「自民党とは何か」。この問いに対する私の当座の答えは「強者をのみ込むブラックホール」である(1)

(2023/11/1)

『自民党の魔力』

権力と執念のキメラ  自民党はなぜ勝ち続けるのか?

蔵前勝久  朝日新聞出版  2022/7/13

<自民党とは何か? 強者をのみ込むブラックホールか?>

・自民党所属の政治家は、数字上は、国会議員より圧倒的に地方議員の方が多い。「官邸主導」の第2次安倍政権以降はトップダウン組織に見えるが、地方ではボトムアップの側面がいまだ強い。

<「一番強いやつが自民党」>

・永田町の国会議員や秘書、霞が関の官僚たちからよく聞くのは「自民党は『右』から『左』までいる鵺(ぬえ)のようなもの」である。鵺とは、顔は猿、胴はタヌキ、尾っぽはヘビ、手足は虎、声はトラツグミに似ているという謎の妖怪のことだ。そこから転じて、素性がよく分からない、得体の知れない、正体不明のうさんくさいなどの意味で使われる。

 ギリシャ神話でいえば、キメラだろうか。ライオンの頭、ヤギの胴、ヘビの尾を持った怪獣のことだ。そこから転じて、遺伝子の異なる細胞を一つの体にあわせもつ生物のことをいう。

・そんな中、得心した答えは「その土地で一番強いやつが自民党なんだ」というものだった。

<白いまち針、ピンクのまち針、赤いまち針>

・「一番強いやつが自民党」という答えは、蔵内氏自身の経験から導き出されている。

・回れど回れど、ピンクは増えたが、なかなか赤(支持者)には変わらない。

<「自民党を牛耳る」という執念を結実>

・赤いまち針(支持者)が増え始めたのは、落選から3年半が経った頃だった。

<選挙に強いことが最低条件>

・強くなければ自民党に仲間入りできず、自民党を牛耳ろうと思えば、力をつけなければならない。そのために党内で切磋琢磨する。自民党は戦いに勝って、勝ち続けるために戦う強者たちの集まりである。「良い悪い」「好き嫌い」は別にして、自民党は強いのである。

「自民党とは何か」。この問いに対する私の当座の答えは「強者をのみ込むブラックホール」である。

 強者とは、人を惹きつける、何らかの力を持つ人物である。政治家で言えば、選挙に強いことが最低条件だ。

・肩書きはなくとも、人望のあるインフォーマルなリーダーも含んでいる。俗な言い方をすれば、「面倒見のいい、ひとたらし」ということだろう。

・自民党に所属する政治家は、数字上は、国会議員よりも圧倒的に地方議員の方が多い。

<自民党の地方議員たち>

<圧倒的に数が多いのは地方議員>

・「無所属の市町村議の少なくとも半分は自民党員である」という仮説は、大きくは外れていないのではないか。

<「安倍1強」下の自民党は共産党だったのか>

・なぜ、異論が許されない空気ができていたのか。

・自民党総裁として12年末に政権奪還を成し遂げた安倍首相は、中堅、ベテランにとっては与党に返り咲かせてくれた「恩人」だった。

・安倍首相はその後も国政選挙で連勝した。選挙で勝てるリーダーに対する批判をタブー視する空気は強まり、安倍氏の意向に沿うような考え方だけが党内で「正論」とされるようになったことで、異論が消えていった。

・「イデオロギー政党は内側に対しては自由な論争や試行錯誤を許容せずに硬直化し、外側に対してはこのイデオロギーを強引に押しつけようとして圧政を加える」

<党内の「多様性」を保つ地方議員たち>

・香山氏は論文で自民党について「人間関係中心主義の非イデオロギー政党と言うべき独自の特質を持った日本型政党」と位置づけ、その特徴について、こう書いた。「ありとあらゆる多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織となることができる。党員がどのような思想、信条、信仰を持とうが、それは各人の自由に属する問題であって、党は決してその内面にまで立ち入ろうとはしない」「組織原理はあくまで人間関係」。

・先に見たように、安倍自民党は「人間関係中心主義の非イデオロギー政党」から変質したようであり、「多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織」からかけ離れていた。しかし、地方議員にまで視野を広げると、自民党は「人間関係中心主義の非イデオロギー政党」であり、「多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織」であると言える。

<「外からポッと来た候補者が国会議員に」>

・「『政治改革』の柱として小選挙区制度が導入されてから20年余になります。この制度は政権交代を可能にする制度として受け入れられてきましたが、4割台の得票率で7割台の議席獲得が可能になるなど、民意と議席数に大きな乖離が生じる問題があり、有権者の政治離れなど政治の劣化を招いているといえます」

<「ノルマ未達成は落選」の脅し>

・ただ、「安倍チルドレン」が当選回数を重ねるにつれ、地方からの不満は減りつつある。党関係者によると、国会議員に党員獲得のノルマを課し、未達成者へのペナルティーが次第に強められたことで、国会議員も党員獲得に励むようになったことが理由という。

 自民党は2014年、「党員120万人」を目標に設定した。当時の党員数は約70万人。「1億2千万人の国民の1%を党員にする」という目標で、選挙区選出の国会議員に年間に獲得する党員数について1千人のノルマを課した。目標が達成できない場合、足りない人数分について1人あたり2千円を党に収める「罰則」を設けた。

<与野党実力者同士の裏取引>

・過去のこととはいえ、機微に触れるので、どの県議会のことであるかは伏せておかねばならない。自民と旧民主党の県議同士の裏取引の話である。

 民主党が政権を奪わんとする勢いがある2000年代、自民党県議が無投票を繰り返してきた県議選の1人区であっても、その牙城を崩そうと民主党が候補を擁立することが多々あった。勝ち目は薄くとも選挙で戦うことによって民主党の地盤を拡大・強化する狙いだった。

<地域の実情――勝ち上がれば自民入り>

・自民党は全国各地に支持の網の目を広げている。市町村から中学校区、小学校単位、さらに町内会・自治会まで国民が生活する身近な地域との関係なしには自民党全体を分析できないからだ。

<勝ち上がれば自民党入り>

<名簿作りをやめた横浜市の町内会>

・このベテラン秘書は言う。「連絡がなくなった今では、自分たちで日程を探るしかない」。町内会・自治会の行事や冠婚葬祭の日程を調べる専属のスタッフも設けている。「宝の山は、町内会の掲示板。かつては住人が亡くなると回覧板で知らせていたが、最近は掲示板。祭りの案内も載っている。あとはメール。住人から転送してもらうこともある」。自分たちで調べて、呼ばれてもいない夏祭りなどの行事に出向くと、「なぜ、来るんだ?」といぶかられるが、それでも行き続けると、「よく来たなあ」と歓迎されるようになるという。たとえ自民党であっても事務所を挙げて日程調べに必死にならざるを得ないのは、都市部ならでは、なのかもしれない。

<「労組OBは自民党の集票マシンになる」>

・神奈川県議会議長を務めるなどした自民党のベテラン県議は、後援会のナンバー2が、自治労OBだったことがある。そのOBは、かつて地元の野党議員の選挙対策本部長を務めるなど、自治労の幹部として自民とは敵対関係にあったが、定年退職後、趣味の野球を通じて関係ができた。OBが住む地元の陳情をこなすことで親交が深まり、後援会幹部を務めてくれるまでになったという。

<公明党が進める「LINE」通報>

・無料通信アプリ「LINE」を使って、道路や公園といった公共施設の破損を見つけた住民から通報を受ける自治体が増えている。

・ラインでの通報は、公明党が率先して導入を進める地域が多く、公明の地方議員が成果をアピールする事例が目立つ。しかし、同党のベテランの地方議員は首をかしげる。「地方議員が『中抜き』されるだけじゃないか」。

・ベテラン議員は「地方議員の役割とは何か」という根本的な疑問が強まる可能性を危惧する。身近な住民との関係が深いことを自らの売りにしている自民党や公明党の地方議員の存在意義を強く揺さぶるのは、野党の地方議員ではなく、技術の進歩なのかもしれない。

<国会議員と「どぶ板戦」>

・ここからは永田町の自民党が持つ「強さこそ正義」の体質を見ていきたい。

・22年4月の参院石川補選を経た時点の同党所属の衆参国会議員は374人。このうち、一貫型は323人(86%)、出戻り型が15人(4%)、流入型は36人(10%)となる。圧倒的に一貫型が多いが、政権中枢の陣容や実力者という観点から見ると、出戻り型や流入型の存在感が際立っていることが分かる。

<自民県議だったのに日本新党で初当選した遠藤氏>

・政治の道を意識し始めたのは、小学校高学年のころ。県議のおじのところへ、いろんな人が相談事を持ち込んでくるのを見ながら、「自分も、人の役に立つことをしてみたいと思った」。中学の作文ですでに、「将来は政治家になりたい」と書いていた。

・33歳で県議初当選。あとは、一気に走った。自民党県連の参院選の公認候補選びに名乗りをあげ、投票で敗れると、時を置かず、衆院選への転身を表明した。

<「出戻り型」と「流入型」には旧型と新型>

・流入型の茂木、高市、遠藤の3氏はいずれも自民党公認が得られず、他党の公認や無所属として国政入りを果たした後、自民党の衆院議員となった。

・こうしてみると、出戻り型、流入型には選挙に強い政治家が少なくない。やはり、自民党には強者を引きつける力がある。

<出戻り型の出世頭は二階氏>

・出戻り型のうち、抜群の知名度を誇るのは、先述した二階氏と石破氏だろう。いずれも幹事長を務め、派閥領袖にもなった。

<首相の座が遠いのは出戻り型の限界か>

・二階氏は自民党に復党したが、トップ、つまり首相をめざさなかった。一方、同じ出戻り組で首相の座を求め続け、届かないでいるのが石破氏である。

・「能力、経験がある人でも現行の中選挙区制では選挙区内に名前を広めるだけでも大変。しかし、2世、3世は3ばん(地盤、看板、かばん)のうち看板があり比較的でやすい」

・「二世はよく父の意志を継いで、というがこれは絶対に言うべきではない。父の遺志が何たるかを知っているのは父と一緒に苦労した県議や役人、県民です」

・「自分の主義主張はこの10年間、一度も変えていない。周りがものすごく振れるので、まっすぐなことを言っている方が振れているように見えてしまう」

・「議員は政策の実現が一番の仕事だが、無所属のままでは一方的に主張を述べるばかりだ」

・政治家が権力闘争を勝ち抜くためには、良かれあしかれ、理屈ではなく、大きな流れを読んで立ち回ることが必要な時もあるだろう。

・「面倒見の良さ」が政治家の美徳の一つとされる永田町にあって、石破氏の「面倒見の悪さ」はつとに有名で、それも首相に届かぬ理由の一つだろう」

<強者を引き込む「二階方式」>

・流入型、出戻り型の政治家の遍歴を見ると、強者を引き抜く自民党の体質が表れている。

・4人全員を無所属で立候補させ、それぞれの選挙区で当選した方を自民党が追加公認することで決着した。まさに「強者こそが自民党」という論理そのものだった。

<派閥は「強者の論理」の象徴>

・二階派は、二階氏が幹事長に就任した16年8月時点では36人だったが、幹事長を退任して迎えた21年秋の衆院解散時には47人まで拡張していた。

・そして、「強い者こそ自民党」「競い合いこそが全体を強くする」という、中選挙区時代以来の自民党が持つ思想の現れだろう。

・融通無碍に強者を取り込む吸引力、「いい加減さ」がゆえのおおらかさから生まれる魅力、「数こそ力」の論理――。

・とはいえ、やはり派閥は非公式な組織であり、党の公式文書に振り分けを記すことはできなかった。

<「自民党はふるさと」>

・自民党関係者はこう語った。「自民党にいたことがある人にとっては、最後は戻りたい。自民党はふるさとなんだろう」。

<自民公認で出馬する旧民主党議員たち>

・22年夏の参院選でも、かつて民主党議員だった複数の政治家が自民党公認を得た。野党議員だった政治家自らが自民党に接近し、自民党側も強者を求めるように吸い寄せていく。

・世論調査で優勢な方を自民候補に決める手法は、まさに「強者をのみ込むブラックホール」である自民党の「らしさ」がつまっていた。

<選挙で勝てるかどうかが最優先>

・県連幹部に茂木敏充幹事長が言ったのは「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫がいい猫なんだ」。中国の鄧小平氏の言葉を使って、良い悪いよりも好き嫌いよりも、選挙で勝てるかどうかを最優先する考えを示した。「県連が擁立しようとしている県議で参院選に勝てるのか」という強い牽制だった。

・6年前に共産と組んだ政治家であろうと、次に勝てるとみれば、どんな理屈をつけてでものみ込んでいく。

<「無党派層は宝の山」――小泉首相の執念>

・小泉純一郎氏は2001年の自民党総裁選で「自民党をぶっ壊す」と訴え、橋本龍太郎元首相らを圧倒して初当選した。その小泉氏がことあるごとに語ったのが「無党派層は宝の山」という言葉である。

・真骨頂は06年の郵政選挙だろう。執念を燃やした郵政民営化に反対する自民党内の「抵抗勢力」と徹底的に戦うことで、無党派層の熱狂を得て圧勝した。

<企業団体回りの基本>

・しかし、そんな小泉流は党内では異端視されている。党本部で長く選挙対策に携わる党職員は「小泉さんの手法は、オーソドックスじゃない。基本的にはまず自民党支持層を固め、無党派層につなげる戦略を採ることが大事だ」と語る。

・09年衆院選で、麻生太郎首相率いる自民党は、民主党に大敗。この時の投票率は69.28%。小選挙区が導入された1996年以降行われた21年までの衆院選で、最も高い。小泉人気で自民党が動員した無党派層は、麻生自民党を見放し、民主党へ大きく流れたといえる。

・自民の支持を広げる小泉氏の「無党派層は宝の山だ」という戦略は、05年より後の衆院選において自民党は一度も実行されていない。党職員の言う「まず自らの党の支持層を固める」というオーソドックスな戦略に自民党は徹している。

<安倍氏の「秘蔵っ子」、落選運動に苦しむ>

・自民党は常に強者をのみ込んでいこうとする貪欲なブラックホールであり、その結果、全国各地の強者の集まりになること、その総本山である永田町でも強者同士による熾烈な競争が行われていることを記してきた。しかし、強者の集合体だからこそ、目が向けられず、切り捨てられる層がある。そのことに疑問を抱く政治家もいる。

<「野党に予算はつけられますか」>

・執拗な落選運動が行われたのは、「保守派のスター」である安倍氏が可愛がってきたはずの稲田氏が、保守系からみれば「変節」したからだ。

・弱者の立場に立って政策を訴えることを野党の専売特許にさせてはならないと考えている。

<男性の市区町村長が共感しない事業>

・自民党は、町内会・自治会や地方議員、国会議員、経済界といった主流派によって支えられ、安定した長期政権を築いてきた。しかし、主流派から取り残される人たちこそ、政治の力を必要としている。政権を担う「国民政党」ならば弱者に目を向ける責務もあるはずだが、うまく機能していないのが現状である。

<「自民党」という不思議な安心感>

・「田舎は自民党と農協さえあればいい。それだけで田舎の生活は回っていく」

・「村落共同体を担うのは農協の理事たちで、彼らが全体を支配していた。肥料を買うのは農協だし、貯金するのも、結婚式を挙げるのも、葬式を開くのも農協、農協に任せておけば、みんなが幸せだということだった。地元の農協の総会は、そのまま部落(町内会)の総会だった」。

特定郵便局の局長たちは町の名士で、普通の人にとっては農協が中心だったという。彼らにとっては、政治といえば自民党しかあり得なかった。

・自民党の強さを身をもって知る、この職員は言う。「保守層を切り崩すには、保守を使うしかない。地方の首長選をみれば、対立構図を作り出せるのは、保守分裂しかあり得ない」。

<2009年下野よりダメージ残った93年の分裂>

・自民党は1955年の結党後、政権から2回滑り落ちた。1度目は1993年、2度目は2009年だった。政治史あるいは民主主義という視点でいえば、09年の方の意味が大きい。93年は、衆院選が終わった後に、非自民の8党派が連立を組むことで自民党は下野に追い込まれたが、選挙そのものでは自民は第一党を維持していた。一方、09年は民主党が過半数を大きく上回る議席を得る、民意による政権交代であり、自民は結党後初めて第一党の座を滑り落ちた。

<野党は何をしているか>

<立憲・小川淳也が英国で知った言葉>

・その小川氏がたびたび紹介する言葉がある。「保守政権は天然物で、非保守政権は人工物だ」。

・「『資産を持っている』『土地を持っている』など守るべきものがある人、つまり、社長や富裕層、強者たちがメインとして作り上げるのが保守政権である。

・「持てる者」を代表する天然の権力と、「持たざる者」を代表する人工的な権力があって、その二つが均衡を保つことで、社会は健全に発展するとの解釈である。

「日本は自民党政権が半永久的に続いてきた。そのため、医師会や農業団体、建設業協会、それから自治会や婦人会、体育協会にいたる末端まで、天然権力が行き渡っている」。

・「都市部では比較的、緩いかもしれないが、郊外や島嶼部に行けば行くほど、行き渡った天然権力は強固だ。『自民党であらねば人にあらず』的なカルチャーが、自民党の半永久政権の中で、仕上がっている」

<自民を染み渡らせる地方選の仕組み>

・一方の英国。町内会・自治会を含めて隅々まで自民党が染み渡っている日本と違い、末端まで保守党一色ということはないという。小川氏は両国の違いの原因を二つ挙げる。

 一つは自民党政権が長すぎることだ。

・もう一つの原因は、日本における地方議員の選挙制度である。衆院選は一つの選挙区から3~5人が当選する中選挙区を、英国と同じ1選挙区から1人しか当選しない小選挙区に変えたが、地方選の制度は改革されなかった。

・これまで見てきたように、自民党籍を持つ地方議員の多くは、自らの選挙では「自民党」の看板を隠して「無所属」として戦って融通無碍の支持を広げる一方、国政選挙となれば、その集票力を生かして自民党を必死に支援している。

・小川氏の認識によれば、「政権交代可能な二大政党」による政治体制をめざして衆院選に小選挙区を導入したが、地方選を改革しなかったために、自民党が末端まで根を張る政治状況を変えられず、現状の「自民1強」に至っているというわけだ。

・町内会長のような各地域の代表者は、そのほとんどが自民党とどこかでつながっていると感じる。「自民党議員の集会の案内や活動予定が、自治会の回覧板で回る風習が地域によっては残る」という。

<選挙に精通する自民党スタッフの分析>

・小川氏が衆院香川1区で対峙し続けてきた自民党の平井氏は、祖父と父が参院議員を務め、父は地元紙・四国新聞の社主でもあった。まさに「天然物の権力」の象徴であろう。

・そう考える理由は「自民党の力の源泉は地方にある」とみているからでもある。

<後援会作りを怠ったツケ>

・小川氏の言う通り、長く政権の座にある自民党は全国津々浦々まで、水が染み渡るように支持の網を広げてきた。

<宗教団体、PTA、その時々のつながりで>

・のちに取材したこの地方議員は、特定の民間労組をバックに持ち、組織を固めて当選を重ねられるのであれば、無駄に支持を増やす必要はない、と考えていた。この地方議員は「私には後援会はない。4年ごとの選挙のたびに、ある時は宗教団体だったり、PTAだったり、その時々のつながりで戦ってきた。後援会はメンテナンスが大変」。

<地方選での「ため書き」>

・足場を固め支持を広げようとしない旧民主党議員のエピソードは、自民系の議員を取材していれば事欠かない。

・「早く道路のでこぼこを直せ」「給食費を安くしろ」「息子の嫁を探してくれ」住民からの陳情は、身近な話題ばかり。

<下りエスカレーターを駆け上がり、自民幹部にあいさつ>

・NHKの政治記者だった安住氏が初めて衆院選に立ったのは、最後の中選挙区選挙だった1993年。旧宮城2区から無所属で立候補し、新党さきがけ、日本新党の推薦を受けたものの、落選した。

<なりふり構わぬ大型の名札>

・なぜか、選挙区にいる時は、辻立ちの際はもちろん、コンビニやスーパーに行く時でさえも、スーツの左腕に「野間たけし」と書いた名札をつけているからだ。名刺サイズどころではない。A4判を二つ折ぐらいにした大きさだ。

・浪人中は、祭り会場の中には入らなかった。主催者側に知人がいれば、来賓席を用意してくれることもあるが、名札姿で会場の出入り口に立ち、あいさつし、名刺を渡す。

<「自民党に入りたいなら3千万円は持っていかないと」>

・「それじゃダメだよ、君。自民党に入りたいんだろう。手土産を持って行くのは常識だ。3千万円ぐらいは持って行かないとダメだよ」と言われた。もちろん、表の政治資金の話ではないだろう。そもそも落選を重ねてきた野間氏は多額の借金こそあれ、3千万円もの大金は手元になかった。

<地権者300軒を自ら回る>

・道路の修繕を超える大型の事業に積極的に関わった事例もある。

<「どぶ板を徹底させないと、この党は強くならない」>

・「道路のメンテナンスの陳情なんて、自民党の県議や市議も大して引き受けていない。鹿児島市のような都市部の議員ならともかく、定数1の田舎を選挙区とする自民党の県議はいったん当選すると『自分は自民党だ』とあぐらをかいている」。

・野間氏が選挙に強いのは「日本一の御用聞き」を掲げ、どぶ板を徹底してきたことが理由の一つであることは確かだろう。

<役所OB、野党支持者の根っこを狙う>

・永田町でよく語られる法則に「9・6・3の法則」がある。野党候補が自民候補に勝つためには、野党支持層の9割、無党派層の6割、自民支持層の3割から得票する、という目安のようなものである。

・幅広い支持層から票を得るために、野間氏は各層へのアプローチを怠らない。労組OB、とりわけ役所勤めを終えた自治労OBは町内会・自治会の役員を務めることによって自民党支持に傾いていく事例を先に紹介したが、野間氏は、そんな元「野党支持層」のメンテナンスにも気を抜かない。

・野党議員は無所属の地方議員に「ため書き」を送らない事例が多いと先に記したが、野間氏は全く違う。

・こうした「雑食性」としての強さが、野党議員の必勝の法則である「9・6・3の法則」を実現させているのだろう。

<党勢拡大のジレンマ>

・選挙区で左胸につける大型の名札にも、名刺にも、地方選の候補に送るため書きにも、「立憲民主」の文字はない。松下政経塾を創設した松下幸之助の教えから「政治は人だ」と考え、「党の前に大事なのは人だ」と思うからだ。

・立憲民主党の看板にできるだけ頼らないようにしている野間氏にとって、難しいのが党勢拡大の運動である。

・自民党も所属国会議員に年間の党員獲得のノルマを課しているが、立憲の3倍の年間1千人。それも自民側は、年間の党費4千円の党員のみで、サポーターやパートナーズのような「割引」もない。

<「立憲民主党は末期的」>

・党の看板をできるだけ「隠す」ことで有権者にアプローチする野間氏のような手法がある一方、野間氏と同じくかつては民主党に所属しながら、21年衆院選では政党を「捨てる」ことで有権者の支持を広げた議員もいる。

<選挙区は「しらみつぶし」に回る>

・福島氏は選挙区回りを「サファリパーク」にたとえる。通産官僚時代にケニアに出張した際、草原地帯を車で移動している時の感覚に似ているからだという。「サバンナを車で移動しても、動物は見えない」

・しらみつぶしでなければ選挙区回りの効果が少ないどころか、逆効果になることに気づいたのは、03年、05年と衆院選で2回続けて落選した後のことだ。

<初当選と慢心と挫折>

・そもそも03年に初めて立候補する際は「10年間は当選できない」と思ったが、6年間で当選したことによって「慢心があった」ともいう。

 14年衆院選は民主党から出馬し、小選挙区では敗れたが、比例で復活。17年は希望の党から出馬し、小選挙区、比例とも落選した。

<街宣車による「地盤のメンテナンス」>

・09年の初当選までの4年間で8万軒の有権者を訪問した福島氏は、17年の落選後は、バイクで3万5千軒以上を回った。これで1区内の15万軒のうち、12~13万軒を一軒一軒、訪ねたことになる。いまは残りの数万軒を回りつつ、一度回ったところは街宣車で走るようにしている。合併前の旧市町ごとに丸一日かけて、全ての路地に分け入り、連呼はしないが、「福島伸享」の名前をしのばせながら、国政について報告する。

<肩書ではなく「人」を見る>

・そもそも、かつてと違って、町内会、自治体そのものが崩壊しつつあり、町内会長のようなポストに就きたがる人は減った。「肩書でなく純粋に『人』を見ないといけない」と話す。

<自民党という「システム」が残った問題点>

・しかし、民主党は3年3カ月で下野。党は四分五裂し、自民党の「1強」状態は永続的に見える。「残念ながら自民党による利権システムが戻ってしまったというのが、この国にとっても大きな不幸だと思う」と語る。

<「夏祭りの振る舞い」で自民か野党か分かる>

・自民党議員は「相手との関係性」を重視するから、必ず、祭りの主催者に頭を下げて、関係者と雑談を繰り返していくが、旧民主党系の議員は「露出の数」で勝負しようと、白い目で見られながら、会場の外で法被を着てビラ配りをするという。

<地元に根差した知識>

・21年衆院選で、野党候補として勝ち上がってきた鹿児島3区の野間氏や茨城1区の福島氏は、政策論をつむぐよりも、人間関係を作り上げてきた。自民党と同じようなやり方で支持を広げたわけだが、こうした手法は、何も日本ばかりではなさそうだ。

<あとがき>

・自民党は「強者をのみ込むブラックホール」であると書いてきました。あらゆる強者を内部に取り込んでいくことで、いろいろな思想、いろいろな層の人が雑多に交じり合うという意味で、自民党は、遺伝子の異なる細胞をあわせもつキメラになります。首相ら党幹部への忠誠度が高い国会議員と、自民党同士の争いに価値を見いだす地方議員という全く体質が異なる政治家で構成されているという意味で、党の姿そのものもキメラと言えます。

・こうした動きと、自民党の「安倍チルドレン」がポストを競い合うことで生じるミシン目とが響き合って、自民党が分裂し、分裂した側が、新たな保守系勢力、あるいは維新と合同する――。そんなシナリオがありうると見ています。

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