ヤーウェ=エホバ様の名はこれまでの日本人にとっては、キリスト教の神でしかなく、自分達の国の生みの親であったことなど夢にも思わず、今も尚、そう考えている人達が多いということです。(1)
(2025/1/13)
『古代日本と七大天使』 神代編
西澤徹彦 著/千乃裕子 監修 ジェイアイ出版 1989/3/1
・天を司る七大天使をはじめ神ヤハウェ(エルランティ)、イエス・キリスト、モーセ、ブッタ(釈迦)と日本のつながり、そして日本の存在すべき意味を論証。
・「古代日本歌謡、和歌は神ヤハウェのヘブライ語による霊示を隠蔽したものだった」――“日本語とヘブライ語の二重の意味を持つ神の言葉”という驚くべき真実を独自の手法によって論証。古代日本に隠蔽したヘブライ語で予言された、天を司る七大天使、ミカエル、ガブリエル、ラグエル、パヌエル、ラファエル、ウリエル、サリエルの名を明らかにし、日本における今世紀の再臨を証す。
<はしがき>
・私が古代日本の考察から、古代歌謡集は、古代ヘブライ語であるとの結論に達し、ヘブライ語を学び始めたのは、4、5年も前のことになります。
・『天の奇蹟』下巻の現天上界の御証言、ガブリエル様によって、これらの歌謡集は隠蔽された黙示文であったことが明らかにされました。
神に敵対する者、サタンに対する対応の結果でありました。
サタンの目から、隠し覆うことは不可能だったので、これはあくまで対応であり手段であり、大きな目的を二つに備えた手段であったのです。
・それをいちじるしく潤色なからしめているが亡国の輩、マルクス共産社会主義者達で、サタンの遺産であるが故に、世界を滅亡に向けてひたすら突進する“終わりに向けて生きる者達”であり、先を見ない人達なのです。
・共産主義者達は、中庸から逸脱した人達であり、現在も惰性として続いている2、30年前の“マルキストでなければインテリに非ず”のような風潮は払拭されるべきなのです。
<天上界と古代日本>
<古代日本歌謡に歌われる七大天使>
<日本書紀に記載される現ミカエル大王>
・日本に古くから伝わる歌謡は、すべて古代ヘブライ語であると結論づけて以来、時折翻訳解読を試みておりますが、ヘブライ語に浅学素人の私でさえも翻訳は比較的容易に進み、しかも内容たるや、終始一貫、理路整然とし、並の人が述べたものではないことが解るのです。
・古代歌謡には、ヤハウェをはじめとする元七大天使の方々の名前が随処に見受けられ、かつての古代日本に、現在千乃先生のお側にある現天上界高次元があったことを裏付けるものです。
歌謡の解読翻訳が進むにつれ、歌謡が古代ユダヤ人の用いたヘブライ語であること、かつての古代日本に現天上界があり、古代のそれと現代のそれとは同じであり、現天上界が古来から存在した正真正銘のものであることが、より確実に明確になっていくものと思われます。
・私達のその助力者は、エルである七人のことである。翼であり王位の救い主達であり、私の代りを定められた救い主達である。
・これらの歌謡は、最後の審判を予言したもので、悪霊の消滅を指したものです。
古代歌謡は、これに関するもので、かなりを占めていると考えられます。
<神楽歌に歌われる七大天使>
・当時の天使は、周知の通り現在の天上界では、前天王ヤーウェ=エル・ランティ様の後を受け継ぎ、1978年7月1日以来現ミカエル大王となっておられます。
・「告示するだろう」とは、背反者の消滅宣告を指すと思われます。
本稿に述べられた歌謡は、すべて前天王エル・ランティ=ヤハウェ様の直々の霊示現象を伝えたものであるということです。
<古代歌謡に歌われる次期大王、ガブリエル>
・彼は救うだろう、島に隠されたその彼らを。すなわち、その一人ガブリエルである。彼、ガブリエルは救うだろう。
・現天上界の1984年6月29日付ガブリエル様のメッセージ、「私達が今メシアとしてあなた方を救おうとしているのです」。
・あなたは踏襲するだろう。彼は二番目を定められるだろう。私達の異邦人である彼は受け継ぐだろう。神の名、ヤハウェの遣わすべく。すなわち、証(しる)しはエル、ガブリエルである。そのあなたは神としての二番目を踏襲するだろう。
・今世紀の最後の審判におけるこの最後とは、終末、世の終わり、地上の絶滅等を指すのではなく、エル・ランティ様の述べる終わりとは、闇の終わり、つまり悪霊の大掃除を指しているということです。
今日オカルト的大予言として騒がれている地上の最終戦争によって人類の大半が滅びるという終末思想は、サタンによってもたらされたものであり、サタンの首脳が消滅された現在、この終末思想の予言は成就されないということです。
・但し、ガブリエル様の今世紀のメッセージにおいて「人類は神の手を離れた」と述べておられるので、もし最終戦争らしきものがおこされるとすれば、それは人類のエゴ、サタンが起こしたマルクス共産主義によってもたらされるということです。
・サタンの残した怨念が続く限り、可能性は皆無とは言えず、現天上界で絶えず警告を発しておられるのです。
サタンは地上に最終戦争を起こして人類を滅亡に追いやるつもりで最終戦争の予言をしたのですから、もしエル・ランティ様の弟様であるサタンと化したダビデが消滅されず、生きていたら、これら地上の最終戦争の予言を成就させた筈です。
私達人類は、身を犠牲にしてまでサタン・ダビデを消滅させたエル・ランティ様に大いに感謝しなければならないのです。
天上界では、サタンがおこしたイエス様の悲劇を二度と起こせまいと、堅く誓われておられます。
<古代歌謡に歌われるラグエル>
・ラグエル様は、彼、つまりミカエル様の右側に位置しています。
・そして、この七大天使の画かれた絵をよく見ると、ミカエル様を中心とした翼を表現していることが解ります。ラグエル様はミカエル様の右側の翼に当たる訳です。
・この歌謡中の「貴方」とは、おそらく聖徳太子を指し、この予言は、『天国の扉』ラグエル様の証言によって聖徳太子が告げられ成就しています。
・「霊媒」とは、古事記104歌謡にある「真新しい威光の霊媒」を指し、再臨のメシア達の霊示を現象する霊媒、霊能者ですから、これは、千乃裕子先生を指します。
エル・ランティ様の主となる重要なお仕事の一つは、再臨のメシア達が現象するのに相応しい霊媒を捜し出すことであったということです。
<神楽歌について>
・神楽(かぐら)歌は古くは、カミクラと言ったことについて、研究家の意見は一致しています。
<万葉集に歌われる現ミカエル大王>
・ヤマト、はヘブライ語に音訳すると、「神の民」という意味ですが、これで大和民族の古来から言われてきている神国日本の意味が、歴然としてくるというものです。
<現ミカエル大王を長男として証言するヤーウェ=エル・ランティ>
・古代日本の歌謡のほとんどがエル・ランティ様の霊示によるものです。
・エルによって私達のミカエルは踏襲する。彼は一族の長男として指名された。彼は私の息子であることを証言し、(王位を)移すだろう。
・ミカエル様は、日本の神社では「三毛入野尊(みけいりのみこと)」として祀られておりますが、このミケイリノは「私達のミカエル」の意味である「ミカエレヌ」の変えたものと考えられます。
<風俗歌、雑歌に歌われるパヌエル>
・潔白なパヌエル、彼の定められたものである。私は私達の八人を引き出すだろう。
・本稿において、過去形で述べられているものは、主に、ヤーウェ様の下で天使として働かれておられた時のことを述べたもの、と思われます。
<風俗歌、神楽歌に歌われるラファエル>
・翼である彼は正しさを立証した。あなたの癒す方として、あなたのそのエルとして。私達の計る方であるラファエル、彼は一掃するだろう。消滅される子孫を彼は振り落とすだろう、私の計る方である。
・ラファエルは、彼らの異邦人であり証言する方である。神であるあなたは取り除いた。威光の神であるところの貴方の火は、贖うべく計る方である。
・この歌謡の場合の「異邦人」とは、「宇宙からの人」を指すのですが、このメッセージが出された時代には、コペルニクスもガリレオもまだ生まれてなく、宇宙という言葉もなかったので、エル・ランティ様は「異邦人」と表現されたのです。
<風俗歌、催馬楽に歌われるウリエル>
・威光である彼らの神は偉大な天使ウリエルである。あなたの火だ。
・その取り去る方として、火であるあなたは焼くだろう。ウリエル、彼の定められたものである。神のその証言する方として相応しい方である。汚れは、消し去られる。神の火、そのエルとして私達の任じた方である。
・私の園とは、ヤーウェ=エル・ランティ様の園、つまり天の国を指します。
・従って、これらのことから、肉体ある一人の方の死によって、人類の罪が贖われるという、非科学的なイエス・キリスト十字架贖罪説は否定されるべきでしょう。
贖い主は霊でなければならないのは、きわめて当然ということになります。
<催馬楽、風俗歌に歌われるサリエル>
・この歌謡では「島を悲しんだ貴女」とは、サリエル様を指すことになりますが、これはかつての島、日本列島を悲しんだ、という意味です。
ところがかつて、この島を悲しんだ女性がもう一人居りました。それは天照大神ですが、『天国の扉』『天国の証』では、天照大神はサリエル様の本体とされております。
この歌謡の場合の貴女とは、実はサリエル様と天照大神のお二方両方を指しているということです。
さて、これで古くからヨーロッパ諸国や西アジアで言われている「光は東方から」の意味が明らかになったと思われます。
<古代日本歌謡に歌われるキリスト・イエス>
<日本国歌「君が代」に歌われるイエス>
・「石の」は、「私達のイエス」の意味である「イシュヌ」の訛ったものと考えられるのです。
・「私」とは、ヤーウェ=エホバ=エル・ランティ様を指し、「私を決めるだろう」とは、証言の内容についてのことで、エル・ランティ様についてイエス様は証言するということです。この予言は『天国の扉』において成就されています。
・イエス様がユダヤ人であったことは知られていますが、「血統である」とは、このエル・ランティ様の霊言を語られた民が、同じ血統であることを示唆しており、古代日本にユダヤ部族が居住していたことを示しています。
「救い主(メシア)」とは、この歌謡にあるように、天上界善霊の方々の霊能者を通して出される証言によるものであり、一人の生身の肉体を持った人間を指したものではないのです。
・これはどういうことかというと、霊媒を通じてエル・ランティ様が現象(霊言)した時、ヘブライ語の書記が居たことを示すものであると思われるのです。
・彼は秘められていたところのユダの王位と共にある神。
・イエス様は古代日本に定住していた部族と同族である。「秘められていたユダの王位」とは、イエス様の布教時代「ユダの王」は極秘事項だったのだが、誰かが喋ってしまった為イエス様が屈辱を受けたとも想定されます。
・私の起(た)つ方、私達のイエス。彼は私達のそのエルに任じられるだろう。起つ方、あなたは死から離れ、癒された。救い主としての友人。彼が死んだ時、(魂が)離れ去ってからそれは決められた。救い主としての友人。
<神楽歌・催馬楽、他に歌われるイエス>
・「私の国」とは、天上界・「彼ら」と複数なのは前出歌謡と同様、七人の方々をも含む為。
「私の起つ方」の意味であるカミは、後世「神」と当て字され、日本語の神の語源となったと推定されます。日本語の神には「救い主」の意味が込められていることになります。
・歴史上の有名人の中でも立派な方は皆、サタン・ダビデの嫉妬により暗殺されたとのことですので。
<古事記歌謡に歌われるイエス>
・この歌謡の中で『沈黙させ守らせる』とあるのは、このエル・ランティ様の霊媒による霊言の後は、今世紀において千乃先生を通じて名乗りをあげるまでは、天上界は沈黙すると、述べられている。例えば霊能者を通してイエス様やミカエル様として名乗りをあげない、ことを述べているように思われます。
<日本書紀歌謡に歌われるイエス>
・やはり、伊弉諾(いざなぎ)尊はイザヤのことであることは、ほぼ間違いないようです。伝承はされたが、渡来してはいなかった。
・何故、ヤハウェ(エホバ、エル・ランティ様)を慕う者のみであると言えるのか、という問いに対するひとつの答として、サタンの発案である、割礼の儀式が日本には伝承されていないこと、が挙げられます。
「イザヤ書」にあるユダヤの民が消滅されるとは、どういう意味か?
<古代日本歌謡に歌われるモーセ、ブッタ、イエス>
<催馬楽に歌われる三人のエル>
・日本古代歌謡を解読してみて、つくづく思うことは、これら宗教史上に名を残す有名人の方々にとって、いたずらに神格化されたものは、何一つないという点です。
みな現実の人であることのように受けとめられ、また事実そうなのですが、少しの無理もなく、古来からの天上界の智恵に感心するばかりです。
・ブッタ様は、この歌謡では釈迦の音で歌われていますのでそのまま釈迦としました。
・エル・ランティ様は、『天国の証』エル・ランティの章においてブッタ様の高橋信次氏について、批判されておられます。
・「彼は、縁を結ぶ者として書き込むだろう」の彼とは高橋信次氏を指すことになります。
氏は確か『縁生の舟』という著書をだしており、毎月のGLAの講演会では、中道、つまり「八正道」をとり上げておりました。
・イエス様を「私の星」と表現するこの星は、ミカエル様をして、千乃先生を「私の星」と呼ばしめるもの、又、『天国の証』のイエス・キリストの章によって始まる部分を“希望の星”と天上界が副題を付けられたことと相通じ合うものではないかと思われます。
・「彼の子孫」の彼とはモーセ様を指します。ブッタ様は、モーセ様の子孫であるということです。
お三方がエルに定められたことが、主にここでは述べられています。
・すなわち、あなたの潔白の全う、イエス。授与されるべく律法、モーセ。あわれみの心、釈迦。
・天上界に逆らう悪霊はすべて見放される者であり天上界によって消滅されるということを述べています。「茨の道」は、イエス様にとって潔白なものであったこと。律法とは、モーセ様の十戒を指したものである。そして慈悲のブッタ様が述べられています。
今世紀のミカエル様のメッセージに「ブッタのような慈愛を持ち」と述べられ、この歌謡と通じるものがあります。
・そして、ここでは、再臨のメシア達は、島、つまり日本列島で語ることが定めとして、述べられているのです。
「外からの方」とは、地球外のことを指しており、「ベーエルデ星」から来られた方、という意味です。
・サタン、悪霊との闘いに備えるべく、射抜く光はさらになおも研ぎ澄まされる正義の剣であるということです。この悪霊を消滅する射抜く光は、神の証しである。「あなたの恐れる方」「あなたの終わり」のあなたとは、いずれも民を指したものでしょう。
・「隠れる者」とは、サタン、悪霊を指したもので、最後の審判とは、サタン、悪霊の消滅を指し、終わりとはこのことを指します。
・サタンは、この「隠れる者」について、自分にとって都合の良い勝手な解釈を下し、霊能者を使って、恐ろしい予言をし、エル・ランティ様のやり方を真似して、和文に隠蔽し、古代日本の島々に広めてしまった形跡があるということです。
<神楽歌に歌われる三人のエル>
・「起つ方の敵」とは、言うまでもなく、サタン・ダビデを指しています。エル・ランティ様の双子の弟であり、つまり一族の方であるからです。
「くじけさす」とは、サタンをくじけさすという意味です。
・その証明となる歌謡(サタンの立てた恐ろしい計画を終わりの日に七大天使が実行に移すという内容の予言を、サタンは霊能者を使って書かせています。勿論この予言はヤハウェ様が行なった霊言であるかのように装って、和文に隠蔽したものです。)を私はいくつか解読に成功し、別稿にて提示致しました。
・「島は計られる」とは、島々、つまり日本列島がサタンの謀略の罠にかけられるということです。
・サタン・ダビデは、古代日本においては、「空しい男」として、知られていたということです。
・末法の世の民は、群となるほどに悪霊化し、ブッタ様が集める時には、民に憑依し、その憑依された民を集めるだろうと予言されたものです。
高橋信次氏の講演会において、ブッタ様はたびたび、集まった方々には悪霊が憑依していることを高橋氏に告げさせ、実施として憑依者から悪霊を追い出すことをやっています。
・キツネやタヌキの霊が喋ったというので、物珍しさも手伝って多くの人が集まったとも言えるかも知れません。一つの方便であったということです。
「悪霊の群である子孫」とは、今世紀のラファエル様のメッセージにおいて、「厳正な徳の秤りにかけて裁かれ、全人口の90%が地獄に落ちる国と高橋信次氏を通して警告を与えた国」と告げられ、「悪霊の群と化す子孫」の予言は、悲しいかな成就されていることになります。
この裏には、多くのサタンの息吹があった所以であると考えざるを得ません。
・この6世紀から7世紀にかけての時代までにおいてサタン・ダビデは相当の悪事を重ねていたというべきでしょう。
<古事記歌謡に歌われる三人のエル>
・万葉集や、古代歌謡によく出て来る歌詞に「やすみしし」がありますが、このやすみしは、イエス・キリストの意味です。
キリストは、救い主の意味であるギリシャ語ですが、ヘブライ語では、モシアとなり、イエス・キリストは、イーシェ・モシアとなります。
古代歌謡では、このモシアのアを脱落させています。イシェモンの母音を変えてヤスミンとしたものです。
・「神の民」とは、勿論、我が日本人国民を指すことになります。
イエス様、ブッタ様、モーセ様は、「彼ら」、つまり現日本国民の「親類」であると述べるのです。
そして、このお三方はアブラハムの子孫であり、日本国民も同様ということになります。
・ブッダ様が集める方であったことがここでも述べられており、『天国の証』おいて、また高橋信次氏存命中において、偶像仏教の批判を行なっています。
・「ダビデが死なせた」とは、イエス様の十字架への筋書がすべてサタン・ダビデによって仕組まれたものであることを述べたもの、と思われます。このダビデの多くの悪業については今世紀のガブリエル様がメッセージにおいて証言されておられます。
また、このダビデの筋書きが天上界への大きな試練となった。
七人とは、勿論元七大天使、ミカエル様、ガブリエル様、ラグエル様、パヌエル様、ラファエル様、ウリエル様、サリエル様。
三人とは、モーセ様、ブッタ様、イエス様。
つまり、この十人の方々が出揃わなければ、また一緒に証言したものでなければ、キリスト教等で言う、再臨のキリストとは言えないということです。
エル・ランティ様も別の歌謡で意見を述べる旨、予言されていますので、この歌謡のメッセージを述べられている御本人を含め、合計十一人の証言が為されなければならないということです。
<古代日本歌謡に歌われるエクソダス、モーセ>
<風俗歌に歌われるエクソダス、エル・モーセ>
・この歌謡に限らず、他の歌謡でも、エクソダスを遂行させたモーセ様は速かったと述べられていますが、これはエクソダスに40年もかからなかったことを示唆しているかのようにも思えます。
実際に40年もかからなかったことが、『天の奇蹟(中)』に論証されています。
<雑歌に歌われるモーセと預言者イザヤ>
・この歌謡では、モーセ様のことと合わせて、イザヤが一族で、ヤーウェの法の為に起ったことが述べられています。
<石碑に刻印された歌謡の中のモーセ>
・モーセ様を讃える歌が、石碑に刻まれている。なにやら、これは石版に刻まれた十戒を連想させます。
・わが群、つまり再臨のメシアは、島々と述べられているところの日本から起こる。この予言は、『天上界メッセージ集』、天国シリーズ他の刊行物によって成就され、あらゆる角度から、正しさが立証されつつあります。
責めを負う日とは最後の審判を指し、責めを負うべくとは、審判の対象は人間、悪霊に限らず、天上界最高次元にまで及んでいるということ。天上界を敬愛する正法者によって流布は拡大されつつあるということで、これらの予言は成就されています。
・私の律法とは、ヤーウェ、エル・ランティ様が、モーセ様を通じヘブライの民に与えた十戒を指すものと思われます。
日本古謡には、「エル」が、不断に使われていますが、これは旧来のヘブライ語の意味である「神」という意味に受け取るよりも、研かれた霊に与えられる“栄光の称号”と考えた方が判かり易いようです。
もともとセム語で使われるエルは、本来は「正義を照らす者」の意味であったはずなのです。
・旧約聖書「創世記」第1章第1節の「元始に神天地を創造たまへり」の「神」は、「エロヒーム」ですが、これはヘブライ語文法に従うと「エル」の複数形に当たり、当然エル達とでも訳すべきものです。
ユダヤ教では、ヤーウェ一神教の立場から、エロヒームを単数ととらえています。
・従って「神による私の律法」は、「自然の摂理によるヤーウェの律法」と考えたら解り易くなります。
・「エル」は、「正義を照らす者」の意味を含む“栄誉ある称号”であるということです。
<日本古謡の謎と予言>
<催馬楽に歌われる天使の群、エルの冠(かんむり)>
<英知の源(みなもと)、溶鉱炉としてのエルの群>
・この場合のエルとは、勿論エル・ランティ、エホバ、ヤーウェ様を指すことは言うまでもありません。
・私が、古代歌謡がヘブライ語であることを見出し得た糸口となったのは、古事記29歌謡の「牟迦幣流(ミカエル)」、つまりミカエル様の名前からでした。
・このことは、「威光の霊媒」が誰であるか、ミカエル様以外には知らされない、ということを意味していると受け取れるではありませんか。
千数百年前からの天上界の御計画である「威光の霊媒」が誰であるか、ミカエル様以外には知らされなかった。
・「威光の霊媒」が誰であるか、ミカエル様以外には知らされないという、この千数百年も前の御計画は、やはりサタン・ダビデを警戒してのエル・ランティ様の深い配慮だったということが解ります。
・ヘブライ歌謡では、天上界の方々の光の霊域を部屋と呼び、この歌謡では十人の方々を冠と呼んでいます。
・古代日本歌謡では、モーセ様が歌われる歌謡には、決まって島々が出てきますが、これはイザヤ時代のユダヤ民族の日本移住の際、モーセ様が霊として助力したこと、この時はまだ、ブッタ様も、イエス様も生まれられていなかった等が挙げられると思います。
この歌謡の「島々」とは、イザヤ書にある「東の地の果ての島々」、つまり日本列島を指すからです。
・ヤーウェ=エホバ様の名はこれまでの日本人にとっては、キリスト教の神でしかなく、自分達の国の生みの親であったことなど夢にも思わず、今も尚、そう考えている人達が多いということです。
・「消滅させるだろう」は勿論、悪霊の消滅を指します。
・私達とは、天上界を指し、末法の世、未来のユダである日本を予言したものと思われるのです。
<十人のエル、天使の溶鉱炉>
・催馬楽には、多くの重要な歌謡が盛り込まれてありますが、はっきりと十人の名を、まとめて歌ったものもあります。
・まず、高橋信次氏の本体とされるブッタ様。次に千乃裕子先生の本体とされるミカエル様。
・そして、私は私達の十人を引き出すだろう。イエス、ウリエル、サリエル、ラグエル、ミカエル、モーセ、釈迦、ガブリエル、ラファエル、パヌエル。私達の救い主達である。
・善霊は必要以外の人には霊能持たせないのが通例ですから、今日の霊能者と称せられるほとんどの方は、皆悪霊によって能力をつけられたものとみて間違いないのです。
霊能とは、真の神との仲介以外には必要の無いものだからです。
・キリスト教にしても然りです。キリスト、つまりメシアという名称は、既になくなりつつあるということです。
正法が広まれば、個人崇拝のメシアは必要なくなります。正法は新しい時代に備えられた法であるからです。
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