「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」――と、わたしたちが観音さまの名を称えます。するとたちまち、観音さまはわたしたちに救いの手をさしのべてくださるのです。(2)
<観音さまの変身>
・観音さまの住所は南インドのポータラカ山だ、と記しておいた。しかし、観音さまは、ポータラカ山の宮殿でのんびり昼寝をしておられるわけではない。さまざまな姿に身を変じて、わたしたちのこの娑婆世界に“遊び”にきてくださっているのだ。その観音さまの変化身(へんげしん)を、これから釈尊が列挙される。
・人間には好き嫌いがあるからである。だから、学校の勉強だって、好きな先生から教わる教科のほうが進歩も早いのである。
それが、観音さまがさまざまな変化身でもってわれわれの前に現われてくださる理由である。好き嫌いのはげしいわたしたちのために、その人がいちばん教えを受けやすい姿かたちをとってその人の前に現われ、そして法を説いてくださるのである。
たとえば、仏の姿で出現される。それは、仏から教えを受けたいと思っている人のためである。その人のためには、仏の姿をとるのがいちばんいいからである。
・そしてまた、声聞(しょうもん)の姿になられる。声聞というのは、釈尊の教えによって悟った人である。しかし、辟支仏と同じで、他人のために法を説こうという気がない。自分一人でその真理を楽しんでいる、程度の低い仏である。しかし観音さまは、喜んでそんな声聞の姿に身を変じられるのだ。なんとかして、わたしたち衆生のすべてを救ってやろうとして……である。
<三十三の変化身>
・お釈迦さまが列挙された観音さまの変化の姿は、全部で33ある。
1 仏身
2 辟支仏(びゃくしぶつ)身。
3 声聞(しょうもん)身。
4 梵王身。 梵王はまた“梵天”とも呼ばれる。もとはインド神話の神さまで、仏教にとり入れられて帝釈天と並ぶ二大護法神の一つとされた。この娑婆世界を主宰する神として、“娑婆主”の異名をもつ。梵天にも階級があって、上から大梵天、梵輔(ぼんほ)天、梵衆(ぼんしゅ)天の三類が区別され、梵天はその総称である。
5 帝釈身。 帝釈天である。“天”という語は、サンスクリット語の“デーヴァ(神)”を訳したもの。日本語に“天神”ということばがあるように“天”も、“ 神”も同義語である。インド神話の雷霆神(らいていしん)であるインドラが、仏教にとり入れられて帝釈天となった。もとは雷の神さまであるから、非常に武勇にすぐれている。古代インド社会では、インドラは武人の神とされていた。日本においても、帝釈天は武人の神として信仰された。
梵天・帝釈天は仏教の二大護法神である。ことに『法華経』の信者をよく守護してくれると考えられたところから、とくに日蓮宗においてこの二神を尊崇する。ところが、いつも並列される梵天・帝釈天であるが、この二神はその支配する領域が少し異なるのである。帝釈天は「地居(じご)天」であって、この地上世界に住んでいる。そして、欲界の神である。欲界とは、欲望の世界である。この欲界を超越したところに色界がある。“色界”とは「物質」のことで、欲界の婬欲を離れた物そのものの世界が色界である。梵天はその色界の神で、「空居(くうご)天」すなわち空中に住んでいる神である。
6 自在天身。
7 大自在天身。 自在天も大自在天も、もとはインド神話のシヴァ神であり、シヴァ神は暴風神である。したがって、強烈な破壊力をもった神である。
8 天大将軍身。 天大将軍とは、転輪聖王(てんりんじょうおう)のことである。転輪聖王とは、これもインド神話に出てくる理想の帝王をいう。釈尊が生誕されたとき、ヒマラヤの山からアシタ仙人がやってきて、生まれたばかりの太子(釈尊)の未来を占って、「この人物は在家のままで生育すれば、偉大な転輪聖王となり、出家せば人類を救済する仏陀とならん」と言ったことは有名である。地上の正義を象徴する人物である。
9 毘沙門天身。 毘沙門天は、やはり仏法を守護する天部の神で、四天王の一つである。仏教の宇宙観によると、世界の中心に須弥山というもすごく高い山がそびえているという。その須弥山の頂上には帝釈天が住み、中腹にその外将である四人の天王がいて、東西南北の四方の世界を守護するという。これが四天王であり、四天王の分担する世界は、
東方……持国天。南方……増長天。西方……広目天。北方……多聞天。である。この北方を守護する多聞天が、毘沙門天の別名なのだ。
多聞天は、仏教の道場を守護する神であり、そのため説法を聞く機会が多いのでその名がある。財宝と福徳のほか、子宝をも授けるとされ、日本では七福神の一つとしても尊崇されている。
10 小王身。 小王とは、地上世界、すなわち人間世界の王である。つまり国王だ。
11 長者身。 長者とは、富豪、資産家のこと。
12 居士身。 居士もまた資産家である。したがって、長者と同じであるが、とくに仏教に帰依した男性の在家信者を“居士”と呼ぶ。
13 宰官(さいかん)身。 お役人であり、ほかならぬ公務員です。
14 婆羅門身。 古代インドの四姓制度(身分制度)における最上位の階層が婆羅門である。婆羅門階級といえば、いわゆる「インテリ階級」だと思えばよいだろう。
15 比丘(びく)身。
16 比丘尼(びくに)身。
17 優婆塞(うばそく)身。
18 優婆夷(うばい)身。 この四つは、「サンガ(仏教教団)の四衆」と呼ばれて、仏教教団を構成する人々である。比丘は男性の出家者で、二百五十戒を保つ人。比丘尼は女性の出家者で、女性の場合は男性のより多い三百四十八戒を守らねばならない。優婆塞は男性の在家信者で、女性が優婆夷である。優婆塞・優婆夷は、出家者を財的にバックアップするのが役目。
19 長者婦女身。
20 居士婦女身。
21 宰官婦女身。
22 婆羅門婦女身。 長者、居士、宰官、婆羅門の妻である。観音さまは性を超越した存在であられる。しかし、性を超越した存在であっても、現実にわれわれの前に姿をとって現れるときには、性別が問題となる。だから観音さまは、男性として出現されると同時に、その妻=女性となって現れるのだ。それによってしか、現実には性を超越できない――。
23 童男身。
24 童女身。 これについては、説明する必要がないだろう。子どもの可愛さというものは、言語を絶している。その可愛い子どもに姿を変えて、観音さまはわれわれを救ってくださるのだ。
25 天身。 “天”といえば、すでに述べたように、「神」と同義である。しかし、ここでの“天”は、「悪神」のことであろう。すなわち、われわれを守護してくれる霊的存在である。
26 竜身。 竜といえば、体は大蛇に似て、背には鱗があり、四本足で指は各五本。
27 夜叉(やしゃ)身。 夜叉はいわゆる悪鬼である。けれども、わたしたちがその悪鬼に出会って、「南無観世音菩薩!」と称名することができれば、悪鬼はわたしたちにそうした仏縁をつくってくれた恩人となる。つまり、善―悪というものは、すべて相対的なものだ。われわれはそんな相対的なものにこだわっていては、大事なことを見落としてしまう。善神だとか悪神だとかいった区別は、われわれ凡夫が勝手につくりあげた観念でしかない。存在そのものは「空」である。それがわかったとき、観音さまが夜叉に身を変じてわれわれの前に現われてくださる真意が理解できるのではなかろうか。
28 乾闥婆(けんだつば)身。 サンスクリット語名を“ガンダルヴァ”という。ヒンドゥー教の神話では、このガンダルヴァはインドラ神の宮殿に住む一群の楽師とされている。それが仏教にとり入れられて、帝釈天の雅楽を司る神とされた。帝釈天とインドラ神は同じ神さまだから、そうなって当然である。なお、乾闥婆は虚空中を飛行しながら奏楽するという。飛天の一種である。
29 阿修羅(あしゅら)身。 阿修羅は、ほんらいは正義の神であった。しかし彼は、正義にこだわりすぎたのである。正義にこだわって、彼は怒りを燃やした。他人の不正を許せなかったのである。そのため、彼は神々の座から追放されて、ついに魔類とされた。しかも、魔類となりながらも、彼はなおも正義の怒りを燃やしつづけている。阿修羅はそういう存在である。
30 迦楼羅(かるら)身。 迦楼羅はまた“金翅鳥(こんじにちょう)”とも呼ばれる。インド神話に出てくる空想の鳥類で、鳥類の王とされる。須弥山の四方の海を飛びまわり、竜を食うという。
31 緊那羅(きんなら)身。 美声の歌神で、馬頭人身あるいは人頭馬身の鬼霊である。ヒマラヤ山中に住むという。
32 摩睺羅伽(まごらか)身。 別名を“大胸腹行”というように、「地をはらばうもの」の意で、うわばみの一種とされる。ともあれ、蛇神である。
33 執金剛神身。 「金剛杵(こんごうしょ)(不可破壊の武器)を持つ神」の意で、また金剛力士とも呼ばれる。仏さまのガードマンである。仁王さんというのは、この執金剛神の像である。
<観音さまは“施無畏者”>
・以上で三十三身の解説は終わった。
・というのは、観音さまの変化身は無限にある。さまざまな姿をとって、われわれの前に現われてくださるのだ。その無限の変化身を洩れなく列挙するのは不可能である。
<六観音、七観音>
・観音さまのお姿の基本は、六観音ないし七観音である。六観音は、天台宗と真言宗とでは少しちがっている。聖観音、十一面観音、千手観音、不空羂索(ふくうけんじゃく)観音、馬頭観音、如意輪観音を六観音とするのが天台宗で、真言宗では如意輪観音の代わりに准胝(じゅんてい)観音を加える。また、共通する五観音に如意輪観音と准胝観音を加えれば七観音なる。
<浄らかなる布施>
<三輪清浄の布施>
・布施は、自分のためにする仏道修行である。
・したがって、布施は相手のためにするものではない。
<詩による応答>
<「念彼観音力」と「観音妙智力」>
・そんなとき、わたしたちは観音さまを念ずるのである。そして、観音さまにすべてをおまかせすればよい。観音さまを念ずれば、苦しみの火もたちまち消える。それが、ことばの意味なのだ。「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」――。
・観音妙智力――とは、観音さまの妙なる智力である。それは智の力、すなわち悟りの力であり、ほとけの力である。わたしたちが困ったとき、苦しみに遭遇したときに、その観音妙智力がわたしたちを救ってくれるのだ。
また、観音さまは神通力をもっておられる。神通力とは奇蹟の力である。その奇蹟の力で、あらゆる世界、あらゆる国に出現されるのである。
<奇蹟を受け止める心>
・いや。つまりは、奇蹟はそれの受けとめ方いかんが問題なのだ。観音さまがいくら奇蹟を現じてくださっても、われわれの側でそれを受けとめることができなければ、それは奇蹟にならない。
・奇蹟だって同じなんだ。わたしたちが奇蹟を奇蹟と受けとめる心をもたぬと、結局、奇蹟はわからぬ。観音さまは奇蹟を現じてくださっているが、それがわかるのは、観音さまの奇蹟を率直に受けとめようとする人だけである。自分に受信装置のないことを棚にあげて、観音さまのせいにしてはいけない。
「観音さまは、神通力(奇蹟)を具足し、十万の国土に、刹(くに)として身を現わさざるをことなし」……あらゆる場所に観音さまは出現されている。受信装置さえあれば、観音さまを見ることができるのだ。
<“戒”は破ってもいい>
・ここに出てくるのは、『観音経』の“五観”と呼ばれているものである。“五観”とは、――
1 真観……真理を観ること。
2 清浄観……汚れなくものを観ること。
3 広大智慧観……広大なる智慧でもって事物を観ること。
4 悲観……上の三つの観でもって衆生を観察し、そして衆生の苦を抜いてやること。
5 慈観……同じく三観でもって衆生を観察し、衆生に楽を与えること。
観音さまはこうした五観を身につけておられる。
<慈悲の眼>
・ここで「五音」が出てくる。この五音は、観音さまのすばらしさをたたえたものである。
<お地蔵さん登場>
・さて、最後にお地蔵さんが登場される。持地菩薩とは、お地蔵さんのことだ。お地蔵さんが聴衆を代表して、お釈迦さんに応答されたのである。
「お釈迦さま、よくわかりました。この『観音経』に説かれた観音さまの自由自在の業、普(あまね)く衆生を救うためにさまざまな姿に変身される観音さまの神通力を聞いた人の功徳が、いかに多いものであるかが……」と。
お地蔵さんといえば、日本では、観音さまと並ぶ菩薩の双璧だ。どちらのほうが人気があるか、ちょっと比較のしようがない。観音さまが女性的であるのに対して、つるつる頭のお地蔵さんは男性的だ。でも、女性の形をしたお地蔵さんもあるそうだし、こわい忿怒形の馬頭観音もある。
・お地蔵さんの答辞のあとには、これも紋切り型の文章がくる。
「お釈迦さまがこの普門品――すなわち『観音経』――をお説きになった時、八万四千の聴衆は、全員、この上ない完全な悟りを求める心を起こした」
<再び、奇蹟とはなにか>
< 観音さまの霊験譚>
・『観音経』を奇蹟の経典と断じておきながら、その奇蹟の実例について、ほとんどわたしは語ってこなかった。
霊験譚である。神仏の不思議な感応。そのご利益を「霊験」という。そして観音信仰についても、さまざまな霊験譚、霊験記が古来語られてきた。
<固定されたイメージ>
・わたしがあまり霊験譚を語らなかった理由は、こういうことだ……。
霊験といい、奇蹟といい、ずいぶんと人によって受け取り方がちがっているのである。ある人がそれを霊験とするものを、他の人は否定する。その他の人が奇蹟だとするものは、別の人間は絶対に認めようとはしない。それが普通であろう。
わかり易く言えば、それは主観的判断に依存している。
<わたしの奇蹟>
・わたしは、「南無観世音菩薩!」の称名が、「念波観音力」そのものが、奇蹟であると思っている。奇蹟とはなにか?……と問われれば、称名させていただけるそのことが、大きな奇蹟なのだとわたしは答えたい。
・すなわち、わたしたちは、観音さまの名(みな)を呼んで、観音さまにさまざまなお願いをする。ふつうの考え方では、その願いが適えられれば奇蹟・霊験があったとするのであろうが、わたしの考え方は少しちがう。すでに観音さまの名を称えさせていただけたことが、奇蹟であり、霊験である。わたしはそう思っている。そして、それが仏教の考え方だと思うのだ。
たとえば、布施の功徳については、仏教ではこのように考えている。
布施というものが、他人にめぐんでやるのではなしに、自分のためにするものであることはすでに述べておいた。
・観音さまの奇蹟は、観音さまを念ずる――そのことのうちにある。
わたしたちは苦しみに遭遇して、ときに絶望の気持ちになる。絶望の
あげく、酒に逃避したり、死に逃避したりする。それがそうならないで、苦しみのうちに観音さま念ずることができたら、もうそのこと自体が一つの奇蹟である。
・悲しいときにも、決して絶望しないで、ひたすらに観音さまを念ずることができる。それが、そのこと自体が奇蹟である。
恐怖のなかで観音さまを念ずることができれば、それがすでに奇蹟なのだ。わたしは、奇蹟についてそう考えている。これがわたしの奇蹟だ。どうか読者も、ご自分の奇蹟を発見していただきたい。
<解説 復刊に寄せて――ひろさちや氏のこと 松平實胤>
・しばらくして2022年4月7日に逝去されたとの報が届きました。先生のご信念どおり、「即得往生」、ご家族に送られてそのままお浄土に旅立たれたそうです。
・さて、本書がこのたび40年ぶりに復刊されると聞き、感慨無量です。
・先生の信念で、世間で言う「葬儀」も「お別れの会」もありませんでしたが、残された著作は数百冊、その類まれなる碩学をしのぶことはいつでもそれぞれの書棚でできます。
『異星人遭遇事件百科』
(郡純) (太田出版)(1991年)
<牛の顔をした異星人>
・牛の顔をした異星人は、人間を下等動物としかみていない邪悪な心、醜悪な姿形を持っている。
(テレパシーによる情報)
1、我々は、牡牛座の2番目に大きな星に人口数万人におよぶ都市を持つ。宇宙で最も発生の古い種族の一つ。
2、地球には2万年以上前から飛来した。目的は種の絶滅を防ぐための交配実験である。そのころの地球には何百種属もの進化の系統を異にする異星人達が訪れていた。が、その後戦争による淘汰の結果、今は32種族に減ってしまった。
3、我々は、現在地球で交配実験を行っていない。飛来の目的は別にある。
4、我々は、母星以外に8つの基地を持つ。以前は木星にもあったが、いまは引きあげた。太陽系には基地はない。
5、現在宇宙で勢力を持つのはレティクル座を支配する小人の宇宙種族である。我々は、互いに敵対関係にある。彼らは我々が地球に出入りするのを快く思っていない。
6、我々と小人族は4千年以上前から戦火を交えてきたが、今は力の差がつきすぎ、争いはない。宇宙で異星人間の大規模な戦争が起きたのは720年前が最後である。
7、人間は<実験><手術><狩猟>の三種の目的によって分類される。我々の主たる関心は<狩猟>である。
8、宇宙の支配勢力は地球人に保護観察策をとっている。大方の種族はそれにしたがう。
9、地球人の宇宙進出は不信の目で見られている。が、それは地球人と異星人の間の戦争のきっかけにはならない。
10、地球人は異星人に敵対的な態度をとってはならない。それは破壊をもたらすだろう。
11、地球人はいずれ地球を脱出することになるが、脱出計画は小人族によって指導される。牡牛座人は小人族の地球権益独占に反対する。
<666=囚人番号説>
・666はレティクル座政府の定めた囚人番号です。
・人類の大祖先は、太古の昔、地球を訪れた、天王星にのがれた脱獄囚たちだった。キリストはその直系子孫だった。
・だが、残念なことに聖書には、そして登場する人類の大祖先たちが監獄の住人だったことを詳らかにする文言はただの一行もない。
<ヨハネ黙示録の666>
・666は地球人の間では、もともと神聖な数字とされていた。悪魔の数字に代わったのは“ヨハネ黙示録”の出現以後である。“ヨハネ黙示録”の作者はキリストの弟子ヨハネである。
・彼はキリストの死後、布教中にローマ皇帝ドミティアヌスに捕えられ、エーゲ海のパトモス島に流される。その地で神々の「啓示」にもとづく全22章からなる預言書を書き上げた。聖書には人類の歴史の中で多くの異星人が訪れたことが記されている。
<オーストラリアのメルボルンでレティクル座人が女子学生に明かした聖書の真実>
・美男子の人間とそっくりなレティクル座のゼータ星人が、2階の私の部屋の壁をただよいぬけてきた。
・男は濃い金髪にグリーンの目をしていた。人間と見分けがつかないくらいそっくり。
・「進化が遅れた」未開な星へ出かけて野蛮人の調査をするのが自分の仕事だが、姿形の異なる原始人の星では苦労する。恐怖心を与えないように視覚操作でカモフラージュするのは毎度のことだ、との話だった。
<キリストは天王星人の子孫?>
・神は天王星人です。彼らは自分の姿に似せて地球人を作りました。その子孫の一人がイエス・キリストだと主張。
・イエスの行った奇蹟は天王星人の超能力の名残りにすぎない。
・遠い昔、レティクル座人と天王星人との間で戦争がありました。戦場となったのは天王星です。戦闘はレティクル座人側の襲撃で始まりました。
・勝ったのはレティクル座人です。天王星を支配していたのは、レティクル座帝国から逃げ出した脱獄囚達の群れでした。
・ブロンド(金髪の異星人)が一時期レティクル座のゼータ星へ大量に移住した。
<星座の名前は知的生物の姿?>
・星座の名称はこれまで単純に「星の形」とのみ関連付けて語られてきたが、近年その常識に見直しの気運が高まっているのは周知の事実である。
・星座の名称の由来は星の配列を似た動物にあてはめたとされるが、はたしてスバル(牡牛座)やシリウス(狼犬座)の配列が牛や狼の形に見えましょうか?これは他の星座すべてにいえることだが、(中略)星座の名称とは、その星座における代表的な知的生物を表現しているのではあるまいか?そして牡牛座と狼犬座の知的生物は、その名称通り「牛」と「狼」のような風貌をし、しかも、古くから交流があり、互いに月を前哨基地にして地球にも頻繁に訪れていた、と考えれば聖書を含めた多くの古代文献の記述も矛盾なく納得できるのである。
・ただ、異星人は単一の種族ではなく、様々な母星からきていたという立場に立つと話が違ってくる。人間をはじめ生き物はすべて異星人による被造物、と考えることが可能になるのだ。
・人間、牛、馬、鳥すべての動物は異星人がみずからの姿に似せて創造した。太古の書においては相互の「交配実験」も行われたのかもしれない。
<世界中に残る動物の神々の伝統>
・牛や猿の顔を持つ神にまつわる伝説や神話は昔から数多い。しかもその多くが神の出身母星との関連で記録される特色を持つ。
・インドのバラモン教の最古の文書『リグ・ヴェーダ』では、神は「双神の牡牛」と表現される。しかも、神の出身母星は「牡牛座」(!)にあるとされる。
・聖書「エゼキエル書」では、エゼキエルの眼前に現れた神ケルビムの顔は「牛の顔」だったと記録されている。同じく「ヨハネ黙示録」でも、空の御座に座る神の一人は「牛の顔」とされ、「ヨブ記」で降臨した神の出身母星をプレアデス(牡牛座)だと記している。
・聖書外伝の「バルク黙示録」で、月と推定される「第一の天」に登場する神も「牛の顔」を持っていた。しかも神たちの中に「狼の顔」をした生き物が混じっていたという。
・またこれら“異形の神”と人間の先祖とのかかわりあいを示す伝説も多い。
アフリカに住むサンパ族に伝わる伝説では、人類が「神」から創造されしばらくの後、「牛の神」がやって来た。「牛の神」は、「狼の顔」をした神たちと戦をしながら、勢力を競い合った。神の子孫たちは地球人と交わって多くの子をなした。子のほとんどは死んでしまった。が、混血の試練に耐えて生き残った少数の者が、サンパ族の先祖になったという。
・またパプア・ニューギニアのヤニ族の神話では、はるか昔「翼のある」神が宇宙の彼方から現れ、鳥を創造した。翼のある神は、牛の神との戦いに敗れて地球を去った。が、混血の子供たちは、そのまま地球に残ったそうだ。
・神話は人類のルーツを探る者に無限の手がかりを提供する宝庫といえよう。
<レティキュランのネットワーク>
・異星人は観察活動を統合する組織としてネットワークの存在を明らかにした。
1、ネットワークは地球の各国政府の行動をモニターする。
2、ネットワークは被誘拐者などの地球人の直接観察に関するいかなる決定をも調整する。
3、ネットワークは、地球人が天体天文学に加わらない現状を憂慮する。地球各国政府の挑戦的、好戦的な姿勢が続く限り、地球の工業技術と今ある社会システムはやがて崩壊する運命にある。
4、ネットワークの宇宙船の地球大気圏外飛行は地球時間の50年前から始まった。
5、ネットワークの宇宙船の移動範囲はペガサス座のNGC7078(メシエ15)まで及ぶ。
6、ネットワークの本拠地はレティクル座である。
7、ネットワークは惑星の間に探査・交易ルートをはりめぐらし相互接触を通じて星間拠点や宇宙社会を築くことができる。
8、ネットワークの宇宙船のほとんどが磁気圏(地球を覆う高層大気圏)を通過して地球の大気圏に入る。
9、レティクル座のゼータ星の大気成分は地球と同じである。基礎物質は同じ物が存在する。
<衝撃を与えたクーパー氏の証言>
・元米海軍の情報部員のウィリアム・クーパーの証言には不正確な所がある。ラゾフスキー博士が、その正確さを保証するクーパー証言のMJ-12項目を、補足をまじえながらまとめてみよう。その内容は要約すると以下の骨子からなる。
1、1953年合衆国政府はロックフェラー財閥の秘密協力のもとに対UFO特別戦略セクションを設立した。
2、セクションの名称は、MJ-12。本部はメリーランド州某所。本部のコードネームは「カントリークラブ」である。
3、50年代半ばMJ-12は、る宇宙種族と極秘協定を結んだ。
4、極秘協定の相手方はオリオン座人。種族名は通称“ラージ・ノーズ・グレイ”である。
5、協定の内容は以下の通りである。
・異星人は地球上で生物実験をおこなう情報を許される。
・合衆国政府は実権を秘密裏に援助する。
・実験の対象は野生動物、家畜のみならず人間を含むものとする。
・合衆国政府は実験の援助とひきかえに異星人の先進的なテクノロジーの提供を受ける。UFOの推進原理も含まれる。
・異星人は生物実験および自らの存在を地球人に知られないために必要な措置をとる、(誘拐対象者の記憶の抹消措置を意味する)
・ラージ・ノーズ・グレイは、オリオン座のベータ星を母星とするいわゆるリゲリアン。地球には植民地の保護監査官のような立場。
<主な異星人の三タイプ>
1、オリオン座のベータ星から来ているリゲリアン。通称“グレイ”。身長約1.2メートル、頭部が大きく皮膚は灰色、目はアーモンド型で、両腕は膝の下まで達する。指は4本で2本は長い。指先がかぎ爪、水かきがついている。
2、レティクル座のゼータ星から来ているレティキュラン。通称“グレイ2”。見かけはグレイと似るが頭と目の形がもっと丸い。
3、プレアデス星団から来ている“ブロンド”。金髪で背が高く白人と同じ姿をした異星人。
・ラージノーズ・グレイはその昔レティキュランに滅ぼされた種族なんだ凶暴でレベルが低い。惑星連合政府ではおもに辺地の警備任務についている。
・惑星連合政府というのはレティクル座政府が5百年前に設立した宇宙最大の連合体だ。レティクル座人が実質上牛耳っている。
・米政府と「ラージ・ノーズ・グレイ」が戦争状態にあったことは一度もない。戦争状態は彼ら異星人達の間であったのだ。
『私はアセンションした惑星から来た』
(金星人オムネク・オネクのメッセージ)
(オムネク・オネク) (徳間書店) 2008/3
<金星人、火星人、土星人、木星人の特徴>
・現在、アーリア人という呼び名で多くの人々が知っている白色人種は、金星から来ました。私たちはしばしば背の高い“天使のような存在”として、あなた方の世界のUFOコンタクティたちに語られています。私たちの身長は通常2メートル15センチから2メートル40センチほどで、長いブロンドの髪と、青また緑色の瞳をしていることでよく知られています。
・黄色人種は火星から来ました。彼らは、細身で背が低く、髪は金色または濃い茶色をしていて、肌はオリーブ色から黄色がかった感じの人たちです。目は大きく、つりあがっていて、瞳の色は灰色から濃い茶色の間で人それぞれです。火星人は秘密主義の傾向があり、SFのイラストに描かれるような、幾重にも重なった精巧な未来都市を築いていることで知られています(火星人の生命波動も地球人の物理的な密度のものではありません)。火星人は東洋や太古のスペイン民族の歴史と関係しています。
・地球を訪れた赤色人種は土星系の人たちでした。彼らは、最初は水星で進化を遂げていました。ところが水星の軌道が変わり、太陽により近くなってしまったために生存環境が厳しいものになり、彼らは、土星へ移住したのです。土星人の髪は赤色から茶色で、肌は赤らんでいて、瞳は黄色から緑色をしていることで知られています。体格は背が高く、がっしりとしていて、太陽系内では、筋骨たくましい人たちとして知られています。アトランティス人やネイティブアメリカンはそれぞれ土星人を祖先にもつ民族のひとつです。中でもエジプト人とアステカ族は、とりわけ土星人の影響を強く受けています。
・黒色人種は木星系で進化を遂げた人たちです。彼らは、背が高く、堂々たる風貌をしていて、顔のサイズは大きく、角張った顎をしています。髪の色はつややかな深い黒で、瞳は茶色から青紫です。木星人はその声の美しさと、隠し事をしない開放的な性格でも知られています。彼らの子孫はアフリカやその他の地域に分布しています。
『ガンディード』(他5編)
(ボルテール)(岩波文庫)2005/2/16
“ミクロメガス”(哲学的物語) ボルテール(1694-1778)の代表作
<シリウス星団の一住民、土星と言う名の惑星を旅する>
<シリウス星の住人と土星の住人との間に交わされた会話>
・ミクロメガスは、この種の質問をいくつもした後、土星には本質的に異なる実体がいくつあるのかを尋ね、その数はおよそ30しかないことを知った。それは、たとえば、神、空間、物質、感覚で感じる広がりのある存在感、感じかつ思考する広がりのある存在、広がりを持たない思考する存在などなどだった。シリウス星の天体には300の実体があり、しかも彼は旅行中に他の3000もの実体を発見していたのだ。これには、土星の哲学者も肝をつぶした。
<シリウス星人と土星人が二人で試みた旅行。地球と言う天体で彼らに持ち上がったこと>
『110の宇宙種族と未知なる銀河コミュニティへの招待』
エレナ・ダナーン(ヒカルランド)2022/12/31
<大犬座>
<シリウス星系/アシュケラ星>
・シリウスは地球から8.6光年離れた三重連星系で、明るい青色の恒星(A)、濃い白色の矮星(B)、そして濃い赤色の矮星(C)から成っています。これらの星系の住民は大きな白い手星を“アシュケラ”と呼んでいて、そこに住んでいる全ての種族は共通の呼称である“アシュケル”人(複数形はアシュケリ)で通っています。
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