「原因と結果の法則」は、私たちが思い、行うことと同質の結果を、必ず私たちにもたらしてくれます。このことを身をもって知った瞬間、あらゆる恐れと不安が、私たちの心から去っていきます。(1)

(2024/7/24)

『「原因」と「結果」の法則』 【ベーシック版】

ジェームズ・アレン  サンマーク出版  2005/3/18

・行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。

・心は創造の達人です。そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて、自分の人生をつくりあげています。

・私たちを取り巻く環境は、私たちの心の中身を映し出す鏡のようなものにすぎません。

<はじめに>

・「私たちの人生は、私たちの思いによってつくりあげられている」

・私たちは、自分自身が選び、めぐらしている思いによって、自分の人生をつくりあげています。

<思いと人格>

・私たちの人生は、「原因と結果の法則」という不動の法則にしたがってつくられています。

<人生をつくる法則>

・「人は誰も、心のなかで考えているとおりの人間である」とは、昔からよくいわれることです。これはまさしく真実であり、人格ばかりでなく、人生全体にあてはまる言葉です。私たちは、自分が考えているとおりの人間として、考えているとおりの人生を生きているのです。

・植物は種から芽生えます。それは、種がなければあらわれることができません。そして、私たちの行いもまた、心のなかでめぐらされる思いという種から芽生えます。

・心の中の思いが、外側の人生をつくりあげている。私たちの人生は、私たちの思いによってつくりあげられている。私たちの心が、悪い思いで満ちているとき、私たちは、いつも痛みがつきまとう。

雄牛を悩ます荷馬車のようにして、もし私たちが、良い思いばかりをめぐらしたなら、私たちには、喜びばかりがつきまとう。私たち自身の影のようにして。

・私たちの人生は、「原因と結果の法則」という不動の法則にしたがってつくられています。

・人格も、いうまでもなく思いの結果です。

<体験を通じて知る真実>

・私たちは、自分自身の思いによって、自分をすばらしい人間につくりあげることもできれば、堕落させてしまうこともできます。

・「私たちは自分の思いの主人であり、自分の人格の作者であり、自分の環境と運命の設計者である」

・私たちは、つねに自分自身の主人です。

・私たちがそうなるためには、まず、自分自身の内側に目をやり、すべての原因は内側にあるのだということを知らなくてはなりません。

・「人間は自分の人格の作者であり、自分の環境と運命の設計者である」

・「求めよ。さらばあたえられん」という法則があなたのために機能し、はじめるのは、そのときからです。

<思いと環境>

・あなたの環境は、あなた自身の心を映す万華鏡です。それは、刻一刻と姿を変え、あなたの心の中身をさまざまな形で見せてくれます。

<偶然は存在しない>

・人間の心は庭のようなものです。

・「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者である」

・ここでいう環境とは、目に見える世界、つまり、接触する人々や発生する出来事もふくめた、私たちを取り巻くあらゆる状況を意味します。

・ですから、私たちの人生のなかには、偶然というものは存在しません。私たちの人生のなかには、私たちが満足している状況も、不満を感じている状況も存在していますが、とにかくあらゆる状況が、「原因と結果の法則」という不動の法則に正確にしたがって、姿をあらわしたのです。

<あなたの心が引き寄せるもの>

・私たちは、どんなときにも、自分がいちばん進歩を果たしやすい環境にいます。

・私たちが生まれついた環境さえも、そもそも私たち自身が設計したものです。私たちの本質は心であり、心は新しい人生を開始するとき、やはり「原因と結果の法則」にしたがって、その中身にふさわしい、それ自身の進歩に最適な肉体と環境のなかに、生まれ変わってくるからです。

・人生は環境によって決まってしまうと考えている人は、環境によって打ち負かされる運命にあります。

・自分の心をしっかりと管理し、人格の向上をめざしつづけている人たちは、「自分の環境を設計するのは自分の思いである」ということを知っています。

・心は、それ自身が内側で、くり返しめぐらしつづけているものを引き寄せます。

・良い思いは良い果実を、悪い思いは悪い果実を実らせます。

・「原因と結果の法則」は、あらゆる場所で機能しています。

<自分自身を改善すれば>

・環境は人間を変えません。私たちの環境は、私たちの心の中身をさまざまな形で教えているだけです。私たちは、自分の思いの主人であり、自分の人格の作者であり、自分の環境の設計者なのです。

・私たちは、自分がたんに望んでいるものではなく、自分の人格にふさわしいものを引き寄せます。良い思いばかりをめぐらしている人が、悪い道に落ちて苦悩する、などということは絶対に起こりませんし、悪い思いばかりをめぐらしている人が、すばらしい目標を達成して真の幸せを感じる、などということも絶対に起こらないのです。

・私たちが獲得できるものは、私たちがたんにほしいと願い、祈るものではなく、正当な報酬ととして受け取るものです。

・「原因」を放っておいて「結果」に戦いを挑んだところで、勝てるわけがありません。その「原因」は、意識的にめぐらされている意地悪な思いかもしれませんし、無意識のうちにめぐらされている、ずるい思いかもしれません。

・この自分自身を改善することこそが、よくいわれる「自己犠牲」というものの真の意味です。

・自分自身を意欲的に改善しようとしている人は、めざす目標の達成に、けっして失敗することがありません。

<なぜ願いがかなわないのか>

・彼は、豊かになるための方法をまったく知らず、貧しさから抜け出すために行うべきことを、何ひとつ行っていません。

・ここに、暴飲暴食がたたって慢性の重い病気にかかっている、金持ちの男がいます。

・ここに、自分の繫栄を願い、従業員の給料を不当に安くしている雇い主がいます。でも、そんな人は、まったく繫栄するに値しません。

・ただしその傾向も、自分の心と人生のなかで機能している「原因と結果の法則」を意欲的に観察しつづけることで、徐々に消える方向に向かいます。

・ただし、環境はとても複雑です。そこには、個人のさまざまな思いがあらわれています。何が幸せかも、個人によってまちまちです。

<苦悩の正体>

・完璧な善人になったことのない人に、「あまりにも善人すぎると、苦しみが絶えない」などということが、どうしてわかるのでしょう。

・良い思いや行いはけっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いはけっして良い結果を発生させません。

・苦悩は、つねに、なんらかの悪い思いの結果です。

・完璧に清らかな人間は、苦悩を手にすることがありません。

・私たちに苦悩をもたらす状況は、私たち自身の悪い思いの結果です。

<法則と調和して生きる>

・私たちは、自分の人生のなかで機能している不動の法則の存在を知り、それに自分の心をしたがわせはじめたときから、真の人間として生きはじめます。「原因と結果の法則」は「正義の法則」です。それはつねに、私たちに心をきれいにするようにといいつづけています。

・そのとき私たちは、「原因と結果の法則」に刃向かうのではなく、それと調和して生きるようにしさえすれば、悪いことなど何ひとつ起こらないということを知っているからです。

<意地悪な思いを捨てたなら>

・あらゆる種類の悪い思いが、誤った行いとして、つづいて、苦悩に満ちた、不愉快な環境として姿をあらわします。

いっぽう、あらゆる種類の良い思いが、正しい行いとして、つづいて、明るい快適な環境として姿をあらわします。

・心のなかでくり返しめぐらされる思いは、たとえ良いものでも悪いものでも、心と環境のなかで、それ自身と同じ性質の結果を必ず発生させるのです。

・私たちは、自分の環境を直接はコントロールできないかもしれません。でも、自分の思いは完璧にコントロールできます。

・もし私たちが、意地悪な思いを捨て去ったなら、そのときから世界中が私たちにやさしく接し、私たちを応援しはじめます。

・あなたの環境は、あなた自身の心を映す万華鏡です。

・あなたは、あなたがなろうとする人間になる。野蛮な心は、失敗の原因は環境だと叫ぶかもしれない。しかし、気高い心はそれをたしなめ、つねに穏やかである。気高い心は時間をしたがえ、空間を征服する。

それは、偶然というほら吹きの詐欺師をおびえさせ、環境という専制君主から王冠を奪い、意欲的に奉仕する。人の重い、その見えないパワー、その不滅の心の子孫は、いかに分厚い岸壁をも貫き、目標への道を切り開く。遅い歩みのなかでも、忍耐を忘れてはならない。理解する者として待つことだ。気高い心が立ち上がり命じたならば、神々は必ずそれに応えてくる。

<思いと健康>

・完璧な肉体は、完璧な心によってつくられます。健康を取り戻したいなら、心をきれいにすることです。

<きれいな心と肉体>

・私たちの肉体も、私たちの環境と同じく、私たちがめぐらしつづける思いを色濃く映しだします。

・肉体は、心のなかでめぐらされる思いに、とてつもなく敏感に反応します。

・不純な思いは、たとえ行いとして表にあらわれなくても。神経系に大きなダメージをあたえます。いっぽう、清らかな思いは、生き生きとした美しい肉体をつくりあげます。私たちの思いは、それが良いものでも悪いものでも、それと同質の結果を、肉体のなかでも確実に発生させるのです。

 人間は、不純な思いをめぐらしつづけているかぎり、不純な血液を手にしつづけることになります。

・いくら食生活を改善しても、心がよごれていたのでは、ほとんど効果がありません。でも、つねに清らかな思いをめぐらせるようになったとき、人間はもう、病原菌を恐れる必要さえありません。食べ物に気を使う必要もなくなります。体に悪い食べ物を自然に食べなくなるからです。

 きれいな心は、きれいな習慣をつくります。

・完璧な肉体は、完璧な心によってつくられます。健康を取り戻したいなら、心をきれいにすることです。

<清く正しく生きること>

・清く正しく生きつづけている人たちにとって、老化はとてもゆるやかで穏やかです。

・楽しい思いは、どんな医師よりも上手に、肉体から病気を追い払います。善意は、どんな心理学者よりも上手に、顔から苦悩の影を追い払います。

・いっぽう、つねに愛に満ちた思いをめぐらしながら、あらゆる人に好意を抱き、あらゆる人と楽しく接し、あらゆる人のなかにある良いものを探しつづけているとき、人間は天国への道を歩いています。

<思いと目標>

・目標を定めることです。自分にふさわしい、可能なかぎり大きな目標を、明確に設定することです。

<心が強くなるために>

・思いと目標が結びつかないかぎり、思いの真のパワーは発揮されません。

 目標をもたないことは、舵のない船に乗っているようなものです。

・目標を定めることです。自分にふさわしい、可能なかぎり大きな目標を、明確に設定することです。

・とにかく人間は、つねに明確な目標を心に抱き、その達成をめざすべきです。

・目標をめざす過程で、さまざまな失敗を繰り返したとしても、日々の努力を通じて強くなった心は、未来の成功にまちがいなく役立ちます。失敗は、たとえどんなものでも、輝かしい未来に向けた新しい出発点にほかならないのです。

<まっすぐな道を描く>

・大きな目標を見つけられない人は、とりあえず、目の前にある自分がやるべきことに、自分の思いを集中して向けるべきです。

・私たちの目標の達成を、ほかの何よりも激しくさまたげるものは、私たち自身のそれと不安です。

・恐れと不安は、私たちをつねに失敗へとみちびこうとします。

<恐れと不安が消え去ったとき>

・私たちを目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。恐れと不安は、その信念にとって最大の敵です。

・でも、私たちはそいれらを追い払うことができます。自分の思いをコントロールする作業を通じて、自分の心と人生のなかで機能している「原因と結果の法則」を自らの手で発見することによってです。「原因と結果の法則」は、私たちが思い、行うことと同質の結果を、必ず私たちにもたらしてくれます。このことを身をもって知った瞬間、あらゆる恐れと不安が、私たちの心から去っていきます。

・恐れと不安が消え去ったとき、人間の心は強力なパワーで満ちあふれます。

・私たちの思いは、目標と勇敢に結びついたとき、無敵のパワーとなります。

<真の成功>

・私たちは、真の意味の自己犠牲を払うことがないかぎり、どんな成功も果たせません。

<ほんとうに悪いのは自分>

・私たちが人生のなかで果たす成功も、そこで味わう失敗も、私たち自身がめぐらす思いから生まれます。

・結局、私たちの人生はすべて、私たち自身がつくりあげているのです。

<真の成功を果たすためには>

・深い知恵の光を当てさえすれば、独裁者が誤ってもちいているパワーと、奴隷のようにして生きている人たちの弱さが、同じ法則にしたがって、とてもよく似た結果を引き起こしていることがわかります。

・それは、心が「原因と結果の法則」を知らないために、無意識のうちにその法則に刃向かってめぐらしている、誤った思いであり、どんな良い結果も生み出しません。

・私たちは、自分の心から悪い思いを追い払う努力をつづけることで、弱さ、絶望、苦悩のなかから抜け出せます。

・私たちは、真の意味の自己犠牲を払うことがないかぎり、どんな成功も果たせません。

<成功をつづけるためには>

・「原因と結果の法則」は「正義の法則」です。ですから、たとえ表面的にはどのように見えても、欲ばりな人間、不正直な人間、身勝手な人間を、けっして助けません。

・そして人間は、どんなにすばらしい成功を果たしても、悪い思いにふたたび身をまかせることで、弱さと苦悩のなかに舞い戻ってしまうことがあります。成功をつづけるためには、警戒が欠かせません。

・成功を果たせないでいる人間は、自分の悪い思いを追い払おうとしていない人間、すなわち、真の意味の自己犠牲を払おうとしていない人間です。

<未来のビジョン>

・あなたの未来は、あなたが見つづける未来のビジョンにもとづいて築かれます。気高い理想を抱くことです。

<理想を抱くこと>

・理想家たちは、この世界の救い主たちです。

・理想家たちは、すばらしい未来の設計者たちです。

・気高い理想を掲げ、そのビジョンをしっかりと見つづけている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。

・理想を抱くことです。そのビジョンをしっかりと見つづけることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しくひびくもの、あなたが心から愛することのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。そのなかから、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。

・気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来の予言者です。

<ある若者が見つづけたビジョン>

・夢は現実の苗木です。この世界でこれまでに達成された偉業のすべてが、最初はたんなる夢にすぎませんでした。

・そして、人間の美しいビジョンのなかでは、それを実現させようとして、天使たちがせわしなく働いています。

・彼はいま、未来の輝かしい人生を夢見ています。未来の理想的な環境を、心にしっかりと描きあげています。

・ついに彼は、若者のときに抱いた自分のビジョンを現実のものとしました。いまや彼は、理想のひとつになったのです。

<あなたが受け取るもの>

・あなたもまた、自分がしっかりと見つづけるビジョンを、たとえそれが美しいものであっても、そうでないものであっても、いつしか現実化することになります。なぜならば、あなたは、あなたがもっとも愛しつづけているものへと、つねに引き寄せられることになるからです。

・あなたの手には、つねに、あなたの心の中身と同質のものがもたらされることになります。

・あなたがしっかりと見つづけるビジョンは、あなたを、必要な努力、必要な行動へと強く駆り立てます。明確なビジョンは、それを見つづけている人間に、それを現実化するために行う必要のあることを正確に教えてもくれます。

・あなたはいま、帳簿つけをしているかもしれない。しかしまもなく、扉の外に足を踏み出すだろう。あなたの理想への歩みは、もう誰にも止められない。

・あなたはいま、ノコギリとカンナを手に、家の改造に取り組んでいるかもしれない。しかしやがて、それらを下に起き、あなたの世界の大改造に取りかかるだろう。

<理想の人生へ>

・とても多くの人たちが、表にあらわれた「結果」だけに目を奪われ、その背後に存在する「原因」をみようとしないために、あらゆる偉業を、幸運、運命、あるいは偶然などという言葉で片づけようとしています。

・彼らは、それらの幸運な人たちが流しつづけてきた「血と汗と涙」の部分にはけっして目を向けません。

・でも、大多数の人たちは、そういったいわば「影」の部分には、目もくれようとしません。

・あらゆる真の成功が、気高い目標と正しい努力の結果であり、そこにはいかなる偶然もありません。

・あなたの未来は、あなたが見つづける未来のビジョンにもとづいて築かれます。

<穏やかな心>

・穏やかな心は、このうえなく賢い心であり、黄金以上に価値のあるのもです。

<穏やかになればなるほど>

・穏やかな心は、このうえなく美しい知恵の宝石です。自分の思いをコントロールする努力をねばり強くつづけてはじめて身につくもので、これには、気高い人格と「原因と結果の法則」に関する正しい理解が、つねに寄り添っています。

・私たちは、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。どんな仕事でもうまくいくようになります。穏やかな人間とは、誰もが喜んで関わりたいと思う人間であるからです。

 このうえなく穏やかな心は、このうえなく強い心です。

<人生という海には>

・完璧に穏やかな心は、真実の海のなか、水面から遠く離れた、どんな嵐の影響もおよばない、永遠の静けさのなかに住んでいます。

・嵐に飛ばされている魂たちよ、あなたがたが、いまどこにいようと、どんな環境で生きていようと、このことを知ることだ。人生という海のなかには、あなたがたに、つねに微笑みかけている、至福の島があり、そこでは、明るい日の光が舞う美しい海岸、あなたがたの理想が、あなたがたの到着をいまや遅しと待ちわびている。その手を、心の舵の上にしっかりと置きつづけることだ。あなたがたの心の帆船のなかでは、その船の船長が静かに体を横たえている。彼はいま、眠る以外のことは何もしていない。

彼を目覚めさすことだ。

・自分の思いをコントロールすることは、強くなることです。

・「静かにしていなさい。穏やかにしているのです」

<訳者あとがき>

・『「原因」と「結果」の法則』はビジネス書に分類されてはいますが、アメリカでは家族がみんなで読む本としても、高い人気を得ているようです。

(2019/7/10)

『ヒマラヤ大聖者の幸運を呼ぶ生き方』

「与える人」が最も豊かになる

ヨグマタ 相川圭子 廣済堂出版    2017/9/15   

<シェアし与える生き方>

・与えるだけで、あなたの「力」が引き出される――

5000年の時空を超えた秘教の叡智が伝える神秘のルール

<あなたの与えたものが、あなたの受け取るもの>

・日本は素晴らしい国ですね。経済的にも豊かで、平和で快適です。

でも、ふとした瞬間、むなしさを感じることはありませんか?

疲れてしまうことはありませんか?

国連の「世界幸福度レポート」(2017年度版)を見ますと、日本は、幸福度では世界54位だそうです。自殺者の数も、今も多いままです。

 私のところにも悩みを抱えた方が、数多く相談にいらっしゃいます。

・けれど、欲は、新たな欲を引き寄せるものです。

 何か一つ得れば「もっと「もっと欲しい」、また何かを得れば「もっと」と、欲望にはキリがありません。そして欲望は、「あの人のほうがもっと多く持っている」と他者を妬んだり、「あの人には負けた」と他者と比較してコンプレックスをつくるなど、さまざまな悩みや苦しみを生み出す原因となってしまうのです。

・今までの生き方ではほんとうの幸せが得られるのでしょうか。そろそろその生き方を変えるときなのです。

 ほんとうの幸福を願うなら、思い切ってこれまでとはまったく反対の生き方をしていくのです。「欲しい」「もっと」と何かを得ようとする生き方ではなく、シェアし与える生き方にシフトチェンジするのです。

・でも「与えたら、自分のものが減ってしまうのでは………」と心配ですか?確かに、現実の目に見える世界では、たとえばコップの水を半分確かにあげれば、半分に減ってしまいますね。これまでの考えですと、そこで「損をした」とカッカし、相手のことを「遠慮を知らない人だ」などと内心腹立たしく思ったかもしれません。

・そんなあなたにぜひ知っていただきたいのが、ヒマラヤ秘教の叡智です。

 ヒマラヤの聖者は、サマディと呼ばれる究極の悟りを得て、宇宙の真理を体験しました。そして、私たち人間の内側にひそむ真の幸福につながる秘密の鍵を発見したのです。

 その教えの一つによれば、宇宙には、ある確かな法則が存在するのです。それは、「与えたものと同じ質のものが返ってくる」という法則です。

あなたが感謝を与えれば、感謝が返ってきます。

あなたが愛を与えれば、愛が返ってきます。

与え続けることで、コップの水は減るのではなく満たされ続けるのです。

・これは「カルマの法則」といって、宇宙(神)の普遍的な真理であり、ただ一つの例外もありません。逆にいえば、自ら与えなければ、何も得られないということです。

・小さな親切を積むのもいいでしょう。困った人に手をさしのべるのもいいでしょう。つねに愛と感謝と思いやりを、まわりの人に与えましょう。

見返りを期待せず人に尽くし、良きことのために喜んでお金をつかいましょう。

 与えたことで、神の愛と祝福が注がれます。

 宇宙が全力であなたのサポートに動き出すのです。

 突然夢が叶ったり、思わぬところからチャンスが運ばれてくることもあるでしょう。心から信頼し合える仲間やパートナーと巡り会うかもしれません。

 無理してがんばらなくても、自然に思い通りの人生を生きられるようになるのです。

 本書では、そんな与える生き方の智恵をお伝えします。

・私、ヨグマタは、あなたにサマディからの愛をシェアします。

<ほんとうに大切なものを与える>

<損得ばかり考えていませんか?>

・お金を「もっと欲しい」と思うのも、「汚い」と毛嫌いするのも、どちらも執着です。

・ハーバード大学のある研究では、「人生の目標は何ですか?」という問いに対し、約80%の人が「富を手に入れること」と答えたそうです。

・ととえば、そんな過去の経験があると、お金にまつわるさまざまな体験の記憶がカルマとなっています。そして、「お金がなくなったら幸せになれない」という恐怖や、「もっと欲しい」という飢餓感につながってしまうのです。

・中には、「お金は汚いもの」「卑しいもの」と毛嫌いする人もいます。

 親がギャンブルに手を出したことで苦労した、お金で人の態度が変わるのを見せつけられたなど、お金に関するネガティブな体験によって「お金=悪」というレッテルを貼ってしまっている人もいるかもしれません。

 こんなふうに人それぞれの体験によって、お金に対する感覚は違ってきます。

 おかねを「もっと欲しい」と思うこと、そして「汚い」と毛嫌いすること。いずれにしても、どちらも自分の思いの投影であり、執着です。

・お金そのものは、良いものでも悪いものでもありません。

 正しくつかうことで、個人や社会全体を豊かにするありがたいものなのです。たとえば、自分の才能を伸ばしてそれを人にシェアします。その対価として、お金をいただくのです。そして、それを社会に還元します。さらには、その収入の一部を、人を救済している会や、社会が良くなり人が幸せになる活動をしているところに寄付するとよいでしょう。

・今の世の中では、必要以上に拝金主義がはびこり、それが幸せどころか、人々を苦しめているようです。

 お金に執着し、翻弄されてはいけません。まずは、愛と誠実さを持って、与えられた仕事を一所懸命行いましょう。そして、能力、優しさ、思いやりなど、自分の中からいいものを出していくと、お金は自然についてくるでしょう。

 私の道場では、成功するための秘法のディクシャがあります。それを受けることでより富の力が開花します。また、高次元の存在とシッダーマスターを信じることで、あなたの願いが神に届いて叶い、奇跡が起きます。しかし、その願いは利己的なものであってはなりません。

<いちばん大切なお金を捧げることで執着がはずれます。そして「与える」回路が開きます>

・私たちは、裸で生まれ、裸で死んでいきます。

 いくら「欲しい、欲しい」と何かを追い求め、自分のものにしたつもりでも、いざ死を迎えて旅立つとき、あの世へ持っていけるものは何一つありません。

 すべては神からいただいたものであり、自分に属するものはありません。この肉体でさえ借り物なのです。

・けれど、人はなかなか執着を手放せません。「これは自分のものだ」と所有した気にならないと安心できないのです。だから、ついかき集めてしまいます。人に与えるのが惜しくなってしまいます。

 こうした執着を手放すのに、最も効果的なのがお金を差し出すことです。

 お金は、人がいちばん大切だと思っている、いわば欲望の象徴です。そのいちばん大切なものを捧げるからこそ、効果は絶大です。

 意識はたちまち変容します。かかえ込み、減らないように防衛しようとする執着が剥がれ、神の祝福をいただいて、与える、分かち合うエネルギーに変わるのです。

・その結果(ほんとうの自分)とつながりやすくなり、本来誰もが持っている自分の中の神性の扉が開くのです。

 そのため、ヒマラヤ秘教では、「お布施」や「浄財(寄付)」の形でお金を差し出すことは大切な修行の一つと考えられています。

 そしてもう一つ、功徳という良いエネルギーが蓄積される「奉仕」があります。「奉仕」がカルマを浄めるのに大切な行です。人に親切にし人を救うのです。

 そして、本拠地インドの信仰深い人々は皆、深い信仰心を持ち、寺院やマスターにお布施や寄付を行っています。

 それが執着やむさぼりの心を取りのぞく神聖な行為だと、皆、知っているからです。 

 寺院のまわりにはいつも大勢の人々が集まり、お金やものをお布施したり、ちょっとしたお供え物を捧げたりします。

 奉仕は誰もが休日や晩に泊まり込んで、寺院の掃除や、修行者や僧のための食事づくりなどを手伝って労力を差し出します。

 また、布施を進めます。新しい寺院の建立はつねに、人々の心の浄化と神に出会う意識の進化の修行として、積極的に行われています。寺院の運営や貧しい人への施しにつかわれていきます。

 そして、その寺院は人々の祈りの場であり、魂のよりどころとして尊ばれていきます。

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