中国崩壊論が現実味を帯びてくるのはまさにこれからだと言える。それでも何せ巨大な国だから崩壊まで短い期限を定めるべきではない。少なくとも10年くらいは時間的な余裕を持たせておいたほうがいいと思う(11)

<GLAの成立と高橋信次の死>

・妹の星洋子さんの守護霊は観世音菩薩と名乗った。さらに、古代エジプト語、中国語、アトランティスの言葉などを話す守護霊が出現するようになり、人間の過去生のしくみについて話しはじめた。

 一栄さんには弥勒菩薩が出現し、釈迦の時代のインドの修行の様子を詳しく話しはじめ、宗教のあり方や、心のあり方を説きはじめた。

 話を聞きつけた知り合いが訪ねてくるようになり、過去生を思い出して当時の様子を話す人々が、実験のつど増えていった。

・高橋信次の家族を中心に、モーゼやキリストやマイトレーヤなどの大物が出現していることについて、「守護霊たちは法を伝えるための核として、一か所に集中して出現するのだ」と語っている。

 過去生の言葉を話す人々は、その後、知り合いの東京中央区の大島屋の家族に出現し、さらに東京周辺にいくつかのグループが出現した。

 高橋信次は仕事明けの土曜と日曜に、自宅で過去生の実験をするようになった。しかし人数が増えてきて、大田区大森にあった高橋信次の自宅にはとうてい入り切れなくなるようになった。

・自身のことは、3億6500年も前に天使たちを従えて地球に降り立った指導者エル・ランティだとしている。そして、娘佳子がエル・ランティの正法を伝える天使長ミカエルとして、GLAを引き継ぐという自覚を得たという。

<高橋信次先生を偲んで、私の真心を伝えます 引き受け人間学(創始者)藤谷泰光>

・1974(昭和49年)12月のある日、私は長崎県佐世保市内にある金明堂書店にふと立ち寄りました。その時の私は24歳でした(現在は65歳)。精神世界や宗教書が置いてあるコーナーで、『心の原点・高橋信次』という本が目に留まったのです。

 しばらく立ち読みを」していると、心の底から驚きと歓びの感情がふつふつと湧いてきました。その本を購入して我が家で一晩中、号泣しながら完読したのです。それまでの私は、本を購入しても、積ん読といいますが、一氣に読み切ったことはなかったのです。

 その後、ただちに出版会社に電話して、高橋信次先生の講演日程を聞きました。

・それまでにも、霊能者や宗教家といわれる方には数名会って相談していましたが、「前世の悪縁を切るから毎月お金を送金しろ」とか、「先祖の戒名を変えなさい」とか、その他、私にはまったく意味の解らない説明をされる方など、今想えば、本物を知るための反面教師だったと、信次先生の講演後に実感しました。

・それから私は信次先生の会員になり、心の学びを続けたのです。普段では、こんなことはありえないという不思議な体験をたくさんしました。

・信次先生の講演セミナーの追っかけをしていたある日、講演中に次のようなお話がありました。

「私の今世は、48歳でこの地上界を去って、あの世に還る運命を決めてきました。また、魂の世界は自由自在だから、あの世から応援します」などと言われるのです。当時47歳だったので、もう来年は、この世にいないということです。

<「自分に厳しく、他人に寛容に生きてください」>

・しかし私はその後、事業に失敗して、生命保険金で責任を取ろうと「死」を覚悟したとき、「逃げるな/試練だ/引き受けなさい/必ず道は開けます」との天の声に導かれ、すんでのところで自殺を思いとどまりました。

 その後、生活のためにと、1988年3月21日、36歳のときに施療院を開業しました。そして2011年6月11日、私の還暦の日に、天からの声によって、「引き受け氣功」を改め、「引き受け人間学」を命名し、今年の3月、満29年をかけて、ついにほぼ基本を完成させることができます。

 私の背後には不思議にも、いつも信次先生の御姿の光を実感するのです。

・今、私の過去の人生を振り返ると、小学6年生のときの自分の肉体に対する不満と、中学3年生から始まった死の恐怖、そして、22歳で始まった胃の激痛(私は胃ガンだと思い、病院を転々としました)と痩せ細った身体(身長170㎝で体重40㎏ほど)、さらに精神の不安定など、本当に苦しい状況のときに信次先生と出会ったのでした。

『最新 新宗教事情』 カルト、スピリチュアル、おひとりさま

島田裕巳   勉誠出版  2009/7

<白装束集団はどこへ行くのか>

・GLAは、新宗教団体のなかで、その規模は決して大きくはない。会員数は、2万人弱程度にとどまっている。カオダイ教の100分の1にも満たない。千乃正法の会員が1200名ほどだから、その母体となったGLAは、その十倍をわずかに超えるにすぎないことになる。

しかし、GLA自体の規模は小さいものの、高橋信次の名は、新しい宗教に関心をもつ人々の間で、非常によく知られている。また、高橋の本には、作家の山岡荘八や村上元三、歌舞伎役者の岩井半四郎、将棋の                                                                                                                                       

升田幸三などが推薦文を載せており、『経済界』の佐藤正忠も、高橋の熱心な信奉者だった。

 高橋は、48歳の若さで亡くなっている。そして、当時日大の哲学科で学んでいた娘の佳子が跡を継ぐ。SF作家の平井和正が書いた『幻魔大戦』に登場する「GENKEN」は、高橋佳子とGLAをモデルにしていると言われている。佳子の名で出された『真創世記』のシリーズについて、後に平井は、自分が書いたものだと告白したが、教団はそれを否定している。

<新宗教の教団が、開祖の死後、分裂することは決して珍しいことではない。>

・幸福の科学の大川隆法も、一時はGLAの会員だった。ところが高橋信次の霊が下って語ったとする『高橋信次霊言集』を刊行したことから、高橋の信奉者やGLA系の集団から激しい反発を受けた。1991年に幸福の科学のことがテレビなどでも大きく取り上げられたときには、千乃正法の機関誌でも、2号にわたって、その徹底的な批判が行われていた。

 オウム真理教の麻原彰晃も、高橋信次に傾倒していたことがあると言われる。高橋の著作を読んでいくと、たしかに麻原の説法を思い起こさせる部分がある。高橋は、その教えの根幹に、仏教の八正道をすえたが、麻原も初期の説法では、この八正道を重視していた。

 高橋信次の影響は、極めて広範囲に渡っている。そして、高橋自身ははっきりとは述べていなかったが、周囲の人間たちは高橋を釈迦の生まれ変わりとしてとらえていた。高橋には『人間釈迦』というシリーズがあり、そこでは、釈迦が体験したとされることがつづられている。それも、信奉者からは、高橋が釈迦の生まれ変わりである証拠として考えられた。だからこそ千乃裕子は、高橋をブッダ(釈迦)と並べ、天上界の上位に位置づけているわけである。

 高橋信次は、本命を春雄と言い、1927年に長野県の佐久の農家に生まれた。家は貧しく、高橋は、原因不明の病で臨死体験をしたとされる。高橋は、そこから、「もう一人の自分」を探すようになり、霊的な体験をくり返す。

・戦後は、日大工学部の電気学科に学び、卒業はしなかったものの、25歳のときには、電気関係の会社を起こす。しかし、経営に失敗し、その後、コンピュータの端末機器を製造する高電子工業とビル管理の八起ビルという会社を作り、その社長に就任した。

・1968年7月6日には、高橋の義弟に紀元前1300年、エジプトで生まれた「ワン・ツー・スリー」という霊が下って、人間のあり方について教えられた。また、高橋の守護霊、つまりは「もう一人の自分」が4世紀ごろの中国にいた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」であることを教えられる。

・GLAでは、創価学会にまったく欠けていたものが、その宗教活動の核になっていた。

 日本の新宗教団体では、霊の問題が強調されることが多い。病や不幸は、霊による障りが原因であるとされ、その霊を払うことによって、幸福がもたらされると説くのが、一般的である。その霊は、とくに十分に祀られていない先祖の霊であることが多い。

 たとえば、同じ日蓮系で、創価学会の最大のライバルであった立正佼成会は、庭野日敬と長沼妙佼のコンビによって創設されたが、長沼は神憑りする霊能者で、それが初期の立正佼成会の活動の核になっていた。

 ところが、創価学会においては、霊が強調されることはなく、関心もむけられていない。そもそも創価学会では、あの世や霊界の実在はほとんど重視されておらず、目の前に存在する現実の世界でいかに生きるかということだけが、重要視されてきた。

・高橋は、八正道や中道といったことを主張し、創価学会と同じく仏教を基盤とはしていたものの、その幼少の時からの体験を通して、また、1969年以降の体験を通して、霊の問題に強い関心を寄せるようになった。彼は、霊が下って神憑りすることを「霊道が開く」と呼び、霊は輪廻転生すると説いた。GLAの会員たちには、さまざまな霊が下り、それぞれの霊は、その時代に使われていたとされる古代語で語り出した。その言葉は、「異言」と呼ばれる。

・1973年のオイルショック以降には、現世利益の実現を徹底して強調する創価学会などの従来の新宗教にかわって、霊現象やオカルト、そして終末論を強調する「新々宗教」が勢力を拡大していたと言われるが、その意味で、GLAは、まさに新々宗教の先駆けであり、霊の問題で創価学会に不満をもつ人間を取り込む可能性をもっていた。

<天理教に対する批判>

・天理教の誕生は、幕末維新期のことで、教祖である中山みきの神憑りにはじまる。教団公認の教祖伝である『稿本天理教教祖伝』では、天保九(1838)年10月26日に、みきが「神の社」と定まったことをもって、天理教が立教したとされているが、実際にみきが、「お産の神様」として妊婦の救済にあたるようになるのは、明治に入る直前のことである。それ以降、病気直しを中心に宗教活動を展開し、信者を増やしていくことになるが、まず、地域の山伏など民間宗教家からの迫害を受けるようになる。それは、信者の獲得合戦をめぐってのことだった。

・この時代の天理教は、信仰による病気直しが活動の中心で、布教活動を展開する信者は、「ピシャッと医者止めて、神さん一条や」と言って、天理教への信仰さえあれば、医者から治療を受ける必要はないと説いた。これは明治7(1874)年に教部省から出された「禁厭祈祷ヲ以テ医薬ヲ妨クル者取締ノ件」という布達に違反した。そのため教団は警察からの取り締まりを受けた。また明治13年に制定され、15年から施行された、今日の軽犯罪法に当たる大阪府の違警罪の一項、「官許を得ずして神仏を開帳し人を群衆せしもの」にも違反した。

・そうしたなかで、メディアも天理教の動向に注目するようになった。当時のメディアと言えば、新聞ジャーナリストが中心で、『大阪新報』明治14年7月17日号には、最近、大和国丹波市のあたりに「奇怪な老婆」が現れたという記事が掲載された。

 その記事のなかでは、教祖である中山みきは、自らを転輪王と称し、昼間はどこかに潜伏していて姿を見せないが、夜中12時をすぎると忽然と現れ、白衣をまとって白髪を振り乱し、あたりを徘徊しながら、「万代の世界を一れつ見はらせば、棟の分かれた物はないぞや」といったことばを吐き、自分を信仰する人間には150年の長命を授けるといった妄言を吐いているというのである。

 この記事は、天理教批判の先駆的なもので、信者たちは「近郷の愚民たち」と蔑視されている。その内容も、天理教がいかに荒唐無稽で、その内容は淫祠邪教に過ぎないことを強調するものである。ただし、この時代にみきが頻繁に神憑りしていたことは事実で、その姿は信者たちに目撃され、それは「お出まし」と呼ばれていた。お出ましの際に、信者たちは、みきの吐くことばを必死に書き留めようとしたが、なかには意味不明で書き留められないものもあった。

・その点では、この記事は、教団を批判するものである一方、当時の天理教がどのような活動を展開していたかを示す貴重な歴史的資料ともなっている。記事のなかでは、この時代の信者は丹波市周辺で300名以上にのぼり、大阪にも200名以上の信者がいるとも指摘されている。果たしてこれが事実にもとづくものかは不明だが、草創期の天理教の規模を考える上で参考になる数字である。当時の天理教は、まだ小規模な振興の宗教団体に過ぎなかった。むしろ天理教がその勢力を拡大するようになるのは、みきが明治20年に90歳で亡くなって以降のことである。

・みきは反対していたと言われるが、教団の幹部は、取り締まりを免れるために、公認を得るための活動を展開する。それが功を奏し、みき生前の明治18年には、神道本局部属六等教会の設置を許可される。この動きは、みきの死後加速された。天理教は、それまで主に天輪教を名乗っていたが、教部省から出されていた「教則3条(3条の教憲)」のいなかにある「天理教人道を明らかにすべき事」という文言にもとづいて、天理教と改称し、明治24年には神道本局直轄一等教会に昇格する。

・この時代、天理教がどの程度の信者を集めていたかは明らかではないが、明治末の段階では10万人ほどの信者を集めていたとされる。それは、既存の教団にとっては脅威であり、そこから天理教に対する新たな批判が生まれることになる。

・天理教の教団では、『稿本天理教教祖伝』として完成される教団公認の教祖伝については、それを「権威本」と呼んで、教団外の人間が執筆した教祖伝とは区別した。後者は、「流布本」と呼ばれていたが、みきの歩みにかんしては、相当に潤色が施された流布本を通して、教団の信者や教団外の人間に知られるようになっていく。

 そうした流布本では、神憑りをしたあとのみきが、「貧に落ちきれ」と称して、家屋敷や財産、所持していた物品などを周囲に施したことが強調された。これは、必ずしも事実にもとづくものではなかったが、天理教の布教師たちは、「貧に落ちきれ」と呼びかけることで、信者たちに救われるためには献金の必要があることを強調した。それによって、所持金の多くを献金した者もあらわれ、天理教は「搾取の宗教」として批判されることになる。

 そうした批判に対して、天理教は、国家に対して積極的に協力の姿勢を示すことで、それをしのごうとした。日本が戦争に突入していけば、航空機を寄附したり、志願兵の応募に応じたりした。満州国が誕生すると、満蒙開拓団にも参加した。あるいは、教義の面では、独自の教えを抑え、国家神道の体制に迎合した『明治教典』を編纂し、体制に対して順応する姿勢を示したのだった。

<創価学会に対する批判>

・天理教に対するメディアによる批判は、それを淫祠邪教としてとらえ、そこにおいていかに馬鹿げた迷信の世界が展開されていることを指摘するものであった。大正時代に入ると、森田正馬や中村古峡といった精神医学者たちが、新宗教の教祖について論じた論文や書物を刊行し、彼らを精神病者と断定した。すでに『心境』での天理教についての批判でも、みきを精神病者としてとらえる傾向が見られたが、精神医学者が批判を展開することで、それに学問的な裏づけが与えられることになった。

 そして、当時の体制に順応しない新宗教の教団に対しては、大本の場合に典型的に見られるように、弾圧が加えられた。警察による取り締まりが行われると、新聞を中心としたメディアは、その教団のことをいっせいに批判し、いかに信者たちが馬鹿げた妄想的な信仰に取りつかれているかを強調するような記事を掲載した。

・そうした新宗教批判の傾向は、戦後にも受け継がれ、敗戦直後に注目を集めた璽宇の場合には、教団が騒ぎを起こして警察に取り締まりを受けた際には、教祖である璽光尊こと長岡良子は金沢大学の精神科医、秋元波留夫による精神鑑定を受け、妄想性痴呆と診断されている。

・そこに変化が起こるのは、高度経済成長の時代が訪れ、日蓮系・法華経の教団、とくに創価学会や立正佼成会、霊友会などといった教団がその勢力を拡大し、巨大教団への道を歩み始めた段階においてだった。そのなかでも創価学会に対して批判が集中していくようになる。

 その後の時代を含め、創価学会ほど批判を集めた教団も珍しい。戦前に組織された創価教育学会を戦後、二代会長となる戸田城聖が創価学会と改称して再組織化し、「折伏」というかなり強引な布教の方法をとることで、教団は1950年代に入って急成長していく、そして、50年代半ばになると、創価学会批判が展開されるようになる。

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

イルミナティ (カードゲーム)

イルミナティ(Illuminati)は、1982年に発売されたスティーブ・ジャクソン・ゲームズ社のカードゲーム。各プレイヤーが、他のプレイヤーと争いながら自分の支配組織(自分の場札)に小組織(カード)を取り込んでいき、一定数を支配したら勝ち、というもの。

近世の秘密組織、イルミナティをゲーム化したものであり、ロバート・アントン・ウィルソンとロバート・シェイが1975年に発表した小説『『イルミナティ』三部作(英語版)』に触発されて作成された。

このゲームのカードに描かれたイラストが、後の重大事件を予言している、として話題になった。

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイトの「【トランプ大統領】イルミナティカード方推測する【2017年予言】から引用しました。

1982年からアメリカで発売されているカードゲーム、イルミナティカード を知っていますか?後の重大事件を予言しているとして有名になっています。アメリカ同時多発テロや東北大震災、原発事故、トランプ大統領の誕生を予言していたとも。2017年から先を予言していそうなカードをまとめて紹介します。更新日: 2017年04月12日

この記事は私がまとめました

IToyajiさん

イルミナティ (カードゲーム) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動先: 案内 、 検索 イルミナティ ドイツ語 版をプレイしている様子 デザイナー スティーブ・ジャクソン 販売元 スティーブ・ジャクソン・ゲームズ プレイ人数 2–8名 (推奨4–6名) 対象年齢 8 + 準備時間 1–5 分 プレイ時間 1~6 時間 運要素 中程度 必要技能 戦略 , 交渉 ,…

< 18 1/2 Minute Gap>

(18分半の差)

1972年のウォーターゲート事件にて、ニクソン大統領が証拠として提出したテープに18分半の消されている部分があったというもの。偶然そうなってしまったと証言しているが、後に故意に消したものだと判明した。

このような陰謀に関するカードが多くあります。

< Meteor Strike >

隕石の落下

このような災害のカードが多くあります

このカードが有名になったのは「後の重大事件を予言している」ため

近世の秘密組織、イルミナティをゲーム化したものであり、ロバート・アントン・ウィルソンとロバート・シェイが1975年に発表した小説『『イルミナティ』三部作(英語版)』に触発されて作成された。

このゲームのカードに描かれたイラストが、後の重大事件を予言している、として話題になった。

当たったという重大事件のカードをいくつか紹介します

<Terrorist Nuke >

大きな2棟のビルが破壊されています。

アメリカ同時多発テロの何年も前にこのカードが発売されていました。

9 11 との数字が隠れている?

偶然かもしれませんが、911との数字を読み取ることができます

< Pentagon >

ペンタゴン(アメリカ国防総省)が炎上しています。

アメリカ同時多発テロの何年も前にこのカードが発売されていました。

< Tidal Wave >

津波

かなり大きな津波が大きなビルに襲いかかっています。

出典

sekainoura.net

< Nuclear Accident >

原子力発電所の事故

これだけだと、どこの事故かはわかりません

ところがこのカードをひっくり返すと

11 と東日本大震災の日付が隠れている!?

偶然かもしれませんが、311との数字を読み取ることができます。

そのためこの2枚は日本の2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を予言していたと言われています。

このゲームのカードは500種類以上もあり、偶然であるとの意見も

このゲームのカードに描かれたイラストや説明文が「後の大事件を予言した」として話題になったことがある。

例えば、特殊カード「Terrorist Nuke(テロリストの核攻撃)」には、連立するビルの1台の中腹が破壊されている絵が描かれており、これが後の2001年に起こったアメリカ同時多発テロ事件のワールドトレードセンターツインタワー攻撃に似ていると紹介された。また、グループカード「Pentagon」の絵は、ペンタゴンが炎上しているようにも見え、同じくアメリカ同時多発テロ事件を彷彿させると紹介された。

一方で「このゲームのカードは500種類以上もあり、偶然である」と紹介した書籍もある。

<Princess Di >

プリンセス ダイアナ

ダイアナ妃はパパラッチに追われて、最後には交通事故で命を落としました。

2017年以降のことを予言していそうなカードを紹介します

<Enough is Enough >

もう充分だ(もうウンザリだ)

この怒っている人物、誰かに似ていませんか?

そして、菱形のマーク。

アメリカの首都ワシントンD.C.の領域は菱形をしています

トランプ大統領を予言していたのか?

彼の怒りがどこへぶつけられるのか、それが問題です。

<World War Three >

第三次世界大戦

避けられない戦争なのか?

その発生日時は隠されているのか?

爆煙の中に11.1 または 1.11が隠れている?

日本に関係する予言も?

出典

sekainoura.net

< Combined Disasters >

複合災害

どこかの都市で大きな建物が崩壊するような複合災害が起きるとされています

東京銀座の和光本店か?

崩れ落ちる時計台は東京銀座にある和光本店に見えます。

出典

www.musashino-culture.or.jp

逃げ惑う人の服の色は?

オリンピックマークと同じ色から2020年の東京オリンピックでの出来事ではないか?とも言われています。

511 と読める?

他のカードのように日付も予言されているのか?

<Up Against the Wall >

壁に手をつけ

言葉自体は、アメリカなどで警官が犯人に向かって使う言葉です.

問題はカードのイラストであり、この廃墟となった都市は「日本の横浜ではないか?」という噂が流れています。

ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル

カードの黒いシルエットが横浜にあるホテルでは?と言われています

横浜を含む海岸線か?

無理やりこじつけたと言うよりも形が似ています。

原子力マークが足元にあるのも不吉ですね

核ミサイルより注意すべき北朝鮮の化学兵器・生物兵器【生産世界一、シリアへ輸出か】 - NAVER まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2149187671277751101

2017年緊迫する北朝鮮情勢、米軍は北朝鮮近海に向け空母を展開させ、米中首脳会談でも議題は北朝鮮問題だった。TVで大きく報道されるのは北朝鮮の核兵器・ミサイル問...

北朝鮮の核ミサイルは神奈川県にある、在日米軍厚木基地、横須賀基地、司令部のあるキャンプ座間を狙っているとの情報もあります

出典

sekainoura.net

< Japan 日本>

このカードを見ると日本の北方領土はもちろん、サハリン(樺太)にビルが建っているところまでイラスト化されています。

ロシアとの結びつきが強まるのか!?

旭日旗のようだが方角は西なので、太陽が沈んでいる様子を表している。

上部の黒い角が遺影のようだ、沖縄に関しては見えないという不吉な見方もあります。

Twitterでもイルミナティカードは話題に

もっとたくさんのカード内容を知りたい場合にはこちらから

【随時更新】イルミナティカード全まとめと解説【現在551枚】 - NAVER まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2138087983292540301

<息災 Angst>

イルミナティカードにあった日本の政治家っぽい人が切腹(重い責任取らされる隠喩)しようとしてるカード、鳩山由紀夫説が言われてたけど未来の小泉進次郎説を見つけて大体納得行った pic.twitter.com/RFZkXAmURR

世界の歴史的な事件や災害には、裏で大きな力が働いていたのかもしれません。いまだ謎の多い『イルミナティカード』の全てを見ながら、これから世界に何が起きるのかを考え...

『現代オカルトの根源』    霊性進化論の光と闇

 大田俊寛   筑摩書房   2013/7/10

<日本の新宗教>

<9次元霊エル・カンターレの降臨—―幸福の科学>

<高橋信次の霊体験>

・スピリチュアリズムと神智学を結合させることによって、新たな宗教団体を作り上げたのは、「GLA」の開祖である高橋信次という人物であった。

・高橋が本格的に宗教の領域に足を踏み入れる切っ掛けとなったのは、68年7月、彼の義弟に「ワン・ツー・スリー」と名乗る霊が降りてきたことである。その霊は高橋に対し、生活上のさまざまな助言を与えるとともに、自分が高橋の指導霊であること、また高橋の守護霊として、「フォワイ・シン・ワォワイ・シンフォー」という霊が存在していることを教えた(後にこれらの霊は、モーゼとイエスの霊であることが明らかになる)。こうして高橋は、高級霊からの直接的な指導を受け始めた。また、彼の家族たちも霊の世界に目覚め、前世の記憶を回復していったのである。

<GLAの世界観>

・GLAの教義における基本的な考え方は、人間の心や魂が「光のエネルギー」から作られているということである。現代の人間は、物質的想念によって心が曇らされているため、自らの魂が光り輝くエネルギー体であること、それが輪廻を繰り返しながら永遠に存在し続けていることを感知しえない。しかし、仏教が教える「八正道」に従って心の働きを内省し、その曇りを取り除くとき、人は霊の世界の実在を認識しうるようになる。GLAはそれを「霊道を開く」と称した。霊道を開いた人間は、自らの過去世を見通し、高位の霊格たちと交信することが可能となるのである。

・高橋によれば人間の魂は、光の性質に応じて6つの位階に区別され、それらは上位のものから、如来界・菩薩界・神界・霊界・幽界・地獄界と名づけられた。現世とは「魂の修行場」であり、肉体の死後に魂は、生前に積み上げた「業」に応じて、各界に転生する。

 最上位の如来界は、もっと高い心の調和度を達成した者たちが住まう世界であり、釈迦やイエス、モーゼといった「アガシャー系グループ」と呼ばれる大指導霊たちが、その地位を占めている。彼らの心は大宇宙と一体化しており、物質と霊の世界全体が、彼らによって統括されている。

<アメリカの新宗教からの影響>

・それによれば、人類の数々の文明は、アガシャ、クライオ、アモンといった「主の教師たち」の導きによって創造された。彼らは数千年前から幾度も転生を繰り返し、宗教的・政治的指導者として叡智を授けてきたのである。

「主の教師たち」は、神の普遍意識を体現した存在であり、人は自己の魂の内奥を探求することにより、それらの霊と交信することができる。現在の人々の意識は、「黒色低級霊」が発する暗い波動によって破壊と迷走に引きつけられる傾向にあるが、その過ちを反省し、主の教師たちを中心とする「白色高級霊」の導きに従って、愛と調和に満ちた社会を建設しなければならない—―。

  以上が「叡智のアガシャ聖堂」の教義の概要であるが、そこでは、「マスターによる導き」という神智学の教えと、「高級霊との交信」というスピリチュアリズムの教えが折衷されていることが見て取れる。アメリカで乱立したニューエイジ系の新宗教においては、すでにそのような例が数多く存在しており、そしてGLAは、その教えの一つを日本に移入したと考えることができる。

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