地政学上、ロシア、ウクライナという当事国のみならず、日本の安全保障、さらには第ニ次世界大戦以降、築かれてきた国際秩序の行く末をも左右しかねないというのが、ウクライナ侵攻の本質的な位置づけである(10)

<民間防衛>

・一方、連邦政府国民保護庁は1962年に定めた「民間防衛」の具体化のため、1969年、『民間防衛』を260万部発行、全世帯に無償で配布し、基礎自治体の各教区、または地区ごとに攻撃、消防、救護、搬送、焼き出し、連絡、広報、道路の復旧、社会秩序の維持などの任務を平常時から国民が分担し、訓練を重ねておくように指示した。

・具体的には、固定式サイレンは4200ヶ所、移動式サイレンは3000台整備するなど世界一の普及率を誇っている。

・さらに、東西冷戦が終わった1989年以後、平和外交の一環として各地の扮装の仲裁役を買って出る半面、自国が有事の際、6時間以内に約4000人の連邦軍のほか、21万人の予備役、民兵も含め、計約50万人が武装、自宅に所持するライフル銃や自動小銃を持って出動し、敵国軍の侵略に反撃する体制を敷いている。

 これらの人材の確保のため、2003年まで20-52歳の男子は兵役に就くとともに、健康や身体的な理由なので兵役に就けない者、および早期除隊者が「民間防衛」に従事し、州政府指揮下の消防団は軍、または「民間防衛」に付加的に就業、以後、各自の自由意思で参集することを課したが、翌2004年以降、兵役は30歳まで、保護支援ユニットは40歳までに短縮した。その後、20-32未満の男子に最低1年の兵役および有事に備えることを義務づけ、現在に至っている。

・しかし、スイスは、第一次世界大戦はもとより、第ニ次世界大戦後、今日まで連邦軍や予備役、民兵などが外国の軍隊の戦火を交えることはなかった。また、1996年に北大西洋条約機構(NATO)に参加したものの、核兵器は持たず、先制攻撃のための武器は絶対に使用しないことを国是としていることは今も変わりはない。

 それだけではない。日本が1945年8月、第ニ次世界大戦での敗戦を認め、連合国軍に「ポツダム宣言」を受託する際、その仲介をしたのはじつはスイスだった。

<災害対策との連携>

・なお、1955年、従来の国民に対する「民間防衛」の義務に新たに防災のための目的を加え、翌1956年以降、兵役の代わりに防災訓練への参加を選択できる代替制度を発足した。そして、2004年、各州政府の指揮における消防、警察、医療、電気・ガス・水道などのテクニカル(ライフライン)、連邦政府の指揮における保護支援の5つのサービスに組織を再編、連邦政府と各州政府の指揮・命令系統を連携した「市民保護」とした。

・一方、多くの国民は2006年以降、自宅に限り任意とされた核シェルターをその後も自費で自宅の地下に設け、食料や飲料水、調理器具、空気清浄機などとともに兵役時代に使用したライフル銃や自動小銃を保管、有事に備えており、その普及率は約650万の全世帯に及ぶ。また、全国の病院などにも計約10万ベッド分がある。これらの建設基準はアメリカが広島、長崎両市に投下した原子爆弾クラスが平均約660m以内で投下されても爆死はもとより、重傷も負わない堅牢さとされ、1基当たり23万スイスフラン(2530万円)前後の代物で、東日本大震災および東京電力福島第一原発事故以来、日本の住宅機器メーカーが開発、販売している50万-840万円ほどの家庭用核シェルターとはその設計や設備、規模、強度などの点で雲泥の差がある。

・ちなみに、日本における普及率は政府の補助も認識もないとあって、2018年現在、わずか0.02%にすぎず、かつ内部の備蓄用品や機器、さらには地域における災害、また、有事への取り組みも行政や消防署、警察署、消防団、自衛隊、それに町内会や自治会、集合住宅の団地自治会や管理組合など一部の住民有志による組織で、かつセオリー的な防災訓練などの取り組みにとどまっていることを考えれば家庭用核シェルターがあるに越したことはないが、気休めにすぎないおそれもある。

・このため、国際社会では「将来、万一、核戦争になっても生き残ることができるのはアメリカ人とスイス人だけ」といわれている。だが、有事でも災害時でも自国の国土が維持され、市民保護さえ果たせられればよいと考えているわけではない。

<災害の危険度>

<自然災害>

・実際、過去約700年間、地震らしい地震が発生したのはフランスとの国境にあるバーゼルだけで、1356年、M6.5を記録、中世の古城や教会、塔などが倒壊した程度である。そのせいか、住宅などの建築の耐震基準が定められているのは全26の州のうち、このバーゼルとローヌ川沿いのワインの山地、ヴァレーの2州だけである。

<スイスと日本>

・スイスはドイツやフランス、イタリア、オーストリアの列強に接する小国でありながら、多言語・多文化共生の国である。また、ゲルマン民族を中心に湖畔や断崖、渓谷、丘陵地、高原、平原・平地に集落を形成、キリスト教の宗教倫理である「隣人愛」、「コープ・スイス」・「ミグロ生協」の二大生協および国民の「REGA(航空救助隊)」などへの加入にみられるように国民の自立と連帯が強い。

<防災福祉コミュニティの形成>

<災害保障の概念化>

・スイスに学び、日本における防災福祉コミュニティを形成するために必要なことの第1は、災害保障を新たに概念化することである。

・しかし、2065年の本格的な少子高齢社会および人口減少のピークを前に、2018年、「全世代型社会保障」と銘打ち、年金や医療、介護、子育てを拡充すべきとしながらも消費税収入のほとんどは2019年度末現在、総額約1120兆円と膨れ上がっている長期債務残高の補填に大半を充てている。また、毎年、自民党へ多額の政治献金をしている日本医師会や製薬会社などに関わる医療へのメスは棚上げしたまま社会保障給付費を抑制する傍ら、防衛費や宇宙開発費の増強や東京五輪、新幹線、高速道路の延伸など土建型公共事業を推進しており、「1億総活躍社会」や「全世代型社会保障」、「働き方改革」、「地域共生社会の実現」などいずれもかけ声だけでその検証はされず、かつ災害対策は二の次、三の次である。

<公助・自助・互助・共助のベストミックス>

・第2は、公助・自助・互助・共助をベストミックスとすることである。

 具体的には、政府はここ数年、介護保険における地域包括ケアシステムの推進にあたり、本来、政府や自治体による公的責任としての公助であるべき介護保険など、社会保険は国民が消費税など税金や社会保険料、利用料を負担する共助であることを強調している。

<有事と災害対策の再編>

・第3は、有事と災害対策を再編することである。

・一方、自治体、とりわけ、市町村は政府の主導のもと、過去の災害の有無や地形などの検証をふまえ、地域防災計画や地区防災計画、ハザードマップ、国民保護計画の改定はもとより、おにぎり、パン、各種レトルト食品、缶詰などの食料や飲料水の備蓄、避難経路、避難場所、一時避難所、福祉避難所、医療救護所、避難協力ビル、自主防災組織や消防団の拡充、防災教育の徹底、避難訓練の参加への広報、災害ボランティアの普及啓発に努める。

<地域防災・地域福祉と国民保護の融合>

・第4は、地域防災および地域福祉と国民保護を融合することである。

 具体的には、まず地域防災と地域福祉を連携すべく市町村の地域福祉計画および地域防災計画と市町村社協の地域福祉活動計画を連携、または一体化して防災福祉計画とする。

<防災福祉文化の醸成>

・そして、第5は、防災福祉文化を醸成することである。

 具体的には、政府や自治体はもとより、企業・事務所、国民も自宅や学校、職場など周辺の地形や立地、地盤、建物の耐震状況、通勤・通学・通院・通所などの避難経路、商店街や老朽化したオフィスビル、タワーマンションおよびその周辺の危険個所、さらには郷土史やウェブサイト、防災アプリで過去の災害の有無をチェックすべきである。

<防災福祉国家・防災福祉世界への地平>

<防災福祉教育の推進>

・最後に、この国の防災福祉国家への地平を拓くため、政府や自治体、企業・事務所、国民はどのような取り組みが必要か、提起して結びとしたい。

 第1は、関係者が一丸となって防災福祉教育を推進すべきである。なぜなら、いくら政府や自治体がその気になっても、国民が各家庭や学校、地域、企業・事務所において防災教育を学び、防災福祉文化を醸成して防災・減殺に努めなければ「絵にかいた餅」に終わってしまうからである。

<防災福祉コミュニティの広域化>

・第2は、防災福祉コミュニティの広域化を図ることである。なぜなら、大規模で広域な災害が発生した場合、避難所が満員となって収容できなくなるからである。

<防災福祉先進国との共生>

・第3は、防災福祉先進国との共生を推進することである。なぜなら、スイスは有事を想定した総合安全保障、あるいは「民間防衛」にもとづき「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交をベースに災害対策を連邦政府の主導および官民一体で取り組んでおり、参考にすべき点が山ほどあるからである。

<防災福祉国家の建設>

・第4は、防災福祉国家を樹立することである。なぜなら、当該地域における防災福祉コミュニティの広域化にとどまるのであれば、国家としての有事、災害時における国土の維持や防衛、減災に拡充されないからである。

<防災福祉世界への貢献>

・そして、最後に第5は、防災福祉世界に貢献することである。なぜなら、スイスに倣い、日本も有事、災害時における防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家の建設に努め、かつ防災福祉世界へと普遍化しなければ有事および複数の国や地域に及ぶ大規模災害に対応できず、災害危険度の高い国や地域は旧態依然として有事、災害時における国土の維持や防衛、防災・減災とはならないからである。

<日本人が移住したい国>

・世界の関係機関の様々な調査によると、日本人が移住したい国としてスイスは必ずといっていいほどベスト10に入る。その理由として治安がよく、景観がすばらしいことが挙げられている。

 しかし、スイスは北欧諸国並みに物価が高く、ゲルマン民族の血を引くだけに、大和民族などを主とする日本人が単にアルプス山脈や中世の家並みなどの景観へのあこがれなどだけでスイスへ移住することは困難である。この20年以上にわたる現地の調査を機に知り合ったスイス人と国際結婚した日本人女性のほとんどは、夫を見送ったあと日本に帰国して老後を過ごしたいと異口同音に話している。

 

・この点、日本は第ニ次世界大戦後、約75年にわたり一貫して対米従属および大地主と大企業の利益誘導の政治・経済体制のもと、有史以来、各地で頻繁に繰り返される自然災害に対し、旧態依然とした対処療法であるばかりか、東京電力福島第一原発事故後、9年経ったにもかかわらず、被災者の賠償や補償、汚染物質の処分も責任者の追及もされないままである。

・日本にとって、政府の主導および自治体も含めた公的責任としての公助をベースに、国民の自助と公助、さらには被災地以外の災害ボランティアや企業・事業所の共助のベストミックスによる防災福祉コミュニティの形成および広域化、さらには防災福祉国家を建設する意味で、単にスイスのプラス面にだけ注目するのではなく、このようなマイナス面も学び、窮極的には有事および災害対策はスイス、社会保障・社会福祉は北欧諸国、また、国際社会における立場は非武装中立のオーストリアに学ぶことが最善である。

『世界一豊かなスイスとそっくりな国 ニッポン』

川口マーン恵美  講談社  2016/11/1/

「幸福度世界1位」の条件は全て日本にも揃っている!!

あとはスイスに見習うだけ

<貴族の金儲けのための傭兵>

・ただ、スイス人がその能力を存分に発揮できるようになったのは、いってみれば、つい最近の話だ。それまでの彼らの歴史は残酷なほど暗い。『アルプスの少女ハイジ』の作者であるヨハンナ・シュピリ(1827-1901年)は、スイスを舞台に多くの小説を残したが、どの作品もあまりにも絶望的だ。

 父親が医者で、本人はチューリッヒの学校まで出た。「上流階級」でありながら、作品に登場する彼女が育った土地の貧しさや閉塞感は凄まじい。外へ一歩出ると、孤児が餓鬼のようにさまよい、どこの家庭でも婦女の虐待は日常茶飯事だった。山奥の貧困はさらに激しく、一度も洗ったことも梳いたこともないような髪の毛を頭の上に帽子のように乗せた人間が暮らし、近親相姦が常態となっているような孤立した村もあったという。

・山がちな国土では、人口が増えればたちまち食料が不足した。輸出するものは人間しかなかった。それゆえ、スイスは中世以来、ヨーロッパのあらゆる戦線での戦士の供給国となっていったのだが、そのスイス傭兵の歴史は、あまり知られていない。

 ヨーロッパの戦争は、常に傭兵の戦力で行われてきた。イタリアで傭兵が活躍し出したのは、13世紀末だ。

・さて、中世のスイス誓約同盟の3州では、州の支配者である貴族たちが、金儲けのためにヨーロッパの各国と傭兵契約を結んだ。つまりスイスの傭兵というのは、各人が自分の才覚で雇用契約を結んだわけではなく、いわば国家の斡旋によるもの。州政庁が安くかき集めた傭兵を、諸外国に高く輸出したのである。

 支配者であった貴族たちが、その利ざやで懐を肥やしたことはいうまでもない。15世紀、すでにスイス人が、ヨーロッパの傭兵の主流を占めていた。

<傭兵ではなく植民地人や黒人を>

・書き始めるとキリがないが、アメリカ軍における日系移民で構成された442連隊は、ヨーロッパ戦線のいちばん危険なところに投入され、めざましい活躍と、最悪の死傷率を残した。しかし、当時、442連隊の勇敢な功績は無視され、凱旋パレードには、日系兵士の姿はついぞなかった。

 一方、サイパン島の攻略では、上陸してきたアメリカ兵は全部黒人だったし、朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐屯していた兵士のうち、黒人兵だけが最前線に送り出された。これは松本清張の『黒地の絵』に描かれているが、このときの黒人兵は、ほとんど戻ってきていない。

<永世中立国だからこそ強い軍隊を>

・現在、スイスが輸出しているのは、ハイテク武器だけでなく、軍事ノウハウも含まれる。軍隊の規模は人口の2%近く、男女平等を期するため、女子にも徴兵制を作るべきではないかという議論さえあるという。

 成人男子には、最初の兵役が終わったあとも予備役があるということはすでに書いたが、興味深いのは、そのため各自が銃を自宅に保管できることだ。2011年、これを見直すべきかどうかという国民投票が行われたが、反対多数で否決された。

 つまりスイスでは、兵役を終えた男性のいる家庭には、その男性が予備役に行く年齢(20歳から34歳)であるあいだ、ずっと銃がある。現在は、銃弾は有事のときにのみ支給されることになったが、少し前までは、銃弾も各自が保管していた。

・いずれにしても、スイス人の国防意識は高い。永世中立国であるから、集団的自衛権は持たず、NATOにも加わらず(平和のためのパートナーシップのみ)、自分の国は自分で守るというスタンスを貫いている。

 彼らは、中立を宣言したからといって攻撃されない保証などないということを、ちゃんと知っている。自国の国土と国民を守るためには、強い軍隊を持たなくてはならず、その結果、ようやく得られるものが平和だと考える。

<日本の核シェルター普及率の衝撃>

・また、つい最近までは、スイスの家は必ず地下に核シェルターを備えなければならないという法律もあった。ドイツではどこの家にも地下室があるので、そのようなものを少し強化した防空壕かと思ったら、そうではなく、本当にコンクリートと金属でできた頑丈な核シェルターが各戸に設置されていた。

 しかも、非常食、衛生設備、酸素ボンベなどを完備し、2週間は暮らせるものでなくてはならないなどと決められている。自治体の担当の部署から、抜かりはないか見回りに来ることもある、という話だった。

 そこまで設置を徹底していた核シェルターだったが、2012年、ついに法律が改正され、自治体に1500スイスフランを払って最寄りの公共シェルターに家族分のスペースを確保すれば、自宅には設けなくても済むことになった。1960年より続いていきた国防対策の一つが、ようやく緩和されたのである。

 公共シェルターは、全国に5000基あまり。病院や学校といった公共の建物の地下にあるシェルターと合わせると、その数は30万基にも上るという。全人口の114%の収容が可能だ。

 ところで世界での核シェルターの普及率は、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%、ロシアが78%、イギリスが67%、シンガポールが54%、そして日本は0.02%だそうだ。

 もっとも、広島の原爆投下時の状況について様々な知識のある日本人にしてみれば、核シェルターと聞いても、あまりピンと来ない。いつ駆け込むのか、いつ出るのかなど、様々な疑問が湧いてくる。しかし、それはさておくとしても、やはりいちばん衝撃的なのは、日本人には危機感が完全に欠落しているという事実に気づかされることではないか。

<スイス人の危機感から学ぶ国是>

・いま大都市の地下道を核シェルターとして利用可能にするという話があるらしいが、考えてみれば、核攻撃にしろ、災害にしろ、スイスよりも格段に危ういのが日本だ。北朝鮮が飛ばしてくるミサイルは、現在、日本近海に落ちているが、手に入れた物は使ってみたくなるのが人情だ。近い将来「偉大なる指導者」が、そのミサイルに、ようやく完成した核を搭載しないとも限らない。また尖閣諸島周辺では、中国の公船や戦闘機が、自由に日本の領海や領空を侵犯し続けている。

・しかし、平和憲法を拝んで、私たちは戦争を放棄しましたと唱えても、戦争が私たちを放棄してくれたわけではない。しかも、いま私たちの置かれている状況においては、攻撃される可能性は間違いなく大きくなってきている。

 日本もスイスを見習って、各自が危険を察知するアンテナを、しっかりと立てたほうがよい。攻撃されないためには、抑止力としての武装が必要であるという事実も、そろそろ冷静に認めるべきではないか。

 武装は戦争を始めるためにするものだという考えは短絡的で、しかも間違っている。それはスイスを見れば、一目瞭然だ。

・スイス人の危機感と、現実的な視点を、日本人は真剣に学んだほうがよい。「備えあれば憂いなし」を国是とするべきだ。

<1970年まで続いた奴隷市場>

・2016年4月27日、スイスの下院は、かつて国家が強制労働させた子供たちに対して補償金を支払うことを決めた。

 この強制労働は、戦時下に外国人の子供をこき使ったという話ではない。被害者はれっきとしたスイス国民で、スイスは1800年から1970年ごろまで、なんと160年以上も、貧困家庭や離婚家庭の子供たちを教育という名目で強制的に「保護」し、孤児院に入れたり、「里子」として斡旋したりしていた。

 これはもっと侮蔑的な「Verdingkind=子供召し使い(?)」という言葉で呼ばれていたのだが、この差別的雰囲気をうまく日本語に訳せないので、ここでは「里子」としておく。「里子」の引き取り手は、主に安い労働力を欲していた農家などだったが、ときに炭鉱で働かされたり、薬物実験に回されたりする子供もいたという。

 いくつかの州においては、「里子」を取引する市場が定期的に開かれた。そこで子供たちは家畜のように吟味されたというから、まさに奴隷市場だった。

 ただし、本当の奴隷市場とは違い、引き取り手はお金を支払うのではなく、「里親」として国から養育費をもらった。競売とはちょうど反対で、養育費を少なく要求した人から順に、子供をもらえたのだという。そして子供の人権は一切剥奪され、実質的には、「里親」となった人間に生殺与奪の権利が与えられた。

 こうなると、子供たちの運命は「里親」によって決まる。多くの子供たちは4、5歳ぐいから、賃金も小遣いももらえないまま、ただ、働かされた。戦後は、最低限の義務教育は受けさせてもらったが、それより以前は学校などとは縁がなかった。

 虐待は日常茶飯事で、さらに運の悪い子供たちは、飢えや寒さや性的虐待にも見舞われた。妊娠すれば堕胎させられ、断種や強制避妊も行われた。しかし、虐待がわかっても、警察や行政はほとんど介入することはなかった。

 要するに、子供たちは社会のクズのような扱いを受け、お金がないのでいつまでたっても自立できず、農奴の状態を抜け出せないまま一生を終えることも稀ではなかった。

 1910年には、スイス全土で14歳未満の子供たちの4%もが、「里子」に堕されていた。歴史家マルコ・ロイエンベルガーによれば、児童労働は国家の政策として、組織的に行われていたという。

<子供の強制収容が中止された年は>

・驚くべきことに、この「里親」制度が正式に中止されたのは1981年である。この年、ようやくスイスは、これまで行ってきた子供の強制的な収容や「里親」への引き渡し、避妊手術や堕胎、強制的な養子縁組などを停止した。

 そのあと2005年には、法務省の指示で過去の「里親」制度にメスが入れられ、下院が法改正を提案したが、いつの間にかうやむやになり、6年後には立ち消えになってしまった。

<スイスで根絶されるべき人種とは>

・スイスのやり方は、ロマに対しても徹底的に過酷だった。ロマとはいわゆるジプシー(差別語)で、東欧やバルカン半島に多く住んでいる。それらの国では、ロマはいまでも激しい差別を受けているが、その対応の仕方は、基本的に「無視」である。早い話、ロマはいないものとして社会が構成されている。

 社会が受け入れないから、ロマたちはもちろん、ちゃんとした職にも就けない。多くの町のあちこちで物乞いをしたり、ゴミを漁ったりしているが、普通の人の目には、その姿さえ見ないも同然なのだ。

 アルバニアでもブルガリアでも、現地でそれを如実に感じた。「ロマがいるから、ハンドバッグに気をつけて」と注意してくれる人の目には、ロマは煩わしい害虫と変わりがなかった。なるべく遠くの集落に住み、なるべく社会に害を与えずにいてくれればそれでよいのだ。ロマの人権はもとより、状況の改善などを本気で考える人は、政治家にもほとんどいないというのが、私の印象だった。

 

・ところがスイスは違った。ロマは根絶されるべき人種だというのがこの国のエリートの考えであったようだ。それゆえ、無視はせず、赤ん坊が誘拐のように連れ去られ、施設に閉じ込められたり、「里子」に出されて強制労働に従事させられたりした。収容施設では寒くて薄暗い独房に閉じ込められ、親に会わせてもらうことも一切なし……そんなロマの子供たちがたくさんいたという。

 また子供だけでなく、大人も多くが強制的に施設に収容され、断種が積極的に行われた。スイスのロマは、生まれてから死ぬまで犯罪者のように扱われたのだ。

 ロマの子供の「保護」は、1912年に設立された「青少年のために」という公共団体の主導のもとに行なわれ、とくに1926年からは浮浪児援助の部局が設けられ、ロマ対策に当たり、スイス政府も1930年ごろから積極的に協力し始めたという。

<EU農家の収入の半分は補助金?>

・EUはECの時代より、常に農業部門に、最大の補助金を注ぎ込んできた。戦後、食料の供給が最重要事項の一つであった時代の名残だが、いまでは食料は、どちらかというと余っている。それでも、一度奮発した補助金を縮小することは難しいらしく、現在、EUの農家が受け取っている補助金の額は、ケースバイケースだが、その収入の4分の1から半分を占めているという。

 ただ、多くの補助金を注ぎ込んでいるわりには、EUの農業政策には無駄が多い。目的とは違うところで補助金が消えてしまっている例が、跡を絶たない。牛乳の値段を安定させるためだった生産量の割り当て制度も、極端なミルクの池やバターの山を減らすことには役立ったが、牛乳の値段はそれほど安定することはなかった。

『スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方』

多根幹雄   主婦の友社 2016/5/25

<スイスのパンがまずいワケ>

・最近でこそ、だいぶ改善されましたが、スイスのパンのまずさはヨーロッパでも評判でした。パンを焼く技術が低いせいではないのです。安全保障のために1年間、備蓄をしておいた小麦を使うからおいしくない。日本流でいえば、わざわざ古米を食べるわけです。

・また自宅にも、いざ戦争が起こったときの備えを欠かさないのがスイス流です。

 マンションでも一戸建てでも、地下には核シェルターが備えられています。厚さ50センチを超えるドアがついていて、いざ有事になったら、この中に入って外部から遮断できるようになっているのです。

 私が購入したマンションにも共同で使うシェルターがあり、各部屋ごとに簡単な間仕切りもありました。

・またジュネーブの街には公共の駐車場が地下に造られていて、いざというときは、そこも核シェルターとして使えるように設計されているそうです。地域の人たちが逃げ込んでも大丈夫なように、3日分の非常用食品や水の備蓄があり、さらには病院としても使えるように医療用器具、ベッドがあり、万が一、放射性物質にさらされてしまったら、それらを除染できるような施設もあるとのこと。私の事務所の近所にもそういった場所があり、日本にある地下駐車場などより、ずっと地下深くまで駐車場が造られていたのを覚えています。

<自分たちの力で国を守る国民皆兵制>

・スイスには徴兵制度があります。

永世中立国スイスでも徴兵制を導入しているので、日本も導入しているので、日本も導入すべきだという評論家もいるようですが、スイス人と国との関係を無視した不用意な意見だと思います。スイス人にとって徴兵制は、国の強制というのとはちょっと違います。「自分たちのコミュニティを自分たちで守るのが当然」という考えの延長線上で、「自分たちの国を守る」という意識が強く、主体性を持った参加をしているようです。

・スイスの家庭には、政府が発行している『民間防衛』というマニュアル本が置かれています。日本でも訳本が出ていて、内容を見ることができますが、国土の防衛について驚くほどこと細かく解説されています。

 食糧や燃料の備蓄のこと、避難所に必要な装備、安全な場所への非難の仕方、原子力爆弾についての解説、生物兵器・化学兵器への対応方法、被災者への支援、救護班と応急手当、さらにはレジスタンス(抵抗活動)の仕方まで記述されているので、日本人にとっては驚くべき内容かもしれません。

<自由と独立を守るのは、自分たち自身の力なのだという決意>

・「国土の防衛は、わがスイスに昔から伝わっている伝統であり、わが連邦の存在そのものにかかわるものです。……武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき……われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が保障されるのです」

・スイスは国民皆兵制なので、一般的に男性は20歳になると、15週間の兵役訓練があります。そして42歳になるまで、2年ごとに20日間の訓練を合計10回行います。合計すると200日の訓練義務があるというわけです。この間、軍と企業が負担して給料を支払います。

 軍事訓練ですから、銃の扱い方も学びますし、体力的にも厳しい内容です。ただ最近では民間病院での奉仕活動などの選択肢もあるようです。また訓練期間中、土日には必ず家に帰れるというのも、どこかスイス的ですね。

 さらに43歳から52歳までの男性には、民間防衛と災害援助のボランティア義務があります。

 災害には①一般災害、②水害、③放射能という3つの種類があります。ある時期まで原子爆弾の脅威があったので「放射能」に対する備えもしているのでしょう。それぞれサイレンの音が異なり、それを聞くことで識別できるように訓練を行うそうです。

<自分たちの命は、まず自分たちで守る>

・また日本では考えられないことですが、兵役訓練を受けた男性は自宅に武器をワンセット置いておき、いざというときに備えています。機関銃、缶に入った銃弾は年に一度の点検が義務づけられていて、時折、軍から呼び出しがあって射撃訓練を受けます。そこで成績が悪いと、また別途、特別訓練を受けなければいけないというので、なかなか大変です。自宅に銃があっても、きちんと使えなければ意味がないので、そこは徹底して教育しているのです。

 この他、自宅には軍服、コート、軍靴、リュックサック、ヘルメット。飯ごう、コップ、スプーン、アーミーナイフ、水筒、ガスマスク、薬セット、銃の手入れセットなども常備して、コミュニティを守るべく、準備しています。「ヴィンテージ」を目指すためには、実用的な準備が必要なのですね。

<「自由」と「自立」を守るには覚悟が必要>

・永世中立国を維持する」とはどういう意味なのか。それが、どれだけ大変なことなのか。スイス人の「防衛」に対する決意を見るとよくわかりますし、私たち日本人の中にある感覚とはまったく異なることに気づかされます。

 日本人は「平和賛成!」と言うけれども、では「どうすれば、それを実現できるのか」についての議論がないのです。スイス人は「1年前の古い小麦で作ったパンを食べる」というつらいことも引き受け、また国民皆兵という厳しい義務をまっとうしながら「自由」と「独立」を守っています。その覚悟を、私たちも学び、理解しなければならない時代になっているのかもしれません。

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