いま、日本の防衛で何が問題かと言うと、一言で言えば、「誰も軍事を知らない」ということです。恥ずかしながら、私ども自衛隊OBも軍事を知らない。現役の人たちはもっと知らない。(8)

<兵士を国民化する試みへの応答>

・なぜ、カントはそのように考えるに至ったのか。それを探るカギは17世紀後半から18世紀にかけての西欧世界の進歩にある。1648年に宗教戦争である30年戦争が終結し、ウェストファリア条約が結ばれ、主権国家の存在感が増し、帝国と教会の支配や権威が減退していった。

<郷土防衛軍とは何か>

・では、カントが想定した常備軍の代わりの軍隊、郷土防衛軍とはどのようなものだろうか。基本的には定期的訓練以外は普通の生活を送り、外に攻めていくことを目的としない、専守防衛の一般市民からなる軍隊である。有事のみに編成される軍隊だが、カントの生きた時代はまだ兵器が高度化されておらず、歩兵の威力が強くなってきた時代であったので、日頃から市民の防衛の士気を高め、軍事演習さえ積み重ねておけば国防は達成できると考えられたのだろう。

・この郷土防衛軍の構想は、現代に置き換えれば、いわば民主国家が、国土防衛のための訓練のみを課す「徴兵制」を、全国民に平等に導入することと同義と言える。カントの郷土防衛軍のイメージに現代で一番近いものは、国民皆兵のスイスになるだろう。もっとも、スイスにそのような防衛体制が可能なのは、自然の要衝としての地の利に加え、ヨーロッパ内の緩衝地帯としての地位を確立しており、さらに地方分権のカントン制(地方行政区分)を有しているからであって、すべての国がスイスのように永世中立国家になれるわけではない。

<国家観と人民観の共存>

・そのひとつが、外国人の移動を許容すべきだという確定条項の第3項である。カントは永遠平和のためには、国家間の平和構想だけでなく、個人のレベルでも国境や民族を超えた信頼醸成が必要だと考えており、これも時代を先取りしたものだった。カントの時代には、庶民が国境を越えて行き交うことはまれであり、ここでカントが念頭に置いていたのはエリート層、すなわち外交官であり、あるいは他の宮廷や領主のお抱えとなる文人や芸術家、そして貿易網をもつ商人といった人びとだった。

<19世紀以降の展開>

・ところが、歴史の展開はカントの敷いたレールとは異なっていた。フランス革命の直後に『永遠平和のために』を出版し、共和政の広がる世界を夢見たカントは、19世紀を通じて裏切られ続けることになる。まずはフランス革命自体が暴政化してナポレオンの独裁に転じてしまい、平等な徴兵制からなるフランスの国民軍がヨーロッパ全土に攻めこんでいくことで平和が壊れるという事態が出現した。

<カント2.0>

・では、カントを現代に応用するとすれば、どのように再解釈できるのか。そして、その場合に国家の多層的な平和のための努力はどこまで進んでおり、課題は何か、という具体的な問いについて考えてみたい。カントの確定条項と予備条項をもう一度振り返ろう。

確定条項

(Ⅰ)国家を法の支配に服する自由で平等な市民による共和制とし

(Ⅱ)その国家の連合制度としての国際法を重視したうえで

(Ⅲ)世界市民法により外国人にも安全と入国の自由など最低限の権利を認めること

予備条項

(1) 休戦に過ぎない協定は平和条約と見なさない

(2) 独立国家の継承・交換・買収・贈与を禁止する

(3) 常備軍を時とともに全廃する

(4) 対外紛争に関わる国債発行を禁止する

(5) 暴力による内政干渉を禁止する

(6) 戦時における各種の秘密工作や条約違反を禁止する

・前述の平和のための5次元論で洗い出した課題に、「カント2.0」をふたたび照らし合わせると、次のように三つの現代的な課題が見つかる。

(1)民主主義の判断を健全にし、国民が武力行使を自制するようなコスト負担共有のメカニズムがあるか(第3次元の課題)

(2)国際法を遵守しつつも平和構築活動を行うため、「正しい戦争」の概念を、現代的かつ抑制的に定義できているか(第2次元~第4次元にかかわる課題)

(3)グローバル化を引き続き進めていくうえで、国内の反発に対応しなければならない国民国家の求心力が減退していないか(第5次元の課題)。

・したがって、「カント2.0」の命題に則り、かつ先に示した5次元論に沿って民主主義を平和に導くための喫緊の課題というものが特定できる。ごくシンプルに表現すれば、正しい戦争を再定義し、民主国家における負担共有を実現して、国民国家を強化するということになろう。

<カント2.0のための予備条項>

・つづいて、予備条項の再定義に戻ろう。予備条項の中で明確に満たされていないのが、先に述べた通り、戦時国債の禁止と常備軍の段階的廃止である。とはいえ、主権国家から国債の発行権を奪うことはできないから、こちらを禁ずることは無理だろう。ただし、民主主義国家が自らの体力以上の戦争を始めないようにするため、戦争のコストを「見える化」することには大きな効果がある。

<誰が「血のコスト」を負担するのか>

・戦争のコストには大別して「経済的コスト」と「血のコスト」の二つがある。経済的コストは、ときに政権の甘い見積もりや情報隠しなどによって見えにくくなることがあるものの、比較的話題に上りやすいコストといえる。それに比べると、負担の実感が出にくいのが血のコストである。本書では、歴史から兵士の実情を採ることで、血のコスト負担が偏在してきたことを明らかにして、議論の土台としたい。

<歴史的な政軍民関係>

<見えにくい兵士>

・戦争で血を流すのは誰か。巻き添えとなる一般市民の被害者ではなく、兵士に着目して、彼らにシンパシーを抱きつつ、この問いを探ろうとする試みは少ない。

 軍事研究の先端は勝利をめぐる戦略や戦術であって、必ずしも兵士の物語ではない。逆に、平和研究の観点からすれば、国家が国民を駆り出すこと自体が非難されるべきことであり、その先にある兵士が蒙る被害に着目する視点は乏しい。さらにどのような戦争でも間違っているという立場をとる平和主義者にとっては、良い兵士とはすなわち悔い改めて反戦に転じた兵士だけだ、としたら言い過ぎだろうか。

・つまり、軍事研究の立場を取れば、兵士は守るべき国民ではなく戦争の道具であり、平和研究の立場からすれば自ら志願する兵士は理解しがたい異質な存在なのである。

・要するに、血のコストが見えにくいのは、国民から兵士の存在が見えにくいからなのである。

<守護者としての政治家と軍人>

・私たちが政府と軍と国民の関係性を考えるとき、つい、現代の先進国における実状を投影してしまいがちだ。しかし、今の政軍民の三角関係は、歴史上のさまざまな変化を経て、ここに落ち着いたものである。

<羊と羊飼いと犬と狼と>

・ソクラテスやプラトンは、国の「守護者」集団を、知識を有する統治者とその補助者としての軍人とに分け、統治者(羊飼い)が市民(羊)を治め、軍人(犬)が内外の敵(狼)から市民を守ることを理想とした。

<都市共同体から帝国、軍の辺境化へ>

・時は移り、地中海世界を支配するようになったのはローマだった。ローマというのは面白い素材で、その栄枯盛衰を見ることで、さまざまなことを学べる人類にとっての遺産である。政軍関係についても例外ではない。

 ローマでは、統治者と軍、市民の関係がギリシャの都市国家よりも大規模に展開した。

<スイス>

<中立を可能にする条件>

・スイスは最もよく知られた永世中立国だろう。この国もスウェーデンと同じく非同盟と徴兵を用いた重武装に立脚して自律性を守ってきた。スウェーデンは志願兵と選抜徴兵からなる常備軍のほかにおよそ2万1千人の国土防衛の民兵を擁しているが、スイスはさらに極端な政策をとっている。文字通り男子国民皆兵の制度を維持しているのだ。18歳に到達すると、男子は11週間の軍事教練を課され、以後34歳まで、1年に1回の短期訓練に戻る。

・現存する徴兵制の中では、スイスの国民皆兵制度が、辞書的な意味での「民兵」――常備兵に対して、平時は一般の職業に従事しながら定期的に軍事訓練を受け、有事の際に部隊を形成する兵のこと――に最も近い制度といえるかもしれない。そのような極端なまでに国民の間に国防意識を高める一方で、政治はあくまでも地方分権であり、現在は26のカントン(地方行政区)ごとに高度な自治を行っている。連邦政府は、2018年時点でコンパクトな約2万1千人規模のプロの現役将兵からなる陸空軍を保有し、司令、防空と国境の防衛に努めている。国民皆兵制の下で軍に組み込まれた約14万4千人の予備役と、7万4千人ほどの民間防衛部隊がその軍を支える。中立国とはいえ、もしも敵に防空網が破られ国境内に侵入されたならば、スイス国民は全土でその敵に応戦するものとされる。第2次世界大戦中に、スイスは中立を保ったが、国境警戒のため85万人の国民が軍に組みこまれた。

・もちろん、どの国でもスイスのようになれるわけではない。スウェーデンが北欧の厳しい自然条件に守られているように、スイスも自然の要塞に囲まれ、地理的特徴が永世中立を保つことに味方している。また、もっと赤裸々な現実もある。つまり第2次世界大戦中にスイスが中立国としての地位を維持できたのは、双方の陣営にとって便利な、とくにナチスドイツにとっては最も価値のある、都合の良い商売相手だったからに他ならない。

<戦わない徴兵制>

・これまで、スイスでは徴兵制の存続の是非をめぐる国民投票が三度行われている。毎回、圧倒的多数で存続が支持されており、国民からの強い支持が窺える。

・そのようにして、1996年、ついにスイスはNATOとのパートナーシップ協定に加入する。スイスは、ヨーロッパや世界に冷戦期のような敵対関係が生じていなければ、NATOの多国籍軍に参加しても中立を損なうことにはならないと考えたのである。

<移民を統合しない国家>

・さて、イスラエルとスウェーデンの例で見てきたように、先進民主国家において共和国性を損ないかねない重大な論点は、一つは軍務負担の共有のあり方であり、もう一つは移民の受け入れとその扱いであった。

 スイスは、およそ840万人の人口を擁し、約218万人の外国人を受け入れている。

・スイスは移民に恩恵をあまり与えず、国民と移民の峻別を堅牢なものとする一方で、先進国では稀にみる厳格な国民皆兵制度を維持し、国民の統合を強化している。そして自国との利害関係の薄い域外紛争には無関心を貫き、最小限のリスクとコストしか負担しようとしない「自国民第一」の国家のあり方を続けている。それは孤立主義に流れがちな多くの日本人にとって、親和性の高いモデルかもしれない。しかし、スイスの人口は日本の15分の1以下である。

<各国の経験に何を学ぶのか>

<戦う徴兵制の経験>

・イスラエルは、韓国と同様、先進国でありながら高い安全保障上の脅威に直面し続ける国家である。韓国と異なるのは、初めから民主制が敷かれ、上からの強制的な動員ではなく、自警団を基礎に持つプロフェッショナルな革命軍を組織していたことだ。ジェノサイドの生き残りを受け入れ、貧しさの中で国家建設をスタートしたイスラエルにおいては、国民の負担共有が初めから当然に想定されている。

・最近では、イスラエルでもっとも意欲的に徴兵に応じる層が、主流派のアシュケナージムから宗教右派へと変わりつつある。宗教右派は、植民地戦争とも受け取られかねないような、占領地の拡大とその防衛を主張する。それに対するまっとうな反対意見は存在するが、それが軍全体の声として強く押し出されるためには、プロの軍人よりも社会と多様な接点を持ち、広い視野から柔軟な思考ができる予備役将校のプレゼンスが確保されていなければならない。

<象徴的な負担共有と理想>

・そして、安全保障上の高い脅威には晒されていないが、PKOなどの軍事的な国際貢献を行うヨーロッパの国々の経験も見てきた。徴兵制度は(よほど人口が足りないのでない限り)ほとんどの場合、軍事上の必要性はない。実際、第3次世界大戦に備えざるを得なかった冷戦時代が終結すると、もともと空洞化しつつあった徴兵制度はヨーロッパの多くの国で縮小や廃止の方向に向かう。

・スイスの徴兵制は、天然の要塞のような地形や独特な金融戦略上の位置づけに下支えされている。スイスは移民を多く受け入れながらも、決して彼らを「国民」として包摂しようとしない。スイスでは、スイス国民か外国人かの違いは明確であり、徴兵制が義務付けられているのは現在でもスイス人男子だけである。果たして、このような「自国民第一」主義を、この先、日本のロールモデルにすべきなのか、あるいは反面教師とすべきなのか、私たちはよく考えなければならない。

・ノルウェーの徴兵制は、少ない人口と油田のもたらす圧倒的な富に下支えされ、また同国伝統の男女平等運動のエネルギーを推進力としたものである。

・いずれにせよ、世界が今、実効的な安全保障、健全な民主主義、すべての階層に望まれるグローバリゼーションの三つを同時に成り立たせるための新たな解を必要としていることは確かである。私たちは思考停止してはならない。

<国民国家を土台として>

・平和の実現という課題を突き詰めて考えていくと、その最たる問題は、国家に、国際政治構造上にも国内政治構造上も戦争をする権限があるという一点に行き着く。このことは、「人間団体に、正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである」とし、政治における特殊な倫理の問題を直言したマックス・ヴェ―バーの指摘と呼応している。

・変化に対応する変革の時代には、常に「保守的な変革者」と「革新的な変革者」がいる。本書で言えば、常備軍の処遇改善を選ぶのが前者であり、徴兵制による血のコストの負担共有を選ぶのは、後者の中でも最も革新的な部類ということになる。

・本書を国際政治学者の「机上の空論」として切って捨てることは簡単だろう。理論とはそもそもそのような性格を持っているものだ。

『矛盾だらけの日本の安全保障』

「専守防衛」で日本は守れない

冨澤暉・田原総一朗   海竜社   2016/8/7

<「二世帯住宅のたとえ」から見えてくる日本の安全保障の現状>

・(冨澤)弟の私(日本)は二階に住んでいて、一階には頼りになる兄貴(アメリカ)が住んでいる。財力もあり、めっぽう腕っ節の強い兄貴と比べると、弟のほうは腕力に自信がない。

<町内の平和のための「夜回り」に参加できない日本>

・(冨澤)ただ、このままでは兄貴としても面白くないし、弟なのに何もやらないというのでは問題だから、兄貴の家に強盗が入ったときは、やはり助けに行って少しぐらいは兄貴の手伝いをしたほうがいい。夜回りについても、お金やお弁当を出して終わりにしないで、みんなと一緒にパトロールに出る、「カチカチ火の用心」をみんなと一緒になってやる。そういうことが必要ではないかというのが私の基本的な考え方です。

<戦後日本は一国平和主義にどっぷりと浸かっていた>

・(冨澤)もちろん兄貴に対しては、日本に普通は置かせないようなアメリカ軍の基地を置かせているので、それなりの代償は払っています。

<日本にとって実に都合のいい日米安保条約>

(冨澤) 一言で言えば、アメリカは世界の秩序を守るためにリーダーとして関わっていきたい。そのための米軍基地だというのです。

(田原) 日米安保条約が岸信介総理の手で改定されたときは東西冷戦のさなかでした。アメリカを中心にした西側とソ連を中心にした東側が鋭く対立して、もしも核兵器がなかったら戦争になっていたかもしれません。そういう厳しい対立状況があった。となると、日本を守るという形はとっていても、実際は日本を守るのではなくて、西側陣営の東アジアを守るのがアメリカの狙いだった。

・(冨澤)その代わり、核戦争という破滅的な戦争は起きないけれども、ブロック同士での小競り合いは起こる。そういう局地的な紛争が起こったとき、それに対処するための基地として日本、ドイツ、イタリア、もちろん戦勝国のイギリスにもありますが、世界のいろいろなところに基地を置いたのです。そういった事情があるので、日本人が「日本を守ってくれるために在日米軍基地がある」と考えたのは、大いなる誤解です。

<「専守防衛」は国際的にも軍事的にも通用しない>

・(田原)ところで、冨澤さんは専守防衛という政策を批判していますね。僕らも含めて、日本人の多くが「専守防衛」を日本の安全保障の基本的概念だと思っているなかで、こんな言葉は世界に通用しないとおっしゃっている。改めて詳しく聞かせていただけますか。

(冨澤)専守防衛というのは、こちらから攻撃しないで守りに徹することです。だけで、私ども軍事を勉強してきた者にとって、そういうのはあり得ないのです。

・(冨澤)あらゆるところから飛んでくるミサイルを全て叩き落とすのは不可能です。3万キロの正面を守ることはとてもできない。そういう技術はまだないし、仮に技術ができたとしても、3万キロの正面全部でそれをやるには、それこそ天文学的なお金がかかります。

 そんなことは、日本はもちろん中国だってアメリカだってできません。どんな国でもできない。そういうことを「専守防衛」と称して、これが日本の防衛政策だと宣言してしまったのです。

・(冨澤)戦略守勢とは攻勢に対する守勢です。ところが、中曽根さんは張り切って日本で最初の『防衛白書』(昭和45年版)を刊行するのですが、その時に、これは中曽根さんが発想したわけではなく航空自衛隊の1佐と聞いています。具体的に誰とは知りませんが、その自衛官が「戦略守勢といっても、ちょっと言葉が難しい。専守防衛と言ったらみんなにわかるだろう」と言って、専ら守る防衛だ、それでいいだろうということで専守防衛になったそうです。それを日本の防衛政策として定めたのです。

・(冨澤)日本の防衛政策としては、当時はもう「国防の基本方針」ができていました。これは1957年に岸内閣がつくったものですが、専守防衛はその基本方針とは別なのです。

「国防の基本方針」には専守防衛という言葉も概念も出てきません。それなのに、後になって非核三原則などと一緒に日本の防衛政策として定めてしまった。それがいまだに生きています。

<憲法上、専守防衛にせざるを得ない日本>

(冨澤)守るだけで攻めなかったら相手にダメージを与えられない。それと同じで、専守防衛というのは、自衛官や軍人から見ると成り立たないものなのです。

・(田原) それと、専守防衛でいくと、いきなり本土決戦ということになりませんか。

<日本は敵基地攻撃能力を持つべきか>

・(冨澤)ボクシングをやってもわかるように、一方で守って一方で殴る。両方なければ戦えませんよ。それを「守りに徹しなさい」と言うこと自体、極めて不合理だという感じを我々は持っています。

<自衛隊は軍隊なのか、警察の延長なのか>

・(冨澤)前身の警察予備隊は警察の延長でしたが、自衛隊になったとき、個別的自衛は明確に認めたわけです。憲法学者のなかには、いまだに認めていないと言う人もいますが、自衛隊は個別的自衛で武力行使ができる。この点が警察と決定的に違うところです。

<武器を使ってもいいが、人に危害を与えてはならない ⁉>

・(冨澤)面白いのは、主語が自衛官になっていることです。「自衛官は………武器を使用することができる」と書いてあります。主語が自衛隊という組織ではないのです。

 それから同条には、次に正当防衛・緊急避難という要件が出てきて、その要件に該当する場合を除いて「人に危害を与えてはならない」と明確に書いてあります。つまり、武器等を守る任務を与えられた自衛官が敵に遭遇したとして、敵が武器に弾薬を奪いにきたら任務遂行のために射撃をしてもいいのですが、相手に危害を与えてはいけない。自分が撃たれたときは打ち返してもいい。

<自衛隊は奇襲攻撃を撃退できるか>

・(冨澤)ならば指揮官の責任かというと、これは非常に難しい。日本の場合、判断基準は国際法ではないからです。あくまで国内刑法によって裁くので、個人の責任が問われる可能性があります。安倍内閣の安全保障法制は、その点が曖昧なまま残されているところに一つの問題があると私は思っています。だけど、そんなことを兵隊さんの責任にはさせないと信じたいですね。たぶんさせないでしょう。

<海上保安庁が襲われても自衛隊は助けられない>

・(冨澤)ただし、これ(外国の軍隊を守ること)は集団的自衛権とは関係はありません。集団的自衛権とはまた別の話なのですが、とにかく自衛隊は今まで非常に不思議な軍隊だったのです。

<同じ自衛隊ですら指揮系統が違えば守れなかった>

・(冨澤)防衛出動が命令されていれば別ですよ。防衛出動命令が出た後ならできますが、そうでない場合はグレーゾーンの問題です。グレーゾーンの状態では武器等防護で武器を使用することはできます。ただし、指揮系列が違えば、もう守れない。

<「平和安全法制」でアメリカの艦船も守れるようになる>

・(冨澤)アメリカにいろいろ聞いたところ、一緒に訓練している場合は一つのユニットと考えるそうです。彼らは「ユニット・セルフ・ディフェンス」と呼んでいて、共同訓練をしている場合、どこかの艦が撃たれたら、指揮系列の違う別の艦が撃ち返すというようなことは普通にやっているそうです。それで今回、そのやり方を取り入れて、日本でもできるようにしました。つまり、武器等防護の対象を拡大したわけです。自衛隊の艦船がアメリカ海軍の艦船と一緒に行動しているのであれば、アメリカ海軍の艦船も守れるようにしました。

<「基盤的防衛力構想」とは、防衛力の存在を示すこと>

・(冨澤)ただ、仮想敵国をつくらないと言っても、あの当時、つまり1970年代に日本に攻めてくるだけの能力を持っているのはソ連しかなかったのです。

<仮想敵国がない状態で防衛力を整備するのは難しいか>

・(冨澤)つまり、防衛力整備には時間がかかるわけです。一朝一夕にできるものではない。装備品を開発するのにも時間がかかるし、特にいちばん大変なのは人間をつくることです。

<米ソの戦争は起きないが、小規模限定武力侵攻はあり得る>

・(冨澤)基盤的防衛力ではあるけれども、具体的な想定が何もなければ演習一つまともにできないので、小規模限定武力侵攻に耐えるようなものであって、将来、大きな戦いになったときにはエクスパンドできる、拡張できるものにする。妥協の結果、そういう考え方に落ち着きました。

<福田赳夫首相の後押しで始まった有事の作戦研究>

・(冨澤)ところが1978年に来栖さんの事件が起きて、現に在日米軍がいて日米安保体制があるのだから、日米で共同訓練をして共同作戦計画をつくろうじゃないか、という話になった。どういう敵を設定し、その敵が侵攻してきたときに米軍が何をして日本軍が何をするか。日本軍の中で陸・海・空三自衛隊はどういう役割分担をするか。そういったことをこのとき、さんざん議論しました。随分と揉めましたけどね。それは福田赳夫総理が大事だと言ってくれたからできたのです。

<ソ連潜水艦を日本海に封じ込めよ――ノルディック・アナロジー>

・(田原) 中曽根さんが言った三海峡封鎖だ。

(冨澤) まさにそこが大事なところで、バルト海の場合と同様、海峡を押さえてやればソ連はアメリカと戦争できません。米ソが戦争しなければ、日本も戦争をしないで済む。ごく簡単に言えば、そういう考え方です。

<アメリカ1人勝ちで問題になった「同盟のジレンマ」>

・(冨澤) その問題が起きたとき、私は言ったのです。「配当というのは資本金を出した人がもらうものであって、日本は基盤的防衛力でやってきた。特定のことのために資本金を出していないのだから、平和の配当の予知はない」と。

<冷戦後初の「大綱」にアメリカからクレームがつく>

・(冨澤) アメリカのクレームというのは国防省あたりからきたのです。私はそんなに中枢にはいませんでしたから詳しいことはわかりませんが、当時の防衛事務次官、畠山蕃さんが私に「冨澤さん、アメリカからクレームがついちゃって。今度の大綱にはアメリカのことがあまり書いていない、おかしいじゃないかと。我々としてはアメリカに頼るのは当然なのですが、何か誤解しているようですね」と言ってきた。

(田原)国連、国連と言い過ぎている。

<弾道ミサイル防衛に力を入れた石破防衛庁長官>

・(冨澤)2003年12月に石破さんがリードして弾道ミサイル防衛の導入を閣議決定します。しかし、防衛力整備のあり方をめぐって相当大きな議論になりました。ミサイルを入れるのはいいけれども、値段がものすごく高い。PAC-3の有効射程はたった25キロしかないし、必ず当たるというわけでもない。そんなものをたくさん買ってどうするんだという反論もかなりあったのを、石破さんが抑え込みました。

<菅直人内閣の「二二大綱」は「基盤的防衛力は全部消せ!」>

・(冨澤) ええ。減らされました。私は、それは理屈に合わないと言ったのです。減らされたのはお金がないからです。ミサイル防衛をやるためには財源が必要ですね。防衛費の総額は毎年、だいたい決まっているので増やすとしてもそんなには増やせない。

<湾岸戦争時、国連の集団安全保障に参加できなかった日本>

<湾岸戦争に自衛隊を派遣せず、130億ドルでごまかした日本>

<感謝どころか馬鹿にされた日本>

・(冨澤)その愛知さんが、「あれだけのお金を、多国籍軍が平等に使うのならいいんだけど、ほとんどアメリカだけで使ってしまった」と言って不満げでした。そういうところは問題だと思いますが、アメリカのあの行動そのものはまさに集団安全保障で見事だったと思います。日本はその本質を見抜けずにお金でごまかしてしまった。

(田原) クウェートがアメリカの新聞に感謝広告を出しました。ところが名前の挙がった世界30カ国のなかに日本は入っていなかった。

(冨澤) そうなんです。入っていなかった。

(田原) 日本は馬鹿にされた。これがトラウマになって……。

(冨澤)トラウマですよ。当時の為替レートで1兆7000億円ですから。

<いちはやく「イラク戦争支持」を表明した小泉首相>

<イラク戦争は集団的自衛権とは無関係>

<シンセキ、パウエルの進言を無視して失敗したイラク戦争>

・(冨澤) そういう意見もあったということです。ネオコンの考え方も、今はおかしいということになっていますが、当時は力を持っていました。ブッシュ自身、「日本を占領したら日本は立派な国になった。フセインを倒せばイラクも立派な民主主義国になる」などと言っていました。日本とイラクでは歴史的な背景が全然違うのですから、「そんなの、なりっこないじゃないか」と私は今でも思うし、あの当時も思いましたけど、そういう理論がネオコンのなかにあったのでしょうね。

<「湾岸戦争のような戦争には参加しない」(安倍首相)でいいのか?>

・(田原) 集団的自衛権の行使は条件付きでOKだけど、武力行使を伴う集団安全保障には参加してはいけない。

(冨澤) 私個人は、それはおかしいと思っています。集団的自衛権と集団安全保障では、武力行使の意味が全然違うのです。

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