要注意なのは旅行者の大半が旅のスタート地点と定めるであろうデリーだ。インドに慣れていない外国人をターゲットにしている。とりわけニューデリー駅周辺に限っては、声をかけてくる人間は相手にしてはならない(2

<わずかな注意で防げるサギ被害>

<何十年も変わらない手口だが騙される日本人は多い>

<タイやインド、トルコなどではお金をだまし取るサギ師が非常に多い。怪しい連中の相手はせず、いっさい無視をすることだ。>

(ポイント)

1、 この世の中にうまい儲け話はない

2、 話しかけてくる人を簡単に信じない

3、 ひと息ついて状況を考えてみる

・アジアでは外国人旅行者を狙ったサギ事件が実に多い。

 とくに多いのはタイだ。有名観光地の王宮だとか安宿街カオサン通りあたりにたむろしているトゥクトゥクやタクシーが、まずきっかけをつくる。

・支払いでカードを使えばゼロをひとつ加えて決済されていたとか、カード情報を盗み出されてその後にスキミング被害に遭ったという人もいる。

<手口は古典的かつテンプレ的>

・トランプサギもタイをはじめ各地の「定番」だ。

・「こんなしょうもないサギ、だまされるわけないだろ!」と思うかもしれないが、実際に日本人旅行者が騙されまくっているのである。いずれの手口もきわめて単純・稚拙かつ古典的で、昔からガイドブックではページを割いて警告し、外務省の海外安全ホームページなどで詳しく解説され、またSNSやブログなどでも体験談が山のように出てくるのだが、それでも被害者は一向に減らない。

・海外邦人援護統計を再び見てみよう。2019年にサギ被害に遭った日本人は258人となっている。きわめて少ないと思うかもしれない。しかし実数はその何十倍にも及ぶと考えられている。海外邦人援護統計はあくまで「在外公館に助けを求めた」事例をカウントしたものだ。

<冷静になってみればおかしいと気づくはず>

・ほかにもサギはいろいろだ。「これから日本に旅行に行くので日本のお金を見せてほしい」なんて話しかけてきて財布を取り出させ、お金を抜き取る。歓楽街で「安くするから一杯だけ飲んでって」と言われて店に入ってみるボッタクリバーだった、なんてのも定番。

 ヨーロッパでは慈善団体を装った人間が話しかけてきて募金を強要するとか、強引にミサンガを腕に巻きつけたりバラを押しつけたりして代金を請求するとか、ニセ警官が話しかけてきて身分確認のためなどと言いくるめ、財布を出させてお金を抜き取るなんてケースも。

<危険地帯を知り尽くした男が実践する、海外を安全に旅する方法とは?  丸山ゴンザレス>

<スラム街など治安の悪い場所を旅してきたジャーナリストが、数々の経験と、独自の視点から安全確保の技術を解説する。>

<▼裏社会の取材で世界各地の危地を訪問>

・本気で「海外は危ない!」と思っている人もいることだろう。かつて安全と水は無料と謳われた日本の治安もいまや最上級に良いとは言えないので、単純に海外と比べられないところもあるが、それでも諸外国に比べたらまだまだ安全と言えるレベルかもしれない。そのため海外を旅する際、とくに旅の初心者にはそれなりのセキュリティ意識が求められる。

<▼命運をわけるのは最低限の「情報収集」である!>

・そのために必要なのは、まずは事前準備としての情報収集である。

 情報といってもいまどきは巷にあふれる量が多すぎるので、収集しようと思うと際限がない。私の視点で絞り込むとしたら、現地で起きがちな軽犯罪の事例を集めようにする。直面する確率が高いのはスリ、強盗、盗難、詐欺である。

・身近に潜む犯罪の事例を集めておくというのは、いわゆる体験談を収集することだ。Xでも個人ブログでも外務省の海外安全情報でもいい。その中でも体験談を読んでおくことがメインの準備となる。

・それ以外では、実際に巻き込まれたときのために旅行保険に加入し、渡航先の大使館の連絡先などを控えておくといった基本的なことはしておくべきだろう。

 私はクラウド上に保存したPDFデータをスマホなどで閲覧できるようにしておくだけでなく、電話番号をメモ帳に書き写したり、IDなどのコピーを紙に出力して保管することもある。

 手間を惜しまず、できることをやっておく。それが本当の意味で保険になることもあるからだ。

<▼「海外=日本」と考える思考を身につける>

・もうひとつ、危機回避に必要なことは「渡航先が外国であるという先入観の排除」である。

・最終的に「私が送ってあげましょう!」となる。なんなら「ホテルはキャンセルして私の知っているホテルか、私の自宅に泊まりなさい!」と詰めてくるのだ。

さて、これを親切な人(もしくはありがた迷惑な人)との出会いと取るかどうかだ。実際に海外で似たような経験をした人もいるだろうが、ほとんどが詐欺師だったりする。ホテルには現地人の友達が待っていて、何かしらのゲームに参加させられたり、よくわからないお店に連れて行かれた人なんかもいるのではないだろうか。そこで支払った無駄な出費や経験自体を勉強だと思って片づけることもできるが、そもそも最初の段階で断ってしまえばよかったのだ。

 だからどうやって断ればいいのかわからないという話かもしれないが、ここで大事なのは先ほど「渡航先が外国であるという先入観の排除」なのだ。

・とにかく「いまの状況が日本で起きていたら異常かどうか」。それだけを考えてみることだ。

・詐欺師にもレベルの差がある。人生を破壊するほどの詐欺に嵌めるやつもいれば、小銭稼ぎの詐欺師もいる。引っかかったのがどんな詐欺師だったのかで運命は別れていくのだ。

<▼危機を回避できる「歩き方」とは?>

・私が見つけ出した海外でのトラブル回避に効果的な実践ノウハウがある。こういうと期待値を上げてしまうかもしれないが、極めて単純で「普段より早く歩くこと」である。アメリカやヨーロッパ、アフリカなどの大都市で有効なことは確認しているが、おそらく多くの都市部で有効だと思う。

・少なくともこの気づきに到達して早く歩くことを実践するようになってから、トラブルに巻き込まれることは格段に減った。

・あとはとにかくスマホを見過ぎないこと。

・海外と日本は地続きである。もちろん地理的なことではなく心持ちの意味である。そのことを忘れないでいただければと思う。

<女性ひとり旅の旅先での安全対策>

<「声をかけてくる男」には警戒を 服装や、現地の文化にも気をつけて>

<なにかとトラブルが降りかかってくる女性のひとり旅。現地で自分の身を守るために、頭に入れておきたいこととは?>

(ポイント)

1、 気をつけるべきはナンパとセクハラ

2、 「笑顔の日本語」は危険のサイン

3、 現地の女性の習慣を真似てみる

・「こんな美しい人に会ったことがない」「あなたは私の運命の人」

 女性がひとりで旅をしていると、あり得ないことが起こる。マンガや映画でしか聞いたことがないような言葉を浴びせられたり、突然手にキスされたり、子どもにプロポーズされたり。

 強盗やスリに注意するのはバックパッカーとして基本の行為。まして力の弱い女性は男性より警戒しないといけない上に、こんなセクハラやナンパにも注意しないといけないので、大忙しである。

・いかにもナンパ師だったら警戒しようもあるが、困るのは「いい人のはず」が、実は違っていたというパターン。警官、軍人、ときには僧侶が突然チカンに変貌した、という体験を語る女性は多い。土産物屋の店主、リクシャやタクシーのドライバーなどが唐突にセクハラしてくることもある。

<最大の防御はふたりきりにならないこと>

・街のなかのナンパなら大声で「ノー!」と言えばほぼ撃退できる。ひとり旅の女性は基本的に目立つ。ほとんどの人はなんとなく気にかけ心配してくれて、ときにはナンパ師との間に入ってくれる。

 ちなみにしつこいナンパに困ったときに万国共通で頼りになるのは、物売りではないおばさんや子連れの家族、パリッとしたスーツ着用の男女。そんな人たちがいる方向にずんずんと歩いて行こう。

・最大の防御は極力、ふたりきりにならないことだ。「奥にいいものがある」と土産物屋が言い出したら「ここに持ってきて」と店頭で言う。ガイドが「あっちに秘密の見晴台がある」と遺跡の奥に連れて行こうとしたら周囲の観光客も誘う。タクシーやリクシャに乗っている間はグーグルマップを常に確認して、妙なルートに行き始めたら注意するかそこで下車してしまおう。

 一度警戒しだすと、ありとあらゆる人が怪しく見えてしまうが、旅先での人との接触をすべて遮断してしまうのももったいない。前述した通り、女性のひとり旅は現地でも目立つ存在。

・ちょっと乱暴な分けかただが、向こうから話しかけてくる人には警戒心を持とう。それが「笑顔」で「日本語」だったら、あなたをなにかのターゲットにしている可能性があり、黄色信号である。

<女性の地位が低い国ではとりあえず空気を読む>

・残念ながら世界には女性の地位が低かったり、行動制限がある国がまだ多い。

 戒律が厳格なイスラム教の国では全身すっぽり黒い布で覆わないといけないし、食事場所も分けられる地域がある。

・こういう国や地域で、ちょっとだけ滞在する旅人が男女平等を叫んでも無駄である。下手をすると自分の身に危険が及びかねないので、まずはガイドブックなどでその国の習慣を把握して、現地の女性がやっていないことはやらない、を心がけよう。

(2019/8/1)

『旅がなければ死んでいた』

坂田ミギー ベストセラーズ  2019/7/1

<旅マニア/エッセイスト/クリエイティブディレクター>

・年間旅行日数100日以上の旅マニア。20代でうつ病を患い、プチひきこもりになるも、回復期にインドを旅したらどうでもよくなり寛解。がんばったら幸せになれると信じて日々を生きるも、過労と失恋で「このままじゃ死ぬ」と気づき、命からがら世界一周へ。旅を機に立ち上げたブログ「世界を旅するラブレター」は、世界一周ブログランキング上位常連の人気ブログに。

<旅に出る前、わたしは社畜だった>

・朝から深夜まで働き、寝て起きてシャワーを浴びたら、また仕事。

 裁量労働制という名の、残業代の出ない定額働かせ放題システム。定額で使い放題なのは、データ通信量だけにしていただきたい。

 とはいえ、がんばっていればチャンスはもらえるし、貧乏性なうえ使う暇がないので、勝手に多少の貯金はできた。

・そうして数年が経ち、増える一方の仕事に埋もれていた、ある日、

 オフィスに3日連続お泊り中だった。自分の異変に気がつく。うれしくも悲しくもないのに、涙が止まらない。視界が滲んで、エクセルが読めない、使えない。エクセルのせいかと思ったが、フォトショップでも、ワードでも、結果は同じだった。それから、さらに数日後。

 変なものを食べたわけでもないのに、吐き気がした。

 トイレで吐いてびっくり。便器が真っ赤。

・このままじゃ精神も肉体もやられて、最悪死ぬ可能性もある。20代の数年をうつ病に費やしていた自分は、このまま沼にハマるとどうなるかわかっていた。

<出発早々プチトラブルに見舞われつつも、旅の初夜に手紙を放つ。(中国・北京)>

・中国の北京空港に降り立ち、荷物をかついでホテルの迎えを探す。

 出口で掲げられたネームカードをひとつずつ確認していくも、自分の名前が書かれたものは見つからない。あれ? おかしいな……ちゃんと予約したときに送迎もお願いしたのに。そう思ってホテルに電話を入れるも、英語が通じないまま切られてしまう。そうだ、ここは中国だ。

 大学では第二外国語で中国語を選択した。普通は2年間で終える過程を、落第してわざわざ3年間も学ぶくらい、中国語には慣れ親しんでいた。3年間も中国語を読み書きしていたのに「あなたのホテルから迎えが来ていません」の一言すら出てこない。あの3年間は一体何だったのだろうか。

 迎えに来てもらうのは諦め、タクシーに乗ってホテルへ向かう。

 到着後、フロントで再度「なぜ迎えに来なかったのか」と言うも、やはり英語が通じない。

 おたがいの言い分が伝わらないままワーワー言い合っていると、横から端整な顔立ちをしたカピバラのような好青年が現れて「どうしたのですか?」とニッコリ。事情を話すとカピバラさんは通訳をかってでてくれ、ようやくスタッフとの意思疎通ができた。

 どうやらホテルで問題が起きたらしく、迎えにいけるスタッフがいなくなってしまったらしい。

 しかし、そんなことを言われても、こちらはタクシー代を払うハメになったので「そうですか」とは引き下がれない。

 タクシー代を宿泊料から減額してほしいと話すと、値引きはできないが、このホテルで一番いい部屋にアップグレードするから勘弁してくれと言われる。

<UFOの飛来するスピリチュアルな街で起きたハプニング・ライフ。(ブラジル、アルトパライソ)>

・わたしはスピリチュアル派でもなければ、オカルト好きででもないのだが、おもしろそうなものがあると、ついつい手を出してしまう性癖がある。

 ブラジルには、UFOが頻繁にやって来ることで(一部のマニアのあいだでは)有名なアルトパライソという街がある。

 UFOなんぞ信じてはいない。見たことがないからだ。もしUFOを見ることができれば、それは価値観が変わりそうなくらいに、衝撃の出来事であることは間違いない。これは自分の価値観をぶち壊して再構築する旅なので、ぜひUFOを拝見せねば。

 UFOが飛来する街なら、もしかしたら宇宙人に会えちゃうかも。宇宙人はわたし好みの犬顔の男性の姿をしているかもしれないし、アメーバ状でローションのようなヌルヌル生命体かもしれない。

 運命の相手は、宇宙人。なんともいいストーリーではないか。それならば、いままで地球人とうまくいかなかったことも納得できる。

 UFOと宇宙人を目当てに、さっそくバスを乗り継いで、その街へと向かった。

・アルトパライソは、ヘンテコな空気が流れる街だ。街のあちこちにUFOのオブジェが置かれているし、壁にはたくさんのUFOの絵が描かれているし、UFOの御用達らしい公園(通称UFO公園)もあるし、UFO型の宿泊施設まである。

 アルトパライソは、南米におけるヒッピーと宇宙人のたまり場のような場所なのだと、全身タトゥーだらけのゲストハウスのオーナーは笑う。

 この街のUFO以外の娯楽といえば、滝である。

・映画館やゲームセンターのようなものはないが、滝だけはたくさんある。滝はどれもが美しい自然のなかにあり、観光案内所には滝マップが置かれていた。というより、滝以外に推せる場所やアクティビティがほとんどないので、観光案内所は滝案内所と化しているのだ。

 街のあちこちで行われている謎のイベントに精力的にでかけてみると、宇宙に声を届ける会(発声練習)だったり、宇宙を感じる会(瞑想)だったりした。

<シャーマンパワーは本物なのか ⁉ 幻覚剤アヤワスカ・トリップ、(ペルー。サンフランシスコ村)>

・わたしは目に見えるもの以外は信じてこなかったし、科学的に実証されていないものを疑って生きてきた。

 たとえば、霊感だとか、UFOだとか、超常現象だとか、神さまだとか。

 それは自分に実感がないせいだろう。霊感はないし、UFOは見られなかったし、超常現象なんて体験したこともないし、もし神さまがいるとするなら、この世はけっこう残酷な仕上がりだ。

 

・それでも、占い師やスピリチュアル・カウンセラーみたいな人が、本当に霊的なチカラがあるのかといえば、それはちょっと「?」と思ってしまう、へそ曲がりな人間、それがわたしだ。

・そんな自分の偏屈な部分をタコ殴りにしてみたいと、やってきたのがペルーのサンフランシスコ村だ。この村には数人のシャーマンが住んでおり、彼らは幻覚剤アヤワスカを使って、その人に必要なビジョンを見せるセレモニー(儀式)をしてくれるのだという。

 アヤワスカは、ホフマン博士が生み出した有名な幻覚剤LSDを遥かにしのぐ効果があるらしく、なんとその差100倍とのウワサだ。

 LSDの100倍もぶっ飛ぶといわれる強烈な効果のせいか、アヤワスカを違法とする國もあるのだが、ペルーでは合法。

 それもそのはず、アマゾン上流域のシャーマンは、古くからこのアヤワスカを使ったセレモニーを通じて、さまざまな精霊たちと交わり、そこで得られたビジョンを用いて村の行事を決めたり、争いごとを解決したり、病気の治療をしてきたのだ。

・サンフランシスコ村は、小さな空港のあるプカルパから、バイクタクシーで20分弱。そしてヤリナコチャの湖畔から、エンジン付きのボートで1時間半ほどであり、アクセスはそんなに悪くない。

 偶然リマから同じ飛行機でプカルパまでやってきた、スラリとしたイギリス人の美女タニアも、これからサンフランシスコ村で2週間ほど滞在して、セレモニーを受ける予定だという。

 以前イギリスでサンフランシスコ村から招待されたシャーマンの女性・リサのセレモニーに参加したところ、人生が変わるくらいにすばらしい経験ができたらしい。

・シャーマンと一括りに言っても、その質はさまざまだ。

 数年前にはセレモニーでオーストラリア人が死亡し、その死体が遺棄された事件があった。アヤワスカで酩酊状態の女性をレイプする極悪シャーマンだっている。

 少々マニアックなジャングルなので、最新のシャーマン情報を得るのも一苦労。これもなにかの縁だろうと思い、わたしもタニアと同じシャーマンのところでお世話になることにした。

 夜になり、命の気配がそこかしこにある紺色のアマゾンを、ボートが音を立ててすべっていく。

 アヤワスカセレモニーを希望する者は、そのセレモニー主のシャーマンと、同じ敷地に滞在するのが一般的だ。わたしたちの滞在する施設は、どんな感じだろうか。

・荷物を置いて、タニアとダイニングのある小屋へ行くと、そこではすでに10名の男女がキャンドルを囲んで談笑していた。全員がアヤワスカセレモニーのために世界各国から集まり、きょうからここに滞在するのだという。

 ちょうど自己紹介をしていたところだったらしく、われわれも仲間に入る、アメリカから来た男性3人組のほか、フィンランド、スペイン、オーストラリア、フランス、イギリス、チリ、ぺルー、そして日本と、グローバルな顔ぶれだ。

 アヤワスカの経験者は4人。リピートしたくなるようなすてきな体験なのだろうかと、期待におっぱいがふくらむ。

 リサのセレモニーを受けるために、ほぼ全員が2週間以上滞在する予定らしい。さながらアヤワスカ合宿だ。

・食事をとり、セレモニーに使うアヤワスカづくりをお手伝い。

 アヤワスカとは、アマゾンに自生しているツル植物の名前なのだが、実はアヤワスカ単体だけでは、十分な幻覚効果は得られない。アヤワスカをハンマーで叩いてほぐしたものに、緑の葉チャクルーナを加えて長時間煮込んだものが、幻覚剤アヤワスカと呼ばれている。

 昔の人はどうしてこの茶色のツルと、緑の葉をあわせて煮詰めると、幻覚剤ができるとわかったのだろうか。そんなことを考えながら、ボコボコとアヤワスカを叩き続けた。

・サンフランシスコ村のあるプカルパ周辺だけでなく、東に位置する街イキトスなどでも、観光客向けにアヤワスカ・セレモニーが行われている。イキトスでは一晩で何万円もする、ラグジュアリーな宿泊施設がいくつもあり、各国のセレブも数多く訪れていると聞く。シャーマニズムが、観光資源として使われるようになってきているのだ。

・開始時間は、明日の夜8時。リラックスすることがたいせつなので、締め付けのない服を着ること。濃い色の服は避け、できれば白い服が望ましいこと、嘔吐したくなったら我慢せずに、そばに置かれたバケツに出すことなどが告げられる。

・・それから参加者はひとりずつリサのもとへ行き、彼女から注がれたアヤワスカを1杯ずつ飲んでいく、

 自分の番になって、いざコップに入ったアヤワスカを見ると………量が多い。180ccはあるのではなかろうか。ドロドロで嗅いだことのない臭気をはっしている。

 気合いを入れて、一気飲みした。カカオを粘土の高い液状にして、仕上げに泥をぶち込んだような、なんとも表現しにくい味と臭い。絶妙なマズさだ。

・リサとそのとなりにいた男性のシャーマンが、ふぅと一息ついて、歌をうたいはじめた。シャーマンによって受け継がれている歌、イカロだ。

・目を閉じるとビジョンが見えやすいと聞いていたので、まぶたをかぶせると緑色のフラッシュがまたたく、ハッキリとしたモチーフが見えたり、劇的な変化が起こったりするのではないかと観察しているうちに……そのまま眠ってしまった。

・翌朝、わたしが起きたのを見つけると、近くにいたみんながハグをしにやってくる。

「どうだった、どんな体験だった」と次々と聞かれる。みんな自分の体験を話したくて、そしてほかの参加者の体験を聞きたがっていた。彼らの話を聞くと、ほとんどかなり深いところまでビジョン・トリップをしてきたようだ。

「ミギーはどうだったの」と聞かれるが、特に話せるようなことは起きなかったので、それを素直に伝える。

・前夜のセレモニーでビジョンが見えなかったのは、わたしとスウェーデンから来た学校教師のスーだけだった。

・もっとアヤワスカとシャーマニズムを体験したかったが、いまの自分にはビジョンよりも送られたモアイのほうがたいせつだ、きっと、いまはそういうタイミングだったのだろう。リサに礼を告げ、スピリチュアルな仲間たちに見送られ、後ろ髪を引かれながら、施設をあとにした。

<「当たり前」>

・学校や仕事を休んだり、辞めたりして、長旅に出ることも、いまは世捨て人だ、人生の落後者だと揶揄されるけど、そんなの超ナンセンスだし、こういう「当たり前」も、率先して時代錯誤としていきたい。

 こういう社会の「当たり前」を変えていくには、長い時間がかかるけれど、自分の「当たり前」は、案外どうにか変えることができる。

<サプライズ好きはインドに行こう。いいサプライズだけではないけれど。(インド、カソール)>

・「インドに行けば人生観が変わる」とか、「インドに行った人間は二種類に分かれる。大好きになるか、大嫌いになるかだ」などといったフレーズは、バックパッカーのあいだで、耳にタコができるほど繰り返されてきた。

 かくいうわたしの初インドは、大学の卒業旅行。タイとミャンマーを旅したのち、ひとりでインドへと流れ着いた。同級生たちが欧米でオシャレな旅行を満喫している裏で、わたしはインドで牛のウンコを踏んでいた。

・初のインド旅は、ひどい結果に終わった。到着3日目で高熱を出し、下痢と嘔吐が止まれなくなる、いわゆる「インドの洗礼」を思いっきり受けたのだ。

 ニューデリーの安宿街パハールガンジにある、ドミトリーのボロいベッドの上で、唸りながら毎日をすごす以外になす術はなかった。ドミトリーは5階にあり、安宿なので、もちろんエレベーターはない。バックパッカーの溜まり場的な街だというのに、このとき宿泊客はほかに誰もいなかった。この当時スマホはなく、スタッフはまったく掃除に来ないので、誰にも助けを求められない。

 

・買い置きしていた水と食料が尽きたとき、階段を下りることもできなかった瀕死のわたしは、窓の外から聞こえるインドの喧騒を聴きながら涙し「このまま他界するかもしれない」と本気で思ったものだ。

 数日後、真っ白な顔で死期を待っている宿泊客の存在に、ようやく気づいた宿の従業員が、水だのバナナだのを買ってきてくれ、一命はとりとめた。

 それから1週間経っても下痢が治らないので、いったんインドを離れようと安い航空券で香港に飛び、中華粥を食べて、静かなベッドで療養に専念。

 香港では、物乞いが大名行列のように自分に連なってくることもないし、客引きや詐欺師にマンツーマンでマークされることもない。もちろん牛のウンコも落ちていないしで、安心して歩けた。

・2度目のインドは最高だった。

 停電した街を歩いていたら牛のウンコで滑って転ぶし、リキシャー(人力車)から華麗に飛び降りたら、また牛のウンコを踏んだ。まだ下痢は治っていなかったが、薬局で下痢止めを買って飲んだら、強烈な効き目で便秘になった。

 なにもかもが過剰で、過激で、理解ができなくて、すっかりおもしろくなってしまったのだ。

 それからというもの、就職してからも頻繁にインドに通うようになった。

 インドは毎回、予想もできないようなサプライズをくれる。ダライ・ラマ猊下にお会いできたり、他殺体を見つけたり、落とし穴にハマったり、同時にふたりの旅行者から告白される謎のモテ期を迎えたり、死体が焼かれているのを見たり、適当な占い師が転職しろと言うので、それを真に受けて職を変えたりした。

・そして今回も例外なく、驚きの経験をさせていただいたのだ。

 警察による強制の持ち物検査、そして家宅捜索である。

 インド警察の腐敗ぶりは枚挙に遑がないレベルで有名なのだが、北インドの街、カソールの警察は、そのなかでも群を抜いて味わい深い酷さであった。

・重ねて驚くことに、彼らはこの2日後にも、また宿にガサ入れにやってきた。下着以外は汚れのない聖人君子(わたし)からは、なにも取れないと学習したらしく、完全にスルーされたものの、他の旅行者たちは懲りずに再度ネタを調達していたので、また荷物と部屋を隅から隅までひっくり返されては、いろんなものを没収されていた。

 ケルサンも買い戻したばかりのハシンを持っていかれたうえに、逮捕しない代わりの賄賂として、懐中電灯を取られていた。キミらも学習しなさいよ……。

 落ち込む友人たちをなぐさめるべく、夕飯を食べにいこうと歩いていると、サンダルがズルッとすべった。

 イヤな予感がしながら足元をみると、牛のウンコだった。

 インドでは足元に注意しながら歩かないといけない。わたしにも学習が必要である。

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