私が生きてきた時代は、男女平等とはいいがたく、いまでいうセクハラもやりたい放題、言いたい放題でした。(5)

『完全アセンション(次元移動・昇天)・マニュアル』

(ジョシュア・D・ストーン博士)

(ナチュラル・スピリット)2001/3/30

<シールドとシャルーラ、マリーン・チェイニーによるメルキゼデク寺院の設立>

・地球内部の空間について述べた章で、自らをシャスタ山の地下約3キロ余りにある地下都市テロスから来た者であると説明している女性について触れている。彼女は名をシャルーラといい、年齢は350歳前後であるという。シャルーラが寺院の女司祭をつとめる、地下文明テロスのメルキゼデク団に関わる情報を持っていた。彼らの教えは、メルキゼデクが、かって地球で暮らしていたことを裏付けるものであり、メルキゼデク団を宇宙レベルの聖職者集団であるとしている。

<●●インターネット情報から●●>

<ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)>

メルキゼデクとは旧約聖書の登場人物で、『創世記』(14:18)にて「いと高き神の祭司」、並びに「サレムの王」として紹介されている。『詩篇』(76:3)の記述などを根拠に、「サレム」は伝統的にエルサレムと同一視されている。

彼の名前はウガリットの文書に記されていたカナンの神ツェデクに由来しているのだが、この「ツェデク」は王の称号、あるいは異名として代々エルサレムの王に引き継がれていたと見られ、実際、『ヨシュア記』(10:1)にはアドニ・ツェデク がエルサレムの王として登場している。

『アガルタ(虹の都)』 

 (R・E・ディクホフ)(密教科学社)  1961

・ノアの洪水は、約1万1千年前に起こり、壊滅した人類の文明がその後、徐々に復興期に向かったこと。

・残存している蛇体人の群れに対して、ラマ僧の集団がこれを攻撃、法術により蛇体人を撃退した。

・ロードマイトレヤが「アガルタ」を通じて人類に平和と愛の念波を送っていること。

・ラマ教では、造化三神の代行者ロードマイトレヤ(ミロク菩薩)が、地球の精神的統治者として、崇拝され、ロードマイトレヤは現在も霊体で活動し、地上一切の生類の進化向上発展のプランを持って、指導の任につかれていると信ぜられている。

・シャンバラは、チベットのどこか、または、それ以外の場所にある神秘の都市ではない。それは世界の全仏教徒が霊的な交通を行なう場である。

・アガルタは、6万年前に聖者に指導された民族が、地球内奥部の地底に潜入したときに生まれた。その民族は、数百万人を数えられ、地上のいかなる科学もおよばない高度な科学は、この不思議な王国の地下住民を十二分に活躍せしめているといわれている。交通機関として、まだ我々に知られていない推進原理でトンネル内を走行運転される超速度の車両が利用されている。

<アガルタ伝説と金星崇拝>

・「アガルタは、中国のサンポー渓谷に実在しており、老王マニ・リンポチェによって統治されている。その住民は、数百万に達し、地上のいかなる国にも及ばない高度の科学は、彼らを十二分に活躍せしめている」。

・「人間は200万年前に宇宙船で地球にやって来た火星人によって創造されたという。火星人たちは高度の文明と超能力を持ち、南極に虹の都という7つの都を建設し、そこから世界中をつなぐ地下トンネルを掘った。人間はこの地下トンネルを利用して、南極からゴンドワナ大陸、レムリア大陸、アトランティス大陸へと居住範囲を広げていった。ところが地球の征服をたくらむ悪の化身、金星人は、テレパシーによって人間に邪悪な心を吹き込んだ。そしてついに8万年前、全人類を巻き込んだ大戦争が起こった。生き残ったわずかな人々は例の地下トンネルに逃げ込んだ。あらためて平和の大切さに気づいた彼らは、金星人の魔手に対抗するため、火星人の指導の下にアガルタを建設したのであるー」

・「金星人も火星人を追って地球に到来したが、彼らは身長14フィート、クロコダイルのような形態で直立し、手足には6本の指と水掻きを持つ。邪悪な金星蛇人は人間の精神を操作し、その結果アトランティスとレムリアの間で核戦争が起こり、高度に発達してきた文明は滅び、両大陸は沈没する。しかし、この時までに地下にはトンネルが縦横に走り、地下都市が出来ていたので、避難所となった。その一つが中国のサンポー渓谷の地下にあるアガルタである。チベットのラサの下にはシャンバラという地下都市があり、アガルタとトンネルで結ばれている」。

・「現在なお金星人と火星人の間で、人間の精神をめぐる善悪の闘争は続いている。火星陣営の指導者は、虹の都に陣取る『太古の三聖』であり、対して金星蛇人は仮死状態で地下に隠れている。その状態でも金星人の精神は活動しており、テレパシーを放ち地球人に対し再度核戦争を起こすように好戦的な扇動を行っている。彼らにとって地球人の意味は「生ける飼料」に過ぎないのであり、地球人は『仮死の状態におかれてイワシの缶詰のように加工され、宇宙船で金星に運ばれてから、彼らの食用に供せられる』だろう。

・アガルタも金星人の占領下にあったが、1948年、500人のラマ僧がここを襲撃し、奪還に成功している。少数の者がトンネルを通って逃れたが、ジュニアと呼ばれる三百歳を経た蛇人は、研究と調査のために透明なプラスティック容器に入れて保存されている」。

『秘教真義』

ヨガの大聖堂シャンバラと大白色同胞団の解明

(M・ドーリル)霞が関書房  1952年

<地球内奥部と青色人>

「『では、この道路に沿ってもっと遠いところまで行ってみよう。そして、青色人種の実体をみてみよう』ゼロンが言い終わると、セートンは急速にこの道路を落下させられたように感じ、およそ20マイル(32キロメートル)も下りたところで止まった。止まったところでセートンをみると、内壁に裂け目があるのが分かった。それは急に広くなって入口となっている様に見えた。その入口は末広がりに広がっていて12人ほどが横に並んで通れるほどの広さにまでなっていた。二人はここに入り、少し行ったところでやわらかい黄金色の光で満ちた広い大洞窟に出た。

・洞窟といってもあまりに広すぎて、上部の天上や向かい側の壁が遠くて見えなかった。0.25マイル(4百メートル)ほど向こうに平屋建てや二階建ての家並みで出来た町があった。もっとも“家”といっても屋根のない建物らしかったが、その町の丁度真ん中にチラチラ光る白い石の塔が立っていた。その塔には、頂上にピカピカきらめく水晶の丸天井がのっていた。

・その町の各街角から広い道路が走っており、その内の三本はずっと遠くで消えて亡くなるまで続いていた。ゼロンとセートンから一番近いところにある道路は、この大洞窟の側壁に向かって延びており、その壁の下でポツンと途切れていた。セートンがよく見ると、一番近い道路のところに何か動くものが見えた。それは三人のグループで側壁の方に向かって歩いていた。その人達は、セートンが今まで見てきた人々の中でも最も活気に満ちた人であった。身長は約5フート(150センチメートル)で衣服を身に着けておらず、皮膚の色は特有の青色をしており、丁度、ピカピカに磨いた金属のような皮膚であった。

・彼らの皮膚の色も不思議なものだったが、最も不思議なのは、その顔だった。その容貌は鮮明でハッキリしており、堂々とした広い知性的な顔を持っていたが、その顔には目がひとつもなかった。両眼のあるべきところは滑らかな皮膚だけであった。彼らはセートンに何らの反感も反応も感じさせなかった。むしろ、セートンは、彼らから深い平和と調和の感じをうけるとともに、彼らから注がれる清い愛情が自分の琴線に触れたのを感じた。

『天空人伝承』

(山岡徹・山岡由来)(たま出版)1999/12

<「サンダー・バード物語」>

・北米インディアンのクィラュト族に不足の災難が襲ってきて、異常気象が続き、食物となる魚や作物がとれなくなり、一族は連日のように餓死していった。このとき、一族の酋長が、彼らが名づけた「サンダー・バード」に救いを求めた。そうすると、空飛ぶ円盤が生きた鯨を運んでくれて、一族が救われたという伝説。

・神の仮面を脱ぎ、素顔を見せて、「私はお前たちと同じ人間だ」と語るサンダー・バード。

<アイヌの聖地を訪れた見知らぬ人>

・1969年ごろ、北海道日高平取にあるアイヌの聖地「ハヨビラ」に、早朝、謎の人物が訪れた。当時、この場所は、UFO研究団体CBAインターナショナルによって鉄筋コンクリート製オベリスク、モザイク大壁画、稲妻形パネル、三角池、同心円花壇、太陽のピラミッド、モルタル仕上げの空飛ぶ円盤のモデルなどが、団体の会員による奉仕工事で完成していた。

『大いなる秘密  爬虫類人(レプティリアン)』

デーヴィッド・アイク 三交社  2000/8

<68光年の彼方から火星経由、地球にシュメール文明を打ち立てた金髪碧眼のアルデバラン星人>

・ドイツの研究者ヤン・ファン・ヘルシンクは、その著書『20世紀の秘密結社』のなかで、「ヴリルとトゥーレの両秘密結社は、1919年12月ベルヒテスガーデン・ロッジで、マリア・オルシックとシグルンという二人の霊媒を通じて、異星人との交信を試みていた」と述べている。ヴリエウ・ソサイエティー関連の資料によると、それらの通信は、地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる「スメーラン」帝国とのあいだで行われていたという。

・同資料の説明を続けて紹介しよう。アルデバランの人々は、明確に二つのタイプに分けられているという。一つは光の神と呼ばれる金髪碧眼のアーリア支配種であり、もう一つは気候変動によって遺伝子的に劣化したいく種かの亜人類である。5億年以上もの昔、アルデバラン太陽は、膨張とともに、すさまじい熱線を放射し始めた。そのため「劣等な種族」は、居住可能な他の惑星へと避難させられたという。そしてついに光の神アーリア人種も、母星からの退去を余儀なくされたのであった。このような経緯で我々の太陽系にやって来た彼らは、まず最初に惑星マローナを占領した。

 

・惑星マローナはマルドゥクという名でも知られており、ロシア人やローマ人はこの惑星をパエトンと呼んでいた。火星と木星の間、現在のアステロイド・ベルト軌道にあったとされるこの惑星は、古代シュメール人の言う惑星ティアマトに相当している。その後、金髪碧眼のアルデバラン星人は火星に植民し、続いて地球へと下りてシュメール文明を打ち立てた。・・・少なくともヴリル・ソサイエティーの人々はそう信じていた。

 

・ヴリル・ソサイエティーのチャネラーたちによると、シュメール語はアルデバラン星人の言語であり、その音は「不可解なドイツ語」のようであるという。そして、ドイツ語とシュメールーアルデバラン語は波長が同じであるとも彼らは信じていた。

・彼らのテーマはこうだ。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった。彼ら支配種は高度なシュメール文明の発祥にインスピレーションを与え、この地球に純粋な血流を植えつけた。以来このgodsは、地下都市から地上の人類をコントロールし続けている。

・しかし、一つ言い忘れていることがある。それは、アーリア人のなかにはレプティリアンの血流が潜んでいるという事実だ。ブラザーフッド内部の者から聞いた話だが、レプティリアンは金髪碧眼の人間の血を必要としており、アーリア支配種の純粋性を維持するというナチスの教義はそのためのものであったという。

 

・トゥーレ協会の名は、伝説の都市ウルティマ・トゥーレに由来している。このウルティマ・トゥーレは、アルデバラン太陽系からやって来たアーリア人が最初に、入植したという北方の大陸、ヒュペルボーリアにあったと言われている。

 さらにまた、このヒュペルボーリアは、アトランティスやレムリア(ムー)よりもずっと以前の大陸だったとも、アトランティスそれ自体であったとも言われている。はたまた地球の内部にあったという説すらある。

 

(2019/6/29)

『健康に生きる覚悟』

森村誠一   KADOKAWA/中経出版  2014/3/14

<本書は、引き渡すべき果実の集大成を試みた>

・夏は毎日荒川に通い、水遊びに耽った。上流からさまざまな漂流物が下流へ流れていく。河童少年たちが温泉と呼ぶ河川敷のお湯のように温まった水たまりにつかった。

・そして、高校時代は秩父へ登り、大学へ進学すると、ハイキングクラブ(現在のワンダーフォーゲル部)に入部して、八ヶ岳、日本アルプス、北海道、九州の山々にまで足を延ばしていった。

 百名山は狙わなかったが、いつの間にか三十数座、足跡を延ばしていた。

・当時、海外旅行は夢のまた夢であった。バイトで貯めた金と、ふんだんな時間にものをいわせて、全国を漂白に近い形で旅をしていた。

・夢を追う旅に夢中になって1年留年した。卒業、就職して社会に参加し、いつの間にか齢80を重ねた。

 ふと気がつくと、中、高、大のクラスメート、山仲間、サラリーマン時代の戦友、作家仲間などの人生の友に告別している。

 そして、去っていった友の空洞を埋めるように、新しい友ができている。

 彼らは私に新たな未知数を土産に持参してくる。

<48年の作家生活を支えてきた1日のスケジュール①――午前中>

<心身によいことは、学ぶよりは慣れることである>

・雨の日はやや寝坊するものの、毎日平均して朝7時半から8時には起きる。まず、コップ1杯の水とともにサプリメントを飲む。作家になったころから服用しているロイヤルゼリーと、それからサバのエキス、いわゆるDHAである。

・年齢相応の軽いリウマチがあるので、食後に持病のリウマチの薬を最小限、それと目のためにブルーベリーのエッセンスを飲む。

・風呂上がりには水を飲む。私は脳血栓を防ぐため、こまめに水分補給をしており、寝る前にはコップ1杯の水と少量の牛乳を飲んでいる。

・起きてから寝るまでのあいだに、毎日欠かさずに散歩している。この1日のスケジュールは、作家になったころからあまり変わっていない。

<「雲虎」との邂逅――レストルームでの貴重な時間>

・1日に3回は厄介になるトイレを、私はレストルームと呼んでいる。

 見事な便が出た時には、デジカメに収めることがある。家人に見せようとするといやがられるのだが、私はこれを「雲虎」と名づけ、体調のバロメーターとしている。

<単調になりがちな1日の「切り換え」のタイミング>

・松本清張氏が「作家に必要なことはなんでしょうか?」という質問に対し、「何時間、机にしがみついていられるかだ」と答えていた。質問者は、感性やひらめきや発想、応用力や創作力といった回答を期待していたのだろう。

 しかし私はその答えを聞いた時、「たしかにそうだな」と思った。机と向かい合うというのは、しんどいことなのである。

・私の体質は、気分転換しすぎると元に戻れなくなってしまう。気分転換のために動く、たとえばジョギングやウォーキングなどをすると脳にまわる血が筋肉にまわってしまうし、眠たくなってしまうのである。したがって気分転換の散歩もしすぎないよう、気をつける。

<自分を使って人体実験をし、体に合うものを厳選していく>

・70代までは鮨が好きでよく食べていたが、一度ナマモノにあたってから避けるようになった。いまでは、外出先では火を通したもの以外はほとんど口にしない。

<50年弱で厳選されたサプリメント>

<私が愛飲しているのがロイヤルゼリーとプロポリス>

・散歩に加え、健康によいといわれる食品はなんでもとる。サプリメントはプロポリス、生ロイヤルゼリー、サバのエッセンスであるペプチド、玄米酵素、ブルーベリー、二百種類の野菜を煮詰めた原液、黒酢、コラーゲン、青汁、梅、イチョウのエキス、黒にんにくなどである。

 テレビでさまざまな体操や運動が紹介されるが、やってみても長続きしない。サプリメントと歩くことだけは作家になってから50年弱も続いている。

<「一病息災」だから健康になれる――S状結腸過敏>

・若いころ、「S状結腸が過敏だ」と医者から言われた。S状結腸が刺激されると便意をもよおす。食事したあとにすぐトイレに行くのが理想的なのだが、会社に勤めているとそうもいかない。

・私は俗にいう「鳥腹」である。鳥は体を軽くするため、食べるのとほぼ同時に排泄を行う。だから昼食などを外で食べたとき困ることがある。

・排泄を我慢すると直腸がんのリスクが高まるとも、医者から言われた。「ためないに越したことはないよ」と言われたものの、勤め人では食事するたびにトイレに立つわけにもいかない。

 食事のあと出かけなければならない、という場合に困らぬよう、「あのホテルはどこにトイレがある」「あそこに公衆トイレがある」など、トイレマップをだいたい頭にインプットしておいた。それでもトイレがなさそうな場所に行く時、トイレに行けそうにないときは、食事を抜く。作家の川上宗薫氏も同じで、彼は飛行機などに乗る時は「トイレを失う」と言っていた。

・講演会では主催者が食事を用意してくれるのだが、「食べると話せなくなるので」とお断りしている。

・ただ、トイレが近いという欠点はあるS状結腸過敏だが、体内に腐敗物や毒素がたまらないため消化器系のがんにはなりにくいという長所もある。

 若い私にS状結腸過敏だと教えてくれた医者も、「これはいいことですよ」と言ってくれた。現代的な社会生活には不便だが、体内に排泄物をためないのだから、体そのものにはいいのであろう。

<「一病息災」だから健康になれる――高眼圧>

・60代で眼圧が高めだと診断された。眼科医の検診によると、緑内障を発症する恐れもある。緑内障は現代医学でも進行を食い止めるのが精いっぱいで、完治はできないという。これはかなりの衝撃だった。作家にとって目は命である。

 緑内障を防ぐには、眼圧が高くならぬようにすればよい。眼科医による予防法は目を酷使しない、刺激性の食物は控えるということだった。

・目の酷使は作家の職業病であろう。そこで仕事場の窓と天窓を大きくとり、太陽が出ているあいだは自然光で執筆することにした。

・刺激性の食物に関しては、私はコーヒーが大好きである。日に何杯も飲んでいた。しかしカフェインが眼圧を高めるということで、断腸の思いで1日1、2杯を自分に課した。

<心身のメンテナンスが充実した後半生につながる>

・人はだれでも老化していくが、その大きな原因の一つが老人性うつである。65、6歳からだいたいそれは始まるという。まず、朝がしんどくなる。

 老人性うつの人に話を聞くと、「先を考えると気が滅入ってくる」と言う。このままどのような死を迎えるのか。自分が死んだら女房はどうなる、子や孫はどうなる。自分がかかわっていた生活テリトリーがどうなってしまうのかなどと考えてしまい、滅入ってくるという。それが重症化したものがうつである。

 最近はうつのよい治療薬があるため、薬が合えばいいのだが、そうでないと一種の廃人のようになってしまう。

・そうならないためには、まず起きることである。

・それから、計画を立てることも大切である。つまらない計画でもいい。「図書館で借りた本を読む」「図書館で借りた本を返しに行く」でもいい。家で読むと変化がないので、電車に乗って終点まで何度も往復しながら読書をするのもいい。電車内というのは、意外によい読書空間である。

・日記をつけるのもいいかもしれない。日記をつけることで自分のライフスタイルが記録に残る。

・文章の練習にもなるし、また、人に読ませることを意識してエッセイ風に書いてもいい。ブログなどを始めてみると、どこで誰の目に留まるかわからない。思わぬ反響があると張り合いも出てくる。

<人生の後編に入ってからこそ心身のメンテナンスを怠らない>

・心臓の悪い人は心臓だけが悪いわけではないし、胃の悪い人も胃だけにとどまらない。体のどこかに一箇所に不具合があると、全身に広がっていく。

 それと同じように、心身のメンテナンスも一箇所だけのメンテナンスではない。精神のメンテナンスは気力や体力にも影響してくる。認知症になった人が比較的早めに亡くなってしまうのは、精神の老化が体の老化につながっているからである。体の調子が悪くても気の強い人は長生きをする。

 精神のメンテナンスは体のメンテナンスと表裏一体になっている。

<私が実践している健康法>

・「病気になれる日」を3日つくっておく――時間の予算計画を立てる

・「何もしたくない」ときは何もしなくていい

・「写真俳句」で散歩は充実する

 私の散歩コースはそれぞれ乗り換えも可能であり、バージョン数は多岐にわたる。作家に限らず、会社勤めから解放された人はみな運動不足に陥りやすいので、散歩はおすすめである。

 しかしおそらく、徐々に飽きてくるだろう。私もそうだった。ただ歩くというのは思いのほか単調なのである。そこで散歩の際、俳句を詠むようにした。

 芭蕉には曾良が、私のお供はデジカメと携帯電話、小型のテープレコーダー。俳句が浮かび次第すぐ録音できるようにである。

・この心身共に楽しめる「日課」が、私の健康の支えにもなっている。

・自転車で足腰と反射神経を鍛える

・私は雨の日以外、1日に30分ほど自転車に乗る。徒歩での散歩もいいが、夏の暑い日などは途中でいやになってしまう。そこで自転車を愛用している。自転車は短時間で効果的な運動ができる。

・反射神経のみならず視覚や聴覚、バランス感覚も養えるし、足腰も泳ぎと同じくらい鍛えられる。

 マウンテンバイクやロードバイクではない、いわゆる「ママチャリ」だが、30分もこいでいると心地よい疲労感が得られる。

・水泳は景色のいいところで浮き袋をつけて

 私の水泳は、風景の美しいところでの遠泳である。水温が高く、海水浴など人が多くて風景のバラエティに富んでいるというのが条件となる。熱海が好きなのは、そのような理由による。

・だが80ともなると、足の痙攣や低体温などいろいろ警戒することが出てくる。したがって、泳ぐときは首にぶら下げたひもに浮き袋をつけている。

・市民プールは景色が見えないため、近所にあっても足が遠のく。

・限られた食事回数を楽しむ――「一味一会」の心がけ

 食事には、食べ物そのものを中心にする場合と、人間関係を中心とする「接待、商談、政談、和解、冠婚葬祭など」の二種類がある。

・年寄りは肉を食べないほうがいいという説もあれば、肉を食べる元気があるから若くいられるという説もある。基本的に草食の私でも、肉が食べたいときには肉を食べるし、食べたくなければ食べない。食べたいものを食べる。

・食欲が健康につながる――「書く」ことは「食う」こと

 「証明」時代は、依頼のあった仕事はできるだけ受けるようにしていた。作家はニーズがあるうち、“お座敷”がかかるうちが華。

 若手作家のなかには、仕事を選んで断るタイプもいるという。私はどんな原稿依頼もウェルカムであった。私の年代の作家、昭和ヒトケタからフタケタ初期の作家はほとんどそうであろう。

 だいたい、仕事に対する姿勢が違う。書くためには家族は二の次、家族のことは忘れて原稿を書いていた。

・人生全方向のなかで、「食」が中核にあった。作家になってから「書く」ことは「食う」ことと同じであった。

・生きる張りが病気を遠ざける

 満腹状態でも貪欲に仕事を引き受け、書く。それがまた生きる張りになる。生きる張りがないと病気にもなりやすい。

「このために生きている」という目的がある人間には張りがあるから、致命的でない病気であればその張りで克服できるのである。

・眠くなったらいつでも、数分でも眠る

 昼寝を含めて8時間。夜の7時間睡眠に、午前11時30分ごろからの昼寝が30分~1時間。普通は、朝起きて夜寝るまで無着陸飛行という人が大半であろう。

 私は日中、眠くなったら20分でも30分でも眠る。眠りたい時にはレストルームの個室に腰掛けて数分でも眠る。

・昔から「親が死んでも食休み」といわれているが、それだけ食後の休息は大事なのである。

・睡眠にはつきもの――夢との付き合い

・眠りの前の私の儀式「コップ一杯の水」

・たっぷりの睡眠時間が活力源になる

・物忘れして当たり前! 気にしなければ思い出す

・私が「これだけはしない」という“禁私”事項

・無理せず、足るを知る――限界効用逓減の法則

・あえて便利な道具を使わない――便奴からの解放

・無理をしない――スケジュールを埋めつくさない

・やることがある朝の目覚めは素晴らしい

・人生の後編をたっぷり楽しむ「ゆったりスケジュール」

<人生の「後編」をどう生きるか>

・自分自身のために忠実に生きる。これが後編のモットーとなる。

<「現役」から「誉生」へ>

<現役時代から定年後に備えて周到に準備している人が多い>

・たとえば、新たな技術の習得、趣味の育成と拡大、副業の本業化、再就職などによる人生の後編の充実化である。本業化というのも現役時代と違い、生活のためではなく、趣味の延長としてという性格が強い。生産性のある趣味で収入を得ることで、より豊かな人生の後編を演出できる。

 趣味の延長とはいえ収入を伴うことは、社会のニーズがあるということだろう。

<独立独歩・自発的な高齢者こそが尊敬される>

・現役を退いても人生の先達として社会や家庭から求められ、尊敬されるためには条件が5つある。

1. 健康である

2. 多少の経済力がある

3. 生産性がある(趣味をもつ)

4. 仲間がいる

5. おしゃれである

・そのためには、何はともあれ心身共に健康であり続けることである。

<50代のサラリーマン時代から備えに入る>

・いまや老後=余生ではなく、人生の本篇そのものが長くなったといえる。

<「他発的」から「自発的」へ生きるための訓練をする>

<衰えていく体の劣化速度をなるべく抑えることである>

・自由に意思する、自発的に判断する鍛錬をしなければならない。

<シニア年少組からシニア年中組>

・年長組の80代になると、自分は若いつもりでも気力、体力的に劣ってくる。膝が痛い、神経痛が出る、物忘れがひどくなる、集中力が続かない。80代になると、年中組のようにはいかなくなり、常に医者の管理下に入る。

・60代以降で大切なのは出会いである。

<限られた食事回数を楽しむ>

<忘れられない「一味一会」の思い出>

私の人生で忘れられない味、というものがある。

 仕事などで脳が疲れているときはブドウ糖を欲するため、夕飯後にチョコアイスかハーシーのチョコレートを補給するが、ハーシーが好きなのは、12歳の少年だった終戦直後に、アメリカ兵からもらった記憶があるからである。

<睡眠にはつきもの――夢との付き合い>

・夢のなかで思いついた話などはだいたいものにならないが、タイトルは違う。角川春樹氏から『作家の証明書』のような作品をというリクエストをもとに、夢で見たタイトルが『人間の証明』であった。

<眠りの前の私の儀式「コップ1杯の水」>

・ガブ飲みすることはないが、就寝前の「コップの一杯の水」で命拾いをすることがあるという。

<たっぷりの睡眠時間が活力源になる>

・安らかな眠りは、心身の健康があって初めて成り立つ。

<無理せず、足るを知る――限界効用逓減の法則>

・(ビールも)4杯目ともなると、もういらない。これが限界効用で、それ以上飲むと苦痛になってくる。そのチェンジポイント、その限界効用の切り替えポイントを自分の体に刻み込む。そうすれば、無理をすることはない。

日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ

コンタクティとチャネラーの情報を集めています。 森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

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