曲亭馬琴『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」は、その舟の形状からUFO(未確認飛行物体)だ、常陸国に伝わる伝説の金色姫の再来だ、馬琴の創作だといわれる。(1)
(2025/3/1)
『うつろ舟伝説が表象する文化露寇』
佐藤秀樹 三弥井書店 2024/12/19
<はじめに>
・曲亭馬琴『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」は、その舟の形状からUFO(未確認飛行物体)だ、常陸国に伝わる伝説の金色姫の再来だ、馬琴の創作だといわれる。ここに奇妙な「かわら版刷物」がある。「去る享和三年二月なかば」と記されるもので、うつろ舟と蛮女が描かれ、四つの異形文字もある。構成する要素は「兎園小説」と同じだが、図像の位置が入れ替わっている。このかわら版を見たときに想起したのは宮崎成身『視聴草』
「魯西亜船之図」である。共に右側に人物が描かれ、左側に船が描かれる。更に人物像の着衣が類似する。ロシア兵の上着の形とシャツのボタンの形が一致する。ロシア船は後部を向けるが、ガラス張りのキャビンの形状はうつろ舟その物だ。
・柳田國男氏は「人間は到底絶対の虚妄を談じ得る者で無い」という。似ているというより「かわら版刷物」は「魯西亜船之図」を写したものなのだろう。「かわら版刷物」は馬琴の「兎園小説」のもとになったものの一つと考えられる。「兎園小説」の馬琴の頭書に「魯西亜属国の婦人にやありけんか」とあるのは、ロシアの来航だけでなく、ロシアの乱暴略奪事件(後に文化露寇という)を馬琴は知っていたからだ。
・うつろ舟はUFOで、乗っていたのは宇宙人、舟の中の四つの異形文字は宇宙文字と断定する言説があるが、うつろ舟にある四つの異形文字を調査するとヨーロッパ起源の錬金術記号とわかった。うつろ舟は地球起源のものである。
・常陸国の金色姫漂着(養蚕の起源)は江戸時代にはよく知られていたが、千年以上前のことで、享和三年(1803)に再来しても、かわら版の報道に価値があるとは思えない。また、馬琴がかわら版の出版にかかわったとは思えない。
・本書では、文化露寇と享和三年(1803)の「うつろ舟」の関連を検証するものである。
・『蘭学事始』で知られる杉田玄白の随想に「野叟独語」というものがあり、自身と自らの影法師の対話で名称はよく引用されるもので、内容はまさに文化露寇の時期、当時の世相と幕府の不甲斐なさに、また来るのではという不安を述べている。
・一方、NHK番組ダークサイド・ミステリー「幻解! 超常ファイル江戸UFO漂着事件」は、曲亭馬琴の「うつろ舟」は馬琴自身の創作説と常陸国の漂着物は事実説で構成される。この二つの説は両立しないと思うのだが不可思議な話である。
・19世紀初頭の大事件と曲亭馬琴の噂話集の関連を、当時の文化状況から考察した。人は見たことのないものを想像できないことから、異国船の後方にある硝子張りのキャビンと漂着したとされる「うつろ舟」の形態の類似、ロシア兵の軍服と「うつろ舟の蛮女」の服の類似に注目した。「うつろ舟は露寇事件の象徴である。
・直木賞作家の古川薫氏『空飛ぶ虚ろ舟』は、馬琴の『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」をモチーフにして、虚ろ舟は空から降ってきたという物語である。
<恐れいりやの馬琴説、びっくりしたやのUFO説>
<異形文字は駄法螺(だぼら)の証明説>
・柳田氏は民俗学や民族学の見地からも考察を進めているが、『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」については次のような見解を述べている。
「この話は『兎園小説』を始めとして、当時の筆豆人の随筆には幾らでも出ている。何れ出処は一つであるらしく、疑いもなく作り事であった」
・柳田氏は、頭ごなしに「駄法螺」と否定したわけではない。柳田氏は次のように続ける。
「勿論自分たちには近世の僅かな知識を根拠にして、古人の軽信を笑って見ようという考えはない」
・柳田氏は、『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」とよく似たうつろ舟が、大昔にやはり常陸国豊浦湊に漂着して、漁夫に助けられた話を紹介する。
・柳田氏は、蚕飼の始の俗説は中世の作り言だろうが、起源は必ずしも簡単ではないとして、中国最古の伝説集、千宝『捜神記』を紹介する。蚕の神の信仰に参与する人々は馬頭娘の旧伝を取り入れ、それとうつろ舟の漂着とを、継ぎ目を知れぬように継ぎ合わせたのは、海国にすむ民の長年にわたる考え方によるものという。
・大正15年(1926)に柳田國男氏が提示したいくつもの事柄は、現在でもそのままである。現代の文学(学問)才子から「柳田はUFOを知らないからだ」という指摘をうけたら何と応えたであろうか。作り話が例えば鍍金(メッキ)のようなものならば、その土台もやはり梢々安っぽい金属とは限らず、現代の技術では豆腐やコンニャクでもメッキが可能であろうが、自身で確かめることも、思考もしない脆弱な土台だとでも言ったか。
・柳田國男氏は、民俗学者として日本各地の過去から当時までを眺め、外国の例を含め「うつろ舟」を俯瞰して示した。
<空を飛ばないUFOの話>
・テレビの番組で、『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」は馬琴の創作で、同じ様な図と詞書のかわら版の作者も馬琴であるとしていた。
・加門正一『江戸「うつろ舟」ミステリー』楽工社は、『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」を柳田國男氏の見解を肯定した上で、牽強付会にかわら版摺物の存在から「うつろ舟の蛮女」を馬琴の創作とするユニークで大胆な解釈をしている。
この本を知った番組は、NHKのテレビ番組“幻解! 超常ファイル江戸UFO漂着事件”である。番組を書籍化した『NHK幻解! 超常ファイル ダークサイド・ミステリー』NHK出版(2014)が刊行されているので、番組の概要を確認することができる。
田中嘉津夫氏は曲亭馬琴が全ての黒幕で、かわら版摺物「うつろ舟の蛮女」も馬琴の筆によるものとして、筆跡鑑定を試みている。
・『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」の成立に、「かわら版刷物」が係わった可能性は否定できないが、曲亭馬琴が全ての黒幕で、かわら版刷物「うつろ舟の蛮女」も馬琴の筆によるものという主張は肯定できない。
・2020年の新型コロナウイルス禍で流行ったかわら版があった。妖怪アマビエで肥後国の海中に現れ「私は海中に住むアマビエと申すもの。今年から6年間は諸国で豊作が続くが、病も流行する。早々に私の姿を写して人々に見せよ」と言って海中に消え去ったという。インターネット上で多くの人が姿を描き、作品がうまれ『みんなのアマビエ』と書籍化された。
・2023年NHKのニュース番組「首都圏ネットワーク」は、水戸市にある常陽資料館を会場に「不思議ワールド うつろ舟」展が1月24日~3月19日開催されるという紹介があった。
・『きわどい科学』第8章「新聞雑誌の紙面を賑わすトンデモ科学の正体・UFOとその乗員たち」では「私たちはしばしば自分が見たいと思っているものを見てしまうもので、私たちの想像力は、実際に目に届いた信号と、後になってから思い出したことを容易に取り違えてしまうものなのである。心理学者は繰り返しこの問題を指摘しており、また弁護士たちは、数えきれないほどの裁判の場で、この誤認という問題を武器として証人に立ち向かってきたのである。とくに未確認飛行物体とか、空飛ぶ円盤と呼ばれるものの話題となると、この誤認という問題が際立ってくる」という。飛ばないUFOは対象としていないが、飛ばないUFOの文書の解釈は誤認そのものに見える。
田中氏は、茨城県神栖市広報「広場かみす」2024年3月1日号の特集 舎利浜とうつろ舟・江戸時代のUFOミステリーの取材に応じて「舎利浜でUFOや金色姫伝説に思いをはせて、ミステリーを解くアイデアを考えてみてはいかが」とメッセージを寄せる。馬琴黒幕説から離れても、金色姫伝説に乗り換えてUFO説に拘っている。享和3年(1803)に金色姫が再び常陸国に漂着したということか、あるいは伝説の金色姫が時空を超えてUFOに乗って到着したということが、読者の判断に丸投げは無責任である。
<尾張国のうつろ舟>
・これをここに記したのは、『兎園小説』の「うつろ舟の蛮女」に先立つ、日付のはっきりした記録で記録者も明確だからである。享和三年以前の記録である。
【現代語訳】
・「今日、熱田の海に空穂船が漂着した。ちかごろ伊勢で目撃されたが、それが流れ着いたのか。窓があり、硝子がはってある。船内に宮づかいをしているような女がいる。きわめて美人だ。横に坊主の首があり、その首を大釘が貫いていた。乾いて水分の少ない菓子を食料としていた」
<奇妙なかわら版の存在>
<養蚕に関わる金色(こんじき)姫伝説>
・常陸国豊浦湊にうつろ船の蛮女が漂着したという古い伝承がある。日本の養蚕の始めという金色姫伝説である。
【現代語訳】
・「インドの霖異大王についての伝説
ある本につぎのようなことが記されている。
昔、インドの旧仲つ国に霖異大王という人がいた。その妃を光契夫人といった。二人の間に一人の姫君があって、その名を金色姫といった」
・金色姫伝説は、天竺旧中国で継母に疎まれた姫が四度の苦難を乗り越え、最後はうつろ舟で海に流され常陸国豊良湊に漂着し、蚕種と飼育方法を伝えたという話である。
<中世から伝わる養蚕伝説>
・『戒言』は、永禄元年(1558)の識語のある写本で知られ、16世紀には金色姫の伝説が既にあったことが知られる。
・ところで金色姫が「金色皇后」と表記されるのはなぜだろう。伴瀬明美氏「未婚の皇后がいた時代」『日本史の森をゆく』(所収)中公新書によれば、日本中世の一時期、天皇と婚姻がない皇后が立てられた。彼女たちはその代の天皇にとって姉やおばにあたる皇女で、未婚のまま立后し、わずかな例外を除いて生涯独身だった。この「未婚の皇后」という形容が矛盾する存在が、11世紀から14世紀に11人が確認され、この時代の天皇家に固有の現象という。基本的には皇女の優遇策とする見方が定説で、その後、院政時代の初頭に出現した「未婚の皇后」を院が自らの血筋を引く皇女を皇統継承者の准母とし、立后することにより、皇統の継承者が誰かを明示し、権威を与えたという。『戒言』の成立が中世ということから、定説に従えば、王から金色姫への優遇策が「金色皇后」なのだろう。
<漂着した蛮女の姿の形成>
・蛮女というのは、外国の女の意味で、日本の女性とは服や髪型がだいぶ異なっている。
・それにしても、このかわら版刷物とレザノフ来航のロシア船の図は奇妙に一致する。右側が人物で左側に船が描かれ、蛮女の上着がロシア兵の郡服に類似し、うつろ舟はロシア船後方のキャビンを想起する。
<終章 不思議な漂着物から不気味な到着者に>
・『兎園小説』には不思議な話が集められているが、「うつろ舟の蛮女」は、何を反映しているのかわからない。
・柳田國男氏「うつろ舟の話」は「四箇の異形文字が、今では最も明白にこの話の駄法螺なることを証明」として「この「うつろ舟」から証明することになるようなら、是も亦愉快なる一箇の発見と言わねばならぬ」と言う。四つの異形文字は解明の必要があるようだ。
・こうして見ていくと、常陸国の漂着した浜を「常陸原舎り濵」と特定できたから、漂着は事実という説ははなはだ疑問である。
<あとがき>
・『兎園小説』には不思議な話が多いが、かわら版やうわさ話をもとにしたものがほとんどである。
・さらに「うつろ舟の蛮女」を江戸時代のUFO漂着事件と主張するのは残念である。
・議論の多い曲亭馬琴『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」は、19世紀初頭に日本との貿易を求めて長崎に来航したが、幕府に拒絶されたロシア船による北方領土への武力攻撃(文化露寇)が行われ、江戸に近い常陸国(茨城県)にも襲来してきたというフェイクニュースであった。文化露寇が知られていないのは、幕府が噂を禁じ、文化露寇を小説として流布した者を斬首獄門(晒し首)や八丈島流しと重罰に処したことによるのだろう。また、文化露寇は、頻繁に早馬が往来した江戸周辺と北方警備に出動した東北の一部にしか知られていなかったからだ。
「うつろ舟」は、19世紀に流行った予言獣の「神社姫」・「くだべ」・「三疋の猿」・「アマビコ」などの疫病除けに似た、災難除けとも考えられる。なお考えるべし。
(2023/10/26)
『江戸怪奇標本箱』
藤巻一保 花輪和一 柏書房 2008/2/1
<霊界の乗り物の怪>
<過去を容れておける壺>
・壺公(ここう)という仙人がいる。葛洪(かつこう)の『神仙伝』に登場する古代の仙人で、壺のなかの仙界、壺中天(こちゅうてん)に住んでいた。費長房(ひちょうぼう)という役人がそれを見て壺公に弟子入りし、のちに彼も壺中に入ることを許されて、地仙という位の低い仙人になった。
壺公らが入りこんだ壺というのは、“タマの宿り場”の一種だ。
タマとはヒトダマやタマシイ、祖先の霊を祀るお盆のタママツリなどのタマで、霊魂や神を表す日本の古語だ。
このタマには、特徴的な習性がある。どこからともなくやってきて、閉ざされた容れ物のなかに飛びこみ、ある期間をそこで過ごすと、ふたたびそこから立ち去るという動き方をするのだ。
その容れ物が人体なら、タマは人間の魂になる。誕生時に人体に飛びこんでその人の心身を動かす司令塔となり、死ぬと出ていくのだが、タマが入るのはなにも人体だけというわけではない。
・もちろん壺もそのひとつだ。だから、竹の「よ」がかぐや姫を生み、瓜が瓜子姫を生み、桃が桃太郎を生んだように、壺も聖徳太子のパトロンとされた秦川勝(はたのかわかつ)を生んでいる。中世の伝説によると、川勝は壺に入って三輪川を流れてきたというのだ。
中空の容れ物というのは、そこに万物を宿し、万物を生み出す神聖な空間、つまり子宮のシンボルだ。子宮に見立てられた容れ物は、この世とあの世を結ぶ異次元の空間だけに、さまざまな不思議をいともたやすく引き起こす。そのひとつが壺公の壺だが、日本にも同様の壺があった。
・19世紀のはじめころ、50歳ばかりの翁が上野の五条天神あたりで薬を売っていた。夕方、店じまいの時分になると、翁はつづらから敷物まで一切合切を口の幅3、4寸ほどの壺に収め、自分までそのなかに入りこんだ。すると壺が勝手に空中に飛びあがり、いずかたともなく飛び去るということがあった。
この翁というのが実は天狗の親玉で、彼の弟子になったのが、天狗小僧の名で知られた仙童寅吉だ。
寅吉はのちに平田篤胤の求めに応じて仙界の秘密を語った。それをまとめたのが、江戸の奇書を代表する『仙境異聞』だが、弟子入りのきっかけとなった右のエピソードは『神仙伝』にそっくりすぎておもしろくない。
・そこで紹介したいのがオランダ渡りの怪壺だ。どんなものかというと、人の音声から映像まで、すべてをそのなかに蓄えたり取り出したりできるという、摩訶不思議な壺なのだ。
この壺は大坂で売られていた。高すぎてなかなか買い手がつかなかったが、やっとさる富豪の手に落ちた。
その富豪は大の芝居好きだった。そこで、芝居をまるごと壺に収めようと思い立ち、小僧に壺を背負わせて、道頓堀の劇場に出かけた。
・ところが最初に容れた音声や動作は、壺のいちばん底に入っていたものだから、はじめに飛び出てきたのは、「まァづ今晩はこれきり」の口上――という笑い話だが、この壺はまさに今日のビデオレコーダーそのものといっていい。
SF好きなら、ただちにタイムスリップものに思いをはせるかもしれないが、なかに別次元の時空間を収めることができるという点では、この壺も壺公の壺も、意味的には同じものなのだ。
ただ、壺公や寅吉らには、過去の時空間まで容れておけるという発想や、それを引き出して再現するという発想がなかった。一方、この話を書いた淡山子なる経歴不明の著述家は、それもできると気づいた。その部分が新機軸なのである。
<地獄の亡者の乗り物>
・霊界の乗り物といっても、とくに変わった種類があるわけではない。人間界と同じで大多数は車か船だが、乗り物自体に変身能力があったり、乗員が鬼神・妖怪になっているなどのちがいはある。
仏教では、万人の救済を目標にかかげる教派のことを大乗、自分1個の救済を優先する教派のことを小乗と呼んで区別してきた。この「乗」というのが乗り物のことで、多人数を乗せることができる大型船が大乗、丸木船程度の独り乗りの小舟が小乗だ。
雲も古くから知られた霊界の乗り物の一種だ。道教の仙人たちがよく愛用しているが、阿弥陀仏の信者にも乗るチャンスがある。いよいよ臨終というとき、紫色の雲に乗った阿弥陀如来が、観音・勢至を筆頭とする諸菩薩や美しい天人たちをひきつれて迎えにくる。信者はまばゆく光り輝く聖衆とともに、雲に乗ってあの世の浄土へと渡るのだ。
・ただし、すべての亡者が大乗という船や迎えの雲に乗れるわけではない。それらの行き先には、地獄がふくまれていないからだ。
では、地獄などに堕ちる亡者たちは何に乗るのか。彼らのもとには、あの世からの護送車がやってくる。その護送車を、火車(かしゃ)という。
火車は『今昔物語』にも出るくらい古い乗り物で、地獄の獄卒たちが曳いてくる。ただし近世には、年老いた化け猫の化身ともいわれるようになった。
火車が出るときには、にわかに黒雲が湧き起こったり、周囲が暗くなったり、烈しい風雨になるなどの荒天になる。真っ赤に燃えさかる車の姿が目撃されることもあるが、黒雲が死人の出た家の上空に現れ、雲のなかからヌッと鬼の手が伸びて亡者を攫うという形も多い。
<この世とあの世を行き来する船>
・火車と比べると、あの世とこの世を行き来する霊界の船は例が少ない。よく知られているのは三途の川の渡し船だが、話題といえば渡し賃の六文銭くらいで、船そのものについては、ほとんど関心が払われていない。
ただし神話となると、話は別だ。四方を海に囲まれた島国日本では、海の彼方に常世国や観音浄土があると信じられてきた。そこで、神霊はしばしば船に乗って現れ、船に乗ってあの世や異国に還っている。その代表が、大国主命の右腕となって国作りをたすけた少彦名命(すくなひこなのみこと)だ。
この小さな神は、蛾の皮の丸剥ぎという奇抜なファッションに身をつつみ、ガガイモの実の舟(天之羅摩船(あめのかがみのふね))に乗って海の彼方から現れ、国作りを終えると常世国へと還っている。
・海に捨てられた神もいる。イザナギとイザナミの両神が最初に産んだのは水蛭子(ひるこ)、次が淡島だが、これらの神は子の数には入れられず、葦舟に乗せられて流された。
・女性の守護神として名高い淡島明神も、海に流された神の一人だ。天照大神の娘の彼女は、住吉明神に嫁入りしたが、下の病(性病)にかかって虚ろ舟に乗せられ、堺の浜から流された。漂着したのが加太の海岸で、以来、この地に祀られるようになったと伝えられるが、加太の淡島神社では、淡島明神とは少彦名命のことだといっている、また一説に、葦舟で流されたイザナギ・イザナミ神の子の淡島が淡島明神だともいう。
いずれも舟に籠ってあの世の一種である水界を渡る神という共通点がある。
注目されるのは、淡島明神の虚ろ舟だ。冒頭でも書いたとおり、虚ろ舟というのはタマの宿り場・子宮のことで、そのなかに聖なる存在(タマ)を宿して守護するという働きをもっている。
少彦名命の羅摩船、淡島の葦舟、淡島明神の舟はすべてこの“タマの宿り場”であり、こうした舟に乗ることの神話的な意味は、この世とあの世を行き来するために子宮に入るということ、舟に乗って沖に流されるのはあの世へ、浜に漂着するのはこの世へとやってくることなのだ。
・虚ろ舟に乗るのは、神とかぎったわけではない。
平安京の清涼殿に出没して天皇を悩ませていた妖怪の鵺(ぬえ)は、ゴーストバスターで知られた源頼政の弓矢にかかって殺されたが、のちに旅の僧の前に現れて、「私は空穂舟に押し籠められて淀川に流され、月日も見えない暗い道を漂っている」と、悲惨な境遇を愁訴している。
空穂舟とはなかが空洞になった丸木を舟に仕立てたもので、虚ろ舟と同じものだ。鵺のタマは成仏してあの世に渡ることを許されず、空穂舟という牢獄に閉じこめられて淀川に流されたのである。
・この場合の空穂舟(うつほぶね)は、あの世でもこの世でもない中間世界、仏教でいう中有にあたる。
仏教によれば、死者は49日の待機期間をへて、極楽なり地獄なりのあの世の住処に移ってゆく。あの世の住処が決まるまでのモラトリアム期間を中有といい、その間、死者は薄明の世界で次の人生のスタートを待つのだが、魂を空穂舟に閉じこめられた鵺の中有は、49日では終わらない。そこから出ることが許されないかぎり、鵺は永遠に中有をさまよいつづける。この場合の空穂舟は、タマの誕生をはばむ“暗黒の子宮”と化すのである。
<“UFO”との遭遇>
・虚ろ舟が浜に上がったという話が、江戸時代にいくつか書かれている。
最も著名なのは、享和3年(1803)2月22日に常陸国はらやどりの浜に引き上げられた謎の虚ろ舟で、滝沢興継がレポートし、親父の馬琴が『兎園小説』に収録している。
この虚ろ舟は一部のオカルトマニアの間で「江戸のUFO」と呼ばれてきたものだが、UFOは20世紀のあの世である宇宙と、20世紀のこの世である地球を往来する“新型虚ろ舟”だから、要するに同じものだ。なにはともあれ、舟の詳細を琴嶺舎のレポートに沿って見ていこう。
・地元の漁師らが沖から引き上げてきた舟は、お椀状の容器を重ねた円盤のような恰好をしており、大きさは三間あまり(約550センチ)。上部は格子状の硝子張りで、松ヤニを用いて塗り固めてあり、底は鉄板を段々にして筋状に張り合わせてあるという頑丈なつくりになっている。
舟内には、だれも見たこともない異様な女性がいた。桃色の肌で眉と髪は赤く、白くて長い付け髪を背中のほうに垂らしている。言葉は一切通じない。2尺4方(約60センチ)の箱をとても大事そうに抱えていて、これにだけは人を近づけないが、あとは無頓着で、見知らぬ者にとり囲まれてものどかに微笑んでいたというから、普通の人間でないことだけはたしかだ。
漁師たちは、彼女をどうしたものかと話し合った。このとき土地の古老が、なんとも愉快な意見を唱えている。彼女は他国に嫁いだ南蛮国の王女で、嫁ぎ先で不倫事件を起こしたため、虚ろ舟に乗せられて流されたものだろう。箱の中身は処刑された不倫相手だろう、というのだ。
どんな思考回路でこの妄想を思いついたのか知らないが、知恵分別があるはずの古老でこれなのだから、話し合いがまともなものになるわけがない。結局は「なにも見なかったことにしよう」と衆議が決した。そこで彼女を舟にもどし、沖まで引っ張っていって潮に流したというのだ。
・これに類した話は、実はほかにもある。伊勢国出身の医者の橘南谿(たちばななんけい)によると、越後でも「白木の箱作りの空穂舟」が浜に漂着したことがあったという。
乗っていたのは16、7歳ほどの少女。容貌は不明だが、美少女であってもらわないと話がもりあがらない。
・少女は浜の人々に、これまで4度、海岸に流れついたが、4度とも海に突きもどされたと訴え、救いを求めたという。けれどもこの住民たちも、後難を恐れて「なにも見なかった」ことにし、空穂舟を海に押しもどしてしまったというのだ。
・この話は、馬琴の息子がレポートした常陸国の一件より前の出来事だ。
橘南谿にこの話をしてくれた越後の倉若三郎左衛門という人によると、北方の海の海岸には「ときどきこういうことがある」そうで、6年前にも黒塗りの空穂舟が漂着した。これには何国人とも知れぬ男の大入道が入っていたというから、空穂舟の乗員は女とはかぎらないようだ。
馬琴は息子のレポートの頭注で、虚ろ舟の蛮女を「ロシアの属国あたりの女性ではないか」と推察している。
・そうだとしたら、虚ろ舟の女性たちは神的な存在ということになるが、男の大入道は神かどうかわからない。空穂舟に封じられた鵺の例もあるし、瓶や壺に封印された魔物の話も世界中にある。漁師たちが後難を恐れて舟を元のように流したのは、考えてみればもっともな行動なのである。
<時空を超える沓(くつ)>
・UFOもどきの虚ろ舟の話が出たついでに、空飛ぶ船についても少し書いておきたい。
日本神話には、さまざまな空飛ぶ船が登場する。
ニニギにさきだって河内国に天降った天孫ニギハヤヒの乗り物は、天磐船(あめのいわふね)だった。空飛ぶ船の神格化である鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)(天鳥船神(あめのとりふねのかみ))はイザナギ・イザナミ両尊の子で、建御雷神(たけみかづちのかみ)といっしょに地上に天降り、天孫に従わない土着の神たちを平らげるという大仕事をなしとげている。ほかにも、鳥磐櫲樟船(とりのいわくすぶね)や天鳩船(あめのはとぶね)など多くの“UFO”が、『古事記』や『日本書紀』に見えている。
・これらの船に鳥という語が付されているのは、たんに空を飛ぶからではない。古代人にとって、鳥は典型的な霊魂(タマ)のシンボルだった。その霊魂である鳥を運ぶもの、“タマの容れ物”が船だから、その名に鳥の字が付されているのだ。
ただし、これらの船が宇宙や他の天体で活動するという話は、この国にはない。日本人の宇宙に対する関心は、元来きわめて薄い。記紀神話に星の神がほとんどいないことからも、関心の低さがわかる。
よくいわれることだが、日本のあの世は、欧米のあの世とは大きくちがっている。欧米のあの世は、はるか地の底から星々が煌めく天空の彼方まで、垂直に積み重なっているが、日本のあの世は、海の彼方や奥山のむこうなど、“平面上の彼方”にあるものと考えられてきた。
・そうした人間界と隣り合わせのあの世のひとつに、龍宮がある。
龍宮への乗り物といえば亀と相場が決まっているが、江戸時代の徳島には、人を龍宮に運んでくれるという摩訶不思議な沓(くつ)があった。
持ち主は泊甚五右衛門(とまりじんごえもん)。水練の師範役として代々藩主の蜂須賀(はちすか)候に仕え、千石の大禄を食んできたという徳島藩の名家の当主だ。
泊家では、この沓は龍宮の王から賜ったものと言い伝えている。
・家宝の沓に関して最も不思議なことは、毎年正月元旦に龍宮への参賀がおこなわれることだ。当主の甚五右衛門は、元旦になると紋服・羽織袴で威儀をただし、秘蔵の沓を履いて海浜に出かける。見送りの郎党門人はもちろんのこと、黒山をなす見物人も固唾を飲んで見守るなか、甚五右衛門は静かに海へと歩を進め、そのまま海中に身を沈めていく。やがて高浪がやってくると、浪のなかに甚五右衛門の姿が消えるのである。
それから7日後になると、またこの浜に出迎えの郎党門人と見物人が集まってくる。
やがて彼の視線の先の海面に、ぽこっと甚五右衛門の頭が現れる。それから上半身が現れ、両手で浪を抜いて泳いでくる。元旦に来ていった
紋服・羽織袴が潮水で濡れているほかは、なにひとつ変わったこともない。
こうして毎年、甚五右衛門は尋常ならざる龍宮参賀をつづけているが、自在に海を行き来できるのは、すべてこの沓のおかげだというのである。
<江戸版“幽霊タクシー”の怪>
・今日なら幽霊タクシー、明治なら幽霊人力車にあたる幽霊駕籠という妖しい乗り物もある。書いているのは井原西鶴だ。
それは真新しい女駕籠で、なかに22、3の垢抜けた都会風の美人が乗っている。話しかけても返事をせず、黙ってうつむいているが、色香に魅せられて乱暴に及ぼうとすると、とたんに女の左右からヌッと蛇の頭が出てきて、狼藉者に喰らいつく。咬まれた男は目が眩んで昏倒し、長く枕が上がらなくなってしまうというのだ。
女駕籠は神出鬼没で、今日は池田の里の東、翌日は呉服の宮山の衣掛松の下に停まっていたかと思うと、次には瀬川宿の砂浜、翌日には芥川、ついで松尾大社の社前、さらには丹波の山近くと、自在に飛び回る。
なかの美女も、愛らしい童女に変わったり、80過ぎの翁になったり、二つ顔のバケモノや目鼻のない姥になったりと、見る人ごとに姿を変えるのだ。
この駕籠は妖女専用で、他の客を乗せることはないが、旅人の肩に駕籠かき棒がふいに乗っかかって離れなくなることはある。重くはないが、一町ほども行くとなぜかどっと疲れが出て、足腰が立たなくなる。
・駕籠の形状から明らかなように、これも新手の虚ろ舟の一種だろう。なかに乗っている美人は住吉の女神なのだろうか。いまやすっかり零落して素性も知れなくなっているところが哀れを誘う。
江戸時代には、多くの神々が古代の聖性を失い、妖怪化して物語や見世物などのエンターテインメントに駆り出されるようになった。
なんとも奇抜なファッションが、承応(1652~54年)ころの江戸で流行している。地獄染めという。
閻魔王をはじめとする地獄の十王、亡者の善悪の判別役である見る目かぐ鼻、浄瑠璃鏡、業秤にかけられた亡者などといった図柄を染め抜いたもので、「高きも卑きも、老若男女の差別なく」この異様なファッションに飛びついた。さらにエスカレートして、墓場の景観そのものである卒塔婆染めや五輪染めが現れ、しまいには「化野(あだしの)に髑髏」といった悪趣味な図柄を染めたものを着飾り歩く者まで出てきたというからすごい。
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