「よいことも、悪いことも、死後の世界では、十倍、二十倍にも評価される」という法則性があるようなのです。これが事実なら、悪霊になるのは、ある意味で、とても“簡単”だ(6)

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

<プロのミディアム(霊媒)>

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

・私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

・イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

・プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

<スピリチュアリスト教会> 死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

<英国スピリチュアリスト協会(SAGB)>

・SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

<著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界>

<カラフルなインディアンの訪問者>

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

<霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

<あなたが人生を選ぶ>

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

<霊界を思い出すことが重要>

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

<前世は知らないほうがいい>

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

<輪廻転生>

<人生という舞台>

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

<霊界で過ごす時間>

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

・ 私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

・ この世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による。

<霊界には7つの界層がある>

・霊界には7つの主要な階層があり、各々はさらにいくつかの階層に分れていて、お互いに重なり合ったり、複雑に混じり合っている。そのほかに、人が死によって肉体を捨てアストラル体になった時、霊界に適応するまで休息するための階層もある。

<第一の界層>、最下層では波動は極度に低く、私たちが普通考えるような生命と言うようなものは、存在しない。邪悪の思考が渦巻く、光の届かない世界。地獄のようなという形容が当てはまるだろう。

<第二の界層>、この世で他者を苦しめ続けた人間は、この界層に行く。向上するには、多くの転生を繰り返す必要がある。それにはこの世の年月で数千年もかかることがある(だが、どんな魂にも進化のチャンスがあることを忘れないでほしい)。

<第三の界層>、第三と第四の界層は、この世を鏡に映し出したような所だ。私達の大部分が死後そこに住むことになるだろう。そこには、山、川、谷、海もあり、私達がこの世で美しいと思ったものは何でもある。

物欲で生きた人たちは、大体において、第三の界層に行く。この世で頑張って働き、人生を楽しんだ。他者に危害を加えたわけではないが、他者のために特別いいことをしたわけでもない。つまり、平均的な人たちだ。また、他者のことは考慮せず、少し自己中心的だった人や、霊的なことなど考える余裕さえなく、お金やものを所有することしか頭になかった人もそこに住む。自分たちの上に高い階層があることを気づこうともせず、自分の枠の中しか知らない。周囲も似たような考えの人たちばかりだ。だが、多くの魂がこの界層内で進化を遂げる。中には、一つ上の界層に昇るものもいるが、一般的には、この世への転生の計画を立て、実行することを目下の目標とする。

<第四の界層>は、第三の界層よりも美しく明るい。ここにいる人は、霊的にさらに進歩している。学びや進歩を自ら求める。この界層の中ほどにいる人は自分の限度に気づいているので、高い界層から降りてきた霊たちは彼らのために喜んで手を貸す。

<第五の界層>は、まさしく楽園と呼ぶにふさわしいところだ。何もかもが、美しく光り輝いている。完璧さを目指して努力した人や、霊的に高度に進化した心優しい人もここに住む。美術や芸術など、霊感を使って技を極めた人たちもこの界層にいるが、彼らは自分たちの仲間と一緒にいる。

・幼児や赤ん坊は、ここで天使に相当する霊たちが、面倒を見る。この霊界の住民は、自ら波動を低い波動に調整することによって、下の界層にいる家族や友達を訪問できる。

・この界層の上のほうには指導霊や教師の役割のある霊が住み、第六の界層から降りてきた師から教えを受ける。霊的に極めて進化した人も死後そこへ行くが、普通、そこに達した人は、もうこの世に生まれ変らない。彼らはそこで学び、教える目的で下の界層を訪れたり、霊的に向上したいと願うこの世の人たちを指導したり、助けたりする。地球の年月で、千年かそれ以上、そこで過ごす者もいる。

そして、この界層で、最上部で次の界層に昇る準備ができたものは、二度目の死を体験する。単に横になり心地よい眠りに入るのだ。非常に繊細で明るく輝いていたアストラル体をそこに脱ぎ捨てる。

<第六の界層>で、彼らは、自らを愛する。そのとき、彼らは、エーテル体と呼ばれる。私達の目にはまぶしい光でたとえようもないほど美しく明るい姿になっている。この界層にいるものは、天使のような存在で、その高貴な美しさをどう形容したらよいかわからない。

<第七の界層>は、神そのものである。そこには個々もなく、神の意識と完全に一体となる。霊がそこに到達するのに、どれだけ時間がかかるのか私には見当もつかない。

<4階建ての家>

・人は4階建ての家に住んでいるようなものだと私はよく思っている。しかし、大勢の人が地下室で暮らし、自分たちの上により明るくて暖かで素敵な部屋が4階もあることに気づいていない。

 この人々にとっては上の4階は存在していないのである。存在を知っている者がいても、閉まっているので入れない。彼らは階段をまだ見つけ出していないのである。地下室と1階の両方に満足して住んでいる人もいる。人生を送るうちに、上のほうからもれている小さな光を見つけるかもしれない。

 一旦霊的に目覚めさえしたら、ドアは開かれ、錠ははずされる。ドアは再び閉められるかもしれないが、鍵がかかることはないのだ。ということは、そっと押せばいつでも開くのである。

・あなたの家の鍵、全部の階の鍵は、あなたの中にある。外の世界に見つかるのではない。内面の世界に入って初めて自分の真実の霊的本質がわかるのだ。自分の家の階上にある部屋のドアを開けて、光を入れることによって、私たちは本当の意味で光の中で生きることができるのである。

『人生に無駄はない』 私のスピリチュアル・ライフ

江原啓之   新潮社     2008/2/27

<20周年の節目>

・私はごくごく普通の人間なのです。しかし、2000年を境に私が世間から注目されるようになって以来、残念ながら私自身の霊的能力ばかりがクローズアップされてしまっているように思います。

・「たましいのふるさとから、この現世に旅に来て、そしてやがて迎える死も。ふるさとへの里帰りに過ぎない。そして人生の名所とは経験と感動である」と、そう一貫してお話ししてきたのです。

・ですから、生きとし生ける誰もが、この目的のために生まれてきたのであって、特別な人など存在しあにのです。また逆をいえば、すべての人が、より高い人格を目指す特別な人とも言えるかもしれません。

・私はこれまでの人生の中で一度だけ、未熟ながら自らの守護霊に助言を求めたことがありました。

「この苦境を乗り越えるために、道を示してください」と。

しかし、返事は「それではぬしの人生ではなくなる」というひとことでした。

・このような経緯の中で私が目覚めたことは、人間は霊的世界の操り人形ではないということ。そして、人生と言う旅のなかで、その名所である経験と感動を味わい尽くして有意義に生きることが大切であるということです。

 このような「生きることの真理」こそ霊的真理であり、スピリチュアリズムであるのです。

<人にもまれて育ちました>

<「愚者の道」を歩み来て>

・私のこれまでの人生をふり返ると、それはひとことで言って「愚者の道」でした。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。

賢者は先人たちが踏んだ道から人生の真理を悟ることができる。しかし愚者にはそれができず、自分自身が身をもって一つひとつ経験し、そこで得る感動をもとに学ぶという方法でしか人生の真理に到達しえない。そういった意味の言葉です。

<十代で世間の風にさらされる>

<人生を教えてくれた下町>

<恩師に恵まれ続けて>

・人生はなにごとも努力で切り開いていくものですが、私の人生のなかで、これだけは自分の努力の成果だけではなさそうだな、と思うことがあります。それは、つねにいい先生に恵まれてきたということです。

・しかし私が訪ねた霊能力者たちの多くはいかがわしい人ばかりでした。どの人も十分やそこらの面会時間で「先祖供養が足りない」などと当たり障りのないことを言っては高額のお金を要求するだけ。

 お金も尽きかけて、この人で最期かというタイミングで、T先生という現在の私の活動の基礎を作ってくれた恩師に出会えたことはほんとうに幸いでした。

・T先生に出会えなければ、いまの私はいないと断言できます。その後出会ったS先生もすばらしい霊能力者で、その後イギリスへスピリチュアリズムを学びに行ったのも、ふたりの先生の勧めでした。ふたりは異口同音に、「これからの霊能力者は拝み屋で終わってはいけない。アカデミックに心霊の世界を人々に説けるよう、スピリチュアリズムをしっかりと学びなさい」と強く勧めてくれたのです。

<出会う人の幅は自分自身の幅>

・人との出会いはつねに「波長の法則」の結果であり、みずからの波長が引きよせています。たとえば現在あなたをとりまく人たちは、どの人もあなた自身の映し鏡で、あなたとまったく波長の同じ人たちなのです。

・すべての事象には「光」と「闇」があります。光があれば必ず闇があります。闇の暗さを知るからこそ光のありがたさがわかります。数々のすばらしい先生たちとの出会いは、孤独という闇のなかに輝く光のようでした。

<経験と感動がすべて>

・本書では、私自身の人生を例にしながら、「人生に無駄はない」ことをくり返しお伝えしていきたいと思います。あなたは読みながら、あなた自身のこれまでの人生にもひとつも無駄はなかったと気づくでしょう。

 そして今後の人生に対しても「自分の学びにとって無駄なことはなにひとつ起きないはず」と確信できるかもしれません。そうなればきっと、なにがあっても受けいれていけるでしょう。それは、つまり「大人のたましい」への成長が約束されたようなものだからです。

<これからが本番です>

<後進を育てたい>

・これから本腰を入れていきたい仕事のひとつに、まずスピリチュアル・カウンセラーやスピリチュアル・ヒーラーの養成があります。つまり「後進の育成」ということで、これに関してはすでに少しづつ始めています。

 私の究極の理想は「霊能力者撲滅」であると、何度も書いてきました。スピリチュアル・カウンセリングやスピリチュアル・ヒーリングなどなくても、一人ひとりが霊的真理に目覚め、その「人生の地図」にしたがって自立して生きていければ一番いいのです。しかし現実は、この理想からはほど遠いでしょう。

<スピリチュアリズムを福祉に生かしたい>

・ふたつめに私が目指しているのは、福祉の世界です。福祉の世界、とりわけ「ターミナルケア」。「緩和ケア」といった分野にスピリチュアリズムを生かす道を作りたいと思っています。

 ターミナルケアは終末医療とも言い、回復の見込みのない末期の患者さんたちに施す、肉体的、精神的苦痛の緩和を目的とした医療のことです。

・具体的には、まず患者さんたちに、霊的視点からの「デス・エデュケーション(死の準備教育)」をしたいのです。死は怖いことでもないし無に帰すことでもない、懐かしいふるさとへの里帰りだということを知って安堵していただきたいのです。そして最後の一日、最後の一秒までいのちを輝かせて生きてほしい。

<内観こそ人生>

・「この世のすべては偶然ではなく必然」と私はよく言いますが、それは人の運命は定められているという意味ではなく、「因・縁・果」といういわゆる因果律をさすもの。今生または過去世をも含めて、自分自身が何かしらの種を蒔いた結果として、現在の状況があるのです。つまり、自分自身がいかなる種を蒔いたのか、その原因を過去にさかのぼって顧みるのです。

・大切なのは、何かのせいにすることではなく、自分自身の未熟さを反省する裁量に置き換え、自分自身をより成長させるための、たましいの肥やしにすることなのです。

 そのこと自体が、悪しき種を刈り取り、よき種を蒔くことにもなるのです。

 そして、大切なのは「絶対にポジティブに受け取ること」です。なぜならば、この世に起きるすべてのことはみな意味のあることであり、いたずらに不幸に陥れる出来事はないからです。すべては成長のために起こっているのです。

『江原啓之 本音発言』

江原啓之    講談社    2007/10/19

<スピリチュアル基礎用語>

(あの世)

死後の世界。この世との境にある幽現界を経て、幽界、霊界、神界へ移行する。

(カルマ)

因果律、業ともいう。自分の行動は善いことも悪しきこともいつか自分に返ってくることを意味する。

(グリーフケア)

家族や身近な人を亡くして悲しむ人(遺族)の心の痛みを癒す作業。江原の場合、亡くなった人のメッセージを伝えることによって悲しみを和らげる。

(幸福)

スピリチュアリズムにおける幸福とは、出世や収入などの物質的な成功ではなく、霊的真理によってたましいが浄化され、失う恐怖をなくすことを指す。

(シッティング)

霊能者が霊媒となり、霊的世界とコンタクトを取り、相談者から話を聞く前に一方的に相談者の属性や身の回りのことを言い当てていくこと。

(宿命と運命)

国籍や性別、家族など生涯変えることのできない人生の要素が宿命。それに対し、運命は自分の努力や周囲の協力で変えることのできる要素を指す。

(守護霊)

現世に生きる人間を見守っている霊的存在。

(スピリチュアリズム)

死後の世界や霊の存在を前提とした世界観および思想体系。スピリチュアリズムの真理(霊的真理)に基づいてカウンセリングを行うのがスピリチュアル・カウンセラー。

(大我と小我)

見返りを求めずひたすら他者に与えようとする考え方が大我で、自分のことを最優先する考え方が小我。

(たましい)

すべての人間の中に宿る霊魂のこと。スピリチュアリズムでは肉体はたましいの乗り物にすぎないと考えられる。

(波長)

たましいが生み出す想念のエネルギーを指す。波長には高低があり、偶然ではなく必然だと考えられている。

(物質中心主義的価値観)

すべての判断基準をお金やモノなどの物質に置いてしまう考え方、価値観。霊的価値観の対極にあるもの。時に物質主義的価値観、物質的価値観と省略して使われる。

(未浄化霊)

この世に未練や執着を残しているため、死後もあの世に帰れずにさまよっているたましいのこと。未浄化霊が生きている人間のたましいに撮り憑くことを「憑依」という。

(類魂(グループ・ソウル))

霊的世界におけるたましいの集合体。誰もが類魂の一部であり、類魂の全体の進化向上を目指している。

(霊界通信)

守護霊と交信することにより、メッセージを受け取ること。相談者などにとって、その必要がある場合のみ。メッセージがもたらされる。守護霊のメッセージから得られる教訓を広く「霊訓」と呼ぶ。

<スピリチュアリズム8つの法則>

1.(霊魂の法則)自分が霊的な存在であることを意識して生きること。

2.(階層の法則)肉体の死後、たましいは現世でいかに成長したかによって、それに応じた階層へと向かう。肉体を捨て「幽体」となると、最初は現世と幽界の中間地点である「幽現界」へ向かい、そこから「幽界」へ進み、やがて幽体をも脱ぎ捨て光となって「霊界」へと上昇する。死後の世界は明るい天国のような層から暗い地獄のような層まで幾重にも分かれており、現世での成長に応じて移行する層が変わる。

3.(波長の法則)一言で言えば「類は友を呼ぶ」、波長の高いたましいはポジティブな出会いを引き寄せ、波長の低いたましいはネガティブな出会いを引き寄せる。みずからの魂を向上させることで波長を高めれば、志の高い仲間と出会うことができる。逆に魂の錬磨を怠ると、周囲にやる気のない人間が集まってしまう。

4.(守護の法則)自分を見守ってくれる守護霊の存在を信じて生きること。依存してはいけないが、守護霊はどんなに苦しい試練の中にある時も、大きな愛で見守ってくれている。守護霊は役割によって4つに分けられる。生前から死後まで見守る中心的存在の「主護霊」、職業や才能を指導する「指導霊」、数年先までをコーディネイトする「支配霊」、これらを手伝う「補助霊」がいる。

5.(類魂の法則)どのたましいも、帰るべき故郷として類魂(グループ・ソウル)を持っている。類魂をコップの水にたとえるなら、それぞれのたましいは一滴の水。現世での修行を終えたたましいは霊界に戻り、グループ・ソウルに混じり合う。すべての経験が類魂全体の叡智となり、それぞれのたましいが純化することでコップ全体の透明度を上げることを目指している。

6.(因果の法則)自分のまいた種は、自分で刈り取らなければならない。自分の行動は必ず自分に返ってくる。自分がネガティブな想念を持っていれば、やがてネガティブな結果がもたらされる。自分が誰かを嫌うと、相手もまた自分を嫌うという現象はこのため、逆に、人に親切にすればいつか自分に返ってくるという「正のカルマ」もある。

1.(運命の法則)運命とは変えられないものではなく、自分の力で作り上げていくもの、たましいを磨く努力によって人生を切り拓くことができる。一方、国籍や性別など自分の力では変えられないのが宿命、ケーキにたとえるなら、宿命がスポンジで運命がクリーム。スポンジの特性に合わせてクリームでデコレーションするように、どんな宿命であろうと、自分の努力で運命を拓けば人生を輝かせることができる。

2.(幸福の法則)これまで挙げた7つの法則は欠けることなく実践すれば、霊的真理によって幸せを得ることができる。お金や出世などの物質主義的な成功を求めるのではなく、試練を克服しながら愛を学び、たましいを向上させることにより、「失う恐怖」から自由になることができる。それこそが、スピリチュアリズムにおける真の幸せを意味する。

『天国への手紙』

江原啓之  集英社    2007/3/20

<「たましい」の行方>

<臨終~舞台の幕が降りるとき>

・臨終のとき、すなわち死に臨む最期のときに、意識がはっきりしていて「さようなら」が言えるケースはほとんどないでしょう。亡くなり方にもよりますが、少し昏睡状態になってから、ということが多いと思います。

 前述しましたが、人間の肉体には、幽体と霊体というスピリチュアルなエネルギー体が重なっています。幽体は精神であり、霊体は私たちの本質である魂です。

・臨終の昏睡状態のときは、肉体から幽体と霊体が少しずつ離れつつある状態です。たましいが、ふるさとである「あの世」へと帰り始めているのです。

 ですから、意識が半ばもろうとしながらも、「さっき、死んだお母さんが会いに来たよ」などとつぶやくようになるのです。

・臨終のときには、ふるさとからお迎えが必ず来ます。すでにあちらの世界に帰っていった愛する人、よく知っている人が迎えに来てくれるのです。

 私たちが現世を生きている間、見守ってくれたガーディアン・スピリット(守護霊)は姿をあらわしません。その姿に私たちはなじみがないので、わからないからです。あちらの世界へ順応しやすくするには、誰が行けばもっとも効果的かと考えて、私たちのよく知っている懐かしい人が迎えに来てくれるようになっています。

 昏睡状態になることも、知っている人が迎えに来てくれることも、すべて旅立ちをスム―ズにするためです。死というひとつの喚問をラクに通過させる方法について、あちらの世界では、実によく考えてくれているのです。

<スピリチュアル・ワールドの階層図>

・ここで、スピリチュアル・ワールドの階層について、かんたんに説明しておきましょう。

 私たちが生きている現世は、「現界」です。人が亡くなると、先ほど述べたように、たましいは「幽現界」へ行きます。ここは、現界と重なり合うように存在するスピリチュアルな世界です。

 たましいは幽現界にしばらくとどまり、自分の死を受け入れて、現世への執着を断ちます。これができないと、未浄化霊としていつまでもここにいることになります。

・自分の死を受け入れて、執着を断ったたましいが次に行くのは「幽界」です。

 ここはとても広く、さまざまな階層(ステージ)に分かれています。この世にとてもよく似た下層部から、天国のように美しい上層部(サマーランド)までを含みます。

 幽界のどの階層に行くかは、生きている間のたましいのレベルによって違います。

 たとえば、人を妬んで悪口を言ったり、足を引っ張ったりするのが日常茶飯だった人は、同じような人ばかりが集まる下層部に行きます。

 そこには、仏教で「地獄にある」といわれているような針山や血の池などはありません。

けれど、低いレベルのたましいばかりが集まっているので、まさしく「地獄」といえるでしょう。その周辺はどんよりと曇っています。

・反対に、人のために尽くし、霊格の向上に努めてきた人は、明るく美しい上層部に行きます。いわゆる「サマーランド」と呼ばれる、とてもさわやかなところです。

 そこを抜けると、「霊界」に行きます。ここが、私たちのガーディアン・スピリット(守護霊)などの高級霊がいる世界であり、たましいのふるさとなのです。

・その上には、神の領域である「神界」が広がります。

 私たちは、なかなか神界へは行けません。そこまで霊格を向上させられる人はほとんどいないのです。多くのたましいは、霊界で自分を見つめ直し、再びたましいの修行を求めて現世へと再生をくり返します。

「現界→幽現界→幽界→霊界→神界」と高まっていくスピリチュアル・ワールドの階層を、頭に入れておいてください。

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