「家でゴロゴロ」は、体も脳も衰えさせてしまい、老人にとって万病のもとと言ってもいいほどだ。(1)
(2025/4/14)
『87歳ビジネスマン。』
いまが一番働き盛り 人生を面白くする仕事の流儀
郡山史郎 青春出版社 2022/12/16
<はじめに 仕事は人生を楽しむ最高の方法だ>
・私は来年(2023年)で88歳を迎える。
・そして私は、幸せになるために一番簡単な方法は「働く」ことだと思っている。「働く」ということはまた、経済的な不安を軽くすることにもつながる。
・このような流れを見ても、もはや「60歳で定年を迎えて楽隠居」ということはあり得ない。働ける間は働く、定年は自分自身で決める時代がやってきたのだ。
・物心ついたとき、日本は太平洋戦争を戦っていた。10歳のとき、生家は機銃弾で穴だらけになり、校舎は直撃で粉みじんになった。私の世代の男は、みな軍人になりたがったものだが、戦争に負け、願いは叶わなかった。
中学、高校、大学、そして会社員時代の大半は、「戦後」という時代に重なる。私は「外国人相手に仕事がしたい」と思い、世界を飛び回った。50歳くらいまでは、どこに行っても敗戦国のしがない商人という意識を拭えなかった。
・私はこれまで5000人以上の「定年前後」の人を間近で見続け、その仕事選びをサポートしてきた。
・ただし、働くことで幸せになるには、ほんの少しだけコツが必要だ。
< 87歳ビジネスマン。いまが一番働き盛り>
<「働かされる」から「働きたい」自分に変わる>
<87歳のビジネスマンが今日も会社に行く理由>
・本書は、人類史上はじまって以来の風変わりな生き物、「働き続ける高齢者」がテーマだ。
・衰えゆく頭と体を抱えて、それでもなお面白く生きる方法はないものか。
・要するに「働くことで、人は誰でも幸せになれる」というものだ。
・だが近年は1年ごとにドーン、ドーンと幾何級数的に落ちてゆく。年齢を重ねるにつれて、知力・体力の劣化が加速している。
・それどころか、私は生まれてはじめて「働く幸せ」というものを噛みしめているのだ。
・私の家族も、ある時期までは「やめろ、やめろ」の大合唱だった。
<週5で働くために、日課にもひと工夫>
・現在は15名が働いている我が社だが、コロナ禍以降はリモートワークを推奨している。出勤するのは私を含め3~4人だ。
・私は、知力・体力が衰えてゆくばかりの老人だ。日に日に「できる」ことが減り、「できない」ことが増えていく。しかし、「できない」ことばかりだからこそ、「できた」ときの喜びは大きくなる。
・定年をとうに過ぎ、80歳を超えてようやく、私は仕事を楽しむ方法を知ったのである。
<70歳を過ぎてから生活習慣をガラリと変えた>
・自分で自分の生活の面倒を見られるというのは、非常に気分がいい。
<年齢という“鋼鉄の天井”を押し返せ!>
・私は手元がおぼつかないから、長袖シャツの袖のボタンがかけられない。
・残された能力を総動員して、ごまかしごまかし、今日を生き延びる。
<会社に行くのが一番の健康法>
・朝晩の家事をするようになってから、生活習慣もすっかり整った。
・ちなみに、サプリメントや、シジミ、スッポンなどの健康食品はさんざん試した。個人差はあるだろうが、私に関して言えば「すべて、なんの効き目もない」が結論だ。
・何より「毎日会社に行くこと」自体が、最高の健康法だと思う。
・「できない」ことが増えていく現実を受け入れてこそ、「できる」ことを大事にしはじめる。
・普通の人間が普通に働いていれば、「働く幸せ」はきっと手に入る。そんなふうに思ってもらえば幸いだ。
<人生の定年を決めるのは、自分自身>
<「チャレンジ精神」が毎日を面白くする>
<待ち遠しかった「定年後」>
・だが、いざ定年を迎えてみると、頭も体も元気で楽隠居するには早すぎた。
<「定年後も引く手あまた」という大いなる勘違い>
・そこで、65歳を過ぎた頃から再就職活動をはじめた。ところが、だ。私は「働きたくても働けない」定年後の現状を思い知ることになる。
<定年後の現実を知らない40代、50代>
・私はパソコンが使えなかったのだ。
・しかし、3年の試行錯誤の末にたどり着いた結論は、「高年齢者への組織的かつ効果的な再就職支援活動は不可能」というものだった。
<87歳まで働いてきてわかった「3つの定年」>
・私は「3つの定年」があると考えている。
1つが「形式定年」だ。これは国が定めている定年退職制度のことだ。
・むしろ70歳定年は高齢者にとって「百害あって一利なし」であると私は考える。
・政府は長く働けとあおり、企業は早期退職を迫る。
<知力・体力に見た定年とは>
・さて、2つ目の定年は「自然定年」である。いわば生物学上の定年だ。
・まして60代、70代を迎えたら、できることがみるみる減っていく。
<定年を新しい人生のスタートに変える>
・3つ目の定年は「実質定年」である。いわば自分で決める定年であり、身の振り方を自分で決める、自律的な生き方のことだ。もう、会社や国に自分の人生を委ねるのはやめにしよう。
・そう、定年といっても、仕事人生を終えるのではない。これは、新たな仕事人生のはじまりだ。
<定年前と定年後は真逆の世界>
・人生には前半戦と後半戦がある。これは本書を通してのキーワードだ。後半戦の仕事は、前半戦とは180度ルールが変わる。
・もう、勝負の世界からは退いている。競争に勝つことや利益の最大化を求める必要はまったくない。生きがいを求めて、世のため人のため、ひいては自分のために働けばいい。
<プレイヤーからサポーターへと役割が変わる>
・すなわち、プレイヤーからサポーターへと変わるのだ。私の経験上、その割り切りができた高齢者から幸せになっていく。
・私は人生の前半戦と後半戦の両方を味わった。前半戦の幸福度を10とするなら、今は100である。
<生産性が落ちていくのは当たり前>
・ビジネスマンがどんな物差しで評価されるかというと、生産性だ。ビジネスの本質は、言葉を選ばずに言うなら「金儲け」であり、損より得を追求するのが定めとなる。
・繰り返すが、生産性が低下する以上、給料がうんと低くなると覚悟していないといけない。
<「できないこと」を認められるすがすがしさ>
・そうはいっても、だ。高齢になるとできることが減り、できないことが増えていく。
・それどころか「できない」からこそ幸せになれたのだと胸を張って言える。
<経営者にも“卒業”がある>
・長い経営者人生が終わりに近づいているわけだが、それも悪くないという気持ちが勝っている。
・そんなわけで、私は自分が経営者や管理職を“卒業”するときが来たことを認めた。
・だから高齢者は働くべきだと私は伝えたい。もちろん、その働き方は、前半戦とは変える必要がある。
<キーワードは「チャレンジ精神」>
・自然定年=知力・体力の衰えを自覚しながらも、ほんのわずかでも高いところに、毎日の目標を定めるのが肝心だ。
・しかし、老いという自然現象と闘ういまは、違うチャレンジが待っている。それは、自分で自分を幸せにするという、新しいミッションだ。
<「あせらない、恐れない、諦めない」>
・それからもう1つ、我が社では「AOA」というモットーを掲げている。「AOA」とは「あせらないこと」「恐れないこと」「諦めないこと」の頭文字を取ったものだ。
<「やめるなんて、だめです」。大恩人のひと言>
・それでも1度だけ、会社の存続を諦めそうになったことがある。2008年、リーマン・ショックの頃だ。
<仕事と人生の困難を乗り越えるヒント>
・だから私がいうチャレンジとは、「もっと頑張れ」の意味ではない。「自分にできる範囲で、小さな努力をしてみませんか。『AOA』でやってみませんか」くらいの意味である。
・そしてこれからは、会社のためではなく、自分のために働こう。
<「人生後半戦」がうまくいく働き方>
<いくつになっても求められる人になる>
<働いてみてわかった「定年前」と「定年後」の違い>
・逆に、定年後のいまが楽しいのは、誰の指示命令も受けずに、自分の意思で働いているからだ、ということになる。
・その仕事をやるか、やらないかを自分が決められたなら、人は幸せになれる。
・普通のビジネスマンがこの境地に到達することは、なかなか難しいだろう。しかし定年後なら、工夫次第で誰もが同じ境地に到達することができるのだ。
<「競争」から「共存」へと、働き方が変わる>
・定年前=人生の前半戦を「競争」の世界としよう。そして、定年後=人生の後半戦は「共存」の世界としたい。
・そこで必要になるのは、競争に勝つことではなく、共存共栄であり、助け合いの精神である。
<コロナ禍で気づいた「共存共栄」の精神>
・それが高齢者になり、競争から退いてみると、力を合わせないという理由がない。そこは勝者も敗者もなく、皆が一緒に幸せになれる世界だったのだ。
<「前半戦」の実績は、もはや何の価値もない>
・そうまでして積み上げてきた私の前半戦のキャリアは、後半戦ではまったくと言っていいほど役に立たなかった。
<「仕事ができる」は思い込み?>
・今40代、50代の人も、再就職のタイミングが来れば「人生前半戦の実績など、何の価値もない」ということを実感する日が来ると、心しておいてほしい。私の会社にも、定年前後のシニアが1万人くらい登録しているから、よくわかる。
・なぜ雇ってもらえないのか?雇う側の企業は、高齢者の実態をよく理解しているからだ。
・大企業で定年まで勤めた高齢者ほど、そこを勘違いしている。自分は仕事ができると思い込んでいる。だが、そんな人材を普通の会社が雇うはずがない。その勘違いから目覚めるのが、再就職のタイミングだというわけだ。
<大企業と中小企業は、求められるスキルが違う>
・ボーイング787を大企業とするなら、ヘリコプターは中小企業である。そのことを理解せず、定年を迎えた大企業出身者は、「前半戦の実績は、もはや何の価値もない」のだと思い知ることになるだろう。
<定年は“老害”の特効薬>
・もしもこの世に定年がなかったらと思うと、それはそれで困ったことになる。会社のなかに、“老害”と呼ばれるような人間たちが、あふれ返るからだ。
・誰しも前半戦から後半戦へとシフトするべきときが来る
・反面教師には事欠かない。社会的に高い地位にいる老人たちの顔ぶれを思い出そう。それこそ国家の指導者があまりにも高齢なものは考えものだ。
<「定年」の本当の意味>
・そのまま会社に居座れば老害化してしまう。しかし定年が、老害予備軍を老害化するのを未然に防いでいる。
・かつての人類は「自然定年」のあと、何十年も生きることがなかった。
・会社に幸せにしてもらうのではない、自分で自分を幸せにするのだ。
<働きたいのに、働けない ⁉>
・45歳に比べて頭が回らず、ITに疎く、これからの成長が期待できない65歳を雇おうものなら、同業他社との競争に勝てっこない。だから若い人間を採用するのが当然の判断になる。あなただって、採用側にいたら同じ判断を下すことだろう。
<仕事がすぐに見つかる人、見つからない人>
・逆に言えば、定年退職後にすぐに仕事が見つかるのは、どんな仕事でも、給与が前職の半分に満たなくても、何も言わずに受け入れる人たちだ。
・彼らは、自分の価値=給与は自分が決めるものではないと、よく知っているのだ。
・定年後の再就職において一番大切なのは、「とにかく働く」ことだ、そのためには、お金や仕事内容については、後回しにするほうがよい。
<「高齢者の仕事探し」のシステムがない現状>
・つまり、こういうことだ。働きたい高齢者はいる。彼らの受け皿となる仕事もある。なのに高齢者が働けないのは、高齢者の仕事探しを支援するシステムがないからだ。
<もはや、会社任せではいられない>
・いずれにせよ、定年を迎えてから動きはじめても手遅れだ。理想的には、30代、40代のうちに、定年前~定年後の道筋を決めておきたい。
・定年を迎えた瞬間に次のステージに移るためには、「現役時代の知識や経験を使えるものは何もない」と腹を決めておきたい。
<仕事を探すのも、仕事のうち>
・また、高齢者が仕事を見つけるためのシステムがない以上は、「自力で探す」ことも大切になってくる。人材紹介会社や転職サイトは、あまりあてにしないのが賢明だ。
・だが、何でもいいから仕事を見つけ、働き続けてほしい。働いてさえいればあなたは変わる。
・また定年退職後の仕事の多くはフルタイムではなく、出勤日数や拘束時間が少ない「細切れ」の仕事だ。
・そのためにも、まずは自ら動いて仕事を探すことがスタートだ。
<政治家、公務員には、「定年後」は関係ない ⁉>
・高齢者が仕事を探すための仕組みが整わない理由が、もう1つある。それは、この問題に政治家が無関心だからだ。
・困っているのは我々高齢者であり、誰も助けてはくれないのだ。この問題は、高齢者自身の手で解決する必要がある。
<私が考える、高齢者が働ける仕組み>
・いずれは日本政府も、この問題に本腰を入れるときが来るだろう。
・私からの提案は、高齢者に限っては、労働基準法の縛りも取ってしまえ、というものだ。
・ならば思い切って、高齢者については勤労所得に関する課税を撤廃するのはどうか。
<高齢者こそが、未来を変えていく>
・国を動かすためにも、高齢者はもっと声を上げるべきだ。
・上の世代が奮闘するのは、少しでもいい世の中を下の世代に残してやるため、まったくその通りだ。
・高齢者たちよ、元気を出そう、我々はまだまだ働き盛りなのだ。
<うまくいっている人は「頭の切り替え」ができている>
・「これが自分のミッションであり、自分の意思でこの仕事をやっているんだ」
・どんな仕事でも、やってみれば面白くなることもあるし、ひどい目に遭ったら遭ったで、こんなにいい社会勉強はない。
・だまされたと思って、働いてみてほしい。仕事をより好みせず、給料にもこだわらず、何でもいいから、仕事を見つけて働くのだ。
<「何でもやります」と言える人が一番強い>
・具体的には「何でもやります」を口癖にし、命じられた仕事はどんなものでもやってみることだ。
・80歳まで働いたら、面白くて面白くてたまらない状況になっていく。会社員時代とは違う、働く幸せが拓けている。
<企業は高齢者に何を求めているのか>
・企業が高齢者に期待するものは何か。これもまた、押さえておきたいリアリズムだろう。キーワードは「安い、やめない、休まない」だ。
・「安い」とは、繰り返しになるが給与面で高望みをしないことだ。企業が高齢者を雇う際の、一番のメリットが給与の安さだ。
・定年後の就職活動ではより好みは禁物だが、その仕事に体力的に耐えられるか、という視点は持っておきたい。
<働き続けるために必要な「10個のK」>
<人生後半戦のお金、家族、健康……のヒント>
<幸せな働き方を実現するために大切なこと>
・「生活のためになるべく多くのお金を稼ぐ」人生前半戦の働き方から、「人生を面白くするために働く」人生後半戦の働き方へ。
<1番目のK……金 少々の蓄えは必要>
・「仕事はより好みせず、給料にこだわらない」ことをおすすめする。
・年をとったら貯蓄ができるほど稼げないという前提で、若い頃から堅実な資産形成をするべきだ。
・高齢者が働くのは、そもそも収入を得ることが第一の目的ではなかったはずだ。
<2番目のK……家族 「自分のことは自分でやる」が基本>
・私のまわりの高齢夫婦を見渡すと、2人とも元気であれば離婚を選ぶし、元気がないとギャーギャー、ブツブツ文句を言いながら、一緒に暮らしている例が多い。
・そうならないように、「自分のことは自分でやる」習慣をつけておきたい。
・私の経験上、男性の幸せな1人暮らしは「見たことがない」というレベルだ。
<3番目のK……健康 いままで以上に重要な体のメンテナンス>
・働き続けるためには健康管理が欠かせない。仕事が私たちに健康管理の「目的」を与えてくれる、ともいえる。
・そして面白いことに、働く高齢者ほど健康でいられるのである。
・個人差もあるのだろうが、健康食品にあまり期待をすると、がっかりする。せいぜい気休めだと思って飲むのがいいのだろう。
<4番目のK……心 思いやりを忘れない>
・競争社会を戦った人生の前半戦ならいざ知らず、後半戦は共存共栄の世界である。
<5番目のK……気合 合言葉は「負けるものか!」>
・体力は落ちても、気力は落とさないこと。「負けるものか!」の精神で、日々チャレンジを続けることだ。
・ただし、チャレンジを続けているうちは、少なくとも負けてはいない。
<6番目のK……行動 「家でゴロゴロ」ではもったいない>
・定年後は、何もしないで家でゴロゴロしているのが一番よくない。
・「家でゴロゴロ」は、体も脳も衰えさせてしまい、老人にとって万病のもとと言ってもいいほどだ。
・何もしないくらいなら、ボランティアなどの無償労働をするのも悪くはないが、原則としてお金をもらうことをおすすめする。
<7番目のK……会社 組織に所属することのメリット>
・仕事には、自営業、自由業という形もあるわけだが、基本的には「雇われる」働き方をしたほうがいい。
・ただし、起業だけはおすすめしない。
・一説によれば、創業した企業のうち、10年以内に9割以上が倒産するという。残る1割も、数々の失敗に耐えながら、何とか事業を維持している状況だ。
・会社を休廃業・解散した代表者の年齢は70代がもっとも多く、全体の42.6%、次が60代で23.3%だった。
<8番目のK……近所 遠くの親戚より近所の他人>
・地域のコミュニティを大切にし、近所づきあいから疎遠にならないようにする。遠くに住む子どもや孫より、ご近所に助けられることもある。
・より大切なのは、孤独を避けるということだ。
<9番目のK……今日 1日1日を大切に生きる>
・今日はうまく乗り切ること。1日を無事終えるだけで、高齢者は充実感が味わえる。それだけ、高齢者の毎日には飛び越えるハードルがある、ということだ。
・最終的には、年寄りの楽しみは、毎日の生活そのものになっていく。それが、1日1日を大切に生きる、ということだと思う。
<10番目のK……これから 未来が一番大事>
・私が本書で言いたいことは、ここに帰結する。過去は変えられないが、未来は変えられる。現在の現象はすべて未来が決めている。人生の前半戦の実績は、後半戦には持ち込めない。
<87歳まで働いてきて見つけた「働く幸せ」>
<定年後からはじまる「人生最良の時間」>
<働くことには2つの意味がある>
・大学時代に、商業の教授が教えてくれた。働くことには2つの意味があると。「傍を楽にする」「傍を楽しませる」の2つだ。
<「国のために働け」。井深大さんの教え>
・「ソニーは何のためにあるか知っていますか? 国の役に立つためにあるのですよ」それが井深さんの口癖だった。井深さんの考えは一貫していた。何をするにも「国のためになっているかどうか」で、善し悪しの判断を下した。
・会社も国のために存在している。私が老体にムチ打って出勤してくるのも、国のためという大義名分があるのだ。
<「誰のために」働くか>
・「傍を楽にする」「傍を楽しませる」のも大切だが、私たちにとってもっと大切なのは、それが最終的に、自分の幸せになるということだ。
<幸せとは、「好きな仕事」をやることではない>
・「人の幸せは好きなことができることのなかにはない。しなければならないことを、自分の意思でおこなうことのなかにある」
・つまり、好きなことができたら人間は幸せだというのは思い違いである。「やらなければならないこと」を自分の意思で受け入れる、それが幸せを手に入れる方法なのだ。
<「やらされている」から「やらねばならない」へ>
・自分の意思で義務を受け入れることで、人は幸せになる。
・「ならば、この人生を受け入れてやろうじゃないか」と思う瞬間がやってくる。
<「働くことを受け入れる」幸せ>
・だが、その偶然を支配しているのは、強いて言うなら神ということになる。そのせいか、高齢になると、神に思いを馳せることが多くなる。自分は何をしなければならないかを考えて、できることがあったら神が命じたことにして、一生懸命にやるだけだ。それだけで幸せになれるのだから、年をとるのも、案外悪くはないのではないか。
<「第二の人生」を生きたソニーの名経営者>
・井深さん自身は、幼児教育や障がい者支援の世界に身を投じた。1969年に幼児開発協会(現公益財団法人ソニー教育財団)を設立し、理事長に就任した。
・盛田さんはよく「過去には何の価値もない。将来だけが価値がある。現在は将来のためにのみ使うべきだ」と言っていた。
<「長生き」してみて、はじめてわかること>
・仕事を自分のなすべき「義務」ととらえ、世の中のため、人のために働く、苦労も多いが、それが巡り巡って、自分も幸福になる。
・物事には、実際に経験しないとわからないことがある。
・80歳まで働き続けたところで、「やっぱり仕事はつらいじゃないか」と思うかもしれない。でも働き続けて、気づいたら仕事が楽しくなっていた、ということもある。
<自分で自分を幸せにできるのは、高齢者の特権>
・年をとることで、はじめてわかることがある。その最もたるものが、「自分で自分を幸せにできるようになる」ことだと思う。
<仕事をしながら人生を終えるのが理想>
・とはいえ、私が理想とする長生きは、「働くこと」を前提としている。
・私が長生きしたいのは、仕事を続けたいからだ、この幸福を長く感じていたいからだ。私の理想を言えば、死ぬ寸前まで働いていたい。
入院も、自宅療養もいらない。パソコンのキーボードを叩いてるうちに、パタンと息絶えることができたら本望だ。
・もちろんそれは理想であって、病気になったときは仕方がないが、87歳まで元気でやってこられたから、最期は案外ピンピンコロリでいけるのではないかと思ったりしている。
・残りの人生を、社会にどう生かすか、そして本人はどう幸せになるか。人生後半戦を生きるうえで大切なことは、これに尽きるのではないか。
<目標は「100歳まで働く」>
・高齢者の幸せは、お金ではなく、社会とのつながりが得られる。高齢者が不幸になるとすれば、働くことをやめてしまうのが、最大の原因だと思う。
・次なる目標として、できれば100歳まで働きたい。
<変わる時代のなかで、幸せに生きるために>
・「事大は変わる」と人は言う。私たちはいま、まさに時代が変わる様子を目の当たりにしているところだ。コロナが変え、ロシアのウクライナ侵攻が変えた。
・その答えを本書に書いた。働くことで、人は誰でも幸せになれる。年をとるほどに、それが人生の本質であると、確信できる。
だが、もっと正確に記すならば「年をとっても働く」ことで幸せになるのだと、私は結論づけたい。
<おわりに>
・高齢で元気な人がいます。若いときから毎日喫煙を続けても、100歳以上生きる人がいます。最近の調査によりますと、健康で長生きする人は、DNAが違うそうです。
・長く生きると、よくわかります。世の中は決して楽でもなく、楽しい世界でもありません。悲しいことのほうが多い。悲しさは幾何級数的に増えます。楽しさはせいぜい足し算です。
・「まわりを幸福にする」、これが自分が幸福になる一番の近道です。年齢に関係なく、幸福になれる。いや、高齢者は力はなくても知恵があるから、これがわかると、幸福になりやすい。
・地球上の生物のなかで唯一存在する、実用を終えた生物集団である、高齢者社会。
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