中国崩壊論が現実味を帯びてくるのはまさにこれからだと言える。それでも何せ巨大な国だから崩壊まで短い期限を定めるべきではない。少なくとも10年くらいは時間的な余裕を持たせておいたほうがいいと思う(2)
(2020/8/28)
『新型肺炎 感染爆発と中国の真実』
中国五千年の疫病史が物語るパンデミック
新型コロナウイルスはなぜ中国で発生し拡大したのか
黄文雄 徳間書店 2020/2/29
<2020年1月末の春節から感染が拡大し続けている>
・私は、今回の新型肺炎の世界的流行は、独裁国家が国際的な影響力を持つことのリスクが表面化した事態だと考えている。独裁国家にとって、情報統制は必要不可欠なものだ。
<新型コロナウイルス「COVID-19」が中国で発生、拡大した歴史背景とは>
・中国発パンデミックを警告し続けてきた著者が、疫病の発生・拡大を繰り返してきた中国五千年の社会・政治・民族的宿痾を解説。世界の歴史を動かしてきた中国疫病史をもとに、新型肺炎感染拡大の行方と影響を分析する。
・私は2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が世界的流行を見せた際、『中国発SARSの恐怖』(光文社)という書籍を上梓し、中国の隠蔽体質や事実捏造を告発した。本書の執筆にあたり、17年前のこの著書を読み返したが、当時の中国政府の対応は驚くほど今回と酷似している。
・私は、今回の新型肺炎の世界的流行は、独裁国家が国際的な影響力を持つことのリスクが表面化した事態だと考えている。独裁国家にとって、情報統制は必要不可欠なものだ。為政者にとって都合の悪い情報は絶対に出てこない。
・だが、このような体質が、中国国内はもとより世界への感染拡大を招いている。中国人も世界の人々も、中国共産党の被害者なのだ。だが、情報統制をやめれば、それは一党独裁の終わりを意味する。中国共産党にとって、言論の自由は絶対に容認できない。いまなお1989年の天安門事件すら公には語ることができないという事実が、それを証明している。
・本書では、中国が歴史的につねに疫病の発生地であったこと、その感染拡大が世界の歴史を大きく動かしたことについても解説している。なぜ中国から拡散した疫病が厄介なのかということについても、歴史、民族性、文化、政治など、さまざまな観点から考察している。
<感染拡大が止まらない新型肺炎の脅威>
・そもそもウイルスとは、生物の細胞内でのみ増殖する感染性の病原体である。植物性ウイルス、動物性ウイルス、細菌ウイルスと感染する生物ごとの分類と同時に、遺伝情報である核酸によってDNAウイルスとRNAウイルスに分類される。
コロナウイルスは人や鳥などに感染する動物性で、冬の軽い鼻風邪の原因となるものなど、従来からいくつかの種類の存在が知られている。有名なところでは広東省で発生し、2003年にはアジア各国に感染が拡大したSARS(重症急性呼吸器症候群)や、2012年に中東で発生し、韓国にまで拡大したMERS(中東呼吸器症候群)などが挙げられる。
SARSのときは、野生動物を食べる習慣のある中国・広東省が発源地となった。ウイルスの起源として、当初はハクビシンが疑われていたが、その後の調査で、自然宿主はキクガシラコウモリだということが判明し、そのフンを媒介してほかの動物に伝染し、それが人間に感染したことが判明している。
一方、武漢肺炎では、武漢の華南海鮮卸売市場がウイルスの発生源とされた。この市場では、通常の加工肉のほか、鶏、ブタ、ヒツジなどに加えて、ロバ、ラクダ、キツネ、アナグマ、タケネズミ、ハリネズミ、ヘビといった動物が食用として生きたまま売られていたという。
<やはり中国は情報を隠蔽していた>
・しかし、武漢で最初に原因不明の肺炎患者が報告されたのは、2019年12月8日だったが、当局はそのことを公表せず、12月30日に内部文書がネットに流出したことで、ようやく新型の肺炎が拡大していることが噂にのぼるようになったのである。
しかも新型肺炎の情報を流したネットユーザー8人が、「デマを流した」ということで警察当局に逮捕されている。
<中国で疫病が発生、拡大する9つの理由>
・加えて、中国ならではの事情が、歴史的にかの国を疫病の発生源にし、また、世界中にパンデミックを拡散し、歴史を変えてきたといえる。その理由や原因については本書で述べていくが、項目をあげると以下のような点になる。
① 希薄な衛生観念
② 儒教からくる家族主義・自己中心主義
③ ニセモノ文化
④ 多すぎる人口
⑤ 何でも食べる食文化
⑥ 農村などでの人畜共棲
⑦ 秘密主義、情報隠蔽
⑧ 皇帝制度、一党独裁
⑨ 不完全な医療制度
・もちろん、ニセモノ業者がニセモノをつくるのは儲けるためであるから、そのニセモノによってどのような被害が出ようと知ったことではない。だからニセ薬による死者が多発するのだ。
水道水が飲めない中国では、ミネラルウォーターを購入する家も多いが、得体のしれない湧き水や川の水を汲んで入れただけのニセモノも多い。
・また、中国では人口増加を抑えるために、1979~2015年のあいだ、一人っ子政策を行ってきた。子供を二人以上もつと罰金や昇給・昇進の停止などといった罰則があるため、二人目の子どもが生まれても出生届けを出さなかったり、人身売買業者に売ったりしてしまうことが頻発した。
こういった子供は戸籍をもたない「黒孩子(闇っ子)」と呼ばれるが、当然ながら、医療は受けられない。中国政府はこうした黒孩子の数を1300万人と推定し、彼らに戸籍を与える制度を推進しているが、実際には把握できていない黒孩子の数も多いとされている。こうした黒孩子の存在も、疫病を拡大させる一因となっている。
・2003年にSARSが流行した際には、ウイルスの宿主であるキクガシラコウモリから感染したハクビシンが市場で売られ、それを食べた中国人が感染したと考えられている。
また、MERSもヒトコブラクダから人に感染したとされているが、中国の食品市場ではこうしたラクダも売られている。
・とくに現在において、中国共産党は「絶対無謬」の存在であり、憲法でもすべてを「党の指導に従う」と明記されている。その絶対無謬の共産党にとって、「疫病被害の拡大を防げなかった」という失態は、絶対にあってはならないし、あっても人民に知らせてはいけないことなのだ。だから実態は隠蔽しなくてはならない。それが中国の「国のかたち」なのである。
・そして、⑨についてだが、儒教の影響が現在も色濃い中国では、医師の社会的地位は非常に低い。たとえば、日本と台湾では、通常、成績がいい学生が大学の医学部へ進むが、中華の世界ではまったく逆で、成績の悪い学生が医師になる。だから、中国では現在も医者は軽んじられる存在なのだ。
・さらに、中国の医療保険制度はまだ未整備状態で、基本医療保険加入者は都市・農村合わせて8億7359万人(2017年末)であり、約5億人がまだ未加入である。
加入者にしても、たとえば北京市では診療費の自己負担率は45%と高い。とくに農村部の農民や都会で働く農民工は、掛け金を惜しんで加入していないケースがまだまだ多く、加入していても、前述のような自己負担率の高さから、病気になっても病院に行かないことが多い。そのため、疫病が拡大してしまうのだ。
以上のように、現代中国には「闇」の部分が数多く存在し、それが結果的に疫病の発生と拡大を招いているのである。
<各国の対応と遅すぎる日本の処置>
・訪日中国人も、2003年は44万9000人だったものが、2019年は959万4300人と、こちらも20倍以上に伸びている。
世界のグローバル化、そして中国人が豊かになるにつれ、中国人海外旅行者数は年々増加している。
<中国人の衛生環境>
・衛生管理がよくない地域からさまざまなウイルスが各都市へ運ばれて蔓延する危険性は、なにもいまに始まったことではない。
そのなかで、ウイルス感染の主因とされているのが、食用の野生動物である。
・2003年に流行したSARSの場合も、野生動物を好んで食べる習慣がある広東省から感染者第1号が出て拡散した。卸売市場には「家禽蛇獣総合市場」があり、50種を超える食用動物が生きたまま売られている。
それから17年後の2019年末に発生・拡散した新型肺炎も、感染源とされる華南海鮮卸売市場から新型コロナウイルスが多数検出されており、ここで売られていた野生動物から人へと拡散したことがほぼ裏付けられている。
・加えて、中国の公衆衛生において、大きな問題となってきたのがトイレである。中国式の公衆トイレといえば、扉も囲いもなく、隣でしゃがむ人と顔を合わせるため、「ニーハオ・トイレ」と呼ばれてきた。また、水洗ではなく、いわゆる「ボットン式」が多いことから、外国人には非常に不評であった。
上海では、1988年に約30万人がA型肝炎にかかったことがある。これはA型肝炎にかかった人のウイルスが排泄物とともに垂れ流され、それを食べた魚介類をさらに人間が食べたことで被害が拡大したといわれている。
・また2015年には、日常業務で人民元札を数えている銀行員が、手を洗わないままトイレに行ったことで、性病に感染するという事件もあった。露天の公衆トイレなどでは、手を洗う場所がないところも多く、紙幣を媒介にしてさまざまな菌が全国に運ばれていると考えられている。
とくに、農村部では人と家畜の排泄物の衛生問題が深刻化しており、農村部で発生する伝染病の8割が糞便や飲料水が原因とされている。
そこで習近平国家主席は2015年から国家観光局に指示し、観光都市にきれいなトイレを整備する「トイレ革命」を行ってきた。2015年から2017年にかけて16億4000万元を投じて、観光地などのトイレ7万カ所以上を新築・改修。さらに2019年には70億元を投入して全国3万の村で1000万世帯のトイレを改修する計画を打ち出した。
<台湾をWHOから排除する中国の姑息>
・もちろんWHOのこうした態度の裏には、台湾をあらゆる国際組織から追放することを公言している中国政府の力が働いている。中国は「あらゆる国際組織」、台湾が加盟するスポーツや文化に関する国際組織でも、台湾の名義を恣意的に改名させている。
・だが、前述したように、パンデミックは中国だけの問題ではない。むしろ政治的理由で感染国を国際機関から除外する姿勢こそが、感染を拡大させている元凶なのだ。
<言論統制の国としての歴史と実態>
・2003年のSARS隠蔽をめぐる世界の非難と共産党内部の力関係の変化もあり、新型肺炎の流行にあたって、あからさまな嘘だけはなくなった中国だが、それでも国民は政府の言うことを信用していない。
・そしてそれは、悲しいかな、中国を抜きがたい人間不信社会へと育ててきた。国民は政府も国内のマスコミも信用しない。政府も国民を信用しない。だから、政府に不利になるような報道はしない、させない。この悪循環が繰り返されている。中国ではネットですら指導者批判は禁じられていて、指導者支持の発言は、実は批判の裏返しだとさえいわれている。
<中国政府の情報隠蔽体質が絶対なおらない理由>
1、 銃以上に人心を掌握することが重要だが、この国の場合、その人心掌握と人間操縦をする手段が、情報統制によるマインドコントロールなのである。
2、 「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」というのが、孔子以来の伝統的な愚民政策である。
3、 中国人の思考様式のもっとも典型的なパターンが「戦略的」であること。
4、 中国は人間不信の社会であり、極端な場合は夫婦でも互いに信用しない。
5、 中国は軍事絶対優先の社会であり、教育も衛生も置き去りにされている。
6、 現体制の権力構造は、利益誘導型にして政策迎合型。かつての「大躍進」時代の数字捏造がいまでも続いている。
7、 中国の民族性のもっとも大きな特徴の一つは、「馬々虎々(マーマーフーフー)(でたらめ)」といわれるいい加減な性格で正確性が乏しく、しかも誇大あるいは夜郎自大の傾向があることだ。
以上、述べてきた七つの理由から、私は、中国の情報隠蔽の体質は、少なくとも21世紀中に改善されることは絶対にありえないと断言するのである。
<中華の中原は世界の疫病拡散地>
・中国における疫病の流行は、中華帝国の歴史よりも長い。有史以前あるいは信史(確実な歴史)以前から、中国には疫病が存在していたのである。
・これだけ長い疫病の歴史をもつ中国だが、医療衛生が制度化されたのは、なんと20世紀になってからのことである。清末、立憲君主制への移行を目指す変法派の官僚によって、義和団事変以後の1902年に天津に衛生総局が設立されたが、医療衛生制度化の始まりだった。
やはり、この当時も疫病が大流行しており、その対策のために医療が制度化されたのだ。このときはやっていたのはペストである。
・1918年秋、全世界でインフルエンザが猛威をふるった。通称「スぺイン風邪」と呼ばれたそれは、1917年に中国の南方で発生したものであり、最初は中国に駐在していたアメリカ人が感染し、ヨーロッパに従軍後に発病したことでフランス軍が感染し、その後ドイツ軍にも感染、そして全世界に拡散されたものであった。
感染者は5億人以上で、当時の地球の人口の20~40%にも達し、感染からわずか4カ月で2000万人が死亡した。最終的な死亡は5000万~1億人、死亡率は約2.5%であった。
・インフルエンザの病原菌は、1933年に確認されたものの、現在に至っても有効な治療薬はまだ開発されていない。
中国では、1930年に国際連盟の援助を受け、政府が各海港に設けていた検疫機構を接収し、検疫権を得て対外的な衛生管理を「制度化」した経緯がある。しかし、近代になっても、中国は疫病の拡散地のままでありつづけている。
国内で疫病を発生させては、周辺諸国、そして世界へと疫病をばらまいているのだ。19世紀末にはペストやコレラを、中華人民共和国成立後の1950年代にはアジアインフルエンザを、1960年代には香港インフルエンザをまき散らしてきた。
ことに香港インフルエンザは、世界的に大流行し、それによる死者は計400万人にものぼった(アジアインフルエンザでは死者約7万人)。そして2000年代に入ってからはSARS、鳥インフルエンザ、さらに新型肺炎の拡散である。これまで、中国がいったいどれだけ世界に伝染病を拡大してきたかは、人類の疫病史が如実に物語ってくれている。
<中国の疫病による死亡者数は「無算」>
・日本ではやった疫病の多くは、中国から渡ってきたものである。元寇の襲来以来、日本は中国からくる伝染病にしばしば悩まされたものだった。
<中世ヨーロッパを襲ったペストの伝染病は中国だった>
・ヨーロッパにとっても中国大陸にとっても、歴史上もっとも大きな悩みだったのは黒死病(ペスト)の蔓延だった。
・その後、ヨーロッパの人口は社会の成熟とともにだんだん増加していき、1300年には7300万人にまで膨れ上がった。中世ヨーロッパ社会は、これから迎えるべき大航海時代に向けて、すべてが順調にいっていたかのように見えた。
しかし、ここでヨーロッパの人口が激減する出来事が起こる。1348年のペストの大流行である。あっという間にヨーロッパを襲った恐るべき伝染病ペストは、1351年までの3年間で、人口の3分の1を死に至らしめたのである。
ヨーロッパに大打撃を与えたペストが、ヨーロッパに伝わった経路については諸説あり、北インドから伝わったという説もある。しかし、もっとも現実的で有力な説は、中国大陸から伝わったという説だ。
まず、中国の南宋王朝で流行し、それがモンゴル軍へと伝わった。
・近代に大流行したペストの発源地は、中国の雲南省がほとんどだった。1855年の雲南軍の反乱を征伐した清国軍は、ペストについてはまったく無知であったため、感染した状態で帰還した。
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