「英単語は1語1万円もたらすそうだ。君たちも1日に10万円儲けるつもりで単語を10ずつ覚えろ」と諭した(それは30年前だから今では英単語1語の価値はもっとずっと上がっているはずである)。(1)

(2023/10/24)

『日本語で生きる幸福』

平川祐弘   河出書房新社  2014/12/2

・現在、文化の中心国はアメリカであり、英語が世界の支配語として君臨している。一方、日本は文化の周辺国であり、日本語は言語的にマイノリティーである。日本人が世界と対峙するためには、好むと好まざると、英語を学ばねばならない。だがそんな私たち日本人にも、利点はある――

<はじめに>

まず、読者の皆さまに次の質問をお考え願いたい。22世紀の日本列島に住む人々は、はたして何語を話しているのだろうか。可能性として5つの場合が想定される。お笑い種とお思いかもしれないが、筆者は存外真面目である。

1、 何語も話していない。理由は、人類が人為的原因(核汚染、細菌テロ、温暖化など)、または非人為的原因(伝染病、大隕石の衝突など)によって絶滅しているから。

2、 他文化の強力な影響下、日本人の大部分はバイリンガル(日本語と英語、あるいは日本語と中国語)になって、外では世界の標準語を、内では日本語という地方語を使い分けて話している。

3、 日本人の多くは非日本人ないしは非日本語系日本人と結婚して(あるいは結婚を余儀なくされて)しまっており、その2世以下の子孫はもはや日本語を話さない。元は日本語人だった1世も周囲の社会の言葉を使って生活するようになっている。そこで新しい言葉を使いこなせない日本語系日本人の多くは落伍者、いわゆる文化的な「もてない男」となっており、その劣等的状況に憤懣を抱く者の中にはテロリストとなって爆発する者も出る。

4、 優秀な翻訳機器が開発され、言語問題は氷解し、語学教師や通訳の大半は失職する。

5、 他文化の強力な影響下にはいってはいるが、地球社会の主流であるインド・ヨーロッパ語族の人と違って、大部分の日本人は外国語学習が不得意で、依然として日本語人であり続ける。そのおかげで日本文化のアイデンティティーもまがりなりに保たれているが、そんな日本は地球社会では脇役に甘んじている。

「こんな愚かな可能性を考えた、阿保らしい東京大学名誉教授も昔はいたものだ」と百年後に笑われることを切望しながら、私はいま本書の冒頭にこんな設問をした次第である。百年後でなくとも、すでに今からお笑いの方もいるであろう。

 日本語の盛衰は、日本という土地と運命的に結びついている。日本語を母語とする国は地球上にただ一つ日本のみである。このただ一つという結びつきは、日本語ならびに島国日本の特殊性であり、世界で大国といわれる国の言葉がおおむね複数の国に跨って話されている事実と異なる。そしてそれは英語が、大英帝国の弱体化にもかかわらず米国の強大化によって、依然として地球社会において覇権的な地位を確保している事実と非対称的なコントラストをなしている。スぺイン語、フランス語、ロシア語、アラビア語、中国語、ドイツ語などが複数の国や土地で話されているのに比べると、日本語が占める言語空間はきわめて特殊に限画されているといわざるを得ない。またそれだからこそ、日本語の衰退はとりもなおさず日本国家の衰退に直結する、ないしは日本国家の衰退は日本語の衰退にそのまま直結するのである。

・国際文化関係論の見地から予測すれば、こんな極端な場合すら想定し得る。言葉は滅びても人間は生き続ける。私たちの子孫が将来末永く生きのびるとしても、日本語人であることをやめ、英語人(とか中国語人)に移行する可能性は皆無ではない。それはたとえ子孫がこの日本列島にそのまま居住していても起こり得る言語統合の事態である。

 わが国内では従来は、かつて植民地をはじめ海外から渡来した人々やその子孫の日本語人への移行は見られた。改革開放後来日し、日本で学位を取り、大学などに職を得た中国留学生の第二世代である華人の子供たちの多くは、親の意向が奈辺にあれ、今や教育環境によっては日本語人として成人しつつある。

<日本語の生存空間>

・まず歴史に目安をつけるために、三つの年を百年置きに取りあげてみる。1789年、1889年、1989年である、それぞれの年に何が起こったか。

 1789年は7月14日、パリでフランス革命が勃発し絶対王朝の終わりとなった。1889年は日本の明治22年で、2月11日、日本に大日本帝国憲法が発布され東洋の一国でまがりなりにも議会政治が始まった。1989年は6月4日、北京では天安門事件が起こり、11月にベルリンでは壁とともに社会主義体制が崩壊した。

 では、2089年にはこの世界はどうなっているのだろうか。私は歴史の進歩を盲目的に信ずる者ではない。話題にするだに空恐ろしい可能性だが、それまでにエルサレムやニューヨークに核爆発は起きているのか。また天安門に毛沢東の写真はまだ撤去されずにかかっているのか。21世紀初頭の現在、核爆発の予想は口にすることができる。

・ただしそれは大陸中国以外の土地においての話であって、中国人には毛首席の肖像の問題はおおっぴらには口にできない。しかしレーニン像も死後60年で撤去されたことを思えば、「もはやかかってはいるまい」と予測する人は中国知識人にも存外多いのではあるまいか。

 一国に閉ざされた枠内で語るのでなく、そのように複数の国に跨り、世紀を単位として歴史を巨視的に大観すると、何が進歩で、何が尊ぶべき価値であるか、おのずと見えてくるだろう。

 日本語の生存空間は今後どのように変化するのか。日本語の運命について考えるにあたり、まずは歴史の方向性を見据えて、このような大枠の中で比較文化史的にというか、国際文化関係論の中で米国・中国・日本の三角関係を振り返ってみたい。

<英語教育が目指すべき道>

・この地球社会、多くの人は今や自国語と英語の二つを用いなければならぬ時代にはいったかのようである。かくいう私自身も大学ではフランス語とイタリア語を教えてきたにもかかわらず、外国向けの主著は英語で書いて英国の出版社から出している。

 なおこれから先、もしこの英語の覇権的地位を脅かすものがあるとすれば、それはロシア語でも中国語でもなく、アメリカ合衆国でヒスパニックが過半数を占め、スペイン語が米国の公用語として認められたときであろう。

<日本人のバイリンガリズム体験>

・21世紀、人類は英語を母語とする人(第1グループ)、英語を第2の言葉として学ばねばならぬ人(第2グループ)、英語とは無縁の人(第3グループ)の三大グループに分かれる。日本人は第2グループに属する集団と第3グループに属する集団に分かれる。この第2グループに属する、英語を第2の言葉として学ばねばならぬというバイリンガリズムの要請は、日本人が英語言語文化の下で被支配者の立場に置かれるかのようである。バイリンガリズムとは自己の文化的主権が圧迫されることではないのか。しかしこの全地球を単位とする社会では国語を単位としてきた。ナショナルな文化的主権の絶対性はもはや維持できなくなってきた。

 このような二つの言語の習得が要求される事態は、日本において必ずしも今回のグローバリゼーションに伴う英語が初めての場合ではない。近年のバイリンガリズムの一つは、国内における中心言語への統合である。明治維新以降、中央集権国家の手による国民統合が進むにつれ、地方人も地方語のほかに標準語を話すようになった。東京人以外は二つの言葉を話したのだから、字義通りバイリンガリズムである。義務教育、ラジオついでテレビ、交通手段の発達が標準語の普及に貢献した。

・地球規模での交通通信手段が発達する以前の世界では、文明の進んだ土地でバイリンガルな人とは書籍的な訓練による支配的言語と母語の二ヶ国語を習得した人のことであった。その二ヶ国語とはヨーロッパではラテン語と土地の言葉であり、東アジアでは漢文と土地の言葉だったのである。そしてその種の書籍的な文法習得に始まる言語習得こそが人間の性格を形成する訓練なのであり、教養教育でもあった。そしてそれが知性と感性を磨く人文教育の根幹であることは現在も変わらないであろう。

<日本人は地球社会のマイノリティー>

・バイリンガリズムの背景にある国際文化関係をいま一度見直しておこう。かつての中国、今日の米英などの覇権的中心文化と日本のような周辺文化の国の関係はどのようなものか。

 平等を建前とする主権国家の関係と違って、文化と文化の関係は平等ではない。日本は過去において漢籍、現在においては洋書入超の国である(日本からの出超は漫画というかmangaであろう)。和書の輸出は少ない。文化の流れには方向性があり、その文化を担う言語は平等ではない。「言語の不平等」は地球社会の現実であって、日本語は言語史的には非主流であり、マイノリティーに属する。

・地域社会のマイノリティーである日本人は、国際社会で生きのびるためには、好むと好まざるとにかかわらず、大文明の言語である英語を習い、世界語として通用しているアングロサクソンの言葉を用いねばならない。

 日本における英語文化学習の必要性は実はそのような背景によって第一義的に規定されている。

<英単語一語の金銭的価値>

・ここで個人的体験を少し述べさせていただく。私は満州事変勃発の1931年に生まれ、人生の6分の1の13年を外国で過ごした。東大では大学院生や学部3、4年生には比較文学とか比較日本文化論とか国際文化関係論とかを教えたが、学部1、2年生にはフランス語とイタリア語を教えた。

 その私が中学にはいったのは1944年、戦争中のことだが、英語はきちんと習った。

・しかし米国人はなんでも金銭に置き換えたがる。「『神曲』翻訳でいくら儲けたか」などとあられもないことを平気で聞く。それで感ずるところがあり、帰国した私は東大生に「一生に英単語一語がいくらの収入をもたらすか考えてみろ」などと一見すこぶる非学術的な話をした。そして笑いながら「英単語は一語一万円もたらすそうだ。君たちも一日に十万円儲けるつもりで単語を十ずつ覚えろ」と諭した(それは三十年前だから今では英単語一語の価値はもっとずっと上がっているはずである)。

すると学生もさるもの「では先生は何語で一番収入がありましたか」と質問した。「大学にはフランス語教師として採用されたからまずフランス語。イタリア語はダンテやマンゾーニの翻訳で賞もいただき、よく売れたから覚えた単語一個の価値は高くついた。英語は北米や英国で英語を使って講演したのみか本も出しているからたいへん価値がある。ドイツ語は旧制高校で学び大学は独語既修仏語未修のクラスにいた。しかし翻訳はホーフマンスタールだけで収入の割は甚だ悪い。これは第ニ次大戦でドイツが敗北しドイツ人が自国の文化に誇りを持ち得なくなったことも関係している」と話して一瞬間を置いて、「それでも金銭に換算できない価値もある。私はドイツ語教師の娘と結婚した」というお笑いが落ちである。

<日本の英語教育の落とし穴>

・毎日四六時中、外国語を使っている日本人は、外務省でも大学でも商社でも新聞社でも存外少ない。国際結婚をした人でも長時間外国語をきちんと話しているわけではない。夫婦の間では一々文法的誤りを訂正などしないから、配偶者は外国人でも、外国語のスピーチが下手で聞くにたえない日本人大使は何人もいる。英語使いといわれるほどの日本人は世間が想像するよりよほど少ない。その証拠に日本人の英語著書はきわめて少ない。

 日本で英語教育の方針が間違った方向へ流されやすいのは、日本人が生涯に一度は受ける強烈なカルチャー・ショックの記憶に由来する。在外勤務となり外国到着の当初、意思疎通が不自由なためパニックにおちいる。外国語で電話がかかってくると過度に緊張する。そんな過度に緊張した体験があるものだから、生きた英会話教育の必要がにわかに声高に叫ばれ、海外体験の長い商社社員の夫人を英語教師として招けとか、小学校から日本人教師に英語会話の授業をさせよ、とかいう愚かな主張が真面目にまかり通るようになるのである。

・外国語教育は、すぐれた原典の読解に主眼を置き、知性と感性を訓練することが第一義ではあるまいか。

・かくいう私も四十代半ばに米国に滞在した当初、英会話が途切れがちではなはだ気が重かった。周囲からは「お前は立派な英文が書けるのになぜ英語がもっと自由に話せないのだ」と不思議がられた。しかし私は第一に講読を重んじ、第二に論文を書くという順で外国語を習ったことが結局は良かったのだと思っている。大学院生にも日本語でも「書くように話せ」と指導してきた。日本語の挨拶でも講義でもいったん文章をあらかじめ用意する。それと同じ要領で臨めば外国語の発表も講義もいたって気楽に出来るようになる。ときにアド・リブをまじえ、質問に答えればよいのである。日本でも食卓で隣の人と気楽に会話する人は外国語でもやがて話が出来る。そもそも日本で会話しない人が外国語で会話できる道理はないのである。

 私たちは外国語でも自己主張しなければならない。その発信型英語を実行に移すのが存外容易でないことは、日本人で外国語を自己主張をする人の数がきわめて少ないことからもわかるだろう。

<古典はアイデンティティーの拠りどころ>

・日本という国は島国で、海によって隔離されているために、政治的にも文化的にも侵略されることが少なかった。さらに、インド・ヨーロッパ語系の人々が文法構造が近いために互いに早く相手の言葉を習うことができるのと違って、日本人にとって外国語は難しい。海に加えて言語の壁がおのずと日本人を他から隔離して、保護してくれていた。そのような状況であったから、日本人のアイデンティティーは自然条件によって維持されてきたという面がある。

<地球化時代に生きる日本語人として>

・文化の三点測量のできるエリートの形成が世界的にますます必要とされると私は信じている。点と点を結ぶと線になるが、外国語と母語を結ぶと知識がばらばらの点でなく線となる。第二外国語が加わると知識は面となり、さらに第三外国語が加わると見方が立体的になる。

 このような複数語学習得のメリットの話を大学の先生にしたら、「第三外国語どころか慶應大学ですらも学部によっては第二外国語必修を中止した」という。英語の覇権的地位が高まるにつれ英語学習に集中したい気持ちはわからないでもない。しかし第二外国語教育を中止した大学はもはや一級大学とはいえない。

<ノブレス・オブリージュ>

・2000年、英語を第二公用語にするという提案が首相直属の「21世紀日本の構想」懇談会でなされた。しかし提案は中途半端であった。国民総バイリンガル社会などは日本が米国の植民地にでもならないかぎり実現不可能事に属する。また日本全体にピジン・イングリッシュを広めても意味はない。

<人生のおわりに>

・最後にとるに足らぬ拙著をお読みいただいた皆さまにお礼申し上げる。そして改めておうかがいしたい。冒頭に掲げた五つの場合のいずれの可能性が高いとお考えになられたであろうか。読者諸賢のご感想を読みてお待ちする次第である。

(2016/12/10)

『近未来シュミュレーション 2050 日本復活』

クライド・プレストウィッツ  東洋経済新報社 2016/7/22

ニッポンは三度目の復活を遂げる! 米国発 衝撃の問題作

<アベノミクスは効果なし>

・当初、アベノミクスはうまくいっているように見えた。円は25%下落して輸出が急増し、それに伴って輸出企業の雇用や利益も増加した。日経平均株価は数年ぶりという水準に上昇した。建設ブームが到来する兆しも見え、国民の間に明るい希望の波が広がった。ところが時が経つにつれ、問題も浮上し始めた。健康保険や年金制度を維持し、巨額の財政赤字を削減するため、消費税が引き上げられると成長の勢いが鈍化したのだ。さらには円安に対する反作用も出始めた。

・国民の財産の大半が国債に注ぎ込まれていたため、貯蓄や退職金が目減りしかねないからだ。

 そんな恐怖から、年金基金や投資信託、その他の投資家たちが日本国債をはじめ円建て資産を売却し始めた。政府は資金の流出を食い止めるための利上げには消極的だった。すでに歳入のほば30%が公債の利払いに消えていて、これ以上金利が上がれば政府そのものが破産する恐れがあったからだ。不幸なことに、これがさらなる資本逃避に拍車をかけた。あり得ないことが現実になりつつあった。日本は国際通貨基金(IMF)からの借り入れに頼らざるを得なくなり、事実上、IMFの管理下に入ったのである。

<2017年 危機>

・2015年、最も新しい人口推計が公表されたとき、日本人は息をのんだ。2010年の国勢調査に基づく推計は、日本の総人口は2050年に1億2800万人から9500万人に激減し、47都道府県すべてで人口が減少するというものだった。最も深刻な秋田、青森、高知の3県では最大で3分の1も人口が減り、東京でも7%近い減少になるだろうとされた。しかし2015年の最新推計はもっと衝撃的だった。2050年には総人口がさらに減り、8800万人を下回るという。もっと深刻なのが高齢化だ。2010年の推計では、2040年には65歳の高齢者がすべての県で人口の30%以上を占めるようになり、秋田、青森、高知の3県では40%を超えるとされた。ところが、2015年の最新推計では、2050年には日本の総人口の40%が65歳以上の高齢者になるという結果が出たのだ。

<民尊官卑の国へ>

・もともとは中国からきた制度だが、高い教育を受けた官吏が天皇の名において絶対的権力を振るった。役人は名誉もあり報酬も良かったから、息子のうち1人ぐらいは偉い役人になってくれることを親は望んだものだ。役人がそんなに大きな力を持っていたのは、平民に何の権利も与えられていなかったからでもある。人々には反抗する術がなかったから、官吏は民を平気で踏みつけにした。

 19世紀後半から20世紀前半にかけての近代化の中で、日本は中央政府の官僚に権力を集中させる統治システムを導入した。

<地方改革>

・この抑圧的な状況に業を煮やし、地方の改革や再編に乗り出した地方の指導者もいた。第4章では子育てに関する横浜市の取り組みについて概要を述べた。東京都杉並区長だった山田宏は2000年代初め、行財政改革案「スマートすぎなみ計画」を打ち出して、さらに意欲的な取り組みを推進した。少ない資源を活用して効率サービスを提供する小さな区政の実現を目指そうとするものだった。手始めに学校給食の一部業務を民間委託した。公務員の労働組合とそれを支援する政党が強く抵抗したが、最終的に成功した。区の支出が大幅に節約されただけでなく、児童は好きなメニューをあらかじめ選択できるようになった。さらに山田は、区の出張所の一部を廃止して住民票等を自動交付機で発行できるようにし、さまざまな区の業務を民間に委託した。こうした政策によって、区職員を6000人以上を削減し、254億円を節約した。区の借金は半分近くになり、逆に預金は倍以上に膨らんだ。

・大阪を先例として地方分権の波が全国に広がったことで、日本は今再び、世界が注目する国家のモデルとなった。

<完全な地方分権>

・再生委員会が日本経済の構造とシステムを徹底的に見直し、他の国について綿密な調査を重ねた。地方改革がもたらしたプラスの結果を検討し、日本が過去に経験した復興の経緯も分析した。そして、ある根本的な結論にたどり着いた。日本が抱えている問題は経済ではない。政治なのだ。日本が直面している最も重要な課題は統治、すなわちガバナンスの問題だった。日本人は自己責任に任せれば、驚くほど革新的で生産的な国民だ。だが、政府や官僚の厳しい管理下では全力を出し切れず、優れた素質を十分に発揮することができなかった。日本が将来に秘められた可能性を実現するためには、社会に深く根付いている中央集権的な政治構造から脱却し、地方分権的なシステムへ思い切って転換することが必要だと思われた。

・再生委員会が2017年末に発表した最後の提案によって、日本の地図は大きく塗り替えられることになった。長い間変化のなかった、かつての47都道府県は、現在では15の大きな行政区分である州政府に改編されている。米国やドイツの州政府と同様な仕組みだ。以前の都道府県と同様、それぞれの行政府には州法があり、知事がいる。ただし、知事(州政府)と議会には大きな権限があり、国防、外国、中央銀行の機能を除いて、ほぼ完全な自治体制を持つ。最も重要なことは、これらの新州政府の財政は自己資金調達によって賄われるという点だ。債務が累積し破綻する可能性もあるが、州政府は借り入れや地方債を発行する権限も与えられた。

<2050年 東京>

・2050年春、東京へ出張する。彼にとっては35年ぶりの東京だ。全日本航空機でワシントンを飛び立って2時間半、快適な空の旅も終わろうとしている。ミツビシ808型超音速ジェット旅客機は、ゆったりと弧を描きながら羽田空港へと降下を始めた。

 超音速旅客機なら昔もあった。だが、ミツビシ808は1970年代に英仏が共同開発したコンコルドとは比べものにならない。巡航速度はほぼ2倍、定員は3倍を超え、航続距離も3倍近い。

・ここで目にするのが、本当の先進日本だ。都心だけでなくどこへ行くにも、運転手がハンドルを握るリムジンバスやタクシーはいない。個人客であれ団体客であれ、ロボットが操縦する高速鉄道や無人自動車を利用する。もはや日本では、誰も運転などしない。

・スマート輸送は安全なだけでなく安いのも特徴だ。日本は、風力や太陽光、潮流・海流、メタンハイドレートなどのさまざまな低コストのエネルギー資源を開発し、さらにそのエネルギーを貯めておく装置も考案した。それを全国に張り巡らされたスマートグリッド(送電網)で結んでいる。これによって、発電コストは限りなくゼロに近づき、原子力と化石燃料によるコストをはるかに下回った。その結果、原子力と化石燃料というエネルギーミックスは時代遅れになった。

・超高層化によって都市空間が効率的に活用され、オフィスや住環境も快適になった。それだけではない。考えてもいなかった経済効果も数え切れないほど生まれた。高密度化がスマートシティ化の環境を生み、起業家の活動が活発になった。その結果、多くのイノベーションが急速に

進んだ。当然、世界中の都市も東京に追随して建物の高層化を進めたが、それでも日本は構造設計とノウハウの中心であり続けた。日本の建築設計会社は世界中から引く手あまたとなり、世界のほんとんどの大規模建築工事で中心的な役割を担っている。

 

・予約しておいたホテルに到着する。ホテルマンが非の打ち所のない美しい国際英語で彼を出迎えてくれる。(これは日本が完璧なバイリンガル国となったことを示すちょっとした証拠だ。日本では高校を卒業するときや就職する時には英語を完全に習得していることが必要とされる。テレビやインターネットの番組には英語の字幕付きが多いし、英語の放送で日本語の字幕がついてる番組も多い)。

・「すべてが電子的に処理される」というのは誤解を招く言い方かもしれない。人が利用することを考えれば「すべては音声で処理される」と言うほうが正確だろう。

・日本人の体格が良くなっただけでなく、理由はまだほかにある。世界の主要国のうち、日本は全人口と労働人口が増加し続けている数少ない国の一つだ。合計特殊出生率は平均2.3人で人口置換水準の2.1を大きく上回っている。さらに、日本は遺民に門戸を開き、特に高等教育を受けて専門性の高い技術を身につけた人々を積極的に受け入れてきた。じわじわと進む人口減少にいまだに苦しんでいる中国や韓国、ロシアといいった周辺諸国を尻目に、日本の人口は2025年以降再び上昇に転じており、1億5000万人を超える日も近いと思われる。当然のことながら、人口増加は経済成長を促す。労働人口が増加することで、強力な生産性向上と技術進歩が相まって日本のGDP(国内総生産)はいまや毎年4.5%ずつ上昇を続けている。これは他のどの主要国もはるかに凌ぐ上昇率で、中国の2倍にも迫ろうという勢いである。

・日本企業の本社にやってきた外国人ビジネスマンは、なぜ日本で人口が増えて経済が成長するようになったのか、本質的な理由がすぐにわかる。オフィスにいる幹部のほぼ半分は女性や外国人なのだ。重役会議に出席すると、間違えて東京ではなくオスロかストックホルムの会社にきてしまったのではないかと錯覚しそうになる。取締役会には女性役員がずらりと並び。北欧企業で女性役員が占める比率を上回る。当然、日本企業の方針や考え方、仕事の進め方、社風に大変革をもたらした。午後5時を過ぎるとオフィスはほとんど空っぽになり、バーや居酒屋では閑古鳥が鳴いている。

・「日経1000」(かつての「フォーチュン500」)に名を連ねる日本のビジネススクールが進化し、世界最高峰になったことにある。たとえば、ハーバード・ビジネス・スクールは世界のベストテンにすら入らない。トップ3は一橋大学、慶応大学、京都大学の各ビジネススクールであり、4位に欧州のINSEAD(インシアード)が続く。

 日本のビジネススクールが躍進し、新しい役割を担うようになった女性エグゼクティブが登場してきたことで、コーポレート・ガバナンスの革新的変化がもたらされることになった。長期的に持続可能な投資や、企業活動に必要で適度な利益という概念は、いまや雇用の維持といった古い目的を通り越して、利益条件を決める基本的な考え方となった。

・仕事や旅行で現在の日本を訪れた人々が目を見張るものの一つが、戸建て住宅や集合住宅の大きさと瀟洒た造りだ。広々とした居住空間は一般家庭にも住み込みの家政婦や介護ヘルパー用の部屋を設ける余裕を生んだ。2020年代、日本はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)のルールに則り、輸入品に対する関税と農業補助金を完全に撤廃した。ほぼ時を同じくして、土地利用や固定資産税、不動産譲渡に関わる法律も近代化し、オープンで透明性の高い制度になった。この結果、公正な不動産市場ができあがった。一連の規制撤廃によって小規模農地は宅地や商業的な大規模農地へと転換した。

・だが、この経済成長を支えた大きな要因は、日本にやってきた移民たちが始めたまったく新しい技術とそれに伴う新しい産業の創出だった。バイオテクノロジーやナノテクノロジー、エレクトロニクス、素材、航空、化学、ソフトウェアといった分野では、医療技術や航空機技術と同じように、日本の研究者や企業が世界をリードしている。いまや政府や民間企業による研究開発支援は、日本の国内総生産(GDP)の6%近くを占める。

・中国やドイツ、韓国、その他の主要諸国を悩ませていた高齢化と経済収縮の問題も、人口増加と好景気に沸く日本にとっては他人事だった。財政黒字が続いた結果、国の債務はGDPの240%から50%へと縮小し、2013年にはGDPの9%を占めていた総医療費は、今日ではわずか6%にまで減少した。

<日本の防衛費はGDPの1%から約3%に増えた>

・中国の軍備増強に対抗して日本は防衛力の強化を図り、核兵器や最先端のサイバー攻撃技術、さらに大陸間弾道ミサイルを抱える世界第3位の軍事大国へと変貌を遂げた。日本の艦船は西太平洋、マラッカ海峡、インド洋までパトロールしている。

・世界の中で日本の地位が再び高まると、もともと優れていた日本のソフトパワーは飛躍的に強まった。1990年代、日本経済が低迷しているときでも、重要な日本文化は国際的な地位を築いていた。スシは世界中で愛される食べ物になり「カンバン方式」(ジャスト・イン・タイム生産)は世界的な在庫管理技術になった。カラオケは世界共通の娯楽になり、そしてマンガは世界最高の暇つぶしとなった。今では日本の再生と活況を背景に、日本の革新的なデザインや芸術、食べ物、技術、科学、その他多くのものが世界の隅々にまで浸透している。政治・経済・社会のアナリストはもちろん、パフォーマーや大学教授、料理人、画家、作家、技術者、デザイナー、作曲家、科学者など、日本人のプロフェッショナルには世界中からのラブコールが止まない。21世紀は、「第二のアメリカの世紀」だと言う人もいた。多くの人は「中国の世紀」になると言った。だが、実際は「日本の世紀」になったのである。

<アメリカと世界にとって日本が重要である理由>

<グローバリゼーションとはすなわちアメリカナイゼーションのことだ>

・「グローバリゼーションはあらゆる国を豊かにする。そして、豊かになれば民主主義的になり、民主主義的になれば、戦争をしなくなる。なぜなら、民主主義国は互いに戦わないことを私たちは知っているからだ」。そしてその考え方はまるで呪文のようにあちらこちらで唱えられた。欧米のエリートたちはこぞって、資本主義が世界に広がれば民主主義と平和がもたらされ、苦境に喘いでいる国も救われると信じたのである。

 もちろん、そんな風に都合よくはいかなかった。実際のところ、世界はむしろ逆に進んでいるように見える。中国は、政治的に自由になり、自由市場経済になるどころか、独裁的な政治体制の下で国家資本主義に邁進しているかのようだ。

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