ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(6)

『現役鉄道員“幽霊”報告書』

幽霊が出る駅、路線……教えます!

氷川正   学研    2014/8/19

<鉄道にまつわる怪談で、幽霊が出る原因というのはほぼ人身事故と考えていいだろう。>

・私が鉄道業界に入ってから数十年が経過した。

 数多の職業があるなかで、私が身を置くこの業界は、意外に死に近い業界である。死体に接する職業といえば、葬儀関係者、医療関係者、警察、消防が思い当たるだろうが、その次あたりに鉄道員がランクインするのではないだろうか。

 本書では、現職の鉄道員という立場から、あまり一般には馴染みのない奇妙な出来事や、実際に私が体験した不思議な事件、事故を中心に、鉄道業界のタブーといわれる部分にも触れながら、鉄道業界のミステリアスな世界をお伝えしたいと思う。

<「人身だ!すぐホームへ行って目撃者を取ってこい!>

・鉄道側にとって人身事故でいちばん重要なことは目撃者の確保である。

 これは、運転士に過失がないことを証明しなければならないためで、複数人確保するのが望ましい。事故後、早めに対応しておかないと現場は野次馬で溢れて目撃者探しもままならなくなくなるからだ。そして事故を目撃した人は、ショックのあまり現場を早々に立ち去ってしまうことも多い。

・人身事故の処理は、事件性がなく自殺と断定されれば、およそ1時間前後ですべての処理が終わる。

 車輪に挟まれ、レスキュー隊の手を借りなければ救出できない場合や、事件性がある場合だと、とても1時間では片づかない。

 現場の遺体は、ほぼパーツが揃っていればよく、肉片をすべて回収する必要はない。

 というのも、レールとの摩擦で“挫滅”してしまい、見つからないパーツが必ずあるからだ。

<S駅で起きた2つの未解決事件>

・現在私が車掌として往復している路線で言えば、最近改装されてきれいになったO駅の上りホームが、私の身構えるポイントのひとつである。

 グーッとカーブを描くホームの中ほどに“何か”がいて、いつも私を睨みつけてくる。それはそのものズバリの霊的な存在とはやや異なる。

もちろん人ではないのだが、O駅は昔から人身事故多発駅として知られており、悪意そのもののような、奇妙な“何か”と事故との因果関係は無視できないと私は考えている。

・2件の殺人事件が起きた場所にもまた異様な空気が漂っている。

 私の場合は車掌業務で必ずその場所を通らねばならず、そこを通るときはいつも“何か“の射すくめるような視線に必死に耐えている。

 私にとってこれらの場所は、いつも緊張を強いられる場所なのである。

<姿見の中の自殺者>

・Hはなぜか姿見から目を離すことができず、鏡の中の男性が動き出したのを食い入るように見ていた。

すると男性は躊躇することなくホームから飛び降りたのである。

{あっ!}

ここでようやくHは我に返り、背後を振り返った。

しかし、線路に落ちたはずの男性はどこにも見当たらない。

姿見でもう一度落ちた場所を確認し、目を皿のようにして線路上を探したが、どこにも人の姿がない。

・自殺を予見した姿見は、駅員たちの間で話題となったが、その後はHをはじめ、誰も自殺者が映るという現象を見ることができなかった。

 そのうち、噂を気味悪がった駅員の苦情から姿見は撤去され、今も倉庫で埃をかぶっている。

<踏切に現れる“女子大生の霊”>

・このS駅からT駅側に向かって2つ目の踏切は、管内でも有名な“心霊スポット”として知られている。

 事故が多い踏切ではあるが、決まって現れるのは“女子大生の霊”である。

“彼女”は、始発前の点検中の駅員や通りかかる運転士によって目撃されており、その頻度もかなり高い。もちろん誰でも見えるというわけではなく、見えない人にはまったく見えていないようだ。“彼女”が現れる理由ははっきりしている。

それは20年以上前に起きた人身事故が関係している――。

・女性の姿はそれから何度も目撃され、一時はお祓いも検討されたが、結局うやむやになって今に至っている。

 現在はほとんど話題にも上がらなくなっているが、それは女性の霊がいなくなったからではない。

 現在も“彼女”の姿は目撃され続けている。

<“自殺の名所”の踏切で起きた不可解な自殺>

・東京近県にあるK駅の近くには、いわゆる“自殺の名所”といわれる踏切がある。

何の変哲もない踏切で、大きな公園が近くにあるため、やや暗い雰囲気

だが、昼夜分かたず人身事故が後を絶たない。

 駅からは歩いて十数分とけっして近くはないのに、まったく縁もゆかりもない場所からこの踏切を死地に選ぶ人もいる。

 いったいなぜ、ここが選ばれるのか。まったく見当もつかない。

・ちなみにSが夫婦の霊を目撃した宿泊室は、現在はリネン室となっている。この1件以降、頻繁に霊現象が続いたためである。

<「Sトンネル」に出現する“Yばばぁ”>

・東京近県の山間部にあるS峠は、関東夜臼の心霊スポットとして知られている。

元々この道は江戸と幕府直轄領だったC地区を結ぶ由緒ある街道で、C地区の霊場を訪れる多くの参詣者が歩いた道である。

・そしてご多聞に漏れず、このトンネルにもオカルト話が伝わっている。それが運転士の間でも有名な幽霊、通称“Yばばぁ”である。

 なぜトンネルの名前のSではないのかはわからない。

ちなみにYというのはトンネルの下り出口がある場所の地名である。

前出のSトンネルに現れる四つん這いで走る女に似ているかもしれない。

夜、Sトンネルを走っていると突然運転席の窓をコンコンコンとノックする音が聞こえる。

 窓の外を見ると白髪の老婆が併走しており、運転席を心配そうな目つきで一瞥したかと思うとすぐに消えてしまうという。

 現在でも少なくとも年に一度は“Yばばぁ”が目撃されている。

そして目撃した運転士はそれから数週間のうちに、必ず人身事故に巻き込まれる。

<「車掌室に子どもが乗っていた」>

・開業して間もない新たな地下鉄A路線では、低学年の小学生と思しき男の子が頻繁に目撃されたことがある。

実際に見たというのは乗客からの情報で、駅員のなかには誰も見た者はいないのだが、毎日数件の目撃情報が届けられていた。その多くは、ターミナル駅のI駅から前後数駅の区間に集中しており、ほとんどが「車掌室に子供が乗っていた」という内容のものだった。

 この路線は下り線でI駅手前からワンマンになるため、車掌は不在となる。その不在のはずの車掌室に、子供が乗っていたというのである。

・この謎の子供は、開業から1週間の間に多くの目撃例が相次いだが、そのうちパタリと止んでしまい、今ではまったく聞かれなくなった。

 はたして車掌室に乗っていた子供はいったい何者だったのか……?

<寂しく佇む女子高生の霊>

・東京郊外のH駅には車両基地があり、その近くにある小さな踏切は小高い丘の上にある女子高の通学路になっている。ある雨の朝、通学途中の女子高生が基地に戻る電車に接触し、車輪に巻き込まれて即死した。

 ヘッドホンで音楽を聴いていたため、電車が来ているのに気づかなかったのである。

 それからというもの、雨の朝になると、決まって女子高生の幽霊が踏切脇に立つようになった。運転士の多くが目撃していたが、近くには山菜採りで山に入っていく近隣住民も多く、その姿を幽霊ではなく人だと思っていた運転士もいたため、その数を含めるとかなりの目撃例となった。

<死んだ友人からのメッセージ>

・しかし友人は興味深い話もしてくれる。

 たとえば死後の世界とは思っている世界とは違い、自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で死んだ人は、天命の年齢になるまで現世に留まっていなくてはならないという。死後の世界のしくみは、死者同士の情報交換から得られたものらしく、死者が集う場所は現世の接点としていくつかある。

 それが現世でいう“心霊スポット”なのだ。彼ら死者は、生前行ったことがある場所であればどこへでも行けるという。

 もちろん壁も通り抜けられ、空も飛べる。その世界は案外楽しそうなもののように思えた。

『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊

 大島清昭     岩田書店   2007/10

<幽霊と妖怪>

・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。

 日本民俗学の創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、①出現場所の相違、②対象となる相手の相違、③出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。①は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。②は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、③は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

・柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。

 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

<幽霊と分身>

・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

<憑霊>

・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。

 佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

<場所に固定化した幽霊>

・「①屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

・大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。

 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「2・26事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。

・NHK横にある2・26事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。

また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

・この事例では2・26事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

・Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。

『FBI超能力捜査官マクモニーグル』  「遠隔透視」部隊の現実

  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店     1996/8

<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

<地獄からの生還>

・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

・そのとき、神々しき声がした。

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

<白髭白髪の老人の出現>

・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。

『「超常現象」を本気で科学する』

石川幹人 新潮社     2014/5/16

<幽霊体験の背後には通常、「霊魂説」が控えています>

・本書は「幽霊はいる」とか「超能力は存在する」などと超常現象を肯定するためのものでもなければ、その逆でもありません。そうではなく、超常現象について、今現在、「実際に何がどこまで分かっているか」、「何がどのように謎なのか」を皆さんに紹介しながら、「いかに未解明の現象に取り組んでいくべきか」という「科学的思考」を身につけていただくことを第一にしたいと思っています。

本書は、あくまで本気の科学の本です。

・幽霊体験の背後には通常、「霊魂説」が控えています。人間の肉体には霊魂が宿り、死後に霊魂だけが肉体から離れて霊界へ行くが、この世に生きる私たちも、肉体から離れて浮遊している霊魂と、ときに何らかの交流や交信ができる、という説です。

・もとより実証されているわけではありませんから、霊魂説とは科学的にはまさに仮説にすぎないわけですが、体脱体験や臨死体験、霊視や憑依などの現象が、この霊魂説を支えるとされます。しかし、そうした諸現象を人間の通常の心理的・生理的現象がもたらした錯覚であるとする仮説も有力で、もちろん、霊魂説は決定的ではありません。

<心霊研究から超心理学へ>

・さて、では超常現象が科学の世界でどのように研究されているかというと、じつは古典型的な幽霊体験より、現在はいわゆる「超能力」へと注目すべき研究テーマが移っています。超能力とは、透視やテレパシーといった未知の能力の総称ですが、超能力と幽霊体験には、かなり共通するところがあります。幽霊体験の多くは、一種の超能力による事象として説明できますし、逆の説明もまた可能だからです。

 歴史的にも、19世紀末から幽霊体験を究明する「心霊研究」と呼ばれたものがありましたが、これが20世紀に入って厳密な科学的手法に則った研究に改められ、超能力研究へと展開し、「超心理学」と呼ばれる研究分野になったという経緯があります。

<幽霊と宇宙人は同じ?>

・ユングの超心理学への貢献は、シンクロニシティにとどまらない大きなものがあります。いわゆるUFOの目撃事例と、幽霊目撃事例の共通点を分析し、それらは心理的に同様の根源をもった超常的体験であるとその晩年に指摘したのです。UFOに乗った宇宙人などは幽霊とはまったく違うものという感じがするかもしれませんが、両方とも異世界から来た者という共通性があるのです。それにもし目撃者にキリスト教などの特定の宗教的背景があれば、幽霊との遭遇は悪魔に会うことに匹敵するので、「幽霊を目撃した」と主張するよりも、「空飛ぶ円盤を目撃した」「宇宙人に会った」と主張する方がまだ無難だということになるのです。ときには、金星人や地底人なども登場しますが、これは目撃者の無意識があたかもSF作家のように創作的に働いた結果でしょう。

・この指摘は、今日あらためて注目される状況に来ています。というのは、欧米では「宇宙人に誘拐」され、気がつくと宇宙船の中で手足を固定されて寝かされ、身体検査や手術を受けたという訴えが数多くあるからです。お気づきのように、これは、日本における「地縛霊のしわざによる金縛り状況」と同類の構図です。宗教的に地縛霊を持ちだせない場合には。似た効果の別の「実体」がつくられるのだと言えます。

・日本でも、超能力者を自称する人々には、「宇宙人に会った」と主張する人が多数います。超能力だけでも信じてもらえないのに、さらに宇宙人にまで言及するのは控えた方がよいと私は思うのですが、かなりありありとした体験らしく、本人たちはまじめに主張します。私が懇意にしているある霊能者も、幽霊だけでなくUFOや宇宙人をよく見ると言いす。そして、幽霊が過去の情報に関連するとすれば、宇宙人は未来の情報に関連しているという感触を述べています。これこそ、時間を超えたESP(超感覚的知覚)現象がこうした体験の背後にひかえていることを暗示しているのではないか、と私は思います。

・ユングの深層心理学によると、無意識の知恵を意識に伝える「老賢人」という象徴的な存在があるとされます。個々人の内的世界では、老賢人が幽霊の形をとったり宇宙人の形をとったりして意識を支えているのでしょう。もし、その場面が明晰夢を見るようにありありとしていれば、それがその人にとっての「現実」であってもいいわけです。要はその「現実」に個人として、そして社会として、どれほど意味があるかが重要になるのです。

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

<プロのミディアム(霊媒)>

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

・私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

・イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

・プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

<スピリチュアリスト教会> 

・死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

<英国スピリチュアリスト協会(SAGB)>

・SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

<著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界>

<カラフルなインディアンの訪問者>

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

<霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

<あなたが人生を選ぶ>

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

<霊界を思い出すことが重要>

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

<前世は知らないほうがいい>

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

<輪廻転生>

<人生という舞台>

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

<霊界で過ごす時間>

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

・ 私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

・ この世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による。

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