経済戦争といえばもう一つ、ウクライナ戦争は「金融戦争」でもある。これも従来にはなかった側面で、戦争のあり方を変えたという意味で後世に検証され、語り継がれることになるだろう。(1)
(2023/7/21)
『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないのか 政治と経済をつなげて読み解くDIMEの力』
江崎道朗 KADOKAWA 2023/4/3
・そもそも日本はDIMEという考え方をどこまで採り入れているのか。経済安全保障という言葉が脚光を浴びるいま、かつてに比べて、日本の国際安全保障、国際政治への向き合い方はどう変化してきたのか。
<はじめに>
・「台湾有事は日本有事」かつて、凶弾に斃れた安倍晋三元総理はこう述べた。
・「米中対立」「台湾有事」といった言葉が新聞紙上を飛び交うようになって久しい。
ロシアがウクライナに戦争を仕掛けるのではないか――。そうアメリカ政府が警告を発したとき、それを半信半疑に思った人は少なくなかったはずだ。だが、実際に戦争は始まってしまった。同じようにアメリカ政府は、このままだといずれ、台湾で戦争が起こるかもしれないと警告している。
・「いずれ台湾有事になるのだから、台湾や中国から撤退すべきだ」こうあっさりいう人もいるが、事はそれほど単純ではない。
・かくして台湾有事が起こらないことを祈りつつ、対中依存度をいかに減らしていくか、中国に代わってどこでビジネスをするのか、多くの企業経営者はひそかに悩んでいるのだ。
・こうした、みなが直感する国際政治とビジネスの難問を読み解くことができるキーワードがある。DIME(ダイム)という言葉だ。
これは、(Diplomacy(外交)、Intelligence(インテリジェンス=情報)、Military(軍事)、Economy=(経済)の四つの頭文字を組み合わせたものである。
・たとえばアメリカは、仮に米中で戦争が起こったとき、国務省を使って外交交渉をする(D)だけでなく、軍事的に中国を恫喝する(M)、財務省を使って在米の中国共産党幹部の資産を凍結する、商務省を使って中国系企業をアメリカ市場から追放する(E)、FBIなどを使って在米の中国共産党幹部の関係者を拘束する(I)といった、外交(D)、軍事(M)、経済(E)、インテリジェンス(I)を使って対抗措置をとり、在中のアメリカ人たちを守ろうとするにちがいない。あるいは在米の中国共産党幹部の関係者を拘束するなどして、人質交換といった手段を駆使することもいとわないだろう。
・本来、独立国家は自国の国益、自国の国民の自由と財産を守ることを最優先し、そのためにはあらゆる手段を使うこともいとわない。
・そして国際連合も、国家が自国の独立と自由を守るために、軍事力行使に代表される自衛権行使を認めている。
<国家の「独立」とはどういうことか>
<「わが国は」から「私は」に主語が変わった理由>
・「日本はもうダメだ」と思っている人は少なくはない。とはいえ、実際に「日本は」という主語で物事を考えている人も、それほど多くない。
十年ほど前のことだ。ある閣僚経験者がこうつぶやいた。
「財界人と懇談をしていると、昔は『我が国は』という話が多かった。だが、だんだん『我が経済界は』『我が財界は』という話題になり、最近は『我が社は』『私は』という個人的なことを話題にする経営者が増えた。要は、天下国家を考える財界人が減ってしまったのだよ。ほんとうに寂しい」
・「日本はもうダメだ」と投げやりにならず、「日本は」「我が国は」という主語で時事問題を考えようとする若者たちが、たしかに存在する。
・「国際政治で勝ち抜こうと思うなら、相手国を徹底的に研究し、勝つための対策を講じることが重要だ」、「相手国を罵倒したところで、日本が賢く、強くなるわけではない。戦争を思いとどまらせ、平和と自由を確保するためにも、日本はDIMEという多面的な対立抗争の国際ゲームをめざすべきだ」
さらにこう続ける。そこでDIMEという国際ゲームで勝利をめざそうとするなら、まずはその国家が国家たりえている基本中の基本を知っておく必要がある――。
その基本とは、政治的独立、経済的独立、そして精神的独立とは何か、ということだ。
<キリスト教への改宗を迫られたマレーシア>
・外国の政治家や軍人たちと話をするとき、大切なのは、相手の言葉を正確に理解しようとすることだ。文化的背景が違う日本人と外国人との議論で「だいたいこんなことをいっているのだろう」などと、いい加減に相手の言葉を受け止めていると、とんでもない勘違いをしかねない。
・「宗主国であったイギリスは、我々マレーシア国民に対して『マレーシアが近代産業国家になるためには、イスラム教からキリスト教に改宗しなければならない。キリスト教国家でなければ近代産業国家を築くことは無理だ』といってきたのだ」
<マレーシアは日本の何に学ぼうとしたのか>
・非キリスト教国家では近代産業国家をつくることができないのか、経済的に豊かな先進国にはなれないのか――。そうした絶望感のなかで、あるとき彼らは「ああそうだ、日本という国があるじゃないか」と気づいたのである。
非キリスト教国家でありながら、日本と韓国は近代産業国家の建設に成功した。
<ASEANセンター代表・中島慎三郎先生との出会い>
・政治的独立だけでなく、経済的発展を遂げ、そして宗主国である先進国から精神的に独立したい。発展途上国のこうした苦悩を私がより深く学ぶことができたのは、民間シンクタンクASEANセンターの代表であった中島慎三郎先生のおかげだった。
・たいした才能のない、民間人の私がインテリジェンスの世界に入るきっかけをつくってくれたのが、中島先生だった。
<初対面の言葉は「一緒にインドネシアに行こう」>
・「外国に行かないと、相手国の実情を正確に理解できないし、日本の価値もわからない。東南アジアには、日本人以上に日本を愛している人たちがたくさんいるのに、日本人は中韓両国だけがアジアだと勘違いしている。アジア諸国に行って現地のトップと直接話をすれば、日本がどれほどすごい国で、どれほど期待されているのかがわかるはずだ。ぼくは
これまで300回以上、東南アジア諸国へ行った」
<国際政治のなかで経済的に発展することの大切さ>
・彼はいつも国際会議で日本の経済力・技術力を称え、「欧米からの経済的自立なくして政治的独立は維持できない」と語った。
<3000冊を超える本を無料で送ってくれた真意>
・結局、10年余りこうした付き合いが続き、中島先生からいただいた本は3000冊を超えたのではないかと思う。
・日本でも対外インテリジェンス機関創設、それも官民連携のインテリジェンス機関の話が出るようになった。もっとも、その議論は組織のあり方の話に終始し、機関を担う人材育成の話までにはなかなか及ばない。
<「覇権国家」は世界をこう捉えている>
<中島先生が東南アジア外交に関与したきっかけ>
・岸総理は1950年代の後半、陸上自衛隊調査学校校長だった藤原岩市陸将ら、先の大戦中にアジア諸民族の独立を支援した情報担当の元軍人たちを集めて極秘チームをつくった。
・岸総理の提案で結成されたこの極秘チームが、戦後アジア各国との戦争賠償問題と国交樹立交渉を陰で支え、日本企業のアジア進出を促した。インドネシア語が話せた中島先生は、この極秘チームの一員としてインドネシア工作を担当した。
・もちろん情報収集にはお金がかかるが、経費が政府から出るわけではない。そもそも当時、日本政府はほんとうに貧乏だった。そこで中島先生は花屋での儲けをつぎ込んで、日本とインドネシアのあいだを300回以上、往復した。
・「外交は、外交官だけでやるものではない。自由な立場で動くことができる民間人だからこそ、外交、インテリジェンスの分野でできることがある」
<「情けない味方であっても、それは敵ではない」>
・「たしかに永野先生の発言の撤回は残念だ。しかし、情けない味方でも味方であって、敵ではない。味方がすべて立派で頼りになる人ばかりということは、まずありえない。頼りない味方ばかりでも、その頼りない味方を使って、いかにして敵に勝つかを考えるのが優れた指導者というものだ。この点が、戦争を体験していない人にはわからないようだ」
<「相手の力を使って勝つ」がインテリジェンスの本質>
・政治に「あるべき理想」を求めることは重要だ。理想なき政治は、たんなる妥協の産物に堕してしまう。と同時に、大事なのは「勝つ」ことであり、そのためにはどうしたらよいのかという視点を併せ持つことが、きわめて重要である。
・「江崎さん、政治家というものは使うものであって、なるものではないんだよ。たしかに民間人のままでは世間から脚光を浴びることはないが、大事なことは日本をよくすることであって、自分の名前を売ることではないはずだ」
「政治家を使う」という発想は、当時の私にはかなり刺激的だった。
・そして、自分の力だけでなく、「相手の力を使って」でも勝とうとする発想こそ、じつはインテリジェンスにとってきわめて重要であることを、その後、私は理解するようになっていったのだ。
<アメリカは、敵と味方を間違える天才である>
・あるとき、中島先生に「アメリカについてはどのように考えていますか」と尋ねたことがある。
「インドネシアの陸軍幹部がいっていたが、アメリカは敵と味方を間違える天才なのだよ。国際社会のルールを決めている覇権国家でありながら、アメリカは気に入らない国に対しては、すぐにぶっ叩く悪いくせがある」
この「アメリカは敵と味方を間違える天才」という言葉は以後、私が国際政治を考えるためのキーワードになった。
・アメリカは世界中を相手にしているが、日本のことを詳しく知っている人はほんとうに少ない。そもそも、日本、中国、韓国の違いを明確に理解している人は少数だ。こう講演で話すと、アメリカ人はなんて杜撰なんだ、と怒る人もいるが、お門違いである。たとえば日本人でも、ハンガリーとルーマニアとポーランドの違いを理解できる人がどれほど存在しているのか。あるいは同じアジアでも、インドネシア人とマレーシア人の区別がつく人は稀だろう。
・同盟国アメリカに優秀な人員を送り込み、若いころからアメリカの指導者たちと関係を築かせ、情報をとってこさせる。こうしたインテリジェンスの基本が日本では、霞が関のあいだですらあまり理解されていない。政治家たちも現状を放置している。
<「金持ち父さん 貧乏父さん」に学ぶ覇権国家の思想>
・欧米のやり方を受け入れよという話をしているわけではない。国際社会のなかで日本は各国の内情を必死で調べ、相手の国をコントロールするように奮闘し、世界のルールをつくる側に回るべきだといっているのだ。
<敗戦後、日本は「独立国家の学問」を奪われた>
・学校の歴史教科書では、敗戦後、占領軍は日本を民主化したことになっている。たしかに戦前の日本に存在していた自由と民主主義を尊重する政治制度を復活・強化した面もあるが、同時にアメリカの目的に従う「従属」政府を樹立するため、日本は独立国家としての仕組み、そして「独立国家の学問」を奪われた。
<占領軍が没収して焼き払った「知の蓄積」>
・そのためにいま日本に必要なのは、経済や軍事やインテリジェンスを使って相手をコントロールしようとする「独立国家の学問」である。
幸いなことに我が国の先人たちは、「独立国家の学問」を習得し、多くの学問的な成果を残しているが、その存在を知っている人はそれほど多くない。というのも、占領期間中にこうした学問的成果は「焚書」、つまり燃やされてしまったからだ。
<議論に追いついてこられない政治家や日本メディア>
・中国・北朝鮮と軍事的に対峙するためにも、日本は複数のバックアップラインが必要となる。日本の背後を固めなくてはならないのだ。
その一つが、ハワイ、カリフォルニアの基地を結ぶラインだ。
<ウクライナ戦争を「DIME」で読み解く>
<ウクライナ戦争はDIMEを学ぶリアルな教材>
・2022年2月24日、ロシア軍がウクライナ東部への侵攻を開始した。ロシア側の作戦は大きく二つあった。一つは、親ロシア派の住民が多いといわれるウクライナ東部のドネツク・ルハンスク二州を併合すること。もう一つは、首都キーウに圧力をかけ、ヨーロッパ寄りのウォロディミル・ゼレンスキー政権を失脚させ、代わって親露政権を樹立することである。
・ウラジーミル・プーチン大統領は当初、侵攻から4~5日で決着をつける電撃戦を目論んでいたという。しかし開戦から1年を経過してなお、一進一退の戦闘が続いている。プーチンのどこに誤算があったのか。それを読み解くことこそが、DIMEとは何かを知るリアルな教材になる。
ロシアには成功体験があった。2014年のクリミア半島併合だ。ウクライナでユーロマイダン革命が発生し、親ロシア派だったヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊、ヨーロッパへの接近をめざすペトロ・ポロシェンコ政権が誕生する。その混乱のなか、ロシアはサイバー攻撃を仕掛けて通信網を麻痺させるとともに、クリミア半島のクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市に工作員を送り込み、世論を扇動して「住民投票」を実施した。
その結果、この地域の住民はロシアへの編入を望んでいるとして、独立を承認するとともに、一方的にロシア連邦に組み入れたのである。
・同じ手法でロシアがドネツク州・ルハンスク州を絡めとろうとしたことは、いうまでもない。
<M(Military=軍事):戦力差と勝敗は一致しない>
まず、もっともわかりやすい「M(Military=軍事)」から。
ロシア軍とウクライナ軍の戦力を比較すると、軍事費はロシア軍が1540億ドルでウクライナ軍が119億ドルと10倍以上、総兵力はロシア軍が85万人でウクライナ軍が20万人と4倍以上。ロシア軍が圧倒しているのはいうまでもない。
だが、現場ではいくつか想定外の事態が起きていた。まず、ロシア軍の士気の低さである。
・じつは侵攻直前の段階で、ロシアの特殊部隊がウクライナの大統領官邸に侵入し、ゼレンスキー大統領の暗殺を企てる事件が起きていたという。
・2014年にクリミア半島を奪取した際、ロシアが仕掛けたのは「ハイブリッド戦争」であった。あらかじめ現地に工作員を送り込み、内側から独立運動を主導するとともに、特殊部隊を投入してサイバー攻撃を行なって都市機能を麻痺させ、さらに通信機能を破壊する。いくつかの作戦を掛け合わせたのだ。
・数字上の戦力差は歴然としていても、必ずしも勝敗には直結しない。ウクライナ戦争にかぎらず、士気や戦略、そして事前の準備などさまざまな要素を絡めて戦うのが戦争であり、ひいては安全保障なのである。
<D(Diplomacy=外交):NATOとウクライナの連携がロシアを止めた>
・次にD(Diplomacy=外交)について。
ウクライナは西側の軍事同盟であるNATOの加盟国ではない。かねて加盟を求める姿勢を示していたが、それがロシアを刺激し、先のクリミア半島の併合や今回のウクライナ戦争に至ったという経緯がある。
・しかし、今回は違った。軍事行動は起こさないものの、NATOはウクライナへの積極的な武器供与というかたちで支援に回ったのである。
なかでもすっかり有名になったのが、米軍から供与された携帯式対戦車ミサイル「ジャベリン」だ。主にロシア軍の戦車を狙い撃ちすることで、進軍を阻んでいる。あるいは戦闘ヘリをターゲットにした携帯式防空ミサイル「スティンガー」も有効で、そのためにロシア軍はウクライナ上空の制空権を把握し切れていない。
・これにより、ロシア軍による当初の短期決戦の目論見は崩された。NATO側に立って言い換えるなら、短期で終わらせないために抵抗力のある武器を供与し、長期戦の準備のないロシア軍を不利な状況に追い込んでいる、ということだ。
これらは「M」の要素もあるが、NATO加盟国とウクライナが緊密に連携し、武力そのものを使わずにロシア軍の動きを止めたという意味では「D」の成果ともいえる。
戦争の成果は軍事力、兵力だけでなく、どれほどの同盟国、友好国をもっているのかによって、大きく左右されるのである。
<I(Intelligence=情報):ハイブリッド戦争vs.オープン・インテリジェンス戦略>
・そしてもう一つ、「D」は大きな役割を果たしている。「I(Intelligence=情報)」ともかかわるが、リアルタイムの情報共有だ。
アメリカとイギリスは、通信衛星や国境付近に送り込んだ偵察部隊から得られる情報を、惜しみなくウクライナに提供している。たとえば、ロシア軍の戦車部隊がどこまで迫っているのか、どういう航空部隊がどの角度から侵入しようとしているか、といった具合だ。
・余談ながら、ウクライナとロシアは兵器のみならず、情報機関も近い関係にある。ソ連時代はともにKGB(ソ連国家保安委員会)が置かれていたので、近いのは当然である。ソ連崩壊を機に袂を分かつことになったが、今日のウクライナの情報機関の前身はKGBだ。
・そこから30年が経過しているとはいえ、ロシアの情報機関の面々と人間関係があっても不思議ではないし、場合によっては縁戚関係もあるかもしれない。そして何より、お互いに手の内も理解している。もしかしたら、お互いに相手の情報機関にスパイを送り込んでいる可能性もある。
先に紹介した、侵攻直前のウクライナ大統領官邸への襲撃が失敗したのも、おそらくプーチンの側近のなかにスパイが潜んでいたためだ。
同時にウクライナ側が行政通信傍受、信書開披、秘密捜索、監視機材の設置、潜入調査、囮調査などを駆使して、ウクライナ内部に入り込んでいたロシア側のスパイを徹底して拘束し、排除できたからこそ、ゼレンスキー大統領や軍司令部機能がいまでも維持できている。
・行政通信傍受とは、犯罪が起きる前に行政機関が行なう通信傍受のことだ。諸外国ではテロ組織の潜伏先特定などで活用されているが、日本では一切の行政通信傍受が認められておらず、テロの兆候があったとしても認められない。
・アメリカのニュース専門テレビ局CNBCが報じたところによると、ウクライナには「デジタル軍」と呼ばれる総勢30万人のボランティア組織があるという。ロシア側がフェイクニュースを流すと、欧米と連携しながら即座にそれを打ち消し、ウクライナに有利なカウンター情報を流す。それもフェイクニュースである可能性は否定できないが、とにかくこれを徹底しているらしい。
・たしかに日本にいても、見聞きするニュースなどはウクライナ側の発信によるものが大半だ。ロシア側の情報はほとんど出てこない。ウクライナのデジタル部隊がロシア側を圧倒しているということだ。
・世論レベルでも、少なくとも自由主義国では「プーチンが悪い」の一色に染まった感がある。これはデジタル軍による発信もさることながら、情報が自然に拡散するSNSの影響も大きいだろう。
<E(Economy=経済);米欧日が連携してロシア経済を圧迫>
・そして、ロシアを苦境に追い込んでいるのが最後の「E(Economy=経済)」だ。欧米日による経済制裁は、目立つことはないが確実に効いている。
・日本についていえば、資産凍結などのほか、ウクライナのドネツク・ルハンスク地方のロシア関係者の資産を凍結、同地方との輸出入の禁止、ロシア国債の不買、ロシアの特定銀行との取引停止などの措置をとっている。
<戦争のきっかけにすらなる各国のエネルギー政策>
・こうしてウクライナ戦争を概観するにつけ、一つの疑問が浮かぶ。欧米各国がDIMEを動員して戦っているのに、なぜロシアは敗北しないのかということだ。
要因の一つは、豊富な天然資源に代表される経済力にある。一連のロシアへの経済制裁がどこまで有効なのかは未知数だ。
・もう一つ、世界的なエネルギー価格の高騰もロシア経済を潤している。
・ここで思い出されるのが、米ソ冷戦時代の末期、アメリカのロナルド・レーガン大統領がサウジアラビアに最新の武器を供与したという件だ。イスラエルやアメリカ国内のユダヤロビーは猛烈に反対したが、それをレーガンは押し切った。代わりに石油の増産を要求するためだ。
その結果、世界最大の産油国であるサウジアラビアは増産に踏み切り、世界の原油価格は暴落。これによって産油国ソ連の財政が悪化し、軍拡に耐えられなくなり、当時のミハイル・ゴルバチョフ書記長は財政再建のために経済の改革開放(ペレストロイカ)を志向せざるをえなくなった。
この改革路線に乗じ、東欧諸国は「民主化」という名の脱ソ連化を推進した。この流れがやがてベルリンの壁の崩壊と東欧の民主化、そしてソ連邦の解体につながったのだ。
今日でもこの戦略は有効だろう。石油と天然ガスの価格を下げることが、ロシアを追い詰めることになる。
・石油と天然ガスの使用量を減らす手段も講じる必要がある。もっとも現実的で有効なのは原子力発電の活用だろう。
・いずれにせよ、エネルギー政策は国際政治を動かす一大要素である。戦争の原因にもなるし、戦争継続の原動力にもなる。それほど現代において、経済と外交、軍事は連動しているのだ。
<ウクライナ戦争とは、すなわち金融戦争である>
・経済戦争といえばもう一つ、ウクライナ戦争は「金融戦争」でもある。これも従来にはなかった側面で、戦争のあり方を変えたという意味で後世に検証され、語り継がれることになるだろう。
・要するに、貿易のみならず国際的な金融システムからもロシアを締め出し、いわば“兵糧攻め”にしようというわけだ。ロシアの指定された人物は、もうロシアを出られない。クレジットカードを使えず、ホテルにも泊まれないからだ。カードを使わせた銀行があれば、同じく制裁を受けることになる。
それはロシアだけでなく、ロシアに協力的な国に対しても牽制する。
・たしかに中国にとって、これは死活問題だ。石油などエネルギーを買えないだけではなく、14億人の人口を養うために必要な大量の食糧も買えなくなる。それは人々の不安や不満を蓄積させ、習近平体制を揺るがす事態にも発展しかねない。これこそが金融戦争の戦い方である。ロシアの友好国である中国の動きが鈍い背景には、アメリカの圧力もあるわけだ。
<金融はいつ安全保障の道具として使われはじめたか>
・金融を安全保障の道具として使うことはいつ、いかなる経緯で始まったのか。
・「安全保障とは外交、防衛、そして国際的な経済・金融政策の総体である」。キミット氏はそう述べ、金融力を安全保障政策の重要な柱として位置付ける。
・「これまでの金融力は、外交力や防衛力の源泉であり、“縁の下の力持ち”だった。だがグローバル化で世界の相互依存が高まるなか、軍事力に匹敵するまでに役割を高めた」
これが2013年ごろの話だ。キミットが述べた<安全保障とは外交、防衛、そして国際的な経済・金融政策の総体>とは、DIMEを指していると考えればわかりやすい。
・さながら映画や小説のようなやり口だが、これが奏功した一例が、北朝鮮拉致被害者の奪還である。クリントン後に大統領に就任したブッシュは、北朝鮮の隠し金融口座を暴いたうえで資産凍結という制裁を実施。困り果てた金正日総書記は、当時の小泉純一郎総理との首脳会談に応じざるをえなくなる。金融を使った圧力は、それほど絶大なのだ。
・2009年、アメリカ政府は金融戦争のシミュレーションを行なっていたらしい。すでにその段階で、主導したののは財務省ではなく国防総省だった。そこには同省の高官をはじめ民間から著名なシンクタンクの研究員たちが参加し、リカーズもその一人だった。
テーマはもちろん、金融を安全保障上の道具としてどう使うか。同記事によれば、<通貨価値の変動でインフレを引き起こしたり、ファンドを使って市場をかき乱したり、とさまざまな戦術が議論された>という。
・いまや軍人は、地政学などはもちろん、金融のなんたるかも深く理解しなければならない。日本も外交官と自衛官の幹部教育課程に国際金融のことを組み込み、できれば国際金融機関での研修も義務づけるようにすべきだ。金融もまた、戦争、外交の有力な手段になっていることを軽んじてはなるまい。
異常、戦時における「DIME」についてざっと説明してきた。「D」「I」「M」「E」のそれぞれがどういうものか、なぜ世界有数の軍事大国であるロシアが小国ウクライナとの戦いに苦戦しているのか、おおよそのイメージをもっていただけたのではないか。
<アメリカ、EU、イギリスと歩調を合わせた戦い>
・それでは、この経済安全保障という観点で、各国との連携はどの程度進んでいるのか。
・もちろん日本は、アメリカ、EU、イギリスと歩調を合わせている。
・一方で中国も、「軍民融合」「中国製造2025」「輸出管理法」「外商投資安全審査弁法」から「外国法の域外適用阻止弁法」「反外国制裁法」「データセキュリティ法」など次々と政策や法律を打ち出し、経済安全保障の強化を図っている。
・見方を変えれば、中国もまた、党と軍の主導でありながら軍事一辺倒ではなく、外交、インテリジェンス、そして経済の要素を採り入れて国家戦略を練っていることがわかる。やはり「DIME」で動いているわけだ。
<経済安全保障推進法で産業界や企業はどう変わるか>
・従来の安全保障は、省庁でいえば、主に外務省や防衛省の管轄だった。しかし経済安全保障は、先述のとおり全省庁が役割を分担することになる。
<論点①規制強化と自由貿易のバランス>
・一つ目の論点は、民間企業にどこまで規制をかけるかという問題だ。
経済安全保障は、特定の製品の輸出を制限したり、技術を盗まれないように管理を徹底したりなど、どちらかといえば規制強化の話が中心になる。
<論点②国際協調しつつ、競争力強化を>
・二つ目の論点は、鎖国主義ではないということだ。国際ルールづくりを主導できなければ、後塵を拝するばかりで、利益を上げることが難しくなる。
<論点③ 中国に進出する日本企業に「安心」を>
・三つ目の論点は、中国に進出している日本企業の事業に支障が出ないようにすることである。中国はいまや世界第二位の経済大国であり、日本との距離も近い。先に述べたとおり、日中貿易額も年々増加傾向にある。これをすべて遮断することは現実的ではない。
<論点④「安全保障技術立国」をめざせ>
・四つ目の論点は、安全保障技術立国をめざすということだ。
1980年代まで、日本は技術立国を標榜していた。家電にしろ、自動車にしろ、半導体にしろ、モノづくりに関して世界のマーケットを席巻していた。
・ただし今日の国際情勢を考えれば、技術立国だけでは不足がある。そこに安全保障の視点も加えることが不可欠だ。これからは科学技術こそが経済安全保障の基盤になる。市場競争で優位に立てるだけではなく、外交カードにも、軍事転用という意味では戦力にもなりえる。
・独立国家の学問を忌避した「戦後レジーム」は終わり、普通の独立国家と同じく国家の安全保障を考えて政治を行なう時代が到来した。政治家のみならず、霞が関の官僚たちも自己改革を迫られつつある。さらにはいずれ、それもそう遠くない将来、民間企業も国家の安全保障を踏まえて企業活動を行なうべき時代がやってくる。経済安全保障推進法は、その「予告」ともいえるものだろう。
<軍事技術に関する「インテリジェンス機関」を創設せよ>
・政府は今後、この四つの論点に沿って同法の具体化を進めていくことになる。官民連携のシンクタンクを創設し、どの企業がどのような重要技術をもっているかを精査することが第一歩。そのうえで、その技術をさらに発展させるために、国としていかなる支援を行なえばよいのかを検討していくことになるだろう。
この調査を行なうシンクタンクは、経済と安全保障に関するインテリジェンス機関としての役割を担う。手本になるのが、アメリカのDARPA(ダーパ=国防高等研究計画局)だ。国防総省の一部局で、軍事に使えそうな最先端の研究開発に対し、莫大な国家予算をつけて支援していく組織である。
もしDARPAに匹敵する機関が日本に誕生したら、それ自体が画期的といえる。
<なぜ「国家情報局」の創設は見送られたのか>
・言い換えれば、官僚による「唯一の」選択肢を指導者が追認する官僚主導政治でよいのか、ということだ。国民の負託を得た政治指導者が、複数の選択肢のなかから自らの責任において政治決断をくだすという民主政治にするためにも、政治指導者に多角的な情報が上がる仕組み、複数のインテリジェンス機関が必要なのである。
・政府としてインテリジェンスを重視する方向性が確実に打ち出された。だが、政府の対外インテリジェンス機関としての「国家情報局」の文字はなかった。
<戦前に失われた「I」を求めて>
<CIAの元幹部が日本の政治家に語った意外な言葉>
・CIAの元幹部の回答は予想外だった。
「それをいうなら、みなさんはまず日本の戦前・戦時中のインテリジェンス活動から学んではいかがでしょうか。我々はその圧倒的な能力や、成功と失敗の歴史から懸命に学びながら、今日の活動に活かしているのです」
彼の発言が何を指していたのか、今日の日本ではわからない人が多いかもしれない。
・ただし、その存在は戦時中も極秘とされ、終戦とともに閉鎖されて関連資料は廃棄された。戦後になって語られたのは、卒業生による回想録やフィクションなど一部にすぎない。中野学校の出身者たちの活動が国家の政策や戦略とどうむすびついていたのか、その結果がどうなったのか、日本国内で網羅的な研究はほとんど行なわれてこなかった。
<我々は中野学校の経験から何を学ぶべきか>
・ところが2022年8月、画期的な一冊が邦訳・刊行された。『陸軍中野学校の光と影』(芙蓉書房出版)だ。著者のスティーブン・C・マルカード氏は、アメリカCIAの元情報分析官。
・これは、防衛省や自衛隊にかぎった話ではない。すべての政治家にとっても、基礎知識として必読の書だ。
<F機関が80年前に採り入れた「ハイブリッド戦争」>
・F機関の活動はそれで終わらない。シンガポールで捕虜になったインド兵を集め、そのなかの一人だったモーハン・シンとともにインド国民軍の設立を主導する。これが、のちのインド独立運動の原動力になっていく。
・ならば、現場のインテリジェンス工作がこれほど優秀だったにもかかわらず、それでもなぜ日本は惨敗したのか。じつはそのことも、マルカード氏の本の大きなテーマだ。端的にいえば、現場と政府と軍の中枢との意思疎通が図れていなかった。現場の作戦が国家戦略と連動していなかった。むしろ現場のインテリジェンス活動が、政府と軍の「間違った」国策によって踏みにじられてしまったといえる。
こちらも今日への大きな教訓になるだろう。
<F機関とQUAD(日米豪印戦略対話)を結ぶ点と線>
・藤原氏の活躍は、戦後も続く。戦犯裁判、公職追放を経て、1956年から発足して間もない陸上自衛隊調査学校の校長に就任した。
・じつは、藤原氏にはもう一つの顔があった。1950年代末、岸信介総理のもとで、インドネシア、マレーシア、ベトナム、インドなどとの国交樹立交渉のため、旧中野学校のOBたちを招集して各地で地ならしの工作が行なわれ、そのメンバーとしてインドネシア工作に携わったのだ。同じ場にいたのが私のインテリジェンスの師である中島慎三郎先生である。
<民間人の立場で戦後政治を動かした末次一郎先生>
・もう一人、この本が終盤に取り上げているのが、中野学校OBでとくに戦後に多大な貢献をされた末次一郎先生だ。
その足跡は、紹介しきれないほど多方面に及ぶ。まず終戦直後から取り組んだのが、戦犯釈放運動である。
・「結局、ソ連もアメリカも、お互いのことをよく知らない。日本のことも、よく知らないんですよ」
だから率直に、面と向かって話し合わなければならないという。ただちに問題の解決には向かわなくても、そうしたチャネルをもっておくことが重要なのだ。それは今日の国際社会はもちろん、民間交流やビジネス上のコミュニケーションにも当てはまるものだろう。
<近現代史に向き合えば、進路は自ずと見えてくる>
・以上のように、マルカード氏の本は戦後の中野学校OBたちの活躍についても詳細に調べて紹介している。さすが情報分析のプロの仕事だ。インテリジェンス活動には国際社会を変える力があるということが、リアルに、ドラマチックに伝わってくる。
・著者のマルカード氏は、この本の末尾で以下のように述べている。
<日本が軍事的なHUMINTプログラムを整備し、情報幹部が外国人工作員を運用し、海外のインテリジェンス・ネットワークを拡大しようとしたとき、自衛隊は中野学校の遺産を利用するだろう。(中略)日本の防衛庁も中野学校の影の戦士達の多くの功績を参考にして、情報幹部の海外での情報活動を指揮し、鼓舞しているのではないだろうか>
「HUMINTプログラム」とは、海外に散った工作員を介して得られる情報を収集する仕組みを指す。要するに、今度はCIAではなく日本が中野学校を再評価し、ノウハウを活用する番ではないかということだ。そのとおりだろう。
・昭和期の日本の軍首脳部は、中野学校の本来活用すべき戦略や作戦への奉仕ではなく、目前の戦術や戦闘ばかりに活用してしまった。これは現代のみならず将来の日本の戦争指導や情報活動が銘記すべき教訓であり、その愚を繰り返してはならない。同時に優れた情報機関を持つためには優れた指導者やリーダーシップ、そして政治性が必要だ。
・我が国の過去、近現代史を謙虚に学べば、針路は自ずと見えてくるはずだ。事実、過去の歴史を振り返れば「DIME」のいずれをとっても、日本は決して世界に引けをとらない。奢る必要はないが、俯(うつむ)いたり悲観したりする必要もない。
国家の自由と独立を勝ちとるためにも、凶弾に斃れた安倍元総理ら、戦後の国士たちが尽力し、少しずつ日本に根づきつつある「DIME」に基づいた国家安全保障戦略を、さらに拡充していかなければなるまい。
<おわりに>
・あるとき、高校の先生が「アジア諸国が貧困に喘いでいるのはアメリカ帝国主義が悪い」といった。「では、アジアの苦しんでいる人たちをどうすればよいのですか」と問うと、「日本は憲法を守ってアメリカ帝国主義に反対すべきだ」という。違和感を覚えた。
アジアの貧しい子供たちを救うために、なぜ日本が憲法を守ること、アメリカ帝国主義に反対することが大事になるのか。困っている人を助ける行動を起こさずに「アメリカに賛同している自由民主党は悪い」というだけでよいのか。
疑問をもちながら九州大学に進学し、福岡市で下宿生活を送るようになったが、せっかく大学に入ったのだから、内外の社会の矛盾を改善するためにどうしたらよいのか、など難しいことを考えようとした。幸いなことに同じような問題意識をもつクラスメイトと出会い、現代哲学や国際政治などに関する読書会を開くようになった。
・「ついていきたいと思うのであるならば、30年くらい死ぬ思いで勉強すれば、ぼくがいっていることが理解できるようになるでしょうね」
30年か、と思わず驚いたことを、いまでも覚えている。
「そんなに時間がかかるんですか」
「幕末の志士で、松下村塾を開いた吉田松陰先生は、『万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん』、つまり1万冊の書物を読破するのでなければ、どうして長い年月にわたって名を残す、不朽の人となることができるだろうか、できはしないとおっしゃっている。1万冊の本を読もうとすれば、1年間に333冊、つまりほぼ毎日1冊読んでちょうど30年かかる。実際に30年くらい勉強を続ければ、いろいろなことがわかってくる。
学問というものは厳しいものだし、でもほんとうにそれをきちんとやっていけば、君は日本の外交や安全保障に対して一定の役割を担うことができるようになるかもしれない。だから、地道に勉強しなさい」
その後、小柳先生の教えを信じて懸命に勉強を重ねるだけでなく、あちこちの大学の教授たちの研究室を訪ねて回った。そして、大学を卒業して上京後に出会ったのが中島慎三郎先生だった。
・デフレに苦しんできたこの30年だけが日本ではない。戦争に負けて軍事やインテリジェンスを忌避した戦後だけが日本でもない。アメリカや中国ができて、日本にはできないという勝手な思い込みから自由になるためにも、先人たちの叡智に学び、その志を受け継ぎながら、DIMEを使いこなす、賢く、強い日本を築いていきたいものである。
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