サン・ジェルマン伯爵が現れてから、見えない世界の聖白色同胞団には大いに助けられて、その後ずっと今まで仕事をしてきた。(1)
(2024/3/10)
『精霊の囁き』
山川紘矢、山川亜希子 PHP研究所 2017/12/28
・私たちがこの仕事を始めた頃は、精神世界などに興味を持つ人はほとんどいませんでした。それが今では、チャネラー、ヒーラー、スピリチュアル・カウンセラー、スピリチュアル・ブロガーなど、スピリチュアルに関する仕事をしている人たちが、急速に増えています。
<はじめに>
・私たち夫婦は、精神世界の本の翻訳という特殊な仕事をすでに30年以上も続けていますが、自分たちはバリバリの現役で、好きなように仕事をしているとずっと思い込んでいました。ところが2年前くらいから、いろいろな人たちが、私たちを「長老」とか「レジェンド」と呼ぶようになったのです。
<見えない力に導かれて>
<サン・ジェルマン伯爵との出会い>
・「アメリカ人の友達から電話があって、最近チャネラーになった人がいるので、面白いから会ってみないか、と言うのさ。電話したら、今日、仕事の後に会おうということになったので、会ってくるね」
・そのチャネラーはリア・バイアースという女性で、2週間くらい前にニューメキシコのチャネリングクラスに行き、そこで精霊からのメッセージを受け取るようになったとのことでした。その精霊はサン・ジェルマン伯爵と名乗り、それぞれの前世について、今という時代について、その人の役割についてなど、いろいろな情報を人々に与えていました。
そして夫もそこに呼ばれたのでした。そして、その精霊は次のように夫に伝えました。
「今は時代が大きく変わろうとしている。地球上の人間は今まで自分勝手に戦争をしたり自然を破壊したりしてきた。そして今や、人類は地球を滅ぼしてしまいかねない状態になっている。それでは宇宙全体が困るので、今、宇宙のすべての存在が人類の意識を変えるために、必死になって働いている。あなた方が訳した本、『アウト・オン・ア・リム』は人類の意識を変えるための大切な本であり、私たちがシャーリーに書かせたのだ。そして、あなた方に日本語に訳させたのも、私たちなのだ。さらに言えば、君をワシントンD.C.に送ったのも私たちの仕事だった」
「これからはどんどん世界が変わっていく。君たちは変革をになう役割を持っているのだ。これから大きな地震が起こって、カリフォルニアが沈むだろう。また、1989年には、ロシアに大地震が起こり、それが日本に影響して大きな洪水を引き起こすだろう…」
・頭で考えるとくらくらするような話でした。でも、私はなぜか、「これはきっと本当の話に違いない」と感じました。私はシャーリーと同じように、信じやすいおバカさんなのでしょう。そして、この話をワシントンD.C.のまだ明るい夕暮れの中で聞いている間に、私は自分が今までとは違う世界にいることに気づきました。それは精霊のいる世界、精霊と共に働く世界、今までの何倍も何十倍も大きく広い世界でした。
・『アウト・オン・ア・リム』の中でシャーリーは精霊と出会い、幽体離脱をし、「私は神」と叫び、ペルーの山の中でたくさんの神秘体験をしています。それは彼女が有名人であり、本を書くために必要だったことであって、私たちに起こることではない、と思っていました。でもその日、その時に起こったことは、まさにシャーリーに起こったことと同じでした。少なくとも、私もまた精霊と知り合いになってしまったのでした。
・その翌日、私はリアと会って、直接サン・ジェルマン伯爵と話すことができました。彼は私に言いました。
「今宇宙全体が地球人の意識を変えるために働いているが、地球人である君たちも一緒に働いてくれないとうまくいかないのだ。ついては、君たちと一緒に働いてくれないか?もちろん、いやだったらことわっていいよ。何しろ、これは大変な仕事だからね」
こんなことを精霊から言われたら、誰でも舞い上がってしまいますよね。私も舞い上がって、「はい、もちろんやります! 楽しそうだもん」、なんて答えていました。
<●前世を信じている僕>
・前世を信じるようになったのは『アウト・オン・ア・リム』を翻訳してから、まさか自分には起こるはずのないこと、つまり、見えない世界に存在する精霊との交信が始まったからである。
それ以降、それまでは全くあり得ないと思っていた見えない世界、異次元の世界の存在を否定できなくなった。そして見えない次元に存在する精霊から伝えられるメッセージを確かに受け取るようになったのだ。
はじめは信じられなかったが、「もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない」と思い始め、次第に、「輪廻転生は確実にある」と確信するようになっていったのだった。
・最初に僕の前世を教えてくれたのは1985年にアメリカのワシントンD.C.で出会ったリア・バイヤースだった。彼女はサン・ジェルマン伯爵という精霊からのメッセージを伝えることができる女性で、僕が中国人の革命家だったこと、次にロシア人でやはり革命家だったこと、その次にはアメリカ人の農民だったこと、そして今生、日本人として生まれたということを教えてくれたのだった。
荒唐無稽な話だったが、僕はとても興味にかられてどの時代の中国だったのか、どんな革命に遭遇して命を落としたのか、いろいろ調べてみたものだった。
・その後、亜希子がチャネラーとなり、聖白色同胞団の精霊と自動書記で交信するようになったので、聖白色同胞団やサン・ジェルマン伯爵などの情報を詳しく調べてみると、これらは決して荒唐無稽な作り話などではなく、歴史的にも多彩なエピソードがあるということがわかり、世界はさらに大きく広がっていった。
サン・ジェルマン伯爵などは、すでに18世紀のフランス革命当時に、フランス社交界に人間の姿をして現れていて、多くの人々が実際に会っていたとの記録がある。
・確かに輪廻転生の考え方、僕の前世の物語は、僕の意識の幅を広げてくれたのだった。自分の前世や輪廻転生から学んだことは、僕にとってはとても重要なことだった。
1、 人は身体ではなく、魂が本質であり、死がすべての終わりではないこと。
2、 男に生まれたり、女に生まれたりしている私たちは、男女平等であること。
3、 人種、国家、宗教、肌の色、職業など、数え切れない過去生の中で、すでに様々な体験をしてきたこと。
4、 人間はすべてが平等であること。
5、 私たちは過去に生きていた、別の国でも生きていたということを知ることによって、自分という存在が時間を超え、国境を越えて存在すること。そして、死ぬことは表面的なものであり、人間の本性である魂は死なないこと。
<リアの来日>
・そしてその後、ゆっくり手が動いて、英語でいろいろ伝えてくれました。こうして、私は自分では望みもしなかったのに、自動書記を通して、精霊の言葉を書き留める役割、つまりチャネラーになったのでした。そしてこの時もまた、私は自分がさらぶ未知の異次元へと分け入ったように感じました。
・そしてすぐに思いました。「チャネリングという能力はすべての人が持っている力だ。でもみんなその力を封印して忘れ去っている。これからはどんどん人々がこの力に目覚め始めるのだろう。私は少し早かっただけ」。そして、まさにこれは本当になりました。今では多くの人が宇宙の知恵袋から情報を受け取ることができるようになっています。
・それはそれで楽しいのですが、やはりちょっと不便でした。そんな時、私よりも少し早い時期からチャネリングを始めていた北川恵子さんに言われました。「精霊はどんな言葉でもできるはずだから、日本語でメッセージをもらいないさい」。そこで私は「日本語でメッセージをください」とお願いしてみました。すると精霊が答えました。
「私たちは日本語を聞くことと話すこと、読むことはできるけれど、まだ書けません。今練習しているので、しばらく待ってください」
・そしてすべての人に優しくすることこそが、守護霊に感謝することなのです。
<●喘息持ちの人生①>
・喘息はつらい病気である。アメリカ勤務が終わって、日本に帰ると、大蔵省の関税局の課長職を命じられた。しかし、喘息は徐々にひどくなっていった。発作が起こっていない時はごく普通の健康状態に見えるが、発作が起こると息ができなくなる。そして、いつ発作が起こるかはわからなかった。
<3年間の苦しみ>
・薬をやめ、お医者様に行くのをやめてしばらくすると、喘息のひどい発作が起こるようになりました。でも、薬を飲むことはできません。精霊は、「ただ水を飲むように」と言うだけでした。発作はとてもひどかったのですが、一日半苦しむと自然に治まる、ということがだんだんわかってきました。
この頃になると、夫は次第に仕事にも行けなくなり始めました。
・マクロビオティックという玄米菜食の方法があることは知っていましたが、私はそれをきちんと勉強したことはありませんでした。ともかく自然食品店を探してそこで野菜、玄米、調味料などを買うことにしました。調理法もわからないままで出発した菜食でした。
<『アウト・オン・ア・リム』発売される>
・夫の喘息も小康状態だった1986年2月初めに、いよいよ『アウト・オン・ア・リム』の日本語版が地湧社から発売になりました。
<精霊主導のセミナー開催>
・日立に出発する前の日、いつものように精霊のサン・ジェルマン伯爵からメッセージが来ました。ところがそのメッセージは、「もう私はあなたに教えることはすべて教えました。私はあなたの元を離れます。そして新しい精霊があなたを指導します」というお別れの言葉でした。
・そして翌日、日立に行く前にメッセージを届けてくれたのは、イタリアのアッシジの聖フランチェスコでした。彼は自分のことを英語名のセント・フランシスと称していました。とても慎み深くてやさしいエネルギーの持ち主でした。そして、第一回の記念すべきセミナーは、実際には彼の指導で行われたのでした。
・二人とも心配するのはやめて、精霊にすべてをゆだねることにしました。
・このセミナーを開いていた間に、夫の病気はどんどんひどくなっていきました。
<病気の進行>
・それからも夫の病気はますますひどくなり、発作を起こしていない時も、ゼイゼイと呼吸が苦しい状態になっていました。そして一度発作を起こすと、36時間、発作が続きました。しかもどんどんやせていき、いつ、死んでもおかしくない状態に見えました。
<●喘息持ちの人生②>
・僕たちは精霊の言いつけを守り、どんなにつらくても医者にも行かず、薬も飲まず、発作が起きると36時間、ほとんど呼吸ができなかったが、なんとか、持ちこたえて、日々の生活は過ぎていった。
<リーディングから学んだこと>
・当時は、前世を教えてくれるチャネラーは、他にはほとんどいませんでした。だからなんとなく、私はそれが自分のすべきことのように感じていたのです。我が家に来てくださる人全員にサービスしていました。
<●喘息持ちの人生③>
・喘息とは肺につうじている気管支が収縮けいれんを起こし、そこからネバネバの液体が湧き出し、気管支が詰まって息ができなくなる病気だった。
・そして、喘息が僕の人生を変えた。それは、初めからそうなるように人生のシナリオに書かれていたストーリーだったような気がする。僕の40代はそんなこんなで、喘息を友としながら、僕自身の人生も変えられていった。
<役所を辞める>
・ところが、駅の階段を上り始めると、2、3段上がったところで、夫が動けなくなりました。それを見たとたんに、私は「もう役所を辞める時が来た」とわかりました。そして夫もまた同じように感じて、悲しいわけではないのに自然と涙がにじみ出てきたのでした。彼はすぐに辞表を出して1カ月後に退職しました。
<●喘息持ちの人生④>
・当時は、まだ自分では喘息の恐ろしさに気づいていなかった。喘息が死を招くということもあったのに、自分で自分の病気をコントロールする術の心得もなかったのだ。
・僕たち夫婦には子供がいないから、当面は経済的にはなんとか食べていけることもわかっていたので、きっぱりと公務員を辞めることにした。「これから80歳まで、どのように生活していくのですか?」と人事課の先輩は心配してくれたが、「夫婦そろって英語もできますからなんとか食べていけます。大丈夫です」と説明した。
公務員を辞めれば、なんとか神さまも許してくれて、病気も治まるのではないかと心のどこかで思っていた。
<退職後の風景>
・退職した後は、何も気にせずに病気療養ができるようになりました。でもこれからどのように生きていけば良いのでしょうか?やはり翻訳を仕事にするしかないのでしょう。
<シャリーの本がベストセラーに>
・そんな時、アメリカのABCテレビで、『アウト・オン・ア・リム』のドラマミニシリーズが放映されました。
・『アウト・オン・ア・リム』はベストセラーになっても、せいぜい500万人が読むくらいです。ところがテレビドラマは偶然観てしまう人も多くて、視聴率が10パーセントあれば2000万人くらいの人が観ることになります。その広がりが本とテレビではまったく違うのです。
・すると、あっという間に、『アウト・オン・ア・リム』とその他のシャーリーの本がベストセラーになってしまいました。
<●人生の転機>
・誰のにも転機はあると思う。
その転機をうまく乗り切れば新しい人生が始まる。そして、それは生まれる前に決めてきたシナリオ通りだと僕は思っている。
<3年間の修行>
・夫の3年間にわたる闘病生活は、私たちの修行そのものでした。
<ついにお医者様に>
・もうこれで自然と回復するかと思ったのに、相変わらず喘息の発作は続き、日々の息苦しさも同じでした。その年も終わって、1989年のお正月、もうお医者様に行くべきなのだ、と思い至りました。
<再出発>
・やっと3年間の薬を飲まず、医者にも行かないという状態から解放されてから、私たちはよく外出するようになりました。
・喘息の3年間は、とてつもなく貴重な時間でした。夫は瞑想をずっと続けていたようなものでした。呼吸がうまくできずに、じっと静かにして呼吸に必死で意識を向けているよりほかなかったのでした。
<今度は私の番>
・夫が薬で喘息をおさえて、毎日ちゃんと呼吸をして過ごせるようになったとたん、私の心に変調が起きました。
・結局、2年半以上、1週間に2回、片道2時間半もかけて整体の治療を受けに行き、やっと腕が上がるようになりました。それと同時に、体力もなんとか戻ってきたのでした。
<精神世界の翻訳者として>
<1990年以降>
・そんなこんなの病気から、やっとの二人で抜け出した頃、1990年を過ぎていました。その頃には嬉しいことに、人は目に見えるだけの存在ではなくて魂なのだ、ということを知る人が、どんどん増え始めました。
<ドイツでの過去生>
・私はザクセン王国の宮廷付きの御用学者でした。一時は国王の寵愛を受けて我が世の春を謳歌していました。ところがしばらくすると王様は私に飽きてしまい、他の国からもっと優秀な学者を招きました。それが今の夫、紘矢さんだったのです。
<学びながら、体験しながら>
<エサレンとの出会い、そしてスピリットダンス>
・カリフォルニア州ビッグサーにあるエサレン研究所は、1962年に設立されたニューエイジムーブメントの発祥の地の一つです。
・現在、エサレン研究所は研究機関としての役割は終えて、スピリチュアルな教育機関として様々なワークショップを開き、世界中から多くの生徒を集めています。
<●スピリットダンス①>
・精霊から人生は楽しむこと、歌うこと、踊ること、そして幸せに生きることだと教えられている僕にとって、スピリットダンスは人生の大切なイベントだ。
・スピリットダンスの良いところはただ音楽に合わせて自分の身体が動くままに踊ること、身体の動きを楽しむこと、ステップを憶えなくても良いこと、ダンスのパートナーがいらないので気楽なところだ。そこが、面白くないという人もいるだろう。
<●スピリットダンス②>
・帰国した僕は家内と一緒に2000年12月に家の近くの玉川学園文化センターで、スピリットダンスの会を始めたのだった。
・スピリットダンスをやっているおかげで、僕はいつも良い音楽を求めてアンテナを張り巡らせている。
<バーラサイババのアシュラムに行きました>
・時々、バーラサイババは指輪を物質化して、参加者の誰かに与えました。
私もある晩、指輪をいただきました。彼が私の名前を呼び、空中で指をくるっとひねると、キラッと何かが光って指輪が現れました。
・彼は肉体を持った神さまだと言われています。ジブチ(白い神聖な灰)を出したり、または信者に祝福を与えて幸せにしたり、神さま的な要素も持っている方なのでしょう。
<人生を楽しもう>
<さて仕事>
・帰国すると、次の翻訳の仕事が待っていました。ペニー・ピアースの『人生を変える波動の法則』です。波動の法則は、2007年に出版された『ザ・シークレット』の「引き寄せの法則」を超える次の法則だと、ペニーは書いています。
・ペニーは、「あなた個人の波動が、理想の生活を作り出すための最も重要な道具なのです。エネルギーの波動が高く速くしっかりしていれば、人生はその人の運命に沿って楽々と流れていきますが、低く遅く乱れていると、問題や不満だらけの人生を生み出すのです」と本の最初で語っています。
<●引き寄せの法則①>
・『引き寄せの法則』はロンダ・バーンの著書『ザ・シークレット』が発端だった。日本での翻訳本の発売が2007年の10月であるから、もうかれこれ10年ほどになる。この間にどれほど多くの引き寄せ関連の本が出たことだろう。
・この成功の秘密を使って成功した歴史上の人物として、プラトン、シェイクスピア、ニュートン、ユーゴー、ベートーベン、エマーソン、エジソン、アインシュタイン等の名前を挙げて、彼女は彼らが使ったのは「引き寄せの法則」だったとした。
・そもそも、この「引き寄せの法則」は、21世紀になって初めてその秘密が明らかにされたということではなくて、「思考は実現する」という百年も前から言われていた法則を、表現を変えて、いかにもそれらしく、ロンダ・バーンがプレゼンテーションしたものだった。決して新しいものではない。
・引き寄せの法則は、欲しいものを頭でイメージして、あたかも手に入ったと実感すれば、何事も引き寄せることができるという優れた法則である。
・「自分自身が自分の人生を創造している」「自分の人生は自分の思い次第で、すべてを引き寄せられる」
・そしてまた、「引き寄せの法則」とは、「波動の法則」でもあること。あなたの出している波動に従って、同じ波動のものがあなたに引き寄せられてくるのだ。あなたは自分の波動を上げることによって、人生をより良く変えることができる。
・何か欲しいものを引き寄せよう、などという小さな欲望から、素晴らしい人生を創造しよう、ということになる。そのためにには、幸せになることだ。
<●引き寄せの法則②>
・さらには『ザ・パワー』で愛とは何かを学び、『ザ・マジック』では感謝を学ぶというように仕組まれている。愛と感謝を学べば、あなたの波動は自然に上がり、あなたの望むものすべてが、あなたに引き寄せられてくるだろう。あなたは幸せになる。これこそが『引き寄せの法則』の「秘密」なのである。
・僕が佐野美代子さんと知り合って、『ザ・シークレット』を翻訳するようになったということは、一体、どういうことなのだろう?僕は偶然ではなかったと思っている。この世には偶然は何ひとつない。このことがわかれば、人生は違ったものになるだろう。人は誰もが宇宙の神さまのエージェントなのだ、と僕は思うのだ。
<まだ自分を100パーセント許せない、愛せない私>
・「あなたは目を良くしたいのね。目を良くしたかったら、100パーセント、自分自身を許し、愛さなければ駄目よ。あなたはそれができる?」
<2011年3月11日、東日本で大地震>
・湯河原から帰って2日目、私たちは家でゆっくりしていました。午後、新聞を読んでると、激しい揺れにおそわれました。長く激しい揺れでした。
<第12の予言>
・ところがジェームズは、『第12の予言』の中で、このアセンションは2011年の春に起こると書いています。
・『第12の予言』の原書を読んだ時、ジェームズが言っている2011年の春とは、3・11のことに違いない、と思いました。
<2012年、金環日食、そしてアセンション>
・そして2012年12月がやってきました。その頃にはスピリチュアルに興味のある人たちは、いよいよアセンションがやってくると言って、大騒ぎでした。
<人生を自在に楽しもう>
・1月からは、数カ月前に知り合った皇村昌季さんから、ラージャヨガを習い始めました。洞窟で修行しているヨギが身体を鍛えるために行うヨガのこと、普通のヨガのように難しいポーズをしなくても、たとえば両手を合わせて力を入れて五呼吸、手を離して元に戻して五呼吸、というように、緊張と弛緩を繰り返すヨガです。
<●野菜作り>
・僕は家庭菜園が好きで、何か野菜を育てている心が満足するような気がする。
・僕の得意作物はサラダ菜だ、朝、ラジオ体操とウォーキングの後、畑でサラダ菜を摘んできて、取れ立てサラダにして食べる。とても健康的だ。
・作物は採れる時にはどっとなるけれど、長続きはしない。これまでも、畑で作物を作る僕なりの学習があった。EM菌農法もやってみた。高橋呑舟さんの「アートテン農法」も試してみた。
<すべてOK>
・そして、その日から、私の中の自己否定はほとんどなくなってしまいました。そして、私は完璧、このままでOK!という世界に移行できてしまったのでした。
<サイマーさん>
・私は母の言葉や行動によって大きなトラウマを抱えてしまい、そのことに気づき、そこから抜け出すために長年とても苦労してきました。そしてなんとか、母の呪縛から数年前にやっと抜け出すことができました。
これは私だけの問題ではありません。
<あーす・じぷしー、そして若者たち>
・多分、生まれながらに新しい生き方をするための力と思考を持っている人たちなのでしょう。クリスタルチルドレン、レインボーチルドレンなどといわれる、新時代の子供たちが大きく成長しているのでしょう。
<●自分を楽しませること>
・その老人は少年に、「お前が誰であろうと、今何をしていようと、何かを本当にやりたいと思う時、その望みは宇宙の魂から生まれたものだ。そしてそれがこの地球におけるお前の使命なのだ。お前が何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるものだよ」と言ったのだった。
さらに、「宝物を見つけるためには、前兆に従っていかなくてはならない。神さまは誰にでも道を用意していてくださるものだ。神さまがお前のために用意してくれた前兆を読んでいくだけで良い」とアドバイスしたのだった。
・いろいろな過去生の中で、人生設計をして、いろいろな体験をしたが、その目的は常に「目覚め」だったそうだ。僕の魂だけの特別な名前のような気はしない、すべての魂が目覚めるために輪廻をくり返しているような気がする。
それはさておき、彼女の僕に対するお勧めは、「自分を楽しませることをこれからもどんどんしていってください」ということだった。
<『アウト・オン・ア・リム』30周年>
・この仕事を始めてから30年たち、私たちも次のところに行く時なのでしょう。それと同時に、私たちは「長老」とか、「レジェンド」とか言われるようになりました。
<いつも元気で>
・たまに体調を崩すことはあっても、ずっと元気で過ごせることは有り難いの一言に尽きます。毎朝、公園でラジオ体操を町の人たちと一緒にやっているおかげでしょうか。
<●健康でいるために>
・日本人の平均寿命は、男性も女性も80歳を超えている。特に女性は87歳だ。日本は驚くほどの長寿大国になっている。
・また、平均寿命というものもあり、男性の場合、現在75歳の人は15年と計算され、90歳までは普通に生きられる時代になっている。何の根拠もないのだが、自分は百歳ぐらいまでは生きるだろう、と僕は思っている。
・肉体的な健康を保つためには、食事に注意すること。食べすぎずバランス良く食べることが大切。
・最近は不食の人も出てきている。人は食べなくても空気中からプラナー(エネルギーのこと)を取り入れることを学べば良いのかもしれない。まだまだ食べ盛りの身なので、バランスの良い小食を目標にしていきたいと思っている。
・6時半からはラジオ体操をして、その後は毎日決まったコースを3キロ、ウォーキング仲間と歩き、家の近くに借りている畑に寄って、季節ごとの野菜、サラダ菜などを採る。
・僕はアレルギー体質で喘息持ちであるが、一病息災だと解釈して健康管理の目安にしている。70代、80代になると、自分で健康管理をしっかりしているかどうかで健康状態に差が出てくるような気がする。なるべく自分に合った健康法を保持したいと思う。
今までいろいろな健康法を習ってきた。気功、呼吸法、ヨガ、断食
など。
・医者に頼るのではなく、呼吸法やヨガ、ダンス、ウォーキング、体操などで自己管理の方法を身につけることのほうがずっと大切だと思っている。
<おわりに――30年かかってわかったこと>
・「歌って踊って笑って、幸せに過ごしなさい」私たちが精霊からいただいた言葉です。
・サン・ジェルマン伯爵が現れてから、見えない世界の聖白色同胞団には大いに助けられて、その後ずっと今まで仕事をしてきた。この3次元の世界にも次から次へと援助者が現れて、いろいろ助けてくれたのだった。
1、 自分の人生は、すべて自分で創造している。自分の幸せを見つけることが、人生の目的だ。
2、 人には使命、目的があってここに存在している。使命とは、自分の本質、本当の自分自身を知ること。
3、 宇宙のすべては、神の意思によって執り行われている。
4、 見えない世界が確実に存在している。つまり、次元の違う宇宙が重なり合って今、ここに存在している。
5、 時間、空間は人間の頭の中にあるものであり、この宇宙も自分が創りあげたものである。その創造した宇宙の中で、今を大切に生きること。
6、 我々の本質は魂である。人生とは一時的に肉体に宿って、自分が体験したいことをしている。魂に「死」はない。
7、 魂は輪廻転生をして、身体、マインド、スピリットの体験を通して、自分が何ものであるかを学びながら、成長している。地球以外の星にいたこともある。そして、地球のあらゆる場所にいた。そして、今も旅の途中である。
8、 この世界にはいろいろなレベルの意識があり、互いに助け合って成長を続けている。
9、 今世の使命は、自分が目覚め、目覚めてからは、人々の覚醒の手伝いをすること。ちなみに僕の魂の名前は「目覚め」である。
10、 宇宙のすべては同じものでできている。それは愛である。
11、 成長とは、心の平和を築き、自然環境を守り、他人の目覚めを助けること。
12、 自分が本当にしたい仕事を見つけて、幸せになること。
13、 すべては一つに繋がっていること。
14、 何事にも偶然はないこと。
15、 自分を最大限、大切にすること。自分を受容し、許し、愛すること。
16、 人間の自由と尊厳を守り、平和な世界を創ること。
17、 信心深くなること。
18、 すべてのもの、すべての人に感謝すること。
19、 自分の人生は自分で学び、自分の人生に責任を持つこと。
20、 自分が知るることは宇宙のごく小さい部分である。謙虚な気持ちが大切。
まだまだこれからも大切な気づきがあることだろう。
・人生は歌って、踊って、笑って、喜び、楽しんで、自分らしく生きられれば良い、と今は感じている。それは健康であること。自分を大切にすること。感謝すること。無限に大きい宇宙という神から始まって、いつも頑張って働いてくれている37兆個もある自分の細胞、そして、目に見えない無限数の小さな菌類にまで感謝の気持ちを持ちたいと思う。
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