「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」――と、わたしたちが観音さまの名を称えます。するとたちまち、観音さまはわたしたちに救いの手をさしのべてくださるのです。(4)

<明るく生きる姿を故人に見せることが、最高の供養となる>

・大自然の災害で亡くなるということは、普通の個人の死とは意味が違い、今世の死に関しては、

●個人の功罪の因果を飛び越えて、神様が引き取る。

 という大恩寵が死後に働きます。人生の途中で、強制的に大自然により絶たれた命への特別措置が、あの世で働きます。

 本来ならば地獄に落ちたはずの魂も含めて、すべての魂が痛みのない霊界に置かれ、一定期間の後に、

●早めの転生か、善徳の多い魂は、上位の霊界へと安住される。

 と感じます。

 実は、この世のほうが苦しい世界かも知れません。自殺(内在神殺し)は地獄へ行きますが、真面目に生きて亡くなった人、大自然の災害で強制的に引き取られた人は、霊界に戻ることができます。

<愛する故人たちと今を生きること>

・自分が生きている間に、故人たちを供養するということは、故人たちと一緒に生きていることになります。

 これが大切なことなのです。故人を本当に愛していたならば、「自分も早く死にたい」ではなくて、「少しでも長生きをして長く故人を供養したい」という発想の転換をしてほしいのです。

<誰もが明日を創るために派遣されています>

・死ねば、誰もが思い出の中で生きます。

 故人は、あの世では今世の善悪の「思い出」を、繰り返し再体験しながら行きます。だから、自分の良心(神様)に反する思い出が多ければ、死後は面白くないのです。

 これを書き換えるには、この世に生まれ出るしかないわけです。そうして皆さんは、「今度こそ」という思いで、「この世に」生まれました。

 生きている人からの、故人への供養の本質とは、故人を「忘れない」ことです。

・最新の科学では、この世が「量子力学」(多数が一つの現象を気にすることで、粒子の動きが変わり、検査結果のデータが変わる物理現象)により出現している可能性が、年々深まっています。

 このことは前記の、今に生きている私たちは明日を創るために、未来を出現させるために、天から派遣されていることと一致します。

 だから私たちは、日本から、世界と地球の未来を、大いに気にしていきましょう。

・生きている今は、故人たちを忘れないで、でも、済んだ過去の出来事はキレイに忘れて、今と、明日の中で生きましょう。これの継続は、最善の未来を出現させます。

 ただし、大自然、地球への感謝も、忘れないことが大切です。

<天国からの通信>

・故人からの電話やメールが来るという怪は、昔からあります。東日本大震災の後にも、何件も発生しています。

・なぜ、こういう現象が可能なのでしょうか?

 霊体=磁気のカタマリであり、その思いは電気的にも干渉が可能だからだと感じます。

・バルドォ以後に故人が安定してから、霊界では「一度だけ」何らかの方法で、家族に意思を伝えることが許可されることが、稀にあります。許可されないのが普通ですが。これも、故人の善徳貯金の有無で変わります。

・因果の法則では、「生きていた時の苦労」「他人のために苦労したけれど報われなかったこと」は、死後にそのすべてがムダではなくて、善徳貯金になります。

 死後にこれを知って、多くの故人が驚きます。

<故人や亡くなったペットの写真について>

・生きている人間は、人の容姿にこだわります。これは生きる上でのエチケットとしては、ある程度は理解できます。

 そして、亡くなった人の姿も、「生きている人間側が」いつもでも残そうとするものです。

 これが意外にも、生まれ変わって行く魂の法則的に、「霊界での禁止事項」であることを知らない人が大半です。

 故人の姿をいつまでも目に触れる処に残し続けることは、

・故人の成仏を妨害します。

・故人という霊的存在は、この世への未練の想いの残存量と比例して、肉体を持っていた時の痛みも継続します。

・これは私だけの独自の概念ではなくて、原始仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の諸宗教でも、「偶像崇拝は禁忌」とされており、特に神様を可視化してはならない原則があります。

・これは可愛がっていた動物のペットでも同じです。

 愛するペットの成仏を、写真の常設を続けることにより、飼い主の執着から引っ張って妨害します。無垢な動物は、転生サイクルが早いのです。いつまでもこの世に引き止めずに、気持ち良く次の転生の旅にペットを送りだすことが大切です。

 同様に、故人やペットの遺骨を埋葬せずに、いつまでも自宅に置き続けることが、遺骨の一部を手元に置き続けることも、成仏の妨害となり、故人を苦しめることになります。

(2019/2/25)

『わたしの中の阿修羅』

ひろさちや  佼成出版社  2005/4

<古代インド神話>

・古代のインド神話の二大神は、

――アスラとインドラ――

であった。アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神であった。彼らは互いに相手を尊敬しつつ、天界に君臨していた。

 ところで、アスラに美貌の娘がいた。名をスジャーといい、またシャチーとも呼ばれる。神々の世界で美人コンクールがあれば、間違いなく彼女は栄冠に輝くであろう。それほどの美人、いや美神であった。

 父親のアスラは、この娘をインドラの妃にしたいと考えていた。「力」の神のインドラと「正義」の神のアスラの娘とが結婚すれば、理想のカップルになるに違いない、と信じて。

 ところが、「力」の神であるインドラは傍若無人の性格で、直情径行タイプの神格である。彼はある日、街でシャチーを見るや否や、<これはいい女だ――>と思い、彼女を拉致して自分の宮殿に連れ込み、暴力でもって犯し、自分の「女」にしてしまった。

 さ、怒ったのは父親のアスラである。<絶対に許せぬ――>アスラはそう考え、武器を持って立ち上がり、インドラに挑む。

 だが、悲しいことに、アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神だ。「正義」が「力」に勝てるわけがなく、アスラは敗北する。

 しかし、アスラの怒りは激しい。たった一度の敗北でもって、彼はインドラを赦すことはできない。再度の挑戦。

 その再度の挑戦にもアスラは敗北するが、彼は三度、四度……と、執拗にインドラに挑みかかる。アスラは執念の鬼となる。

・それゆえ、わたしは大学は印度哲学科に籍を置いたが、印度哲学科は主として仏教を学ぶ学科であったのであるが、仏教が嫌いなわたしは仏教を忌避して現代インドの研究をテーマに選んだ。大学・大学院時代のわたしの研究テーマは、――植民地解放の哲学――

・ところが、三十代の半ばになって、わたしは仏教を勉強せざるを得なくなった。詳しい経緯は省くが、仏教嫌いの人間が仏教の勉強を始めて、たちまちその魅力の擒となった。仏教が大好きになったのだ。

・そういう状況で、わたしが直面した疑問が阿修羅であった。

――なぜ、正義の神である阿修羅が、仏教において魔類とされたのか?――この問いに答えることによって、わたしは仏教者になれるのだ。三十数年前のわたしはそう思った。

<原初のアスラ>

・阿修羅は、インド神話における特異な神である。阿修羅は、数奇なる運命を辿った存在である。

 じつは、かつて阿修羅は、栄光に輝ける神であった。魔神でも悪神でもない。正真正銘の神であった。それが時間の経過とともに転落を始め、ついに神的資格を剥奪されて地に堕とされたのであった。阿修羅はそんな悲しみの存在である。

・アーリア人と言えば、広義にはインド・ヨーロッパ語族、つまりインド人と西洋人をひとつにした人種であるが、ふつうにはこのヨーロッパ語族の一支派で、インドとイランに定住した民族をさす。その原住地はカスピ海北西地域と推定され、紀元前17世紀のころ、人口の増加か飢饉か、なにかの理由によって彼らは原住地を離れ移住を開始した。

 このうち、西へ向かって移動した部族はヨーロッパに定住し、これがのちのヨーロッパ諸民族となったが、東へ移住した部族は、西トルキスタンの草原地帯に数世紀間定住していた。後者の部族、すなわち西トルキスタンに定住した部族を総称してインド・イラン人と呼ぶ。

・インド・イラン人は数世紀ののちに再び移動を開始し、一部は西南に進んでイランの地に入ってアーリヤ系イラン人となり、また一部は東南に進んでヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに入り、パンジャーブ地方を占拠した。これがインド・アーリヤ人と呼ばれる種族で、インド侵入の時期は紀元前13世紀の末ごろと推定されている。

・西トルキスタンの草原地帯に定着していた狭義のアーリア人(インド・イラン人)が分裂して移住し、一方はインドに入ってそこでヴェーダの宗教(バラモン教)を生み出した。それが紀元前十世紀から前八世紀のころであり、このバラモン教に反発して仏教が成立したのは紀元前六世紀から前五世紀のころである。そして他方、イランの地に進んだイラン系アーリア人は、そこで伝統的な宗教を維持していたが、紀元前六世紀のころ、伝統宗教の純化運動としてゾロアスター教が誕生した。そのゾロアスター教の聖典が『アヴェスター』である。

・ところで、バラモン教の聖典『ヴェーダ』とゾロアスター教の聖典『アヴェスター』とでは、その成立は前者が古く、後者が新しい。前者は紀元前十世紀から前八世紀。後者は紀元前六世紀というから、少なくとも三百年の差がある。にもかかわらず、奇妙なことに、ゾロアスター教のほうがバラモン教よりも古い信仰形態を残しているのである。

・なぜなら、バラモン教には、アーリア的な信仰形態のほかに、インド原住民の信仰と風習がかなりの程度に採り入れられているからである。それに比べるなら、ゾロアスター教のほうがより純粋なのである。

 かくて、ゾロアスター教とバラモン教とを比較検討することによって、われわれはある一つの宗教信仰がどのように変化し、展開していったかを知ることができるのである。これはなんともありがたいことではいないか。というのも、われわれの阿修羅が、このゾロアスター教に起源を持っているからである。

 そう、阿修羅は、かつてゾロアスター教における輝ける神であったのだ。

・だとすれば、アスラの原初形態はゾロアスター教においてアフラと呼ばれる存在、すなわちアフラ・マズダーにある。これがアスラの原型である。

 アフラ・マズダーはゾロアスター教の最高神である。「至賢なる神」を意味し、宇宙の創造者であるとともに世界の審判者でもあり、光明と火によって象徴される。人間世界を遠く離れた天の最高所にいますアフラ・マズダーは、にもかかわらず地上の出来事についてはすべて知悉し、表面に表われた些細なる罪行のほか、人間心理の奥底に潜在する邪念、よこしまなる思い、ねじけたる想念もきびしく摘発し、たちまちにして峻厳なる罰を下す。アフラ・マズダーはそんな畏怖すべき神であった。

 だとすれば、この「至賢なる神」を意味する“アフラ・マズダー”の名称は、案外この神の渾名であって、本命は“ヴァルナ”であったかもしれない。

・ゾロアスター教の教説によると、アフラ・マズダーに双子の息子があった。スペンタ・マイニュとアングラ・マイニュとである。

 二人は万物の創造に先立って造られたが、そこで彼らは善と悪との選択を行なった。前者は秩序を選び、後者は虚偽を選択した。それで前者は善霊、後者は悪霊となり、相対立したが、後世の教義では、善霊のスペンタ・マイニュはアフラ・マズダーに仕える大天使となり、悪霊=アングラ・マイニュは悪神=アーリマンとされている。つまり、当初は善神=スペンタ・マイニュと悪霊=アングラ・マイニュの対立であったものが、のちには光明神=アフラ・マズダーと悪神=アーリマンとの対立に転化したわけである。

・そして、悪と闘うこのアフラ・マズダーの姿に、われわれはわれわれの阿修羅を垣間見るのである。

<神々の栄枯盛衰>

・インド人は徐々にヴァルナ神を忘れていった。蒼空のはるけき高みにましますこの神を敬し遠ざけ、その存在を無視するに至ったのである。

 ヴァルナ神は「天則」と「掟」の神であり、厳粛なる神である。人間界のあらゆる悪事を摘発し、微細なる罪を暴き出し、これに神罰を下す。そんな神が、どうして人々から敬愛されるであろうか……。

――触らぬ神に祟りなし――

人々の気持ちは、この神から遠ざかる。それはあまりにも当然の成り行きではなかったか。

・その代わりに、インドラ神がいる。

 その代わりに――というのは、変な言い方である。けれども、インド人はどうやらヴァルナ神を天空のはるけき彼方へ追いやった代償として、身近な神、親しみ深い神をつくりだし、これを崇めてたてまつったらしい。それがインドラ神である。

 インドラは雷霆神である。一瞬の閃光でもって天空と地上を結びつける雷。

・結果は言わずと知れたこと。インドラ神は神々の帝王であり、これに勝てる神ははじめから存在しない。スーリヤ(太陽神)は敗れ、インドラはこの太陽神の御す馬車の車輪を戦利品として奪い取ったという。インドラ神は粗暴なる神である。

 あるときインドラは、奥方の目を盗んで、道ならぬ恋の深間にはまり込んだ。相手は猿のヴリシャーカビ、猿猴と神々の三角関係は行き着くところまで行き、夫の浮気を知ったインドラ夫人は、自己の保持する権力と嫉妬の情とを結びつけて、ヴリシャーカビを追放してしまった。

・それと、もう一つ。じつはインドラが浮気をした相手の猿は男性なのである。

・それはともかく、インドラ神とは、そういった神である。磊落で、豪放でで、そしてときたま愚行を演じる神。インドラはそうした神であり、そうであるからこそ、『リグ・ヴェーダ』の詩人たちはこの神に無限の親しみを感じたようである。インドラは『リグ・ヴェーダ』賛歌全体の約四分の一を独占している。ヴァルナ神は、百分の一にもおよばない。この数字を比較するとき、インドラの人気とヴァルナ神の凋落ぶりがくっきりと浮かび出てくる。神々の世界にも、栄枯盛衰は厳としてあるのだ。

 なお、すでに明らかにしてあるが、インドラ神とは、のちに仏教において「帝釈天」と呼ばれる存在である。梵天と帝釈天とは、仏教の二大護法神である。そしてアスラは、いうまでもなく阿修羅である。

・インドラ神とアスラは、のちに仏教においてそのように姿を変えてしまった。本来は、両者とも正真正銘の神であったにもかかわらず………。

・インド人はそう解釈した。そう解釈するとき、“ア”は否定詞になる。“スラ”は神または天の意である。したがって、“ア・スラ”は「神(天)でないもの」、すなわち「非神」「非天」とされた。ここでアスラの没落が決定的となったのである。

<天界の功徳と天人の五衰>

・天界のうち、最も下層にあるものは須弥山である。

 須弥山はサンスクリット語名をスメール山といい、古代インド人が想像した宇宙の中心にある。いと高き山である。漢訳では、ときに“妙高”とも訳されている。高さは八万由旬。底辺も頂上も一辺八万由旬の方形というから、須弥山はいわばさいころ状の山である。なお、一由旬は約十キロメートル、したがって須弥山の高さは八十万キロメートルということになる。このどでかい山の頂上面が、忉利天と呼ばれる天界であり、ここに帝釈天をはじめとする三十三天が棲んでいる。

 また、この須弥山の中腹には、有名な四天王の住処がある。東西南北の四面の、ちょっとベランダ状にせり出したところに、四天王が棲んでいるわけである。

 四天王とは、周知のごとく、東方に持国天、南に増長天、西に広目天、そして北方に多聞天(別名、毘沙門天)の四天をいう。須弥山そのものが最下辺にある天であるが、その頂上面の忉利天よりも、四天王の住処はより下層になる。ここが天界のうちでもいちばん下部にあたる。いわゆる「下天」と呼ばれているところである。しかし、仏典の記述によれば、太陽や月はこの須弥山の中腹の高さのところを回っているというから、下天といっても相当に高いところにあることは間違いない。

・いま、試みに、百科事典で「月」の項目をひいてみた。わたしはうれしくなった。なんとそこには、「地球からの平均距離は384,400キロメートル」と記されているではないか。これは仏教の伝説とぴたり一致する。

なぜなら、須弥山の高さは八万由旬(八十万キロメートル)、したがってその中腹は四万由旬(四十万キロメートル)になるからである。太陽はともかくとしておいて、月が須弥山の中腹を回ることは、現代の天文学の計算に一致するのである。

・さて、天人の寿命である。

 帝釈天をはじめとする忉利天の天人、すなわち三十三天(三十三天は忉利天の類的存在であって、無数の天人がここにいる。そうした類的存在を三十三天に代表させたまでのことである)の寿命は、一千年である。

 といっても、天界と人間界では、時間の長さが違っている。忉利天の一日は、人間界の百年に相当するという。

・すなわち、三千六百万歳ということになる。それが天界のうちでも下層の天、したがって比較的短命な天人の寿命なのである。

・それから、下天(四天王)の寿命は、人間界の五十年をこの下天の一日として、五百歳であるという。つまり九百万歳を生きるというわけだ。これが最も短命な天人の寿命である。

 かくて、下天、忉利天といった下層の天があり、その上に夜摩天、覩史多天(兜率天ともいう)、楽変化天、他化自在天と、つぎつぎに高次の天がある。ただし、他化自在天が最終ではない。そして、そこに住む天人の寿命は四倍ずつ増えていく。九百万年、三千六百万年、一億四千四百万年、五億七千六百万年、……となるわけだ。そうすると、ある程度以上の数は「無限」と呼びたい誘惑に駆られる。けれども、それは決して「無限」ではない。いくら膨大な数であれ、有限数には「終わり」がある。そうでなければ、天人が輪廻することはなくなってしまう。

・天界に再生した者がそこで得られる果報は、なにも長寿ばかりではない。ほかにもさまざまな物質的、精神的快楽を得ることができる。つまり、天はごく平凡な意味での「天国」であり、「楽土」であるのだが、なかにはちょっと首をかしげたくなるような「果報」もある。例えば、セックスのやり方だとか……。

 セックスのやり方は、天界の上層に行くほど高尚(?)となるようだ。須弥山の天人たちは性交に際して性器をインサートする。その点では人間とちっとも変わりがないのだが、ただ天人たちは射精することがない。いや、そもそも精液そのものが欠如しているわけである。射精することなく、ただ風を漏らすだけである。それが高尚ですかね……。

 夜摩天になれば、もう性器の挿入は必要ない。女性を軽く抱き寄せるだけで、「欲望」は処理できる。覩史多天は、手をにぎるだけでよいし、それより上の天になると、お互いに見つめ合うだけで、オルガスムが訪れるそうだ。これはおそらく、インドのような暑い国では、せっせとピストン運動に励むのがわずらわしかったのだと思う。ただ、じーっとしていて、それで「満足」できれば、男にとって本望だ(女性にとってはどうか?わたしにはわからない)。しかも射精がないのであるから、事後の処理も簡単に済む。やはり「天国」だ。

 なんだか変な方向に筆がすすんでしまったが、要するに天界というのは、究極には「純粋精神」の世界だと思う。人間の持っている欲望や執着を一つ一つ断ち切っていき、ついに精神的な高みに達する。そこに得られる境地が「天」である。そう解釈することができそうである。

・しかし、「天」は最終の世界ではない。われわれは、そのことだけはしっかり確認しておかねばならない。「天」はあくまで輪廻の世界の一環である。

 天人は長命である。帝釈天は三千六百万歳、夜摩天は一億四千四百万歳を生きる。あの梵天クラスになると、劫をもってはかるほどの長寿になる。

 劫とは、インド人の時間の単位である。一辺一由旬(十キロメートル)の大石がある。さいころ状の大石であるが、一辺が十キロメートルといえば、富士山よりもはるかに大きい。この大石を、百年に一度、天女が空から舞い降りて来て、その羽衣でもってさっと摩撫する。そのとき、その羽衣がいくらしなやかであっても、ほんの少しは大石も磨滅するであろう。かくて、百年に一度の行為が積み重なって、ついに大石全体が消滅するに要した時間――その時間よりも、一劫のほうが長いというのである。まさにどでかい長さであるが、そのような劫を何倍、何十倍、いやいや何億倍もした時間を、梵天以上の天人たちは生きるのである。

・にもかかわらず、それは絶対に永遠ではないのだ。それが永遠であっては、話に矛盾が生じる。なぜなら、天に永遠に生き続けることは、二度と再びこの世界に帰り来ることはない――ということになる。そうなれば、天は輪廻の世界ではなくなり、輪廻を脱却した涅槃の世界になってしまう。それでは困るのだ。この世の善業によって天に生まれた凡夫も、その業の果報が尽きれば、この世界に帰り来るべきである。それが輪廻の世界に生きる――輪廻の環のうちにある――凡夫に定められた約束ごとである。

 そこで――。天人も再び死ぬのである。

<阿修羅は大海に棲む>

・仏教の阿修羅(あるいは修羅)の前身は、バラモン教のアスラである。そしてアスラは、始原的にはゾロアスター教の主神=アフラ・マズダーと同語源・同系列の神であって、輝ける正義の神であった。それがいつの間にか、人々の「正義」に対する一種屈託の感情から――「どうも、正義には弱いんですワ。しらけてしまうんです――」――、アスラは神々の座からひきずり堕とされ、ついに魔神に変じてしまった。そんなことを、すでに論じておいた。

・仏教における阿修羅も、ほぼこれと似たような経緯を辿るのであるが、原始仏教の当時、まだ阿修羅は魔神とされていない。神(天)としていちおう認められてはいたが、どこかちょっと異質なところがあるようである。人々は阿修羅について、漠然とではあるが、これを普通の天から区別し、一段低い存在として軽視しはじめていた。はじめは、そんなすれすれのところに阿修羅が置かれていた。

 アスラとインドラ――。バラモン教の神話において、アスラとインドラとは鋭く対立する二神であった。アスラはインドラとの闘争に破れ、その結果、神の座を追われた。

・わたしはこの原稿を書き続けつつ、毎夜、八部衆阿修羅を眺めてきたのだ。そして、どうやらわたしは、阿修羅に感情移入をしてしまったようである。全宇宙を支配していたアスラが――アスラは「正義」の神であったのだから、全宇宙を支配するのは当然のことなのだ――、インドラやヴィシュヌのペテンによって神々の座を負われることに、なんとも苛立たしい思いを感じはじめたのである。

 しかしともあれ、神話は神話である。バラモン教の神話にあって、アスラは鋭くインドラと対立し、そして徐々にインドラにその支配領野を席巻されていく。最後にアスラは天界を追われ、ついに魔界へと蹴落とされる。わたしがいくら感情を移入しようと、そんな神話における歴史だけは動かし難い。

・さて、そこで、阿修羅の住処について――。

当初、阿修羅もまた須弥山世界に住していたはずである。といったところまで話しておいた。この須弥山世界にあって、阿修羅は帝釈天と、おそらくは親子代々にわたる執拗な戦闘を続けていた。ときには、個々の戦闘において、阿修羅が幸運な戦勝を得ることもあった。しかし、暫時の勝利ののちには、阿修羅はまた敗北を喫するのである。あるいはペテンにひっかかって、せっかくの勝利をふいにしてしまうこともある。

 まあ、要するに、阿修羅の敗北は予定されていることであって、最後の最後には須弥山世界を追い出されてしまうのである。

・須弥山頂から放り投げ出された阿修羅の落ち行くところは、その須弥山を取り巻く大海のうちである。落下してきた重力の余勢を駆ってであろう、阿修羅はつぎに海中を底へ底へと潜り込んでいく。

 そして最後に、海底の魔境に達する。そこは、水深一万八千由旬の地点であった。

・『今昔物語集』にいう、「一ハ大海ノ底也」のほうの阿修羅であるが、まず、毗摩質多羅阿修羅王(ヴェーマチトラ・アスラ)がいる。彼は須弥山の東面の大海底に棲んでいる。その支配する海域は縦横八万由旬、すなわち帝釈天の住む忉利天と同じ広さになっている。

 ラーフ・アスラも有名である。その都城は須弥山の北面海域で、水深八万四千由旬、広さは八万由旬四方で、これまた忉利天と同じである。都城は七宝でもって荘厳されているという。

『死後の世界の観光案内』

ひろさちや   ごま書房   1983/5

<天上界めぐり  美酒をくみ天女と遊ぶ虹の快楽園――>

<須弥山の中腹から天上界は始まる>

・天上界は、世界でいちばん高い山“須弥山”の中腹から始まる。山頂までの天上界が“地居天”であり、それより上の“空居天”は天空にポッカリ浮かんだ空中都市である。天人は何百万年ものあいだ快楽をほしいままにできるが、やがて来る臨終の苦しみは、地獄の辛苦にもまさる。

・むかしヒットした『帰ってきた酔っぱらい』という歌に「天国よいとこ、一度はおいで。酒はうまいし、ネエちゃんはきれいだ」との文句がありましたが、天上界はまさにそのような世界です。

・天上界は、須弥山の中腹から始まります。ここを地居天(じごてん)と呼びます。「地つづきの天界」という意味です。同時に、仏教で天という場合には天人をも意味します。だから「地居天」は、そこに住む天人も指しています。高山に住んでいる仙人のようなものだと思えばいいでしょう。だが、仙人はあくまで人間ですが、地居天は天人です。そこが本質的にちがいます。天人のなかでもいちばん下界にちかい天人だから、いくぶん人間に近いのです。

・アラビアン・ナイトにでてくる魔法のじゅうたんのように空中に浮かんだ大地です。そこが天上界であって、空居天はそこに住んでいるのです。

・天上界は、下から数えて6つめの天までを欲界といいます。ここに住む天人たちは六欲天と呼ばれ、食欲や性欲など人間と同じ本能を持っています。当然、天女とのセックスもあります。

<33人の天神が住む霊峰登山>

<須弥山の高さは海抜80万キロ>

・地球から月までの平均距離が38万4400キロです。須弥山の高さの約半分です。ということは、そこから天上界が始まるという須弥山の中腹とは、地球から見る月の高さということになります。

・須弥山の須弥は、インド語の「シュメール」からきています。

<四方の世界を守る四天王を見る>

・下天は、字の示すとおり天上界のいちばん下にあります。ここには四天王が住んでいます。四天王は、東西南北の四方の世界を守護する天の武将です。東方を守る持国天、南方を守る増長天、西方を守る広目天、北方を守る多聞天、これが四天王です。多聞天には毘沙門天の異名があります。彼は仏法の道場のガードマンとして、いつも説法を聞いていたので、その名がつけられたのです。彼が四天王のなかではリーダー格です。

・四天王の住まいは4階建てです。四天王とその身内は最上階のフロアーに住んでいます。下の3つの階には四天王の部下が住んでいます。部下たちはこのほかに、須弥山近くの持双山などの7つの山脈をもち、山持ちで裕福な暮らしをしています。

 

・なにしろ、いちばん狭い4Fでさえ、部屋の端から端まで行くのに、東京――リオデジャネイロ間の距離が1万8000キロですからその1万倍もあることになります。

 天上界めぐりには、気宇壮大な気持ちで臨んでください。娑婆のコセコセした物差しでは、とても天上界の雄大さは理解できません。

 たとえば、天上界もやがては死を迎える世界なので老人問題はあります。しかし、老人の範囲が人間界とは大きくちがうのです。下天界の天人の寿命は、天上界時間での平均5百歳です。5百歳と聞いて驚くのはまだ早いのです。下天の一昼夜は人間界の50年ですから、この5百歳は、わたしたち人間界の時間では、9百万年余にあたります。これでも天人のなかではもっとも短命なのです。

<忉利天(とうりてん)フーテンの寅さんの守り神、帝釈天に出会う>

・下天の上には“忉利天”があります。忉利天は須弥山の頂上にあります。したがって、そこはまだ地つづきの天界、地居天です。

 ここには、33人の代表的な天人が住んでいます。だから忉利天は別称“三十三天”ともいわれています。

・三十三天のなかでの有名人は帝釈天です。帝釈天の住居は、須弥山の頂上、忉利天の真ん中にある城です。城の名は善見城。999の門があり、各門には、16人の青い衣をまとった鬼神がいて城を守っています。

<空居天  弥勒菩薩の住まいは空中に浮かんでいる>

・巨大な空飛ぶじゅうたん、いや空中に浮かぶ大陸である空居天は、4層からなっています。下から夜摩天、兜率天(とそつてん)、楽変化天、他化自在天の四天です。

・夜摩天と聞いて、天上界にくるほどの人なら、きっと思いだすでしょう。そうです。あの冥途コースでの第5の裁判官、閻魔さんのインド名が“ヤマ”でした。ヤマは人間第1号でした。だから彼は死者第1号になって、死者の国の王となり、そこは当初は天上の楽園であったと、まえに説明しました。その彼の楽園は、彼が閻魔王として地獄の世界に出向したあとも、りっぱに保存されていたのです。それが夜摩天です。

・空居天のうちもっとも下層の夜摩天にはかつてエンマ大王(閻魔大王)が住んでいた。

・夜摩天の上にある天界が兜率天です。都史多天(としたてん)とも呼ばれます。ここは、将来、仏になるべき菩薩の住まいです。仏教の開祖、釈尊は、釈迦国のシッダッタ太子となって誕生されるまえには、この兜率天に住んでいられたのです。ここから六牙の白象に姿を変えて出発し、釈迦国の浄飯王の妃である摩耶夫人の胎内に宿られ、やがて太子となって人間界に出生されました。

・いま兜率天に弥勒菩薩が住んでいます。

・兜率天の上にあるのが、楽変化天です。「ここに生まれたものは、みずから楽しい境遇をつくり楽しむ。人間の8百歳を一日とし、寿8千歳にいたる」と天上界ガイドには書かれています。このさらに上にあるのが、他化自在天です。この天では、「他の下位の天で楽しみをなすを見て、それを借りて楽しむ」のです。

・ひとの楽しみはわがものとする、というぐっと高尚な境地なのです。ここの一昼夜は人間界の1600年に相当するので、なにも自分からガツガツと楽しむ必要などないのです。以上、下天から他化自在天まで6つの天を見てきましたが、これら六天は、六欲天のなのとおりに、人間と同じように快楽を求める世界です。

・仙人の超能力の種類……先に述べたように帝釈天は仙人の妻を犯し、大変な目にあうが、それは仙人が神通力という超能力の持ち主だからだ。神通力には6つある。①自由に望むところに行ける神足通②見えないものを見る点眼通③聞こえない音声を聞く天耳通④他人の考えていることがわかる他心通⑤自分および他人の過去の生存状態がわかる宿命通⑥煩悩を断ち切って迷いの世界にふたたび生まれないことを悟る漏人通がある。

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