非民主国家が日本の周りに三つも存在して、しかもそれが束になってかかってくる恐れがあるわけだから、どうしてもGDP比3%の防衛費をつぎ込んで国を守らなければいけない。(8)

<中国に味方する国は皆無>

いったん「中台戦争」が開始されたら、台湾に味方する国々は多い。新軍事同盟である「AUKUS」(米英豪)、安倍晋三首相が提唱した戦略同盟「Quad」(日米豪印) 、機密情報共有枠組みの「Five Eyes」(米英豪加NZ)等のメンバーは、真っ先に台湾を支援するだろう。

既述の如く、近年に至るまで、習近平政権は対外強硬路線の「戦狼外交」を展開し、“四面楚歌”の状態にある。したがって、中国に味方する国はほとんどないだろう。

したがって、「海洋国家」群の台湾・米国・日本・英国・オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・フランス+インドVS. 「大陸国家」中国という図式になる。中国共産党は、苦しい戦いが強いられるだろう。

<人民解放軍の問題>

たとえ中台だけで戦火を交えても、中国軍が台湾軍に勝利するとは限らない。

「通常、攻撃側は防御側の3倍の兵力が必要である。台湾はおよそ45万人(予備役を含む)の兵力を持つ。もし地形が不利な場合、攻撃側は5倍以上の兵力が必要となる。そうすると、人民解放軍幹部は台湾へ派遣する兵力は、少なくても約135万人、できれば約225万人欲しいだろう」と鋭く指摘した。

現在、中国人民解放軍は総数約200万人である。仮に、約135万人の兵力を台湾へ投入したとしても、台湾軍に勝てるかどうかはあやしい。

<『孫子』は中国人の行動原理>

中国の古典で、最も重要な文献の一つは『孫子』である。これを読めば、中国共産党幹部(人民解放軍幹部を含む)の行動様式が、ある程度わかる。

孫子の唱える“ベスト”は「戦わずして勝つ」である。

そのため、様々な手法で敵を脅すのはもちろんのこと、(1)偽情報を流す、(2)賄賂を送る、(3)スパイを送り込む、(4)ハニートラップを仕掛ける等、あらゆる手段を採る。武力を用いずに敵に勝利する事こそが、孫子の唱えた最高の戦法である。

当然、共産党幹部もこの孫子の兵法を熟知している。また、中国が必ずしも「中台戦争」で勝利するとは限らない。そのため、孫子の哲学に沿った戦法を採るのではないだろうか。したがって、人民解放軍が軽々しく「台湾侵攻」を敢行しないと考える方が自然である。

<「台湾侵攻」の模擬演習で6勝48敗>

だが、中国は、1979年の中越国境紛争以後、40年以上、大規模な本格的戦闘を行っていない。だから、実戦経験に乏しい。せいぜい、近年の中印国境紛争ぐらいだろう。これとて、棍棒で殴り合うという原始的な戦いである。

実は、朱日和(内モンゴル自治区にある中国陸軍の総合訓練場)に“台湾総統府街区”の模擬建築物が建造されている。そこで、人民解放軍が「台湾侵攻」の模擬演習を行った。昨年9月、『三立新聞網』の報道によれば、解放軍側が6勝48敗6引き分けと散々な戦績に終わったという。模擬演習でさえ、この有様である。実戦となれば、更に厳しい結果が待ち受けていよう。

<「アキレス腱」三峡ダムをミサイルで破壊>

現在、揚子江の三峡ダムは、中国のアキレス腱となっている。ダムは湖北省宜昌市に位置する世界最大の水力発電所で、1993年着工、2009年完成した。着工から完成に至るまでの間に、そのダムの寿命がなぜか1000年から100年に短縮されている。完成間際には、10年もてば良いと言われるようになった。

2019年、「Google Earth」では、三峡ダムは歪んでいるように見えた。そこで、ダムはいつ崩落するかわからないと囁かれ始めた。その後、台湾の中央大学研究員が、ダムの防護石陥没を発見している。

中国当局は、長江へ大量の雨水が流れ込むたびに、三峡ダムの崩壊を恐れ、上流の小さなダムを決壊させている。そのため、四川省および重慶市ではしばしば大洪水が起きている。

仮に、「中台戦争」が勃発すれば、台湾はすぐさま射程1500キロメートルの中距離ミサイルで、三峡ダムを狙うに違いない(台湾島から三峡ダムまで約1100キロメートル)。

台湾がミサイルで三峡ダムを破壊すれば、中国経済に決定的ダメージを与えるだろう(ダム下流の経済は中国全体の40%以上を占める)。もしダムが決壊すれば、下流に位置する武漢市、南京市、上海市は壊滅するかもしれない。また、ダム下流の穀物地帯は広範囲に浸水し、ひょっとして、中国は食糧危機に陥るおそれもある。

このようなアキレス腱を抱えたまま、中国共産党が「中台戦争」を敢行するとは考えにくい。

<「中台戦争」が勃発する3つのケース>

万が一、中国軍が「台湾侵攻」に踏み切る場合、3つのケース(地域)が考えられる(おそらく、中国は3地域いっぺんに攻撃することはないだろう)。

第1に、中国軍が南シナ海の南沙諸島にある太平島・中洲島を攻撃する。この場合、民進党(本土派)の蔡英文政権が、太平島・中洲島を守るのだろうか。一応、台湾が両島を実効支配しているので、とりあえず防衛を試みるかもしれない。

第2に、中国軍が福建省の一部、馬祖・金門を攻撃する。馬祖・金門については、現時点で、「本土派」の蔡政権は死守する公算はある。だが、最終的に、民進党政権は馬祖・金門を中国に明け渡す可能性を捨てきれない。そして、中華民国から馬祖・金門を切り離した後、「台湾共和国」の樹立を目指すというシナリオもあるのではないか。

第3に、中国軍が澎湖島を含む台湾本島を攻撃する。この場合、台湾軍は死に物狂いで郷土を守ろうとするだろう。いくら現代戦はミサイル等のハイテク兵器が勝敗を決すると言っても、最後は”精神力”がモノをいうのではないだろうか。

他方、多くの人民解放軍兵士は自分とは直接関係のない台湾を真剣に「解放」しようと考えていないはずである。大半の兵士は如何に生き延びるかしか関心がないと思われる。

<合理的判断ができない共産党トップと偶発的事故>

結論として、中国共産党幹部が“合理的判断”をする限り、「台湾侵攻」を決行する可能性は著しく低い。中国の「台湾侵攻」(=「中台戦争」)は即、「米中戦争」となるからである。中国はサイバー戦争・宇宙戦争は別にして、米国との従来型の戦闘・戦争は望んでいないのではないか。

ただし、共産党トップが、“合理的判断”ができない場合、「中台戦争」の勃発する可能性を排除できない。

その他、中台間の偶発的事故(どちらかがミサイルを誤射する、戦闘機が敵機を打ち落とす等)によって、「中台戦争」が勃発する事はあり得るだろう。

澁谷司

© 株式会社飛鳥新社

(2022/4/16)

『ロシアを決して信じるな』

中村逸郎 新潮社   2021/2/17

・北方領土は返ってこない。ロシア人は狡猾で、約束は禁物だ――著者はこう語る。長年、かの国に渡り、多くの知己をもつ研究者にそこまで思わせるロシアとは、一体、どんな国なのか。誤作動で発射をまぬがれた核ミサイル。日常の出来事となった反体制者の暗殺。世界最悪の飲酒大国。

<核ボタンはついに押されたのか ⁉>

<人類は滅亡の日を迎えていたのか>

・わたしが入手したロシア語の資料に綴られている文章によれば、1995年1月25日午前9時過ぎのこと……。わたしたちの知らないところで、米露の核戦争がはじまり、人類史上、最悪の危機を迎えていたかもしれないのだ。

・この極秘資料によれば、ロシア領土にむかって飛んできている核ミサイルをレーダーが探知。核バッグによって核兵器の自動制御システムを起動させ、ロシア軍は戦闘モードに突入することになったが、なぜかうまく作動しなかったというのである。

<大統領の補佐官の証言>

・「エリツィン大統領がボタンを押すべきかどうか、激しい議論が巻き起こりました。国防相は、ボタンを押すべきだと叫びました。でも大統領は、本当にアメリカがロシアを攻撃するなんて信じられないと躊躇しました」

バトゥーリン氏の話が本当ならば、冒頭の資料と合致しない。資料には、核ボタンは押されたが、システムがうまく作動しなかったと記されていた。どちらが、事実なのだろうか。仮に故障していたならば、なんという間抜けなロシア。緊急事態に対処できないロシア。ロシアらしい大失態といえるが、そんなロシアに、世界は助けられたという皮肉。

<核バッグは故障していたのか>

・はたして核ボタンは故障していたのか。またはエリツィン氏はアメリカの攻撃を信じなかったのか、いずれにしてもロシア側は行動をとらなかった。そうこうしている間に、ロシアへのミサイル攻撃という第一報から24分後、飛翔体はノルウェーのスピッツベルゲン島付近に着水したことをロシア国防省が確認した。

<ロシア外務省の怠慢>

・バトゥーリン氏はわたしの目を見据えて、語気を強める。

「そもそも事の発端はロシア外務省にあります。所詮、官僚機関なんです。ロケット発射について大使館がノルウェー政府に確認をとり、その情報を随時、本省に伝えておけばよかったのです。もちろん、外務省から国防省に、情報が正確に転送されていたかどうかは、わかりません。外務省という機関は、国防の危機的な状況ではまったく信頼できません。国家の安全保障という重大な任務は、国防省がしっかり負わなければならないのです。ノルウェー政府にしても、ロシア国防省に直接連絡すべき事案でした」

<平和時こそ危ない>

・核バッグが故障していたかどうか、その真相は解明できなかったが、いずれにしても平和な時代に勘違いや誤作動で核戦争がはじまる危険性があることを、わたしは身にしみてわかった。

 当時、ノルウェー・インシデントは日本ではまったくニュースにならなかった。無理もない話だ。というのも1995年1月17日、ノルウェー・インシデントの8日まえに、阪神・淡路大震災が発生しているからである。犠牲者は6000人を越え、当時、戦後の地震災害としては最大規模であった。ロシアの動向を注視する余裕がなかったのは、当然である。

<バトゥーリン氏との出会い>

・勘違いで恐るべき核戦争を起こしかねない国――。そんなロシアの言動や約束を、わたしたちはどうして信じることができるだろうか。なんとなくきな臭くて、危うい雰囲気が漂うロシア、その内部でなにが起こっているのだろうか。

<暗殺社会ロシア>

<毒を盛られた>

・秘書ヤールミィシュ氏は、「どの時点でかれが意識を失ったかわからない」と困惑する。BBCモスクワ支局の報道では、ナヴァーリヌィー氏がトイレから出てきてから10分後のこと。男性乗客は「ちょうど9時だったと思います。『乗客のなかに医者はいますか。すぐにサポートしてください』と大声の緊急放送が流れた」と振り返っている。

・すぐにオームスク市立第一救命救急病院に緊急搬送され、集中治療室で人工呼吸器がつけられた。ナヴァーリヌィー氏の女性秘書は、トームスク空港内のカフェーで飲み物に毒物が混ぜられた可能性を指摘し、「朝からほかの飲み物はなにも口にしていない」と訴えた。

 ナヴァーリヌィー氏は、プーチン政権を批判する急先鋒としてロシア国内でもっとも著名な活動家である。

・補足すれば、2014年にウクライナ領であったクリミア半島を、ロシアがいわば強制的に併合して以降、プーチン氏は80%近い信頼感を維持してきたが、先の世論調査結果では28%に急落している。

<毒裁国家ロシア>

・信頼感の低下に危機感をいだくプーチン政権が、ナヴァーリヌィー氏に毒を盛ったと示唆する報道が相次いだ。プーチン氏が直接指示をしたのかどうか、真相は不明だが、衝撃的なニュースとなって、ロシア国内だけではなく日本でも駆けめぐった。

・この毒物が世界に知れわたるようになったのは、先に述べたスクリパーリ氏の暗殺未遂事件であった。ノヴィチョークは無色透明で無臭、そしてVXガスの5~8倍の威力があると推定されている。飲み物や衣服をとおして体内に取り込まれると、呼吸や心拍が停止するなど神経性の障害を引き起こす危険な毒物なのである。

<毒殺の歴史>

・では、ノヴィチョークはこれまでどのように使われてきたのであろうか。

 プーチン政権下で反政府活動家やジャーナリストたちが、不審な死を遂げる事態が相次いでいる。たしかに表現の自由は認められているが、発言のあとの身の安全は保証されていない。かれらの死因が特定されることもなく、たとえ容疑者の氏名が取り沙汰されても、逮捕、さらに立件されずに捜査が立ち消えになったりする。

・ここでプーチン政権の発足以降、毒物の使用が疑われている主要な殺人事件(未遂を含む)を、以下に記してみたい。

◆FSBの汚職を追求したジャーナリストのユーリー・シェコチーヒン氏(2003年)

◆チェチェ人への人権抑圧を告発したジャーナリストのアーンナ・ポリトコーフスカヤ氏(2004年未遂、2年後に自宅アパートのエレベーター内で射殺)

◆プーチン氏がFSB長官時代に職員であったアレクサーンドル・リトヴィネーンコ氏(2006年)

◆野党指導者のヴラシーミル・カラー=ムルザー氏(2015年と17年、ともに未遂)

◆反政権派の演出家ピョートル・ヴェルジーロフ氏(2018年未遂)

◆市民運動家のニキータ・イサーエフ氏(2019年)

◆辛辣な政権批判を展開するコメンテーターのドミートリー・ビィーコフ氏(2019年)

・特筆すべきは、2006年、当時43歳であったリトヴィネーンコ氏の毒殺である。ロンドン市内のホテルのバーで毒物の入った飲み物(緑茶)を口にしてから数日後、嘔吐がはじまり、頭髪が抜けはじめる。死亡する前日になって、尿から放射性物質ポロニウム210が検出された。ロシアの元情報将校であったリトヴィネーンコ氏が、プーチン氏の指令を無視したことによる個人的な恨みが背景にあるといわれている。プーチン氏による復讐なのだろうか。

・2004年のポリトコーフスカヤ氏の暗殺未遂事件も、衝撃的なニュースとなった。プーチン政権によるチェチェン戦争を批判した女性記者は、機内で出された紅茶を飲んで意識不明の重体になった。その後、症状は回復したものの、2年後にモスクワ市内のアパートで射殺された。

 

・ソ連時代や権力闘争が激化したエリツィン時代にも、毒殺の疑惑がくすぶることはあったが、プーチン政権が発足した2000年以降、目立って増えているように感じられる。射殺されるのは、稀なケースといえる。

 毒物で神経が麻痺し、被害者は悶え苦しむことになる。一気に息の根を止めるというよりも、苦しめることに犯行者の執念がこめられているように思う。死に至らなかったとしても、毒を盛れば成功というわけだ。いわば「生かさず、殺さず」の瀕死の状態に追い込む。敵対者への警告や見せしめの意味もあるが、背景には「裏切り者は絶対に許さない」「復讐は名誉ある戦い」というロシアの伝統的な掟がある。プーチン政権下で続く事件は、まさに古いロシアの体質を継承している証なのである。

・ロシアでは昔から、政治的な陰謀や政敵への復讐のために毒が使用されてきた。古代ロシアでは、貴族が祝宴のテーブルで致死量を超える毒を盛られて召使いに看取られながら死ぬ場面が、絵画として残されている。

 古来、植物由来の強い毒性をもつアルカロイド系の毒が用いられてきた。中世に入ると、ヒ素化合物の使用が主流となった。下痢や筋肉の痙攣といったコレラと似た症状が見られ、20世紀はじめまで広く使用されていた。

 ヒ素が「毒の王様」と形容されたのは、その中毒症状により相手を苦しめるのに効果があったからであろう。すぐに死に至らない毒物として、重宝されたのである。20世紀に入ると、政府機関が化学兵器の開発を進めるようになり、先のノヴィチョークもその流れで誕生した。

 

・裏切り者への罰としての毒殺は、ふつう、ロシア人の間ではあまり驚かない雰囲気があるのだが、客観的には恐ろしい殺害行為である。

 とくにプーチン政権はロシア愛国主義を前面に掲げており、その風潮のなかで裏切り者への復讐は年々、激しさを増している。

<災難への誘惑>

・それにしてもわたしが納得できないのは、ナヴァーリヌィー氏の言動である。プーチン政権からたびたび警告を受けているにもかかわらず、いわば自分の命と引き換えに、果敢に反政府活動を強行しているからである。

・ロシアには、社会や人生の闇にとても深い愛着をいだいている人たちがいる。その暗闇は心に影を落とし、一人ひとりの人生と切り離すことができないと考えている。他人の「苦しむ」「悶える」姿に容易に感情移入し、同情するのである。

 ロシア人がそうなってしまう理由の一つは、長くて暗い厳しい冬を耐えているからである。ときにはマイナス40度に下がることがあり、冬至を挟んでの1カ月は、たとえばモスクワでも1日の日照時間は平均して1時間もない。暗くて寒い生活は、ロシア人たちの人生の半分を占めている。暗闇は、もはや生活の一部なのである。

・もう一つの理由は、苦難の歴史にある。13世紀から240年も続いたタタール(モンゴル)の支配やナポレオン、そしてナチスドイツの侵略など、外敵の脅威にさらされてきた。まさに、暗黒の歴史を紡ぎ、戦禍に耐えた。国内に目を向けると、イヴァーン雷帝、ピョートル大帝、さらにはスターリンなどの残忍な支配者たちの抑圧や飢饉、飢餓に苦しめられた。

・国家にあらがったがゆえに、毒を盛られてしまうロシア人。裏切り者の苦悶を見て、愛国心を高揚させるロシア人。苦しみに魅了されるロシア人。では、ほかにどんなロシア人がいるのだろうか。

 わたしは40年間、ロシア(ソ連)の各地を訪ねてきた。1980年8月に3週間、モスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)に滞在したのを皮切りに、渡航回数は100回以上になり、4年間のモスクワ留学も経験した。

<「ひたすら祈る」――魔窟からの脱出>

<古いロシアが生き続ける>

・わたしは40年間、ロシア(ソ連)人とつきあってきた。いまから振り返っても、シェレメーチェヴォ空港で受けた衝撃は生涯、忘れられない。

<最悪の事態、スーツケースの紛失>

・毒殺など暗殺事件が頻発するロシア………。そんなロシアを舞台に、私はロシア人を睨みつけながら地団太を踏んだ。2014年10月11日のモスクワのシェレメーチェヴォ空港での出来事だ。

・「空港ではスーツケースを預けるときには、鍵をかけないほうがいい。だれかがこじ開けたいと思えば、鍵は壊されてしまうから。旅行の途中でスーツケースが閉まらなくなるなんて、悲惨なことだ。だから、はじめからスーツケースを持ち運ばないのがいい」

<摩訶不思議の国>

・絶望的な事態となった。わたしの経験上、問い合わせのメールをすべての空港に送信したところで、空港職員たちがタグ番号を手がかりに探してくれるとは到底想像できない。たとえ身近な場所にスーツケースが放置されていても、確認しないに決まっている。

<一つの手荷物を発見できた>

・「二つのスーツケースのうちの茶系のものが、いまターンテーブルのうえをぐるぐる回っているそうです。安心してください」

・「あなたのもう1個のスーツケースを発見しました。チターの空港にあります。あなたのスーツケースだけが、飛行機に積み忘れられたようです。あすの午前8時30分にシェレメーチェヴォ空港に到着する便で運ばれてきます」

<最後は祈るのみ>

・はずんだ声が響く。ドモジェードヴォ空港でスーツケースを発見すると同時に、もう1個の連絡が入るのもロシアらしい数奇な運命といえる。先ほどまで悲嘆にくれていたのに、いまでは歓喜に震える自分に、もう一人の自分があきれ返っているような気がする。

<倒錯する日常生活>

<空回りのロシア>

・どんよりと曇った寒空のモスクワ市……。2013年3月8日のことである。3月は、1年中でもっとも不快な時期だ。真冬に路面を覆っていた雪男が溶けはじめ、雪に代わって雨が降り出す。車道も歩道もぬかるみ、長靴が泥水でひどく汚れてしまう。防水が不完全だと、水が靴のなかに染みて、靴下がびっしょり濡れてしまう。足が冷えて、もう最悪だ。

<数字が無意味でめちゃくちゃ>

・友人のアパートを訪れて驚くのは、エレベーターのかごのなかにある「行先階ボタン」の配列がめちゃくちゃなことだ。

・ロシアの統計によれば、失業者は若者に多く、2017年9月時点で、20歳から24歳までの失業者は13.9%、15歳から19歳にいたっては、25.7%に達する。

 プーチン政権が発足してから2020年で丸20年もなるが、すでに指摘したように反政府活動家が逮捕されたり、毒殺されたりし、辛辣に社会批判を繰り広げる250人のジャーナリストが不審死を遂げているという情報もある。

<ロシア人のいないところが「いいところ」>

・「ロシアは予見できない国です。予想だにしなかった不思議なことが突然起きたり、ときには他人の悪意による行いで、生活が歪められたりします。思い通りにいかないことばかりで、他人への期待はいとも簡単に裏切られてしまいます。だから、ロシアでは、あなたはびっくりしたり、失望したりすることばかりに見舞われます。そのため、逆にいえば、人間の倫理や善意を問う文学や哲学思想が多くなるのです」

 ロシア人たちは、絶望的な社会で生きているのだろうか。どんな気持ちで暮らしているのだろうか。トミートリーは、苦笑いしながら、こう言い放った。

「結局、わたしたち(ロシア人)のいないところが、いい場所なのです」

・「外国に移住したロシア人で、後悔した人はいないでしょう」現在、ロシア国籍を有し外国に住む人は約250万人に達する。ビジネスだけではなく、外国の大学で学ぶ若者も含まれている。

<決して信じるな――ロシア人は嘘八百>

<騙されやすい人を狙え>

・「相手を信じやすく、騙されやすい人は、すぐにロシア人の格好の的となり、騙されてしまう。このタイプの人間には、嘘の約束をするのが一番だ。逆に、頑なに相手の要求を拒否する人よりもずっと扱いやすい。だって嘘だとわかっても、相手は『そんなはずはない。なにかの誤解でしょう』と勝手に信じ込んでくれるからね。だから、ロシア人はどんどん嘘の約束を重ねていけばいいだけのこと。実際には何も実行しなくてすむし、失うものはないので、こんな楽な相手はいない」

<嘘に嘘を重ねるのがロシア流>

・わたしとミハイールはそのとき、北方領土交渉の行方について会話をしていた。領土問題の詳しい経緯を知らない友人は当初、歴史の複雑さのあまり、頭を抱えてしまった。かれは一息ついてから姿勢を正し、わたしの方に身を乗り出していったのが、先の一言だった。日本は、ソ連、そしてロシアに騙されているのだろうか。

 嘘の約束を繰り返すやり方が、ロシア人の交渉術といわんばかりに得意気な表情をミハイールは見せる。

・どんなにお人好しといっても、最後には不信感を抱き、交渉への熱意を消失させるはずだ。しかし、ロシア人は嘘がばれてしまっても「悪いのは嘘をついた自分たちではない。気づいた相手に非がある」と開き直る。ロシアの流儀は、交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるというものだ。

<領土問題という悲劇>

・ロシアに代わってまともな人たちを隣国に据えたいと願っても、ロシア人は「たしかに自分たちがいないところがいいところだ」と一笑にふすだけだ。ロシアは、本当に罪深い国なのだ。

<四島一括返還が本筋>

・それにしても領土交渉が進展しているのかどうか、いっこうに定かではない。わたしのいう「進展」とは、ロシアが北方領土を返還する流れのことだ。ただ島の返還といっても、「二島」でも「二島+α」でもない。わたしにとっては「四島返還」であり、「領土問題の解決」というのは四島の一括返還を意味している。

<返還が可能なタイミングはあったのか>

・経済協力の成果は上がったが、領土は日本からどんどん遠くに去り、領土問題そのものが消滅することになるのではないだろうか。

<プーチンへの「接待外交」>

・共同経済活動といっても、実態はロシアの法律のものとで行われることになる。つまり、ロシアの国家主権を容認することになる。

<思いつき外交の弊害>

・結果的に、プーチン氏は日本を騙したことになった。約束した2018年末までに、平和条約が締結されることもなければ、それにむけての進展さえもまったく見られなかった。プーチン政権は、いったいなにを考えているのだろうか。

<ロシアが本音を吐いた>

・結局、2018年末までに平和条約を締結することがなかったプーチン政権………。どこまでプーチン氏を信頼してよいか。2019年に入ると、領土問題へのロシア側の姿勢が明らかに変化した。プーチン氏の側近たちが北方領土を支配する正当性を躍起になって主張しはじめた。

<北方領土の現実を見よ>

・それにしても懸念の一つは、歯舞群島の一つひとつの名称が日露間で違うことである。たとえば、貝殻島はロシア語の表記では「シグナーリヌィ島」、志発島は「ゼリョーヌィ島」となっている。

 領土交渉をするにあたって、日本側が返還要求しても、ロシア側は「そのような島は存在しない」と突っぱねることも当然想定できる。

<領土返還交渉は終わった>

・ペスコフ氏の口からは、「平和条約」や「領土交渉」という文言は一切出てこなかった。もうロシアを信じて領土交渉をするのは、やめた方がよいのではないだろうか。

<「偽プーチン」説の真相>

<悪魔に魅了されたロシア人>

・ふつうのロシア人は信仰心が篤く、全人口の7割ほどがロシア正教会の信者といわれている。残りの人びともイスラム教、仏教、さらには土着のシャーマニズムを信仰している。

 しかし、ことばでは神や仏の恵みを感謝するのに、心底では悪魔が大好きという人もいるようだ。

<飲まずにはいられない――世界最悪の飲酒大国>

<シベリアとは>

・シベリアは、世界最大の国土面積を有するロシアの57%の広さを占める。980万平方キロメートルの大きさは、ほぼアメリカと同じだ。

<「シベリアのパリ」>

・バイカル湖の南西岸のリストヴァーンカ村から北西60キロのところにイルクーツク市がある。1661年にコサックが城塞を築き、その後は中国との貿易と採金業で栄えた。

 その一方で、西欧流の彩りを添える街並みを形成した。意外と知られていないが、この町は「シベリアのパリ」の異名を誇る。

<大平原のなかの虚しさ>

・ザラリー駅で下車したのは、そこから南100キロほどの森林地帯に、東欧からの流浪の民ゴレーンドル人の村を訪れるためである。

 先祖はもともと1569年に誕生するポーランド・リトニア共和国内を放浪していたが、17世紀初頭にポーランドの伯爵によってブーク川沿い(現在のベラルーシとポートランド国境付近)に集められた。1795年のポートランド分割で、かれらの地はロシア領土に併合された。1906年のストルィピンの農業改革で農民は自由に農村共同体から離脱できる権利を付与され、ゴレーンドル人たちは土地を求めてシベリアの今の奥地に移り住んできたというのだ。以来、森の中にひっそりと暮らしているという。

<極上ウォッカの出番>

・ウォッカはロシア国内で広く飲まれる蒸留水であり、ときにはロシアの文化を育み、民間療法に利用されるなど、ロシア人の生活に大きな影響をあたえてきた。

・ウォッカの起原についてはいろいろな説があるが、薬用酒としてその名前が登場するのが1533年、一般にアルコールとして認知されたのは17世紀に入ってからだ。

<ウォッカの飲み方>

・ウォッカは「飲み込む」のではなく、「放り込む」。味わいを堪能したり、香りを楽しんだりする必要はない、といわんばかりだ、ちびちび飲むのも、ご法度だ。

<ビンから絞り出すほどに>

・「この一滴が、極上の美味しさなのだ」 どうやら、ウォッカの味わいは、最後の一滴に凝縮しているようである。

<警察官は「伝説の人」>

・飲酒運転は、ロシアの法律では初犯の場合、3万ルーブル(約6万円)の罰金、そして免停は最大2年に及ぶ。それを見逃す代償に、警察官が法外な賄賂を要求してくるかもしれない。ロシアの警察官は、反社会勢力と揶揄されるほど、人びとに怖がられている。わたしの懸念を伝えると、かれはこう開き直った。

「心配するなよ。シベリアの平原には、警察官なんて働いていないからだ。だって人間が住んでいないからね。警察官なんて出会ったことがないし、伝説の人だと思っている」

・ロシア国土の大部分を占める森林地帯、そのなかで暮らすロシア人にとってウォッカは欠かせない自己確認のための「神聖な水」なのである。ウォッカの語源は、「ヴァダー(水)」だ。2020年のアルコール飲料の消費量を見ると、ウォッカは全体の51%を占めており、ビールとワインを圧倒している。ウォッカの一人当たりの年間消費量を国別で比較すると、ロシアは世界一位の13.9リットル。

<オイルとウォッカ>

・当時のロシア経済は、まさにバブルの絶頂期を迎えていた。ソ連時代を含めてロシア人の多くがはじめて資本主義の怒涛に飲まれ、その栄華に酔いしれていた。

・たしかにプーチン氏が大統領に就任した翌年の2001年以降、町の様相が大きく変わった。GDP成長率は本格的な上昇局面に転じ、2006年には前年比で8.2%を記録している。とはいっても、ロシアが新しい産業を育成し、自力で経済大国にのし上がったというわけではない。

 世界的なオイル価格の上昇が、大きな要因となったのである。

・7年間で5倍近くにまで跳ね上がったのだ。ロシアの輸出高の7割が、天然資源関連で占められる。いわば「毎日、宝くじに当たる」かのように外貨収入が激増した。このようなオイル価格の上昇を招いたのは、石油需要の増大と投機マネーの流入である。だから、ロシア経済の繁栄は世界の資本主義経済に依存しているといえる。

<ロシアはヨーロッパなのか>

・だが、赤の広場で出会った先の老人は、バブル経済に踊るロシア人の浅はかさを見透かしているかのようだ、ロシア人にとって大切なのは、ロシア経済を潤すオイルなのか、それとも伝統的なウォッカなのか。

 いわば、資本主義を奉じる「欧米」と「ロシア」のどちらの価値観をロシア人は選択するのか、迫っているようだ。両者の選択は19世紀以降、ロシア人が繰り返し思い悩んできている本質的なテーマである。ロシアはヨーロッパの近代化に追随する道を歩むのか、それともロシアの独自性を追求するのか。

・欧米と古いロシアの間の選択を迫られるロシア人の辛い心情を察したのか、モスクワの商店では、オイルのドラム缶を模したアルミ容器に入ったウォッカが販売されるようになった。商品名は「オイル」、価格は4122ルーブル(8244円)だ。酒の販売コーナーにオイル缶が所狭しと並べられているのを見たときは驚愕した。

0コメント

  • 1000 / 1000