2025年には認知症の人が約730万人、つまり高齢者の5人に1人は認知症になり、さらに2050年には約1016万人と1000万人を超え、高齢者の4人に1人以上が認知症を発症するとみられています(1)

(2025/5/7)

『みんなボケるんだから』

恐れず軽やかに老いを味わい尽くす

和田秀樹  SBクリエイティブ   2024/3/2

<「みんなボケるんだから」で老後は楽になる>

・ただ、私は高齢者医療というものを選んでしまったために、完治とか、治すという経験はあまりしていません。でも、その代わりに、治らない病気とどうつきあっていけばいいかという知恵を得ることができました。

・軽いうちなら大統領も務まります。そして、なるべくできることを続けていくほうが進行も遅いのです。

・私が医者になって、とくに高齢者専門の精神科の医者になってよかったと思うことは、認知症というのは、ある種の老化現象であることと、最終的には幸せになれる病気であることを知って、認知症になるのが怖くなくなったことです。

・ただ、それ以上に知ってほしいのは、認知症というのは、恐れるような特別な病気ではなく、誰にも起こる老化現象なので、なることを前提に生きてほしいということです。ちょっと記憶力が落ちたり、昔とくらべて頭が悪くなったと感じても、「みんなボケるんだから」と笑い飛ばせたほうが老後の不安も楽になるでしょう。

<みんなボケるんだから――私が認知症になったら、迷わずすること>

<私が認知症と診断されたら、迷わずすること>

・もし私が認知症と診断されたら、そうさらっと受け入れ、迷うことなく介護保険を使ってデイサービスを利用します。

・つまり、認知症なるものになったとたんに、これまでの自分とは別の人格になるわけではない。

<6000人以上の高齢者を診てきた私の結論>

・認知症は進行性の病気で、初期から中期を経て、末期にいたります。だいたい初期が2~3年、中期は3~5年、末期3~5年くらいといわれています。ただし、個人差が非常に大きいので、あくまで目安です。

・幸い、2022年に上梓した『80歳の壁』が50万部を超えるベストセラーになり、その頃から出版社からの依頼が殺到して、高齢者向けの本を次々と出しています。この2年間で100冊以上出しました。

・認知症にならないように生きるより、認知症になることを前提に生きれば、認知症をむやみに恐れることはなくなりますし、さまざまな老化現象にも前もって対応できます。

<最低限のことを決めておけば、ボケてもやりたい放題>

・認知症というのは、だんだんおとなしくなっていくのが基本パターンですから、私も本格的にボケだしたら出歩かなくなるかもしれません。

<みんなボケるんだから。85歳で4割、95歳で8割が認知症に>

・2025年には認知症の人が約730万人、つまり高齢者の5人に1人は認知症になり、さらに2050年には約1016万人と1000万人を超え、高齢者の4人に1人以上が認知症を発症するとみられています。遠からず、認知症はありふれた病気になるのです。

<ボケたら不幸のどん底に落ちるのではなく、だんだん幸せになっていく>

・何が言いたいかというと、長生きすれば誰もがボケる可能性があるにもかかわらず、正しい知識がないために認知症をいたずらに恐れて、本来楽しくあるべき人生を自らつまらなくしてしまっている人があまりに多い、ということです。

<年を取るほど発症率が高いアルツハイマー型認知症>

・脳に見られるタンパク質の沈着を「老人班」と呼んでいるように、年を取れば取るほど発症率が高くなるのは、やはりこのアルツハイマー型認知症なのです。

<老化現象の一つだから、ゆっくり進んで個人差も大きい>

・認知症は老化現象の一つですから、個人差が大きく、置かれている環境や周りの接し方、本人の受け止め方によっても症状がかなり異なってくるのです。

<根本的な治療法はないが、進行を遅らせたり緩和させたりできる>

・認知症を完治する治療法は確立していませんが、認知症と診断されたからといって、絶望するのはナンセンスです。

<その「物忘れ」、気にすることはありません>

・認知症はだいたい「物忘れ」から発症します。

 むしろ、「認知症だったらどうしよう」と不安になって、思い出せないことや忘れてしまうことをやたらに気にしていると、ストレスで、かえって出力障害が悪化してしまいます。

<このままボケてしまうのでは……。不安になるほど認知症は近づく>

・つまり軽度認知障害というのは、それを本人がどう受け止めるかによって、認知症に進んでしまう可能性が一気に高まってしまうのです。

<見逃されがちな、認知症より怖い老人性うつ病>

・早期発見、早期治療が望ましく、うつ病が少しでも疑われる高齢者には、試しに薬を使ってみるというスタンスが、超高齢社会での医師には必要だと思っています。

<「認知症は老化の一つ」と受け入れたときに人生は好転する>

・だとすれば、認知症を否定したり恐れたりするより、誰しも長生きすれば経験するものなんだから、と開き直って、すんなり受け入れるほうが賢明だと思います。

<認知症と告げられてもあわてなくていい理由>

・そして、認知症と診断されたなら、「年を取ったんだからしかたない」とあっさり受け入れて、その症状の進行を遅くする努力や工夫をしてください。そのうえで「機嫌良く生きていくこと」を最優先して、認知症を飼い慣らしながら人生を楽しんでいけばいいのです。

<早期発見のメリットとデメリット>

・認知症の人にとって大事なのは、とにかく脳を使って残存機能を活かし続けることです。

<認知症の専門医であっても認知症は避けられない>

・認知症の実態を知っているか知らないか。それが認知症になってからの人生を大きく左右することを長谷川先生は身をもって教えてくださった気がします。

<「ボケても意外と何でもできる」という事実――私が認知症と向き合ってわかったこと>

<私と認知症との出合い、初めは怖い病気だと思っていた>

・私は、25歳のときに東大医学部附属病院の老人科に研修医として勤めたことから、老年医学の世界へと足を踏み入れました。

・年齢層が若いだけに認知症の患者さんは少なく、認知症でもかなり重くなっていて、悪態をついたり暴れたりして家族が本当に参ってしまっているような患者さんが多かったわけです。

・ですから医師として働き始めた当初は、私自身も「認知症は怖い病気だな」「できれば認知症にはなりたくない」と思っていました。ところが、1988年、縁あって、高齢者専門の浴風会病院に勤務するようになってから、認知症のイメージが大きく変わったのです。

<高齢者専門の浴風会病院で認知症の実態に気づく>

・浴風会病院の入院患者さんは当時、平均年齢が85歳くらいでした。85歳を過ぎてボケる人のほとんどは、やはり老化現象の要素が強く、徐々にちょっとずついろんなことができなくなってくる症状が多いわけです。

・つまり認知症は、長生きすれば避けることができない老化現象の一つだ、と思うようになったわけです。

<脳の老化は前頭葉から始まる>

・脳の研究者の間では、かなり早い時点から、脳は前頭葉から縮み始めること、それも40代頃から始まることが知られていたのです。前頭葉とはまさに「人間を人間たらしめている」大切な部位なのです。

<「悪魔の手術」で明らかになった、前頭葉の重要な役割>

・とくに脳の構造を画像化する方法が開発されたことで脳の血流の様子が可視化され、人間がどんな行動をとったときに脳のどの場所が主に働いているかがわかるようになってきたのです。

・前頭葉がうまく働かないと感情のコントロールが利かないということが、ほぼ確定的になりました。

<前頭葉が萎縮しても、必ずしも知能は低下しない>

・よく誤解されるのですが、前頭葉の機能が低下することで起こる問題は、意欲や集中力が減退したり、感情がコントロールできなくなったりすることであって、知能が落ちるわけではありません。

<軽いうちなら大統領でも務められる>

・認知症は進行性の病気ですから、発症からの経過時間によって症状の程度は異なります。

<なぜ、鹿嶋の認知症の人は都内の人より進み方が遅いのか>

・鹿嶋の病院には数年間通いましたが、認知症になっても、やっぱり普段通りの生活をなるべく続けさせてあげたほうが症状が進まない、ということを確信しました。

<「ゴキブリ御殿」になっても一人でしぶとく生きている>

・この話を例に出したのは、それほど認知症が進んでも意外に一人暮らしはできるし、生きる意欲というか、生存本能はしっかり残っているということです。

<生存本能はたぶん最後の最後まで残る>

・認知症がかなり進んでも、自分の命を守ろうとする生存本能は結構、残っています。

<本当に幸せかどうかは本人にしかわからない>

・結局、幸せかどうかは、本人にしかわからないのですから。

<「介護保険制度」がもたらした大きな変化>

・私は、治療薬アリセピトよりデイサービスのほうが、症状が進むのを遅らせる効果があると考えています。

・そして、2004年には、あの侮蔑的な「痴呆症」という病名も、誤った認識を招きかねないとして、「認知症」と変更されました。

 

<私が認知症をテーマに映画を撮った理由>

・だから最期は施設を選ぶことで、介護する側も介護される側も幸せになれることを映画で伝えたかったのです。

<まだまだ治らない“恐れすぎ病”>

・老年精神科医として非常に残念に思っているのは、認知症に対する正しい理解が遅々として進まないことです。

<誤解を生んだ大学教授と広めたマスコミ>

・私たちからすると、「認知症が一定以上進み、運転に支障をきたすようになったら免許を失効する」というのが正しい文章であって、認知症と診断されたら免許を失効するというのは認知症の本質をまったくわかっていない。

<「認知症基本法」という法律ができたのをご存知ですか?>

・高齢者を専門とする精神科医として、また認知症の人を35年余り診てきた医師として、近頃、非常にうれしかったのは2023年6月、ついに「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(通称「認知症基本法」)という法律が成立したことです。

<ボケても普通に生きられる社会へ>

・認知症の進行を遅らせるためには、地域の中で普通に認知症の高齢者が暮らしていることが重要であると痛感しましたが、まさにいま、そういう社会が日本各地でつくられようとしています。

<「ボケ上手」への第一歩――自縛をほどいて自由気ままな思考に転換する>

<認知症との上手なつき合い方。基本は「楽しく生きること」>

・症状がなるべく重くならないように楽しく生きることが、認知症とうまくつき合うポイントです。

<長くなった人生に必要な思考パターンの転換>

・しかし、年を取ればみんな脳も弱っていくのですから、徐々に周りに助けを求めながら生きていくのが当たり前です。

<「かくあるべし思考」では幸せになれない>

・いろいろなことに「かくあるべし」と答えを決めつけるのではなく、「そうかもしれない」とほかの可能性を考えることは、メンタルヘルスに良いだけでなく、判断が妥当なものとなりやすいはずです。

<答えは一つではないのだから、楽な道を選択すればいい>

・要するに、どれが正しい答えなのかは半永久的にわからないままなのです。むしろ、答えや選択肢を複数同時に持っていられること、それこそが本当の賢さではないかと思うようになりました。

<老けた人と若々しい人の違いは何か?>

・気持ちが若い高齢者は、年齢など気にしていません。

<目指すは「年甲斐もない人」。つまらない倫理観は捨ててしまえ>

・どうぞ、自分の欲望に素直に従って、やりたい放題、やってください。

<楽しいことだけしていいのが「老いの特権」>

・自分が楽しければそれでいい。子どものときのように無邪気に楽しいことだけを追いかけられるのは、老いの特権です。

<人生の醍醐味は70歳から>

・いずれにしても、いまや、第二の人生は70歳から始まると言っても過言ではないでしょう。

<人生は実験!やってみないとわからない>

・実験の連続である人生は、よりおもしろく豊かになるのです。

<良妻賢母よりスケベじじいが愛される理由>

・若い頃から我慢を重ねてきた人のほうが、高齢者になったとき、人あたりが厳しくなる傾向があるということです。

<ボケたら元来の性格が強く出る>

・簡単に言えば、認知症の症状は、いままでの自分に備わっていた能力が欠け始めたことに対して、もとの性格が反応し、さまざまな形で現れるのだというのです。

<年を取ったら病気は飼い慣らす>

・いわば、「ゼロコロナ」的な発想よりも「withコロナ」のように、「共に生きる」という発想が大事になってくるのです。

<がんになっても共生しながら、ボケたらボケたなりに生きる>

・高齢になればなるほど、がんの進行も遅くて転移もしにくくなるので、がんとつき合っていって天寿をまっとうできたら、と思っています。もちろんボケたらボケたなりに生きていく。

<人間関係は好き嫌いで決める>

・遠慮も気遣いも要らない大らかな人間関係をつくっていくことが大事だと思います。

<定年後は夫婦の関係を一度リセットする>

・そこで、私がおすすめしているのが、「つかず離れず婚」です。

<人生が長くなったのだからパートナーが変わってもいい>

・話を戻すと、70代から別々の人生を歩き始める夫婦もいるわけです。

<子離れしないと晩年が不幸になる>

・そして、自分のお金は自分の幸せのために使うことです。

・認知症の場合、子どもが勝手に「成年後見」を申請して、それが認められれば、自分のお金でありながら自由に使えなくなるということです。

<私がしつこく「相続税100%」を主張するワケ>

・この「親の財産を相続するのは当たり前」という考え方を何とかしないと、まともな競争社会は生まれないし、超高齢社会は乗り切れないと思っているからです。

<「ボケかた上手」になるための魔法の言葉>

・前向きな言葉と笑いで、ぜひとも、ボケ上手な高齢者になってください。どうせ、みんなボケるのですから。

<「ボケでも幸せな人」の生活習慣――前頭葉を刺激して脳の老化を遅らせる>

<ボケても「いまできること」を減らさない>

・認知症になったとき、もっとも大切な対策となるのが、「ボケても、いまできることを減らさない」ことです。認知症の原因は脳の老化ですから、ボケの進行を遅らせるには、とにかく頭を使い続けることです。

<一人暮らしの高齢者ほど認知症が進まない>

・実は、一人暮らしのほうが認知症の進行が遅いことがわかっています。家族が何でもやってくれる状況にくらべたら、独居老人は頭と体を使う機会がはるかに多いからです。

<進化するデイサービスで自分に合った楽しみを見つける>

・ボケたらボケたで、新しい楽しみも生まれます。介護保険で利用できるデイサービスの娯楽です。デイサービスに行くのが楽しみになったというケースは結構多いのです。

<明日死ぬかもしれないのだから「いま」を楽しまなきゃ損!>

・いまの自分の意識を向け、「いま」を楽しめる人のほうが幸せな老後を送れると思います。

<最高の脳トレは人とのコミュニケーション>

・人とのコミュニケーションは最高の脳トレですから、認知症でなくても、どんどんいろんな人との会話を楽しんでください。

<前頭葉を鍛えるのはインプットよりアウトプット>

・定年後も知識を蓄えなければと難しい本を読み漁って、いくら情報をインプットし続けたとしても、前頭葉の老化を遅らせることにはほとんど効果がありません。前頭葉を鍛えるには、インプットよりアウトプットが必要なのです。

<日常生活の中に「初体験」を増やそう>

・ところが、前頭葉は想定外のときに反応するのです。いままで経験したことがないような出来事にワクワクドキドキしたとき、活性化するわけです。

<くだらないテレビ番組は脳を老けさせる>

・つまり、日がな1日、テレビの前に座って、「なるほど、なるほど」とうなずいていたら、ボケの道まっしぐらなわけです。

<脳の老化を遅らせる睡眠方法>

・脳の老化を遅らせる効果的な方法の一つが、「睡眠」です。ただ、睡眠時間が長ければいいというわけでもないようです。

 睡眠時間が9時間を超える場合は認知機能に異常をきたすという研究もあるので、1日に7~8時間が、認知症を遅らせるためには望ましい睡眠時間と言えるかもしれません。

<激しい運動より日光を浴びながら気楽に歩く>

・ウォーキングやジョギング、水泳などの有酸素運動は、脳機能の低下を防ぎ、脳を若く保つ働きがあるといわれています。私は、中でも「歩くこと」をおすすめします。

・とりわけ日光を浴びて歩くと、「幸せホルモン」と呼ばれる、脳内の重要な神経伝達物質セロトニンの分泌を促します。

<なぜ「肉食老人」は脳も体も若々しく元気なのか?>

・私が肉屋の回し者かと思われるくらい高齢者に肉食をすすめている理由の一つは、幸福ホルモンであるセロトニンの材料となるアミノ酸・トリプトファンが豊富に含まれているからです。

・ということで最近の統計を見ると、「コレステロール値が高い人ほど長生きする」というデータが数多く発表されています。安心して、「肉食老人」になってください。

<医者の言いなりにならず好きなものを食べる>

・寿命が多少短くなっても、好きな飲食物を我慢しない生き方があってもいい。年を取ってからは「我慢しない」ほうが健康なのです。ただ、アルコールには気をつけてください。

<認知症と歯の深くて怖い関係>

・脳の衰えを防ぐためには、「噛む力」も重要です。歯が悪い人は認知症になりやすいことが知られています。

<若づくりをしたら心身が若返るという事実>

・現在の心理学では、人間の心のあり方は、内側から出てくるものというより、外側から規定されるという考え方が主流になっています。

<文明の利器を使いこなして老いの壁をラクに超える>

・老化現象による障害を上手に乗り越えられる人ほど、いくつになっても元気で、重い要介護状態になりにくい。日々やりたいことを楽しんでいますし、家族や友人とも良好な関係を築いているように思います。

・しかし高齢になったら、だんだんと自分の世話を人に委ねていくことを受け入れる。その気持ちが、本人だけでなく、家族にも必要だということをしみじみ感じました。

<AIやロボットで、老後はもっと便利に楽しくなる>

・日本人には「人様に迷惑をかけてはいけない」という考えにとらえられている人が多く、高齢になればなるほどその傾向は強いのですが、AIや介護ロボットを使いこなせるようになれば、そんな気兼ねも不要になるでしょう。

・人口の29%が高齢者で、認知症の人だけで600万人いる国なのですから。早く実現するべきでしょう。

<ボケとは「幸せな人生の総決算――人はもともと「幸福脳」!ボケると“幸福度”は増す>

<人生の幸福度がピークになるのは82歳を過ぎてから>

・年齢を重ねるにつれて脳や体が衰え、高齢になれば家族や友人など大切な人の死を経験するにもかかわらず、幸福感は高まっていく。

<いやなことはどんどん消えていく>

・裏を返せば、そうした「当たり前の日常」をありがたいと感じられることが、年を取ることの良さでもあると私は思います。

<「ボケ力」は人生を幸せ一色に塗り替える力>

・しかし、嫌な思い出や悔やまれることがいつまでも残らないのは、認知症には辛い記憶を自分の都合の良いように書き換えてしまう力があるからです。

<私の悩み「認知度を治療する必要はあるのか」>

・現代の医学では、進行してしまった認知症の症状を正常に戻すことはできません。だから世界中で治療薬の開発が進められ、私たち医師は対症療法を行うわけですが、問題行動のない患者さんもたくさんいるのです。

<「ボケは早い者勝ちですね」>

・ボケたら何もかも失うのではなく、ボケたからこそ幸せになる力もついてくる。そうとらえることもできるのではないでしょうか。

<「認知症になってからのほうがちょっと幸せかもしれない>

・要するに、認知症の人の生きる世界などなってみないとわからないし、多くの認知症の方たちを診てきて、その世界のほうが幸せなことが多いという私の実感とも合致しています。

<75歳で新境地を開いた蛭子能収(えびすよしかず)さん>

・私が前々から注目しているのが、2020年に認知症であることを公表された漫画家の蛭子能収さんです。

<「ありがとう、ありがとう、ありがとう。何度でも言うよ」>

・今まで言えなかったことが言えるようになったのも、認知症のおかげかもしれませんね。

<認知症になっても、老年は才能に出会えるチャンス>

・そういう意味で、ボケてもボケていなくても高齢になるというのは、思いもよらない自分の才能に出会えるチャンスと言えます。

<ボケてからの私の夢は、講演しながらフーテン暮らし>

・認知症というのは、神様が私たち人間にくれた「幸せ病」かもしれないのだから、認知症であることを楽しんだほうがいい。

<偉くなくていい、賢くなくていい。最期は「ボケのヒデキ」でいい>

・長年、高齢者の医療をやっていると、人間というのは、何もできない代わりに無邪気で可愛い赤ん坊で産まれ、最期は何もできない状態で死んでいくというのが普通のことだとわかります。

・年を取ったら余計な不安を持つより、それを当たり前に受け止めてあるがままに生きる。ボケもその一つだと思ってもらえたら、それが著者の真意ですし、楽になれるでしょう。私も賢そうに偉そうにするより、最期は「ボケのヒデキ」になって死んでいくつもりです。

(2025/4/29)

『60代と70代  心と体の整え方』

良く生きるために読む高年世代の生活学

和田秀樹  バジリコ  2020/7/6

<序章 人生百年と言うけれど>

・老年精神科医の和田秀樹です。本書を手に取っていただき有難うございます。

<余生と言うには長過ぎる>

・さて、政府やマスコミによる我が日本は、今や「人生百年時代」だそうです。「余生と言うには長過ぎる」これが本書の主要読者層と思われる、定年退職後の方々の実感ではないでしょうか。

<60代の特徴>

・さて、60代ではもう一つ大きな問題が生起します。親の介護です。

<70代の特徴と80歳以降のステージ>

・日本でも65歳~74歳を「前期高齢者」、75歳以降を「後期高齢者」と公的に区分されています。しかし、現在の高年世代を俯瞰してみると、私の実感としては80歳以降を「オールド・オールド」と呼ぶのが妥当だと思われます。さて、80歳以降となると、あちこち体の不調を自覚することが格段に多くなり、日常の中でそれまでできていたことができなくなるという変化がはっきりと表れてきます。

<高年世代よ、反逆の旗を振れ>

<90歳。何がめでたい>

・直木賞作家の佐藤愛子さんの著書に、2016年に出版されたミリオンセラーとなった『90歳。何がめでたい』というエッセイ集がありますが、実に秀逸なタイトルではあります。

<弱者への差別と攻撃が蔓延する日本>

・いずれにせよ、現在の高年世代をはじめとする弱者への差別や攻撃は、もはや社会的病理と言えます。つまるところ、現在の日本は病んでいるのです。

<政治のツケを高年世代にまわすんじゃない>

・政府は財政難を福祉のせいにしていますが、それは一つの要素でしかなく、基本要因は低成長経済への移行、バブル期とその後の経済運営、成長戦略、財政の効率的運用、少子高齢化対策など、歴代自民党政権による諸々の経済失政が重なり歳入が減ったことにあります。

<医療現場における高年者差別>

・しかし、その病院の医療現場でも、残念ながら高年患者に対する差別がまかり通っているのが現状です。高年を差別するという昨今の風潮は、どうやら医者たちにも伝播しているように見受けられます。

<定年という差別制度>

・少子高齢化による労働力不足が問題だと言うのであれば、まず雇用に関する年齢差別を撤廃するべきではないでしょうか。

<団塊世代の履歴書>

・以上述べてきたように、団塊の世代は日本の高度成長期とバブル景気をともに経験してきた世代です。令和元年現在、団塊の世代は70代前半の「ヤング・オールド」であり、まだ大半の人が普通の自立した生活を送ることができているはずです。したがって、自分たちに対する差別や攻撃に対して声をあげることは可能なのです。

<反逆の旗を振れ>

・政府は在宅介護という「自助努力」を促していますが、それは配偶者による「老々介護」、あるいは子供が仕事をやめて親を介護するということを意味します。

・高年世代、すなわち団塊世代とその前後の世代は総人口の27%を占め、少子高齢化社会である現在の日本では突出した数となっています。

<老化と病気>

<老化の実態>

・老化による具体的な変化として、形態的には身長の収縮や背骨の湾曲、皮膚のたるみやシワ、生理的には視聴覚の不調や記憶障害、運動能力の低下、病気に対する抵抗力(免疫力)の低下などがあげられます。これらの変化はすべて、細胞の老化や死滅によって起きる現象です。

<人は「心」から老化する>

・以上述べてきたようなことから、高年世代にとって「感情の老化」は、ある意味で身体の老化よりもシリアスな問題だと私は考えています。ただ、前頭葉をよく使う生活習慣をつけることにより、感情の老化を遅らせることは可能です。

<高年になると多発する病気>

・個人差を考慮に入れたとしても、60代以上で身体機能が上昇し始めるなどということはあり得ません。もちろん、若くして病死する人もたくさんいます。ただ、若い頃と比較すると、高年世代では病気になるリスクが飛躍的に高くなります。

<認知症>

・認知症とは病名のように考えられていますが、私は脳の機能が極端に低下した状態だと考えています。

<鬱病>

・鬱病と聞くと、一般に成年や壮年を想起しがちですが、実は高年の鬱病はそれ以上に多く、精神科では認知症に次いで罹患者が多い病気なのです。近年、日本では鬱病患者が増えています。

<死に至る病>

・55歳~84歳までの日本人の死亡原因は悪性新生物、心疾患、脳血管疾患、肺炎の順、85歳~89歳までは脳血管疾患に代わって肺炎が第3位となり、90歳~94歳では心疾患、肺炎、悪性新生物、脳血管疾患の順となっています。

<悪性新生物(ガン)>

・悪性新生物は、患部が腫瘍の形態をとった細胞集団であることから、悪性腫瘍とも呼ばれています。

<心疾患>

・心疾患とは心臓に関係する疾患の総称であり、俗に心臓病とも呼ばれています。

<脳血管疾患>

・脳血管疾患とは、脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血など、脳まわりの病気の総称であり、悪性新生物、心疾患に次いで高年者の死因の第3位となっています。

<肺炎>

・肺炎は代表的な急性感染症の一つであり、肺の炎症性疾患の総称です。

0コメント

  • 1000 / 1000