「有能なスパイを持たない国は情報で滅びる」と、よく言うんですが、果たして日本が国家として、世界の国々のさまざまな動きをキャッチして対応するシステムになっているかな………と。(1)

 『ハマコーの証人喚問』 国民のために代表質問いたします 浜田幸一  光文社   1994/7 <なぜ、日本は北朝鮮の行動を把握できないのか――中山正暉(元郵政大臣)> <ハマコーの冒頭陳述> ・中山正暉君と私は、昭和44年初当選の同期であるが、中山君とのつきあいはその4年ほど前、彼が大阪市議、私が千葉県議のときからのものであった。  彼の家は根っこからの政治家一家で、お父さんの福蔵さんは弁護士から参議院議員になり、お母さんのマサさんは、池田内閣時代に初の女性大臣として厚生大臣を務められた、やはり国会議員であった。そしてお兄さんが中山太郎元外務大臣である。  つまり、田舎者でガラの悪いハマコーとは比較にならないエリートなのだが、なぜか妙にウマが合い、昔もいまも変わらぬご厚誼を賜っている。 ・それに加えて、思想、哲学、世界観等でも卓越したものを持ち、とりわけ国家安全保障の問題について語らせたら、政界広しといえども彼の右に出る者はいないはずである。  そういう意味では、中山君は古くからの親友である以上に、私の先生でもあった。  それはそれとして、ソ連邦の崩壊に続く東欧共産圏の相次ぐ崩壊によって、東西の緊張、冷戦構造が崩壊し、世界は一気に平和へと向かう見方が大勢を占めた時期もあった。  しかし、私はソ連が崩壊した直後から、「冷戦構造の終結は局地戦争の多発化につながる」と主張し続け、現に世界のいたるところで民族戦争、宗教戦争が勃発し、こうした局地戦争は今後も増加の一途をたどる危険性を秘めている。 ・結論から先に言うと、私は中国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の一党独裁体制が崩壊しないかぎり、北東アジアの冷戦構造は終結しえない、と見ているが、問題はこうした日本を取り巻くたいへん厳しい、そして危険な状況を、政治家が、そして国民のみなさんがどの程度認識しているか、ということである。 ・その日本が、これから先、地球上に長期的に生存するためには、ウサギと同様、世界のあらゆる情報をキャッチし、分析し、それに的確に対応することが必要なのだが、こうした諜報戦略活動の面においても、日本は大きく立ち遅れている。   ・たとえば、虚仮威しではなく、いまは北朝鮮から日本にいつミサイルが飛んできてもおかしくない状況なのだ。しかし、現在の北朝鮮がどうなっているか直接情報を入手する手立ては皆無に等しい。  したがって、アメリカや中国におすがりして、「何とかよろしくお願いします」と頼むしかない。  こんなことで、日本は独立国だと言えますか?日本国及び日本人が長期的に生存できるとお考えですか? みなさん。  これぞ、私が中山正暉君に、警鐘乱打してほしいと思うゆえんである。 <アジアにおける冷戦は終わっていない> ・(中山)「大変な時代になった」というのが偽らざる気持ちですが、まず、1989年11月6日にベルリンの壁が崩壊して、冷戦構造が、これまた崩壊した。けれども、現在世界の28カ国で民族、宗教問題で混乱が起きたり、また、起きつつある。旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナがその最たるものですが。 ・ほかにも突出しては北朝鮮があり、日本の周辺にはいちばん物騒なところが残っていると言っても過言ではない。 <日本は北朝鮮の行動をまったく把握できない> (浜田)話を進める前に、私は領土権、領海権、領空権はもとより、国家の安全保障を主張できないような国は独立した<国家>と言えない、と。  この点については、誰になんとも言われようと譲歩する意図はいささかもないんです。  そこで、国家安全保障の問題を含めて<諜報戦略活動>に話を移したいと思うんですが、世界のなかで、強力な国家として安全性を維持しなければならない国々の場合、憲法の条文や党是のなかに、必ず諜報戦略活動が盛り込まれているんですね。 ・(中山)話は横道にそれますが、金日成の息子・金正日というのは、以前金正一といって、これには、「南北朝鮮の統一」という意味があったそうです。  それが、“正日”に変わったのは、「日本に正義を立てるため」という説すらあって<労働3号>が1300キロメートル飛ぶということは、日本全体が射程のなかに入るわけです。  ところが、こうした情報もアメリカに頼りきりだし、いざとなったら、「中国が北朝鮮をなだめてくれるだろう」なんて声すらある(苦笑)。 (浜田)では、今後北朝鮮がいかなる行動に出るか、日本はまったく把握できてない、と。 (中山)把握したくても、「平和な日本」では、そういう情報をつかさどる機関がまったくないし、ますますそういうものが作りにくくなった。  そういう意味では、あなたの言うように、日本は<国家>の態をなしてないかも分かりませんね。 <手品の鳩はすぐ消えても、ロシアの軍隊は消えない> ・(中山)ソ連邦は530万のそれとは別にKGB(秘密警察)は57万人の国境警備隊を持っていたという。彼に連邦が崩壊しても、「手品の鳩はすぐ消えるけど、軍隊は消えない」ということわざがありますから。 <北朝鮮に脅威を抱くアメリカは、日本にうんざりしている> ・(中山)この間も神奈川県でありましたが、COCOMで規制されている品物を、「儲かりゃ何をしてもいいんだ」と北朝鮮に売る日本人の神経、そういう日本人の常識。それにそういう事態を深刻に受け止めようとしない日本の政治家に対して、アメリカは、「厳罰に処してくれ」と言っているにもかかわらず。  そういう意味では、「軍事を抜いた政治は、楽器を抜いた音楽だ」という諺がありますが、いまの日本は、「口笛を吹いている国」ですよ。 (浜田)私は、アメリカ合衆国の上院、下院の討論をビデオで毎月4本、1年間で48本入手して和訳してるんですが、それを見ると、いま言われたCOCOMの問題を始め悶着があると必ず、「それなら日本の国は日本に守らせろ」という話になるんですね。 <日本が世界に通用する国になるための方策> ・(浜田)ですから、私は、日本は、「国ではなく村だ」と言い続けているんですが、そこで最後にうかがいたいのは、日本が、地球上に長期的に生存するためにはどうしたらいいのか、と。  たとえば、安保理常任理事国になる、ならないという議論にしても、「なれば骨が折れるから、ならないほうがいい」とか「金は出します、汗も流します。でも、血は流しません」では、これからは世界に通用しないと思うんです。 ・(中山)こうした点を踏まえて、当面日本の政治家が世界の注目を喚起していくための、そして、日本が再び戦火に巻き込まれないための大方式というのは、国連憲章の敵国事項を削除、または休止させることが前提ですが、やはり、国連の機構のなかで日本の地位を高め、そして、発言力を高めることだと思います。  私は、宮澤内閣のころ、広島出身の首相に、予算委員会の席で、「原爆の洗礼を受けた広島に、核軍縮を実現するための国連機構を設置しては…………」と提案したことがありました。それが、2度と核攻撃を受けないための護符―—つまり、守り札だと考えたからなんですね。 その代わり、日本の自衛隊は国連の直轄軍にしてもいい。これは、日本を守るための組織ではありません、と。朝鮮戦争のころ、日本に国連軍が駐留したことがありますから。そのためには、(自衛隊は)もっと立派な装備をしないといけない。  PKOでカンボジアに派遣された自衛隊の装備は、世界80数ヵ国のなかでもっとも貧弱で、まるで“オモチャの兵隊”のようだったという説があるし、安全なところに自衛隊がいて、危険なところに警察官が行って、しかも、ピストルすら持っていなかった。 <ハマコーが告訴されない理由―—河上和雄(元東京地検特捜部長)> <政治家の場合、火のないところには煙は絶対たたない> (浜田)「真の政治改革はまず腐敗防止から始めなければならない」と、これまでも繰り返し主張してきたんですね。 (河上)浜田さんもよくご存じのとおり、政治に金がかかるという現実は無視できないと思うんです。 ・ザル法の最たるものが現在の『政治資金規正法』だと思うんです。そこで、私の持論は、現実に金がかかるんだから、政治家がいろんな企業から金をもらうのは結構だ。ただし、すべてを公表しなさい、と。  その金がどういう性質のものかはともかく、そうすれば、「あの先生は金集めばかりしてけしからん。もう投票するのはよそう」ということになって、長い目で見れば自然淘汰が行なわれるはずです。  と同時に、献金を公表せずに裏金と処理し、虚偽の申告をした政治家には重い刑を科すべきだ、と。 ・それに、不正を行なった政治家は、政治生命を絶つという意味で、<公民権の停止>ではなく<永久剥奪>にすべきだ、と。最低この程度まで徹しないと腐敗防止は不可能だと思いますよ。 <金をもらった政治家は有罪。無罪というなら自分で立証すればいい> (河上)浜田さんは、『日本をダメにした9人の政治家』のなかで、どうかと思われるようなことをいろいろやっている政治家がいる、とお書きになっているけど、私も仕事をしてきたなかで、大変色々なことをなさっている政治家を知っています。  ただ、政治家というのは十重二十重に垣根で守られていて、簡単に司直の手が及ぶような形にはなっていない。その背景には、やはり法制度の問題があるんです。 ・このように、まず、法的に政治家は守られているし、力のある政治家であればあるほど、周囲の人間は、その政治家を庇うんです。 (浜田)ただ庇うだけならまだしも、場合によっては自ら命を絶つんですよ。 (河上)そう。貝になるだけでなく、自殺をしてまで政治家を庇う。 (浜田)現に、一番のポイントゲッターというか、最も(疑惑の)中心にいて、すべてを知っているであろう人間が、これまで何人か亡くなってますから。 (河上)そういう意味でも、私は、政治家を擁護しているような現在の法制度には欠陥があると思うし、いまの刑法では政治家が企業というか業者から金をもらっても、「先生よろしく」と請託の主旨を込めて金をもらったという事実が出てこない限り、収賄罪にはならないんです。 <政治改革は、泥棒に自分をしょっ引く縄を作らせたようなもの> ・(河上)政治家というのは、本当に頭がいいなと思うのは、政治改革のそもそもの発端は『リクルート事件』ですよ。  このとき国民が期待したのは、政治家がわけの分からん金を受け取るような政治腐敗から訣別する法制度を作ってほしい、と。そういう趣旨でスタートした話なんですね。  それが、いつの間にか<小選挙区制>という選挙制度改革にすり変わってしまった。  小選挙区にすれば金がかからず、その結果、悪いことをする政治家もいなくなるからということで。これが、もし本当なら、私は、真っ裸で地球を何周もしますよ(爆笑)。 (浜田)(笑って)そんなことはありえない、と。 (河上)というのは、「小選挙区は金がかからない」ことを証明するものは皆無だし、むしろ、逆の証明はいくらでもあるんです。  つまり、こういう言い方は政治家に失礼かもしれないが、政治家に、「政治改革をしろ」と言うのは、泥棒に、「泥棒をしょっ引く縄を作れ」と言うのと同じで(苦笑)、おかしな金をもらったら、すぐに司直の手がかかるという法律を作るということは、政治家にとって、ある意味では自殺行為ですからね。  ですから、ペンキ塗り立てというか、年増に厚化粧をさせて、ちょいと粋に見せようとしたような今回の『政治資金規正法』の改正にしても、私に言わせれば、何の意味もない。政治団体を規制する法律ではなく、政治家個人の金を規制する法律に切り替えないとダメなんです。 <あれだけ書かれても、政治家がハマコーを告訴しない本当の理由> ・(河上)浜田さんも本の中でお書きになっていますが、山の頂きは見えても、途中の道は曲がりくねって分からないわけですから、現場の検事たちは、まず、必死になってその道を探すわけです。ところが、道を探し当てても途中に大きな岩があったりして―—要するに、何を聞いても、「知りません」「よそへ行って聞いたらどうですか」ということで協力してもらえない。これでは、とても頂までいけないんです。 ・(浜田)ですから、金丸先生のところから押収した1万点と言われる資料の行き着く先は「大山鳴動して」じゃないかと。すなわち、中村君だけで終わるんじゃないか、という声が一部にあるんですね。 <「絶対に助からない男」の名前が出てこない不思議> (浜田)ただ、不思議に思うのは、私から見て、「この男だけは絶対に助からない」という人間の名前が、一切出てきてないんですよ。 (河上)だいたいの見当はつきますが、チラッと名前が出てすぐ消えましたね。 (浜田)しかし、いまのところはゼネコンだけですが、たとえば、運輸―—ここに検察が入れば、かならずその人間までいくんです。  私は、運輸のほうが問題は大きいとおもうんですが。 ・(河上)ですから、大臣が誰であろうと、必ず公平の原則によってやらねばいけないし、私は、証拠さえあれば必ずやると思うんです。  ただ、繰り返し言いますが、いまの法制度では、政治家は十重二十重に擁護されていて、しかも、関係する省庁の人間を始め周りのガードは堅い詩、証拠がないんですよ。  ですから、「ぜひ、しゃべってください」と、浜田さんにお願いするしかないんです(笑い)。裏の裏まで、ご存じのはずなんだから。 <自民党と新生党の歴史的和解はあるのか?―—小渕恵三(元内閣官房長官)> <ハマコーの冒頭陳述> ・というのは、渡辺美智雄さんも言っておられたが、自民党分裂の原因は、高度な政治的見解の相違ではなく、きわめて次元の低い「親の跡目相続争い」なのだ。 <一国の総理が熟慮の結果決断したことは変えるべきではない> (浜田)まず、自由民主党を代表する『経世会』の会長として、先日出された国民福祉税をどう思われました? (小渕)聞くところによると、三塚(博)さんは、「けしからん」と言い、渡辺美智雄さんは、「大英断だ」と言ったそうだけど、僕自身は―—現在の消費税を導入したのは竹下内閣のときだし、ときの官房長官で苦労した経緯で言えば、やはり、直接税と間接税の比率というのは将来変えていかないといかん、と。そういう一環としての消費税の変更は、税制改正の上で言えば至極当然のことだと思います。  しかし、景気対策の面とかそういう面で、どれくらい効果があるか結論が出しにくい点があるので、少し勉強しようと思った途端に、白紙撤回になったでしょう。  ですから、何とも申し上げられないんですが、一つだけ言えることは、国民に、一種のショック療法を与えたという意味では、それなりの効果があったんじゃないか、と。  ただ、いかに8党会派の、難しい連立内閣といえども、時の総理が発言されて、それが、一夜にして撤回されることは、少なくとも自民党時代には考えられなかったことだから、いささか世の中変わったな、という気がしますね。 ・(浜田)ただ、自民党の場合、5つの派閥がありますが、これは派閥というより政党で、自民党は5つの政党から成り立っていると思うんです。 ・(小渕)いまの日本がどういう状況かを考えると、ドイツの同じことが言えると思う。  つまり、本当の意味の<大連立>をもしなければならないような歴史的時点に日本は達してるんじゃないか、と。外交にしても、何にしても。  というのは、戦後の外交は<自民党の政治>をしようとすると、社会党という“うるさい女房”がいて、「女房をなだめますから、ちょっと待ってください」というスタイルで(笑い)、いわば言い訳をしながら進めるという外交ですよ。 ・(浜田)いま言われたことは、<足して2で割る政治>をいかに打破するか、ということだと思うんですが、これには時間がかかるし、新しいシステムを作り上げていくには10年、20年とかかるでしょう。 <自民党、および日本を救える唯一の人―—後藤田正晴(元副総理)> <ハマコーの冒頭陳述> ・ところが、自民党というのは派閥が一つの政党として機能し、その集合体によって内閣を組んでいた。わかりやすくいえば、自由民主党というのは「連立内閣」だったわけです。したがって、なかには当然、気の合う人間とそうでない人間がいる。  こうした、ある意味で「非常に複雑な政党」が一つにまとまり、政権を担当していくためには、内閣の要である官房長官に睨みの利く人物が座らなければならない。そういう意味では、後藤田先生は、まさにうってつけの方であった。 <手段と目的を履き違えている<政治改革>> ・(浜田)しかし、世界の自由主義陣営の一員として日本が長期的に生存するために、国家安全保障の問題を含めてあらゆる面で、きちんと合体できる者同士がいっしょにならなければならない日が必ず来ると、私は思うんです。 (後藤田)私もそういう時期が来ると思うし、新しい国家像をどのようにデッサンしていくかという過程で、政党はおのずから収斂していくと思うな。つまり、国家像に基づいて、安全保障を始め諸問題に対する基本的な姿勢、政策あるいは、政策の具体的な手順といったものを巡って、相似た者がだんだんと収斂していくんじゃないか、と。  そして、政党間の、健全な歩みにおける対立があって、ときには失政や、権力に必然の腐敗現象でスキャンダルが起きることもありえますわな。  そういうときには自ら政権交代をしていく―—こういうような政治のシステムになっていくんじゃないかな。  それが本当の意味での<政治の改革>であって、世間では、選挙制度を変えるのが政治改革だ、という声もあるけど、これは、手段と目的を履き違えていると思うね。 <細川総理には総理大臣の重みに対する認識が本当にあったのか> ・(後藤田)ただ、残念ながら、自民党の38年の長期政権に対して、国民は飽きてもいるし、「自民党には政権を渡すわけにはいかない」という国民の声も依然として強い。世論調査をしても、自民党の支持率は、まだ25パーセントですから。 <政界再編第3幕の読み方―—岩見隆夫(毎日新聞編集局顧問)> <政権交代後も<足して2で割る政治>がまかり通る異常な政局> (浜田)日本の場合、政権交代はあっても、相変わらず<甘えの構造>のなかに各政党が埋没し、<足して2で割る政治>が依然としてまかり通っていると、私は思うんですが、いかがです? (岩見)昨年の夏に38年間続いた<自民党の政治>が終わり、日本の政治は変革期に入り、これは、「国際社会の流動化に相呼応した国内政治の変化だ」という見方に一応なってますが、ずいぶん内向きだなって思いますね。  ですから、対外的なアンテナというのはあまりないんじゃないか、と。とくに、情報収集能力に関しては。つまり、「スパイ」というのは言葉は悪いけど、「有能なスパイを持たない国は情報で滅びる」と、よく言うんですが、果たして日本が国家として、世界の国々のさまざまな動きをキャッチして対応するシステムになっているかな………と。これは、戦後ずっとそういう印象ですね。世界に向かってアンテナをきちんと張り巡らすシステムを能力的に作れない国ではないと思うんですが、現実にはほとんどないんじゃないでしょうか。 <金丸氏は再評価されるときが必ず来る> (岩見)そこに至るプロセスを考えた場合、一幕めを仕掛けたのは金丸さんだ、というのが私の持論であって、現在は刑事被告人ですけど、金丸さんがいなければ<政界再編>のエンジンはかからなかったと思うんです。  そういう意味では、「自民党をつぶしたのは金丸だ」という声もありますが―—これは、歴史的評価の部類になると思うけど、金丸さんというのは再評価される時期が必ず来ると思うんです。 <連立政権と政策の関係―—羽田孜(内閣総理大臣)> <ハマコーの冒頭陳述> ・羽田孜君と私は、すでに述べたように同期の桜であり、なかでも私と羽田君、梶山静六君は、故・小此木彦三郎先生のお宅で、先生を囲み、奥さんとお嬢さんの手料理に下鼓を打ちながら、国政や外交問題、日本の将来のあるべき姿について、議論を交わした仲間であった。 ・私の浪人中、反省と再起を目指して勉強の日々を過ごす私のために『励ます会』を立案し、自ら司会と進行役を務め、励ましてくれたのが、当時、農林水産大臣の羽田君であった。現職の大臣が、世間をはばかることなく、「日本一の悪タレ政治家」であるハマコーのことを思って、ですよ。 <連立政権のなかで政策綱領が一致しないなら、袂を分かつべきだ> (羽田)まず、まず、独裁政治ウンヌンということについては、いい例が英国だと思うんです。  ご存じのように英国は小選挙区制ですが、独裁政治が行なわれているかどうか―—。だから、私は、小選挙区制度、イコール独裁政治ということはありえない、と。  次に、小選挙区だと、「選挙区が小さくなるから買収が増える」と言う人がいるけどこれまたナンセンス。  英国の小選挙区は6万から7万人程度ですけど、日本は1選挙区40万人以上ですから。 <小選挙区制は「翼賛選挙」だ―—石原慎太郎(元運輸大臣)> <ハマコーの冒頭陳述> ・この点をどう見るかは読者のみなさんの判断に委ねるとして、私が「タカ派」だと言われようが、いまもなお、なぜ自主独立の憲法にこだわるかと言うと、現行憲法を「占領政策憲法」と見ているからにほかならない。  その端的な例が、現行憲法を論ずる場合、常に一番の争点になる第9条の1と2の条項である。 ・そして党是、党則が一致する政党同士が合従連衡して日本の顔を世界に示していかないことには、日本の真の独立も、また長期的生存もおぼつかない。 <小選挙区制で、日本は太平洋戦争前夜の<翼賛選挙>になりかねない> ・(石原)しかも、国民は案外分かってないようだけど、<小選挙区制>というのは、党の統制が厳しくなって、全体主義的な政治が実現するんです。若い読者には馴染みのない言葉だと思うけど、太平洋戦争前夜の<翼賛選挙>みたいなことになりかねない。 <公費助成で、国民の金が創価学会に流れるのは憲法違反> ・(石原)それと、あなたの嫌いな共産党も、ときには正しいことを言うなと思うのは、憲法の第89条(公の財産の支出、利用の制限)を踏まえて言えば、世の中にはキリスト教徒もいるし無神論者もいるわけです。そういう人たちから一律300円だか500円だか集めて、それを助成金として公明党―—つまり、創価学会に流すというのは、どう考えたって憲法違反ですよ。 ・確かに、宗教法人としては存在しないわけだけど、依然として無税のままでしょう、創価学会は。あれは、日蓮正宗下の、一つの<講>みたいなものでしかない。 <小沢一郎も、本音は公明党とくっついていたくない> ・(浜田)そこで――これは、たいへん大事なことなんですが、「破壊するところに目的がある」というのが、新生党というか小沢君の理念だと思うんです。  そのためには手段を択ばず公明党とも、また、ソ連のスパイをやって、40数年間予算に賛成しなかった社会党とも合従連衡する。こんなことは普通常識では考えられないことなんだけど、それでも、そうやってできた政権が存在する以上、国民の付託に応えるための政治というのは移行していくわけです。 『永田町、あのときの話』  ハマコーの直情と涙の政界史 浜田幸一   講談社        1994/2 <謀略の勝者と敗者>  ・青嵐会(せいらんかい)の事務局長までして中川さんを担ぎ上げてきたというのに、結局、私は、昭和54年(1979年)5月に旗揚げされた中川派「自由革新同友会」には加われじまい。  このあたりから、昭和58年(1983年)1月9日の中川さんの自殺、それ以後の経過については、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)に詳述しているので、そちらを読んでいただきたいが、あとで考えれば考えるほど、中川さんと中川派をめぐる一連の出来事は、福田赳夫・三塚博一派の謀略であったとしか思えない。   <池に戻れず干上がった鯉> ・小なりといえ派閥の領袖、閣僚経験(農林大臣、科学技術庁長官)もあり、次代を担うニューリーダーの一角に名を連ねていた政治家・中川一郎の急死は、それだけでも重大なニュースだったが、それがやがて自殺と判明して、国民の間にさらなる衝撃が走った。  なんの遺書も残さなかったとされるため、死後、その原因をめぐっていろいろと取り沙汰されたが、自民党史の流れの中でとらえるなら、ややきつい言い方だが、結局のところ、派閥抗争の敗者としての死を選んだと言えるのではないか。 ・そとのとき、私はなにをやっていたか――。恥ずかしながら、ラスベガスでのトバク問題によって、謹慎中の身だったのですよ。かえすがえすも、情けない! <田中角栄の“お盆手当・餅代”リスト> ・当時、私はまだ駆け出しの1年生議員。 「いいか、お前な、天下とりになるためには、こういうことが必要なんだよ。よく見ておけ」  そう言って、田中さんが2、3枚の紙片を見せてくれた。そこには、国会議員の名前がずらっと書いてあり、その1つの名前の横に、「5百・3」とか、「5百・5」とか記してある。  聞けば、たとえば「5百・3」というのは、その議員に対し、田中さんがこれまでに5百万円を3回、計1千5百万円渡したという意味だという。盆暮れに渡す“お盆手当”や“餅代”、選挙のときの陣中見舞などだ。  5百万円といえば、当時のサラリーマンの平均年収は約120万円くらいだから、約4倍以上の大金だ。最後の部分までは見せてくれなかったからわからないが、私が見せられた一覧表には、1回から5回までの記載があった。 ・派閥の領袖が配下の議員たちに年末に“餅代”と称する金を渡すのは、永田町では常識だが(ただし、2、3百万円が相場)、その田中さんのリストには、田中派以外の自民党議員から、当時の野党議員たちの名前まで、ズラリと並んでいた。  とくに野党議員の場合、各党の党首、幹部クラスだ。国会議員なりたての私、これにはぶったまげたね。 ・いまではすっかり様変わりしてしまったが、派閥の領袖たる者、次の4つの条件が不可欠だった。 第1に金。盆暮の手当はどこの派閥も同じ。田中さんが金脈の指弾を受け、三木武夫さんや福田赳夫さんらは「クリーン」とか「清貧」とかを売り物にしていたが、田中さんに比べて、金の集め方が下手だっただけの話。 第2の条件は、面倒見がいいこと。 第3にポストをとってくる力があること。 第4が人間的魅力。 田中さんは、これらすべての条件に秀でていた。まさに派閥政治の権化のような人だった。 <競争心なき政治家は去るべし> ・昭和63年(1988年)12月、リクルートコスモスの未公開株の譲渡問題で蔵相の宮沢さんが辞任したのは、私が前々から言っていた「宮沢派(宏池会)は闘争心に欠ける」という弱点が、もろに出た結果だ。 ・自民党の中にも、根まわしの好きな派閥と嫌いな派閥があり、言うなれば、根まわしと喧嘩が不得意の宮沢派が、野党側から狙われたということだろう。  宮沢さんは、戦後、日本がまだ4等国と言われていた時代に、日本の国益を背に今日の日米関係を築いた人だ。経済政策にも明るく、通訳なしで、世界の首脳クラスと一人でどんな議論でもできる英才。 ・しかし、あまりにも遅すぎた春、宮沢さんの切れ味もすっかり鈍っていた。それまでの経緯から、周囲に対する不信感もあったのだろうが、とにかく人の話に耳を貸さない。そのくせ、結論をどんどん先送りする優柔不断さ。  外交と並んで、経済にも精通しているはずなのに、積極財政への転換の機を失って、不況をますます助長してしまった。 ・宮沢さんはあまりに頭がよすぎたため、他人がバカに見えた。しかし、われわれから見たら、単なる人望のなさにしか映りませんよ。 <天才的な衆参ダブル選挙の発案> ・田中角栄という人は、日本の政治史上でも傑出した人物の一人に数えられると思う。  政治家の能力は、人材の使い方にある。たとえ98パーセントの欠陥があっても、残り2パーセントの才能をうまく使う能力である。  その点、田中さんの能力は抜群だった。とくに、役人の使い方、若い政治家の使い方が実にうまかった。 そして、派閥内の人事、派閥統制の妙も見事だった。要するに、分断するようで分断しない。ライバル同士を競わせて希望を持たせるなど、のちの竹下さんや金丸さんの人事は、ことごとく田中さんから自然に学びとったものといえる。 それから、田中さんは選挙の神様だった。 <すべてはウラで決まっている> ・ポスト中曽根は竹下――しかし、これがかなり危ういところだった。例の皇民党による“褒め殺し”のせいだ。これには、金丸さんもあわてたようだね。そこで、解決策を東京佐川急便の渡辺広康社長を通じて、稲川会の石井進会長に依頼したということらしいのだが、やはり、政治家としては、そういうやり方はよくない。  そうした解決方法がどうこうよりも、その問題が起こってきた背景のほうが重要である。  竹下さんを称して、よく「まめな、つき合いを欠かさない人」と言われるが、マメでそだつのはハトだけ。その実態は「カネのつき合い」にほかならない。 <ラスベガス・トバク事件の真実> ・昭和55年(1980年)3月6日、東京地裁でのロッキード事件に関する公判の中で、聞いたこともないような話が飛び出してきて、私は一躍“時の人”ですよ。検察側の冒頭陳述補充に曰く――。 「小佐野被告がロッキード社から受け取った20万ドルは、昭和48年(1973年)11月3日、ラスベガスのホテルに対し、カジノで負けた借金の支払い保証をしていた分の返済に使われた。カジノで負けたのは、K・ハマダという人で、47年(1972年)の10月のゲームで、150万ドルの借金を負った。小佐野被告は借金の保証人としてホテルと交渉し、120万ドルに値引きしてもらうとともに、支払いを肩代わりした」 “寝耳に水”とは、このことだ。これを聞いて、自分でも「ええっ」とびっくりしたほどである。 ・私はラスベガスへ行ってギャンブルをし、負けた。これは否定のしようもない。  当時のレートは1ドル3百6、7円だから、150万ドルといえば4億6千万円ぐらいに相当する。一緒に行った人たちの分も入っているのかもしれないが、まあ、この際、そういうことはどうでもいい。  私がびっくりしたのは、私の借金を小佐野賢治さんが肩代わりしてくれたという点だ。本当にそうなら、どれだけ助かったか知れない。己の不徳のいたすところとはいえ、支払いには大変に苦労したんだから。 ・小佐野さんが「支払いを肩代わりした」なんて、とんでもない。前にも述べたが、小佐野さんという人は、そんなに気前のいい人ではない。根っからのビジネスマンなのだ。  私は、そのときの借金の埋め合わせのために、自分が保有していた株や不動産を売却して、やっと金をつくったのである。  そして、このこともはっきり言っておこう。そのときの不動産の売り先も、小佐野さんの国際興業グループの会社ではない。 <金丸事件> ・平成4年(1992年)8月、東京佐川急便からの5億円受領を認めて、自民党副総裁を辞任、同9月、5億円問題で東京地検から出頭要請、同10月、議員辞職、経世会会長解任、そして平成5年(1993年)3月6日、所得税法違反(脱税)容疑で逮捕。家宅捜索の結果、隠し財産が60億円とも70億円とも。金庫の中からは金塊も出てきた。  この金丸信さんをめぐる一連の出来事には、私は実に複雑な思いでした。なにしろ、国会議員2期目以来、押しかけ弟子入りのようなものだが、私が一貫して師事してきた人だったのだから。 ・実は、私が引退を決意した理由の一つは、この金丸事件なのです。  なにもかも金丸さん一人に罪を押しつけて、頬っかぶりしているヤツが何人もいるわけでしょう。 ・私は、実際はムジナでいながら、自分だけ清潔そうなツラをして、偉そうな口をきいているヤツが大嫌いなんだ。そんなヤツは、許すわけにはいかない。  しかし、私だって、金丸さんから“餅代”をいただき、選挙のときには陣中見舞いをもらってきた一人だ。その私が、テメエだけ頬っかぶり、知らんぷりをしている連中を批判しようと思ったら、議員としてとどまっているわけにはいかないでしょう。  私も国民のみなさんにお詫びをし、公職を辞した上でなければ、目クソが鼻クソを笑うのと同じになってしまう。  そこで、私は次の総選挙には立候補をしないと明言した上で、在職中から竹下さんや中曽根さんに議員辞職をお願いしたり、小沢くんや三塚博くん、梶山くんを批判したりしてきた。しかし、彼らにいっこうに反省の色が見えないため、引退後、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)を刊行した。 ・金丸さんの逮捕だけで終わってしまったのでは、日本の政治は少しも変わらない。逮捕されるべき人は、まだまだいる。手が汚れている人がいくら制度を変えたって、よくなるはずがない。そんなことをしている間に日本はどんどん国際的信用を失い、地球上における日本国民の長期的生存は、どんどん危うくなっていく。つまり、自分たちの子や孫の代に禍根を残すことになるんです。 <権力亡者による三つ巴の抗争> ・ことの真相は知らないが、田中退陣の引き金となった「文藝春秋」掲載の「田中角栄研究」について、当時、三木・福田の謀略だとの説があった。少なくとも、田中さんはそう思い込んでいた。 <毎朝8時半から勉強している国会議員もいる> ・通常、自民党議員の1日の仕事は、午前8時半、東京・永田町にある自民党本部での朝食会からはじまる。議員はすべて自分の専門分野をもち、党内のそれぞれの専門部会に所属している。   

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