドローンやAI兵器、電磁波兵器などを使って、はるか遠方から操作する形での戦闘が行われているようです。
宮内:密室で敵を選別し、ボタンを押して「ターゲットをピンポイントで殺す」ということで、戦争というものがますます非人間的になってきた感があります。自分の手を汚さず、簡単に戦争が始められます。考えてみればこれほど怖い話はありません。
このように今の時代の戦争には、「地球をまるごと破壊してしまう」危険に加えて、「人の手を汚さないでゲームのように人を殺す」という特徴があります。
<核を後楯とした暴君に世界は立ち向かえない>
井上:ロシア・ウクライナ戦争により核戦争の危機が再び高まってきました。ロシアには「死の手」と呼ばれる核の自動報復システムがあります。核攻撃を受けると自動的に敵国へ向けて核ミサイルが発射されるのです。要するに、NATO軍がロシアに一発でも核攻撃を行えば日本も含めて世界はほとんど壊滅状態に陥るということです。
この戦争で、ウクライナとそれを支持する西側諸国は、
(1) 降伏:ロシアの属国
(2) ウクライナ単独の徹底抗戦:たくさんの人命の喪失
(3) NATO軍介入:世界大戦・全面核戦争の危険
というトリレンマ(三つの選択肢がいずれも好ましくない状態)に陥っています。なので、徹底抗戦の意志を見せつつも、停戦合意を図るというのが最もマシな選択肢だと思います。
・難しいことですが、停戦できるならした方がいいに違いないです。それなのに、停戦を口にすると、徹底抗戦しようとしているウクライナの人々の崇高な意志を冒涜するみたいに思われてしまいます。
宮内:今回の教訓は、EU・米国いずれもウクライナを直接助けなかったことです。アジアに置き換えて考えたとき、日米安保は同盟国とはいえどこまで頼れるのでしょうか。自力により防衛力強化の必要性を改めて再認識させられました。
思い起こせば、第一次、第二次世界大戦はいずれも当時の文明国間で戦わされました。具体的には戦力―兵力、兵器、経済力―の優れた国同士が主な戦場でした。今回も欧州でこの規模の大戦が起こりました。戦力は米ソ対立時には抑止力として働くのだとの思いが強く、実戦を思い描くことは少なかったのです。
<世界の軍需産業を減らして環境産業に>
・宮内:兵器の生産が止まらないのは、兵器をつくる軍需産業が経済の中に組み込まれているからです。例えばアメリカの軍需産業は強大で、政治家に対するロビー活動も盛んです。またロシアの場合は、最も優秀な人たちは軍需産業に集まっていると言われています。今の中国もそうなりつつあるのかもしれません。
・宮内:防衛省の資料によると、アメリカの国防費はGDPの3%、中国は1.2%、ロシアは2.8%くらいを占めています。しかし兵器など、結局は抑止効果を示し使用しないのが理想で、ほとんど何の役にも立ちません。10年、15年したら分解して廃棄するだけです。
井上:「軍事ケインズ主義」という言葉があります。不況になると、軍需産業に予算をつぎこんで雇用を増やそうとすることで、戦前の日本がそうでしたし、アメリカは今もそういう形ができてしまっていて、「死の商人」が儲ける仕組みがある。それだけ軍産複合体の力が強いのでしょうね。
宮内:冷戦の末期、レーガン政権の時代に、アメリカは軍拡を推し進めました。そのときはアメリカの軍拡にソ連がついていけなくなって、結果的に冷戦を終わらせることができた。ただそれは当時のソ連が経済的に弱りきっていた時期だったから成功したわけです。対立している両国が元気なときは、あくまでも突っ張り合ってしまうでしょう。今の中国に「軍備増強をやめなさい」というのは難しいでしょうね。
<なぜ人は戦争をしたがるのか>
宮内:戦争のように愚かなことは絶対にやめさせなくてはと思いますが、なぜかやりたがる国がある。なぜ人間はこうも戦争をしたがるのか。
井上:戦争は明らかに人類にとって愚かな行為です。人間が愚かな行為を犯すのには大きく分けて二つのケースがあります。
第1は、個人が愚かで、最適な行動が取れない場合。行動経済学に「限定合理性」という概念があります。人間は部分的には合理的ですが、認識や意思決定の歪みを抱えており、非合理に振る舞うことも多いということです。
第2は、個人としての行動は最適であっても、それが全体としては最適ではなく、問題が起きてしまう場合です。経済学ではこれを「合成の誤謬」と呼んでいます。
たとえば景気が悪くなると、多くの人は先行きの不安からお金を使うのを控え、貯蓄するようになります。これは個人の行動としては合理的ですが、全体としてみると消費が減ることになり、景気をさらに悪化させてしまいます。経済全体という視点からは合理的でない行動になるわけです。
核兵器にもそれと似た面があって、アメリカにとって核兵器を所有することは合理的だし、ロシアにとっても核兵器を所有することは合理的です。しかし、それぞれにとって合理的な行動が、結果としては核戦争の危機を引き寄せ、人類の存続を危うくしてしまうという、非合理的な状況をつくりだすことになります。
<原子力の平和利用と核兵器>
宮内:核には兵器だけでなく平和利用という使い方もありますが、それでもやはり怖いですね。2011年の福島第一原子力発電所事故でも、大変なことになりました。私はこの事故によって、戦後日本が堂々として築き上げてきた国際的信頼感を一挙に失わせしめたと思っています。
宮内:そのような危険があるのにもかかわらず、なぜ原発を続けてきたか。昼夜を問わず安定的に発電できるベースロード電源の確保という理由以外にも、原発から出てくるプルトニウムは核兵器に転用できる、その可能性を残しておきたいためだとも言われています。
井上:日本に原発が導入されたのも、「核兵器をつくれるようにしておきたいから」という説もありますね。
井上:今の日本では、防衛問題は一種のタブーになっていますね。まともな議論ができない。左翼の中には「軍備などなくとも、話し合えば何とかなる」と主張する能天気な人がいるし、右翼には「徴兵制を導入して若者の根性を叩き直さねば」などと精神論を唱えるような人がいて、いずれにしても冷静な防衛論議をするのは難しい。
井上:毎年、台風で人が亡くなりますが、なぜ防ぐことができないのかともどかしい気持ちになります。ニュースで川が氾濫して家が流される映像を見るたびに、一体どこの発展途上国だろうと思ってしまいます。日本が先進国の仲間入りをしてもう何十年も経つのに、未だに人々が家や命を失うのを防げないかと切なくなる。
熱海の豪雨で土砂崩れが起きたようなケースはともかく、河川の氾濫などは、「流域にこれぐらいの雨が降れば、水位がここまで上がる」とシミュレーションできているはずです。そうであれば事前に、堤防を築いて備えるなどしておけばいい。
井上:「中国はMMT(現代貨幣理論)に基づいて政策を実施している」という人もいるぐらいで、中国政府は日本のように均衡財政にはこだわっていません。軍備にもいくらでもお金を使える体制になっています。そんな相手に軍事力で勝つには、こちらもMMTでいくしかないかもしれません。
(MMT(現代貨幣理論):自国通貨を持つ国の政府は、過度なインフレにならない限り、いくら財政支出を増やしも問題はないと主張していることで知られている。)
宮内:自衛隊は先日まで、「飛んでくるミサイルはイージス艦で撃ち落とせる」と明言していました。しかし、今では「新しいミサイルは追跡できないので、撃墜は無理」と言うようになりました。それでも危機意識を持って動かないのが日本の政治家で、大変残念なことです。「アメリカがいなければアウト」という状況です。
宮内:そのうちアメリカも中国も、宇宙に軍事基地を造り始めるのではないでしょうか。宇宙から攻撃されたら、手の打ちようがないでしょう。今の科学技術でもできそうに思います。
<ポイント>
◎冷戦中のアメリカとソ連は政治主導で核戦争を避けたが、近年、アジアや中東の国々で核兵器が開発・所有され、その数が年々増えている。これらの国はむしろ政治主導で危機を作りだしている面があり、核兵器使用のリスクが高い。
◎AIやサイバー技術、宇宙の利用技術の発展により、戦争の形がこれまでとは大きく変わり、簡単に戦争が始められる状況が生まれている。しかし、日本では防衛問題について冷静な議論ができているとは言えない。
◎日本政府は核兵器禁止条約を批准しておらず、会議にも参加していない。唯一の被爆国として、核兵器廃絶に向けてもっと積極的な姿勢を示し、また国際的な枠組みをつくって周辺国との紛争抑止に努めるべきである。
<日本の財政赤字をどう考えるか>
<日本の財政赤字はどうなっている?>
・財政再建か?国民の生活か? いずれが大事かと問えば、どれほどお金がかかったとしても、国民の生活を守らなければならないと思います。“失われた何十年”を更新することはどこかでストップしなければなりません。今こそ日本経済を元気づけ、国民生活を向上させる経済政策に転換することが求められています。
<政府が累積赤字を返済しなくてもよい理由>
井上:経済学では、政府と中央銀行を合わせて「統合政府」と言います。国債も通貨も統合政府の負債という意味では同じようなものです。ただし、国債は金利がついて通貨は金利がつきません。国債というのは言わば、金利付きの通貨みたいなもので、「借金」の証書と見なすのはおかしいとMMTでは論じられています。また、自国通貨を持つ国の政府はそもそも通貨製造機を持っているので、「借金」をする必要がないと主張しています。国債発行の役割は金利の調整にあり、国債を廃止して金利を固定しようという提案もMMTにはあるくらいです。そういうわけで、自国通貨を持つ日本やアメリカのような国では、財政赤字それ自体は1200兆円あろうが2000兆円あろうが、インフレにならない限りは何の問題でもないのです。
宮内:どうしても政府が「借金」を返した形にしたのだったら、永久債を発行して、日銀に保有していてもらえばいいわけですよね。日本政府の累積債務問題は、それで解決です。法律ひとつ変えたらできるレベルの話で、MMTを知った私としては「何を悩んでいるのか」と思うようになりました。
<通貨を増やせば景気はよくなる>
・井上:日銀などは「明治期以降のデータでみるかぎり、わが国の貨幣残高と実質GNPの間では長期中立性が成り立っている」という立場です。
私は、この貨幣の長期的中立性の命題は成長通貨の考え方と矛盾すると考えています。しかし、これまでほとんど誰もこの問題について議論していませんでした。
2011年に受理された私の博士論文『経済成長と有効需要不足』は「成長通貨は必要である」「貨幣は長期的にも非中立的である」といったことがテーマでした。経済の規模に対して通貨の発行量が少ないと、経済に悪影響を及ぼしてしまう。つまり「貨幣の量は長期的にも経済に影響を与える」という主張です。
・今のところ日本で貨幣の長期的な非中立性に踏まえて、成長通貨の必要性を強く訴えている経済学者はたぶん私1人だけです。
宮内:デフレになると経済が縮小してしまうので、それを防ぐためにも通貨は増発しなくてはいけない。貨幣の量を少し先行して膨らませると、実体経済はそれに引きずられて供給不足を補おうとして活性化し、経済全体は膨らんでいく。そう考えると、できれば通貨の量をもっと増やして膨らませてやれば、経済も成長していけるのではないでしょうか。
井上:それが私の考えです。ただ、MMT派の人たちはそんな考えに否定的です。MMTを信奉する人たちを「MMTer」(エムエムター)と呼ぶのですが、その意味で私はMMTerではありません。むしろ「お前はMMTerじゃない」とか「MMTをつまみ食いするな」とMMT派の人たちから叩かれています。
経済学の世界では、かつての日銀が典型ですが、「お金の価値を守らなければいけない」として、通貨の発行量をできるだけ制限すべきだという考えが強いんです。未だに「金本位制こそ、通貨のあるべき姿だ」という人もいます。それに対し私は、完全雇用になり、インフレ率が一定程度上がるまで通貨量を増やすべきだと主張しています。MMTはそうは考えていない。
一方で、政府が財政赤字を続けることは、これまでのマクロ経済学では「よくないこと」とされてきた政策ですが、財政赤字は問題ではなく、必要ならば政府支出を積極的に行うべきだとMMTでは考えます。その点においては、私はMMTに近い立場です。
<日本のMMTerとは>
井上:実は日本の経済学者には、MMTerを名乗る人はほとんどいないんです。
・実はアメリカのMMTerたちも、ベーシックインカムには否定的なんです。私個人としては、MMTはベーシックインカムと相性がいい部分もあると思うんですが。
・MMTは「過剰なインフレにならない限り政府は財政赤字を気にせず、財政出動して構わない」と主張しており、MMTのそうした主張に基づいてデフレ脱却のための政策を提言することは可能です。実際、日本にMMTが入ってきたときには、「デフレ不況脱却のための理論」と考えられていたふしがあります。
宮内:財政赤字を「借金」と思うからいけないんですね。ここ20年間ほどで実行された金融緩和政策は、どんな結果をもたらしたでしょうか。基本的には、金利を下げれば資金需要が増え、経済が活気づくと考えた訳です。
・金利低下は金融業の仲介機能を麻痺させたばかりでなく、預金の価値を無にしています。さらに、買いオペレーションで市中の銀行にばらまいたはずの資金は、日銀に当座預金として留まっており、世の中のお金はそれほど増えていません。それどころか、増発されたはずの国債分より多くを日銀が市場から買い入れた結果、統合政府としては財政が良化しているのが現状です。政府と日銀を統合政府として考えることは、簿記の観点では当然のことと納得できます。いずれにしても、この20年間の金融政策は完全に失敗で、直ちに見直す必要があります。
(井上):このように銀行や会社といった永続主体は、経営が健全な範囲内で借金をし、ゆるやかにそれを増やしていっても、大きな問題はありません。
これは国も同じはずです。国と言う組織は銀行や会社と同じく、永続的な経済主体だからです。ですから、ギリシャにしてもイタリアにしても、財政赤字が一定程度増えていくのは大きな問題ではないはずです。主流派経済学は「横断性条件」という概念があります。難しくなるので説明は省きますが、財政赤字の増え方が、この条件を満たしていればOKというわけです。
<財政の赤字は「借金」ではない>
井上:その点、日本やアメリカは条件が全然違います。こうした国の政府は単なる永続主体ではなく、「自分でお金をつくれる」主体です。自国通貨を持っている国の政府は、収入が支出に対し足りなくても「借金」する必要はありません。自分でお金を発行すればいいからです。ですから本来、国債を発行する必要もないはずなのです。
<国債を貨幣に変えるとどうなるのか>
井上:買いオペで国債が日銀に購入されると、形の上では政府が日銀に借金をしていることになります。しかし日銀は政府のグループ会社のようなもので、連結決算をしたら「チャラ」になります。
井上:結局、自国通貨を持つ国では、いくら国債を発行しても政府の将来的な負担になることはないのです。ですから、気にしなければならないのはインフレだけということになります。
<民間の信用創造がない時代>
井上:預金残高に対する貸出残高の比率を「預貸率」といいますが、民間の調査などを見ると、2021年3月期の場合、国内主要銀行の預貸率は62%で、前年同期から4%も低下し、調査を開始して以降で最低となっています。
井上:当時は企業がどんどんお金を借りて投資に回していたので、政府が財政支出をしなくても、民間で勝手にお金が増え、経済が成長していました。ところがバブル崩壊以降、企業が銀行からお金を借りなくなってしまった。これは大きな変化です。
私が「貨幣システムを変えなければいけない」とか「政府のマクロ経済政策についての考え方を抜本的に変えなければいけない」と言っているのは、1990年代以降は新たな時代に突入して、信用創造が起きにくくなっているのに、政府は相変わらずそれに気づかずに均衡財政主義にこだわって、十分な政府支出をしてこなかったと考えているからです。
平成の30年間はまるまる不況で終わる「失われた30年」になってしまいましたが、それは信用創造が行われない時代に政策が対応できなかった結果です。
民間で信用創造が行われなくなった以上、政府が「借金」してお金を増やさなければならない。私は繰り返し「財政の考え方を変えないかぎり、失われた30年は40年にも50年にもなりますよ」と言っているんですが、なかなか伝わらないのです。
<必要なところにお金を投入するマインドを変えるために>
宮内:国立競技場も結構ですが、その前にお金を使わなければいけないところは山のようにあります。日本は災害列島ですから、豪雨や高潮が起きたときに江戸川区のゼロメートル地帯の水没を防ぐとか、南海トラフ大地震への備えをするとかですね。
宮内:“2050年”を見据えて日本経済が活性化することなく、“失われた何十年”を更新し続けていくのは見るに忍びません。その大きな原因の一つが、間違った経済政策にあるのだとすると、今すぐに最大の政治テーマとして政策論争の中核に据えて、国民的な議論をすべきだと思います。これの理解、変更なくして、経済の活性化への第一歩は踏み出せません。
<ポイント>
◎災害への備え、道路の整備、貧困層への手当てなどをやらなければならないことが山積しているのにもかかわらず、財政再建が大事としてやるべきことの手を打てないのは本末転倒である。
◎MMT(現代貨幣理論)では、政府は自身で通貨を発行できるのだから、国家予算の制約を気にせずに、必要な折には躊躇なく財政出動すればよいと説いている。
◎“失われた何十年”を更新し続けるのではなく、その大きな原因の一つが誤った経済政策にあるとすれば、政策論争の中核に据えて国民的な議論を立ち上げるべきである。
<資本主義はどう変わるか>
<社会全体をより豊かに変えるにはどうすればよいか>
・社会には、経済を運営するさまざまなシステムが存在しています。その代表格として、資本主義の「市場経済」と共産主義の「計画経済」があります。「計画経済」の中でも、政府が国の経済全体をコントロールし、多くの企業が国有化されていた旧ソ連型のシステムは、1990年頃に崩壊しました。
そして、ご存じのように今、日本をはじめ多くの国々の経済が資本主義の下で動いています。資本主義の下では、たとえば、GAFAと言われるアメリカのIT4社の株式時価総額の合計が、日本の株式全体の総額を上回るという現象が起きています。また、格差拡大、貧困、失業、環境問題といった社会課題は、ますます深刻になりつつあります。
<ポイント>
◎資本主義は、富をつくるシステムとしてはこれまで知られている中では最も優れている。今日本で格差問題が挙げられているのは、国が富を適正に分配できていないからであり、生産方式が悪いわけではない。
◎富を生み出す資本主義というシステムを捨てるのではなく、格差や環境問題は国家の手で解決するべきである。資本主義の欠陥を是正する上で、国家の役割が重要である。
◎人類史といった広い視野で考えると、先進国と発展途上国の格差を生んでいた世界の富を、グローバリズムが平準化に向かわせたことは大きな意味がある。
<格差問題をどう解決するか>
<何が格差を広げ何が分配を妨げているのか>
・所得の不平等のレベルを示す指標として「ジニ係数」がよく知られています。0に近づくほど所得格差が小さく、1に近づくほど所得格差が大きいことを意味しています。日本はかつて「1億総中流」と言われるほど格差の小さい国でしたが、1980年代から徐々に格差が大きくなり近年は富の集中が一段と進んでいます。そのような中、2021年に誕生した岸田政権は、「分配」を政策テーマに掲げました。今の日本では、さまざまな理由で社会福祉制度などの分配の仕組みが十分に機能していません。格差を是正するための分配の仕組みづくりこそ、政府に託された責務といえます。
<格差問題を一挙に解決できる仕組み>
宮内:まだまだベーシックインカムについて世の中の理解が進んでいないので、まずは理解してもらうところから始めなければなりません。ベーシックインカムの話を聞くと「とんでもない」という反応が多いようですね。
井上:今のところ、ベーシックインカムという言葉に対して強い偏見がありますね。「それは社会主義でしょう」という人もいます。実際は市場経済の部分はそのまま残し、国家の再分配によって、格差の行き過ぎを是正しようという提案で、ソ連のように計画経済にするとか、ソニーやパナソニックといった企業を国有化するという話では全くないのですが、ベーシックインカムを社会主義という人は、ベーシックインカムについても社会主義についてもよく分かっていないのでしょう。
<ポイント>
◎先進国ではIT化で多くの人の雇用が奪われ、一部の人に富が集中して、格差がますます拡大している。格差は分配の問題であり、政府が責任をもって解決していかなくてはならない。
◎貧しさは多分に運の問題であるのに、日本では「努力が足りないから」という自己責任論が強く、弱者救済がなかなか進まない。たとえ努力していない人でも救いを必要としていることを理解しなくてはならない。
◎現在の社会福祉制度は手続きが煩雑で、書類申請しなければ給付を受けられないなど、多くの問題がある。抜本的解決策として、ベーシックインカムのような選別なしに一律に救済する制度を検討すべきである。
<パンデミックに学ぶ危機対応>
<危機対策は平時の備えから>
・2020年に始まった新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的流行)は、ワクチン接種が実施されても、未だに収束が見通せない状態です。幸い日本では欧米諸国に比べ感染者数・死者数とも低い水準で抑えられてきました。
・先進国の中でも人口あたりの病床数がとくに多いとされる日本で、欧米諸国よりずっと少ない患者数なのに、医療体制逼迫を起こしたのはなぜなのか。かつての阪神淡路大震災や東日本大震災で繰り返し指摘されてきた日本政府の危機対応能力の不足は、どうしていつまでも改善されないのか。医療や行政が弱点を克服していくために、私たちは何をすべきなのか。
<ポイント>
◎日本の医療行政は、非常時の危機的対応力に欠けている。多くの国では、非常時には国家が医療機関を統制してパンデミックに対応している。日本政府も非常時には医療機関に対して強い監督権を発揮すべきである。
◎日本の医療は人口あたりの医師数の少なさ、デジタル化の遅れなど多くの問題を抱えている。医療関係者の利害を優先するのではなく、国民本位の医療体制を構築しなければならない。
◎有事への対応は、行政のトップである日本国首相が主導すべき問題である。首相が危機時に力を発揮できる体制を整えるとともに、国民は選挙を通じて政治家を監視、督励する意識を持たねばならない。
<私達の暮らしはどう変わるか>
<未来は可能性に満ちている>
・これから30年先の2050年、私達の暮らしはどう変わっているでしょうか。未来は誰にもわかりませんが、科学や医療がさらに進歩し、生活や地球環境も今とは違っていくことは確かでしょう。はっきりしているのは、未来は私達の「思い」が決めていくのだということです。
<政権批判をしない若者たち>
・宮内:今の日本社会の課題を考えると、政治の責任が大きいという結論になりますが、政治がうまく機能していない根源の一つには、国民が政治家を見張らないということがあります。
国民が「このままでは国の将来が暗くなる」と本気で憂いて行動で示せば、政治家も黙ったままではいられません。
井上:実際には、若い世代こそが「政権に対して批判を言うのはよくないこと」と思ってしまっているように感じます。
井上:公の場では、政治家個人に対する悪口と政策や思想に対する批判は切り離すべきでしょう。そうでないと、若い世代が「政治はカッコ悪い、怖い」「関わらないほうがいい」と逃げてしまい、結果として現状を追認してしまうのです。
宮内:しかし、2050年を明るい世界、立派な日本にするためには、若い世代が意思をもたない限り、そのような社会をつくることはできません。若い世代の政治への関心が薄いのは、政治の本当の怖さを知らないからなのかもしれません。私などは「政治は怖いものだ」と今でも思っています。政治と言う権力の怖さを知っている最後の世代です。最近のロシアの行動を見ても分かるはずです。
井上:政治が怖いのは、戦争につながるからですか。
宮内:戦時中は、赤紙一枚で兵士として戦争に召集され、多くの人が命を失いました。それはもう悲惨なものです。
<問題意識と批判精神を育てるには>
井上:若い世代に限らず日本には比較的、「政府を批判したり文句を言ったりしてはいけない」と思っている人が多いように感じます。自分が直接被害を受けるとさすがに文句を言うけれども、そうでないときは黙っている。
宮内:区議会議員や都議会議員というのは、本当にそこまで必要なのか疑問に思うところがありますね。「市長を選挙で選んでいるのだから、議会までは必要ない。もし市長と議会が対立したら、どちらの意見が優先されるのか」という主張があって、それももっともだと思います。日本でも「チェック機能が必要だから」ということで議会が置かれていますが、チェックするだけなら市長の他に3人ほどで監査委員会のような組織を置けば十分でしょう。
井上:スウェーデンでは地方議会の議員は無報酬が基本だそうですが、日本の特に政令指定都市の議員は世界でもトップクラスの高給取りらしいです。
宮内:市区町村議会議員の在り方や報酬制度などは見直しが必要だと思います。例えば、平日の夜や土曜日に議会を開催するとか、兼務を認めるなどすれば、よりよい地域社会を作ろうともっとも有能でボランティア精神あふれる方が議員になりやすくなりますが、今の状態では無駄が多すぎます。
<少子化の真の原因はどこにある?>
宮内:今の少子化問題について、私は未婚率の上昇や晩婚化といった社会的な原因のほかにも、「人間の生存本能そのものが弱っているのではないか」という気がしてならないのです。
少し申し上げにくい話題になりますが、先進国の男性の精子数が数十年前に比べて大きく減っているという話を聞いたことがあります。
・日本でも欧米でも出産をめぐる状況はこの数十年で激変していて、今の傾向がこれから10年、20年、30年と進んでいくと、出生率はさらに減少していくことになってしまうかもしれません。少子化はやはり日本にとっても、また多くの先進諸国にとってもビッグテーマだと思います。
井上:イギリスのリンダ・グラットン博士が著書『ライフシフト』で述べていることですね。彼女は(いま20歳の人は100歳以上、40歳の人は95歳以上、60歳の人は90歳以上生きる確率が半分以上ある)とも書いています。それだけ生きると思えば、子どもをつくろうという気も薄くなるのでは。
宮内:「長生きできる」と思うと、本能的に子孫を残すことへの意識が薄れるということですね。
井上:ただ、戦争もこれからは人間ではなくAIがやるようになるので、そうなると戦争と出生数も関係なくなるかもしれません。
<科学の進歩で宗教は変わるのか>
井上:今までとは違う形の宗教が生まれてくるかもしれませんね。
実は私自身も、信仰心のない人間でも信じられるある種の宗教的な考えを持っているんです。「シンギュラリタリアニズム」と呼ばれているものです。
「シンギュラリティ」というと一般的には「AIの知性が人類を超えること」を意味していて、アメリカの発明家で未来学者のレイ・カーツワイル氏によれば、2045年頃に実現するとのことです。カーツワイル氏のこの説を私はあまり支持していませんが、シンギュラリティを科学や経済、社会における劇的な変化という意味で用いるならば、2050年までに起こってもおかしくはないと思います。
<「脱労働社会」を目指す>
井上:経済学者のジョン・メイナード・ケインズは1930年頃に、「100年後には週15時間働けば十分であるという社会になっているだろう」と予言しています。100年後とは2030年ですから、あと10年もありません。2030年に経済はどのようになっているかと考えてみますと、私としては尊敬するケインズ先生の予言が当たるように、「脱労働社会」が実現されているように願っています。
井上:心理学的な話になりますが、幸せを感じ健康を保つためには強迫観念はできるだけ少ないほうがいいいので、私は多くの人が持っている「働かなければ」という強迫観念も心身の健康にはマイナスなのではないかと感じています。
・令和の今は「人も誰もがあくせく働かないといけない」という風潮です。これでは優雅な文化は育ちません。高等遊民をたくさん抱えていないような社会は精神的に貧しいと思います。
2050年までにはAIやロボットを活用し、今より余裕のある社会に変えていき、すべての人が楽しく生きられるようになってほしいと願っています。
<“人新世”を良くするのは人間しかいない>
宮内:確かに、2050年の人々には科学技術の進歩の果実をしっかりと掴み取ってほしいですね。生活を維持するための労働はAI・ロボット等の利用で劇的にその必要性を減らす可能性があるし、そうなってほしい。そして、余暇を前向きな活動に使えば素晴らしい社会でしょう。
<ポイント>
◎今の若い世代は政府を批判することもなく、政治に積極的に関わろうとはしない。しかし、民主主義を守っていくためにも、国民が政治に関心を持ち、選挙を通じて政治家に民意を伝えていく意識を持たなくてはならない。
◎日本でも他の先進国でも、少子化や精子の減少が進んでいる。そこには社会的な原因だけでなく、長寿化の影響で生存本能そのものが弱まっている可能性があり、原因の究明が待たれている。
◎今後、科学の進歩により労働時間が大きく減少し、宗教や常識が大きく変わる可能性が高い。われわれ自身の手で望ましい方向へと変化を起こし、幸福な2050年の世界をつくっていかなくてはならない。
<困難な問題こそ諦めない>
・長年私は、日本経済が復活を遂げるには、財政赤字それ自体を問題にせず、政府支出を十分に増やしていく以外にないと思っていました。
しかし、そういった考えは「借金を返さないといけない」という固定観念が邪魔をしているせいか、政治家に受け入れられることは残念ながらほとんどなかったのです。
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