日本が長期デフレに陥った諸悪の根源は、日本人の努力不足などではなく、過去の政府や日銀の経済政策の失敗です。(9)
<暗殺社会ロシア>
<毒を盛られた>
・秘書ヤールミィシュ氏は、「どの時点でかれが意識を失ったかわからない」と困惑する。BBCモスクワ支局の報道では、ナヴァーリヌィー氏がトイレから出てきてから10分後のこと。男性乗客は「ちょうど9時だったと思います。『乗客のなかに医者はいますか。すぐにサポートしてください』と大声の緊急放送が流れた」と振り返っている。
・すぐにオームスク市立第一救命救急病院に緊急搬送され、集中治療室で人工呼吸器がつけられた。ナヴァーリヌィー氏の女性秘書は、トームスク空港内のカフェーで飲み物に毒物が混ぜられた可能性を指摘し、「朝からほかの飲み物はなにも口にしていない」と訴えた。
ナヴァーリヌィー氏は、プーチン政権を批判する急先鋒としてロシア国内でもっとも著名な活動家である。
・補足すれば、2014年にウクライナ領であったクリミア半島を、ロシアがいわば強制的に併合して以降、プーチン氏は80%近い信頼感を維持してきたが、先の世論調査結果では28%に急落している。
<毒裁国家ロシア>
・信頼感の低下に危機感をいだくプーチン政権が、ナヴァーリヌィー氏に毒を盛ったと示唆する報道が相次いだ。プーチン氏が直接指示をしたのかどうか、真相は不明だが、衝撃的なニュースとなって、ロシア国内だけではなく日本でも駆けめぐった。
・この毒物が世界に知れわたるようになったのは、先に述べたスクリパーリ氏の暗殺未遂事件であった。ノヴィチョークは無色透明で無臭、そしてVXガスの5~8倍の威力があると推定されている。飲み物や衣服をとおして体内に取り込まれると、呼吸や心拍が停止するなど神経性の障害を引き起こす危険な毒物なのである。
<毒殺の歴史>
・では、ノヴィチョークはこれまでどのように使われてきたのであろうか。
プーチン政権下で反政府活動家やジャーナリストたちが、不審な死を遂げる事態が相次いでいる。たしかに表現の自由は認められているが、発言のあとの身の安全は保証されていない。かれらの死因が特定されることもなく、たとえ容疑者の氏名が取り沙汰されても、逮捕、さらに立件されずに捜査が立ち消えになったりする。
・ここでプーチン政権の発足以降、毒物の使用が疑われている主要な殺人事件(未遂を含む)を、以下に記してみたい。
◆FSBの汚職を追求したジャーナリストのユーリー・シェコチーヒン氏(2003年)
◆チェチェ人への人権抑圧を告発したジャーナリストのアーンナ・ポリトコーフスカヤ氏(2004年未遂、2年後に自宅アパートのエレベーター内で射殺)
◆プーチン氏がFSB長官時代に職員であったアレクサーンドル・リトヴィネーンコ氏(2006年)
◆野党指導者のヴラシーミル・カラー=ムルザー氏(2015年と17年、ともに未遂)
◆反政権派の演出家ピョートル・ヴェルジーロフ氏(2018年未遂)
◆市民運動家のニキータ・イサーエフ氏(2019年)
◆辛辣な政権批判を展開するコメンテーターのドミートリー・ビィーコフ氏(2019年)
・特筆すべきは、2006年、当時43歳であったリトヴィネーンコ氏の毒殺である。ロンドン市内のホテルのバーで毒物の入った飲み物(緑茶)を口にしてから数日後、嘔吐がはじまり、頭髪が抜けはじめる。死亡する前日になって、尿から放射性物質ポロニウム210が検出された。ロシアの元情報将校であったリトヴィネーンコ氏が、プーチン氏の指令を無視したことによる個人的な恨みが背景にあるといわれている。プーチン氏による復讐なのだろうか。
・2004年のポリトコーフスカヤ氏の暗殺未遂事件も、衝撃的なニュースとなった。プーチン政権によるチェチェン戦争を批判した女性記者は、機内で出された紅茶を飲んで意識不明の重体になった。その後、症状は回復したものの、2年後にモスクワ市内のアパートで射殺された。
・ソ連時代や権力闘争が激化したエリツィン時代にも、毒殺の疑惑がくすぶることはあったが、プーチン政権が発足した2000年以降、目立って増えているように感じられる。射殺されるのは、稀なケースといえる。
毒物で神経が麻痺し、被害者は悶え苦しむことになる。一気に息の根を止めるというよりも、苦しめることに犯行者の執念がこめられているように思う。死に至らなかったとしても、毒を盛れば成功というわけだ。いわば「生かさず、殺さず」の瀕死の状態に追い込む。敵対者への警告や見せしめの意味もあるが、背景には「裏切り者は絶対に許さない」「復讐は名誉ある戦い」というロシアの伝統的な掟がある。プーチン政権下で続く事件は、まさに古いロシアの体質を継承している証なのである。
・ロシアでは昔から、政治的な陰謀や政敵への復讐のために毒が使用されてきた。古代ロシアでは、貴族が祝宴のテーブルで致死量を超える毒を盛られて召使いに看取られながら死ぬ場面が、絵画として残されている。
古来、植物由来の強い毒性をもつアルカロイド系の毒が用いられてきた。中世に入ると、ヒ素化合物の使用が主流となった。下痢や筋肉の痙攣といったコレラと似た症状が見られ、20世紀はじめまで広く使用されていた。
ヒ素が「毒の王様」と形容されたのは、その中毒症状により相手を苦しめるのに効果があったからであろう。すぐに死に至らない毒物として、重宝されたのである。20世紀に入ると、政府機関が化学兵器の開発を進めるようになり、先のノヴィチョークもその流れで誕生した。
・裏切り者への罰としての毒殺は、ふつう、ロシア人の間ではあまり驚かない雰囲気があるのだが、客観的には恐ろしい殺害行為である。
とくにプーチン政権はロシア愛国主義を前面に掲げており、その風潮のなかで裏切り者への復讐は年々、激しさを増している。
<災難への誘惑>
・それにしてもわたしが納得できないのは、ナヴァーリヌィー氏の言動である。プーチン政権からたびたび警告を受けているにもかかわらず、いわば自分の命と引き換えに、果敢に反政府活動を強行しているからである。
・ロシアには、社会や人生の闇にとても深い愛着をいだいている人たちがいる。その暗闇は心に影を落とし、一人ひとりの人生と切り離すことができないと考えている。他人の「苦しむ」「悶える」姿に容易に感情移入し、同情するのである。
ロシア人がそうなってしまう理由の一つは、長くて暗い厳しい冬を耐えているからである。ときにはマイナス40度に下がることがあり、冬至を挟んでの1カ月は、たとえばモスクワでも1日の日照時間は平均して1時間もない。暗くて寒い生活は、ロシア人たちの人生の半分を占めている。暗闇は、もはや生活の一部なのである。
・もう一つの理由は、苦難の歴史にある。13世紀から240年も続いたタタール(モンゴル)の支配やナポレオン、そしてナチスドイツの侵略など、外敵の脅威にさらされてきた。まさに、暗黒の歴史を紡ぎ、戦禍に耐えた。国内に目を向けると、イヴァーン雷帝、ピョートル大帝、さらにはスターリンなどの残忍な支配者たちの抑圧や飢饉、飢餓に苦しめられた。
・国家にあらがったがゆえに、毒を盛られてしまうロシア人。裏切り者の苦悶を見て、愛国心を高揚させるロシア人。苦しみに魅了されるロシア人。では、ほかにどんなロシア人がいるのだろうか。
わたしは40年間、ロシア(ソ連)の各地を訪ねてきた。1980年8月に3週間、モスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)に滞在したのを皮切りに、渡航回数は100回以上になり、4年間のモスクワ留学も経験した。
<「ひたすら祈る」――魔窟からの脱出>
<古いロシアが生き続ける>
・わたしは40年間、ロシア(ソ連)人とつきあってきた。いまから振り返っても、シェレメーチェヴォ空港で受けた衝撃は生涯、忘れられない。
<最悪の事態、スーツケースの紛失>
・毒殺など暗殺事件が頻発するロシア………。そんなロシアを舞台に、私はロシア人を睨みつけながら地団太を踏んだ。2014年10月11日のモスクワのシェレメーチェヴォ空港での出来事だ。
・「空港ではスーツケースを預けるときには、鍵をかけないほうがいい。だれかがこじ開けたいと思えば、鍵は壊されてしまうから。旅行の途中でスーツケースが閉まらなくなるなんて、悲惨なことだ。だから、はじめからスーツケースを持ち運ばないのがいい」
<摩訶不思議の国>
・絶望的な事態となった。わたしの経験上、問い合わせのメールをすべての空港に送信したところで、空港職員たちがタグ番号を手がかりに探してくれるとは到底想像できない。たとえ身近な場所にスーツケースが放置されていても、確認しないに決まっている。
<一つの手荷物を発見できた>
・「二つのスーツケースのうちの茶系のものが、いまターンテーブルのうえをぐるぐる回っているそうです。安心してください」
・「あなたのもう1個のスーツケースを発見しました。チターの空港にあります。あなたのスーツケースだけが、飛行機に積み忘れられたようです。あすの午前8時30分にシェレメーチェヴォ空港に到着する便で運ばれてきます」
<最後は祈るのみ>
・はずんだ声が響く。ドモジェードヴォ空港でスーツケースを発見すると同時に、もう1個の連絡が入るのもロシアらしい数奇な運命といえる。先ほどまで悲嘆にくれていたのに、いまでは歓喜に震える自分に、もう一人の自分があきれ返っているような気がする。
<倒錯する日常生活>
<空回りのロシア>
・どんよりと曇った寒空のモスクワ市……。2013年3月8日のことである。3月は、1年中でもっとも不快な時期だ。真冬に路面を覆っていた雪男が溶けはじめ、雪に代わって雨が降り出す。車道も歩道もぬかるみ、長靴が泥水でひどく汚れてしまう。防水が不完全だと、水が靴のなかに染みて、靴下がびっしょり濡れてしまう。足が冷えて、もう最悪だ。
<数字が無意味でめちゃくちゃ>
・友人のアパートを訪れて驚くのは、エレベーターのかごのなかにある「行先階ボタン」の配列がめちゃくちゃなことだ。
・ロシアの統計によれば、失業者は若者に多く、2017年9月時点で、20歳から24歳までの失業者は13.9%、15歳から19歳にいたっては、25.7%に達する。
プーチン政権が発足してから2020年で丸20年もなるが、すでに指摘したように反政府活動家が逮捕されたり、毒殺されたりし、辛辣に社会批判を繰り広げる250人のジャーナリストが不審死を遂げているという情報もある。
<ロシア人のいないところが「いいところ」>
・「ロシアは予見できない国です。予想だにしなかった不思議なことが突然起きたり、ときには他人の悪意による行いで、生活が歪められたりします。思い通りにいかないことばかりで、他人への期待はいとも簡単に裏切られてしまいます。だから、ロシアでは、あなたはびっくりしたり、失望したりすることばかりに見舞われます。そのため、逆にいえば、人間の倫理や善意を問う文学や哲学思想が多くなるのです」
ロシア人たちは、絶望的な社会で生きているのだろうか。どんな気持ちで暮らしているのだろうか。トミートリーは、苦笑いしながら、こう言い放った。
「結局、わたしたち(ロシア人)のいないところが、いい場所なのです」
・「外国に移住したロシア人で、後悔した人はいないでしょう」現在、ロシア国籍を有し外国に住む人は約250万人に達する。ビジネスだけではなく、外国の大学で学ぶ若者も含まれている。
<決して信じるな――ロシア人は嘘八百>
<騙されやすい人を狙え>
・「相手を信じやすく、騙されやすい人は、すぐにロシア人の格好の的となり、騙されてしまう。このタイプの人間には、嘘の約束をするのが一番だ。逆に、頑なに相手の要求を拒否する人よりもずっと扱いやすい。だって嘘だとわかっても、相手は『そんなはずはない。なにかの誤解でしょう』と勝手に信じ込んでくれるからね。だから、ロシア人はどんどん嘘の約束を重ねていけばいいだけのこと。実際には何も実行しなくてすむし、失うものはないので、こんな楽な相手はいない」
<嘘に嘘を重ねるのがロシア流>
・わたしとミハイールはそのとき、北方領土交渉の行方について会話をしていた。領土問題の詳しい経緯を知らない友人は当初、歴史の複雑さのあまり、頭を抱えてしまった。かれは一息ついてから姿勢を正し、わたしの方に身を乗り出していったのが、先の一言だった。日本は、ソ連、そしてロシアに騙されているのだろうか。
嘘の約束を繰り返すやり方が、ロシア人の交渉術といわんばかりに得意気な表情をミハイールは見せる。
・どんなにお人好しといっても、最後には不信感を抱き、交渉への熱意を消失させるはずだ。しかし、ロシア人は嘘がばれてしまっても「悪いのは嘘をついた自分たちではない。気づいた相手に非がある」と開き直る。ロシアの流儀は、交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるというものだ。
<領土問題という悲劇>
・ロシアに代わってまともな人たちを隣国に据えたいと願っても、ロシア人は「たしかに自分たちがいないところがいいところだ」と一笑にふすだけだ。ロシアは、本当に罪深い国なのだ。
<四島一括返還が本筋>
・それにしても領土交渉が進展しているのかどうか、いっこうに定かではない。わたしのいう「進展」とは、ロシアが北方領土を返還する流れのことだ。ただ島の返還といっても、「二島」でも「二島+α」でもない。わたしにとっては「四島返還」であり、「領土問題の解決」というのは四島の一括返還を意味している。
<返還が可能なタイミングはあったのか>
・経済協力の成果は上がったが、領土は日本からどんどん遠くに去り、領土問題そのものが消滅することになるのではないだろうか。
<プーチンへの「接待外交」>
・共同経済活動といっても、実態はロシアの法律のものとで行われることになる。つまり、ロシアの国家主権を容認することになる。
<思いつき外交の弊害>
・結果的に、プーチン氏は日本を騙したことになった。約束した2018年末までに、平和条約が締結されることもなければ、それにむけての進展さえもまったく見られなかった。プーチン政権は、いったいなにを考えているのだろうか。
<ロシアが本音を吐いた>
・結局、2018年末までに平和条約を締結することがなかったプーチン政権………。どこまでプーチン氏を信頼してよいか。2019年に入ると、領土問題へのロシア側の姿勢が明らかに変化した。プーチン氏の側近たちが北方領土を支配する正当性を躍起になって主張しはじめた。
<北方領土の現実を見よ>
・それにしても懸念の一つは、歯舞群島の一つひとつの名称が日露間で違うことである。たとえば、貝殻島はロシア語の表記では「シグナーリヌィ島」、志発島は「ゼリョーヌィ島」となっている。
領土交渉をするにあたって、日本側が返還要求しても、ロシア側は「そのような島は存在しない」と突っぱねることも当然想定できる。
<領土返還交渉は終わった>
・ペスコフ氏の口からは、「平和条約」や「領土交渉」という文言は一切出てこなかった。もうロシアを信じて領土交渉をするのは、やめた方がよいのではないだろうか。
<「偽プーチン」説の真相>
<悪魔に魅了されたロシア人>
・ふつうのロシア人は信仰心が篤く、全人口の7割ほどがロシア正教会の信者といわれている。残りの人びともイスラム教、仏教、さらには土着のシャーマニズムを信仰している。
しかし、ことばでは神や仏の恵みを感謝するのに、心底では悪魔が大好きという人もいるようだ。
<飲まずにはいられない――世界最悪の飲酒大国>
<シベリアとは>
・シベリアは、世界最大の国土面積を有するロシアの57%の広さを占める。980万平方キロメートルの大きさは、ほぼアメリカと同じだ。
<「シベリアのパリ」>
・バイカル湖の南西岸のリストヴァーンカ村から北西60キロのところにイルクーツク市がある。1661年にコサックが城塞を築き、その後は中国との貿易と採金業で栄えた。
その一方で、西欧流の彩りを添える街並みを形成した。意外と知られていないが、この町は「シベリアのパリ」の異名を誇る。
<大平原のなかの虚しさ>
・ザラリー駅で下車したのは、そこから南100キロほどの森林地帯に、東欧からの流浪の民ゴレーンドル人の村を訪れるためである。
先祖はもともと1569年に誕生するポーランド・リトニア共和国内を放浪していたが、17世紀初頭にポーランドの伯爵によってブーク川沿い(現在のベラルーシとポートランド国境付近)に集められた。1795年のポートランド分割で、かれらの地はロシア領土に併合された。1906年のストルィピンの農業改革で農民は自由に農村共同体から離脱できる権利を付与され、ゴレーンドル人たちは土地を求めてシベリアの今の奥地に移り住んできたというのだ。以来、森の中にひっそりと暮らしているという。
<極上ウォッカの出番>
・ウォッカはロシア国内で広く飲まれる蒸留水であり、ときにはロシアの文化を育み、民間療法に利用されるなど、ロシア人の生活に大きな影響をあたえてきた。
・ウォッカの起原についてはいろいろな説があるが、薬用酒としてその名前が登場するのが1533年、一般にアルコールとして認知されたのは17世紀に入ってからだ。
<ウォッカの飲み方>
・ウォッカは「飲み込む」のではなく、「放り込む」。味わいを堪能したり、香りを楽しんだりする必要はない、といわんばかりだ、ちびちび飲むのも、ご法度だ。
<ビンから絞り出すほどに>
・「この一滴が、極上の美味しさなのだ」 どうやら、ウォッカの味わいは、最後の一滴に凝縮しているようである。
<警察官は「伝説の人」>
・飲酒運転は、ロシアの法律では初犯の場合、3万ルーブル(約6万円)の罰金、そして免停は最大2年に及ぶ。それを見逃す代償に、警察官が法外な賄賂を要求してくるかもしれない。ロシアの警察官は、反社会勢力と揶揄されるほど、人びとに怖がられている。わたしの懸念を伝えると、かれはこう開き直った。
「心配するなよ。シベリアの平原には、警察官なんて働いていないからだ。だって人間が住んでいないからね。警察官なんて出会ったことがないし、伝説の人だと思っている」
・ロシア国土の大部分を占める森林地帯、そのなかで暮らすロシア人にとってウォッカは欠かせない自己確認のための「神聖な水」なのである。ウォッカの語源は、「ヴァダー(水)」だ。2020年のアルコール飲料の消費量を見ると、ウォッカは全体の51%を占めており、ビールとワインを圧倒している。ウォッカの一人当たりの年間消費量を国別で比較すると、ロシアは世界一位の13.9リットル。
<オイルとウォッカ>
・当時のロシア経済は、まさにバブルの絶頂期を迎えていた。ソ連時代を含めてロシア人の多くがはじめて資本主義の怒涛に飲まれ、その栄華に酔いしれていた。
・たしかにプーチン氏が大統領に就任した翌年の2001年以降、町の様相が大きく変わった。GDP成長率は本格的な上昇局面に転じ、2006年には前年比で8.2%を記録している。とはいっても、ロシアが新しい産業を育成し、自力で経済大国にのし上がったというわけではない。
世界的なオイル価格の上昇が、大きな要因となったのである。
・7年間で5倍近くにまで跳ね上がったのだ。ロシアの輸出高の7割が、天然資源関連で占められる。いわば「毎日、宝くじに当たる」かのように外貨収入が激増した。このようなオイル価格の上昇を招いたのは、石油需要の増大と投機マネーの流入である。だから、ロシア経済の繁栄は世界の資本主義経済に依存しているといえる。
<ロシアはヨーロッパなのか>
・だが、赤の広場で出会った先の老人は、バブル経済に踊るロシア人の浅はかさを見透かしているかのようだ、ロシア人にとって大切なのは、ロシア経済を潤すオイルなのか、それとも伝統的なウォッカなのか。
いわば、資本主義を奉じる「欧米」と「ロシア」のどちらの価値観をロシア人は選択するのか、迫っているようだ。両者の選択は19世紀以降、ロシア人が繰り返し思い悩んできている本質的なテーマである。ロシアはヨーロッパの近代化に追随する道を歩むのか、それともロシアの独自性を追求するのか。
・欧米と古いロシアの間の選択を迫られるロシア人の辛い心情を察したのか、モスクワの商店では、オイルのドラム缶を模したアルミ容器に入ったウォッカが販売されるようになった。商品名は「オイル」、価格は4122ルーブル(8244円)だ。酒の販売コーナーにオイル缶が所狭しと並べられているのを見たときは驚愕した。
<祖国を愛せないロシア人の悲哀>
<ロシア人の根本的な不幸>
・「ロシアを愛するのは罪なことですが、でもロシアを愛さないと犯罪になるのです……。現実のロシア社会はあまりにも理想からかけ離れており、惨憺たる現実にあきれ果てています。改善しようという気持ちも消え失せています。権力者はつねに、不満を募らせる民衆の言動を警戒しており、さまざまな方法で社会の動向を監視し、わたしたちに愛国精神をもつように強要しているのです」
・しかし、祖国を露骨に嫌うという態度は、プーチン政権が推進するロシア愛国主義に抗することになる。反政府運動に参加すると、警察署から職場に通報され、上司からハラスメントを受けることは日常茶飯事のようである。退職を迫られたり、ときには、難癖をつけられて刑罰に処されたり、毒を盛られる危険もあったりする、とタメ息をつく。
<おんぼろバスでの喧騒>
・少し補足するならば、ロシアの離婚率は世界でトップクラスだ。2002年には離婚率は84%に達した。原因はアルコールと麻薬が41%、狭い住居環境が26%となっている。
<再起不能のロシア>
・喧騒を目の当たりにして、ロシアの知人たちがわたしになんども諭してきた言葉が、思い起こされた。まさに現実に起こっている光景にぴったりなのである。
「ロシアは、将来に何が起こるかを推測できない国です。信じられないようなことが突然起こったり、ときには人間の悪意で生活がゆがめられたりします。思いどおりにいかないことが多く、期待は簡単に裏切られてしまいます。だからあなたはずっと、そんなロシアに困惑していくことでしょう」
・「わたしたちが予測不能の国に住むことになってしまったのは、過去からなにかを学び、それを将来に生かしたり、未来を予測したりしなかったからです。悪意、絶望、怒り、幻滅、恥辱という人間の感情によって歴史がゆがめられてきました」
ロシアは一見、再起不能のように感じられる。
・車内のドタバタを見つめながら、隣の女性がそっとささやくのをわたしは耳にした。「神様! わたしがロシアに生まれたのは、なにかの罪の代償なのでしょうか。前世でなにか悪いことをしたからでしょうか」
哀愁に満ちた言葉に、わたしは嘆息してしまった。
<それでも「ロシアは偉大」なのか>
・本章の冒頭で、友人が打ち明けた「ロシアを愛するのは罪なこと」という煩悶は、心情としては理解できる。ここまで混沌として無秩序な祖国に愛着をいだくことはむずかしいだろう。だがそれにしても、「ロシアを愛さないのは犯罪」にはなるのだろうか。
近年、プーチン政権はたしかにロシア愛国主義を強く打ち出している。
ロシアのクリミア併合に対し、欧米諸国が発動した経済制裁は今日でもロシア経済に深刻な打撃をあたえている。
・政権に批判的な立場の人間は、欧米諸国の反ロシア組織に扇動された裏切り者との烙印を押され、国家主権を侵害する外国の手先と見なされるのであろう。
すでに述べたように、実際、反プーチンを訴える野党政治家やジャーナリスト、最近ではナヴァーリヌィー氏のような活動家までが身柄を拘束、毒を盛られる殺害未遂事件が相次いでいる。
<政敵の暗殺事件>
・ここで象徴的な事件に触れておきたい。
2015年2月に起こった野党指導者ボリース・ネムツォーフ氏の殺害である。かれはソ連崩壊後のロシア改革を唱えるリーダーであり、エリツィン元大統領の政権下で副首相を務めた。ポスト・エリツィンの指導者に名前があがるほどの人気者であった。
・ネムツォーフ氏に対するプーチン政権の忍耐は、2014年に限界を超えた、かれはクリミア併合を強く批判し、さらには2015年2月には、親ロシア派勢力が牛耳るウクライナ東部にロシアは軍事支援していると声を荒げた。
かれ自身、ロシア軍侵攻の秘密情報を入手したことをほのめかし、状況は一気に緊迫した。欧米派を自認し、プーチン氏と真っ向から対立するウクライナのポロシェーンコ大統領は、ロシアの干渉を強く非難しており、プーチン政権にとってネムツォーフ氏はウクライナ政権を支援する裏切り者となったのだ。
ロシア政府は表向き、ロシア軍の侵攻を否定し、個人の判断で、いわばボランティアとして義勇兵がウクライナ東部で活動しているにすぎないと発表した。ロシアは民主国家であり、私的な行動を制限することはできないといわんばかりであった。
ネムツォーフ氏は2015年2月27日の深夜、クレムリンに隣接する橋を歩いているとき、背中から銃弾4発を浴びた。
・ネムツォーフ氏の殺害でわかったのは、ロシア領土の拡大をはかるプーチン政権を批判するのは危険なことだということである。ロシアを愛さないのは犯罪者になるどころか、命の危険にさらされてしまう。
<プーチン氏は終身大統領>
・2000年以降、最高指導者として君臨するプーチン氏は一般民衆の言動にも疑心暗鬼となっている。2020年7月1日に実施されたロシア憲法改正の国民投票は、民衆にとってプーチン氏への忠誠心を問う踏み絵と映ったようだ。プーチン政権は、投票を監視することで有権者の政治姿勢を探ろうとした。
・さらに憲法改正で注目されるのは、プーチン氏の神格化が本格化し、その支配に対してゆるぎのない正当性が付与された点である。ロシアは先祖が育んできた神への信仰で形成され、そして発展していく国家であると明文化された(第67条)。プーチン氏が率いるロシアは神の国と位置づけられ、今後はより保守的な色彩の濃厚な国家体制が形成される。ロシア人は、もはや「ロシアを愛するのは罪なこと」と安易に話すことはできなくなりそうだ。というのも、祖国は神の国になるのだから。
・ロシアでは現在、無許可の集会に参加すると、30万ルーブル(約60万円)の罰金が科せられる。2012年6月の連邦議会で法案が採択され、従来の最大5000ルーブル(約1万円)から一気に引き上げられた。実質的に、反プーチン集会は封じられてしまっている。
ロシア人は荒廃した社会に埋没し、ときには政治的な抑圧も受けながら、絶望のロシアに生きることの不幸を嘆く。それでも、祖国の実態とは対極に輝く理想や幸福を追い求めている。
現実があまりにもおぞましいので、だからこそ生きる意味を真正面から問いかけ、たえず自分とロシアの距離感を探るのである。
ロシア社会という大きな器のなかで、小さな個人の営みを見つめているロシア人の姿。わたしはかれらを、見守ることしかできなかった。
<モスクワのわるいやつら――さもしさがあふれる都市>
<すぐに破棄される約束>
・「あなたがホテルに迎えにきてくれたとき、あなたとタクシーを手配したコンセルジュ、そしてわたしの3人で、料金は3000ルーブルと約束しました。たとえ渋滞が発生し、どんなに所要時間が長くなっても、あなたは超過料金を求めないと約束しました。あなた自身が『一切、ありません』と明言した。それなのに……。余計な560ルーブルは、いったいなんの追加料金ですか」
たしかに560ルーブル(約1120円)は、それほどの金額ではない。だから、わたしはチップだと思ってあきらめることもできる。でも、納得できない。なぜかれは約束を一方的に反故にするのか、その理由をわたしは資したいと思った。
<約束するにはその条件を確定すること>
・わたしがロシア人同士の会話でよく耳にするのは、約束を守らなかったことをめぐるモメ事である。時々というよりも、「とても頻繁」に聞く。人間関係に亀裂が走り、罵り合う場面も、なんども目撃している。
<善意につけ込むロシア人>
・わたしは、いつもポケットに携帯電話を入れており、なにかあれば、日本大使館に通報できるようにセットしている。わたしが「大使館に電話します」と声を絞り出すと、5人の男たちはバラバラに立ち去っていった。こうしてわたしは、窮地を逃れることができた。
<賛美される他力本願の生き方>
・ところで、わたしはモスクワ滞在中、スーパーに立ち寄って食料品を買うことが多い。ただ、ソ連時代から、レジの店員には細心の注意をはらってきた。紙幣を差し出すと、お釣りをごまかすことが多いからだ。買い物客から小銭を巻き上げるのだ。とくに外国人は標的にされやすい。
露骨に「お釣りがないので、チューインガムをあげるね」と1、2枚を渡されることもたびたびある。
・店員のことばを聞いて、わたしはすぐにロシア人が日常しばしば口にするフレーズを思い出した。「他人のポケットに手を突っ込んで生きる」
ロシア人の多くはどんなに努力しても、豊かな生活を手にいれることはできない。富は特定の階層に集中しており、貧者はどんなに努力しても報われることはない確信しているのである。たしかに所得に応じて大きく三つの階層に分けると、「富裕層」は人口の10%を占めるのに対して、「貧しき人びと」は全体の半分に達する。
ロシア人は、プーチン政権が自分たちの生活を本気で改善してくれることはないと思っている。
<暴走する親切心>
<おせっかいな親切心>
・もちろん、ロシアにあるのは罪深い面だけではない。これまでに述べてきた側面とは真逆の、親切心に満ちたロシアが存在しているのも事実である。
意外に感じられるかもしれないが、ロシア人の気遣いは桁外れだ。
<欧米スタイルを崩すロシア流の親切心>
・いずれにしても、店員はわたしを相手に過剰な親切心を発揮したのである。このような親切心は、ロシア人に特有の性質によるところが大きい。モスクワのような大都市では、欧米化の波が押し寄せているが、まるでそれを打ち消すかのように、個人を相手に全開になるロシア人の善良さが日常的に姿を見せるのだ。
<注意はするけど、お好きなように>
・「ロシアで生活すると、あれもダメ、これもダメ、窮屈に感じるだけではなく、ロシアに不信感をいだくようになります。たしかに制約が多すぎますが、それでも乗り越える方法があります」
<絶望のロシア>
<不条理の国>
・2019年12月28日、わたしはロシアで新年を迎えるために、成田空港からモスクワ近郊の空港に降り立った。10時間を超えるフライトに疲れていたが、経験上、ここから入国にむけての試練がはじまる。
空港ビル内の長い通路を10分ほど早足に歩くと、少し広い空間に突き当たる。丸天井から白い蛍光灯の光がそそぐ入国審査場だ。
・よく観察すると、入国審査には一人当たり3分を要している。わたしは先頭から数えておよそ80番目なので、入国までに240分(4時間)待つことになる。とはいえ急いでいるわけではなく、焦ることもない。モスクワ時間は午後6時まえなのだが、日本時間では翌日の午前0時になろうとしている。たしかに眠気が増してきている。このまま無力感に打ちひしがれて無為の苦しみに悶えながら、時間をやり過ごすのも空虚なロシアらしさを体感できる。
<状況を突破せよ>
・「ロシアで生き抜くのに大切なことは、行列をいかに突破するかの知恵を身につけることです。どんなにたくさんの知識を得ても、りっぱな高等教育を受けても、ロシアではあまり役に立ちません。行列をくぐりぬけるのには、だれかに媚を売ったり、抗議したりするのは無駄です。たとえお伺いを立てても、「ダメ」と一蹴されるどころか、無視されてしまいます。とにかく、やみくもに突進することです。自力で、最悪な状況を突破することです」
<奇異なロシア>
・わたしでさえ、同じ場面に出くわすことは二度とないに違いない。一つひとつのシーンに反復性は期待できず、わたしの経験はいわばロシア社会のほんの小さな断片に過ぎないといえる。
しかし大切なことは、ロシアを訪問すれば、だれでも自分だけの不可解な一コマを体験できるということだ。一過性のオリジナルなロシアに偶然にめぐり合うことができるのだ。ロシアの手荒い歓迎に狼狽することはない。
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