五井先生によると、人類というのは、今までに何度も失敗してはやり直しを繰り返しているのだそうです。そして、今の地球は7回目のやり直しの時期に入っていると伺いました。(1)

(2025/4/13)

『100歳の幸せひとり暮らし』

穏やかな心と健康を保つ100のヒント

鮫島純子  光文社   2022/9/21

<はじめに>

・この9月26日に、100歳の誕生日を迎えることになりました。

・まず、どんなときでも「ありがとうございます」と感謝する習慣をお伝えしたいと思います。それから、「世界人類が平和でありますように」という世界平和への祈り。今、こうして元気でいられるのも、この2つの習慣が何より大きいと思っております。

<幸せにほがらかに生きる>

・取り越し苦労の多かった私も、前向きでいることを心がけたおかげで、人生は後半になるほど幸せで豊かなものになっていくと実感するようになりました。

<何事にも感謝>

・元気の秘訣の一つは、「何事にも感謝して生きる」ことです。

<波動の低い言葉は使わない>

・不平や不満、愚痴や悪口といったマイナスの言葉は、波動が低く、それを一番に聞いている自分の心を乱し、汚してしまうエネルギーをもっています。マイナスの感情が心にあると前向きにはなかなかなれません。

<「ありがとう」は声に出して>

・「ありがとう」の言葉は、心で思うだけではなく、声に出してみたほうがいいようです。

<トイレの「有難さ」を忘れない>

・トイレに1枚残った「ありがとう」は、戦時中の不自由な頃を思い起こさせてくれます。平和な今の日本に心から感謝します。

<骨折にも、ぎっくり腰にも感謝>

・それによると、人の体は、脳の「側座核(そくざかく)」というところが傷みのコントロールに関係しているそうです。そして、一見、腰痛とは関係のないような子育てや介護などのストレスが脳へ伝わると、腰痛を感じる一因にもなるそうです。

 それを知って、ぎっくり腰のときも、骨折のときも、「ありがとう」と感謝して、「ああ困った」とストレスにしなかったことで、早い快癒に至ったのだと思いました。これからも、すべてに感謝です。

<いつも笑顔で>

・笑顔になること、笑うことで、ナチュラルキラー細胞という免疫細胞が活性化し、免疫力がアップするそうです。また、エンドルフィンという脳内物質が分泌され、痛みが和らぐことも報告されています。また、笑顔や笑いはリラックスした状態を心にもたらし、自律神経が安定します。

<物騒なテレビは観ない>

・テレビを観ていて、物騒なニュースや怒鳴り合いのドラマが始まると、消してしまいます。家の中に不穏な波動が入ってくるのを避けたい気持ちからです。

<役に立って喜んでいただく>

・長寿がなぜ有難いのか。今、年を重ねて思うことの一つは、「感謝する」機会をたくさんいただけることです。

<あるがままを受け入れる>

・私はよく「自然体ですね」と仰っていただきます。感謝を習慣にし、「あるがまま」を受け入れているからと、さらに感謝しております。

<手にも足にもありがとう>

・歩けることを当たり前と思って過ごしてきましたが、80歳を過ぎた頃、バランスを崩して転び、骨折をしてしまいました。

・手術をせず、リハビリ訓練で自然治癒いたしましたが、不自由になって初めて、歩けることの有難さが身に沁みました。

<前向きな気持ちで免疫力を上げる>

・病気のときは、誰しも気分が落ち込みがちになるものです。そんなときも、感謝の気持ちをもって物事を受け止めていると、心が明るくなってきます。80歳を過ぎて骨折したときは、暑い盛りに2か月半の入院生活を送りました。けれども、6人の相部屋だったおかげで、思わぬ楽しさがいくつもありました。

<自分の蒔いた種は自分で刈り取る>

・病気や怪我は、たいていは自分の不摂生や不注意から起こります。「自分の蒔いた種は自分で刈り取る」のが宇宙のルールです。

<詐欺に遭っても平常心>

・東日本大震災の2週間ほど前に、オレオレ詐欺に遭いました。代々木警察署の署長と名乗る人から、「あなたの通帳から50万円が2回抜かれています。犯人はまだ捕まっていない。キャッシュカードを変えましょう」という趣旨の電話がありました。

・銀行はすでに閉まっている時間帯で、翌朝すぐに飛んで行きましたけれど、後の祭りでした。もちろん、警察にも事情を話しました。

<反省は明るく、短く>

・詐欺被害に遭った後は、不思議なほど落ち込まず、罪を犯した人たちの今後の人生や、親御さんの心情を思いやると、気の毒な気がしました。

・自分については、「今後は騙されないように気をつけよう」と、反省した後は、ふだんから信条にしている「反省は明るく、短く」に従って、気持ちをすぐに切り替えました。

<ツイてないことは「チャンス」>

・ツイていないことにぶつかったら、どうやってそれをひっくり返すか。考えるチャンスをいただいたと感謝することが、運を良くする秘訣です。

<一人ひとりに平和を実現する使命がある>

・近所のキリスト教会の門をくぐりました。バイブルクラスに10年間通いました。

・1冊の本とご縁がありました。祈りによる世界平和を提唱された霊覚者・五井昌久先生の本です。そこには、「肉体身は期間限定。誰でも必ず死ぬ。霊性は一人残らず神様から分け与えられた永遠の命の波動をいただいており、地上に平和を実現する使命がある。身近に悪い出来事が起きているように見えても、それは過去世から今までに自分に宿った業が消えていく姿である」と、ありました。そのとき、パーッと視界が開けてきて、そこから、私の世界平和への祈りが始まりました。

<肉体は自動車 魂は運転する人>

・親きょうだい、友人知人、出会う人すべては、自分の過去世に縁のある人で、不公平と思われる生い立ちも永遠の魂の一コマ。周囲に起こることはこれからの人生をよりよく生きるための過去世で汚したエネルギーを消すための作業。

<世界人類が平和でありますように>

・しかし、「愛と調和を生きる」といっても抽象的で難しいので、「世界人類が平和でありますように」という祈りといったほうがいいでしょう。

<ご縁のあるところで登ればいい>

・五井先生に初めてお目にかかりましたとき、「私はキリスト教の洗礼を受けておりますが、よろしゅうございますか」と申し上げると、「皆同じよ。富士山の高嶺に登るのはいろいろなルートがあるでしょう。ご縁のあるところで登ればいいのよ」と明るくさっぱり仰ってくださいました。

<「百匹目の猿現象」を起こす>

・私は毎日欠かさず、朝7時と床につく前、東西南北に向かって「世界人類が平和でありますように」とお祈りすることを日課にするようになりました。

<想いを「良い波動」にする>

・今では朝晩だけでなく、美しい空に感動したとき、歩いているとき、食事のときなどに、「世界人類が平和でありますように」と一日中、何度も祈っております。

 人間は誰でも自分の想いや考えが波動になって、周りに影響していると私は実感するようになりました。

・「世界人類が平和でありますように」と祈る習慣が身に着くと、魂が浄化され、心の安定や肉体の健康にもつながると信じます。

 私も最初は口先だけで祈っていると感じがありましたが、40歳から60年間実践して自らの浄化を促進するとともに、世界に祈りが届いていると実感できるようになりました。

<神様の周波数に合わせる>

・初めからすんなり「世界平和の祈り」を心から捧げることができなくても、心配いりません。「祈りによって神様と一体になる」という五井先生の教えを、私の長いこと理解できませんでした。けれども、ただただ無心に「感謝の祈り」、「世界平和の祈り」を続けていたあるとき、「祈りはバイブレーションなのだ」と感じました。

・汚れたと思ったら、祈りによるチューニング、これを何度繰り返したことでしょうか。寝たきりになってもできる世界平和への貢献です!

<コロナは7回目のテスト>

・私が39歳からご指導をいただいた五井先生によると、人類というのは、今までに何度も失敗してはやり直しを繰り返しているのだそうです。そして、今の地球は7回目のやり直しの時期に入っていると伺いました。

<日々の暮らしを丁寧に>

・だからこそ、毎日の暮らしを疎かにせず、昨日までできたことを怠らず続ける努力が大切だと思います。

<背筋を伸ばして歩く>

・夫が存命中の頃は、自然の摂理に従い、朝は日の出とともに起きて、ご近所の明治神宮を二人でぐるりと1週歩くのが習慣でした。今は、日の出とともにという散歩は体力的にも難しくなり、正午前後に1周の半分の距離を歩いています。大体1時間くらいの道のりです。

・荘先生伝授の歩き方は、背筋を伸ばし、横隔膜を上げ、体幹を意識し、太ももの内側を緊張させながら、一直線に歩くというもの。それを約50年実践してきました。

<常に姿勢を意識する>

・私が姿勢を意識するようになったのは、荘先生と出会ってからですから、50年ほど前です、そのおかげで、100歳の今日まで背中が丸くならずに済みました。

<血液の循環をよくする>

・体操は荘先生考案の未病対策の健康法です。各リンパ腺を同時に刺激することで、血液、体液の循環が良くなります。1日、5、6分でも効果があります。タオルかハンカチがあればどこでもでき、私は散歩のついでに青空を仰ぎながら続けております。

<植木に声をかける>

・早起きを心がけてはいますが、夫の出勤時間から解放された頃より、目覚まし時計の音ではなく、自然の目覚めにまかせるようにしています。

<自分で自分のことをする>

・一人住まいの私は、掃除、洗濯、炊事と、基本的に自分のことは自分でいたします。

・「介護保険を使って、お掃除ヘルパーさんに週に一度でも来ていただければ」と、息子たち夫婦は気遣ってくれます。

<食事の量は朝3昼2夜1>

・この配分の意味は、朝はこれから1日体を動かすためにしっかりと。昼は1日の折り返し地点ですが、午後から夜にかけて動くための十分なエネルギーを。夜は胃腸に負担をかけぬよう軽く、とうことです。

<体にガスを溜めない>

・荘先生によると、ガスは要注意。食物繊維が豊富な食材を摂り、なるべくよく動くことでお通じを促し、ガスが体内にとどまらないよう気を配っています。

 体内ガスが増えて胃や横隔膜を圧迫すると背中や肩がこる、腰が痛むなどの不調が起こるとのこと。そんなときに病原菌が体内に侵入してくると、簡単に病気を発症してしまうそうです。

<酵素で健康維持>

・米糠には、現代人に不足しがちな食物繊維、ビタミン、ミネラルが豊富に詰まっています。その米糠をベースにした酵素食品「ケンコーソ」をスプーン1杯ほど60年間、毎日愛飲しています。

<身だしなみを整える>

・ふだんお化粧はほとんどいたしませんが、髪をとかし、衣類を選び、背筋を正して見だしなみを整えることは、朝起きてすぐに欠かさずしています。身ぎれいにしていると、心も爽やかでいられます。振り返ると、戦中戦後の子育て中、お化粧品にお金を使った覚えもありません。当時、日本中の女性は皆同じでしたでしょう。

<シンギング・リンを奏でる>

・朝晩、「世界人類が平和でありますように」とお祈りをしながら、シンギング・リンという音響楽器を奏でています。

<スリーステップ入浴法で疲れをとる>

・私は「スリーステップ入浴法」を実践しております。まず、おへそまで浸かって3分間温まる。次におへその少し上まで3分浸かる。最後に全身好きなだけ入る、という順番にします。特に足が冷たいときなどは、この方法がお勧めです。

<寝るとき、おなかは空に>

・夜食、飲み物も含めて、就寝前3時間は、何も食べず、胃を空にすること。全神経を休めたときに、熟眠は得られるそうです。

<片付けはすぐやる>

・私は、片付けごとは努めてすぐにやるようにしています。そうしないと気持ちが悪い習性がつきました。

<お茶碗洗いでボケ防止>

・荘先生に「お皿洗いはボケ防止に良い」とお勧めいただき、夫はそれを実践していました。

<打ち身には砂糖水>

・荘先生の教えの中に、「打ち身には砂糖水を飲ませる」というものがあります。内出血が早く散って痣になりづらいなど、後遺症を防ぐ効果があるということです。

<質素倹約を旨とする>

・「質素倹約は渋沢家の精神」だと思います。個人の生活は常に「質素倹約」を旨とし、私もそれが身に着いています。

<手作りを楽しむ>

・物がないので仕方なく手作りしていたのですが、節約で完成する喜びは一入(ひとしお)でした。

<物を捨てる前によく考える>

・主婦になってからは、物を捨てる前にもう一度何かのお役に立てられないかと考え、可能となれば工夫して再利用できたときの喜びは一人(ひとしお)でした。

<地球を汚してきたことを反省する>

・私は、コロナ騒ぎの中で、「神様から使わせていただいている地球」や「肉体」への感謝を忘れ、「使い捨て」「汚し放題」の最近の人間の生き方を反省するばかりでした。

<天地自然のルールに沿って生きる>

・長引くコロナ禍の影響で、さまざまな価値観が変わりつつあります。

・人々の健康意識が高まり、早寝早起き、自炊、腹八分目、土と親しむ、適度な運動を意識するという天の理に沿った生活を心地よく感じる人も増えたと聞きます。

<若い人のお手本になる>

・そうすれば、健康で愉快な老後が過ごせるばかりか、医療保険費の削減にも貢献でき、若い人の負担を減らせるでしょう。

 死の恐怖に苛まれて肉体維持のために治療費をつぎ込む前に、死を恐怖と捉えず、「死の意味を貴ぶ心がけを大事にする努力を」と、老いた今、私は思います。

<出会う人は、すべてご縁のある人>

・仕事でもプライベートでも、「悩みのタネは人間関係」という人が多いと聞いております。

 祖父は日本初の銀行など、約500の会社と約600の教育福祉事業の設立に関わりました。

・「袖振り合うも他生の縁」という言葉があるように、私も人生で出会う人はすべてご縁のある人、と感謝で受け止めてやってきました。

<人間に上下はない>

・名古屋に引っ越した後は、夫が外地に出張中に大地震や空襲に見舞われました。幼い子どもを抱え、不慣れな土地で身寄りもない中、手を差し伸べてくださったのはご近所の方たちでした。「おむつがないのが一番困るでしょ」と言って家から運び出してくださったり、消火中に子どもを預かってくださったり。このとき、助け合いや思いやりの有難さが本当に身に沁みて、人間に上下はないと実感。結婚してわずか5か月後の父の急逝、空襲、窮乏生活のやりくりは、私にとって必要な経験であったと思います。

<困らせてくる人は自分を磨く砥石>

・不愉快な思いをさせられる人、困らせてくる人がいます。

 恨みや憎しみの気持ちは、それを持ち続ける自分が一番つらいものでしょう。

・嫌なことをぶつけてくる相手がいたら、まず自らを反省します。その人は自分を磨いてくれる砥石。悪役を演じてくださっているのだと思う癖をつけました。

・だから、嫌な相手には、「ありがとうございます」と、先に思うようにします。見方を変えれば自分の魂を向上させてくれる、有難い方たちのはずです。

<他人も自分も不完全>

・私は社会に出てお勤めをした経験がなく、よく耳にする人間関係の煩わしさを知らずにここまできました。

・きっと「他人も自分も不完全。自由自在のはずの霊性が物質の肉体をまとって、各々が不自由。自由になって、“愛”や“思いやり”を勉強中」と割り切ることでしょう。

・創造主の波動を分け戴いて、地上に新しい平和な星を建設するために降りてきて練習中の人類。一度の生涯で成就するはずがありません。

<他人は他人、自分は自分>

・他人を羨むより、「神様(守護してくださる専属の悟った霊)とともにシナリオを作り、自らこの境遇を選んで生まれてきたのだ」と教えていただきました。自分がどう生きるかを大切に考えてみるのが大事だと思えるようになったのは、「人生の意味」を理解、納得してからです。

・目の前のできることに一生懸命取り組んでいけば、他人を羨ましいなどと思う気持ちは、自然と起こらなくなっていきます。

<相手は変わらない、自分が変わる>

・であれば、自分が変わるのが先、相手を変えようなんて無理なことです。

・「相手に変わってほしい」という想いの方向が変わり、自分の心が温かく穏やかになって、反省を促してくれたことへの感謝の気持ちが湧いてきます。その波動は相手にも伝わります。そして、いつの間にか、気にならない存在になったり、自然に離れていったりと、事態が好転していくものだと教えていただきました。

<何が起きても感謝に変える>

・自分を変えるには、努力が必要です。初めの頃は「私が被害者なのにどうして私から変わらないといけないの」と、なかなか納得がいかないこともあります。

・スイッチの切り替えをするように、嫌なことを感謝に切り替える練習です。心がそこまで至らなければ、呪文のように世界平和を祈ります。

 自分の霊性のレベルアップのチャンスです。

<自分のレベルを上げる>

・五井先生にそれをお話しすると、「自分のレベルが上がれば、周りは全部良くなるのよ」とのこと。私は「波動とは、すべてそういうものか」と思い、それからすべて「ありがとう」と受け入れてやってきました。

・何事があっても、神様のご意志である「世界の平和」を祈ることの大事さを知りました。神様から分けていただいた本来の霊性を取り戻す努力、神様の波動と同じ周波に近づく努力をするのみである。

<皆と幸せを分かち合う>

・「他人様に喜んでいただく、受けたご恩は世の中にお返しする」という考えは、祖父も父も心がけていたことです。

<自分一人豊かでも心は幸せにならない>

・それでも、父の中に「自分一人だけが楽で豊かというのは心の幸せにつながらない。皆幸せと感じる社会であってほしい」という気持ちが育ったのは、祖父の後ろ姿を見てのことだったのではと思っております。

<「とりあえずやってみよう」の好奇心>

・5年前まで車を運転し、社交ダンスを習っていました。今も週2回ヨガをしていますとお話しすると、皆さん驚かれます。

<お誘いが来るのは神様のお導き>

・戦中戦後は家事に明け暮れていた私でしたが、67歳のときに水墨画を、80歳で社交ダンスを、95歳でヨガを習い始めました。

・自分とは縁遠いことであっても、お誘いが来るというのは、神様のお導きと思いました。「おそらくそこで何か心の成長となることを学ぶのでしょう」と思うと、背中を押される気持ちで始められます。

<年を考えない>

・年齢を考えて躊躇することはないかと訊かれますが、何かをするときに、年を考えたことがありません。ずっと健康に恵まれていたせいかもしれません。車の免許は45歳で取りました。

・95歳のとき、息子たちに「ハラハラするからもう運転は止めてほしい」と懇願され、視力も反射神経も問題なく更新できたのですけれど、免許を返上いたしました。

<手を動かす>

・好奇心を大切に、一歩を踏み出すことはとても大事。今、私は目が見えにくくなってきたので、細かい手芸はあまりいたしませんが、手作業は頭も手も使うので、できる限り続けています。

<絵を描く>

・夫の退職後、絵を描くという共通の趣味をもてたおかげで、自宅や旅先で共に楽しむ喜びを得ました。その時々の思い出は、何物にもかえがたい心の財産です。

<一日一日を大事に重ねる>

・私が本を出版したきっかけは、病床の主人を慰めようと描いたイラストでした。ずっと寝ているのは退屈だろうと、外の様子をあれこれ報告していました。我が家は原宿に近く、当時よく見かけたガングロメイクやへそ出しルックの若い女の姿を口で話しましたが、彼には想像もつかないらしく、「絵にしたらわかってもらえる」とひらめいて、筆をとりました。

・夫が亡くなった後に、この思い出スケッチを目にした方が、「昭和から平成の暮らしの変化がわかりやすく歴史の記録になる」と仰ってくださって、出版社と思ってもいないご縁がつながり初出版に至りました。

<人生は前半より後半が大切>

・思いがけず、初出版をさせていただいたのが78歳のときのこと。

・好奇心をもってダンスやヨガを始めたお話も、皆さんが「励まされる」と仰ってくださり、何事もやってよかったと、自分のやる気に感謝しております。

・祖父は喜寿の祝いのときに、「人生は前半よりも後半が大切。老いても社会に尽くしたい」と語っていました。

<女性の優しさを発揮する>

・どんな時代が変わっても、子育ての基本は「愛」と思っております。子どもの成長過程では、親に愛されている安心感が何より大切でしょう。

 特別な躾というより「子は親の後ろ姿を見て育つ」もの。

<人生は愛のレッスン場>

・100年生きてきて、この世での人生は「愛のレッスン場」だとやっと気づきました。

・少しずつでもいいので、このたび縁あって同じ愛のレッスン場に生まれてきたそのメンバーと子育てや介護を通して、魂を向上させられることに感謝する。それがきると、心の浄化になり、自分自身が生きやすくもなるでしょう。

<夫婦も思いやりの言葉を>

・子どものお行儀や言葉遣いの悪さがなかなか改善せず、悩んでいる親御さんも多いと伺います。

 子どもたちが「いただきます」「ありがとう」「ごめんなさい」といった言葉を自ら言わないようなときは、夫婦の会話を見直すチャンスかもしれません。

<子どもにはたっぷりの笑顔を>

・日本人はそのような子どもが育つ安心安全な世の中を創ることができていた国民だと思います。その根幹にあるのは、何と言っても母親の「無償の愛情」でしょう。

<子どもとの約束を守る>

・子育て中、「子どもとの約束」、これだけは守ってきました。守れないようなら、その理由を話し、いたずらに期待させないようにいたしました。

<不自由を常と思えば不足なし>

・私が父の躾として思い出すのは、居間に掲げてあった徳川家康公の遺訓です。

・私が試験に落ちてくさっているときは、「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し、急ぐべからず」。

<神には感謝のみ>

・父は祖父の「神には感謝のみ」の言葉から、自我欲で神様に願って頼みにするのは幼い祈りだということ。そして、祖父の信仰が「感謝のみ」ということをしっかり学んだと話しました。

 身辺のお願いをする前から、自分専属の守護の指導霊はそのことを先刻ご承知。

<温かい思いやりの心を育てる>

・我が家は「質素倹約」の家風でした。母の実家が貧乏華族だったせいかもしれません。

・母の教育方針は、「女性は他人と比較して頑張ったり、競争することにより、温かい思いやりの心を育てることが第一」というものでした。永遠の生命において、男に生まれたり女に生まれたりする中で、女性の役目は世の中を和ませることだと自ら納得できるようになりましたのは、ずっと後のことでございました。

<「いただきます」が食事の幸福感を高める>

・「いただきます」には、そういった食事に関わるすべての恵み、労働への感謝が宿っています。

<四季の行事を大切にする>

・日本人のご先祖たちが大事に守り伝えてきた行事の大半は、太陽、月、雨、火といった大自然を司る大きな力に対する畏敬と感謝から始まるものだということに気がつきました。

<愛の心を込めて叱る>

・自分の子ども時代のことを棚に上げて、親は我が子につい完璧を求めてしまいがちです。

・「3歳までは肌を、幼児期は手を、少年期は目を、青年期は心を離すな」と、どなたかがラジオで話しておられて、深く頷いたことがございます。

 子どもは、暖かい目で応援し、失敗を恐れないような人間に育てることが大事です。

<子は親を選んで生まれてくる>

・「子は親を選べない」とよく言われますが、伺ったところによると、「子は親を選んで生まれてくる」そうです。

・私も子育てしていた頃に、「子は親を選んで生まれてくる」と知っていたら、「欠点だらけの私を選んでくれてありがとう」と、思えたことでしょう。

<子どもの成功を信じて見守る>

・最近は、いつまでも親離れ・子離れができず、もたれ合っているケースも多いようです。

・子どもは神様からの預かりものだという謙虚さが足りず、「自分の責任」と取り越し苦労をしている母親だったのではないかと思います。

 振り返って思うのは、親の取り越し苦労はほとんど無駄だったということです。子どもは自ら成長していく力をもっています。

<家族がほっとする家庭を作る>

・夫とは60年近い夫婦生活でしたが、ほとんどケンカをした覚えがありません。

・そのときの反省から、今世で女で生まれたからには、我慢をするのではなく、「妻は家内を整え、家族がほっとする家庭を作る」のが役目と思い、その目標に向かって楽しく努力しました。

<夫婦は互いの魂が選んだ相手>

・夫婦はお互いに最初から完全ではありません。パートナーがいるということは、魂が汚れを落として成長していくチャンスを与えられているということでしょう。

・私が結婚した時代は、夫に自然に敬語を使っていました。

・永遠の生命を信じれば、今世で男に生まれたとしても、女に生まれたとしても、それぞれの立場を理解するよい機会になるでしょう。

<女心を手紙にしたためる>

・しかし私自身、抑え込むのは精神衛生上よくないので、「女心をわかっていない」「知らせたい」と思ったときは手紙を書いて、夫の枕元に置くようにしました。

<嫁とは互いにマイペースで>

・私が嫁いだ頃は、「嫁しては婚家先の家風に解け込むのを第一とす」という時代でした。

・いま姑の立場になり、3人の嫁がおりますが、息子が結婚した頃には、すでに「出会う人はすべてご縁があり、助け合い、心を磨きあうための有難いお相手」と学んでおりましたから、一度も揉めたことなどございません。

<人生の最後を豊かなものに>

・結婚後、病気らしい病気をしたことがなかった私ですが、96歳のとき、心筋梗塞で入院生活を経験しました。

・そのような気持ちをもてたのも、「目には見えない」死後の世界を信じてすべてに感謝して生きてきた日々のおかげだと思います。

<夫婦の絆は「感謝」>

・夫を自宅で介護した経験をお話しします。「ご主人は食道がんです。即手術を」。医師に呼ばれてそう告げられたときは、頭の中が一瞬真っ白になりました。一緒になって58年目のこと。

・夫は、「手術はしない」と決断。「84歳。十分人生を楽しませてもらいました。思い残すことはない。自宅で自然に死にたい」というのが夫の願いでした。

・ずっと健康だった夫に突然のがん宣告。

・二人で病気を静かに受け止めると決めたとき、夫婦で積み上げてきた絆が「感謝」であったことを実感し、心の底から幸せを感じました。

<一日一日を慈しんで過ごす>

・日頃から健康のアドバイスをしてくださっていた荘先生から夫へ「食事やこれまでの生活習慣をそのままに」という助言があり、自宅での介護が始まりました。

・とうとう食べ物が喉を通らなくなった夫に、荘先生は「仙人になる志を立てましょう」と仰いました。水しか受けつけない夫の体。

<感謝は細胞に光を届ける>

・夫が立てなくなると、介護も24時間体制になりました。

・夫が「入院したくない」と言ったのは、夫婦の最期の高等試験問題をパスするためのハードルだったのでしょう。

「感謝は細胞に光を届ける」。後年、この言葉を、遺伝子研究で有名な教授の講演会で聞きました。感謝の力が西洋医学でも証明されているとわかり、いっそううれしくなりました。

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