大本の聖典『霊界物語』にもほとんど同じ「猩々姫」のエピソードがある。違いは結末で、半人半獣の赤子は引き裂かれそうになるが、最終的には絞殺され、姫は入水して死ぬ。(18)

『あの世はあった』  文豪たちは見た!ふるえた!

三浦正雄 矢原秀人   ホメオシス   2006/12/25

<宮沢賢治、山中で平安時代の僧侶に遭遇――聖者は時空をこえる――>

<霊媒体質の賢治に見えたもの>

・宮沢賢治といえば、「永訣の朝」「雨ニモマケズ」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロひきのゴーシュ」「注文の多い料理店」など数々の名作を残し、詩人・童話作家として現在ではあまりにも有名になりました。賢治の故郷岩手県花巻には、未だに賢治を慕って訪ねてくる老若男女が毎年30万人もいるとか、賢治人気は衰えません。しかし、その宮澤賢治は生前、ほとんど無名の教師・農業技術者でした。

・宮澤賢治は、なぜこれほどまでに人気があるのでしょうか?賢治の人気の秘密は、二つあるように思います。一つは彼のひたむきで純粋な生き方がとても魅力的であるということ、もう一つは、「不思議」というキーワードがぴったりくるような彼の作品の特徴にあるのではないでしょうか。

・賢治は、少年時代から霊媒体質とでもいうべき特異体質だったようで、少年時代に書かれた作品からすでにさまざまな超現実的な不思議な事物が登場しております。また、彼の不思議な作品に登場するさまざまな超現実的な現象はつくり事ではなく、実際に見聞したものだとしばしば語っています。

 生前たった2冊だけ刊行された作品のうちの1冊、童話集『注文の多い料理店』の「序」には、次のように記されています。

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

・宮澤賢治は、「どうしてもこんなことがあるようでしかたがない」どころか「どうしても見えてしまってしかたがない」ことに終生悩み続けた人でした。後述しますが、彼がこのような控えめな言い方をしたのは、旧家である宮沢家と地域社会のタブーのためのようです。

 生前に刊行されたもう一冊の作品は心象スケッチ『春と修羅』です。賢治は、「詩集」という言葉を使わず「心象スケッチ」とあえて主張しています。つまり心に見えたもの、聞こえたことをそのままスケッチしたものであって、いわゆる詩ではないというのです。

・ちなみにこの「心象」という言葉が、霊や超能力などをふくんだ「心の世界の全体像」を表すことは、後に触れます。

 つまり、賢治の作品に登場する神秘体験は、想像力によるフィクションではありません。生来の霊媒体質によって、実際に山野を散策するおりに見えた様々なものを作品中に描いているのです。山野の闇に棲息する魑魅魍魎の類から神仏のような高い存在まで、普通の人の肉眼には見えない様々な存在が、賢治の目には見えていたのです。それは異常心理とか想像力とか幻想とか幻覚とかでは片づけられないような切実でリアルなものだったのです。

<旧家と地域社会のタブーの中で>

・こうした不思議な世界について、賢治は、先に紹介したように生前に刊行された2冊のうちの1冊心象スケッチ『春と修羅』の「序」で、

 ただたしかに記録されたこれらのけしきは

 記録されたそのとおりのこのけしきで

このように述べておりました。

ひかえめな表現ではありますが、旧家の出で厳格な知識人の父親をもつ賢治にとって、自分の著書の序としては、これが精一杯の書き方だったのでしょう。そう、賢治は、不思議な世界がどうしても見えてしまってしかたがない人だったのです。

・詩人桑原啓善は、宮澤賢治の弟清六を訪ねて、興味深い言葉を聞いたと言います。「賢治が死後どんどん有名になったのは、また、賢治のことを書く人達が、それぞれ良い仕事をして著名になるのは、『賢治があちらで一生懸命努力しているから』と、繰り返し述べた」というのです。このことから、賢治同様に清六が異空間のことがわかると考えた桑原が、「『鬼神』のことに話題を向け」てみると、「途端に、清六氏の顔がひきつり、『それはタブーですから』と語ろうとしなかった。」と、その著書(『宮澤賢治の霊の世界』)の中で語っています。

 賢治が不思議な世界を見たままに描きながら、ワンクッション置いてまるで創作のようによそおっているのは、どうやら厳格な父親や地方社会のタブーなどへの気がねに原因がありそうです。

・先天的な霊媒体質に加えて、こうした山伏修行のようなことを行って霊感を高めた賢治の目には山野の間に棲息する魑魅魍魎の類から、神仏や昔の聖者まで、さまざまな肉眼では見えないものが見えていました。

賢治は、若い頃よりこの特殊能力に向き合い、悩み葛藤しています。『春と修羅』の中のいくつかの作品、例えば詩「小岩井農場」の中には、はっきりとこの葛藤ぶりが描かれています。どうしても見えてしまう天人の子どもの存在に深刻に悩んでいるのです。

・こうした宮澤賢治の神秘体験の中で特に鮮烈なものは、「河原坊」という詩(心象スケッチ)に描かれた一場面でしょう。

例によって、山野を踏み歩いていた賢治は、山奥で不思議な体験をするのです。野宿しようとして、金しばりのような状態になり、かつて何百年か前に、ここの河原にあった坊に住んでいたとおぼしき若い僧侶たちの姿を見るのです。

<何百年も前の若い坊さんたちに出会う>

<賢治が出会ったさまざまな怪異>

・森荘巳池は、この解説の中で、賢治と会って賢治から直接聞いた言葉を回想して記しています。

――早池峰山へ登った時でしたがねえ、あすこの麓に大きな大理石がごろごろ転がっているところがありましてねえ、その谷間は一寸した平地になっているのですがそこの近所に眠ってしまったんですよ。お月さまもあって静かでよい晩でしたね、うつらうつらしていましたらねえ、山の上の方から、谷あいをまるで疾風のように、黒いころもの坊さんが駆け降りて来るんですよ、念仏をとなえながら、またたく内に私の前を通り過ぎ、二人とも若いその坊さん達は、はだしでどしどし駆けて行ったんです。不思議なこともあるもんだとぼんやり私は見送っていましたがね。念仏はだんだん細く微かに、やがて聞えなくなったんですよ。後で調べたら、あすこは昔大きなお寺があったところらしいんですね、河原の坊といわれるところでしたよ。土台の石なんかもあるという話でしたよ。何百年か前の話でしょうねえ、天台か真言か古い時代の仏跡でしたでしょうねえ。        森荘巳池『宮澤賢治の肖像』   

<訪れてくる亡くなった妹トシ>

・このように「河原坊」での体験にとどまらず賢治の不思議な体験の証言が残されています。

 最愛の妹であり、唯一の理解者であった妹トシは、死後、賢治の前に何度も現れますが、このことについても、親友の佐藤隆房が聞き書きしています。次の言葉は、賢治が、農学校の生徒の照井謹二郎に語ったというものです。

「僕は妹のとし子が亡くなってから、いつも妹を思ってやすむ前には必ず読経し、ずっと仏壇のそばに寝起しているのだが、この間いつものように一心に御経を読んでからやすむと、枕辺にとし子の姿がありありと現れたので、すぐ起きてまた御経を上げていると見えなくなった。次の晩もやはり姿が見え、二晩だけであとは見えなかった。人間というものは人によるかもしれないが、死んでからまた別の姿になってどこかに生を受けるものらしい。」

・このように宮澤賢治は、霊界や異界を見る特異な霊媒体質の持ち主であったからこそ、死後、賢治の詩や童話がこれほど(教科書に載る、映画やアニメになる、世界各国に翻訳される、など)高く評価され、またその真摯で献身的な生き方に多くの人々が共感し、今だに賢治の史跡をたずねて故郷の花巻を訪ねてくる老若男女は、あとをたたないのではないでしょうか。その生涯もまた、何度も演劇化・映画化されています。

<宮澤賢治をもっと知りたい人のために>

・この病床の中でも、農民たちの肥料相談を受けるなど無理をして、若くしてその生涯を閉じることになります。このように宮澤賢治の生涯は、無償の他者への奉仕――今で言うところのボランティア精神にあふれたものでした。

・ところで本書のテーマは、あくまで霊魂や死後の世界が本当にあるのだろうか………というものです。そのため、そうした体験をした著名人の文献や行動をつぶさに調べてまとめているうちに、いつの間にか人類への愛とか、他者への思いやりにあふれた人物紹介になっていることに気づきました。

 宮澤賢治にかぎらず、新渡戸稲造もそうですが、あの世や霊魂の存在を感じとられる人ほど、心やさしく他人に対して思いやりが深くなる傾向があるのかも知れません。

『『遠野物語』を読み解く』

 石井正己  平凡社     2009/5/16

<天狗伝説と寺や家の宝物の関係>

・維新当時、赤い衣を着た僧侶が二人、大きな風船に乗って六角牛山の空を南に飛び過ぎるのを見た者があったということを、佐々木は祖父から聞いています(拾遺235話)。「大きな風船」が気球であるならば、これは気球が遠野の上空を飛んだ話ということになります。実際に気球が飛んだ事実があったのかどうかは確かめられませんが、大きな風船の飛んだ話もあれば、飛行機の飛んだ話もあるというのは、着実に遠野の上空に近代文明が入り込んでいたことを表します。

・そもそも遠野で上空を飛ぶものと言えば、まず思い起こされるのは天狗でした。天狗は山に住む妖怪で、自在にあちらこちらを移動しました。早池峰山の前面に立つ前薬師には天狗が住むと言いますが、土淵村山口のハネトという家の主人はこの前薬師に登って、三人の大男に出会い、麓まで送ってもらったという話があります(29話)。

・「遠野物語拾遺」にも、天狗の話が二話あります。一日市の万吉米屋の主人が稗貫郡の鉛温泉に湯治に行って天狗と懇意になり、天狗は最後に来た時、「天狗の衣」を残して行ったそうです(拾遺98話)。もう一説は次のようになります。

99 遠野の町の某といふ家には、天狗の衣といふ物を伝へて居る。袖の小さな襦袢のやうなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗(かんれいしゃ)に似て要る。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔此家の主人と懇意にして居た清六天狗といふ者の着用であったといふ。清六天狗は伝ふる所に依れば、花巻あたりの人であったさうで、おれは物の王だと常に謂って居た。早池峰山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間に既に先へ来て居る。さうしてお前たちは如何して斯んなに遅かったかと言って笑ったさうである。酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それに幾らでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代にはよく錆びた小銭を以て払って居たといふ。此家には又天狗の衣の他に、下駄を貰って宝物として居た。右の清六天狗の末孫といふ者が、今も花巻の近村に住んで、人は之を天狗の家と呼んで居る。此家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んで居たことがある。此女は夜分如何に厳重に戸締りをして置いても、何所からか出て行って街をあるきまはり、又は人の家の林檎園に入って、果物を取って食べるのを楽しみにして居たが、今は一ノ関の方へ行って住んで居るといふ話である。

・先の万吉米屋の子孫は、実際、天狗の持っていた「衣」「下駄」「網袋」「弓矢」「掛軸」「湯呑茶碗」を保管してきましたが、今は遠野市立博物館に寄贈されています。

・遠野南部家は八戸から移封されてきましたが、その後も無関係ではなかったはずです。藩主と寺院、民衆との間には何の関係もなさそうですが、天狗を置いてみることで、隠れたネットワークが見えてくるように思われます。

『コレモ日本語アルカ?』    異人のことばが生まれるとき

金水敏     岩波書店   2014/9/11

<宮澤賢治の「山男の四月」>

・宮澤賢治の童話「山男の四月」は、有名な童話集『注文の多い料理店』(1924年刊)に収められている。「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」等、よく知られた作品がいくつも収められているなかで、「山男の四月」は今日、他の作品に比べてかなり知名度が低い。

・「山男の四月」の粗筋を振り返っておこう(「青空文庫」などインターネットで全文読むことができる。短い童話なので、ぜひご一読いただきたい)。

兎をねらって歩いていた「山男」だったが、兎はとれないで山鳥がとれた。日あたりのいい南向きのかれ芝の上に寝ころび、仰向けになって碧い空やふわふわうるんだ雲を見ていると、「なんだかむやみに足とあたまが軽くなつて、逆さまに空気のなかにうかぶやうな、へんな気もちに」なった。そして「雲助のやうに、風にながされるのか、ひとりでに飛ぶのか、どこといふあてもなく、ふらふらあるいて」七つ森までやってきた。まもなく町へ行くが、町へ入っていくとすれば、化けないとなぐり殺されるので、木樵のかたちに化けた。町の入り口にある、いつもの魚屋の前で章魚の立派さに感心していると「大きな荷物をしよつた、汚ない浅黄服の支那人」が支那反物か六神丸を買わないかと声をかけてきた。山男は「どうもその支那人のぐちやぐちやした赤い眼が、とかげのやうでへんに怖くて」しかたがない。買う買うと言うと支那人は見るだけでもいいと言い、さらに赤い薬瓶のようなものと小指くらいのガラスのコップを取り出して、薬をのめと言い、自分もかぷっと呑んだ。山男は支那人の指も細くて爪も尖っていてこわいと思ったが、薬をのんでしまった。すると自分の体が六神丸になって、行李の中にしまわれてしまった。行李の中には、先に六神丸にされた別の男もいて、話を始めた。支那人が静かにするように言うと、山男は逆に人前で「どなつてやる」と脅かした。支那人はそれは困ると泣き出した。山男はかわいそうになって、町に入っても声をださないようにすると約束した。別の六神丸にされた男は上海から来たと言い、外の支那人は「陳」という名前であることを教えた。また、そばにある丸薬を呑めば体も元通りになることを教えた。山男は、陳がひとりの子供にまた薬を飲ませて六神丸にしようとしているのに気づき、丸薬を呑んで元の大きさに戻った。陳はびっくりして水薬をのまずに丸薬だけ呑むと、背がめきめき高くなって、山男につかみかかろうとした。山男は足がからまわりし、とうとう陳に捕まれられようとしたとき、夢から覚めた。すべては春の日の夢の中の話だった。

 まず、この童話の主人公である、金色の目、赤い顔、赤い髪の毛をした山男とは何者か。山男は、この童話以外にも「祭りの晩」、「紫紺染について」など賢治の他の作品に登場し、また柳田国男の『遠野物語』(1910)でも幾度か触れられているように、東北地方の民間伝承につたえられる、人のようで人でない、妖怪のようなものである。『遠野物語』の山男が概して恐ろしい存在として語られているのに対し、「山男の四月」の山男は、にしね山で兎狩りをするが、兎はとれず山鳥がとれてしまい、でもそのことにすぐ満足してしまうようなのんびりした性格を持ち、町の人を恐れて木こりに化けるという小心なところがあり、また自分をだました「支那人」にさえすぐ同情してしまうような素朴な心を持った好ましい人格として造形されている。宮澤賢治自身の自我が投影されているところもあるのだろう。

『宮沢賢治の世界』(銀河系を意識して)

(斉藤文一)(国文社)   2003/3

<「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治と4次元>

・「<4次元感覚>賢治は法華経とアインシュタインの相対性理論を独自に統合したが、そういうものがミヤザワ4次元論である。ミヤザワ4次元論は、賢治の全作品と行動を貫く一本の柱であるが、また、古今の芸術と思想の中でも精神の高さと醇乎たる美しさにおいて注目に値すると思う」。

「賢治は4次元という言葉をよく使った。彼は、当時非常に流行した相対性理論にもとづく時空4次元論に関心をよせていたが、彼の4次元論は、単に自然界に対する解釈というにとどまらず、強く倫理的ないしは宗教的ともいうべき要請を含めて、彼の宇宙論の根幹にあったと思われる。

賢治の4次元論を要約すると、1、世界は時空4次元体をなしており、そこでは座標転換の法則が成立する。2、宇宙は、巨大なエネルギーの集積体であるとともに、一個の宇宙意識を持つ。3、生命は純化し、みんな昔からの兄弟であると共に、個我の意識も進化し、宇宙意志において一致する方向にある。4、宇宙感情が全ての個体を通じてまことの表現を持つとき、それが4次芸術である」。

「その背景は、アインシュタインの来日(1922年)とそれを契機とした相対性理論ブームがあげられよう。もう一つ、スタインメッツの相対性理論に対する解説書の英語原本を賢治は手に入れて研究したといわれている」。

『「新富裕層」が日本を滅ぼす』

金持が普通に納税すれば、消費税はいらない!

武田知弘 著  森永卓郎 監修  中央公論新社 2014/2/7

<必要なのは経済成長や消費増税ではなく、経済循環を正しくすることなのだ>

・世界の10%以上の資産を持っているのに、たった1億数千万人を満足に生活させられない国・日本、必要なのは経済成長や消費増税ではなく、経済循環を正しくすることなのだ。「富裕層」と「大企業」がため込んで、滞留させている富を引っ張り出し、真に社会に役立てる方策を考える。

<バブル崩壊以降に出現した“新富裕層”とは?>

・今の日本人の多くは、現在の日本経済について大きな誤解をしていると思われる。たとえば、あなたは今の日本経済について、こういうふうに思っていないだろうか?

・バブル崩壊以降、日本経済は低迷し国民はみんなそれぞれに苦しい

・金持ちや大企業は世界的に見ても高い税負担をしている。日本では、働いて多く稼いでも税金でがっぽり持っていかれる

・その一方で、働かずにのうのうと生活保護を受給している人が増加し、社会保障費が増大し財政を圧迫している

・日本は巨額の財政赤字を抱え、少子高齢化で社会保障費が激増しているので消費税の増税もやむを得ない

・これらのことは、きちんとしたデータに基づいて言われることではなく、経済データをきちんと分析すれば、これとはまったく反対の結果が出てくるのだ。

<消費税ではなく無税国債を>

<日本経済の最大の問題は「金回りの悪さ」>

・「失われた20年」と言われるように、日本の経済社会は、長い間、重い閉塞感に包まれて来た。アベノミクスで若干、景気は上向いたものの、消費税の増税もあり、今後、我々の生活が良くなっていく気配は見えない。

 なぜこれほど日本経済は苦しんでいるのか?

現在の日本経済の最大の問題は「金回りの悪さ」だと言える。

・政府は、財政再建のために消費税の増税にゴーサインを出した。しかし、消費税は「金回り」を悪くする税金なのである。消費税を導入すれば、もともと大きくない内需がさらに冷え込むことになる。また消費税というのは、国全体から広く浅く徴収する税金なのである。

・筆者は、お金の循環を良くして財政を再建するために、ある方法を提案したい。それは、「無税国債」という方法である。

<「無税国債」とは何か?>

・無税国債の狙いは、国民の金融資産1500兆円の中に眠る“埋蔵金”を掘り起こすことにある。

・実は無税国債にはモデルがある。フランス第四共和制下の1952年、時の首相兼蔵相のアントワーヌ・ピネー(1891~1994年)が発行した相続税非課税国債である。

 フランスは当時、インドシナ戦争で猛烈なインフレが起きて財政が窮乏していたが、時限的に相続税を課税しないピネー国債を出したところ飛ぶように売れ、ただちに財政が健全化して戦費の調達もできた。これをブリタニカ国際大百科事典は「ピネーの奇跡」と書いている。

<莫大な個人金融資産を社会に役立てることができる>

・ただ、この個人金融資産を社会に引っ張り出すのは容易なことではない。個人金融資産は、個人の持ち物である。これを勝手に国が使うことはできない。国が使うためには、合法的にこの資産を引っ張ってこなくてはならない。

 もっとも手っ取り早いのは税金で取ることである。しかし、個人金融資産に税金を課すとなると、非常な困難がある。というのも、金持というのは、税金に関して異常にうるさいからだ。国民の多くは気づいていないが、この20年間、富裕層に対して大掛かりな減税が行われてきた。個人金融資産がこれだけ激増したのも金持ちへの減税が要因の一つである。

<極端な話、無税国債は返さなくていい借金>

・個人金融資産は1500兆円あるのだから、750兆円を無税国債に置き換えるというのは、夢の話ではない。ちょっと頑張れば可能なことなのである。

 750兆円を税金で徴収しようと思えば、大変である。消費税率を10%に上げたとしても、20兆円程度の増収にしかならない。もし消費税によって財政の健全化をしようとすれば、税率15%にしたとしても40年近くもかかるのである。

・またもし税率20%にすれば、日本の国力は相当に疲弊するはずである。消費が激減し、景気も後退するだろう。そうなれば、予定通りの税収は確保できず、さらに税率を上げなくてはならない。日本経済はどうなることか……。

 消費税に頼るよりも、無税国債をつくる方が、どれだけ健全で現実的かということである。

<無税国債は富裕層にもメリットが大きい>

・そして無税国債の販売にも、そう問題はないのである。「マイナス金利の国債?そんな国債を買うわけはないだろう」と思う人もいるだろう。確かに、ただマイナス金利というだけならば、買う人はいない。しかし、この国債には、相続税などの無税という恩恵がついているのだ。

 これは富裕層にとって、かなり大きなメリットと言える。

<実は日本は社会保障“後進国”>

・あまり知られていないことだが、日本の社会保障というのは、先進国とは言えないくらいお粗末なモノなのである。

 本来、日本は世界有数の金持ち国なのに、社会のセーフティーネットがお粗末なために、国民は安心して生活ができないのである。

 今の日本人の多くは、「日本は社会保障が充実している」「少なくとも先進国並みの水準にはある」と思っている。

 しかし、これは大きな間違いなのである。日本の社会保障費というのは、先進国の中では非常に低い。先進国ではあり得ないくらいのレベルなのだ。

そして、この社会保障のレベルの異常な低さが、日本経済に大きな歪みを生じさせているのだ。日本人が感じている閉塞感の最大の要因はこの社会保障の低さにあると言ってもいいのだ。

・日本は、先進国並みの社会保障の構築を全然してきていない。社会保障に関しては圧倒的に“後進国”と言えるのだ。

・また昨今、話題になることが多い生活保護に関しても、日本は先進国で最低レベルなのだ。

・日本では、生活保護の必要がある人でも、なかなか生活保護を受けることができないのだ。

・日本の生活保護では不正受給の問題ばかりが取りあげられるが、生活保護の不正受給件数は全国で2万5355件である。つまり生活保護には不正受給の数百倍の「もらい漏れ」があるのだ。

<なぜ経済大国日本に「ネットカフェ難民」がいるのか?>

・日本では、住宅支援は公営住宅くらいしかなく、その数も全世帯の4%に過ぎない。支出される国の費用は、1500億円前後である。先進諸国の1割程度に過ぎないのだ。しかも、これは昨今、急激に減額されているのである。1500億円というのは、国の歳出の0.2%程度でしかない。

 フランスでは全世帯の23%が国から住宅の補助を受けている。その額は、1兆8000億円である。またイギリスでも全世帯の18%が住宅補助を受けている。その額、2兆6000億円。自己責任の国と言われているアメリカでも、住宅政策に毎年3兆円程度が使われている。

 もし、日本が先進国並みの住宅支援制度をつくっていれば、ホームレスやネットカフェ難民などはいなくなるはずである。

・日本は他の先進国よりも失業率は低い。にもかかわらず、ホームレスが多かったり、自殺率が高かったりするのは、社会保障が圧倒的に不備だからなのだ。日本の自殺率は、リストラが加速した90年代以降に激増しており、明らかに経済要因が大きいのである。

<税金の特別検査チームを!>

・税金の無駄遣いをなくし、必要な支出をきちんと見極める。

 そのためには、予算をチェックするための強力な第三者機関のようなものをつくるべきだろう。

 今の日本の税金の使い道というのは、複雑に絡み合ってわけがわからなくなっている。これだけ税金の無駄遣いが多発しているのは、税金の使途の全貌を把握している人がほとんどいないからである。

<平成の“土光臨調”をつくれ>

・今の行政制度、官僚制度ができて60年以上である。いや、戦前から続いている制度も多いので、100年以上になるかもしれない。

 同じ制度を100年も使っていれば、絶対に矛盾や不合理が生じるはずである。

<先進国として恥ずかしくない社会保障制度を>

・財界も参加した第三者機関により、社会保険料の徴収と分配も合理的に考えることができるはずである。これまで財界は社会保険料を取られるだけの立場だった。そのため、なるべく社会保険料を小さくすることを政府に要求し続けてきた。

・これまで述べてきたように、日本の社会保障制度というのは、先進国とは言えないほどお粗末なものである。

 しかし世界全体から見れば、日本はこれまで十分に稼いできており、社会保障を充実させ、国民全員が不自由なく暮らすくらいの原資は十二分に持っているのである。

 今の日本の問題は、稼いだお金が効果的に使われていないこと、お金が必要なところに行き渡っていないことなのである。

<「高度成長をもう一度」というバカげた幻想>

・バブル崩壊以降、国が企業や富裕層ばかり優遇してきた背景には、「高度成長をもう一度」という幻想があると思われる。

・そういう絶対に不可能なことを夢見て、やたらに大企業や富裕層を優遇し続けてきたのが、バブル崩壊後の日本なのである。

<今の日本に必要なのは「成長」ではなく「循環」>

・極端な話、景気対策などは必要ないのである。

 必要なのは、大企業や富裕層がため込んでいる金を引き出して、金が足りない人のところに分配することだけなのである。

・大企業や富裕層がため込んでいる余剰資金のうち、1%程度を差し出してください、と言っているだけなのである。

たったそれだけのことで、日本全体が救われるのである。

<国際競争力のために本当にすべきこと>

・バブル崩壊後の日本は、「国際競争力」という“錦の御旗”のもとで、企業の業績を最優先事項と捉え、サラリーマンの給料を下げ続け、非正規雇用を激増させてきた。

<無税国債は一つのアイデアに過ぎない>

・何度も言うが、バブル崩壊後、富裕層や大企業は資産を大幅に増やしている。その一方で、サラリーマンの平均収入は10ポイント以上も下がっている。

 国民に広く負担を求める消費税が、いかに不合理なものか。

・もう一度言うが大事なことは、一部に偏在しているお金を社会に循環させることなのである。

<日本の企業はお金をため込み過ぎている>

・この10年くらいの間に大企業はしこたま貯蓄を増やしてきた。「内部留保金」は、現在300兆円に迫っている。

<設備投資には回らない日本企業の内部留保金>

・「バブル崩壊以降の失われた20年」などという言われ方をするが、実は、日本企業はその間しっかり儲けていたのだ。

しかも、それに対して、サラリーマンの給料はこの十数年ずっと下がりっぱなし(一時期若干上がったときもあったが微々たるもの)である。リストラなどで正規雇用は減らし、非正規雇用を漸増させた。

<「日本の法人税は世界的に高い」という大嘘>

・しかし、実は「日本の法人税が世界的に高い」というのは大きな誤解なのである。日本の法人税は、確かに名目上は非常に高い。しかし、法人税にもさまざまな抜け穴があり、実際の税負担は、まったく大したことがないのである。法人税の抜け穴の最たるものは、「研究開発費減税」である。

<バブル崩壊以降、富裕層には大減税が行われてきた!>

・そもそもなぜ億万長者がこれほど増えたのか?

 その理由は、いくつか考えられるがその最たるものは、次の2点である。「相続税の減税」「高額所得者の減税」

 信じがたいかもしれないが、高額所得者は、ピーク時と比べれば40%も減税されてきたのである。

<実は、日本の金持ちは先進国でもっとも税負担率が低い>

<金持ちの税金は抜け穴だらけ>

・前項で紹介した大手オーナー社長のような「配当所得者」に限らず、日本の金持ちの税金は抜け穴だらけなのである。だから、名目上の税率は高いが、実際はアメリカの2分の1しか税金を払っていない、ということになるのだ。

<相続税も大幅に減税された>

・バブル崩壊以降、減税されてきたのは所得税だけではない。相続税もこの20年間に大幅に減税されている。

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