当選のバンザイをした瞬間から、次の選挙は始まって始まっているのだ。決して浮かれてはいけないし、勝ち誇ったような顔を見せてもいけない。 握った手の数、歩いた家の数しか票は出ないのだ。(5)

<「分配」を企業に丸投げした岸田政権>

・岸田政権は、成長と分配の好循環というアホノミクスを丸パクリしているので、「アホダノミクス」と呼ばせていただきます。

・岸田さんが打ち出した「新しい資本主義の実行計画」では「これが成長分野だ」とさまざまなテーマを羅列しています。DX推進や、デジタル田園都市構想などが並んでいますが、詰まるところ、地球温暖化や環境保全の分野を成長戦略として捉えたものでした。これは菅政権でも同様でしたが、大いなる矛盾をはらんだものと言わざるを得ません。

浜:「企業の延命か、労働者の保護か」といった二者択一的な考え方に陥ってしまうと、行き詰まります。労使一体となってどうするかを考えることが重要でしょう。

<「ぶん取りのシェア」から「分かち合いのシェア」へ>

浜:そうした分かち合いに徹している経済社会のことを、私はケアリングシェア経済、あるいはケアリングシェア社会と名づけています。

・人間の皮を被った化け物のような存在に経済社会を占領されてはいけないというのが、スミス先生の基本的な理念だったのだろう、と今は考えています。

<「デジタル後進国」脱却を阻む、政治家のアナログ思考 野口悠紀雄>

・「デジタル敗戦」という言葉がメディアに登場するようになったのは、2010年代前半のことである。

・先進国からの脱落危機が叫ばれる日本にとって、このデジタル化の遅れは今や国力低下の主要な要因として認識されつつある。

・2020年、コロナ特別定額給付金10万円を一律に給付するとなった際、全国の自治体が大混乱に陥ったのも、個別のシステムが温存されていた「弊害」でした。

<ITを理解していない日本の政治家>

・野口:重要なことは、デジタル化の中味が中央集権的なものからオープンな仕組みに転換したことで、その変化に日本が対応できなかったということです。

・デジタル化の障害となっていたものが、日本の強固な縦割り社会であるという観点に立てば、デジタル庁ができたからといっていきなりその障害をクリアできるとは思いません。

<新たな利権の温床になりかねない「デジタル庁」>

野口:この問題を理解するには、日本社会の「多重下請け構造」について知る必要があります。

・仮に厚労省に専門知識のある人材がいたとしても、責任の所在が曖昧になりがちな「多重下請け構造」が残っていると、不具合が生じた場合の解決は困難です。

<電子政府の構築に成功したエストニア>

・実はすでにそれを実行しているのがエストニアです。エストニアは人口約133万人という小さな国ですが、世界に冠たる電子政府を持つデジタル先進国として知られています。

・イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説『1984』の中に、「真理省記録局」に勤務する主人公が、日々、歴史記録の改ざん作業を行うシーンがあります。残念ながら日本ではそれと似たことが実際に起きてしまった。

<「マイナンバーカード」の失敗と教訓>

野口:マイナンバーカードの普及が進まなかった理由はいくつかありますが、ひと言でいえば、利便性がなかったからです。

野口:国民の生活にむしろ不便を与えることにならないかと危惧しています。

・デジタル化の帰趨は、今後の日本の国力を計るうえで非常に大きな要因になると思います。

<「デジタル後進国」から脱却するために>

・政治家はまず、意識を変えないことには始まりません。「国の舵取りは、デジタル化と関係ない」という誤った考えを根本的に改めない限り、日本は浮上できないでしょう。

・世界の最先端を行くGAFAと、「ハンコをやめよう」{FAXをやめよう}と言っている日本では、大学院と幼稚園ほどの差があります。

・意識と現状を変えようとしない政治家は、退場すべきです。

<食の安全保障を完全無視の日本は「真っ先に飢える」  鈴木宣弘>

・食料自給率38%。日本の食の安全保障の脆弱さは、今までもたびたび指摘されてきた。中でも大豆や小麦などの自給率の低さはよく知られているが、野菜はまだまだ国産が多いようだし、コメに至ってはつい数年前まで減反していたくらいだから、自給率も高いに違いない――そのように思い込んでいないだろうか。

 農産物を育てるには、当然ながら、種や肥料が必要になる。畜産物にはヒナや肥料などが必要だ。そして、日本は野菜の種の9割、養鶏において、飼料のとうもろこしは100%。ヒナはほぼ100%近くを海外からの輸入に依存している。コメも、肥料や農薬を勘案すれば自給率はぐっと低くなる。そう考えると、日本の食料自給率は37%どころではないだろう。

・そんな懸念を確信に変えるような試算が2022年8月に英国の科学誌『ネイチャー・フード』で発表された。米国ラトガース大学などの研究チームが試算したもので、それによると、核戦争が勃発して、世界に「核の冬」が訪れて食料生産が減少し、物流も停止した場合、日本は人口の6割(約7200万人)が餓死、それは実に全世界の餓死者の3割を占めるというのだ。

 なぜ、日本の食料戦略はかくも悲惨な状況に至ってしまったのか。

<――物流が途絶えた場合に、日本の人口の半分以上が餓死のリスクに晒されるという指摘は衝撃でした。日本の食料政策はどこで道を誤ったのでしょうか。>

鈴木:日本の食の安全保障の崩壊は、戦後にアメリカの占領政策を受け入れざるを得なかったという流れから始まっています。何よりも、アメリカが戦後抱えていた余剰生産物の最終処分場として、日本を最大のターゲットに定めたことが大きいでしょう。

<製造業の利益アップのため、農業を“生贄”に>

鈴木:日本側では、自動車産業などを中心とした製造業でいかに利益を上げていくか、という政策が、当時の通産省を中心に進められていきました。言い換えれば、車などの輸出をできる限り推し進めていくために、貿易自由化によって日本の農業を“生贄”として差し出す、つまり関税を撤廃して米国からの余剰農産物をどんどん輸入することで、貿易相手国であるアメリカを喜ばせようとしました。

<日本の「買い負け」が加速するとどうなるか>

鈴木:アメリカは、食料を「武器より安い武器」と位置付けています。食料で世界をコントロールするのだ、という戦略に基づいて、徹底的に農業政策に予算を注ぎこんでいます。

・局地的な核戦争が起きた場合、世界で被曝による死者は2700万人だが、それ以上に深刻なのが、物流がストップすることによる2年後の餓死者であるという分析がなされました。それによると、世界で2億5500万人の餓死者が出るが、それが日本に集中するという。世界の餓死者の3割は日本人で、日本人口の6割、7200万人がアウトになるという試算でした。多くの人はびっくりしていましたが、日本の実質の自給率を考えれば、驚くことには何もなく、むしろ当然な分析だと思います。

<「コメ余りだから作るな」「牛乳も搾るな」>

鈴木:最大の問題は、この後に及んでなお、岸田政権から食料自給率をいかに上げるかという議論がまったく出てきていないことでしょう。

 いまだに「経済安全保障」の発想から抜け出せずに、国内の農産物はコストが高いのだから基本は輸入依存でいく、貿易自由化を進めて調達先を増やしておけばよい、といった論調で日本の食料政策が進められています。

 

<官邸に逆らう農水官僚は飛ばされていった>

<――そのパワーバランスが崩れたのはいつ頃でしょうか。>

鈴木;大きく変わったのが第二次安倍政権でしょう。この時に自民党がTPP推進を大きく打ち出した形になりました。

・種を農家に安定供給するための種子法が2018年に廃止され、あるいは農家による自家採種を制限する形で種苗法が2019年に改定されるなど、日本の農業を破壊するような改正が次々と進められていきました。アメリカの穀物メジャーやグローバルの種子農薬企業に向けて、日本の農家を市場として差し出したと言えるでしょう。

・日米合同委員会とは、いわゆる、日米の軍事的な同盟について話し合うための、外務・防衛両省と在日米軍司令官などで構成された委員会ですが、いわゆる憲法をはじめとした法体系すら超越した存在として知られています。全農の解体が、この委員会の場においてアメリカから示唆されたということが、問題の根深さを端的に示していると言えるでしょう。

<「民間人の集まり」に絶対的な権限が付与>

鈴木:つまり、「規制改革推進会議」に絶大な権限が付与されたということです。この規制改革推進会議というのは、財界人を中心に、選挙で選ばれたわけでもない民間人が集まっている総理直属の諮問機関です。こんなところに絶対的な権限が付与され、農業を含め、日本の国民の生活に根幹が関わる重要なことが次々と決められていってしまう。

・こうした動きに対して諸外国の農業者や市民は非常に警戒心を強めており、なかなか強引なビジネス展開ができなくなっていた彼らにとって、従順かつ自国の農業保護に熱心でない日本はまさしく「ラスト・リゾート」なのです。

 そして、日本政府が彼らの思惑通りに、粛々と種の自家採取を規制し、国家による種の安定供給システムを廃止し、全中を組織解体させて農協を弱体化させ、農水省を排除してきた結果、現在の食料自給率の惨状があると言えるでしょう。

<地元の先生には世話になっているから………という意識>

・とはいえ、流石にここまでくると、もはや農業が立ち行かない状況に追い込まれていますから、我慢の限界にきているのではないでしょうか。資金繰りができなくなり経営に行き詰まった酪農家の方たちの自殺も増えています。先日もご夫婦が亡くなられたという話がありました。自国の生産者を守らない限り、この国に未来はないということに、どれだけ早く、多くの人が気づいていけるかということではないでしょうか。

・地元で安全安心なものを作ってくれる生産者と消費者が有機的に結び付いていく、こうしたネットワークを各地で増やしていくことが重要です。

<自民党における派閥は今や“選挙互助会”に   井上寿一>

井上:政治家の「キャラ」が立っていないことの理由としては、ひとつには若い人にとって政治家という職業に対する魅力が非常に低下しているからではないでしょうか。魅力のない職業だから、「こういう人こそ政治家にして自分の地盤を継いでもらいたい」という有力な人があまり出てこない。だから2世議員、3世議員が増える。

井上:河野太郎さんみたいな人がなぜ若い層から支持を受けるのかという点には関心があります。河野さんは政治家の中でもネットをいちはやく利用した人です。

<安倍政権が広く支持を集めた理由>

井上:毀誉褒貶の甚だしい政治家でした。安倍元首相の政治指導として肯定的に評価すべきは、国民に向かって自分のやりたいことを明確にしたことです。

・安倍元首相はご自身の政治イデオロギーとは異なる考えを持つ人にもなるべく支持を広げようとしていました。自民党は「労働者よりも資本家」の政党でしょう。それなのに安倍元首相は、経団連に対して労働者の賃金を上げるように求め、景気をよくするためには賃金を上げなければいけない、そうした当たり前の考え方を持っていました。

・井上:モリカケ(森友学園)問題など黒に近いグレーな部分もありました。安倍政権に限らず、どんな政権でも長期化すると腐敗は必ず起きるものです。

・現在は大衆社会状況が行き着くところまで行っているので、そんなふうに知的な見栄を張ってみたところで、必ずしも国民の支持にはつながらないでしょうが、そうしたポピュリズム政治の悪循環が生じている日本の現状に対しては悲観的にならざるを得ません。

<「ブレーン不在」で政治が劣化>

井上:ところが今、新聞に出ている「首相動静」を見ると、ほとんど官僚か政治家としか会っていないのですね。これは第二次安倍内閣の時代からとくに顕著になったように思います。

・直接的な理由としては、たとえば安倍政治が官邸中心の政治を進めていくときに、一番指示を出しやすいのが官僚だったということです。

・専門家の提言を政治家がしっかりと理解する。そのうえで、それを政策に落とし込むのが官僚の役割です。そうやって政治家・官僚・知識人の三者の関係がうまく回っていました。それが今では政治家と知識人のつながりが細くなっているのです。

<“選挙互助会”と化した政策派閥>

井上:吉田茂の頃には党内に反吉田勢力がいて、その代表的な人物が岸信介でした。鳩山一郎もそうですが、とても同じ自民党とは思えないほどの路線の違いがあって、それによって疑似政権交代みたいなことが党内で機能していました。ただし、今ではかつてのような政策派閥というものがほとんど認識できなくなっています。

・以上のことからわかるように、派閥は政策派閥ではなくなって、単なる選挙互助会になっているかのようです。「どこの派閥に属していれば選挙に勝てるのか」ということで派閥を渡り歩こうとする人もいて、こんなことでは政策を練り上げて政治家として成長することは難しいでしょう。

<――政治状況はどんどん悪くなるようにも見えますが、何か突破口はあるのでしょうか。>

井上:社会情勢がより深刻になって、そこから再び立ち上がることを待つしかないのかもしれません。世論調査レベルで見れば、国民の大半は政権交代があったほうがいいと答えています。

・若い世代の間では、政治の世界のウエイトが相対的に小さくなっていて、それ以外の世界が広がっているようなところがあります。政治的にはそれぞれ立場の違いがあるにせよ、たとえばLGBTの人たちの理解や「男女平等なんて当たり前」という意識、ハンディキャップのある人たちへの温かい眼差しなど、古い考えの高齢者世代が見習うべき素養を自然と身に付けているように見えます。

 

<矛盾を抱えたまま「終わらない」戦後>

井上:表面的に見れば北朝鮮がミサイル実験をするとか、台湾有事が起こるのではないかといった戦争の予兆みたいなものが迫っています。その中で敵基地攻撃能力を備えるという話になれば、戦争を身近なこととして感じるようになるのも当然の成り行きでしょう。

<戦前とて軍事政策一辺倒ではなかった>

・事件の直後には、国民の間で安倍元首相に対する哀悼の気持ちが高まって、お葬式では献花に訪れた人々が沿道に長い行列を作ったりしました。ところがほどなくして旧統一教会との政治的な癒着や犯人の動機などが大きく報じられるようになり、一部のリベラルな人は口を滑らせて「悲しいとは思わなかった」などと発言するようになったのです。

 もちろん、心から安倍元首相を悼んでいる国民もたくさんいるでしょう。しかし、事件が起きなければ、旧統一教会被害者救済法もできなかったのもまた事実です。

<小泉・竹中「新自由主義」の“罪と罰”   亀井静香>

・「貧しくなった日本」の実感が、国民の間に広がり始めている。

・日本が相対的に「貧しく」なった原因は、この20年間というもの、賃金がほとんど上昇しなかったことにある。

<――近年、日本人の賃金が上昇しない問題についての議論が盛んです。>

亀井:簡単だよ。企業が内部留保している。財務省の発表では今、企業の内部留保が516兆円もあると言うんだな。本来なら、貯める前に従業員の給与を上げるべきだろう。それをしないで企業が貯め込んでいるわけだ。

<――内部留保の問題は企業経営者の責任もありますか。>

亀井:もちろんあるが、経営者だけの責任じゃない。たとえば、今の日本には組合が存在しない。あってもすべて御用組合だ。労働組合の幹部というのは、今や貴族なんだよ。経営者に大事にされる一方でストライキもやらねえんだから。

<小泉改革と新自由主義がもたらした功罪>

亀井:小泉がやった郵政民営化があったろう。あれは「日本を日本でなくす」政治だった。日本の文化、生活、伝統を壊して米国製の弱肉強食、市場主義が社会の隅々までまかり通るようにする政策だった。その結果、地方が切り捨てられ、都市中心の社会ができた。

 小泉・竹中の新自由主義は確かに流行ったよ。

<「郵政解散」でホリエモンと対峙した日>

<株価は上がっても国民は幸せになっていない>

亀井:金融緩和そのものは評価できる。しかし、それで何が起きたか。株価はたしかに上がったかもしれないが、賃金は上がっていない。アベノミクスで株価が上がったと言ったって、庶民は株なんか持っていないよ。誰が持ってんだ、そんなもん。

 結局、アベノミクスで日本の実体経済が強くなったかといえば、そんなことはない。誰に聞いてもそう答えるんじゃないか。

・地方創生と言われて久しいけれども、田舎の疲弊は変わっていない。子どもも少ないうえ、次男、三男だけではなく長男まで都会に出ていってしまう。

 地元・広島の田舎に行くと何があるか。空き家だよ。家はあるけど人が住んでいない。過疎化はこれからも進むだろう。都会の人は、それでも仕方がないと言うだろうが、これは大きな問題なんだな。

世界が食料を奪い合う時代がこれから必ずやってくる。そんな時、日本の面倒を誰が見てくれるのか。カロリーベースで見た日本の食料自給率は今、30%台だ(2020年度の数値で37.17%)。さらに自給率を下げていったら、日本人はそのうち飢え死にするかもしれない。急に田んぼを作るなんてことはできないんだからな。

・そのことについては心を痛めている。俺としては、米国に追従するだけの外交から抜け出し、不平等な日米地位協定を改めてほしかったという思いはある。

 本人も悔しかったろう。自分自身が恨まれ、自分の政治が批判されていたのではないわけだ。恨まれていた宗教団体と関係があるという理由で撃たれてしまった。ひどい世の中になった。

・晋三は、父・晋太郎さんの秘書時代からの付き合いでよく知っている。

・晋三にとって、俺は厄介なオッサンであったかもしれない。ただその後、彼は父も果たせなかった「天下獲り」に成功した。それも、本人の人徳があってのことだろう。

<「原点」を失った自民党の政治家たち>

亀井:警察庁にいた1971年秋、警備局の極左担当となり、成田空港闘争や、あの有名な「あさま山荘事件」の捜査も担当した。心ある若者たちが、どうして凄惨な事件を引き起こすに至ったのかを考えたとき、やはり政治の道で勝負してみたいと思い至るようになった。だから警察庁を辞めて選挙に出た。無茶な挑戦だったと思うけれども、今もその気持ちは変わらない。

<――今の自民党に対して、最後に一言お願いします。>

亀井:安倍晋三が撃たれ、亡くなった。このことの意味を真剣に考えてほしいと思っている。物騒なことを言うようだけれども、これから日本はテロの時代に入るかもしれない。

<特別寄稿  自民党ラジカル化計画――一党優位をコミューン国家へ  浅羽通明>

・今の自民党はなぜ絶望的状況にあるのか? それはこの30年余、自民党が、「あるべき政党の理想像に近づくべし」と、柄でもなく頑張ったからに決まっています。

<1993年、あの時歴史が動いた……はずだった>

・何よりも1993年の細川護熙内閣成立まで、40年近く、政権交代がまったくなかった。旧ソ連や中華人民共和国、ナチスのような一党独裁制でもないのに、公正な自由選挙がずっと行われてきたのに、選挙のたびに自民党が第一党となってとにかく揺るがないのです。

・また、現代で殊に切迫した政治的要求があるわけでもない国民有権者が選挙への関心を高めないのも無理ないでしょう。大衆とはもとよりそんなものです。みんないろいろと忙しいのですから。

<二党制の神話――メディアも教科書も半世紀遅れている>

・議会制民主主義において、二大政党制、政権担当能力のある2つの有力政党が政権交代を繰り返すシステムが最善であるという考え方。

・考えてみれば、二大政党制は、アメリカとイギリス以外、さっぱり普及しない。豪州、ニュージーランド、カナダなど、イギリスの分家で一時期までみられた程度。

・また、小選挙区制にすれば二大政党が実現する、というのもきわめて疑わしい。

・二大政党制は目指すべき理想とは言いがたい。小選挙区制がそちらへ至る一歩でもないようだ――。

・ちなみに、当時は知る由もなかったでしょうが、現代のヒトラーとも称されるあのプーチン政権を生んだロシア共和国は、小選挙区制です。

<世界に冠たる「一党優位性」(疑似政権交代も附いて>

・そして、各派閥によってより癒着する利益集団や官庁も異なるがゆえに(安倍元首相の清和政策研究会は経産省寄り、岸田首相の宏池会は財務省寄りといわれます)、この擬似的政権交代は、その優先順位をも変えます。その限りで、癒着の固定化もある程度、浄化できなくもない。

<自民党をダメにした細川改革、もしくは教科書的知性>

・現在も、自民党は一党優位を揺るがせもしない。支持率を低下させている岸田内閣以上に支持率から見離された各野党が一党優位を覆すことはまず無理でしょう。

<全野党、全国民が自民党総裁を選ぶ時代へ>

・造反の教唆、自民党員のひきはがし、自民党分裂の促進。いわば、野党が、自民党の党外反主流派閥となってゆくわけです。

 2017年秋、社会学者・公文俊平が、「立憲民主党が政権を獲りたいなら、野党合同の模索よりも、自民党と合流し宏池会あたりと連携か合併をした一派閥になったほうが近道だ」という趣旨のツイートをしていました。同年11月2日付「毎日新聞」では、亀井静香が辻本清美に、立憲民主党は自民党議員を首相指名して与党分裂を謀れと煽動しています。同じようなことを考える知性はいるのですね。

・そして、これにはまだ先があるのです。各党は自党の推す自民党総裁候補を、国民からの推薦投票で決めたらどうか。

 これが実行されれば実質的な首相公選が実現し得るでしょう。そのあかつきにはさらなる先、すなわち政党制、さらには議会制間接民主制からの脱却すら展望できるのではないか。

(2022/12/24)

『永田町動物園』

日本をダメにした101人

亀井静香 講談社 2021/11/20

・政治家の裏と表、すべて書く! 俺が出会ってきた無数の政治家たちを振り返れば、権力と野望をたぎらせた一種の「動物」というべき人々の顔が浮かんでくる。そんな猛獣たちが暮らす場所が、永田町なのだ。

<亀井静香  政治家には、光と影がある>

・俺は島根との県境近く、広島の山奥の集落で生まれた。獣道を歩き、峠を越えて、今はもうなくなってしまった山彦学校に通っていた。峠途中の地蔵さんのところで弁当を食ったら、学校には行かず、よく回れ右をして家に帰ったりしたものだ。

 敗戦まで没落士族の家系であった父は、村で最も狭い田んぼで百姓をしながら村の助役を務めていた。子どもに分け与える土地がないために、教育を身につけさせようと、俺たちきょうだい4人を90㎞離れた広島市の学校に送り出した。

 修道高校1年の時、学校を批判するビラを撒いたため、俺は退学になった。東大に進んでいた兄と姉を頼って上京したものの、日比谷高校、九段高校などの転入試験を全て不合格。諦めかけていたとき、大泉高校の両角英運校長先生に出会い、温情で編入できた。

 その後、運良く東大に入学し、駒場寮に入った。在学中は合気道とアルバイトに明け暮れ、授業には一切出なかったが、落第することはなかった。

・東大を卒業して、大阪の別府化学工業(現・住友精化)に入社した。大事にしてもらったが1年で退職し、警察庁に入った。あさま山荘事件をはじめ、多くの極左事件を担当するうち、政治を変えなければならないとの思いが募って政治家になる決心をした。最初は全くの泡沫候補で、広島政界はもちろん、地元からもマスコミからも無視された。しかし、手弁当で支えてくれた竹馬の友や、少数だが心を寄せてくださった方々もいた。その必死の応援で初出馬初当選から選挙は13期連続で当選させていただいた。

・だが書きながら、はたして俺たちは日本をよくすることができているのだろうか、むしろダメにしてしまったのではないか、と省みることも多かった。

<令和を生きる14人>

<安倍晋三   気弱な青年・晋三を怒鳴りつけた日>

・俺は安倍晋三を弟のように可愛がってきた。総理大臣時代には、立場上、「総理」と呼んではいたが、俺にとっては今でも父親(安倍晋太郎)の秘書官だった「三下奴」の晋三のままだ。

・昔、こんなことがあったらしい。安倍家に泥棒が入り、晋太郎先生のコートを盗もうとした。それを晋三が見つけて、追い払った。帰宅した晋太郎先生に、晋三がそれを自慢したら「コートくらい、やればよかったのに」と言われたと、晋三本人から聞いたことがある。

 晋三も、素直で人がいいところは、父親譲りだろう。

・社会部会長のときの晋三は、俺に怒鳴られた思い出しかないだろう。宴会に来ても、同期の荒井広幸と一緒に、宴会芸ばかりやらされていた晋三が、父も成しえなかった一国の長に登りつめたのは感慨深い。この男には運がある。そうでなければ、2度も総理の座に就くことなどできないのだ。

<小泉純一郎  風を読み切る「天才」の本性>

・‘82年のこと。同じ清話会(福田派)で、小泉純一郎は俺の2期の先輩だった。福田赳夫先生が派閥の朝食会で、総裁選での「総総分離」について、一席ぶっているときのことだ。総理大臣と自民党総裁を分離し、「中曽根総理・福田総裁」とする案に、党執行部も乗ろうとしていた。

 すると小泉が突然立ち上がり、「この戦いは大義がない」とものすごい剣幕で主張しはじめたのだ。派閥間で談合すべきではないという考えだったのだろう。

 早々に、総総分離案は立ち消えとなった。

・俺は、日本には土着の思想があるのだから、強者が弱者を飲み込むような政策には反対だ。小泉のやっていることは、改革ではなく破壊にしか見えなかった。構造改革自体には賛成だが、小泉の改革は間違いだらけだったと思っている。金持ちさえ都合が良ければそれでいいというだけのものだったからだ。

 

・当時、俺と江藤隆美さんが反小泉の急先鋒だった。小泉政権による「破壊」が続けば、日本はアメリカと中国の狭間で溶けてなくなると思った。中小零細企業からの貸し剥がし、地方の切り捨て、外資や大手企業を優遇する政策が顕著だったのだ。

・続く‘05年の「郵政解散」はめちゃくちゃだった。郵政改革関連法案は衆議院で可決したものの、参議院では反対多数。すると小泉は、衆議院解散という奇策で流れを作り、俺の選挙区には刺客として「ホリエモン」こと堀江貴文を送り込んだ。衆院選後には俺はあっけなく自民党を除名となった。

<菅義偉    「冴えない男」と歩いた横浜の街>

・菅の当初の印象は、はっきり言うと「冴えない男」。秋田から集団就職で上京してきた苦労人という触れ込みだったが、笑顔がなく、暗い男だった。

・俺と菅で決定的に違うのは、郵政に対する考え方だった。

・菅のような民営化論者からしたら、民営化に逆行することはすべてが悪に映る。それでは議論のしようがないだろう、というのが正直な感想だった。

 郵政については、その後「ねじれ国会」となり膠着状態が続いたが、‘12年にようやく、郵政民営化を改正することで決着がついた。俺の当初案からは後退してしまったものの、過度な民営化を一定程度抑制できたと思う。俺は大臣として、国会審議で「我々は民意に沿う政治をやっている」と言ったが、郵政の問題とは、まさに国民の力を向いているかどうかだ。その点において、菅が俺とまったく逆の方向を向いていたのは残念だった。

・ただし、俺からすれば当時の菅を、論戦の相手として意識したことさえなかった。そんな菅が、わずか数年後には官房長官として永田町に君臨し、総理にまでなったのだから、政治はわからないものだ。安倍政権が長く続いたのも、菅の功績が大きかった。調整能力が高いのだろう。今も菅の姿を見ると、冴えない男だった初当選時代のことを思い出す。

<森喜朗    密室で「森総理」を決めた日>

・森喜朗とは同じ清話会に所属していたから、俺が初当選した時からの長い付き合いになる。向こうが政治家としては先輩だが、年齢はほぼ同じだったこともあり、仲良くしてきた。それにならい、ここでも森と呼ばせてもらおう。

・「なんで森みたいなのが総理になれたんだ」と言う人がいる。その理由はズバリ「他人への配慮」だ。上にも下にも、人に対して配慮するのが、ものすごく上手かった。だから、早稲田大学ラグビー部では補欠中の補欠だったにもかかわらず、総理にまで上り詰めたんだ。まさに大人(たいじん)だ。

・森は「えひめ丸事故」の時に、ゴルフをしていたことでマスコミに叩かれた。支持率が8%にまで落ち込み、政権は終わった。だが、あれはテレビがいけない。

・もっとも、それで影響される国民がアホだということだ。これははっきり言っておきたい。ああいうふうにマスコミに叩かれて辞めるのは、本当におかしな話だ。今はお互い政治家を引退しているが、変わらず友達づきあいができるのは、森の人柄のよさゆえだ。

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