二百年ほど前の書物に載る異獣、それがなお越後の山を歩き回っているようだ。南魚沼地区には雪男という名称の酒があり、ラベルに描かれた姿が異獣だ。黒くて二足歩行、大きな目で何とも可愛い姿。(1)
(2023/8/15)
『山怪 朱』
山人が語る不思議な話
田中康弘 山と渓谷社 2023/1/30
・今回の取材では“神様”的な人たちの存在が興味深かった。彼らは人々の不安を和らげる存在でもあり、年寄りには大切な友であった。
<妖しの森>
<高尾山>
<蛸杉仙人>
・観光客はほとんど下山している時間だ。夕方になって山へ入る人は自殺の恐れがあり要注意、気になった彼女は一緒にいた二人の同僚に意見を求めた。「今の人さあ、声かけたほうがいいかねえ」「今の人って?」
「えっ、蛸杉の所にいたでしょ」
怪訝な顔をする2人、彼らには何も見えていなかったようだ。参道のすぐそば、蛸杉の横に座っていた老人の姿が。
「仙人みたいな感じでしたよ。髪も髭も真っ白で長いんです。麻の生成で作務衣みたいな感じの服でしたね」
現実離れした格好である。たぶんそれは蛸杉仙人なのだろう。
・この方は不思議な老婆にも遭遇している。或る日店頭で団子を売っていると一人の老婆がやって来た。「団子をください」
「金ごまですか?黒ごまですか?」「黒」
老婆からお金を受け取り釣りを出そうと一瞬後ろを向いたが……・
「いないんですよ、前見たら。参道に出て探したけどどこにもいませんでした」
<白い着物の女>
・森林インストラクターで高尾山のガイドもしているベテランの方にも話を聞いた。
・「生暖かくていや~な感じがするんですよ。森の中から何とも言えないざわめきも聞こえてきててね。“ガチャガチャ”いうんですよ。鎧ですね。鎧着た人の歩く感じですか」
森の中に鎧武者がいるのか?呆然と佇んでいると、辺りが白っぽい光に包まれていくのが分かった。
「あれは何でしょうかねね。不思議な光とも煙とも言えないぼわーっとした物に包まれたんです。そうしたら白い着物を着た女人が現れたんですよ」
白い服を着た女性の出現は各地でよく聞く。正体は山の神といわれるが、この場合は少し違うようだ。
「あの辺りには合戦が行われた場所でもあって、たくさん人が死んだんですね。だからいろいろと出てくるらしいですよ。ガイド仲間にその話をしたら、みんな結構みてるんですね。夜中に行けばほぼ会えるそうだから行ってみたらどうですか?」 断固お断りする。
<奥多摩>
<小さな狐が住みつく家>
・仕込み杖を持参するというのも凄いが、それで殴りつけるとは驚きだ。この時叔父さんが倒れ込んだ家は狐がいる家として地域で有名な存在。狐がらみと考えた親が仕込み杖を持参していたのだろうか。
「昔は医者が遠くて具合が悪くても寝ているしかないんです。そうしたら婆さんが“狐たかり”じゃ言ってね。まずは家の外で空鉄砲を撃つんですよ。それでも良くならないと祈禱をしてもらう、そんな時代ですね」
悪霊退散のために空砲を撃つ習慣が昭和まで残っていたのである。叔父さんが駆け込んだ狐のいる家は代々山伏の系統で、さまざまな困り事に対して祈禱を行い対価を貰っていた。専業の拝み屋さんである。
・檜原村で狐がさまざまなことをやらかすのは東北と共通するものがある。悪さをする狐を避けようと家にはお札を貼っていたそうです。
「東京の王子稲荷神社のお札です。年会費を払ってそのお札を頂くんですよ。それを貼っていましたね」
<闇女>
・「集落に“狐憑きのおじさん”がいて、それで大変な騒ぎになっているって言うんです」
何でも近所の人が獣のような唸り声を上げて飛び回っているらしい。家族や近所の人も集まって取り押さえたが、どうするべきか思案した。
「狐憑きだと言うんで御嶽神社からお札を貰ってきたんです。それを布団の下に敷いて憑きものを追い出そうとしたんですね」
武蔵御嶽神社の眷属はニホンオオカミである。その護符を当人に知られぬようにそっと布団の下に敷き込んだのだが………。
「不思議ですよねえ、その人知らないはずなのに、布団には絶対に近づかなかったそうですよ」
・「数人で確認作業をしていたんですよ。そうしたら一人が“うわあ、なんだこれ! 気持ち悪いなあ”って声を上げたんです」
その声に皆が集まり画面を覗き込んだ。モニターに映っていたのは若い女性の姿だった。画像には撮影時間も記録されている。
「真夜中なんですよ、それが。登山道でも獣道でもありませんそこは。昼間でも人が入らない場所ですね」
林道からは遠くないというが、夜中に女性が一人でやって来るとは思えない。おまけに女性はライトも持っていないのである。真夜中の森の中に灯りも無しに入る人がいるとは驚きだ。「その人の格好が普通なんですよ。町中にいるような感じでね、顔も至って普通なんです。だから余計に怖かった」
・山の中で女性に会うことが怖いと言う人は多い。奈良県下北山村のベテラン猟師は、集落内で夜すれ違う女性には肝を冷やしている。知り合いしかいない地域で目も合わさず挨拶しない女性が、この世の者とは思えないと言うのだ。
<奥秩父・丹波山村>
<白い犬と不思議な人>
・雲取山の山腹にある山小屋、三条の湯の三代目である木下浩一さんも不思議な人を見かけたことがあるそうだ。
「最近の話ですね。山で作業をしていたんですよ。何気なく反対側の斜面を見たら人がいるんです。青い服着た男でしたね」
木下さんが変だと感じたのは、その人がいた場所だ。道からはかなり離れているし山菜やキノコが採れる斜面ではない。なぜ男がそこにじっと佇むのか理由は分からなかった。
<二度と行かない>
・例のゴルジュ(峡谷)を迂回するには今自分が歩いた所以外に思い当たらない。先回りをしたのか……いやそれは不可能だ。なぜならその女の子は着物姿だったから、それも白装束である。とても山の中を歩ける恰好ではない。ではあれはいったい……。
目の前に佇む女の子はただじっとこちらを見つめるだけである。Aさんは落ち着くように自分に言い聞かせながらその場を離れた。無事に駐車場まで戻った時には全身の力が抜けるのを感じたのである。
<電報配達人>
・これは昭和初期の出来事である。或る日急に叔母さんが異常な行動をするようになった。家の内外をぴょんぴょんと飛び回り、顔つきも尋常ではない。
「目が吊り上がってね、こりゃあ狐が憑いとるということになったんですよ」
これは大変だというので近所でも有名な神様(拝み屋さん)を呼ぶことにした。白装束の神様は締め切った居間で狐を燻し出す作戦である。真ん中で杉の葉や唐辛子を燃やしながら必死の祈禱を続ける。この時、部屋は完全に締め切ってはいなかった。きちんと狐の逃げ道を確保していたのである。しばらくは神様と狐の攻防が続き何とか追い出すことに成功した。「ほら、これを見ろ」
神様に指されたのは土間に点々と残る狐の足跡だった。あらかじめ土間には家の前を流れる川から集められた砂が敷かれ、綺麗に箒目を立てて掃き清められていたのである。
<妙義山中之嶽神社>
・「ここではポンポン音が聞こえることがよくあるんですよ。狸ですか?いや狸じゃなくて天狗の鼓とか言いますね。ポンポンポン、ポポポンて感じで、それがあちこちから聞こえるんです。昔は頻繁に聞こえたんですが、あの震災以来減りましたねえ」
<越後・魚沼>
<奇妙な人?たち>
・山の中で得体の知れない音が聞こえるのはよくあることだ。山怪話の定番とも言えるだろう。目黒さんも不思議な音に遭遇したことがある。
・目黒さんはこの音の正体を動物だと思うことにしている。本来動物の動きと人間の藪漕ぎはかなり違い、ベテランの山人が間違うことはほとんど無い。
<異獣>
・豪雪地帯の状況を伝える鈴木牧之の『北越雪譜』には異獣と呼称される謎の生物が出てくる。大きな体で二足歩行する異獣は気は優しくて力持ち、どちらかというと怖い存在ではないようだ。その異獣らしき生物を見た人がいる。
「八海山スキー場の近くでしたね。大きさですか? 人間よりは大きくて黒っぽかった」
・「ちょうど2年前の3月初めでしたねえ。結構雪はあったんですよ。雪渓の一番上まで行く途中で何かが見えたんです」
・「足跡があったんですよ。それがずーっと続いているんです。あれ? 誰かが先に入ったのかと思いましたね」自分たちよりも先に稜線を目指す人間がいる。
・目の前の足跡は消えたが、謎の人物は反対側から登っているのは間違いがない。気になった永井さんは時折双眼鏡を出すと反対側の斜面に目をやった。するとそこに黒い影が動き回っているのではないか。標高は1300メートル近いはずの場所を自由に動き回るその何かは人よりは大きいようだった。
「誰だろうね? まさか滑ろうとしてないよね」
永井さんは仲間とその何かの様子を探るがはっきりと確認できない。ただ熊でないことは確かで、二足歩行の生き物には違いなかった。どうしても気になる永井さんは、その何かに何度か声をかける。
「呼びかけると止まるんですよ。そしてこっちを伺うんですね。返事は無いんだけど明らかな反応はありました」
・斜度は50度以上のカチカチに凍った雪の上で、いとも簡単に移動するその何かに永井さんたちは驚愕する。アイゼンも付けずストックさえ持たずに闊歩するその何かの正体は分からなかった。
「しばらくして麓の神社で宮司さんと話をしてたら、“それは山の神か異獣ではないか”って言うんですよ」
異獣、『北越雪譜』に登場するあのUMA(未確認動物)である。二百年ほど前に書かれた書物に載る異獣、それがなお越後の山を歩き回っているようだ。南魚沼地区には雪男という名称の酒があり、ラベルに描かれた姿が異獣だ。黒くて二足歩行、大きな目で何とも可愛い姿は決して恐ろしい存在ではない。
<あなたはどなた>
・異獣に遭遇した永井さんは別の不思議な何かに出くわしている。
・「感じは1970年代ですね。明らかに現代の格好ではないんですよその人。滑り方はまあお世辞にも上手いとは言えなくて、どこから来たんだろうと思いました」
見た目の違和感はかなりのものだった。しかし最も奇妙に感じたのは目の前を通り過ぎる時のことだ。
「普通、山で人に会うと挨拶をするでしょう。“こんにちは”とか会釈程度はあるじゃないですか。でもね、その人まったくこっちを見ないんですよ」
<肖像画>
・永井さんは谷川岳で不思議な体験をしている。それは学生時代のことだ。
・「この人か?」「そうこの人が描いてくれって」誰もが恐怖を感じて、それ以上は話をすることが出来なかったのである。
翌朝、落ち着きを取り戻した仲間たちはAさんに昨夜の話を詳しく聞き、肖像画を描いた場所へ向かった。「ここか?」
Aさんが示す岩の近くには一枚のプレートが設置してあった。それは19歳で遭難死した息子を思い、両親が慟哭の心情を綴った記念碑である。まさにこの前にAさんは導かれ、そして青年の肖像画を描いていたのだった。
<信州・戸隠>
<テントの中と外>
・「彼はまったく寝られなかったって言うんですよ。一晩中女の人の叫び声が聞こえて恐ろしくてどうしようもなかったって」
しかしテント中に響く絶叫は寝込んだ二人にはまったく聞こえていない。彼はよほど二人を起こそうかと思ったが、最前“そんなもの聞こえない”と言った手前それも躊躇(ためら)われた。結局一睡も出来ずに朝を迎えたのである。
<静寂の山>
<北海道・松前半島>
<熊撃ちの経験>
・「登っていく途中に巡視路があるんですが、途中で居場所が分からなくなったんです」
最初の位置からすれば30分もあれば巡視路に出るはずである。しかし着かない。おかしいと思いながら二人は一度下ってみることにした。
最初のところまで戻ったんですがやっぱり分からないんですよ。複雑な場所じゃないのに」
顔を見合わせた二人は再度登ることに、そして今度は巡視路に出ることが出来たのである。「気がつかないような道じゃないんですよ。巡視路は。それなのにね、登り下りで二回も通り過ぎているんです。二人ともまったく気がつかなかった。考えられないことですよね。あれも狐の仕業かなあ」
<松前半島の狐狸>
・叔母さんはいつもの道を歩いているつもりだったが、(カラマツの古木に)頭をぶつけて気がついた。なぜ自分がそんな所にいるのかはまったく分からなかったそうだ。
「いやあ、あの原因は後で分かったんですよ。料理作りに行っていたでしょう。その時にテンプラを揚げた油が割烹着に飛び散っていたんです。それで狐にやられたって叔母さんは言っていましたねえ」
・同じく厚沢部町の松橋政雄さんは、若い頃から数多くの熊を捕ってきた山の達人である。その松橋さんに釣りの極意を伝授した知り合いが或る日行方不明になった。
・その人はいわゆるリングワンデリングに陥っていた。といっても目印の無い節減や藪の中ではない。いつも釣りに入るいつもの山道なのである。そこで同じ所をなぜか三度も歩く羽目になったのだ。“これはおかしい”周りを見渡しても別段変わった様子は無いが、自分は先へ進むことが出来ないのだ。そこで彼は木の根に腰を下ろすと一服して、どうしたものかと思案を始める。そのうちに自分を探す捜索隊の声が聞こえてきたので、これで助かったと思ったらしい。
<白神山地・目屋>
<神様の地>
・青森県は神様の多い地である。下北半島には恐山、また津軽地方には岩木山がある。どちらも神聖なる場所で、周辺にはイタコ、ゴミソ、オシラと呼ばれるシャーマンたちが健在なのだ。
・福沢さんは母親から面白い話を聞いたことがある。
「凄い大雨が降った時に米ヶ袋の田んぼへ様子を見に行った知り合いがいたそうです。その人、土砂降りの中で変な人を見ているんですよ」
田んぼが心配になるくらいの雨の中、白装束の女性が歩いているのだ。土砂降りなのにその女性は濡れているように見えない。いったい何者だろうと不思議に思い、その女性の姿を見ていた。それからしばらくして近くの神社が山ごと崩れ落ちる。謎の女性を見ていた人は神様が避難したのだと思ったそうだ。
東目屋地区にはかつて多くのゴミソがいて住民のさまざまな相談事に応じている。体調不良や困り事、失せ物探しなど気軽にゴミソに尋ねているのだ。
・或る時、集落の婆ちゃんが行方不明になった。警察や消防団がいくら探してもその姿は見つからない。誰もが諦めかけた頃、家族はついにゴミソにその居場所を尋ねた。「そこさいる」
岩木川に架かる橋の近くを指すゴミソ。しかしいくら目を凝らしてもそれらしい姿は見当たらない。集落の人が河原へ下りて生い茂る草を掻き分けると、確かに婆ちゃんの姿はそこにあった。
秋田県藤里町でもかつて多くのゴミソが存在したが今は一人もいない。しかし岩木山周辺では少ないがまだ活動している。東目屋地区でも曾祖母の跡を継いでゴミソになった30代の男性がいて、当分地域の神様として存在出来るだろう。
<白神山地・藤里町>
<謎の電話>
・日本各地を回っていると北東北は比較的狐に関する話が多い。ここ藤里町でも老若男女問わずいろいろな狐経験をしている人たちがいた。
・時計を確認しながら話をしていると、突然電話のベルが鳴った。電話の内容はこうである。“おめぇんとこさの爺ちゃんが坂の途中で寝てっから迎えさいげ”
院内岱(いんないだい)の向かう坂で爺ちゃんが寝ているという知らせだ。すぐに家族が探しに行くと坂道の真ん中で確かに爺ちゃんは寝ていた。着物を脱ぎきちんと畳んで履物も綺麗に揃えてある。まるでどこかの家に上がって布団で寝ているような姿だったそうだ。
「爺ちゃんは不思議なことがこの世にあるとはまったく思わないタイプの人なんです。でもこれについては不思議だったそうですよ。でも一番不思議なのは誰が電話を掛けてきたのかが結局分からなかったことですねえ」
電話を掛けてくるような知り合いすべてに確認したが、そのような人はいなかったのである。爺ちゃんが道端で寝ていたのは狐に化かされたからだと家族は考えたが、謎の電話も狐の仕業なのだろうか。
<田んぼの中、雪の中>
・では狐に騙された人はいるのだろうか。
「ああ、20年くらい前かな、田畑のあいだを一晩中歩き回った人がおった。ドロドロで歩き回っとったな。3年くらいにも女の人がおらんようになって、その人は狐に憑かれたと言いよったぞ」
・「狐にやられた、狐にやられた」「狐に?何やられたんだぁ」
「狐がこっちさ来い、こっちさ来いっておらをずーっと呼ばるんだぁ」
藪の中で自分を呼ぶ声のほうへと進んで居場所が分からなくなったというのである。天候も悪くなく迷うような場所でもない。一緒に行った友達も、つい今しがたまで近くにいたのになぜとんでもない所まで行ってしまったのか信じられないと話している。
・10年前には雪の中を一晩歩かされて行き倒れになった人もいたそうだ。
<下りか?登りか?>
・最も道に迷いやすいのが春先のタケノコ採りである。目の前に広がるタケノコの群落に夢中になって居場所が分からなくなるのが典型的な道迷いで、少なからぬの人が命を落とすかから怖い。
・先行する賑やかな女性たちの声を追いかけながら歩き続ける山田さん。30分ほど歩いた時、目の前に見慣れた木が現れた。
「千手観音ブナっていわれる特徴のある木なんです。それを見た時に気がついたんですよ。登っているってことに。下っているつもりがずっと登っていたんです」
GPSで確かめても間違いなく自分はずっと登っていたのである。タケノコ満載の重いリュックを背負い結構な傾斜道を登っているのに、当人は完全に下りだと認識していた。山田さんにとって小岳は目を瞑っていても歩ける場所なのだ。それがこんなことになるとはおかしい。狐のせいだと直感した山田さんは叫んだ。
「俺のことを騙そうたってそうはいかねーぞ‼ 」
<山奥の出来事>
・藤琴川のかなりの奥の沢筋にゼンマイの名所がある。時期になると我先にと大勢の人が向かう場所だ。
・しばらくすると足音が聞こえてくる。顔を上げると誰かが下りてくるのが見えた。「あれ? こんなに早く採りに入ったのか?」
自分がてっきり一番だと思ったから驚きながらも挨拶をするが、男は無反応である。強い違和感を感じたAさんが散れ違いざまに振り向くと、男の姿はどこにもなかった。この謎の男には多くの人が遭遇し、現場は“お化けが出る場所”として知られている。
<ゴミソと川流れ>
・山間地域に限らず昔は庶民の相談事に応じる“神様”が各地に多く見られた。神道系や仏教系、自己流といろいろな“神様”は、失せ物探しや縁切り、頭痛、肩こり、歯痛と何でもござれ。インチキだと言う人もいたが、地域に無くてはならぬ存在だったのである。
都市部から早くにいなくなった“神様”が比較的最近まで残っていたのが山間集落であり、藤里町にも多くの“神様”が存在していた。藤里町ではこの“神様”のことをゴミソと呼ぶ。「婆さんは何かあるとすぐにゴミソのとこさ行ったもんだ。物がなくなったとか体の調子悪いとかな」
<南蔵王・七ヶ宿町>
<小さなおじさん>
・森の不思議な存在の一つに小人がある。兵庫県のベテラン猟師は森の中で二度ほどその姿を見ている。他人に話しても信じてもらえず、それならとカメラを持ち歩くようになったら出てこなくなって悔しい思いをしたそうだ。
・集落を目指して林道を下っていると、一本の朴の大木に夕日が美しく映えている。燃えるような輝きを放つ朴の木、Kさんは思わず足を止めて見入った。「凄く綺麗だったんですよ。でもその根元に何か座っているんです」「狐ですか?」
「いえ、小さなおじさんでした。木の根元に座ってニコニコしてるんですよ。大きさですか?20センチくらいでしたね」
まさに森の小人さん出現である。Kさんが詳しく観察したところによると、小人さんは作業着姿で若干頭が大きかったそうだ。
<奥会津>
<マタギの体験>
「狐に化かされたような話は聞いたことがありますよ。買い物に出かけた人がいつまで経っても帰らないんで探しに行ったそうです。そうしたらムクレ沢沿いの道から下りて沢に入っていてね。死んではおらんかったですが、買ったはずのニシンの干物は無かったそうですよ。あと猟に行く途中で洞穴があるんですが、そこで寝泊まりをしとったら夜中に木がメリメリ倒れる音がするんです。変だと思って鉄砲を1発空に撃ったら静かになったとかね」
これらの話は全国各地でよく聞かれる狐狸話の典型的な例だろう。
<会津の狐>
・「隣の集落の先生が行方不明になったことはありましたよ。冬でしたねえ」
先生は通勤に只見線を利用していた。駅を降りると坂を下って我が家へと向かうわずかな距離である。「見つかったのは山のほうだったんです。ええ、死んでました」
先生はいつものように駅で降りた後、なぜか家とは反対側の山側へ向かった。そしてそのまま雪の中で息絶えていた。なぜそのようなことになったのかは、誰にも納得出来る答えは無い。ただ先生が揚げ物をお土産に持っていたから、狐にやられたと思った人もいたそうだ。
・いつも入る山でいつものメンバーでいつものようにキノコを採っていると、突然自分がどこにいるのかが分からなくなった。辺りを見渡してもまったく見覚えのない地形なのだ。どこへ行けば良いのか、待ち合わせの場所すら見当がつかず途方に暮れる女将。結局仲間が探し出してくれたが、それまでの心細さは想像に難くない。霧が掛かっていたり雪があったりした訳でもない。もちろん疲れていたり、酔っぱらっていた訳でもない。それでも人は突然知らない空間に入り込むことがあるのだ。
<飯豊山麓>
<飯豊連峰に潜むモノ>
・新潟県阿賀町は西会津町の西隣に位置する。阿賀野川沿いの麒麟山は昔から狐火の名所ということで“狐の嫁入り”を町おこしにしている。
・彼女がその音のするほうに提灯を突き出すと、小さな池の中に誰かが入っている。近づいてよくよく見ると、それは医者だった。「あんたあ、何してる!」 その声に顔を上げた医者はこう言った。
「自転車漕いで大汗かいて峠さ越えたら、女の人が一風呂浴びていけって言うんだあ」
もちろんその辺りには家は無い。典型的な狐に化かされる話である。これは昭和の初めの出来事だ。
・山で出会った場合、挨拶をしないほうが珍しい。ましてや生徒を連れた先生がこちらを見向きもしないとは奇妙である。“ガサガサ、サクサク”遠ざかる不思議な集団を見ながらAさんは違和感を感じ、急いで後を追ったがどこにも彼らの姿は無い。
「おかしいな、まだ遠くに行ってないはずなのに……」
一言も話さない無表情の集団は忽然と姿を消したのである。
この出来事があまりに妙で、Aさんは気になって仕方がない。そこで知り合いの古老に話を聞くと、その場所で昔生徒と引率の先生が事故に巻き込まれて複数亡くなったことが分かった。言われてみれば服装も今風ではなかったし、それも違和感に繋がったのだろうと合点がいったのである。Aさんは世の中に不思議なことなどまったく無いと言い切る人だったが、この一件以来考えを改めたそうだ。
<優しい狸>
・四国には狐がいないと聞いたことがある。弘法大師が狐をすべて追い払ったのだというから、彼らはよほどの悪さをしたに違いない。実際のところは四国山中に狐は存在していると地元猟師は証言しているが数は少ないそうである。そんな狐とは逆に存在感を示すのが狸だ。
・狸が光を見せる、それも繋がっていくつも光を見せるとは初めて聞いた。まさに“狐の嫁入り”ならぬ“狸の嫁入り”である。不思議な狸火以外では、よく墓から火の玉が出たらしい。当時は土葬であり、このような例は全国各地にあった。仏を埋葬するのはかなりの重労働で、若者がやらざるを得ない。何と伊東さんは30回以上も仏を埋葬したそうである。
<山師の体験>
・「ああそういえば造林の組で不思議な道迷いはありましたよ」
或る年の初夏のことだ。作業のために山へ向かった造林チームが突然どこにいるのか皆目分からなくなってしまう事態に陥る。ベテランも含めた数人のチームで毎日同じ場所へと入り作業をしていたのだ。それなのに誰も自分たちの居場所が分からない。手分けして散々探し回り、ようやくその未知の場所から脱出した時には全員が胸を撫で下ろしたのである。連日通っていた現場が突然見慣れぬ山へ変わるのは屈強な山師でも恐ろしいだろう。
<九州中央高地>
<人魂が飛び交う村>
・村内ではカリコボーズ橋やカリコボーズの宿と、カリコボーズなる名称を冠した施設が目に付いた。村のパンフレットには精霊という言葉があるが、山の神ではなく精霊とはいったいどのような存在なのだろうか。
<カリコボーズの森>
・「そうです。カリコボーズは山から下りて川に入るとです。そこで川のですかねカッパになっとですよ。そいで秋の彼岸にはまた山に戻っとです。十年くらい前にも川の中の石の上にカッパのおったとですよ」
水上村で聞いた彼岸の中日と山の神、川の神=水神の話がここでよりはっきりとした。山の神が川へ下りて川の神(水神、カッパ?)となる。これは山の神が春先に下りてきて田の神になる話とよく似ているのだ。西米良村ではこの上り下りの時に尾根伝いにカリコボーズが移動すると考えられている。そこをたまたま通りかかると大絶叫に見舞われるというのだ。
<悪意無き悪戯>
・カリコボーズが山と川を行き来する存在だということは分かった。この川とは支流ではなく本流のことで、通り道となるのはそこへ続く尾根道だと誰もが口を揃える。
・山の中ではほかにもさまざまな謎の音が聞こえた。大木がどーんと切り倒される音を聞いた人は何人もいる。
・これらはすべてカリコボーズの仕業だと誰もが口を揃える。しかしそれが人命に関わったり凶兆という訳でもないので特に気にはしていないのが面白い。カリコボーズは西米良村の住民に愛されているのだろう。
<きゃあぼう吹き>
・交通の便が悪く医療設備も整っていなかった頃の山間部では、日常的に神仏が必要とされてきた。僧侶や神主がさまざまな悩み事や病気平癒のための種々の祈禱を行ったのである。神社仏閣の関係者以外にも村の神様的な存在、いわゆる霊能者を頼る場合も珍しくなかった。もちろん祈禱やお札を飲み込んでも病が良くなる訳ではない。それでも人々は頼らざるを得ない環境だったのである。
このように神社仏閣は地域に根付いた存在だが、それ以外にも山里には流れてくる者もあった。山伏である。
<山怪拾遺>
<山怪は何でも狐のせい?>
・「また狐の話だよ」
『山怪』の読者からよくこういう声を聞く。確かに自分でも書きながら同じように感じる訳で当然だろう。しかしながら取材先で狐の話が多く出るのは事実で、それをバサバサ切り捨てることも出来ないのだ。狐話には微妙な差異があり、そこを粗末に出来ないと思っている。
狐狸は行動範囲が里に近く、最も馴染みがある動物だ。奇妙な出来事に遭遇した時にその原因にするにはうってつけなのだろう。それが親から子へ、そして孫へと語り継がれ、何かあるとするとすぐに狐狸だなと判断する訳だ。
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