僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた、自然に、フィジカルに、そして実務的に。(1)

  『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹    文藝春秋  2007/10/12 <選択事項としての苦しみ> ・真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしないという金言がある――というのは真っ赤な嘘だ。僕がさっき適当に作った。すみません。しかしもしそういう言葉があったしたら、「健康法を語らない」というのも、紳士の条件のひとつになるかもしれない。たしかに真の紳士は自分の健康法について、人前でべらべらしゃべりまくったりはしないだろう。そういう気がする。 ・しかし、言い訳をするみたいで恐縮だが、これは走ることについての本ではあるけれど、健康法についての本ではない。僕はここで「さあ、みんなで毎日走って健康になりましょう」というような主張を繰り広げているわけではない。あくまで僕という人間にとって走り続けるというのがどのようなことであったか、それについて思いを巡らしたり、あるいは自問自答しているだけだ。 ・手間のかかる性格というべきか、僕は字にしてみないとものがうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。 ・走ることについて正直に書くことは、僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった。途中からそれに気がついた。だからこの本を、ランニングという行為を軸にした一種の「メモワール」として読んでいただいてもさしつかえないと思う。 <2005年9月19日  僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた> ・9月10日に、カウアイ島をあとにして日本に戻り、2週間ばかり滞在する。日本では東京の事務所兼アパートと、神奈川県にある自宅を車で行き来する。もちろんそのあいだでも走り続けているわけだが、久しぶりの帰国なので、なにしろいろんな仕事が手ぐすね引いて待ち受けている。それをひとつひとつ片づけていかなくてはならない。会わなくてはならない人も多い。だから8月ほど自由気ままには走れない。そのかわり空いた時間をみつけては長い距離の走り込みをする。日本にいるあいだに二度20キロを走り、一度30キロを走った。1日平均10キロ走るというペースは辛うじて維持されている。 ・坂道練習も意識的にやった。自宅のまわりには高低差のある坂道周回コースがあり(たぶん5、6階建てのビルくらいはあるだろう)、それを21周走った。時間は1時間45分。ひどく蒸し暑い日だったので、これはこたえた。ニューヨーク・シティー・マラソンはほぼフラットなコースだが、全部で7つの大きな橋を渡らなくてはならないし、橋の多くは吊り橋構造なので、中央の部分が高く盛り上がっている。ニューヨーク・シティーはこれまでに三度走ったが、このだらだらした上り下りが思いのほか脚にこたえた。  それからコースの最後に控えている、セントラル・パークに入ってからの坂の上り下りも厳しくて、いつもここでスピ―ド・ダウンしてしまう。セントラル・パーク内の坂道は、朝のジョギングをしているときにはとくに苦にもならないなだらかな勾配だが、マラソン・レースの終盤にここにさしかかると、まるで壁のようにランナーの前に立ちはだかる。 そして最後まで残しておいた気力を無慈悲にもぎとっていく。 ・僕はもともと坂道は不得意ではない。コースに上り坂があると、そこでほかのランナーを抜けるので、普通ならむしろ歓迎するくらいなのだが、それでもセントラル・パークの最後の上り坂には、いつもげっそりさせられる。最後の数キロを(比較的)楽しく走り、全力疾走をして、にこにこしながらゴールインしたい。それが今回のレースの目標のひとつだ。 ・たとえ絶対的な練習量を落としても、休みは2日続けないというのが、走り込み期間における基本的なルールだ。筋肉はそれに耐えられるように自然に適応していく。「これだけの仕事をやってもらわなくては困るんだよ」と実例を示しながら繰り返して説得すれば、相手も「ようがす」とその要求に合わせて徐々に力をつけていく。もちろん時間はかかる。無理にこきつかえば故障してしまう。 ・しかし負荷が何日か続けてかからないでいると、「あれ、もうあそこまでがんばる必要はなくなったんだな。あーよかった」と自動的に筋肉は判断して、限界値を落としていく。筋肉だって生身の動物と同じで、できれば楽をして暮らしたいと思っているから、負荷が与えられなくなれば、安心して記憶を解除していく。 ・それと同時にこのようなランニングに関するエッセイも、暇をみつけて――とくに誰かに頼まれたのでもないのだが――こつこつと書き続けている。無口で勤勉な鍛冶屋のように。  いくつかの実務的な案件も片づけなくてはならない。僕らがアメリカで生活しているあいだ、アシスタントとして東京の事務所で働くことになっていた女性が、来年の初めに結婚するので年内に辞めたいと急に言い出して、代わりの人を捜さなくてはならない。夏のあいだ事務所を店閉まいするわけにもいかない。ケンブリッジに戻ってすぐに、いくつかの大学で講演をすることになっているので、そのための準備もある。  これだけのものごとを、わずかな期間に順序よく処理する。そしてなおかつ、ニューヨークのレースのための走り込みを続けなくてはならない。追加人格まで駆り出したいくらいのものだ。しかし何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。 ・東京にいるときはだいたい神宮外苑を走っている。神宮球場の隣にある周回コースだ。ニューヨークのセントラル・パークには比べるべくもないけれど、東京都心には珍しく、緑に恵まれた地域だ。このコースは長年走り慣れていて、距離の感覚が細かいところまで頭に入っている。そこにあるくぼみや段差のひとつひとつを記憶している。だからスピードを意識しながら練習するにはうってつけだ。 ・神宮外苑は一周が1325メートルで、100メートルごとの表示が路面に刻まれているので、走るのには便利だ。キロ5分半で走ろう、キロ5分で走ろう、キロ4分半で走ろうと決めているときには、このコースを使う。 僕が外苑で走り始めたころには、瀬古利彦氏が現役でやはりここを走っていた。必死の形相でロス・オリンピックのための走り込みをしていた。金色に光るメダルだけが彼の頭の中にあるものだった。その前のモスクワ・オリンピックを、政治的な理由によるボイコットのために逃がしていた彼にとっては、ロサンジェルスがおそらくはメダルをとる最後のチャンスだった。 ・彼ら(S&Bチーム)は会社に出勤する前、早朝のうちに個人個人でジョギングをし、午後にチームで集まって練習をする。僕は昔は毎日、朝の7時前にここでジョグをしていたので(その時刻ならまだ交通量も少なく、人通りもなく、空気も比較的きれいだ)、同じころに個人ジョグをしているS&Bの選手とすれ違い、よく目礼をした。 ・神奈川の自宅あたりでは、東京にいるときとはまったく違う練習をすることができる。前にも述べたように、きつい坂道周回コースが家の近くにある。それから3時間ほどかけてぐるりとまわれる、フル・マラソンの練習にはうってつけのコースもある。 ・小説を書くことについて語ろう。  小説家としてインタビューを受けているときに、「小説家にとってもっとも重要な資質とは何ですか?」という質問をされることがある。小説家にとってももっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である。文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というよりむしろ前提条件だ。燃料がまったくなければ、どんな立派な自動車も走り出さない。  しかし才能の問題点は、その量や質がほとんどの場合、持ち主にはうまくコントロールできないところにある。量が足りないからちょっと増量したいなと思っても、節約して小出しにしてできるだけ長く使おうと思っても、そう都合良くはいかない。才能というものはこちらの思惑とは関係なく、吹き出したいときに向うから勝手に吹き出してきて、出すだけ出して枯渇したらそれで一巻の終わりである。 ・才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。僕は普段、1日に3時間か4時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない。思うのだが、たとえ豊かな才能があったとしても、いくら頭の中に小説的なアイデアが充ち満ちていたとしても、もし(たとえば)虫歯がひどく痛み続けていたら、その作家はたぶん何も書けないのではないか。集中力が、激しい痛みによって阻害されるからだ。集中力がなければ何も達成できないと言うのは、そういう意味合いにおいてである。 ・集中力の次に必要なものは持続力だ。1日に3時間か4時間、意識を集中して執筆できたとしても、1週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。日々の集中を、半年も1年も2年も継続して維持できる力が、小説家には――少なくとも長編小説を書くことを志す作家には――求められる。呼吸法にたとえてみよう。集中することがただじっと深く息を詰める作業であるとすれば、持続することは息を詰めながら、それと同時に、静かにゆっくりと呼吸していくコツを覚える作業である。その両方の呼吸のバランスがとれていないと、長年にわたってプロとして小説を書き続けることはむずかしい。呼吸を止めつつ、呼吸を続けること。 ・このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調整作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって重要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しづつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。 ・優れたミステリー作家であるレイモンド・チャンドラーは「たとえ何も書くことがなかったとしても、私は1日に何時間かは必ず机の前に座って、一人で意識を集中することにしている」というようなことをある私信の中で述べていたが、彼がどういうつもりでそんなことをしたのか、僕にはよく理解できる。チャンドラー氏はそうすることによって、職業作家にとって必要な筋力を懸命に調教し、静かに志気を高めていたのである。そのような日々の訓練が彼にとっては不可欠なことだったのだ。 ・長編小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している。文章を書くこと自体はたぶん頭脳労働だ。しかし1冊のまとまった本を書きあげることは、むしろ肉体労働に近い。もちろん本を書くために、何か重いものを持ち上げたり、速く走ったり、高く飛んだりする必要はない。だから世間の多くの人々は見かけだけを見て、作家の仕事を静かな知的書斎労働だと見なしているようだ。 ・才能に恵まれた作家たちは、このような作業をほとんど無意識的に、ある場合には無自覚的におこなっていくことができる。とくに若いうちは、ある水準を超えた才能さえあれば、小説を書き続けることはさして困難な作業ではない。 ・しかしそのような自由闊達さも多くの場合、若さが失われていくにつれて、次第にその自然な勢いと鮮やかさを失っていく。かつては軽々とできたはずのことが、ある年齢を過ぎると、それほど簡単にはできないようになっていく。 ・その一方で、才能にそれほど恵まれていない――というか水準ぎリぎりのところでやっていかざるを得ない――作家たちは、若いうちから自前でなんとか筋力をつけていかなくてはならない。彼らは訓練によって集中力を養い、持続力を増進させていく。 ・もちろん最初から最後まで才能が枯渇することがなく、作品の質も落ちないという、本物の巨大な才能に恵まれた人々も――ひと握りではあるけれど――この世界に存在する。好き放題に使っても尽きることのない水脈。これは文学にとってまことに慶賀すべきことである。もしこのような巨人たちの存在がなかったら、文学の歴史は今あるほど堂々たる偉容を誇ってはいなかったはずだ。具体的に名前をあげるなら、シェイクスピア、パルザック、ディッケンズ……。 ・僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた、自然に、フィジカルに、そして実務的に。 どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか? どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか? もし僕が小説家になったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。具体的にどんな風に違っていたか? そこまではわからない。でも何かが大きく異なっていたはずだ。 ・いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。一人の不完全な人間として、限界を抱えた一人の作家として、矛盾だらけのぱっとしない人生の道を辿りながら、それでも未だにそういう気持ちを抱くことができるというのは、やはりひとつの達成ではないだろうか。 ・世間にはときどき、日々走っている人に向かって「そこまでして長生きしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。でも思うのだけれど、長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。むしろ「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」と思って走っている人の方が、数としてはずっと多いのではないかという気がする。同じ十年でも、ぼんやり生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見は、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。 ・東京の事務所の近所にあるジムに行って、筋肉ストレッチをしてもらう。これは他力ストレッチというか、自分一人では有効にやれない部分のストレッチを、トレーナーの助けを借りてやるわけだ。長くきついトレーニングのおかげで、身体じゅうの筋肉がぱんぱんに張っているので、これをたまにやっておかないと、レースの前に身体がパンクしてしまうかもしれない。 <世界中の路上で> ・僕はこの本を「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。前書きにも書いたことを繰り返すようなかたちになるが、僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこでもいる人間」として、どのようにして生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。 ・この文章をとりあえず書き終えてから、いくつかのレースに参加した。07年の初めにフル・マラソンをひとつ、国内で走る予定でいたのだが、直前になって(珍しく)風邪をひいてしまって、走ることができなかった。走っていれば26度目のレースということになったのだが、結局06年秋から07年春にかけてのシーズンは、フル・マラソンをひとつも走らないままに終わってしまった。心残りではあるが、次のシーズンにがんばろうと思う。  そのかわりに5月には、ホノルル・トライアストロンに参加した。 ・このように、寒い時期にマラソン・レースを走り、夏場にはトライアストロンに参加するというのが、僕の生活サイクルになりつつある。シーズンオフがないから、いつもなんだか忙しいということになってしまうわけだが、僕としては人生の楽しみが増えていくことについて苦情を申し立てるつもりはまったくない。 『気の発見』 五木寛之  望月勇(気功家)  平凡社  2004/5 <見えない世界への旅> <気は見えないから面白いのである> ・(五木)「気」というものの存在について、私はあまり真剣に考えたことがない。いまでもそうである。しかし、見えないから「気」は存在しないなどと考えたことは一度もなかった。また科学的に証明されないから「気」はありえないと考えたこともない。 ・とはいうものの、「気」や「気功」といったものに対して、世間は長い間怪しげなものを見るような目で対してきた。いまもそうだろう。  社会革命の夢が遠ざかったあと、人びとの夢は人間内部の探求へとむかった。身体革命の夢のなかから、「気」や霊的な世界への関心が高まっていったようにも見える。 ・中国では国家的なプロジェクトとして、「気」の科学的解明と応用にとり組んでいるという。なにごとも徹底的にやりとげようとする国だから、いずれ目に見える成果も示されるはずだ。 <望月さんはロンドンで気功治療の仕事をなさっている> ・欧米人を相手にエキゾチツクな話をする位ならともかく、治療となるとさぞかし大変だろうと思う。 ・私たちが空気の存在をふだん意識せずに自然に呼吸しているように、望月さんの「気」に対する姿勢はとても自然で、こだわりがない。 <気を実感するとき> ・(望月)動物についてですが、じつは犬や猫など、よく気功治療が効くんです。ロンドンで、腰痛の犬を治療したことがあります。 (五木)犬にも腰痛が?(笑) (望月)ええ、犬が歩きにくそうにしているので、病院に連れていったら、腰のアーセライタス(関節炎)があると言われたそうなんです。腰が下がってしまったので、すぐ尻もちをついた格好になってしまう。その治療には、ずいぶんお金がかかるそうなのです。 (五木)保険がきかないからな。治療費も人間よりも高いみたいですね。 (望月)ええ。じゃあ、本人の治療の前に、10分か15分くらい犬に気を当ててあげるから連れていらっしゃいと言ったんです。まず玄関で犬に気を当てました。そのときはぐったりと横たわっていたんです。そのあと飼い主を治療し終わったときには、もう犬がぴょんぴょん歩き回っているんですね。(笑) (五木)最近は、自分の子供よりもペットを可愛がっている人が多いから、そんな話を聞いたら大変だろうな。イギリスの愛犬協会の人がやってくるんじゃないですか。 ・(望月)犬よりも猫のほうがもっと敏感で、私がちょっと手を近づけると皮膚がピクピク反応してきます。  前に、英国人の男性のギックリ腰を治療したことがありました。私がどの英国人の家で男性に気を入れると、どこからともなく2匹の猫が現れて私の手の上に乗り、お腹をすりつけるのです。そのとき私は、猫は気の「波動」がわかるのだなと思ったのです。 ・(五木)その点、ヨーロッパの人たちには、「気」というものは馴染みがないものですから、納得するのが大変なんじゃないでしょうか。気という英語はあるんですか? (望月)「気」はないですね。中国語のCHI(チー)とか、サンスクリットのプラーナという言葉を使って説明しています。 <西欧人が気功治療を警戒するわけ> ・(五木)数年前、私がニューヨークで『TARIKI』という本を出版したとき、他力をどう英語に訳すかということが問題になったんです。翻訳家は、『アナザーパワー』とかいうから、それは違うだろうと。いろいろ探したけれど結局しっくりくるものがなくて、TARIKIという言葉を使ったのです。同じように、「気」は「気」ですね。  望月さんは欧米のセンターのロンドンで、気功家として活躍なさっているんだけれども、ヨーロッパの人たちは、気をどういうふうに理解しているのですか。 (望月)東洋に興味のある人たちは、人間の体の中に生命エネルギーのようなものがあるのではないかと考えているようです。普通の人たちは、いや、そんなものはないと否定するんですね。熱心なキリスト教の人たちは、たとえば気功で治療して治ったというと、それは悪魔の力かというわけです。また、ある人は、いや、これは神の力ではないかと。 (五木)キリストも最初は、めしいたる者を癒し、足の萎えたる者を立たせたり………という奇跡を起こして、人びとをひきつけた。 ・(望月)ドイツのミュンヘンに、年2回ほど治療に行っているんですが、12年前に初めて行ったとき、ドイツの人たちは、なんて頭が固いんだろうと驚きました。科学でもって理解できないものは、全部否定してしまうんです。 ・(望月)どうしてなのかと思って、いろいろ訊いてみたら、どうも中世のころ、いろいろな村落で、魔女裁判が行われたらしいんです。ちょっとでも、人と違う、並外れた力がある人は、「あの人は、不思議な力を使う」と訴えられて、審問所に連れていかれたそうなんです。そうすると、魔女だということで、火あぶりの刑ですね。 ・一つの村落が全滅したこともあったらしいです。そういうことが、歴史にあって、うっかり変なことは言わないということになったらしいんです。 ・(五木)ヨーロッパの科学信頼の背後には、魔女的なものとか呪術的なものに対する忌避があるというのは、いわれてみれば、なるほどと思います。それでいながらヨーロッパの人たちは交霊術とか、心霊協会とかやたら好きですよね。とくにロンドンは『ハリー・ポッター』に代表されるように、魔女や魔法使い、ゴーストがうようよしている。 (望月)ロンドンは、不思議と、そういうことが盛んですね。大学でも、サイキック・カレッジとか、霊媒のような超能力を訓練するカレッジみたいなのがありまして。 ・(望月)1回治っちゃうと、もう2度と来ません。来ているのは、奥さんが日本人とか、東洋に興味がある人たちです。一般の人たちは、科学でもって厳しく教育されていますから、証明できないもの、科学的でないものは、耳をふさいじゃうか、拒否しちゃうんですね。 (五木)それは魔女裁判のころの恐怖が、やっぱり残っているのだと思う。ともかく物凄く残酷なことをやったわけですから、周りに薪を積んで燃やして、若い女の子なんかを生きたまま、はりつけにして、その光景を大勢の人たちが見ていた。その記憶というものが、DNAに組み込まれて、子々孫々にまで伝えられているんじゃないかと思いますね。 <素直な心が気をキャッチする> ・(五木)ずっと前に聞いた説なんですが、欧米人は肩凝りが分からないというんです。凝るという状態を英語でうまく表現できない。ある専門家はバックペインだというけれど、それは背中の痛みであって肩凝りではないと思う。 ・(望月)私はイギリス人やドイツ人など、ヨーロッパの人びとをみますけど、彼らの肩は、最初、触ると柔らかいんです。柔らかいから、凝っていないなと思うんですけど、肩は痛いという。ギューッと押すと脂肪の下に、ピアノ線がぴんと張ったようなところがあるんです。そこを触ると、痛い痛いというんです。彼らは、凝りかたが深いから、あまり自覚しないでしょう。 <初めての「気」はトーストの匂いだった> ・(望月)最初、少林寺拳法をやっていたんです。なかでも特に、整法、体を整えるということに興味をもって、経絡や急所、ツボというものを勉強したんです。 ・経絡でつながっているから、反応するんですね。経絡の勉強をしていくうちに、中国の呼吸法や、インドのヨガに興味を持つようになって、自己流でやるようになったんです。 ・ある時、ヨガのポーズで体をねじっていたら、背骨の辺りから、プーンとパンを焼いたような香ばしい匂いがしてきたんです。 (五木)自分の体の中から? (望月)ええ、最初は、てっきり、どこかの家でトーストを焼いている匂いがしているんだと思っていたんですが、いつでも、昼でも夜でもヨガのポーズをすると、匂いがしてきたんです。そのうちトーストの匂いだけでなく、マーマレードやバラのような香りがしてきたり、足の下がむずむずしてきたんです。もしかしたら、これが「気」なのかもしれないと思いました。 (五木)他人に対して、気功治療をなさったのは、どういうきっかけなんですか。 (望月)1986年だったと思います。そのころ、ロンドンで旅行会社に勤めていたんです。たまたま少林寺拳法のインストラクターを案内して、アフリカをまわっていたときです。エチオピアで、その拳法の先生が練習中に首を痛めていたので、治療をしてさしあげたのです。 ・(望月)以前にも、整法で肘の痛い人を治していた時、私が患部に触れる前に手を近づけていっただけで、痛みが消えましたと言われたことがあるんです。私はまだ何もしていないのに、不思議だなあと思っていたんですが、そのとき、テクニック以外の何がプラスアルファの力が働いているなどということは、なんとなく感じたんですね。 <気を送るということ> ・(望月)それから、ヨガや呼吸法を熱心にやるようになって、いろいろ不思議な感覚を覚えるようになってきたんです。ああ、これが「気」じゃないかと意識すると、気がどんどん集まってくるんです。 (五木)集まるというのは、実際にどんな感じなのかしら。 (望月)手のひらの中心が、もわっと温かくなるんですね。空気の真綿みたいな感じがするんです。それを相手の気の流れの悪いところに近づけるんです。たいてい、そこは、冷たく感じるので、その部分に気を送ってあげるんです。 <受け手の反応は十人十色> (五木)なるほど、そういう治療を受けている側の反応はどうですか。私の友人が初めて気功治療を受けたときは、地獄の底からしぼり出したような、グォーという雄たけびを何回かあげたというんです。自分ではすっかり気分がよくなって、寝入ってしまったので自覚症状はなかったらしいのですが、ぼくは、それはきみの体の中から悪霊が出ていったんだという珍解釈をしたんですけど。 ・(望月)ええ。ロンドン在住で、ご主人はシティ・ユニバーシティの健康心理学の教授でした。その奥さん、最初は、手足をバタバタさせていたと思ったら、終わりの頃になると声を出して泣き始めましてね。オイオイ、オイオイ子供のように泣きじゃくるんです。 (望月)ご主人の場合は、気を入れると手がピアノを弾くように動いてしまうんです。しばらくしたら、奥さんとは反対に笑いはじめたんですね。最初は小さな声だったんですが、だんだん大きな声で、気持ちよさそうに笑っていました。ご本人、笑いながら、なんで笑っちゃうんだろうといって、笑っていました。 (望月)ロンドンで15年くらい銀行に勤めている女性がいました。背中が鉛のように重くて、いろいろな薬を飲んでも効かない。マッサージや鍼をしてもだめで私のところに来たんです。その人に気を入れたら、突然、涙をポロポロこぼし始めたんです。ティッシュペーパーをいっぱい使って、治療中ずっと涙を流して泣いているんです。  本人は、勝手に涙が出てくるといっていたので、泣いているという自覚がなかったんでしょう。終わったらまるで痛みがないというんですね。 <気の力> (五木)望月さんが実際に治療したガン患者さんの例などは、ひとつのケースにすぎない。もっと大事なことは、「気」を扱う人がどういう姿勢で生きているかということだ。  私は作家シャーマン説を言い続けてきた。書き手はひとつのヨリシロにすぎない、と。望月さんもご自分を1本のパイプにたとえている。なによりも大事なことは、すべてのことに対して謙虚であるということだろう。私は謙虚とはおよそ縁のない不作法者だが、謙虚であることの大切さはわかっている。 <気は宇宙の無限のエネルギー> (望月)私が感じることは、臓器と臓器、また肉体をと心をつなぐ情報系エネルギーのようなもので、光ファイバーのように、体内には、そのエネルギーを流すシステムができているんじゃないかということなんです。 (五木)ふーむ。情報系のエネルギーですか。日本のホリスティック医学界のリーダー的存在の帯津良一さんは、外科医として、長年、手術の場に立ち会い、ひとつの疑問に駆られたそうです。  人間の体を開いてみると、臓器と臓器のあいだに、隙間がある。この隙間とは何かと考えていった末に、ひとつの結論に達したというのです。この隙間にこそ、生命エネルギーがひそみ、それが臓器と臓器をつないでいるのではないか、と。 (五木)帯津先生は、中医学や漢方薬を研究された経験から、この隙間に、気があるのではないかと考えて、「気場」と呼んでおられるんですね。 <気功家シャーマン説> <奇跡的な治癒を体験する> ・(五木)ところで、気功治療では、西洋医学や現代医療に見放された人びとが奇跡的に回復するようなケースが報告されたり、口コミで伝わっていますけど、望月さんご自身も、びっくりされるほどの奇跡的な治癒というものを体験されたことはおありですか。 (望月)いくつかありますけど、最近の例ですと、イギリス人の男性が膀胱ガンで来ましてね。膀胱の中がガンだらけになり、お医者さんから、人口膀胱を覚悟してくださいと言われたそうなんです。それがどうしても嫌で、なんでも効き目がありそうなものをやってみようと、私のところに来たんです。 (五木)どのくらい治療をされたんですか。 (望月)1週間に1回くらい、4、5カ月続けました。そうしたところ、ガンは膀胱からすべて消えて、5年ほどたちますけど、いまも元気です。月に1回ほど、再発防止のメンテナンスといって来ています。 ・(望月)3年前になりますけど、日本人の50代の男性が右あごの骨のところに空洞ができ、それがどんどん大きくなって、激痛が走るようになっていったんです。ガンの一種でした。しまいには、あごの骨がなくなってしまうといわれ、病院から大腿骨を削って、あごの骨のところにつけるようにすすめられていたんです。その人はそれを断り、友人から私のことを聞いて、ロンドンに1カ月ほど治療に来たんです。 (五木)日本からわざわざ? (望月)ええ、それで毎日、1時間半、気を送ったところ、夜も眠れないほどの激痛もだんだんと治まっていって、あごのところにあったこぶし大のこぶが小さくなっていったんです。最後には、とうとう消えて、とても楽になったんですね。それで、ゴルフも楽しんで帰国し、病院で検査をしたら、ガンに冒されていたあごの空洞の部分に新しく骨ができていると言われたそうなんです。いまは、再発もなく、元気に生活しています。   

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