鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた(1)
(2024/3/25)
『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』
朝里樹(監修)、闇の中のジェイ(著) 笠間書院 2023/9/30
<鬼八 (きはち)>
・走健(はせたける)(または「はしりたける」と読む)、鬼八法師、鬼八三千王とも呼ばれる。鬼八は熊本県阿蘇の豪士とも、宮崎県高千穂蘭の里の部族の長、宮崎県二上山乳ヶ窟(ちちがいわや)を根城にしていた魔性の者ともされる。
・熊本県では次のように伝えられている。
阿蘇大明神こと健磐竜命(たけいわたつのみこと)は鬼八という豪傑を家来にしていた。健磐竜命は弓の名人であり、弓を射ることを楽しみにしていた。鬼八は空を駆けるように足が速く、また怪力を有していて、健磐竜命が射た弓を拾ってくるのが役目であった。
・放たれた矢を追って、鬼八は再び拾いに駆ける。これを99回も繰り返し、疲れて面倒臭くなった鬼八は拾った矢を足の指で挟むと、往生岳の健磐竜命に向かって蹴返した。鬼八の無礼な行いに怒った健磐竜命は刃を抜くと、鬼八を殺そうとした。その場を逃げ出した鬼八は根子岳(ねこだけ)のオクドを蹴破り、南郷谷のほうに抜け、穿戸
(うげと)を手で突き破って、矢部まで来たが、健磐竜命に追いつかれてしまった。矢で押さえつけられた鬼八は苦し紛れに屁を八回放った。屁に面食らった健磐竜命の隙をつき、鬼八は宮崎県三田井境の窓の瀬に逃げ、五ヶ瀬川を挟んで健磐竜命と戦うことになった。お互い岩や大木を投げ合って争ったが鬼八が負けて生け捕られた。健磐竜命はすぐさま鬼八の首を刎ねたが、切られた首が元のように繋がり、鬼八は生き返ってしまう。
・手や足を斬っても首と同様に切り口に再び繋がってしまう有様であった。そこで健磐竜命は首と手足と胴をそれぞれ離れた場所に埋めた。鬼八が斬り殺された場所が高千穂にある鬼八墓だとされる。残った鬼八の首であるが、斬首と同時に天へと舞い上がり、怨霊となった。六月の暑い時期になると、天から霜を降らせて、健磐竜命が作った作物を枯らし、九月には早霜によって稲を枯らした。多くの人々が食べ物に困るようになったため、健磐竜命は鬼八を阿蘇谷の真ん中に下宮として祀ることにした。阿蘇の霜宮の御神体は鬼八の首で、箱に入れられて厳重に封をしているという。この箱を開けて首を見ると目が潰れるとされる。秋口には鬼八の首を暖めるために火焚き神事が行われる。上役犬原(かみやくいんばる)、下役犬原、高原の三ヶ所の中から12、3歳くらいの少女が一人選ばれ、旧暦7月7日(8月13日とも)から59日間、霜宮の近くにある火焚殿の中に籠って火を焚き続けることで、鬼八の首の傷が寒さで疼かないようにするという。
・熊本県では健磐竜命の家来として語られていた鬼八であるが、宮崎県の伝説では異なる内容の話であっても一貫して悪者として描かれている。
鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた。
ある日、高千穂の十社明神である御毛沼命(みけぬのみこと)が塩井の池のほとりを歩いていると、美しい女に出遭った。御毛沼命は方々を尋ねて、この女が阿佐羅姫(あさらひめ)という名前で、凶賊である鬼八の妻であることを知った。阿佐羅姫は三田井の池に棲む龍女の化身だともされる。御毛沼命は阿佐羅姫を鬼八の元から引き離すために、鬼八と戦った。
・この際、夜になると、鬼八が岩屋の中に籠ってしまうため、御毛沼命は扇で夕日を留め、家路の途中の鬼八を急襲した。あるいは、虚空を駆けて逃げ回る鬼八を捕らえるために、神馬に乗って虚空を駆け、鬼八を斬ることができたとも語られる。御毛沼命に斬られた鬼八の死体は地中に埋められたものの、一夜経つと、たとえ手足が斬られていようとも元の姿で蘇り、再び姿を現した。
・蘇った鬼八に御毛沼命は思案に暮れたが、田部重高もしくは時田大臣という人が再び鬼八を退治した。この際に、鬼八の死体を分葬することにした。頭は加尾羽、手足は尾羽子、胴は祝部に別々に埋めた。こうして鬼八が蘇ることは二度となかった。御毛沼命が鬼八を斬った剣は鬼斬丸と呼ばれ、高千穂神社の社宝となっている。
・御毛沼命と鬼八の話であるが、阿佐羅姫が登場しないものもある。
高千穂の宮にいた御毛沼命(三毛入命)は兄弟たちとともに東遷のため、船で出発したが、強い風波に押し流され、本隊と離れてしまい、高千穂へ引き返すことにした。その頃、鬼八があちこちを荒らしまわり、人々を苦しめていたため、御毛沼命は鬼八を退治することにした。御毛沼命が高千穂に戻ってくることを知った鬼八は悪霊を呼び、先々で大雨を降らせることで御毛沼命の邪魔をした。御毛沼命が雨を止めるために天の神々に祈念したところ、たちまち雨は止んで、日が差しはじめた。高千穂に戻ってきた御毛沼命は苦心の末に鬼八を退治したという。
・また違う話では、十社大明神が鬼八を退治するために、右大臣富高、左大臣田部をはじめ、総勢44名で鬼八の根城である乳ヶ窟に攻め込んだ。窟の入り口を塞がれた鬼八は太さ一尺(約30センチ)
角、長さ一丈三尺(約3.9メートル)の石杖を持って、別の出入り口から逃走し、二上山を駆け下りて、三ケ所の内の口、諸塚(もろづか)、椎葉(しいば)へと逃げた。
・戦いの中で44名いた十社大明神の軍勢も大明神と富高、田部の三人のみとなっていた。三田井原で追い詰められた鬼八はとうとう討ち取られるが、八尺(約2.4メートル)四方の石を載せて埋葬したにもかかわらず、石を動かして蘇るため、鬼八の体を三つに切り分けて分葬したという。
・退治された鬼八であるが、蘇りはしなかったものの、祟りによって早霜が降り、作物が被害にあった。また、村の娘を生贄に出すよう要求してきたとも、祝部の前の塚に毎年生贄を捧げることで鬼八の霊を慰めることにしたともいわれている。
・生贄の娘であるが、戦国期に甲斐宗摂という人物が捧げる生贄を猪に替えたとされる。
(2014/9/9)
『鬼の風土記』
服部邦夫 青弓社 2006/8
<酒呑童子>
・この鬼の面から受ける印象は、“落魄した鬼”のイメージだ。現に国分寺の鬼夫婦は、人間夫婦に姿をやつして、下男下女の存在にまで身を落さざるをえない状況に置かれていたのである。大江山を根城として、一大王国を誇っていた頃の、あの華々しい鬼どもの存在ぶりから見ると、まるで嘘のようである。
・よろいかぶとに身を固めた頼光たちは、首尾よく酒呑童子をはじめ茨木童子、いくしま童子、とらくま童子、かね童子や門を固めていた十人余りの鬼どもをことごとく討ち果たした。
何々童子と呼ばれているこの鬼どもは、いったい何者であったか・・・。
・越後の柏崎地方に弥三郎婆の伝説があることは、高木敏雄の『日本伝説集』によって広く知られているが、良寛ゆかりのこの山にも、稚児をさらう弥三郎婆の伝説と酒呑童子の伝説が残っている。
・伊吹の弥三郎伝説が、15世紀初めに成った説話集『三国伝記』に収められていることを、佐竹昭広氏の著書によって知ったが、その『三国伝』によるとー伊富貴山に弥三郎という変化の者が栖んでいた。遠く関東や鎮西まで往還し、人家の財宝を奪ったり、さまざまの害をおよぼしたので、当国の守護である佐々木備中守源頼綱が勅命によって弥三郎退治に出かけた。頼綱は、摩利支天の秘宝や陰形の術を修得して、高時川で弥三郎を退治した。その後、弥三郎の怨霊が毒蛇に変じて水害をもたらしたので、悪霊をまつって井明神と号したという。
・お伽草子の「伊吹童子」の中では、弥三郎は近江国の大野木殿という有徳人の娘と通じたことになっており、いわゆる蛇聟入苧環(おだまき)型の求婚譚が展開されている。そして、弥三郎は大野木殿から好物の酒の接待にあずかって酒を飲みすぎたあげく命を落とすハメとなっている。その後、三十三カ月も胎内に宿って生まれた異形の子が伊吹童子である。運命の子は、大野木殿によって伊吹の山中に捨てられる、という“山中異常出生譚”として話が進行している。
・佐竹氏は、右の著書の中で伊吹童子が山中の“捨て童子”だったことから「伊吹山中の捨て童子は、後の酒呑童子である。シュテン童子の前身を捨て童子だったとする“伊吹童子”は、シュテン童子なる者の原像をはからずも露呈しているかのようだ」と指摘されている。
(2014/11/30)
『鬼がつくった国・日本』
歴史を動かしてきた「闇」の力とは
小松和彦・内藤正敏 光文社文庫 1991/11
<「東北」の怨念を語りつぐ「田村三代記」>
・それで、こういう中央とまつろわぬ者の関係、日本の過去における京都を中心とする光の領域と、東北に代表される闇の領域との関係を象徴的に表している『田村の草子』という坂上田村麻呂の一族をモデルにした説話があるので、ここで紹介してみたいと思います。
まず、田村利仁という人物が出て来て、妻嫌いをする。つまり、かたっぱしから縁談を断るんですが、ある日、大蛇が変身した美女を見初め、妻にする。女は妊娠し、自分の姿を見ちゃいけないといって産屋にこもる・・・。
・そう、タブーを破って見ちゃうわけ。それで、まさに「見たな」というわけで、「おまえは数年を経ずして死ぬが、子どもは英雄になる、覚えとけ」と預言して姿を消してしまうんです。
・それでね、いまの『田村の草子』には中央から見た鬼=まつろわぬ者のイメージがよく出ていると思うんですが、東北にも東北版『田村の草子』みたいなのがあるんですよ。『田村三代記』といわれているもので、話を簡単に紹介しますと、平安時代前期に都でまりのような光る物体が夜となく昼となく飛び回り、米俵、金銀、はては天皇への貢ぎ物まで持ち去ってしまうという騒ぎが起こるんです。
・未知との遭遇だね。第三種接近遭遇(笑)。
・そこで、陰陽師の博士に占わせると、伊勢国・鈴鹿山に天竺から来た魔王の娘である、巫女のいでたちをした立烏帽子というものがいて、日本転覆を計画しているという。しかも、日本にも立烏帽子におとらぬ鬼神である蝦夷の大嶽丸がいて、ほっておくといっしょになって攻めてくるというんです。で、そりゃたいへんだというので、田村利仁に追討を命じて、鈴鹿山に向かわせるんです。ところが、二万余騎の軍勢で探しても、立烏帽子は見つからない。そこで、魔の者に会うときは大勢で行くなという父利光の教えを思い出して、利仁一人を残して軍勢を返すと、三年以上たったある日、やっと立烏帽子を見つけるんです。すると、これがなんと紅の袴を着た歳のころは十六、七のピチピチのギャルちゃん。
・なんせ相手がかわいい女の子でしょ、さしもの田村丸も迷うんです。原文に「かようなる美麗なる女を討つとは何事ぞや。このうえはなかなか彼女にしたしむべきかと思召し賜えしが、いやまてしばし我心」とありますもの。
・ちょっと待て、だいたいそれで男は損しちゃうんだよね(笑)。そういえば、この『田村三代記』ってちょっとまえまで東北の座頭が奥浄瑠璃でやってたんでしょ。
・それでね、二人の戦いはなかなか勝負がつかないわけ。すると、立烏帽子が利仁の出自について語り始めるんです。それによると、利仁の祖父は星の子どもで、彼が龍と交わってできたのが父親の利光で、その利光が奥州の悪玉姫、これも鬼ですよ。それと契ってできたのが利仁だというんです。そして、田村三代は日本の悪魔を鎮めるための観音の再来だというんです。それで、自分は日本を転覆させにきて、蝦夷の大嶽丸にいっしょになってくれと何度も手紙を出したんだけれど、返事もくれない。でも、自分は女の身だからやっぱり男がいないとだめなの、あなたといっしょになって、二人で力をあわせて日本の悪魔をやっけようといいよるんです。
・それで、二人は結ばれて近江の高丸という鬼を退治するように命じられるんです。二人が攻めていくと、高丸は常陸の鹿島の浦(茨城県)に逃げてしまったので、立烏帽子は利仁を光りん車というUFOみたいな乗り物に乗せて飛んでいくんです。で、高丸を攻撃するときの戦法っていうのがまたSF的で、呪文をかけて十二の星を降らせて星の舞いをさせたり、一本のかぶら矢を打つと、それがビーム砲か散弾銃みたいに千本の矢先となって鬼神に降り注いだり…。結局、高丸は二人に退治されてしまう。
<連綿と続く東北独立国家への試み>
・『田村三代記』の主人公である田村利仁は、征夷大将軍の坂上田村麻呂と鎮守府将軍、つまり蝦夷に置かれた軍政府の長官であった藤原利仁とを合体させた人物なんだけど、彼は星の子どもと龍が交わってできた父親が、さらに悪玉姫という鬼と契って生まれたといわれるわけでしょう。龍と鬼という二重の異類婚によって生まれるわけですよね。その利仁が、立烏帽子という外来の魔性の女と交わって呪力を得て、蝦夷の鬼神の大嶽丸を倒す。これはまさに、まえに話した「異には異を」、「夷をもって夷を制する」という古代東北侵略のパターンそのものだと思うんです。
ただ、東北の『田村三代記』がものすごく伝奇ロマンっぽくなっているのは、京都でつくられた『田村の草子』が東北でもう一度再生産され、京都を他界として描いているからでしょうね。
<日本史のすぐ裏側に、闇の文化史――鬼の日本史のようなものがあるのではないか>
・『田村の草子』『田村三代記』については、すでに西村寿行氏が、それをネタにして傑作を書いておられます。これらとはり合うつもりの方、おられますか。おられませんか。
『鬼』
(高平鳴海/糸井賢一/大本穣司)(エーアイスクエア)1999/8
<鬼女の伝承>
・長野県戸穏の女盗賊(紅葉)(くれは)
各地の伝承でも能舞で語られる場合でも、絶世の美女であったと伝えられる。しかし、罪を問われて戸穏に逃れ、その後悪事を重ねるごとに醜い姿になっていった。一説には、その身長は3メートルほどもあったという。
・英雄を助けた鬼女(鈴鹿御前)(すずかごぜん)
どの伝承を見ても、絶世の美女だったと記録されている。鈴鹿山の鬼女も「女」で「盗賊」だったことから、立烏帽子と呼ばれるようになったと考えられる。
・御前は田村丸を「光輪車」という神通力で飛行する乗り物に乗せたかと思うと、瞬く間に内裏に降り立った。そして、光輪車で去っていった。
<熱き情念の化身>(清姫・(異名)白拍子、白拍子花子)
・和歌山県熊野地方の伝承。容姿については、伝承のパターンによって、ふたつ存在する。ひとつには夫に先立たれた寡婦(やもめ)で、イメージとしては妖艶な中年女性だろう。もうひとつは白拍子の少女の姿である。清姫といった場合、特にこちらの少女を指す。
さらに彼女は、全長10メートルもの大蛇に変身することができ、これが第三の姿と呼ぶこともできる。
清姫の物語は、熊野権現と関係が深く、その舞台は道成寺という寺である。主な登場人物は、清姫と彼女が恋焦がれる安珍という僧だ。
<目一つの鬼>
・日本最古の鬼は「目一つの鬼」で出自は「出雲風土記」だそうです。
酒呑童子、茨木童子、伊吹童子、八瀬童子、護法童子などのイメージは、人間タイプとモンスター・タイプが混ざるものが多いようだ。
<鬼はなぜ童子とよばれるのだろうか?>
・童子とは、つまり元服前の稚児を示す言葉だが、童子はいわば蔑称で、時の支配者らが用いた言い回しである。鬼は確かに人々を驚かしていたが、その力を認めたがらず、下っ端=目下の者=童子と呼んだそうです。
<日本の伝承に残る鬼として>
・桃太郎の鬼(温羅)(うら)
・蝦夷の鬼王(悪路王)(あくろおう)
・有明山(信州富士とも呼ばれる)の鬼族(八面大王)(長野県の伝承)
・黄泉より還りし悪鬼(大嶽丸)(おおたけまる)(三重県鈴鹿山近辺の伝承)
・霊の化身(鬼八法師)(きはちほうし)九山岳地帯の伝承
・飛騨の怪人(両面宿儺)(りょうめんすくな)
・「伊吹弥三郎」と「伊吹童子」の伝承(岐阜県北部伝承、日本書紀、御伽草子に登場)
近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。伊吹童子はその息子だという。
・天邪鬼(あまのじゃく)(人々に親しまれた小鬼)(和歌山県串本町の伝承)
・同胞を助けた「赤鬼」(せっき)、出自は安倍晴明物語。
<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より、
「鈴鹿御前の物語」
・現在一般に流布する鈴鹿御前の伝説は、その多くを室町時代後期に成立した『鈴鹿の草子』『田村の草子』や、江戸時代に東北地方で盛んであった奥浄瑠璃『田村三代記』の諸本に負っている。鈴鹿御前は都への年貢・御物を奪い取る盗賊として登場し、田村の将軍俊宗が討伐を命じられる。ところが2人は夫婦仲になってしまい、娘まで儲ける。紆余曲折を経るが、俊宗の武勇と鈴鹿御前の神通力 によって悪事の高丸や大嶽丸といった鬼神は退治され、鈴鹿は天命により25歳で死ぬものの、俊宗が冥土へ乗り込んで奪い返し、2人は幸せに暮らす、というのが大筋である。ただし、写本や刊本はそれぞれに本文に異同が見られ、鈴鹿御前の位置づけも異なる。
『異星人遭遇事件百科』
(郡純)(太田出版)(1991年)
<星座の名前は知的生物の姿?>
・星座の名称はこれまで単純に「星の形」とのみ関連付けて語られてきたが、近年その常識に見直しの気運が高まっているのは周知の事実である。
・星座の名称の由来は星の配列を似た動物にあてはめたとされるが、はたしてスバル(牡牛座)やシリウス(狼犬座)の配列が牛や狼の形に見えましょうか?これは他の星座すべてにいえることだが、(中略)星座の名称とは、その星座における代表的な知的生物を表現しているのではあるまいか?そして牡牛座と狼犬座の知的生物は、その名称通り「牛」と「狼」のような風貌をし、しかも、古くから交流があり、互いに月を前哨基地にして地球にも頻繁に訪れていた、と考えれば聖書を含めた多くの古代文献の記述も矛盾なく納得できるのである。
・ただ、異星人は単一の種族ではなく、様々な母星からきていたという立場に立つと話が違ってくる。人間をはじめ生き物はすべて異星人による被造物、と考えることが可能になるのだ。
・人間、牛、馬、鳥すべての動物は異星人がみずからの姿に似せて創造した。太古の書においては相互の「交配実験」も行われたのかもしれない。
(2023/8/15)
『山怪 朱』
山人が語る不思議な話
田中康弘 山と渓谷社 2023/1/30
・今回の取材では“神様”的な人たちの存在が興味深かった。彼らは人々の不安を和らげる存在でもあり、年寄りには大切な友であった。
<妖しの森>
<高尾山>
<蛸杉仙人>
・観光客はほとんど下山している時間だ。夕方になって山へ入る人は自殺の恐れがあり要注意、気になった彼女は一緒にいた二人の同僚に意見を求めた。「今の人さあ、声かけたほうがいいかねえ」「今の人って?」
「えっ、蛸杉の所にいたでしょ」
怪訝な顔をする2人、彼らには何も見えていなかったようだ。参道のすぐそば、蛸杉の横に座っていた老人の姿が。
「仙人みたいな感じでしたよ。髪も髭も真っ白で長いんです。麻の生成で作務衣みたいな感じの服でしたね」
現実離れした格好である。たぶんそれは蛸杉仙人なのだろう。
・この方は不思議な老婆にも遭遇している。或る日店頭で団子を売っていると一人の老婆がやって来た。「団子をください」
「金ごまですか?黒ごまですか?」「黒」
老婆からお金を受け取り釣りを出そうと一瞬後ろを向いたが……・
「いないんですよ、前見たら。参道に出て探したけどどこにもいませんでした」
<白い着物の女>
・森林インストラクターで高尾山のガイドもしているベテランの方にも話を聞いた。
・「生暖かくていや~な感じがするんですよ。森の中から何とも言えないざわめきも聞こえてきててね。“ガチャガチャ”いうんですよ。鎧ですね。鎧着た人の歩く感じですか」
森の中に鎧武者がいるのか?呆然と佇んでいると、辺りが白っぽい光に包まれていくのが分かった。
「あれは何でしょうかねね。不思議な光とも煙とも言えないぼわーっとした物に包まれたんです。そうしたら白い着物を着た女人が現れたんですよ」
白い服を着た女性の出現は各地でよく聞く。正体は山の神といわれるが、この場合は少し違うようだ。
「あの辺りには合戦が行われた場所でもあって、たくさん人が死んだんですね。だからいろいろと出てくるらしいですよ。ガイド仲間にその話をしたら、みんな結構みてるんですね。夜中に行けばほぼ会えるそうだから行ってみたらどうですか?」 断固お断りする。
<奥多摩>
<小さな狐が住みつく家>
・仕込み杖を持参するというのも凄いが、それで殴りつけるとは驚きだ。この時叔父さんが倒れ込んだ家は狐がいる家として地域で有名な存在。狐がらみと考えた親が仕込み杖を持参していたのだろうか。
「昔は医者が遠くて具合が悪くても寝ているしかないんです。そうしたら婆さんが“狐たかり”じゃ言ってね。まずは家の外で空鉄砲を撃つんですよ。それでも良くならないと祈禱をしてもらう、そんな時代ですね」
悪霊退散のために空砲を撃つ習慣が昭和まで残っていたのである。叔父さんが駆け込んだ狐のいる家は代々山伏の系統で、さまざまな困り事に対して祈禱を行い対価を貰っていた。専業の拝み屋さんである。
・檜原村で狐がさまざまなことをやらかすのは東北と共通するものがある。悪さをする狐を避けようと家にはお札を貼っていたそうです。
「東京の王子稲荷神社のお札です。年会費を払ってそのお札を頂くんですよ。それを貼っていましたね」
<闇女>
・「集落に“狐憑きのおじさん”がいて、それで大変な騒ぎになっているって言うんです」
何でも近所の人が獣のような唸り声を上げて飛び回っているらしい。家族や近所の人も集まって取り押さえたが、どうするべきか思案した。
「狐憑きだと言うんで御嶽神社からお札を貰ってきたんです。それを布団の下に敷いて憑きものを追い出そうとしたんですね」
武蔵御嶽神社の眷属はニホンオオカミである。その護符を当人に知られぬようにそっと布団の下に敷き込んだのだが………。
「不思議ですよねえ、その人知らないはずなのに、布団には絶対に近づかなかったそうですよ」
・「数人で確認作業をしていたんですよ。そうしたら一人が“うわあ、なんだこれ! 気持ち悪いなあ”って声を上げたんです」
その声に皆が集まり画面を覗き込んだ。モニターに映っていたのは若い女性の姿だった。画像には撮影時間も記録されている。
「真夜中なんですよ、それが。登山道でも獣道でもありませんそこは。昼間でも人が入らない場所ですね」
林道からは遠くないというが、夜中に女性が一人でやって来るとは思えない。おまけに女性はライトも持っていないのである。真夜中の森の中に灯りも無しに入る人がいるとは驚きだ。「その人の格好が普通なんですよ。町中にいるような感じでね、顔も至って普通なんです。だから余計に怖かった」
・山の中で女性に会うことが怖いと言う人は多い。奈良県下北山村のベテラン猟師は、集落内で夜すれ違う女性には肝を冷やしている。知り合いしかいない地域で目も合わさず挨拶しない女性が、この世の者とは思えないと言うのだ。
<奥秩父・丹波山村>
<白い犬と不思議な人>
・雲取山の山腹にある山小屋、三条の湯の三代目である木下浩一さんも不思議な人を見かけたことがあるそうだ。
「最近の話ですね。山で作業をしていたんですよ。何気なく反対側の斜面を見たら人がいるんです。青い服着た男でしたね」
木下さんが変だと感じたのは、その人がいた場所だ。道からはかなり離れているし山菜やキノコが採れる斜面ではない。なぜ男がそこにじっと佇むのか理由は分からなかった。
<二度と行かない>
・例のゴルジュ(峡谷)を迂回するには今自分が歩いた所以外に思い当たらない。先回りをしたのか……いやそれは不可能だ。なぜならその女の子は着物姿だったから、それも白装束である。とても山の中を歩ける恰好ではない。ではあれはいったい……。
目の前に佇む女の子はただじっとこちらを見つめるだけである。Aさんは落ち着くように自分に言い聞かせながらその場を離れた。無事に駐車場まで戻った時には全身の力が抜けるのを感じたのである。
<電報配達人>
・これは昭和初期の出来事である。或る日急に叔母さんが異常な行動をするようになった。家の内外をぴょんぴょんと飛び回り、顔つきも尋常ではない。
「目が吊り上がってね、こりゃあ狐が憑いとるということになったんですよ」
これは大変だというので近所でも有名な神様(拝み屋さん)を呼ぶことにした。白装束の神様は締め切った居間で狐を燻し出す作戦である。真ん中で杉の葉や唐辛子を燃やしながら必死の祈禱を続ける。この時、部屋は完全に締め切ってはいなかった。きちんと狐の逃げ道を確保していたのである。しばらくは神様と狐の攻防が続き何とか追い出すことに成功した。「ほら、これを見ろ」
神様に指されたのは土間に点々と残る狐の足跡だった。あらかじめ土間には家の前を流れる川から集められた砂が敷かれ、綺麗に箒目を立てて掃き清められていたのである。
<妙義山中之嶽神社>
・「ここではポンポン音が聞こえることがよくあるんですよ。狸ですか?いや狸じゃなくて天狗の鼓とか言いますね。ポンポンポン、ポポポンて感じで、それがあちこちから聞こえるんです。昔は頻繁に聞こえたんですが、あの震災以来減りましたねえ」
<越後・魚沼>
<奇妙な人?たち>
・山の中で得体の知れない音が聞こえるのはよくあることだ。山怪話の定番とも言えるだろう。目黒さんも不思議な音に遭遇したことがある。
・目黒さんはこの音の正体を動物だと思うことにしている。本来動物の動きと人間の藪漕ぎはかなり違い、ベテランの山人が間違うことはほとんど無い。
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